最近の記事

スポンサードリンク

月別アーカイブ

『男×動物×キメラ×愛』の話。



 ほぼ二ヶ月前、新書館の某編集さんがツイッターで「今夜のタモリ倶楽部でうちの本が紹介されます」とつぶやいていたのだけれど、私の住んでいる大阪ではタモリ倶楽部の放送は帝都東京比ほぼ二ヶ月遅れなので、それは楽しみですねとかリツイートすることもなく(いやまあそもそもリツイート機能とか使わないんですけれども)、年が暮れ、年が明け。

 ほんの数日前に、その回を観た。

 新書館の熊谷さんによれば、ボーイズラブを描くなら、キノコとツボミの身長差は10cm~12cmくらいが黄金比であるという。170ちょいの私だと、相手は185cm太陽ケアあたりか。いやまてオレ、なぜやられる側で想像している。でも太陽ケア先生を私なんかが組み伏せることはできないし……しなくていいのか。
 そうか。
 よかった。

BL

 ボーイズラブではありがちな場面というのを熊谷さんに解説され、一同は、すなおに、ほお、と感心していらっしゃる。そうBLはノンケの男性が読んだっておもしろいジャンルなのです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 ふらふらしていたタバコの先がようやく触れ合った。息を深く吸い込むと、弘夢の火が光晴に移る。うつむき加減の弘夢は、まるで目を閉じてキスを待つように見える。光晴はちりちりと炎が身内に広がるのを感じた。
 もしここに恋の熱を探知する器具があったとしたら、今こそ最大級の警報音を発しているのではないか。
 耳の奥で非常ベルが鳴り響いているように錯覚した。そのけたたましい音は、激しく流れる血流と、怯えた心の産物だったに違いない。
 火が移るまでに、ずいぶん長くかかったような気がした。顔が離れたときは、すっかり背中に汗をかいていた。


 いつき朔夜 『おまえにUターン』

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(↑完全な余談ですが、この一冊、主人公が「光晴」と書いて「コウセイ」とルビが振ってあるのですけれども。ノアヲタにその字面は「ミツハル」としか読めず(仮面ライダーのフィギュアとともに煙になった不世出のプロレスラー三沢光晴(ミサワミツハル)は我が崇めし聖人のひとり)。けっきょく最後まで「ああ違うコウセイだって」とつぶやきながら読んでしまいました)

BL

 番組では、↑この三巻の難易度高い裸シーツ巻きなどを描いていたのですが、それはともかく「女×女」でこのシリーズを出す気はないのかという質問に敏腕編集のそつないところで熊谷さんが「イヤ、いま考えているところでして」というYesともNoともとれる返事を返した(それはやはり『ひらり、』がそれなりに固定客を掴みはじめているのも含め、境界線のあいまいな新書館の良いところ。そうだいまこそ男性誌でも女性誌でもない中道のファンを掴むというウィングススピリッツの王道復権を……いや。もごもご。気にしないでください)それにみなが沸き、テンションが上がったところで、みうらじゅん氏が良いことを言った。

「あと、男×動物ってのはないですか。
 見てみたい……」

 ひらめきの天才、森田一義アンバサダーが間髪入れずに、

「AL」

 アニマルラブ。

Animal

 その一言にくすくすしてしまうこっちもこっちだが、完全に冗談ととった新書館編集熊谷さんの苦笑いに、私は笑みを消して持っていたグラスを画面に投げつけた(嘘)。

 そこでこそ「検討します」ではないのかぁ!
 会議にかけるべきではないのかぁ!
 新書館的にそういうところまで指を差し込むのは気が乗らないのかもしれませんが、言われてみれば、世に獣姦のアダルトビデオはあまたあっても(あなたが女性でノンケだったりすると想像の埒外のことかもしれませんが、あるのですよ、これがけっこう一般商材として)、犬×ヒト女以外のマッチメイクをとんと見ない。みうらじゅん発言も、タモリのへらっとした笑いでのAL発言も、そのあたりのジャンルに強いおふたりならではのことでしょう。

 そう、男×動物というのは、新しい。

 実際問題として、AVで犬が使われるのは、馬とか豚とか猿とか、用意しづらいし暴れたら死人が出かねないからだと思われるのだが、それ以上に、発情期の犬ってやつは掴まるところがありさえすれば腰を振るので、画が撮りやすいという事情もあるのだろう。それにしたって。つまりは挿入される側がどうかってことである。私は生粋のゲイのかたの嗜好がどうであるかは詳しくわかりかねるが、犬がヒト男を犯そうとする場合、枕の下から使い切りの潤滑ゼリーを取り出すのは前脚でやるのかという問題がある。あ、待って、つけて、とローション付きコンドームを男優の側が装着させるのか、でもそれだと和姦ということでしか演出できないが、それでその道のヒトは萌えられるのか。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「アインシュタインだって、このままじゃおさまらないだろ」
「……ワウ」

 震えているのがわかる。
 アインシュタインをこんなにしたのは、ぼくのせいだ。
 ぼくが、犬小屋のなかに入ったりしたから……

「がまんしなくて、いいよ」

 アインシュタインの耳に唇をふれると、彼の尻尾は一瞬ぴんと立って、そのあと、全身の毛が逆立った。そっとのばしたぼくの手のひらのなかで、はちきれそうな動物が、びくりびくりと脈動する。

「アゥ……ぅうううう」
「かあさんに気づかれちゃう。しぃ」
「──くぅうん」
「くるしいんだね。だから。責任とってあげる」

 指先で、なぞるようにアインシュタインの動物をこすったら、ぼくの気持ちは伝わったみたいだった。のけぞらせて喉を見せ、後ろ脚で小さく跳ねる、それだけの動作で、ぼくは押し倒される。毛皮の奥の熱さを隠そうともせずにアインシュタインは全身を押しつけてきたけれど、彼にはぼくのジーンズを脱がせる指がないし、そもそも「前から」なんてヒトみたいだ。

「ァぐ……ワオゥウウ!」
「待って、脱ぐから。」   

 もどかしい。
 それでも、なんとか自分でジーンズを下着ごと膝まで降ろし、カラダを反転させて四つんばいになると、彼に向かって尻を突き出す……恥ずかしくて死にそうだよ、もう……アインシュタインみたいな立派な毛皮に包まれていない白いおしりに、失望されていないかと不安で息ができなくなる。
 一瞬、アインシュタインがいつもだらりと出しているあの膨らんだ舌で、ぼくの奥を舐めてくれるんじゃないかという妄想が浮かんで背中に快楽のしびれが走ったけれど、すぐに思い出した。
 アインシュタインは、犬なんだ。
 前戯なんて、しない。 

「ァ、ぁ、、ォオオゥ! アオーンッッ」
「え? ゃ……待っ……ひぐぅぃっ!!」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 続きはWEBで。
 あ、ここがウェブか。
 じゃあ、続きが読みたいってヒトは新書館さんへ私宛で(嘘)。

 しかしまあ、自然に反する行為は撮影も大変だということで、だからこそファンタジーとなりうる要素もあるとのタモリ倶楽部指摘を、ぜひともアブノーマルを王道に変える出版社新書館のおちからで商材としていただきたいものだと夢想いたします。
 ものすごく矛盾した文章になりますが、ぜんぜんぜん興味はないけれど男×動物のアニマルラブものが世に出回り、しかもそれが駄ポルノを作らないことで有名な新書館の作だとなれば、私は見るなり読むなりするでしょう、きっと。アインシュタインとぼくは相思相愛なのだからそこにラブは描けるはずです。だれも描かないだけで。

 いまはもうなくなってしまいましたが、私が幼いころ、阪神タイガースの聖地甲子園に、阪神パークという遊園地があって、そこのこぢんまりとした動物園が、突如としてヒトで埋まったことがあった。

 レオ吉とポン子である。

 二匹は、レオポンという種だとされた。
 SFアニメ顔負けに阪神パークの「レオポン計画」によって人為的に造られた種だ。その後、レオポンは次々生まれた。彼らはみな、ヒョウとライオンの交尾によって生まれたのだった。

 この、交尾、というところがすごい。
 「レオポン計画」は営利目的で合成生物キマイラを生みだそうとした悪魔の所行であるとして世界中からの批難を集め、そのようなプロジェクトは倫理的に問題ありだという世論が形成され、追随する者たちは現れなかった。
 それゆえに、確証的と呼べるデータを取るにいたらなかったのだが、確実にいえることは、レオポンが卵子や精子を切った貼ったで造った生き物ではないという点。ヒョウとライオンを夫婦にして、セックスさせて、それで産ませた子供なのである。

 遺伝子操作、と呼ぶにはいかにもアナログな実験だった。
 生まれたレオポンたちに、生殖能力はないということになっている。
 それも個体数が限られていたので確定的ではないが、一代かぎりであったにせよ、異種間の子がたとえ一種の奇形という形であっても「生まれた」ということだけで、観客を呼ぶには充分だった。私も彼らを見た。ちょっとたてがみの長いヒョウのような動物であった。阪神タイガースの聖地付近に住みながら、マークがカッコイイという理由だけで西武ライオンズの帽子を欲しがっていた私などは、目をキラキラさせて彼らを見た。

(ヨシノギいくつなんだー、というメールをいただいたので追記。私が見たのはたぶん最後の一頭ジョニーで、そのころレオポンは宝塚ファミリーランドのホワイトタイガー同様、呼び物ではあるが爆発的集客力があるわけではない檻のひとつになっていました。すでにレオポンが国際的にあまりウケがよくないという事実は周知のことになっていて、幼稚園の遠足で行ったりすることはぜったいなく、しかし阪急宝塚線沿線に住んでいるならばホワイトタイガーとレオポンは幼児に見せておくべき、という暗黙のルールが親たちのあいだではあったようでした。なので、私が見たレオ吉とポン子は、すでに毛の抜けはじめた剥製の姿。でも実は、生きて動くジョニーよりも、剥製のほうがくっきり記憶に刻まれている。だからやっぱり、私が見たレオポンは、レオ吉とポン子という記述で正しいのかもしれません)

 で、思った。
 思ったから、訊いた。

「ガウディとカエルのコドモとかも生める?」

 ガウディというのはうちで飼っていたシャム猫で、カエルというのは私がその後干からびさせることになる水槽のなかのペットだった。
 それは無理、と答えは返ってきたが、聞かされたのはヒョウとライオンは似ているから子供も作れるのだというようなことで、私は幼頭ながら疑問を感じた。

「じゃあ、ゴリラと人間は?」

 どんな答えが返ってきたか、おぼえていない。
 しかし、あの阪神パークで感じたモヤモヤしたものが、大人になってなおバッタ人間仮面ライダーに夢中な私の性癖の根幹にあることは、精神科医でなくてもわかる。私はトレッキーでもある。スタートレックに出てくる異星人たちは、どんなに理解しがたい異種でも、機械生命体でさえ、ヒト型である。それは役者と着ぐるみという実際的な問題に起因しているのだが、私のなかではひとつの宗教的解釈によって説明されている。

 ヒトの創造物は怪物さえもヒトに似る。
 


『6匹の“親”持つサル誕生 米チーム、受精卵を接合 - MSN産経ニュース』

 年明けすぐに、キマイラのモンキーが誕生したと聞いて、私は、おどろおどろしい想像をしていたのだけれど、ニュース映像を見たらふつうの猿の赤ん坊だった。

 そして、すぐにレオポン計画のことを思い出した。これは、レオポン以後、やってはいけないことになっていた実験ではないのか。レオポンが、ふつうにセックスして生まれた子供だったことが問題だったように、このキメラ小猿も、外見がふつうだからこそ問題ではないのか。

 ヒトはもうとっくにキメラマウスの創造には成功していたのだが、その技術をサルやヒトといった霊長類に応用しようとすると上手くいかなかった。そこに神はいるのだとかなんだとかいう向きもあったわけだけれど、シンプルに考えれば、ものすごく繁殖したから忘れがちだが、ヒトなんてものはパンティーとブラジャーを着けたサルであり、そんなものがまともな進化の形態であるわけがない。メイド服のパンチラに萌える野生動物など存在自体がおかしい。

 変わり者なのだ。
 増えてしまった奇形である。
 好きでパンツを履いたアダムとイヴに生殖能力があったことこそが奇形の最たるところで、それゆえに世界は悩めるサルという愚種に埋めつくされ、ミサイルを撃ちあったりしているのである。

 そんなヒトが、夢を見た。

 あらゆる病気を克服したい。
 病気は出来の悪い遺伝子が起こす。
 だったらその因子を、取りのぞけばいい。

 ヒトは、それができるようになっている。
 もはやレオポン計画のような乱暴なプロジェクトではない。
 ただ問題は、遺伝子の一部を取りのぞけば、生物は不完全な形にしかなりえないということである。取りのぞいた部分は埋めなくてはならない。なにで埋めるか。むろん、欠陥のない、清廉な遺伝子によって。

 健康で良く肥える食肉用の豚を造ろうとかいうニュースと、これは違う。
 霊長類で、それが可能だと証明されてしまったのである。
 見た目になんの問題もない小猿が映っている。
 しかしキメラなのだ。

 キマイラ、という響きは怪物でしかないが、仮面ライダーの例を出すまでもなく、怪物とは特別な存在であるが悪とは限らない。

 キメラ小猿は、つぎはぎされた各々の遺伝子の形質を、きちんと継いでいるという。
 つまり、私に愛人が5人いて、ちょっとした研究機関があれば、私と5人の愛する者たちのちょっとずつを継いだキメラの子が造れるということを指す。

「おお右の眉毛はキヨミそっくりだが、この鼻はアツシ似だな。それにしてもこの泣きかたの強情っぱりなところはエレミネンコそのものじゃないか。甘いカフェオレみたいな肌はアマンダの美しさをもっと濃くしたみたいだし。それにこの尻尾……アインシュタイン生き写しだよ」

 むろん、愛人の性別や人種は関係ない。そもそもセックスして出産するとかそういうことでさえないのだから。愛人が犬でもたぶん問題ではなくなる日が来るだろう。倫理的に問題はあるのかもしれないけれど……はあ? ここにキメラの小猿がいるんですけど?

 その未来で、ヒトは愛をいまよりももっと重んじるようになるだろう。
 それは善きことのように聞こえるかもしれないが、違うよこの世に悪はない。むろん対極の善もない。同じ愛を信じる者が集団となり、それぞれのもっとも善い(と信じる)部分をキマイラ化して、ひとりの子供を創ったとしよう。

 綺麗な鐘の音を奏でるカリヨンの塔が建つ、世界に百堂ある聖教会の長たちの遺伝子を継ぐ、百なる善の息子ジーザス(仮名)が地に降り立ったとき、処女が聖人を生んだとか、生々しく愚かしい物語を崇拝していた人々も目がさめるだろう。

 そして新しい愛の形を見出すのか、アニマルラブが流行るのか、なんだか冷めきってしまって「じゃ、次は冷凍しておいたハルク・ホーガンとマンモスの遺伝子をキメラ化して試合させてみる?」みたいなことになっているのか。

 愛は自由になっている。
 自由を形にできるところまでヒトは来た。
 でも、たとえば強くなりたいと願ってヒトの限界に挑むアスリートを見て私は感動するが、その選手が自由にヒトという種の制限なく強さを追い求めることができるなら。
 愛も強さもキメラ化して、それが夢でないのなら。
 そこでの萌えとか感動とかって、なんなのか。

「すごぉい、ヨシノギさん、もうヒトじゃないよそれ」

 言われてにんまり笑う私がいるのだろうか。
 笑う私は、だれかの肌に口づけるための唇を、まだ、私に残しているだろうか。



 
 

TRACKBACK http://yoshinogi.blog42.fc2.com/tb.php/421-aa7444a0