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『アイドル崇拝』の話。



年越し直前まで仕事だし、地上波の格闘技特番はないし、G+の年越しノアSPもついに途絶え…サムライの年越しインディ視聴確定なんだが。ふだんプロレス観ないのも来るからドン引きされたらどうしよう…ガンバレ、ぼくの大好きなインディレスラーたち。

twitter / Yoshinogi

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 なんてことを書いているが、思い返すに去年……じゃなくて一昨年(だったかそのまた前の年だったか。一年は短いとぼやきながら、一年前の記憶さえあやふやなのがニンゲン、とひとくくりにしたらいけませんね。私だけです。一年たってまだ同じ足首にインドメタシン塗っている……治ると忘れてまた痛める。カラダに限らず、何事につけてこんな……ああ、おれはこんな……で、悔いながら年を越したこともまた忘れる。馬鹿)のこと、 地上波放送のかろうじてあった某局の格闘技イベント中継がカウントダウン前に放送終了し、これまた三沢光晴が逝っても去年まではかろうじてあったプロレスリングノアの年越し特番にチャンネルを合わせたら。

「これ、カウントダウンなくない?」

 だれが言ったか忘れたが、実際にその番組は延々と二十四時間、その年の名試合を垂れ流しているだけで、あまりの興奮の連続にもうすぐ年が変わることさえ忘れているマニアのための構成となっていて、そもそも番組MCも存在しないのだから過去の試合を戦っているレスラーのだれかが唐突にこっちを向いて「よーしいくぞーカウントダウンスターートっっ!!」などと叫んでくれるわけもなく。
 鍋を食っていたので、もう年越しそばもここ入れちゃおうと私が言ったためにだれも立ち上がる用事はなく、全員で顔を見合わせた。その年の我が家のメンバーは男性×女性でわずかながら女性の数が多く、私はそのなかのだれひとりとして熱狂的な信者ではないと認識していたのだが、意見の集約は言葉もなくおこなわれ、けっきょくのところ、その年の私たちはジャニーズを見つめてあけましておめでとうと言ったのだった。

 アイドルとは、偶像である。
 偶像とは、元来、神を模した像のことだ。

 神は我々のすぐそばにいる。
 そういう考えをもっただれかが、ならば神はヒトを自分に似せて創ったはずで、ということは神はヒトのような姿をしているのに違いないと、木を彫った。

 彫ってみたら、なんだかイケメンになってしまった。
 それはそうである。人類が進化の頂点ではなく、神のクローンであるというなら、我々は全員が劣化コピーで、神こそが唯一無二のオリジナル。そのお方が、劣化コピーな人類のだれかに美しさや凛々しさで負けるわけがない。そういう思想で彫るのだから、それはもう想像力のおよぶかぎり最高の──おかしな表現になるが──神とは。

 神とは人類の粋。

 粋なる偶像が彫りあがったとき、おかしなことが起きてしまった。
 よく彫れたので、みんなが見えるところに飾ったのがいけなかった。
 観客のひとりが、黄色い声をあげる。

「そのひとはだれ!?」

 ヒトではない。
 ないのだけれど、ヒトである。
 彫られた神は、木彫りの像であって、神ではない。
 そしてそこに現れているのは、神のつもりで彫られたにせよ、それを知らなければ人知の果てに位置する超絶イケメンでしかない。予備知識なくその像を観て、ありえないくらいにステキだと歓声をあげただれかに、あとになって、いやこれは神様でね、などと言ったところで、それがどうしたという話になってしまうだけだ。

「うん。あたしこの像が好き。神様とかそんなのどうでもいい」

 これを偶像崇拝という。
 おかしなことだし、とても面倒くさいので、多くの主要な宗教では、そもそも偶像とか彫るな馬鹿と教えている。やむなく彫るときはヘイロー(光輪)を頭に乗せたり背負わせたり、背中から羽根を生やしたり、手を六本にしたり、顔を象にしたりして、だれもがひと目で「あん、これはヒトじゃないのね」とわかるようにすること推奨。

 しかしてそういう暗黙だったり弾圧だったりする規制もむなしく、偶像は生み出され続けていくのであるが、そのうち、少し利口なヒトが思いついてしまった。

「神を模した像をあがめたら怒られるんでしょ。だったら神を模したものではない偶像を彫ってそれを崇拝するのはアリだよね?」

 締めつけすぎると妙な方向に歪むという典型である。
 偶像というものがそもそも神を模したものだったのに、神をそこに介在させずに偶像を彫る。それも、その偶像をあがめたてまつること前提で。

 要は、萌えられるフィギュアを造ろうという発想。
 神は禁止、じゃあ禁止されていないキャラは……

 というわけで。
 劣化最小の神の肉イエス
(半裸、無精ヒゲ、半眼、ウェービーな長髪)と、
 処女のまま神に孕まされた女マリア
(ロリ天然系にして肉感派、イメージカラーは青)
 新発売。

 神に目をつけられて有無をいわさずアブノーマルに犯された処女という設定は、読みようによっては陵辱系に分類していいものであり、透明なチンコで勝手にどこぞの娘の腹のなかに射精した神なんかよりも、生まれたイエス・キリストを祝福された神の子として抱擁する、ちょっと頭の弱い感さえする被害者意識のない純真無垢なヒロインの母性に、世界が萌えた。

 成長した神の肉イエスが奇跡を起こすくだりなどは、神のみわざと語られてはいるが、劣化クローンたちの目から見れば、肉媒体であるイエスがいなければ目の前に現れる現象そのものがない。それは、いまでもヒーローモノに連綿と受け継がれている、必殺技にはなんらかの強大な力が宿るという図式でしかないのであって、ライダーキックでなぜ怪物が爆発したのか知らないが──それが天にまします神の力であったのだとしても──やはり、萌えるべきはキックを放ったヒーローに対してであり、そのチカラはそもそもなんなんだと追求するのは野暮というものである。

 偶像崇拝は、実にわかりやすい。

 見えない神をわざわざ彫って崇めろなどというよりも、萌えられるフィギュアを世界に飾るほうが簡単なのは、素人の目にもあきらかだ。去年の大河ドラマでも描かれていたように、この日本の戦国時代でさえ、胸にアイドル・イエスの顔写真入りロケット・ペンダントをさげた女子たちがいた。もちろんキリストの生写真などというものはないので、ロケットの中身は萌え絵というやつだ。お気に入りのキャラのイラストを肌身離さず持って、それがあれば戦国だって生きていける。キリシタンの鼻を刀でそり落とす秀吉にも屈せずキャラ愛をつらぬいたすごいオタクであったガラシャは、彼女自身がその後、偶像化され新発売される。

Locket

 信じるチカラは尊い。
 と、言ってしまえば、信仰の対象はもはや問題ではない。
 ただひとつ大事なのは、禁止されていないことである。
 韓流スターのおかげで更年期を乗り切れたというおばちゃんがいるが、対象が近所のスーパーの鮮魚売場のお兄ちゃんだったりしたら、年の差ストーカー。逮捕もできる。ももいろクローバーZの黄色である泣き虫で甘えん坊みんなの妹しおりんを愛するのは好きにすればいいが、近所で見つけた血のつながっていないぼくだけの妹を追いかければ絞首台行きだ。

 そこで、認定マークありの偶像があると助かる。

 私にとっては、昨年末23時50分あたりから年越しインディーに参戦したメジャー団体副社長丸藤正道も充分すぎるほどにアイドルなのだけれど、哀しいかな対戦相手のガッツワールド吉野達彦がねばり、試合時間は14分11秒。試合の途中で、だれかが気づいた。

「これ、試合終わらなくね?」

 ちなみに私はそばを茹でておりました。
 十割ソバとかで、茹でたあとに蒸らし時間が入る。
 遠くからはカウントダウンらしきものも聞こえてこないので安心していたら、しびれを切らして変えられたチャンネルで『ゆく年くる年』がはじまった。ああ、ああ。急がなくちゃ。
 そんなこんなで。
 あけましておめでとうの声とともに、ダシをこぼしながらソバくばった年明けだったのでした。

 で、『ゆく年くる年』は、なでしこジャパンにもうやめてあげてというほどのプレッシャーをかけ、ファイティングTVサムライとの音響設備の差を見せつけ(うち、5.1チャンネルでスピーカー組んでいるのですが、サムライ見ているとほとんど無意味。ちょっとでも効果をあげようと背後の側のスピーカーレベルが上げてあったため、NHKの中継になったとたん「え、外でだれか喋ってる?」とみんなが振り返りました。今年はいよいよハイデフ化だそうで。おなじ有料チャンネルとして、がんばってもらいたいものですサムライも)、番組はすぐ終わり。

 さて。
 インディープロレスは、私の懸念通りに退屈そうにしている人たちを生んだのですが、それをおぎなって余りある、昨年は新日本プロレスにも参戦した大家健のデスマッチデビュー。まったく傷のない肌に、割れた蛍光灯が刺さって血を噴くさまは、メジャープロレスの知識さえない女子をして「ちょっと感動した」と言わしめるすばらしいものでした。ちょっと、というところが大事。蛍光灯で殴りあって血だらけになる人々に多いに心動かされては一種の変質者ですが、ノンケでもちょっとは感動する。なにかが、そこにはあるのです。無意味で、馬鹿馬鹿しい、でも、なにか。やっぱりこれは伝わるんだと私は画面よりも、顔をしかめながら歓声をあげるこっち側の人々を見つめてちょっと満足でした。

 なので『ゆく年くる年』から、またプロレスに戻そうとは思わなかった。チャンネルを変えました。今年は私が選んで、ジャニーズをつけた。
 認定マークありの、偶像たち。

「この頭に布巻いたひとだけオッサンに見える」

 とか。

「マッチとトシちゃんは知ってるけど、もうひとり?」

 とか。
 画面に出てくる偶像の最年長組をリアルタイムで熱狂した世代である私などは、それでも、彼らがいまだに偶像たりえていることに驚愕する。
 生きているのに。
 まるで、彫られた像のように。
  
 彼ら自身は変化をまぬがれない。
 だとしたら、変わらないのは彼らを見るこちら側の視線。
 つまりは、それこそが揺らぎない信仰。

 新しいアイドルユニットが出てくると、次々に信仰の対象を移す者がいる。そういう場合も、やはり、揺らがないなにかを持っているから、そんな行為が可能になるのだろう。若さへの崇拝だとか、十五歳の少年少女の肉体的造形が生物としてヒトとして頂点であると確信しているとか。そういう意味では、アイドルの肉など崇高なるなにものかの転生した先にすぎず、それを愛でる者は自分が滅ぶまで、信仰の対象を失わずにすむ。

 逆説的に、こういうことも言える。

 ボーイズトーク(?)で、よく、彼女にするならばどのアイドルなどということが言われるが、天真爛漫なのが、いやあの脚は捨てがたい、でも料理できるって大きくない? なんてやっているうちに、だれかが言ってしまってブーイングになる。

「抱き心地も重要じゃん」

 いや違う。
 いいや違わない。
 それはそうだ、やわらかさは重要だ。
 さわり心地を想像はする。
 でも違う。

 アイドルに欲情したら、信仰ではない。

 できないものだろう。
 みんなの妹はみんなの妹であって、妹キャラのAV女優とは別物である(なので大人気ロリ系女優がメジャーアイドルに転身なんて不可能だと私は思うけれど。負けるながんばって私を裏切れ某バイカーのあのこ)。某女性誌の抱かれたい芸能人ランキングが昨年は中止になったそうだが、それはアイドルという偶像への信仰が、根付いてきたからではないのかと邪推する。アイドルに抱かれたい? なんのために。偶像は見つめて、涙するもの。写真を撮ってロケットペンダントにそっとしのばせるもの。

 キリストに抱かれたいと思う者がいただろうか。
 マリアをおれのものにしたいと願う者が?

 スター不在だといわれる。
 でも、アイドルを愛でる健全な信仰心は、むしろ育っているように見える。
 アジアがAKB48に熱狂しつつ、あきらかにひとむかしまえのファンと比べて、線引きをしっかりやっている。昭和の時代、女子はジャニーズの彼との結婚を本気で夢見ていたものだ。そんなファンは、いまはいない。

 ジャニーズのカウントダウンライブに魅入ってこの子かわいいと嬌声をあげている彼女に、嫉妬する彼氏もいない。彼氏がももクロ好きでも、オタクの彼女ならコミケの夜はひとりにしてやれという『げんしけん』の心遣いはいらない。そこに欲望はない。すみわたる心があるだけだ。あすへの勇気、生きる希望があるだけだ。鎖骨とか腹筋とか太ももに魅入るのは、ルーブル美術館のマリア像のふくよかさを誉め称えるのと同義である。微笑みが浮かび、むしろ邪念が消え去る。

 神はいる。
 なぜなら、こんなにもヒトがアイドルを愛せるから。
 偶像は、見ることさえ禁止された唯一無二の存在を、肌で感じるための肉。
 深く、清く、愛でることで救われる。

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「そんな調子じゃ、やっぱり死んだほうがいいのかもしれないな。わたしは老いぼれのホモだけど──おっと失礼──きみはだな、せがれよ、薔薇の茂みがあったら立ち止まって、においを嗅ぐべきだ。そうすれば、そんなに死に傾倒しなくなるかもしれない」

Dennis DanversDennis Danvers

 デニス・ダンヴァーズ 『エンド・オブ・デイズ』 

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アイドルを画像検索。
ジャニーズを画像検索。

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 ネットじゃにおいは嗅げませんが。
 なんかよくわからない話になってしまいましたけれどもいつものこと。
 本年も、どうぞよろしくおねがいいたします。
 私にとっての姿なき偶像のみなさまへ。
 愛してる。

(御姿は勝手にこっちで彫っています。
 あなたが実在しなくても、私はあなたを信じてる)  

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モンクレール アウトレット  モンクレール アウトレット  2013/12/22 02:49
『とかげの月/徒然』 『アイドル崇拝』の話。