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『瀬戸際演技力』のこと。



「私は、『恋のためのトーンを使わない』と決めてます」
「恋のためのトーン?」
「恋をしたときに、なんか六角形のものが飛びますよね?」
「ああ、飛ぶ飛ぶ! 飛びますね! 記号として読み流してしまうけど、考えてみたらおかしな物体ですね、あの六角形は」


 三浦しをん
 『愛が生まれてくるところ / 第十回 ARUKU』
 (小説ウィングス No.73

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 休みだったので、布団のなかからぼおっとBBCニュースを見ていた。
 どこかの国の書記のひとが死んで、東京の街からブロンドのレポーターがスタジオに報告をあげていて。スーツ姿の小柄なアジアの人々が、レポーターの背後でピンボケながらもなんの取材かとカメラを指さしている。

「アメリカは強大すぎ、韓国は近すぎます」

 だから混乱の果てにおちいったとき国内の視線を外に向けるべく敵を作ろうと彼らが考えるならば、この島国が最適だということになるでしょう。レポーターはそういうことを話していたが、それを指さすピンボケの人たちは、あきらかに談笑している。

 敵。

 多くのハードボイルド作家がテーマに据えるところによれば、それは視点の問題である。仮面ライダー部は学園の平和を人知れず護っているが、この世の混乱を願う側からすれば、正義のヒーローたちは邪魔な「敵」以外のなにものでもない。

 おなじ街で育って、おなじように世界を見ている隣近所のひととさえ思想も宗教も相容れないことが多いというのに、あいだに海があったりしては、そんなものはもうエイリアンと変わらない。電脳情報網が地上を覆ったことで、地球は狭くなったと言われるが、逆説的には、今夜も私は行ったこともなく逢ったこともない地球の裏側のだれかとネットゲームで対戦してチャイニーズと間違われ、犯してやるという意味の単語を連発する彼を地球の裏側地域代表として認識する。

 そのせいで、エイリアンを鮮明に記号化することが可能になってしまう。

 彼にとっても、私を中華圏の在住者だと記号化する理由がある。私がおもにプレイするのは賞金のかかった国際大会も開かれているネットゲームで、中国にはプロのゲーマーも多く、どうやら南米あたりにおいてネット上のありえないほど強いアジア人はチャイニーズで確定しているということらしいのである。ほんの一時間ほどではあるが、中国のほうが日本よりも時差的にアメリカに近いということも、遭遇率の点で、アメリカでの私をよりエイリアン化させている。

 そんなこんなで、地球の裏側に「漢字表示を身にまとうゲーマーは中国人」そしてやつらはでたらめに上手く、こっちはゲームをたのしめない。そんなふうにこっちを記号化してプレイ開始一分のところから罵倒をはじめる人物ができあがってしまっていることに、こっちはなにかを説明しようとする気力も失い、彼の音声を切る。
 
 限定された情報は、限定された記号化を促進する。

 その日の朝、私は布団の中から、泣き叫ぶひとたちの映像を見た。
 演技っぽいなあ、と感じた。
 外国に流れることがわかっていながら、あえてそういう映像を選ぶというのは、あっちはあっちで、自分たちを自分たちで記号化したいと望んでいるのだろう。もちろん、そう考えているのは一部のひとたちで、大多数は無理やり演技させられているのかもしれないが、なんにせよ、どこの国に行ってどんな肌の色をした人間に遭ったって、場所が地球上であるかぎり、それが例外なく自分と同種の人類であることを、疑うひとはいない。海を渡った隣の国に、生物学的に人類と別種のヒト型エイリアンがいたりはしないと幼稚園児でさえ知っている。あの国は発展途上だとか識字率がとかいったって、地球全体がもはや石器時代ではないのだし。

 国民性というものはあるし、理解しあえない相手というのはいるものだが、それにしたって、その国のひとも外国の映画を観るなどと聞くと、だったらまったく話が通じないなんてことがあるはずがないと信じられる。どこかの国の監督が観客の琴線に触れろと作った作品が、触れることができたのなら、それは生物学的に同じ人類だという以上に、たぶん、恋も愛もはぐくめる相手だ。

 愛しあえるということは、ケンカもできるということではある。

 だいたい、泣く演技ができるということは、かなりエンターテインメントに慣れた者たちだ。この日本でさえ、プロレスや相撲で、事前の打ち合わせがあったかどうかと真面目に新聞で騒いでいたのは、ついこのあいだのことである。本気のかわりに演技を提示するというのは、心底純真無垢なやつにはできない所行であり、それができるということは、相手の反応を予想する能力があるということで、演じる側もそれを見る側も、おおよそ嘘であることをさとりながらその演技が本気に見えれば本気と見なす、という暗黙の了解がなければ成り立たない。

 泣くふりをすれば泣いたとみなす。

 これはかなり高度な判定である。
 聞けば、泣いていないから兵士に電車を降ろされた外国人が、本気の泣き真似をしたらふたたび電車に乗せてもらえたのだとか。それはつまり、プロレスの会場で「ボクシングならグーパンチ一発でみんな気絶するのにプロレスラーはなぜ平気なの」と発言するような者は入場料を払っても入れてもらえないというようなことであり、それは嘘を嘘とわかって酔いしれたい者たちにとっては、できるならば法律で定めたいくらいの厳格なエンターテインメント享受の作法である。では、くだんの兵士たちも、自分たちの哀しみに酔いたいがために泣かない外国人に泣くことを強要したのか。いや、むしろ、彼らはその図式のなかでは、全員が演じている側にいる。

 ということは、つまり。
 この舞台を見ているのは、布団のなかの私だ。
 彼らは、私に本気を伝えたいのだ。
 なんの本気か。
 号泣とか、慟哭とかいう演技で表されるのは、シェークスピアの名を出すまでもなく、それに決まっている。

 愛だ。

 本気の愛。
 本気で愛しているという演技。
 本気で演じられたなら、それはみなして良い。
 きみたちは、本気の愛をぼくに見せたいんだね。
 うん。見た。
 なんというか、魅入ってしまった。
 ぼんやり見ていたはずが、すっかり目も醒めてしまった。

 で、つとめてぼんやりと考えた。

 きみたちの本気の愛はわかったが。
 だからなんだ。
 この劇の、目的はなに。
 私はBBCにはともかく、泣きじゃくる彼らには、なにも対価を払っていない。
 対価……演技に対してそれが発生しないのならば、たとえばストリートパフォーマーとか。道行く人、演技を見る人をたのしませる、それそのものが目的ということはありうるのではないか。
 うーん。でもなあ。
 それにしては、彼らがぜんぜん、こっちを見ていない。
 観客の反応を感じられなければ、演じる悦びも感じようがないはずだ。
 だとしたら。
 ものすごく高度なことになってしまうが、そういうことか。

 本気の愛の演技を、みずからの愛のために演じる。

 狂人のふりをする者は狂人と同じだという。
 だったらなにか死んでしまいたいくらいに忘れたいことがあって、狂いたければ、狂った演技をすればいい。事実、精神が脇道にそれていくひとのなかには、そういう道をたどっていく場合があると聞く。
 演じているうちに、演技が心に作用する。
 そこまでいくと、哲学の領域である。
 しかしまあ、自覚なく恋愛関係のなかでは発動されたりもする技ではある。
 愛する演技によって、愛を補強する。
 別れの直前には、みょうに直球で情熱的な関係が生まれたりするものだ。
 なんか嘘くせえ、と自分でもわかりながら、溺れているフリをする。
 おうおうにしてそういう場面で精神が行き詰まり、燃えあがっているはずなのに勃たないとか濡れないとかいうことが起こり、シーツを躯に巻きつけて背中を向けあって、そこでようやく、彼女はすすり泣く。で、すぐ泣きやんで、ずずっと鼻をすすって、つぶやく。

「あたしたち、もうダメみたいだね」

 わかっていたけどさ、三ヶ月くらい前から。
 その先を詰めていくと、とっくみあいのケンカになるので、互いに演じることで自覚した瞬間に、笑って終わらせるべき。そこから先は、不毛なことだから。

 ……なんてことを思った。
 だって。
 どう見たって、彼ら、自覚あるじゃない。
 いまがチャンスだと殴りつけること考えている人たちがいるみたいだけれど、そうかなあ……いまこそ、彼らの泣いている演技にのっかって、そっと手をさしのべるべきなのではないかなあ。そんなに愛にいそがしいなら、ごはんは私の家で食べなさいよ、かわりにその危ない過去は捨てちゃわない?

 こっちの提案もまた、本気の演技であれば本気だとみなされる。
 内輪の舞台が盛り上がっているときこそ、無茶な乱入劇も成り立つのがリングの掟。
 おまえたちの熱さに惚れた。
 おれたちと組もうぜ。
 おまえら悪役続けるのもしんどいんじゃないの?
 やめてベビーフェイスになるなら、客もいまなら乗ってくるって。

 見るからに窮地で。
 自覚もって自分の愛を補強する演技を自分に強要している。
 そういうやつに、だれか嘘でもいいからやさしく話しかけてやれば、意外とすんなり受け入れられるんじゃないかと……寝ぼけていたのかな……本気で思った。単純に、おなか空いている子に、良い子になるならおなかいっぱいのごはんを用意してあげる、じゃダメなんだろうか。受け入れない? そうは思えないんだけど。演技が本気だからこそ、迷いきっているのが伝わってきたんだけど。

 哀悼の意を表現するのは適切でないと某国は判断したとかいうニュースも見た。
 せっかくの号泣演技に、そういう冷めた反応返したら、もとに戻るというのがエンターテインメントプロレス大国なのにどうしてわかんないんだろうか。みなさん哀しいのですね愛していたのですね、私たちも心打たれました、泣き疲れておなかも空いたでしょう、さあこれをどうぞ!!
 とか言って餅でもバラまいたら、お返しにミサイル撃ってくるだろうか。
 そうかなあ……エンタメを理解しているように見えるんだけどなあ。

 過剰な演技で握手を求めれば、のってくる性質に思えるんだ。
 ほら、プリンセステンコーとか、アントニオ猪木とか。
 そういうのに萌えられる気質なら、過剰なのがいっそ受け入れやすいんだって。
 本気の過剰すぎる演技が、自分自身までどこまで演技なのかわからなくなったキャラでいけば、通るような気がする。それこそマクロス的に、プリティーな歌姫とかが最終兵器として機能するはず。ももいろクローバーZに「泣かないで、これ食べてくださいっ」とか踊りながら持って行かせれば、きっと食べるよ、餅。「あの怖い武器、捨ててくださいっ」……おなかいっぱいになったところでジャパニーズ萌え文化の演技過剰さの真髄をもってスカートひらりんてさせたら、黙れとかいって撃ち殺されはしない気がするんだけれど。妄想かなあ。方向性はそっちだと思うんだけどなあ……

 でも、いまいろんな国がやっているみたいに、わけがわからんことになって激しく泣き真似してる子に、良い子にならないと殴るぞとか手紙送ったってさ……ああごめんなさい良い子になります、なんて、それこそ言うわけないし、言えるわけもない。

 ノリで言っちゃえる舞台、ととのえてあげればいいのに。
 相手はエイリアンじゃないのにさ。   
 恋を描くのに恋の六角形模様を飛ばすと古くさい少女漫画の踏襲になって陳腐化するみたいに、固まった記号をなぞり続けるから、記号化されたほうも同じ演技続けざるをえなくなっている……そういうもんじゃないの人間関係って。
 いっかい、無礼講で忘年会とかやるべきなんだよ、たぶん。
 こっこっこっこっこーって一緒に踊っていきおいで「もうやめよ?」って訊いてあげたら「うん、わかった」って、ならない?
 そうかなあ……そんな簡単なことじゃ……
 ないのかなあ。



momokuroz


 

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