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『狂気の飼いかた』の話。



結局、ぼくらはみんな生まれつき狂っているんじゃないのかな。赤ん坊がどんなことをするか考えてみたらいい──ぼくらはあんな調子でいるのをやめるわけじゃない。誰もが大声で叫んだり、いきなりものをつかんで壊したりしたいのだけれど、それは許されないよね。だから狂ったところを正常な話に訳してくれる反狂翻訳装置みたいなものをもつ必要があって──その使い方をおぼえなくちゃならないし、装置はちゃんと動かないといけない。でないと、頭がおかしいのがばれてしまうから。

Speaking with the Angel

 コリン・ファース 『なんでもあるけどなんにもない世界』
(ニック・ホーンビィ編『乳首のイエス様』収載)

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 と、コリン・ファースは言うけれど、私が思うに、赤ん坊が叫んだりものを投げたりするのは、単純な情動の激しさによるものなので、大人になってそれを変わらず発動させることができる人を指して、狂気と呼ぶにはいささか抵抗を感じる。たとえば私はプロレスファンだが、多くのスポーツにおいて、もっとも観客が沸くのは、選手が血管切れるほどの大声で叫んだり、火事場の馬鹿力的な奇跡のポテンシャルを発揮したりする瞬間だ。あんまり日常生活のなかで、吠えながらもの持ちあげているひととか見ないからね。ましてや自分が出せる限界の声で叫んだことなどいちどとしてない、というひともけっこういるはずで、そういうひとにとってみれば、試合に勝って吠えちぎり号泣している選手や、あまりのアドレナリンの噴出によって死をも怖れず高度数メートルから奇声をあげて空へ飛んでしまうマスクマンなどは、いっそファンタジーとなる。

 そう。
 そういうのは、わかるのだ。
 自分ではできないが、やっているひとを見ると、共感できる。
 だれだってかつては赤ん坊だったから、感情にまかせて叫んだり暴れたりというのは、大人になったらやっちゃいけないことだけれど、感覚として理解できないわけではない。恋人が優しかったりすると、赤ん坊のようにわめき暴れる彼女の話なんかは、ときどき実際に耳にするし。液晶テレビに椅子の脚が突き刺さった話をされたときは、なぜそんな女とつきあっているのかと友人の良識を疑ったが、あとになって考えてみれば、彼女にはその欠点をおぎなってあまりあるなにかがあるのだということで、それを想像するとうらやましくもある。
 そういうのは困ったものだが、狂気と呼ぶべきものではない。

 分岐点は、録画していたのをいま観はじめたところのテレビアニメ『うさぎドロップ』でいうなら第三話。りんちゃんは、おねしょをしました。夜中にこっそり着替えています。大吉は言います。恥ずかしいことじゃないんだ。りんちゃんは泣きます。うん、うん、とすなおなよい子です。

usagi

 しかしまあ、そういう子ばっかりではない。
 だいたいにおいて、おねしょが試金石であったりする。

 自分で洗おうとする、なんていうのは、なかなか実際的な選択で、現実問題としておねしょ濡れた布団をぜんぶ洗って翌朝までに乾かすことなど不可能なのだからバレるのだけれど、それでもなにか手を打たずにいられないという性質は、将来が楽しみである。

 一方、その場面で、人生における「いいわけ」というスキルを身につける最初の一歩を踏み出してしまう者たちも少なくない。いわく「これは汗」とか「水をこぼした」とか。絶対にバレる嘘しかとっさに思いつかないのは彼らがまだぺーぺーだからで、なにげに、そっち方面に進んでしまって幾年月をすくすくと育てば、大人になって「あなたおかしいんじゃないの?」と詰めよられるような性質となりうるものである。おねしょのいいわけをしたやつは、どこかで射精したいいわけだってするようになる。使った金は落としたと言いはり、思わず出た鉄拳を愛の鞭などと呼ぶようになる。いいわけをする子は、事態の発生した瞬間から露呈したときのための嘘を考えはじめるので、ものごとを真に解決しようという方向で頭を働かせない。
 これもまた困ったものである。
 が、これもまだ、狂気という範疇でくくるべきではない。

 狂気というのは、解決方法を考えないどころか、ものごとを最悪の方向へみずから誘導する思考のこと。もしくは、思考そのものが存在しないこと。狂気とは、たいていの場合、瞬発力をともなった、ひらめきのようなものだ。

 おねしょしてしまった。
 燃やそう。

 とか。

 布団だけ燃えているのはおかしいから、家も燃やそう。

 とか。

 ていうか、怒られる前に怒りそうなやつを始末すればいい。

 ぼくが消えればいい。

 そういったような。
 他人が聞けば、なぜそこにたどりつくの? という帰結だが、本人のなかではものすごくひらめいてしまった、すべてのつじつまがあう解決策なわけで。この子が、その方向ですくすくと育ってしまったとき、そこにあらわれるのは狂気と呼んでさしつかえないもののような気がする。

 ということを、私は月に一度、考える。
 
 某大手製薬会社の営業さんなのですが、だいたい月イチくらいで、顔見せにやってくる。売場をちょこちょこっと直して写真を撮って、新製品出るんですよお、とか笑って。ものすごくふつうな、ものすごく愛想のよくて腰の低い「そこをなんとか」が口癖の、剛と柔でいうなら柔の精霊の守護を得た、営業マンの代表格のようなおっさんなのですが。 
 
 軽く禿げている。

 いや、それは問題ではない。問題は、このあとの話を書き続けると、たぶん私の勤める店の近所にあるドラッグストアでは同じ営業さんが回っているはずだから、ピンとくるひとがいるかもしれないということである。まさかこんな文章を本人が読んだりはしていないだろうが、彼を見かけたひとなら読んでいるかもしれない。いや、ここはそんなにひとでごった返しているような場所ではないが、それでも私がそんな可能性にさえ怯えてしまうのは、あまりにもそのおっさんがだれもにとって忘れがたい存在であると確信しているからである。

 軽く禿げている。
 軽く、というのは、それなりに年を食ったおっさんならば、それが不都合であることはまずないような禿げかただということである。全体的に薄い。そして、生え際が後退している。現在の生え際の実際的なところは頭頂部を越えているとみられるが、彼は残った髪をかなり長めにのばしていて、それとなく、おでこのあたりに前髪を作り出している。
 なんの不都合もない。
 この国の、特にスーツ族な方々には、よくみられるスタイルだ。
 そんなことを、私はいちいち記憶したりしない。

 最初は気づかなかった。
 しかし、なんどか店を訪れてもらうたび「ん?」と思った瞬間があり、いまでもはっきり記憶しているが、私はそれを彼のこめかみにあるアザだと認識した。先月、このひとにアザってあったっけ、と考えた。しかしまあ、剛と柔でいうなら柔の精霊の守護を得たようなおっさんは、肉体的には私の興味の範疇外なので、全体をぼんやりとながめ、腰が低いひとだなあ、もみ手する営業さんなんてフィクションみたいだよなあ、くらいのことを思っていたのだった。
 それが、よく見れば顔に大きなアザがある。
 そういう方が、製薬会社で働かれていらっしゃるというのは、なにか同じ思いの人たちに貢献をとか、そういう感動的な美談のひとつもあるのかしらんとか、勝手に想像しはじめたのだが、よくよく見れば、おかしいのだ。

 前述のように、彼の髪は全体的に薄い。
 地肌が見えている。
 だが、そのことに、私は、よくよく見るまで気づかなかった。
 なぜならば。

 頭皮が黒いから。

 むぅ!
 と声が出そうになった。
 わたくしごとだが、先月もそういう小説を書いていたりしたもので、自宅の書斎にはその手の資料が散乱している。たぶんそれは、そういうものだった。

 アートメイク。

 眉毛にほどこすことが多い。
 アイラインも一般的だ。
 というか、それ以外ではほとんど実用されない。
 地肌に、タトゥを彫ることで、消えない化粧をする。
 施術方法はいわゆる絵柄を肌に彫るタトゥと同じだが、極力、皮膚の表層近くに薄く墨を入れることで、経年にともなう新陳代謝によって薄くなっていく。完全に消え去ることはまれだが、そもそも毛があるところに彫るものなのだから、うっすらグレーが残ったところで問題はあまりない(かつて女優今井美樹全盛期に、自前の眉よりも太くタトゥをほどこした女性たちが、後年になり外科手術で太眉彫りを除去しているドキュメンタリーは見たことがあるが)。

 私は、日に数千人のお客さまに逢う。
 土地柄も大阪界隈なので、楽しいひとがいっぱいいる。
 眉タトゥは、イカツイ系のこわもておじさまにも愛好家が結構いる。
 結構といっても、年にひとりふたり見るか見ないかだが。
 しかし、話は戻って目の前のおっさん。

 頭ぜんぶが黒い。
 そして、こめかみにアザがあると私が認識したのは、たぶん、彼の生え際が先月よりもさらに少し後退したからである。つまるところ、耳の上あたり、おっさんが小学生だったときにはもみあげがあったであろうところまで、地肌が染められているのである。
 頭皮へのアートメイクを、私は、はじめて見た。
 文献でも読んだことがなかった。
 その存在だけでも驚愕だが、目を奪われるのは、先月よりも彼の生え際が後退したなどというのが、私の幻想にすぎないということだ。そんな範囲ではないのだ。いやもう言ってしまえば、頭全体を見て、髪の毛よりも、黒い地肌のほうが面積が広いのである。
 つまり、私は、先月まで、気づかなかったということ。
 でも、いまは。
 いちど気づけば。
 凝視してしまう。 
 だって。

 彼のもみあげは毛でなくタトゥなのである。

 もみあげというか、こめかみと、そこから続く頭頂部あたりまではうっすら伸ばした髪で覆われているだけだから、もう私が先月までおっさんのありふれた軽い禿げ具合などと思っていたものが、ほとんどすべて、刺青だということである。

 なんというか、彼に対する認識が変わった。
 そのもみあげのタトゥの形状、それに、それなりにタトゥの資料写真を見ている、私の見た目感覚からいっても、数か月で消えるとか、そういった染料刺青のたぐいではない。少なくとも数年、いや、ほとんど恒久的なものとして、かなりの労力をつかって彫られたタトゥなのである。

 クールだ。
 彼が、客ではなく、営業マンだというのもすごい。そういえば、かの製薬会社には有名な発毛剤のシリーズがあるから、その社の営業が、いかにも禿げましたというのはマズいのだろうか。いや、マズいのだろうかって、彼のその頭皮は、あきらかにものすごい。マズいとかどうとかいうことでなく、大手製薬会社でタトゥはたぶん禁止事項だろう。だがもはや、まずいよそれキミとか言える状況でないことは一目瞭然である。

 推測だが、かなりの確信をもって言える。
 あの面積に、あの墨は、髪があったら彫れない。
 ということは。
 彼は、まだこめかみに髪があり、生え際も後退していない人生のころに、いったん髪をぜんぶ剃ってタトゥをほどこし、髪を生やしなおしたということだ。
 ……ちょっと信じがたい。

 髪に力がなく、地肌が透けて見えるのが悩みだったのだろうか。
 そんな毛髪だが、生え際が後退することは考えなかったのか。
 いつか髪がなくなれば、黒いヘルメットをかぶったようになるのがわかりながら、その彫り師は、なぜに彼にそれをほどこしたのか。いまさらどうしようもないことはだれが見てもあきらかで、そんな彼にマズいよなんて、私は言えない。

 いや、むしろ。
 さっきも書いたのにまた書くが。
 私は、目をキラキラさせている。
 とてもクールだと感じる。
 そして、それからも彼には毎月のように逢うのだが、そのたびに身震いするほど、強く考えてしまうのである。

 それは狂気の沙汰なのか。

「あの、そのタトゥって」

 そう訊きたい。
 彼が狂ってはいなくて、物腰低い営業マンの顔を一瞬だけ奥に隠し、クールな微笑みを浮かべて「ああこれ、けっこう気にいってんですよ、これでも」などと答えてくれたら、私はワオ! と吠えて、今晩いっしょに飲みませんかと誘うだろう。
 いまだ、できずにいるが。
 たぶん、できることはないのだが。
 夢見てしまう。

 願わくば、脱毛のとまらないみずからの体質に狂った彼が、瞬発力をともなったひらめきのようなものとして理解しがたい行為をおこなったのではなく。
 静かなタトゥショップに足を運び、彫り師とのカウンセリングを経て、それでも、決意は揺らがず、地肌に墨を入れたのだと信じたい。

 自身の悩みを、独自の信念で屈服させた。
 羽根の模様を彫ることで、本当に心が飛べるようになった少女のように。
 覚悟のうえでのことならば。
 それはタトゥという技術が生む、最上の結果だと思うのです。
 うん。
 それが、彼の狂気の証明でないのだとしたら。

 確かめないまま、私は彼に笑いかけられる。
 ……まあ、なんというか。
 そういうようなことで。
 そういうようなことを。 
 私は月に一度、考える。   
  

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