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『なすのあげびたし』の話。



「ねえジウン」
「ん?」
「お正月の夢でさ、一富士二鷹ってあるでしょ」
「ああ。三なすび?」
「そうそれ。おかしくない」

 振り返れば、片手をあごに添え、そこになにか途方もない真理が隠されていると信じてでもいるかのように、もう片手でかかげた見事な茄子を、シュウリュウは見ていた。

「……切ってくれとたのんだんだが」
「らんぎり、ってどういうのか教えてくれないから」
「適当にって言ったろ」
「それって料理できる人の言いかた」

 シュウリュウの頼りない手のなかで、太った紫色の果実のような野菜が、あらゆる角度に回転させられている──かかげた片手でそれをするから、いまにもつるりとした肌の茄子はすべり落ちそうだけれど、意外なほど器用に、ショータイムは続けられている。

「手伝わせろとか言ったのは、自分だろう」
「料理できたなら、ジウンにおいしいもの作ってあげられるのにね」
「ちゃんとおぼえる気があれば、できるようになる」
「だって、これ、おかしいんだもん」
「なにが」
「こんなのの夢なんて見る?」

 紫色の、太った、いびつな果実。
 そんな夢は、確かに見ない。

「見ないから、見たらラッキーってことなんじゃないか」
「なにそれ。いじわる」
「いじわる?」
「どうしてもしあわせになりたいひとに、こんなのの夢を見たらしあわせになれるなんて言うの、いじわるだよ」

 ──思った。
 茄子の夢を見て幸せになろうと、茄子の夢が見られますようにと願って眠るだれかのことを。枕の下に想い人の写真を入れるようには、富士山や鷹は抱いて眠れないけれど、茄子ならば──シュウリュウのように手で茄子を愛でながら、眠ったひともいるかもしれない、と。

「身近なものだからこそ、夢に見やすいかもしれない」
「そんなことない」
「そう?」
「きのう、ジウンの夢、見なかった」

 笑ってしまった。
 睨まれた。
 でも、愛でられていたのに。

「本物に抱かれながら、夢に出てこないと怒るんだ」
「こわくて、起きたでしょ」
「ん。ぁあ……あの、明けがたの」

 はだかのシュウリュウは、まだ朝陽が夕陽のような色の時間、唐突に声をあげて起きたのだった。訊ねると、夢を見たのだと言う。内容は訊かなかったが、肌は数時間前の余韻ではなく、汗に濡れていた。

「目が醒めたら、ぼくがいた」
「……夢の話?」
「ぼくがいた。ぼくはぼくの腕で眠っていて、だったらさっきのもぼくがぼくにしたんだと思った。ぜんぶ、ぼくが。ぼくの、夢で……」

 茄子の回転が止まる。
 その夢の原因はどこにあるだろう。
 考えながら手をのばす。
 フライパンに注いだ油が、ぬるい匂いでキッチンを濡らす。

「茄子を揚げると、ダシを吸い込むようになる」
「……こんな、つるつる、なのに」
「だから切ってと頼んだんだよ。なかはやわらかい」
「ごめんなさい」
「茄子はダシの夢を見ない」

 のばした手が、茄子ではなくて頬に触れる。
 張りつめた、染みそうにない。
 やわらかい箇所を見つけなくては。
 染ませなくては。
 口にふくめば音をたててあふれるほどに。

「……ん……ジ、ウン」

 茄子のほとんどは水分だ。
 だから、熱くしぼれば、吸い込むようになる。
 料理の基礎だよ、シュウリュウ。
 茄子が見た茄子は、変わる前の自分。
 染みすぎたから、こわくなってしまったんだ。 
 慣れれば、夢も見ない。
 染みきってしまえば、ふくまれるだけ。
 じゅわぁっ、と。
 料理の悦び。

「そうだな。もっとていねいに教えよう」

Eggplant

Yoshinogi Takumi
 Shonen-ai Cooking Elegy
 Song 12
 『Do Eggplant Dream of Soup stock?』

(吉秒匠
 BL料理哀歌
 12曲目
 『茄子はダシの夢をみるか?』)

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○材料

なす   3本

だし   400cc
さとう  小さじ1/2
しお   小さじ1/4
しょうゆ 小さじ1
みりん  小さじ1
唐辛子  適宜

○作り方

 半分に切ったナスの背に包丁で九字を切り(写真のナスは九字どころでなく切っています)、水にさらしたのち、水気を切って揚げます(揚げた直後になるべく急速に冷やすと色鮮やかなパープルになります)。ナス以外の材料をすべてあわせた汁に漬けます(漬ける前にひと煮立ちさせるとよいです)。冷蔵庫で冷やします(三時間以上)。食べる直前に好みの大きさに切り(台所バサミを使うと便利)、器に盛り、カツオブシをのせます。

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 上のレシピが王道ですが、私はこの手の料理は愛用している濃縮3倍本つゆ50CCをカップ2にのばしたものへ、日本酒をたらしてざっくり作るのも好きです。

hontoyou

 本つゆにせよ、だしをとるにせよ、うっすらと色づいたくらいの薄目のスープに仕上げるのが根っから関西育ちの私の舌にあう。大阪の魂である粉モンでもそうですが、最終的に散らすカツオブシが「だし」そのものなのであって、そのカツオブシに勝ってしまうようなスープは下品。

 だしを飲む料理ではない。
 だしは切って皿に盛ってください。
 あくまでナスが主役です。

 ところで、秋ナスは嫁に食わすなという有名な格言がありますが、そこでいう秋ナスとは旧暦での秋なので、いまの暦では真夏にあたります。というわけで、秋ナスは嫁に食わすなというのが家族のイジワルではなくて、ナスを食べ過ぎるとカラダが冷えるし下痢ってしまうから、もしかしておなかに新しい命の宿っているかもしれない彼女には食べさせないでおこうという実は親切なお話なのですよ、という説も、どうも眉唾。真夏にカラダが冷える野菜をあえて食わすな、なんてのが親切なわけがありません。おまえなんか暑い台所で家族の食うナスの揚げびたしでも作っておいでお前は食うんじゃないよキンキンに冷やしてみんなにふるまうのがお前の仕事なんだからね。

 そういう意味では、妊婦にはぜったい食わすなというならレバーやウナギのたぐいで(ビタミンAの過剰摂取は胎児の催奇形性をもたらします)、ナスやキュウリは確かにカラダを冷やしはするものの、それそのものにものすごい栄養が含まれているという食品ではない。焼き肉屋で焼き野菜の盛り合わせを頼んだらナスが入っていて、網にのせたはいいもののだれも取らずにいると、驚くほど小さく焼きしぼんでしまう。やつらは、ほとんど水分なのです。ということでもっと鬼畜な想像をするなら、灼熱の台所で嫁は延々と煮物焼き物を作らされ、喉がからからになってナスでさえかじりたいところをそれさえ取りあげられて、頬を張られ、言われるのです。

「妊娠していたらどうするんだい。水分を取ると下痢をするよ、あんたはうちのあととりを溺れさせて殺すつもりかいっ」

 ……そんな時代もありました。
 (いえ、歴史的検証をおこなったうえで記述してはおりません。でも、秋ナスを嫁に食わせないのが親切心から出た言葉なら、いまだにだれもが知っているような格言として残ってはいないでしょう。秋のナスを見れば嫁をいじめろ。むかしからそうなんだからさ。その嗜虐の悦びが、ナスを食うたびに思い出される、それはよくできたサドンフィクションとしてひとの心を掴み語り継がれてきたのです)

 ともあれ、焼けばしぼむナスは、逆にいえばスポンジのようなもので、揚げて細胞を破壊すれば、無尽蔵にだしを吸うというところから、揚げびたしというような料理にされる。真夏が旬というのも、からからに乾いた地上に生きるからこそ、水分をたくわえるという仕組み。スイカであれキュウリであれ、ナスであれ、実際に、真夏の「飲み物」としての役割を持つ野菜として、ひとが食すようになったのは間違いのないところだというのに……

 それをあえて絞って別のもの染みこませて美味いなあ、とか。
 屈折しています。
 好きだからいじりたい。
 そのまま食べるのなんてもったいない。
 どうにか工夫して別の味わいかたをしてやりたい。

 肉が詰まっていなくて、アクが強くて。
 作りにくくて、傷みやすい。

 そんなのを、好んで育てる心。
 ナスは、インドから、中国、日本とやってきた。
 なにかが、仏教徒の奥深い琴線をはじくのかもしれぬ。
 うん。なんだかエロいかたちですしね。
 生でもセクシーな形状だけれど、ぐずぐずに揚げられ刻みこまれ、じゅぶじゅぶと汁につけられたナスの揚げびたしを食すとき、そのおいしさのかなりの部分が性的な充足にあると感じるのは、私だけでしょうか、そうですか。

(ところで小説のタイトルはもちろん『Do Androids Dream of Electric Sheep?』をもじってあるのですが、語呂がいいのでSoup stockとしたものの、これでは肉からとったスープという感じが否めません。ガイジンには肩こりという概念がないから肩が実際にこらない、というタワゴトと同様に、外の国には出汁の文化がないからそれに相当する言葉もない、というのはたぶん間違いです。すなおにTuna brothでいいと思います。なんだかカツオの肉がごろごろ入ったスープが想像できてしまいますが、だから英語も「DASHI soup」と書けというのは、逆に出汁を日本生まれの奇妙な調理法にしているようで嫌悪感を感じる。乾かして削ったツナからとってもスープはスープ。昆布も入れたことが記述されていないとか、そんなのはどうでもいい。Oh、スープに揚げた茄子をひたすのね? 異文化の料理って、そういうふうにして伝わるべき。なんとなく理解して、なんとなく作ってみて、おいしければ自分なりのそれになる。私にとっても、揚げびたしなんかは、親から教わったものなんかではないので、和食ってこういうものかなあ、という手さぐりで手を出すもはや異文化のしろもの。でも、作って食べれば、自分のなかの血に気づく。私にとってのスープは、出汁。それが嬉しい)

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Yoshinogi Takumi
 Shonen-ai Cooking Elegy

11曲目『すっぱくても、平気。』
10曲目『踏み絵ムルギティッカ』
9曲目『ひとくちだけカトルカール』
8曲目『春節の静かな賞品』
7曲目『ナンを焼くと両手がつかえない。』
6曲目『タマレってなに?』
5曲目『あらいぐまのすきなもの。』
4曲目『ピッツァみたいにぼくを食べてよ!!』
3曲目『クリスピー・プロ・フライドチキン』
2曲目『青くてカタいアボカドのパスタ』
1曲目『春餅/チュンピン』

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