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『鮎』の話。


Ayu

 父が釣りが好きで、私も幼い頃はよく連れていってもらったのだが、大人になってその趣味を身に宿すということもなく、我が家に釣り竿はない。近所に清流やダムがある土地なので、遠くから目の前の川に釣りに来る人たちがいたりもして、そういう方々から見れば、散歩で絶好の釣り場へ行けるところに住みながら、興味を示さないなんてなんて罰当たりなやつだというところかも。

 そんな私だが、鮎釣りはしたことがある。

 母の実家が広島の山奥なので、なんどか両親とともに訪れたとき、父の車に積んである釣り道具を借りて、じゃばじゃばと川に入ったりしたものだ。最近はまとまった休みがとれないので、めっきり訪れていないが(記憶がさだかなら、最後にあの土地を訪れたのは新婚の妻を連れて行ったときなので、ものすごい遠い話だ。ちなみに妻にとっては、広島の山奥で義理の父の釣り竿を借りて何匹か釣り上げたのが生涯で唯一の釣り体験らしい)、なんでも鮎釣りでは有名な土地なのだと聞く。

 鮎釣りは、友釣りでおこなわれる。
 友釣りとは、読んで字のごとく、友で釣る漁法のようだが、実のところそれは「友」ではなく「共」の字を当てたほうが正確なところだ。
 「共食い」の「共」である。
 「友食い」ではグロすぎるのに、友釣りの「とも」は「友」の字だというところが、釣りという娯楽をたのしむ人たちの、にへら笑いを表しているようである。

 釣り人は、広島の山奥などに行けば、道路沿いにアホほどある「友鮎」を売る店で、まず鮎を買う。ここからして、幼い頃の私を悩ませた。
 鮎を釣るのに鮎を買う?
 じゃあ、その鮎を焼いて食べればいいじゃない。
 そう訊くと、父は躊躇なく答えたものだ。

「釣りはスポーツだからな」

 そして、だから釣った魚は食べるなら持って帰ってもいいけれど、幼い魚なんかは川へ逃がしてやるのがマナーだというようなことを私に言って聞かせるのだった。おそらくは、無意識にであってもそれが未来の釣り人を作る教育だと信じていたのだろうが、そんな話を聞いているときの私の頭のなかでは、号泣こそが似合いそうな残酷なドラマが展開されていた。

 おとなはみんな巨人に釣られ、残されたおさなごたちは、針でカラダに穴を開けられて釣り上げられたあげく川に戻され、また別の釣り人に釣られる地獄を延々とくりかえし、ようやく自分もおとなになったころ、目の前で消えたおとうさんやおかあさんやおじさんやおばさんたちが、どうなったかを身をもって知るのである。
 すなわち、塩をすりこまれて焼かれる。

「鮎は内臓まで食べられるんだぞ」

 苔しか食べていないからな。
 虫を食べないから、エサで釣ったり、ミミズやハエに似せた釣り具でだましたりできない。
 そこで友釣りという技法が編み出された。

 苔が主食。
 ということは、住み処がすなわちメシ。
 結果、鮎は自分の場所を確保する。
 なわばり、である。

 なわばり、とは、まもるべきものを他者に触れさせないために形作られる個人的な聖域。必然的に、個人のなわばりが存在する社会では、言葉よりも実際的物理的な行動力が物をいう。ごたくを並べてこっちのなわばりをかすめとろうとするヤカラがいたとしても、実際になわばりが侵されるまでは、傍観していればいい。判断すべきは、物語の道筋ではなく、事実として読んではいけないページがめくられたかどうか。それが為されたとき、なわばりの王は、みずからが王たることを示すために、全身全霊をもって行動に出なければならない。

 暴力である。
 言葉は悪い。
 しかし、単純な問題に、単純な解決策を示せない者は王にはなれない。

(余談ですが、このあいだ会社の研修で、先生が言ったセリフが耳に残っている……「ちがいます。あきらかな示威行為がともなったとき、それはクレーマーではなく、ヤカラといいます」……ちなみに私は関西在住ですが、このあたりの商売人にとって、確かにヤカラさんはクレーマーさんとは別のイキモノ。なんといいますか、女性モノの薄手の服をはだけて着たおっちゃんとか。言葉が通じないことを見るからに示しているのです。真性の不思議ちゃんに真剣な愛の告白をされてしまったかのような、既知の知識ではどうしようもない怖さがあります。先生も、ヤカラだったら警察呼びましょう、と教えてくれました(笑・笑いごっちゃないことがそこかしこで起きているから、研修なんて受けているんですけれど)) 

 だから鮎は、友を襲う。 

 その友が、たくみに人の手で誘導されてなわばりに入り込んできた、透明な糸につながれた相手だなどとは思わずに。「友」であれ「共」であれ、敵ではないが、聖域を侵す行為は看過できない。そこで鮎が示す全身全霊の行為とは、刀で斬りつけたり拳銃を撃ったり、相手の喉笛を噛みちぎったりすることではなく、タックルだ。
 殺さない。
 ただ、自分のリングだと相手にわからせるために、ここはそんな簡単に獲れる場所じゃねえんだよと、本気のスピアータックルを放つ。友の肌に、肌をぶつけ、わかれよ、おれの居場所を奪う悪意になるのかよお前は、と。

 吠えて、泣きながら、肌をぶつけ続けていたら。
 いつのまにか、刺されている。
 友釣りで使う友鮎は、鼻に輪っかをつけて引きずり回せるようにされ、ヒレを貫いた針から別の針を伸ばされている。さながら、首輪をつけ脚輪をはめられ、重い鉄球をずりずりと引きずって歩く奴隷のごとく。違うのは、釣り人の技量でそこまで拘束された鮎が他者のなわばりを侵そうとするほど血気盛んな元気者であるかのように見せかけられていることと、脚輪からのびた鉄球につけられた針は、タックルしてきた友を傷つけ捕らえるためのものだということ。

 「おとり」を、いかに「おとり」に見えないように拘束しあやつって、友の敷地に侵入させ、葛藤の果て傷つけず追い出すためだけの裸のスピアーを放ってきた王を捕らえるか。
 それを、スポーツと呼ぶ。

 そうして獲った王は、内臓も抜かれず、焼かれる。
 ぼくに食べられるために。

 英語で、鮎は東アジア固有の魚種としてAyuとも表記されるが、Sweetfishとも呼ばれる。身が甘いからである。鮎の英語Wikiには「sweet flavour with "melon and cucumber aromas"」という記述があるが、私は青魚大好物のせいか、鮎にメロンだのキュウリだのといったグリーンフレーバーを感じたことはない。甘いっちゃあ甘いが、鮎が瓜科植物? 青魚苦手な人が青臭いというやつを、ガイジンさんも感じとれてしまうのか……でもだったらスウィートフレーバーなんて書きかたにもならないような。こういう感覚って、思っているよりもっと大きな幅が地上の人類のあいだだけでも存在しているのかもしれない。

 で、写真の鮎は、父が釣ってきて冷凍していたのをおみやげにもらって、家で妻が焼いたもの。父は確か「これはなんとか川の鮎なんだぜ」と言っていたので、広島ではないどこか鮎で有名な川で釣ってきたのだろう。まったくおぼえる気もなかったので頭に残っていません。
 しかしまあ、美味かったです。

 でもまあ、父が釣ってきた魚を食すたび、おとなになった私は、幼い私が釣りに興味をなくしていった過程を、反芻もできるようになってしまった。
 美味いから、喰うなら。
 網で獲ればいい。
 スポーツとしての狩りの獲物、というところに、なにか引っかかってしまう自分がいるのでした。いやまったく動物愛護主義者なんかではないし、地球は人間のもので、喰い散らかしてから火星に行けばいいと信じているのですけれど。らしくもない繊細な唸りがもれてしまうのは、苦いはらわたを日本酒で喉の奥へ流しこみながらも、幼い私がどこかで見ているからなのでしょう。

 だから釣りはしません。
 たぶん、釣りを好きな人がそれを好きな理由によって。
 すなおな自分。
 おさない自分などに、ひょっこり顔を出されたりするのは。
 怖いから。



 
 
 

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