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『映画化スターガール』のこと。


新書館カグヤ的表現を使うなら「チーム男子」な少女漫画の実写化はR18ショタ系キャラをどうするかがいつだってネック。ぬいぐるみ抱いてるよあのおにいちゃん…生きたヒトで自然に魅せるのは至難のわざだもの。

映画『NANA1』のように逃げに走ると、みる側もみせる側もケガをする。だがその難題に対し、ジャニーさんはぜったい『桜蘭高校ホスト部』の実写化もすでに視野に入れていると思う。

崇の肩の上でうさちゃんを抱くハニー先輩を生身のヒトが演じきったとき、それは伝説になるだろう。

ジャニーズの肩にジャニーズはのれないから、なにげにそれは192cmストイック&ワイルド系モリ先輩を自然に演じられるプロレスラーがどこの団体にいるのか、という問題になるのかもしれないが。


twitter / Yoshinogi

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 そんなことをつぶやいていたのはもう二年ほども前のことなのですが。
 時代は動くもの。なんと『桜蘭高校ホスト部』実写化とかいうのをテレビでやっていたので観た。予想に反し、ジャニさんは絡んでいないようだが、もっと予想に反することにハニー先輩が初回からちゃんと小型化までしているという(さすがに肩には乗っていなかったが)。原作が売れると違うね。CGのクオリティが必要なレベルまでちゃんと金つぎ込んである。違和感なくたのしめました。山本裕典は私の須王環とは違う感じなのですが、その演技はいまにも「みさきーぬっ」とノブレスオブリージュに言いだしそうな仮面ライダーカブト時代の神代剣そのままで、見飽きないのでぜんぜんOK。むしろ、中村昌也がその身長ならもう20キロ、せめて10キロほどウェイトアップしてくれたらもっと好みなのだけれども。その浅い池に鯉は泳げないだろうとつっこんだのは私だけではないはずだ。ロケ地さがしも映像化のむずかしいところです。

Host club

Host club


 仮面ライダー俳優で実写化といえば、仮面ライダー電王、人斬り以蔵の演技を買われ『龍馬伝』監督で『るろうに剣心』実写映画化だそうで。ほう、るろうには、かつて作者がハリウッド映画化を嫌って話を断ったという噂もあったのが、近年の時代劇ブームで新人も育ってきてようやく和物で真摯に映画化という運びなのですねめでたい。これはまるで人斬りを演じられるうえにアンニュイな空気ももっている佐藤健という俳優が世に出てくるのを、原作のほうが待っていたというような良い話ですなあ、としみじみしていたり。

Rover

Rover

 実写化。
 それは、夢を増幅するものであり、終わらせるものでもあったりするのがこわいところ。

 このあいだここで、第一シーズンで終わった『フラッシュフォワード』のドラマ化について哀しみを述べておりましたが、今年はあのドラマ『V』(ビジター)が、リメイクされて日本でも放送がはじまるという。私がトカゲを名乗っているのは、完全にこのドラマのせい。まだ幼かった私は、宇宙からトカゲ顔の宇宙人が正々堂々侵略しにくるというよくできたお話に、少なからずホーキング的な思想を増幅されてしまったのです。すなわち「人類以外の知的生命体がこの宇宙のどこかにいるとしても積極的に遭うべきではない」という。『V』にかぎらず、私が子供のころは、そういう時代だったような気がします。宇宙人もスパイも、ときにはヒーローだって、やたらベロンと人間の顔を剥いで、真の素顔をさらす。友好的な隣国だって信用できないぜ腹のなかではなに思ってんだか、という冷戦まっただなかの世界は、物理的暴力を相手に向かって憎しみもろとも投げつけあっていたころよりも、どうにもそこかしこに怖いトカゲがひそんでいそうで。その恐怖と折り合いをつけるべく、私は母にタイガーマスクのマスクをねだったのでした。トカゲのマスクのプロレスラーがいれば間違いなくそれをねだったのでしょうが、トラでもよかった。とにかく、その図式に逃げ込みたいと願ったのです。

 怖いものになってしまえば、もう怖くない。

 私がいまでもプロレスを好んで観るのは、そこには演じることに命がけな人たちがたむろしているから。三沢光晴はタイガーマスクではなくなってしまったけれど、やっぱりジャンボ鶴田に勝った三沢として逝き、いまタイガーのマスクをかぶっている四代目(このあいだ五代目を名乗る選手もリングに上がっていたけれど、それは置いておいて)にいたっては、デビューからタイガーマスクで、もう十五年以上のキャリア。彼にとって、そのトラのマスクを剥いで見せる素顔は、観客を失望させるだけのものになりつつあるはず。彼はタイガーマスク。そうでない彼なんていない。その人生を、私はすばらしく美しいと感じる。

 そんなことを『ホスト部』観ながらぼんやり考えていたら『スターガール』のことを想い出した。

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 彼女はなんのジョークもないときに笑い、音楽のないときに踊った。
 彼女は学校でいちばんフレンドリーな人間なのに、友だちはひとりもできなかった。
 教室で質問に答えるとき、タツノオトシゴのことや、天体のことはよく知っているのに、フットボールがどういうものなのかは知らなかった。
 彼女は家にはテレビがないといった。
 まったくとらえどころがない子だった。彼女は今日そのもので、明日でもあった。彼女はかすかに漂うサボテンの花の香りで、音もなくよぎるフクロウの影だった。なぜ、彼女がそうなのか、知るものはだれもいない。心のなかでは、彼女をチョウのようにピンでコルクボードにとめたいと思うのに、彼女はピンをすりぬけて、飛び去ってしまう。


 ジェリー・スピネッリ 『スターガール』

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 私は自分が醜くて怖いトカゲだと知りながら、知っているからこそ、ヒトの皮をかぶって学校に行く。プロレスの話なんかしない。興味がないアイドルのうわさ話にも相づちをうち、確かに退屈しているのだけれど、友だちに向かって笑い、ときにはケンカまでする。

 いっぽう別の並列世界では、醜いトカゲの顔をさらして私は学校に行き、まわりからはどうしてあいつはトカゲのマスクなんてかぶっているんだと距離を置かれているが、気にせずみんなに笑いかけ、思いつくままに壁をのぼったり、紅い舌を、ちょろりとのばしたりする。

 スターガールは、自由だった。
 見も知らぬ他人の葬式で泣いたり、請われてチアガールになるものの敵チームのゴールにも歓声をあげたりする。まわりのだれもが、そのうちに気づく。あれ、あたしあの子のこと、ムカつくかも。

 スターガールは初めての恋をする。
 ぼくもまた、スターガールに惹かれている。
 けれど、その距離がちぢまり、彼女が大声で愛を歌い出したとき、ぼくは、ついに言ってしまう。
 彼女は、まるで小さな女の子のように、泣き出しそうな声で言う。

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 「でもどうやったら、世界中のほかの人のことまで考えていられるの? わたしなんか、自分のことだってよく考えられないのに」


 ジェリー・スピネッリ 『スターガール』

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 ぼくは言う。
 人はだれでも、朝起きた瞬間から、世界中のほかの人たちがどう思うのかを考えながら生きているのだと。
 ぼくは彼女を間違いなく愛している。
 でも、スターガールとぼくのまわりには、みんながいる。
 スターガールが気にしなくても、ぼくは。

 ……そんなお話。
 ポケットに白いネズミを飼うスターガールは、自分で自分にスターガールという名をつけて、自分を解きはなったのだが、転校してきた彼女のことを、みんなは宇宙人かジャンキーのように見て、やがて、怖がりさえするようになる。そして、スターガールはぼくのためにスターガールである自分を捨てて新たな人格を演じはじめるのだけれど……

 十年ほど前のベストセラーで、日本でもかなりのヒット作になったから、読んだ人も多いと思う。ただ、私にとっては、ちょっと特別な物語なのだった。その時期、私はジュヴナイル(おもに幻想的な雰囲気を含むヤングアダルト小説の意)と銘打って小説を募集していた某社に恋をしていて、そもそもそういうものを読んだこともないのに書こうとしていた私は『スターガール』のことも、たまたま大ヒットしていたヤングアダルト小説の一冊として手に取ったのでした。

 だがしかし。自分なりに勉強した私は、恋する某社が募集するジュヴナイルとは、いわゆるそれとは違うのではないかと結論づけ、むしろこういうものを載せるべきだと意気込んで書いた作品群を送りつけるようになっていく。いっぽう、その恋する某社は、数年後にジュヴナイルという表現を捨て去った。出版不況もあったと思う。でも、私は、みんなのことなんて見えていないみたいに、音楽のないところでこそ好きに踊る、その姿に恋したし愛して人生をかけてもいいと思えたのに、ジュヴナイルという仮面を捨てたあとの彼女は、むしろみんなに愛されるふつうの子を演じようとしているスターガールみたいで、みんなに愛されることは必要なんだろうけれど、でもきみの変わったところ、まわりを見ないところをこそぼくは好きだったのに、いっしょに死んでもいいと思っていたのに。女王のようだった彼女は、ふつうどころかぱっとしない愛想笑いをするスターガールではないだれかになってしまった気がしたのでした。

 そんなこんなで、忘れがたい『スターガール』を、私はいまでも、ときどき読み返すことがある。そして、この十年で、ふたりの監督が映画『スターガール』を撮ると決まったというニュースを読んだが、けっきょく映画化が実現しなかったことに、胸をなでおろす。スターガールを演じられる女優なんていない。だれにとっても、それぞれのスターガールだから、ひとつのイメージになんてできっこない。それは、追い求めてはいけないものだ。選ぶのは読者であって、作る側じゃない。

 そして私は『ラブ、スターガール』も手にとる。

 ヤングアダルトは、子供向けという意味ではない。
 よく言われる、プロレスはバカの観るものではなく、バカが観たってわかるし、バカでないヒトが観ればどこまでも深く哲学を語れるショーだ、というのに似ている。
 『スターガール』の映画化が、これはもう時機を逸したな、もうダメだな、と思われたころ出版された『ラブ、スターガール』は、大半の読者がスターガールを記憶の海に沈めかけていたのとは対照的に、あの物語からほんの一年後のスターガールの日常を描いていた。その完成度たるや、はっきり言ってしまえば、思春期の女の子の物語として書かれているけれど、これをティーンで読んだって本当の意味では読み込めるはずがない、とオトナぶって言いたくなる深さである。私が、これまで読んだすべての本のなかで、もっとも魅力的な女性が描かれている一冊だ。ロリコンぶって言いたくなる。

 少女が女に成長する刹那ほど美しいものはない。

 スターガールは、別の町でスターガールにもどっている。
 彼女には、ふたりの妹分ができ、姉とも呼べる大人の女性とも知りあいになる。
 スターガールの書いた手紙として描かれる『ラブ、スターガール』のなかで、スターガールはスターガールなのに、泣いたり震えたりする。さびしくて、弱気になって、私はどうすればいいのと悲観に暮れて。人生に迷っている。でも、スターガールのままで。

 もがくスターガールに、自分は自宅から出られないという神経症を患うベティ・ルーが、当たり前のことを、当たり前に教えてくれる。

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「あなたはね、今日という日から自分自身を消し去ろうとしていたの。『今日』はあなたに叫びかけて、なんとか注意をひこうとしたんだけど、あなたは『明日』にとらわれてしまっていた。そうして、今日は配水管を流れ落ちる水のように流れ去ってしまったの。明日の朝、目を覚ましたとき、あなたがむだにしてしまった今日という日はもう二度ともどってこない。そのときには、もう昨日になってるんだから。昨日の瞬間瞬間のなかに、あなたへのすばらしい贈り物が用意されていたのかもしれないのに、けっして知ることはできない」


 ジェリー・スピネッリ 『ラブ、スターガール』

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 今日という日は今日にしかない。
 仏教徒にとっては常識だが、これを読んでそうよねと思うあなたが十八歳なら、まだまだ甘い。考えるべきは、ベティ・ルーだ。彼女は家を出られない。出たいのに出られない。スターガールが訪れてくれなかったら、スターガールに自分から逢いに行くことはできない。そうして昨日を無駄にしたどころではない。一年中、毎日を、無駄にしまくっているのだ。けっして知ることのできなかったことだらけ。でも人生はまき戻らない。くだらない昨日だけが積み重なっている。彼女はそれをスターガールに伝えるが、伝わらないことをわかりながら言っている。

 明日にとらわれないでいられる者はいない。
 たとえ、今夜死ぬとわかっていても、ヒトは愚かしいことをする。
 でもそれを引き受けて、生きていくしかない。
 あやまちも、恥も、得たものだと納得して。
 裏切りも、失望も、ゆるして。

 私は、『ラブ・スターガール』でのスターガールの妹分、アルビナがラスト近くで見せるカウンティング・クーのシーンが大好き。カウンティング・クーとは、獲物まで近づいて、触れて帰ってくること。獲物を殺すよりも、カウンティング・クーを成功させた者こそが尊敬を得るのよと、スターガールはアルビナに言った。

 そして。
 少女アルビナは、男の子に対して、勇気を示す。

 あなたのことなんてなんとも思っていないとドキドキしながら演技できるようになったとき、恋するケモノは、子供でなくなる。そしてそのときから、今日を台無しにする人生がはじまる。たぶん明日もおおむね無駄にする。でも、どうせ無駄ばかりの人生だからとあきらめない。

 音楽がないときにこそ、自分のなかに音楽を聴く。
 そして踊る。
 触れなくちゃ伝わらない。
 でも、触れすぎてはいけない。
 カウンティング・クー。

 とりあえず、うしろからそおっと忍びよって、そっとつつきたい相手をさがすこと。そして自分を変えないこと。でも、まわりは見ること。だれかにつけてもらったものであれ、自分でつけたものであれ、名前というマスクの下の素顔がトカゲかどうかはどうでもいい。そのマスクで演じきること。それはおもに、自分が今日を見失わないために。ここにこいつがいると、自分で自分を示すために。

 そう。観察者、という例の話のようなこと。
 自分で視た自分だけが確定する。
 確定していないものを、ほかのだれかにわかってもらうなんて無理。

 そんなことを、開くたびに考える。
 映画化しないでほしい。
 ずっと、私のスターガールは、私の描くままであってほしい。
 私のために。

 よく、その時期のことを、ハシが転がってもおかしい年頃というけれど、それは裏返せば、朝陽を見て涙ぐんだりすることのできる時期でもあるということ。そして、その時期から、ヒトの繁殖期ははじまる。きっとそれは、必要なことなんだろう。なんでもないことに笑えて、ささいなことに感動できて、他人の不幸に過剰に同情せずにいられず、その反面、世界なんてくだらない場所だと絶望する夜ももつ。そのジェットコースターみたいな感情の起伏のなかでだけ、恋は燃えあがる。他人と溶けあえると信じられたりする。

 スターガールは、思春期の少女たちに向けたジュヴナイルのヒロインだけれど。
 いまでは大人ガールや大人ボーイがこの国を動かしている。死ぬまで追い求めて、なにからも卒業しないで、恋しつづけるなら、だれもが、死ぬまでスターガールを見習うべきだ。

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あの鳥のなかにはいろいろな歌がぎっしりつまっているのに、なにから歌いはじめたらいいのか、なかなか決められないでいるみたいだ。それで、それらを一度に歌おうとする。一ダースもの歌を一度に。一ダースもの声を一度に。マネシツグミはとぎれなく鳴きつづける。元気いっぱいに、死に物狂いといってもいいぐらいに。世界を目覚めさせておけるのは自分の歌だけだといわんばかりに。


 ジェリー・スピネッリ 『ラブ、スターガール』

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 マネシツグミにとって、世界とはそういうものだろう。
 かつてのスターガールにとってもそうだった。
 けれど彼女は、知らずおぼえていく。
 世界のなかの選んだ部分に、歌をとどけるすべを。
 手をのばした場所、触れた場所が確定する。
 触れたら光るタッチセンサーのライトみたいに。
 見たいものが見える。
 見えたら、あらためて歌えばいい。
 たぶん、小さな世界は、耳をかたむけてくれるはずだ。
 歌いつづける真摯さに、拍手さえ贈ってくれるかも。
 あなたは自分のいたらなさもひっくるめて、許容してくれた小さな世界へ深々と礼をして、ゆるされるかどうかを試すことになる。もっと近づいていいかを。あなたという小さな世界を、私のものにしてもいいかを。
 マネシツグミのように死に物狂いなのは変わらないけれど、つむぎかたを、つたえかたを、指ののばしかたをおぼえるのが大人に近づくことなのかもと思ったら。そっと指をのばしたとしても、その身のうちでは死に物狂いでいるってことこそが、重要なんだと気づくのです。

 ラブ、スターガール。
 というのは、手紙の最後の言葉。
 世界が彼女をではなく、彼女が世界へ、贈っている。
 身は熱く、心も熱く、でも静かに言いきること。
 愛してる。

Stargirl
Stargirl

 余談ですが『スターガール』を読ませたい相手に、この十年で何人も出逢った。
 でも、こうしてブログで紹介するようにはできないのが、この本の困ったところ。だって、直接に薦めれば、絶対にこう思う……

「ヨシノギさんは、私のことを変な女の子で、まわりから白い目で見られて友だちもいないっていうふうに見ているのですね」

 そうじゃなくて、そういうスターガールが、でもスターガールのままで折り合いをつけていく過程が美しいと私は感じ、それを彼女にも感じてもらえたらと思うのだけれども。
 本っていうのは、出逢いかたも大事。
 できれば自分で見つけたそれが、やっぱり身に染みて残る気がする。
 というわけで、ここは電車の中だと思って。となりに座ったむさい男が似合わない可愛らしい装丁の本を開いている、あれはなんの本かしらと目にとまったそれが『スターガール』。あなたはそこでばったりスターガールに出逢った。だったら、私のことなど忘れて、読んでみてください。ひたいを撃ち抜かれたみたいになるヒトも、少なからずいるはず。大切な一冊になるかもしれません。

 私にとってはジュヴナイルを象徴するタイトル。
 まったくの現代物なのだけれど、ファンタジーという響きで、この本を想い出す。
 スターガールがとなりにいたら、こういうとき、ため息をついて私を見るだろうと想像する瞬間がある。そんなとき、私はため息を返し、大きく息を吸う。

 わかったよ。行こう。

 決めたら、スターガールは笑った気がする。
 それでいいのよと。
 肩さえ叩かれた気がして、そういう荒っぽい女の子は、ぜんぜん好みではないくせに。
 行ける気がするのです。
 そんなに遠くまでは、もう無理でも。
 演じている内側に、本当の自分なんて残っていなくても。
 近所の砂漠でサボテンに寄りかかってトカゲのマスクの隙間から、星空を見る時間くらいはあると信じられる……今日がまだ、昨日になってしまわないうちに。 


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