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『奥歯を捻挫』の話。



 集中が途切れると、あちこちが痛くなってくる。
 毎回、大きな締め切りが明けると、どこかのスジをおかしくしていたりするのです(今回は、左手を複数箇所骨折。軽いヒビだけですが。ふだんは平気だけれど、ときおり負荷がかかるとびっくりするくらい痛い)、それもこれも、もうほとんど性癖と言ってよい、行き詰まったときの私の作法が問題なのでして。

 今回は、ちょっと考えました。

 原稿送って、その日、焼き肉食べたんです。ツイッターでもつぶやいていましたが、今回は心底消耗して、難産で、それもこれもまったく手を出したことのなかったラブコメ風味なものを書いていたせいなんですが、最後の一週間で五キロ体重が落ちましたから、もう頭のなかは、これが終わったら脳みそが溶けるまで浴びるように酒を飲み、たっぷり時間をとってカロリーあるもの食べて、あと、とにかく寝よう、と。
 そればかり考えて、終わって。
 終わってみたら、まず食うかと。
 とにかく腹減ったと。
 で、肉食ったと。

 そうしたらですよ。
 なんだか、違和感があるんです。
 いや、近ごろ噂の生肉問題ではなくてですね。

 あごが痛い。

 いやいやいや。
 そんな、顎関節症とか、焼き肉食っただけでなるような、そういうスマートなあごのラインの現代っ子なわけでもないですし、えーなんだこれ。虫歯か? しかし自慢じゃないが、子供の頃は不摂生でしたけれど、高校生あたりからはむしろ潔癖症の気があったので、十代以降、歯医者の治療を受けたことはない私です。しかし現実に痛んでいる。どうも、右上の最奥の歯で肉を噛むと、ずん、とくる。しかしこの痛みはなんだろうね……ひさしくなっていないので忘れてしまっただけで、虫歯ってこんな痛みだったっけ? そう思いながら、目の前にあった氷でキンキンに冷えた麦焼酎の水割りを口に含み、その奥歯あたりに溜めてみる。

 なんともない。
 冷たいの平気。
 お茶もらって飲んでみた。
 熱いのも平気。

 でも、なにかじんじんする。
 じんじんするなあ、と思いつつ、むしろそこに挑戦するように(バカだから)、その違和感を感じる歯で肉をはみまくってやったのですが。別段、とびあがるほど痛くもならない。食後のキシリトールガムも、その奥歯で入念に噛んでみたり。

 じんじんはしている。
 しかし、それだけ。
 寝た。
 起きた。
 仕事に行きました。
 地獄でした。

 まあなんといいますか、じんじんするだけなんですよ、違和感があるだけなのです。決して悲鳴をあげる痛さではない。ただ、仕事柄、一日しゃべり通しですから、口動かすたびに感じる気持ちの悪さに、指突っこんで、その奥歯を引っこ抜きたくなる。長渕剛のタイトル忘れましたが「右の奥歯が三日前から痛くて酒で散らしたがどうにもならず薬局に行って腫れた唇で八つ当たりした」という歌をエンドレスで口ずさむ私が、その日は白衣着て薬屋の店員やっていまして。うるせえよおまえの頭痛なんか知るかよおれの奥歯がなあっ、とおばちゃんの胸ぐら掴んで会社クビになってやろうかとなかば本気で夢想しましたから、追い詰められた病人というのは恐ろしいものです。

 痛いなら今治水とか、それこそ眠くならないノーシンとか、そういうもので散らせばいいのでしょうけれど、いやちがうと私の心が叫ぶのです。鎮痛剤つかうと、もっと気持ち悪くなる気配がする。いまや、じんじんという感じを越えまくって脈動しているのです。奥歯の下からなにかが生まれそうです。
 これ、たぶん放っておいても治らない。

 というわけで、翌日、朝起きると同時にネットで調べて、その曜日に唯一開いていた、隣の駅の歯医者さんへ。どきどきします。すぐ近所なので、断られたらそれもやむなしと、電話もせずに直接訪問。

 こんにちは。

「はい」

 にこにこにこっ。
 なるほど。いらっしゃいませというのはおかしいですし、これはどうも、診察券とか、そういうものを出してくるに違いないと待たれているようです。いえ、あの、予約もしていない、初めての者なのですけれども。

「あら。少々お待ち下さい」

 奥へ行きました。
 歯科助手さん、女性です。
 ピンクの衣装です。
 奥の治療室から聞こえてきた「うん、大丈夫、見るわ」という声も女性。ていうか、どうもさらにその奥で話している女性も先生か助手か……なんにせよ、男の声がしない。近所の歯科が軒並み休んでいる曜日に開いていたから選んだだけだったのですが、看板に可愛らしい動物キャラが描いてあるうえに文字もピンクで、それなのに待合室におじいちゃんがやたら多いのはこういったわけか(笑)。

 予約のかたが来られたらお待ちいただきますので、と言われてもちろんいやもなく、平気です、のたうちまわるほど痛いのではないのです、文庫本も持ってきました、読んでいます。と待ちはじめて、遠くのはーいあーん。とか、ちょっと痛いですよー、とか言うのに、おじいちゃんたちがあ痛たたいたいよせんせい、などと嬉しそうに言っているのを聞いていて、不謹慎ながら考える。

 イメクラっていうとまあなんちゅうかコスチュームを着た女性が性的なサービスをほどこすお店ですけれど、いまやそんなものよりも全国で市民権を得て乱立するメイド喫茶なんかになると、触れることさえ禁止で、言葉責めと過剰な喫茶店的サービスだけで客を満足させているわけで。
 それでコーヒーの値段が倍増するのがありならば、この歯医者さんのピンクの制服の女性スタッフによって客を取り囲み口に指突っこむわ道具で痛い目にあわすわ、なんていうのは、重ね重ね不謹慎ですけれど、これなら倍払ってもいいぜ、というお客さんがいても不思議ではありません。

 そんなことを考えながら、やむなくけっこうな時間を待ちまして、幼稚園児らしき女児をふたり連れたおかあさんが「え、あなたのほうが早かったのに」と頭を下げながら私の前を通りすぎて行ってから、耳をすませば。
 この病院のいちばん偉いヒトらしい、スタッフに敬語をつかわない女性が、なかなかにキャラが強いことに気がつきました。治療をはじめるとノンストップでしゃべる。それがおじいちゃん相手でも「磨きすぎなのよ、ちょっと手えぬいて、汚れてたら次のときに私がとってあげるからさっ」だとか「歯槽膿漏? ないわよそんなもの。妄想なの」などと切っては捨てるのきっぷのよさ。それがさらに子供相手だとエンジンかかってまいりまして、治療しているお姉ちゃんの横で、ママに抱かれた妹がうるさいのに「ちょっとあんたの妹、怪獣? 黙らせてよ、うるさいなあ」……ママがキレ出さないかと私が心配になるトークセンスです。
 しかしそれで客がよろこんで支持がついているのだから、客商売のひとつの極意。勉強になります。

 そうしてようやく私もリングイン。
 まずは若手の敬語をつかう先生が、初診なので、ぜんぶ診ますねと私の口内に指を突っこんでこねくりまわすのですが……ぬう。そっちは毎日のことでも、こっちは中学生以来の歯医者なのです。顔近いよ、ドキドキするんですけど。これ美容院みたいに顔にタオルかけたりしないものですか、それともこれが手口か。と、あいかわらず不謹慎なことを考えながら、先生が首をかしげるのを見ていた。

 ん。なにかヘンですか、ぼくの口腔内。

「右の上の奥歯ですよねえ」

 とりあえず、レントゲン撮りましょう。と、手を引かれて小部屋へ連れて行かれ、密室で顔のまわりをカメラがぐるぐる回ります。エックス線、目を開けていて平気なんですかしら。なにも言っていなかったから、開けていてもいいのでしょうねえ。ていうか、目を閉じたところで防げませんね。義姉が、電子レンジからの電磁波を、手をかざして防いでいたのを思い出しました。この光にはよくないものがふくまれているの。へー、でもそれ、見なきゃ「ない」ことになるの?

 さて、席に戻ります。
 あらためておもむろに、問題のじんじんする奥の歯を、女医さんにあの先端に丸い鏡のついた道具で、まじまじと見られます。恥ずかしい。

歯鏡

 そして大先生登場です。

「はじめまして」
「はじめまして」

 さきの先生に比べれば若くはないですが、しかし大先生というような歳でもなく。あれですねえ、歯科医なんてガンプラ作ってデカール貼るくらいの指先の器用さが要求される職種なのに、老眼とか入ってきたら、その段階できついんじゃないかと素人ながら思うので、先生の目がかすんでいなさそうなのは大安心。先生なら、17口金電球の根元に彫り込んであるボルトワット数も店員にたのまないで自分で読めることでしょう。

 その大先生に、敬語の先生がささやきます。
 本人が目の前にいるのですから、ささやかなくてもいいのに。

「水もお湯も染みないそうなんです。虫歯もなくて」

 あー、あー、あー。
 聞きたくなかった。
 そういうことになるのではなかろうかと、うすうす感じておりました。虫歯だったらよかったのに、なんて思っていたわけではないけれど、そうじゃないならこのじんじんしてなにかが生まれそうな私の奥歯の底、生むのではなく、膿んでいるのか。
 歯茎の奥の神経の話とか、そんなのなら、ぎゅいーん、と歯の表面を削られるほうがまだマシ。
 どんよりだ。

 大先生、それを聞き、なにやら私を眺めます。寝かされて、エプロンつけられた大の男です。病院慣れしていないので、なかなかに非日常な興奮が味わえます。見下ろす彼女の視線は、なぜだか私の口を見ていない。いやそこ腹ですから。胸ですから。

「スポーツされてます? 力仕事とか」

 ん? はあ。まあ、どっちもですね。
 スポーツというか、趣味のゴッチ式なのですが。
 
「日常的に筋肉つかうんでしょう」

 そうですねえ。
 筋繊維断裂させるのが人生。傷だらけです。

「ちょっと見せてね」

 敬語は最初のひとことだけでした。
 それが許されるのはキャラです。安心感です。
 大先生、座って、なんだかマシンチックなものを手に、私の口腔内へ……どうやらカメラらしい。さっき撮ったレントゲン写真も目の前のモニタに映されているし、近ごろの歯医者は近代化しました。ビートルズの「ブラックバード」のインストゥルメンタルがかかっています。美しくもせつない。



 これはもう完全に恥辱プレイ。
 なにやらごつい機械が私の口のなかにつっこまれ、女性ふたりが顔よせあって感想を言いあっている。どうせなら罵倒なんかもしてもらえると、こっちもキャラに乗りやすいのに。ああ、なんだか『シュタインズゲート』のダルみたいな思考回路になっていきます。リクエストしたいこといっぱい。

STEINS;GATE

 耳をすませば。

「ほら、これ見なさいよ。患者さんのからだつき見れば疑って当然よ」
「ほんとです。すごいですね、変色ないので気づきませんでした」

 からだつき?
 なんかほんとにエロいこと話してる?
 変色って、淫靡な単語ですよね。
 すごいって、なにが?
 もういっぺん言ってみて、ちょっと恥ずかしそうに。

「ヨシノギさん」

 大先生の宣告タイム。
 心臓ばくばく。
 するとじんじんする奥歯も、鼓動にあわせて脈打つ。気持ち悪い。痛痒い。自分で自分のあごに気絶するくらいのパンチをかましたい。もういいよ、これを解放してくれるなら、なにをぼくの奥歯から生んでくれてもいい、やっちゃって。

「ヨシノギさん、奥まで32本の歯が、びっしりきれいに生えているの。親知らずまで」

 えーと。
 それは褒められているのか、問題点の提示?

「あごの奥まで歯があるから、このまっすぐに生えた親知らずが、噛み合わせで、どうしても最初に上下で合わさるのね」

 なるほど。よくわかります。

「ちから出すときに、ものすごい負荷が、この親知らずにかかっているの」

 は! そういうこと……
 噛みしめて。で、いま、ぼくの歯は……

「細かいヒビが無数に入っているわ。拡大するとよくわかる」

 あ、いやな予感がしますよ、先生。
 それ、言う気でしょう?
 決まり文句。噂ではよく聞きます。
 まさか、きれいに生えて安心していた我が身に……

「親知らず抜くのが、一番簡単な解決方法」

 はいキた……イヤですよ。
 抜かないでどうにかできないのですか。

「もしくは、神経を抜くか。でも、ヨシノギさん、奥まで歯が生えそろっているから、そこ作業しようとすると、ものすごく大きな口開けてもらうことになっちゃうわ」

 ううん。ううん。
 開けますって、大きな口くらい。
 でも、神経か……痛そうな話だ。
 けっきょく、なにがじんじんしているんです、これ?
 ヒビの入りまくった歯が?

「仕事ならがんばっているわねと言うし、スポーツならよく練習しているのね、というところだけど、歯医者からすると、歯がかわいそうなことになっているの。毎日のようにヒビが入るほど噛みしめられて、もちろん、その下の歯茎やあごの骨にも、ものすごい荷重がかかっているのよ。それが、痛み出したのはおとといから? バーベルを上げたりしたのかしら」

 焼き肉に負けた?
 のではないことは、はっきりしています。
 大きな締め切りがあったから。
 なぜ、モノ書くのに筋肉を使う必要があるのかは、創作上の秘匿にさせてください。なんてことはもちろん言わず、あいまいに濁しておきました。まさか左手の骨折も、テンションあげるための行為でやってしまったのです、毎回、締め切り明けにはカラダがぼろぼろなのです、などと、歯医者さんに言っても、あきれた目で見られるだけでしょう。

 しかし、そうですか。
 たぶん、あの腕立て伏せがダメ押したんだと思います。
 こめかみの血管切れるかと思いましたから。
 奥歯も噛みしめていたでしょう。

「なんにせよ、なにか決定的に重いものを持ちあげたりした、それでいわば、奥歯が捻挫したみたいなことになっているの。ほら、捻挫とか骨折って、走ると、そこが心臓になったみたいにじんじんするでしょう? そういう状態」

 捻挫。
 歯を?
 ていうか、そのあたりのあれこれがもう無理って悲鳴あげたってことですよね。ええ、わかります。私の心も折れそうでしたから。限界越えた自覚はありました。でも、発現したのは焼き肉だったわけで……おとなしく豆腐でも食ってりゃよかったんだな。まあそれで、歯のヒビが埋まるわけではないですし、考えようによっては、この捻挫があったから、私は虫歯もないのに歯医者に来たというわけで。

 どうすればいいんですか?
 明日も、力仕事あるんですけど。

「これ放置しても、いずれ歯が砕けるところまで行くだけよ。とりあえず削りましょう。奥歯が当たらなくなるところまで。それで圧が解放されて、痛みは消えるはず」

 じんじんしなくなるなら、おまかせします……
 しかし、こうならないように予防策とかありえました?

「力入れるときには、マウスピースはめれば、だいぶ違うわよ」

 ああ、あのプロレスリングNOAHの石森太二が、顔が猿みたいになるのもいとわず、ムーンサルトの高さを出すために入れている、あれですね? というのは、もちろん言いませんでしたが、しかし先生、プロレスラーなら、せっかくのイケメンがだいなしだぜですむけれど。先生が近所の店に食器棚買いに行って、店員が「お車まではこばせていただきます」と言ったやいなや、ポケットからマウスピース取り出したらヒくでしょう。

 つまりは、避けられない事態だったわけですか。

「あ、削る前に訊いておかなくちゃ」

 なんすか、もうブルー極まってんですけど、ぼく。
 なに訊かれてもネガティブな答え返しますよ?

「順位のつくスポーツなんかを、やっていない?」

 いや、カラダを動かすことを直接評価される業界にはいません。
 しかし、その質問はなんですか?

「だって。これだけ砕けんばかりに噛みしめていた親知らずが、噛みしめられないようにいまから削るの」

 そのあとの先生のセリフこそ、気絶しそうでした。
 そういう奥歯砕けるほど力出す毎日を生きている人種だって知っていながら、あれ、絶対にこっちが大きくダメージ食うように間を溜めたのだと思われます。マゾヒスティックな歯医者なんていません。

「パワー、出なくなるわよ」

 ……そんなあ。

 と、いうことが今日ありました。
 仮封されて帰された。
 ぐっと噛んでも、奥歯が当たらない。
 じんじんするのは、完璧に消えました。
 でもこれ、奥から二番目の歯が今度はヒビ割れるだけなのでは……
 そんな疑心暗鬼も抱えつつ。

 ああ。なんだか。
 疲れた。
 ひさしぶりの歯医者は、難敵。
 さしあたって痛みが取れたら、親知らずをどうするか、入念に話しあいましょうと前置きもされています。
 戦いは長引きそうです…… 

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