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『折れたペダルの応急処置』の話。



Clutch

最近はAT免許や大型スクーターの普及もあって、
車の運転をする人はもちろんバイク乗りでさえ、
「クラッチってなに?」
とまで口にするケースが、実際にある。
しかし、現にマニュアル操作なマシンにまたがっている者にとって、
その握りしめるレバーは命綱ともいえるものだ。
それを握って「クラッチを切る」操作をすれば、
どんなに暴れるエンジンも空回りするだけになる。
暴れる愛馬の手綱を引くブレーキ操作は、
逆に事態を混沌に陥れることが多い。
だから慣れた身体は、左の指先に力を込める。
暴れだした鉄馬を解放してやるのである。
むろん、余波は残る。
心臓と肉体を切り離された馬は、
巨体で崩れ落ちながら乗っている者のことなど考慮しない。
地面に、叩きつけられる。
……この正月に、そういうことがあった……
出先で、夜、大雪だった。
わかっていながら、仕事だからと翌朝。
気をつけてはいたつもりだったが。
交差点。左折。氷。アイスバーン。
つるんっ、と。
反射的にクラッチを切った。
握りしめた左手から地面に叩きつけられた。
左脚はバイクの下敷きになっていて抜けなかった。
さすがに軽く足首はひねったが、
200Kgにアスファルト上でボディプレス喰らったにしては、
折れてもいないし、それどころかジーンズがすり切れさえしなかった。
起きあがった。鉄馬も起こそうとした。
そこで、足もとがアイスリンクなみのつるつるだと気づく。
その氷に、クラッチレバーが突き立てられていた。
左脚で操作する、シフトペダルが完全に折れていた。
鉄馬の左脇腹に刺さっていたマスターキーが直角に曲がっていた。
それらが、私の骨を救ったのは疑いようもない。
氷の交差点から離れ、折れ曲がったキーを回す。
ランプは点く。車体下を観察したが液漏れなどは見あたらない。
となれば問題はシフトペダルである。
折れてしまった。つま先を引っかけるところがない。
思案のあげく、低速発進して、そのまま家まで帰ることにした。
エンジンの負担がどうのと言っていられる状況ではない。
かくして、その日、私は仕事に遅刻もせず、脚を引きずることもなく。
バイクで転んだ話を職場ですることはなかった。
夜。ランタンで故障箇所をチェックした。
ボディはほとんど無傷。シフトペダルと、グリップエンドの取り寄せかな。
キーを折るのは二度目。合い鍵も持っているから問題ない。
大きな傷が残ったが、操作に支障はないクラッチレバーはどうしようか。
まるっこい銀色に激しい傷。たぶん最初にアスファルトに激突した。
きっと100Kg以上の負荷を、ここで逃がしてくれたのである。
私はその左レバーを握りしめていたから、身体を支えられた。
ありがとう。
こいつは替えないことにする。
だれかがこれに気づいたら、そのとき話そう。
私の前には四台の車が走っていて、
私の後ろには走っていなかった。
クラッチレバーに救われても、轢かれれば終わっていた。
ありふれた朝にそういうことは起き、すべては紙一重。
しかし、まあ。
新年に、わざと軽い不運を演じ、厄を祓う習慣もある。
傷に記憶して。
残りの今年は、自戒しつつ走ることにします。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 恐怖というものは、恐れ怖がると書くくらいで、突き詰めていけば、己の心の問題でしかない。

 饅頭こわい、という落語があるが、そこからとってよく言われる、饅頭怖い理論というやつで、航空機の事故が連鎖するのはそれによるのだという説がある。ある、というか、私が勝手に思っているのだけれども。

 ニュースで事故が起きたことを知る。
 大事故なら、ほとんどみんなが知っている。
 ということはつまり、今日、この大きな飛行機に乗る500人が、ぜんいん昨日の航空機墜落を知っているということである。

「こわい。こわいよぅ」

 ぜんいんがそう思っている。
 たとえば甲子園で、チームメイトの全員が相思相愛で息がぴったりで、目標は揺らがずこれ優勝なりと一丸となって信じているようなチームがあれば、少なくとも同じ程度の実力を持つチームに負けはしないに違いない。
 たとえばテレビ番組に出てきたうさんくさい日本語を喋る金髪の自称超能力者が、しかしそのチカラとは自分のものではなく、あなたのパワーを借りるのだとか言いだして、さあ念じてください、曲がれ、曲がれぇぇぇぇぇ、などと言うとき、多くの視聴者は鼻で笑うが、なかには信じて念じるヒトだっているわけで、それが全国放送の生中継ともなれば、同じ時刻に同じことを数千とか数万の脳みそが念じるということであり、その場合、テレビのなかの自称超能力者が本当に超能力者かどうかは別として、スプーンを曲げたり、時計の針を動き出させたりするくらいのことは、やってやれないことはないのではなかろうかしらん、と、ある程度、人生の悲喜こもごもを味わった私くらいになると、善なる視線でそこはかとなく、信じてみたりするのであったりする。

(それくらいのことは、思いこみのチカラでできるだろうと信じなくては、自分よりもあらゆる方面で優秀な他人であふれかえっている地球の上で、なにかを得られるだなどと思い込むことさえできなくなってしまう、という側面もあるにはある)

 ともかく、墜落した飛行機の映像を見て、これから飛行機に乗る人たちの怖がる思いが、ハンパないことは間違いない。それはもう、それほど怖がれば、その思念のチカラで腕時計の針が止まるくらいのことがあっても、私は説得力を感じて「そういうこともあるかもなあ」と思ってしまうくらいである。スプーンが曲がってもコーンポタージュがぼたぼたとこぼれてうまく飲めないくらいだが、時計が止まれば飛行機に乗らなくて済む。

 しかしまあ、恐怖心というものを、時間を止めるとか、より高く飛行機を飛ばして大気圏も突き抜ける、なんていう建設的(?)な方向に働かせることができるのは、プレッシャーを実力以上のポテンシャルに変換できるオリンピック級でありチャンピオン級のスポーツ選手くらいのもので、その日の飛行機に乗っている500人は、ほとんどの凡庸なる脳内で、こわくていやだもうダメだ、と考えているということも、また間違いない。

 そんな機体で、揺れが発生したりする。
 CAさんは、ご心配にはおよびませんと声を張るが、そんなものは恐怖を倍増させるだけである。

 そうして、乗客500人の恐怖と、現代科学技術の粋たる空飛ぶ鉄箱に詰めこまれた精密機械類の堅牢さが勝負となる。

 なったとき。

 細いコードのひとつから白煙が上がるくらいのことは、起こって不思議ではない。
 なぜか血迷った鳥の一羽がエンジンの空気取り入れ口に飛びこんだって、不思議ではない。
 機長が少し錯乱して操縦を誤るといったことなど、じつにじつに発生して不思議はない。

 饅頭こわい、と願ったからといって、意地の悪い友人がいなければ、宙空から饅頭が現れるなどということはありえるはずもないが、乗客の全員が、このバスは事故るかも、と心底思っているバスが、現実に事故っても、それは予定調和でさえある。

 これが、饅頭怖い理論。
 
 で、オートバイの話。
 乗客は、ひとり、もしくはふたり。
 かなり分母が小さく、簡単に1/1になる。
 そして、バイクというものは、とくに時代錯誤な高燃費のアナログな車種だったりすると、運転者の想いが、如実に挙動に現れる。機械的な制御がなく、ハンドルの先にタイヤがついているだけの乗り物で、乗り手の想いのままに操られるからこそ生きた馬とたとえた鉄馬などという呼び名もあるくらいのものなのだ。

 ひさしぶりに遠乗りをした。
 あの、つるっと滑った朝から二ヶ月ほど経っている。
 ふだんの移動手段としてバイクには乗らず、もっぱら休みの日の趣味な私にとって、決算期だったりするうえに真冬だというこの時期は、毎年のように、バッテリーが死んでいるんじゃないかと思うくらいにバイクには乗らない(実際、バッテリーが上がることもあるのだが、なにせバッテリーが職場に売っているので、電車通勤で買って帰ればいいだけの話。というわけで冬場に乗らないからとバッテリーを抜いたり、充電器を使ったりということを、したことがない)。

 それくらい、ひさしぶりだからかな、と最初は思った。
 空気圧が低いんだろうか、とも思った。
 もしかして、あの転倒のさいに、どこかフレームまで歪みが出たのか、とまで考えた。

 しかし一時間ほど走るうち、どうやらそうなのだと気がついた。

 やけに、タイヤが横に滑る気がする。
 ちょっとした段差で、お、と声を漏らしてしまう。
 事実、走行姿勢はブレているのである。
 けれど、それらは車体の歪みなどではなく……
 
 私の肩に、チカラが入っているのだ。

 怖がっているのだ。
 恐怖だ。

 もうすぐ三月、路面が凍っていたりはしない。
 バイク屋でパーツ交換も済ませ、それなりに整備もしてきた。
 私も、高速で走行中に突然車体が分解するとか、脱輪してアスファルトですりおろされてミンチ肉になる、などと恐れているわけではない。
 だが、信用が、揺らいでいるのである。
 信頼感を、失っていたのだ。
 我が愛馬への。

 ひどい話だ。
 私は寒いのがかなり平気。
 肉体労働と飽食によって培われた筋肉と贅肉と、幼いころに半ズボンで暮らした昭和の子という素地のおかげであろうか。
 寒いのが平気だから、冬にバイクに乗らないのは寒いからではない。
 寒くはないのだが、凍えはするからである。
 暖房は嫌いだが、上着を脱いでつけることが多い。
 なぜなら寒いと感じなくても、あきらかにミスタイプが増えるからで、シューティングゲームなどをすると如実にわかる。
 気温が低いと指は動かなくなるものなのだ。
 それはつまり、バイクを運転しても、クラッチ動作やブレーキ操作が、自覚なく落ちるということであり、それはとても怖いことである。

 それくらい恐がりだから、雪なんて降ったら、ぜったい乗らない。
 私がバイカーだと知っている人たちが、毎年、雪が降り出すと、なにげに訊く。

「バイク用のチェーンってあるの?」

 んなものはない。

(スパイクタイヤの装着も法的に禁止されている。例外的に、雪国の小型車両では認められるケースもあるにはあるが、やむにやまれぬ郵便配達員が着用するくらいと聞く)

 つけたら、がたがたして危なくて仕方ない。
 だったら雪が降ったらバイク乗りはどうするのか。

 乗らない。

 当たり前だ。
 バイクをなんだと思っているのだ。

 なのに、思いっきり雪の予報の日に、出かけた。
 正月で気がゆるんでいたのだ。
 寒くないから平気だと思ったのだ。
 しかし、寒くなくても凍った路面では転ぶのである。
 お前の主人はバカなのだ。
 飼われている鉄馬が不憫だ。

 で、その後。

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2011/01/04
ていうか。くだんのバイクですっころんだのは年明け実家に挨拶に行ったからなんだが。母がクワイをイタリアンに調理していてヒいた。ニンニクて。密閉するおせちに入れるんじゃないよ、おせちは見た目、味にひねりとかいらんのに。

2011/01/04
さて。折れたシフトペダルを直すとするか…とりあえずバイク屋まで走れないことには修理もできぬ。接着剤と結束バンドでL型金具を装着!!

2011/01/11
さすがカワサキ。部品注文して二日でとどく。しかしバイク屋まで行く時間が捻出できず。

2011/01/25
きれいなコケかたしたね。シフトペダル折れているのに左脚が折れていないってどういうこと? と訊かれたが、たぶん祖父の形見のジャケットを着ていたせいかも。


twitter / Yoshinogi

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 ほぼひと月、時間がとれずに放置することに。
 バイク屋にはカワサキのパーツ検索で型番を調べてメールで発注をとばしたので、同じ客商売として、後払いでお取り寄せだけさせられてモノは二日で届いているのに十日経ってもまだ取りにこねえ、なんていうのが最悪な客層であることはわかっていたのですが。
 こっちが客の立場だと、いろいろ起こるものだ。
 明日から、女王様気取りなマダムの無理難題もなるべく笑顔で引き受けることにしようと、愛想のよいバイク屋の兄さんを見て思いました。パーツ検索しているから価格もわかっているわけで、なのに請求書の金額は思ったより低かったりもして。ありがとう。大手チェーン店と闘う町のバイク屋さん、すばらしいです。

 アスファルトですりおろされたハンドルの左エンドも新品に交換。
 細かい傷は他の部分にもさがせばあるけれど、もう充分。

 『刑事貴族』(デカキゾク・水谷豊の出ていた2ではなく、館ひろしの初代シリーズ)で、館ひろしが黒いマスタングの横腹に、これ見よがしにひきつれたひっかき傷をつけていたのが、いまでも忘れられないくらいに大好きで、『刑事貴族』降板は石原軍団による『代表取締役刑事』がはじまるからだったわけだけれど、そっちでも館ひろしが自らの提案でディアマンテを汚しまくって乗っていたのがダメ押しになり、まだまだ成長過程だったお子様な私のなかに、わざと傷つけることによってモノの美しさは上昇しうる、という価値観が芽生えたのであった。

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『暗闇にてアスパルテーム』の話。

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 ついた傷は私のものだ。
 きれいさっぱり消したりしない程度に、留めたい。

 応急処置されたシフトペダルは、いまも手もとにある。
 いつも頼れる弾性接着剤で、がっちりL字金具を接着してある。

 応急処置した状態でも走れるが、足の甲に突き刺さるようで、長時間は耐えがたい。
 純正のペダルにゴムがついているのは、ダテではないのだ。
 ああそうだ、バイク屋に部品番号で取り寄せを頼むときは気をつけたほうがいい。シフトペダルの先端のゴムは、これ単品では検索に引っかからないクセに、指定しないと、シフトペダルの一部品としてはついてこないらしい。別々に取りよせても、後付けはできない構造になっているにもかかわらず、ペダルだけの部品番号で発注すると、ゴムがついていないものが届くというのだが、そんなものをなぜ頼むヒトがいるのか、とても謎である。
 観賞用だろうか。

 ともあれ、護ってくれた祖父の革ジャケットの上で、撮ってみた。

Shiftpedal

 戒めとして、このまま、どこかに飾っておく。
 コけた記念。
 コけたけれど、無事だった記念。
 とても冷えた朝に走り出さないこと。
 その後のせわしない日常をかえりみれば、足をくじいただけでも、大変なことになるところだった。

 鉄馬は、自分で自分を護れない。
 モノの守護天使は、所有するご主人様なのである。  
 ごめん。忘れない。

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