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『2010 タイムが選ぶ今年の発明』のこと。

 年末です。

 わたくしごとですが、クリスマスからこっち義祖母の家から火が出たりでなんやかんやで。ブログも放置でXbox起動させることもなく(四日起動させなかったのはたぶん今年初)心配かけましたが、元気は元気です。ツイッターでちょっとつぶやいたように、ノロウイルスで下ってはいますけど。

 プロレス大賞はNOAHがいただき。
 三沢光晴に続く二人目の最優秀選手賞受賞選手ということで、真の第二章のはじまりを感じずにはいられません。



 杉浦貴よりアントニオ猪木より、内舘牧子が男色ディーノを絶賛する映像が目に焼きついてしまいました(笑)。先生、ぜひとも書いてくださいよ、ただのイロモノではないゲイレスラーの一代記。私はかぶりつきで観させていただく。

 

 そういう時期。
 というわけで、今年も発表。

『2010 タイムが選ぶ今年の発明』(The 50 Best Inventions of 2010)

 昨年までベストオブベストが発表されていたのだけれど、なぜだか今年は順位付けが廃止。しかし記事のトップはやっぱりテクノロジー部門「iPad」……順当すぎてなんのおもしろみもありません。それでもやっぱり杉浦を抑えて男色ディーノがMVPになったりはしないものなんですよね総括っていうのは。

 で、ベスト50をざっと見て。
 目にとまったのは。
 画的になんだそれという、Transportation部門の、

『The Straddling Bus』

 中国で承認待ちの状況にまでいっているという。
 マジで?
 急速な自動車の普及に道路の整備が追いつかず、慢性的な渋滞を起こしている中国の状況に対し「発明」したエライ人の発想ときたら……

 道路作るより、背の高いバス作ったらいいんじゃね?

 1000人乗れるバスにもかかわらず、タイヤは両の路肩を走行。バスの下部では二車線がふつうに使えるというのだが。確かに未来予想図では素敵に見える。でも、整備が追いついていない中国の道路を走るんだぞ? 日本の高速の路肩だって、バイク乗りの私はなんども怖い目に遭っているくらい。そういう目の届かないところは凸凹しまくっているものだ。ていうか純粋に怖いよこれ、バイクが下走ってるの、バスの運転手認識不可能でしょ。

 いやもちろん、計画ではモノレールのように新しく造る道路でレールの上を安全に走行するのであろう。いまから道路を新設しまくるなら、もっと人を運べるようにしようぜという思想なのはわかっちゃいるんですが。第一印象って大事。私これ乗りたくない。大事故が起きる予感がひしひしとします。

 んー。毎年のことですが、こういう未来技術というのは、どうも不安が勝って、素敵な未来が夢見にくいものです。

 ほかのも、外国人は全員ロボットから英語を教わるようになるとか、牛の脂身で機関車を走らせるとか(バイオ燃料原料のトウモロコシが高騰しはじめたから、うちの国は牛が多いし、それ燃料にすれば、という発想が確かに発明以外のなにものでもない。人類ってスゴいや)。読めば読むほど、つっこむこっちも辛口になっていってしまう記事の多いなか……

 これもTransportation部門ですが。

『Martin Jetpack』

 すでに実用化されているジェットパックが、ついに、ついに、本当に、本気で、個人消費者向けの売り物として発売される近未来がやってきたぜオーイエェー。三十分も飛べるという。それはもちろん、暗黒騎士な視点で見ればセグウェイでセグウェイ社オーナー事故死な今年だったし、空なんて飛ぶ新しい乗り物で、電線にからまって一面トップなんてこともあるかもと憂うことはできましょうが、しかしそこはそれ。
 今年はマスターチーフが空を飛んだ年でもあったわけで。

 去年はまだキネクトという名前も発表されていなかったXbox技術が受賞していたのですが、今年も、こんなのが選ばれるというのは、あのプロモーションの影響に違いありません。

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『2009 タイムが選ぶ今年の発明』のこと。

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 だって、今年、私、ジェットパックの映像って、受賞したマーティンのではなく、この『Halo:Reach』の販促でしか目にしなかった。あいかわらず日本では少数派ですが、世界ではそれほどXboxでありHaloってことなのだと思います。ゲームの中で、高く飛びすぎたら燃料切れて落ちて死ぬこともおぼえましたし。
 まかせてマーティン、ぼくなら飛べる。

 ゲームの販促で命を張る。
 その気概がものを売るんだとほんと思う。
 自信があるモノ作って、自信もって売る。
 当たり前でむずかしい。
 特に日本でそれやると、自画自賛って醒める、という反応が返ってくることが多くて、売る側も「手前味噌なんですけれども」なんて前置きをしちゃうから、よけいに寒々しいことになる。

 そういう意味で、杉浦の恐縮しながら受賞しつつあとになって「ぶっちゃけ自分だと思ってた」という発言は、勇気をくれた。鍛えて、限界までやって、作りあげた作品たる自身を「おれがチャンピオンにふさわしい!」とみずから買う側の客にアピールするプロレスとか格闘技の選手のありかたこそ、まっとうにモノ売ってる形態のような気がして、近ごろますますとても好き。「お買い上げありがとうございます」とモノ作っている源流に行けば行くほど弱くなる業界にいるせいかもしれない。だからこそ、自分で作ったモノを自分で売るときは、もっと。声おさえちゃうところを、イヤそれじゃあダメだとただがむしゃらに、来年は吠えていこう。その前に吠えられる商品も極めていこう……当たり前なのです。

(空を飛ぶといえば、つい先日「ホンダジェット量産初号機が初飛行成功」というニュースも流れました。いよいよ空なんだなあ。ホンダのバイクも静音電気化されていく以上、轟音と速さを求める命知らずどもだって空に向かうしかなく……盗んだジェットで大気圏~、なんてのがロックな世紀になるのであろう)

 あと、今年の上海万博。ぜんぜん興味がなくてニュース映像も観ていなくて、会期が終わってからネット上でそれを観て、おお、と感じた、あれが受賞していた。
 Miscellaneousというよくわからない部門として。

『The Seed Cathedral』

 UKパビリオン。
 種の大聖堂。

 無数のファイバーケーブルが、建物の外から内にのびていて、その一本一本に多様な植物の種が埋め込んである。つまり、人工的な建造物の内部にある種子に、人工的なプラスチックファイバーによって日光が届けられている。中から見ると幻想的。実際にファイバーの中のタネが芽を出したりするわけじゃない。いわゆる風刺系の現代アートの一種だけれど、それを今年の発明だと褒め称える世界初のニュース雑誌の心意気が素敵。見た目は使徒なこの建造物で勝負しようと思ったその国の人たちも素敵。
 日本は紫色の蚕の島だっけ?
 まあいいんですけど。



 前々回のここで触れていたハヤカワSFマガジンの創刊50周年記念アンソロジーの一冊に収められている20世紀の名作『去りにし日々の光』に出てくるスローガラスを想起する。厚みはふつうのガラスほどだけれど、そこには圧縮された光が閉じこめられていて、十年物のスローガラスは、十年間、十年前の風景を映し出す。光とは時間である。彼女の微笑みを私が目にするのは、彼女と私のあいだにある空間を光が走ったからだ。それをいったんせき止めて、好きなときに放出できたら。

SF

 20世紀にそれはサイエンスフィクションの発明だったのだが、今年、私は三台ほどのUSB外付けハードディスクを買った。契約している、ひかりテレビがハードディスク録画できるようになったり、代々東芝のレコーダーを使っているのが、最近の機種は外付け記憶媒体録画が当たり前になって、そんなこんなで。毎日の帰宅が深夜になる生活なのに、私はふつうにその日のプロレスの生中継を観ている。実際には数時間遅れているが、このデジタル時代のありがたさ、録画して画質が落ちるわけでもなく、私にとっては生放送だ。スローガラスは、昼夜逆転した生活者に、自分だけの昼や夜を窓の外に見せることで、精神の安定を図る商品としても描かれていた。
 いま、私にとっての、テレビはそう。朝起きたときに観るニュースも毎日録画。私が起きたときが、いつだって一秒の狂いもなく、一日のはじまりで、ニュースのはじまり。些細なことだけれど毎日のこととなると、実際的にも、精神的にも、二十世紀のビデオデッキ文化とは安定感が違う。

 技術とは善です。

 当たり前に 移動するトンネルなバスが走り、ロケットを背負ってヒトが飛び、地下で植物が育つようになる。コピーした食肉と、食べても太らないクスリの話もついこのあいだしたっけ。

 言いかえれば、善とは、時間、なのかもしれない。
 渋滞を解消すること、飛ぶ必要、二倍の速さで成長するサーモンと、あらゆる情報に対する双方向性。
 急ぐこと。
 私を中心に世界が回ること。

 だれもがそう思っているなら、この世に衝突は絶えないはず。

 だが、科学が世界を丸くする。
 さあさどうぞあなたさまのために道を空けましたお急ぎ下さい好きなだけ。
 道が混んでいるなら空を飛べばいいのです。
 十年前の私は、こんなに週に何冊もネットで本を買ったりしていなかった。
 食料品をクリックで買うなんて、未来のことだと感じてた。

 そう考えると。

 インターネットって、よくもまあこんな薄っぺらい文字と画像だけで、こんなに普及して衰退もせず続いているものだ、と最近よく考える。
 基本、黎明期と変わっていない。
 なにかを伝えるには言葉しかなくて、それを伝達する速度は上がったかもしれないが、影響力というのは、あんまり変わったように感じない。ツイッターで数万人が即座に知った一文も、その一文に言霊が宿っていなければ瞬く間に消滅する。
 逆に、あの、あれ。
 (ネット上で書くのが怖い単語ではある)
 零八憲章なんていうのも。
 発表と同時に言葉を発した本人はとっつかまり、それどころか発せられた言葉そのものが消されてしまったというのに、それからゆっくりと二年ほどをかけ、この年の瀬に、ひとつの言霊が成し遂げた成果を見せつけられた。
 電脳空間は地上をすべて覆っている共有された皮膚なのだということを、まさに肌で感じる今年の出来事だった。当たり前のことを、命がけで発信した。そのときから、生まれたものは消えない。消しても消えない。当たり前のことなんだけれど、言ったか、言わないか。

 言わないほうが善ということもあるじゃない、とあなたは助言してくれるかもしれない。しかし、私は今年、本当にそんなことばかり考えていた。そしていまの段階では、総じて物事は、失言や誤解があったとしても、言葉として届いたほうが実がある、と思ってしまう。

 というわけで。
 まとまりないままですが。
 まとまりもしない言葉を発し続けていられたこれを、もっと。
 もっと、すべてを。
 もっと、あなたにも、あのひとにも。
 叫んでいこうと、明日こそは好きだって言うんだと願って眠れない14歳みたいに。来年のことを思っています。玉砕するにしても、もっとはやく、もっとカラダごとでなら……高熱を出したほうが風邪の治りは早いと言うし。だらだらとしんどいのは、だれもにとって悪。

 はやく!
 もっと突き抜ける大声で!

 叫ぶこと考えつつ、また来年です。
 今年も一年ありがとうございました。
 言葉を交わすことなく、そっと私のダメさを見守ってくださっていたあなたにも、陰口叩いていたあなたにも、奇跡のように今夜出逢えたあなたにも(朝ですか?)、こいつが届いていればいいなと願いつつ。

(いちおう年の変わり目的なこと書いてますが、私自身は仕事柄、元旦しか休みはないので、まったくもって特別のことなどない日常。特別なことなどなにもないから、今週の感情が来週は変わっている、なんてこともありえないという、これは堅牢さなのか惰性なのか。善か悪か。答えなんてものも出ず、一年なんてあっという間。無理から自分で叫ぶ日を決めて、そこから次をはじめないと、なんにも生まないのですよ。まったく。発明とは、打ち破ることです、この腐れたおのれの脳みそを。掻き回して、変わった味になるとおもしろいなあ……そんな初夢が見たい)
 
 愛してる。
 今年もでした。
 来年だっていっしょなので、特別、言うこともありません。
 当たり前のことなのです。

 良い年越しを。

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