最近の記事

スポンサードリンク

月別アーカイブ

『不確定性原理の神話15ページ4行目』の話。



 もちろんアクセスの過負荷もあるのだろうけれど、根本的なサイトの構造に問題があるような気がするなあ……私の母校もそうだが、芸術と冠する団体のウェヴ作法というのは、なにかにつけムダにキラリンと光らせてみたり、そういうのをこっちがいかにすばやくスキップできるかこそを掲示しろと声を大にして言いたい。ていうかマシンガンクリックしながら実際に罵っているわけだが。しかしまあ、閉じこめた観客に苦痛をおぼえるほどの退屈さを頭ごなしに降り注ぐのこそがアートだというのも、わからなくはないのですが。そぎ落とせないのは、そぎ落とすと薄っぺらくて安っぽくて、愚鈍で無知な本性が現れる(なんてことを他人は思わないにせよ)のが怖いから、なにより本心では、退屈なのよりもねっちゃりしたたのしいのをなにもかんがえずにせっしゅできるのがいちばんであるのではなかろうかとうすうすきづいてはいるから……

 そんなクソ重いページで発表されている、本年度、

『第14回 文化庁メディア芸術祭 受賞作品』

 いっこいっこ話そうかと思ったけれど、重すぎてこのサイトを中心に話すのがイラついて仕方ないので、かいつまんだ別の話にします。こちとら師走で重たいサイトひらくの待ってる時間も惜しいんだよっ。

(と書いた翌日のいま、ぜんぜん重くありませんが、もはや語る気が失せたのでもとには戻りません)

 アート部門のあれやこれやをここで話題にしてもだれも読まないでしょうし、キャッチーなエンターテインメント部門の大賞受賞作に直リンク。

 『IS Parade』

 師走の走りで数日つぶやくことさえできていませんが、私もツイッターやってます。もう一年ほどになる。それをやっていないと参加できないパレードということで排他的ですが、それでも「あらおもしろいわね」と文化庁がつぶやいてしまうほどに、そもそもつぶやくだけのはずだったところから、つぶやかないでおもしろいことになっているというところが、くすぐったい感じ。
 ふーん。これだけ。
 という感じがするのも事実ですけれど。
 ものすっごい高度な技術が使われているわけでもないんだけれど。
 自分の名前入れたら、見知った人たちとパレードできる。
 それだけ。
 でも、へえ。
 確かに、そこからいろんなものがはじまりそうな気分は上々。
 にやりとさせる、それがアートだっていうとらえかたは、好きです。

 オンラインコンシューマゲーム機の草分けドリームキャストにおいて、この私のサイト『とかげの月』は製作されました。物心ついたときからキーボード叩いていたベーマガ読者の小学生というマイコンユーザーではあったのですけれど、いまここでこうしてくだらないことを書き続けている、こんなことをはじめたのは、それがゲームだったから。その後、サイト運営はやっぱりパソコンのほうが便利だねとそっちに移行しましたが、自分のウェブサイトを作る、という行為が、ゲーム機でおこなうことができなければ、せがた三四郎や、湯川専務がいなければ、少なくとも『とかげの月』の発生は、もう数年遅れていたでしょう。

 きっかけって、大事。
 きっかけをさがすための、無駄は無駄じゃない。

 そういえば、昨年の文化庁メディア芸術祭のアニメーション部門大賞受賞作は『サマーウォーズ』。 

SummerWars

 この一年のあいだに、地上波でのテレビ放映があって、そのときツイッター上では非公式ながら「ナツキにみんなのアカウントを送ろう!」というイベントがおこなわれていました。仮想の世界で戦うアニメーションのヒロインに仮想のツイッターを仮想のOZに見立て実際の放送にも映画の内容にもまったく影響もないのに大量のアカウントを集める……その高揚感って無駄じゃない。
 
 なんだかわからんがナツキの衣装が変わった!

 その高揚感に受賞させた昨年の決定も、なかなかです。
 どうでもいいですが、前述のようにセガっこの私は、コイコイ(『サマーウオーズ』でナツキが他人様のアカウントを掛け金にしてやっていた花札ゲーム)と聞けば『サクラ大戦』を連想してしまいます。ちゃんとルールを知ったのは、あのゲームでなのです。
 そういえば、最近観ているアニメ化された『おとめ妖怪ざくろ』でも『サクラ大戦』を想いだしてしかたありません。

otome

 AKBの子の家に泊まってすっぱ抜かれていた広井王子氏ですが、ずっとミュージカルミュージカル言っていたヒトだもの、リアルな少女歌劇団を手中に収めたいま、そりゃ演技指導も徹夜になるってものでしょう。それでも仮想の帝国歌劇団だって忘れずにいて……そう願うほど、歴史改変モノにおける『サクラ大戦』の描く太正のインパクトは強かった。現実の大正時代のパラレルワールドが、あれ以降、すべて太正浪漫のサクラ大戦時代に思えてしまうほどに。

 似て非なる世界。
 別世界だけれど、変わらないものもある世界。
 以前にもクーンツ作品で、そういうこと考えました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

『サイレント・アイズ』の話。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 そういう設定、とても好き。
 というわけで本年度の文化庁メディア芸術祭のアニメーション部門大賞受賞作。
 同賞初のテレビアニメシリーズ。

 『四畳半神話大系』

otome

 録画したのを、ちょくちょくと巻き戻したりもしながら、集中して観ていました。とても好き。大賞受賞おめでとうございますと心から。女性向けにハチクロのだめ西洋骨董洋菓子店などでぶいぶいいわせてきたノイタミナ枠(実は関西では「あにめわ~く」枠になっています。あにめわ~くっ、ていう歌もはじまるときに流れるのです。恥)で、こんなに乙女の萌えどころがないものを延々と放送していていいものなのだろうか、いやまあ原作そのものに萌えるというのはあるかもしれないが。

yojyohan

 くだらない事件の起こるくだらないこの世界の、隣にある世界もやっぱりくだらない。別世界ではないのだから当然です。生命保険に入るときに考える。自分が死んだあとにも世界とかあるわけ? いまここで世界を観測する私がここにいるから世界は確定されてここにあるのだとすれば、シュレディンガー先生はふざけるなと怒るでしょうが、観測者の「視点」こそが確定される世界のいしずえとなるわけで。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

『シュレーディンガーの猫』のこと。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 この世界でうまくいかなかった恋が、隣の世界でうまくいくはずがない。
 だって世界が違っても私自身が私のままであるのなら。
 告白する勇気以前に目をあわせることもできず、テンパって電波なことを口走り、悩みぬいて眠れずに充血させた瞳と汗の匂いのする髪を梳かすことさえ忘れて、どこの世界でも同じように近寄らないでと罵倒されることでしょう。

 『四畳半神話大系』に、占い婆が登場します。

 街を歩く主人公を、勝手に占って御託宣を告げ、金を要求する。最悪です。占いの内容は悪くはないのだけれど、ひとつめの世界よりもふたつめの世界、ふたつめよりもみっつめの世界でのほうが、御託宣は短くなり、とられる占い料は上がっていく。

「はい。6000円」

 勝手に占われて、どうとでもとれるひとことをつぶやかれ、あまつさえ前の世界でぼったくられたよりさらに千円上乗せされているのに、彼は払ってしまう。だって彼は変わらないんだもの。三千円だから払ったわけではない。占いの言葉がもっともらしかったからでもない。彼はそういうやつであり、どんな世界に行ったところで、その占い婆の存在を「視た」のが彼であるならば、差し出されたしわだらけの手に、言われるがままにふところをさぐるのです。

「はい。ひざまずいて」
「はい。脱いで」
「はい。目の前から消えて」
「はい。さよなら」

 要求されるのがなんであれ、なにを与えられる代償であれ、彼は躊躇しない。
 並行世界とはそういうもの。

 ところでこんな○○大賞なんてものが発表される年末になりましたが、今年は、その雑誌がなければ日本でパラレルワールドとはなんぞやとか語ることもできずにいたことは間違いない、ハヤカワSFマガジンの創刊50周年でした。
 記念のアンソロジーが三冊。

SF
SF
SF

 今週やっと三冊目が届いて、ほかのすべてを小休止させて読みはじめたところ。

(三冊目の表題作著者グレッグ・イーガンは私にとって神。読んだことなければ、ぜひとも『しあわせの理由』あたりから入ってみて。その短編ひとつで、人生を救われるヒトも絶対いる。イーガンは並行世界や量子力学の遊びも多いけれど、人間そのものを描いたとき、ちょっと吐き気さえおぼえる新しい視点を掲示してくれます。人生で、絶えず考えなくちゃいけないことが一個増える感じ。プレッシャーで不安定にさえなるけれど、その揺らぎからこそ隣の世界がもう一列増える感じ)

 SFマガジン渾身のラインナップとあって、まあ色とりどりです。趣味にあわないものもあるし、絶対に一生忘れられなくなってしまったものもある。そんななかで、一冊目『ワイオミング生まれの宇宙飛行士』収録の、スティーヴン・バクスター『月その六』が、タイトル通り、並列世界を扱っている。

(表題作『ワイオミング生まれの宇宙飛行士』は、なんとあの宇宙人グレイにそっくりな奇形として生まれた少年が主人公。ハードSFアンソロジーと食わず嫌いせず、ジュヴナイル読者なかたにこそオススメしたい。せつないです。あ、バクスターは前にも触れたけれど、もう聖書のつもりで『時間的無限大』だけは読んでおいて。そうそう、これもアニメ化賛否両論『それでも町は廻っている』でやってた「メイドっ」のバルカンサインというのはスター・トレックネタですよ、ほら、メイドを目指す現代の女子高生だって何気に口にしてしまうべき、それらは一般教養というやつなのです)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

『映画「スター・トレック」2009』のこと。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 テレポート装置──《スター・トレック》の転送機──を造るには、量子力学の知識が必要だとわかった。とりわけ不確定性原理の。
 ある解釈によれば、不確定性原理が成り立つのは、根本的に無数の並行宇宙が存在しているからだという。すべてはたがいに隣接している──バドが思い描いたところだと── 一冊の本のページのように。ある事象が起きた瞬間に宇宙はまじりあい、そのあと分離する。


 スティーヴン・バクスター 『月その六』
 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 詳しく話すと長くなるし、私もそれを黒板に書いて理路整然と説明はできない。
 しかし、怖れずに単純化して言いきってしまうならこういうことだ。
 不確定性原理とは。

 同じページはないということ。

 宇宙は一冊の本である。そのすべてのページに私のことが記述されているし、私が活躍するにせよ生来のダメ人間ぶりを発揮しているにせよ、主人公は私なのだから、私の存在なくして私の登場する本は書けず、それはすなわち私=宇宙ということである。そのうえで、その本のページをめくってみる。前のページと次のページは似たことが書いてあってもかまわないが、同じであってはならない。当たり前である。作者が神だろうが作品を世に問うことさえできない自称同人作家であろうが、複数のページにまったく同じものを載せるのでは、それはページを埋めたとはいえないし、本として成り立つ原理を欠いている。同じページが百枚続くのなら、最初の一枚だけでよく、一枚でよいのならそれは本にはなりえず、一編の詩かショートショートだと捉えるにしても、だったらば本の形にするためには、それとは別のページを埋めるための内容が必要ということである。

 昨年、私はテレビを録画したのを観ただけなので「おー」と感じただけ(だいぶんと早送りはした)だったがアニメ『涼宮ハルヒの憂鬱』で微妙な差違のある日常が八回繰り返されるというのを本当に八回にわけて放送したあの件。ハルヒのディスクはぜんぶ買う、と条件付けられているファンのかたにとってさえ、二話収録で四枚の微妙な差違のディスクを買わされるという攻めは、おおむね不評だったと遠く聞く。

B003RITZ0I 

 その後、おしゃれノイタミナ枠で並行世界ものをワンクールやろうという『四畳半神話大系』スタッフが苦悶したのは想像に難くなく、それはすなわち、視聴者にとって不確定性原理とはどのラインで成り立つのかということの模索につきただろう。ヒロインの肌の露出が増えるとか、水着の種類が変わるくらいでは、コアなファンでさえブーイングだった。

 やはり、物語を変えないと。
 でも、同じことが繰り返されるのがキモなんだけど……

 その答えが、占い婆なのだ。

 なんど繰り返しても、どのページに行っても。
 占いの結果は変わらないどころか端折られるだけ。
 払う対価は上昇する一方。

 住めば都、という言葉がある。
 私もデザインを学んだ者なので、人間工学的にどれほどすぐれたデザインであっても、慣れには勝てないということを痛切に知っている。いまだに格闘ゲームをプレイするのに適したコントローラーはセガサターンのそれであるという者は多い。
 馴染んだぶん、あばたもえくぼ。
 引っ越し先は不満が先に目につくものだ。

 『四畳半神話大系』でも、主人公は前の週よりも、絶えずひどい目に遭う。傷は傷であり、その傷を負うのが自分自身である以上、ほかの並列世界に逃げ込んでも、傷はけっきょく負うのである。

 変化させること。
 それにより、変わらないことを思い知らせること。
 不確定性原理だ。
 大前提として、隣のページはある。
 しかし記述されていることは同じではない。
 その場合、いまの世界にとどまるのが、確率的にかなり幸せであろう。
 慣れているのだから。
 どうせ、隣の世界でも、自分は変わらないのだから。

 そういったメッセージを込め『四畳半神話大系』は栄えある賞を受賞した。
 テレビアニメシリーズの受賞ということで、ディスクの売上げはこれからこそが期待できる。
 パラレルワールドには可能性がある。

 《スター・トレック》の転送機が実現しないのは、人類が並列世界の可能性をいまだ正確には理解しきれていないから。並列世界で同時に計算をすることで無限の計算結果を取り出そうという量子コンピュータは、ハードウェアこそどう作ればいいのかわからずにいるが、いつかできるということはもはや確信されている。

 隣のページへ、行くべきではない。
 けれど、行ったことがないし、これからもたぶん行くことはないだろう、月の大地を夢想するように、その世界を想うことは無駄じゃない。
 そっちならうまくやれる、なんてことはありえない。
 あっちでも傷つかないくらいに、こっちで強くなる。
 そのために夢を視る。

 占い婆は、見つけた瞬間に口腔に蹴り入れて黙らせるべき。
 今年もあとちょっと。
 己の手のひらを見つめて。
 このページで次になにができるか、考えようか。

(ハルヒのケースもそうだけれど、パラレルワールドをエンターテインメント化して、それをヒトが評価するのを聞くとき、私はいつもアンディ・ウォーホルの名言を想い出します。
 曰く、

「アートとは無駄な空間を埋めるもの」

 その意味では尺が埋まった時点でアートとしては完成しているので、そこになにが描かれているのかは関係ないという……そういう屁理屈に屁を感じず「そうですよねえ」とありがたがることができるかが、良い観客と悪い観客のボーダーだとも考えるのでした。ええ。私は良い観客にはなりえませんが……あっちの世界でそうなれたら、人生はどんなに清々しく爽快なものになるだろうかと夢見ることはあるのです)

TRACKBACK http://yoshinogi.blog42.fc2.com/tb.php/372-3467f18d