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『ヴェロシティ』の話。



 あっちでベストセラーになった『ベロシティ』も、『オッド・トーマス』のシリーズも、むろん『フランケンシュタイン』も、すっ飛ばして昨年の『ハズバンド』がやってきた。想像することは難しくない。

 そう書いた2007年。

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『ハズバンド』のこと。

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 その『ヴェロシティ』(日本語表記は「ヴェ」が採用されました)がやってきた。

2000『From the Corner of His Eye』
2001『One Door Away from Heaven』
2002『By the Light of the Moon』
2003『The Face』
2003『Odd Thomas』
2004『The Taking』
2004『Life Expectancy』
2005『Velocity』
2005『Forever Odd』
2006『The Husband』
2006『Brother Odd』
2007『The Good Guy』
2007『The Darkest Evening of the Year』
2008『Odd Hours』
2008『Your Heart Belongs to Me』
2009『Relentless』
2009『Breathless』
2010『What the Night Knows』

 例によって衰えぬ毎年刊行のなか(書く時間と、書く量を決めている小説職人クーンツにとって、それは当たり前のことなのでしょう。そのせいでクーンツ知らないヒトに勧めると「なにあのやっつけな後半!」とか怒られることもあるのですが。私にとっては、そこが好きなところ。調子が悪い日も年もあるのに、書き続けることだけはできるというのは、長期間にわたってモノを書いたことのある人ならば、それこそがいかに偉大なことかがわかるはず)、近年のクーンツは、また旧作の改稿に着手したり(生きている限り、時代にあった最新の内容に整えておくのが書いた者の義務、という思想を師はお持ちなのです。二十世紀のサスペンス作品に携帯電話とインターネット検索が入り込むと、アリバイも謎もいちから構築しなおすハメになるのは素人目にもあきらかなこと。で、直したら「名作を本人が色あせさせた」なんて言われることだってあるのも明白なことなのに。やらずにいられないクーンツ先生。変態です)、アメコミ原作を乱発したり、デジタルブック作ったり、絵本(おもに犬とサンタクロース)も出したり、テレビ化失敗したのにノベル化は続いているフランケンシュタインのシリーズも、それらのあいだにぞくぞく書いている。

 なんということでしょう。
 確かに、毎日決まった量を書くならば、文字数だけでいえば、それは不可能な数字ではないかもしれないけれど。作品のテーマも心霊から動物もの、心臓移植と、取材が必要な内容で、そこからエンターテインメントに仕立てあげる構想期間だって必要なはずなのに。書きつつ調べ考えてまた書く。それはほとんど漫画家か、ペーパーバックライターの手法です。しかし、ディーン・クーンツはそれをハードカバーの文芸書として仕立てあげ、売る。

 書ける、という自信から、おそらく版元のBantam社とは、一年に一冊は出すという契約で、そのうえで、コミックがやりたい絵本が書きたい、映画化、映画化、映画化できないなら書き下ろすからテレビでも!! ……クーンツが、望んで抱えている忙しさなのは間違いがありません。死ぬまでになにがどこまでやれるか、死神と賭けでもしたのかもしれない。

 アメリカのネットブックストアの批評を読むと、どうも、クーンツお得意のはずのサスペンスで「仕事減らしてでももっと練り込むべきなのでは?」というレビューが、近年の作には目立ちます。目立つので、本屋の側は、売り文句にこう書く。

「あのニューヨークタイムスベストセラーリスト一位の記録をもつ巨匠の新作」

 ……もちろん、ニューヨークタイムスベストセラーリスト一位のところを大文字で書く。詐欺ではありません。真実ですから。Wikipediaによれば10冊のハードカバーと14のペーパーバックでトップに立ったとか。10冊とか。もう、なんだそれって数字です。それも、毎回時刻表トリックとか、そういう作家ではない。ミクストジャンルで売りまくる。

 不評は別に師が手を抜いているわけではなくて、フランケンシュタイン以降、アニメとコミックの業界にパイプが太くなって、本人もそれがたのしくて漫画原作書いたりしているうちに、サスペンス小説をアメコミチックにチカラワザで収束させる傾向に陥っているのだ……と、最初は邪推していたのですが。

 どうもそう単純なことではないのかもしれないと『ヴェロシティ』を読みながら思ったことを書かせていただきます。

 長年のファンだから、言える。
 作品後半の、作者の葛藤がにじみ出た文章と展開こそが、ディーン・クーンツの必殺技だった。
 なんだかわからないが好もしい選手というのはいるもので、その選手が、確信犯的にその好もしさを技として演じはじめたとき、冷めるファンがいるのは事実。しかし、クーンツの場合、そこを理解したうえで、あえて近年、必殺技をより単純化して演じているのではないか? どうも、そんなことを感じるのです。いえ、それでセールスが落ちれば、それは市場原理主義者でもある彼の美意識にはそぐわないだろうから、こう言ったほうがよいのだろう。

 クーンツは、声高にならずにはいられなくなっている。

 書いているものは変わらない。
 サスペンス作品において、悩む主人公もあいかわらず。
 けれど、二十世紀とは決定的に違うことに、書いているクーンツに演技過剰なまでに迷いがない。

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 これまでも、いつだってそうだった。これからも、いつだってそうだろう。行動するか、しないか。待つか、進むか。ドアをしめるか、あけるか。人生から退くか、それとも踏みこむか。


 ディーン・クーンツ 『ヴェロシティ』

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 愛する者を守るため、正義のため。
 主人公は自分にできる限りのことをする。

 『ヴェロシティ』は、詐欺まがいの広告表記ではなく、真実ニューヨークタイムスベストセラーリスト一位を獲った作品である。ときまさに2005年。ローマ法王ヨハネ・パウロ2世が逝き、マイケル・ジャクソンは裁判中、台風カトリーナがフロリダを殲滅し、ロンドン同時爆破テロでは56人が死に、ブッシュ大統領も大量破壊兵器などなかったと認めた年。

 『ヴェロシティ』の主人公ビリーは、小説が書けなくなっている小説屋で、バーテンダーとして食っている。婚約者は植物状態。新世紀のぶっちゃけたクーンツ作品群の特徴的なところとして、彼もまた、最悪な両親に育てられた。その両親は自業自得でもういないが、少年期のトラウマは、いまだ現実としてビリーをさいなんでいる。

 酒と女と暴力のブギーマンだったクーンツの父親のことを考えあわせると、小説屋としての自分を支えてくれた妻がなんらかの事故によって植物状態になり、自らを自らたらしめている小説も書けなくなるという状況は、クーンツが個人的に、もっとも恐ろしい世界を描いているのだとわかる。

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『サイレント・アイズ』の話。

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 悲惨な親子関係の果てに良き伴侶を得て小説を書くことで救われた。
 ビリーの経歴はディーン・クーンツそのひとの経歴である。
 しかし、ビリーは悪夢に棲んでいる。

 そのうえ。
 ある夜、仕事が終わってみれば、車のワイパーにメモが挟まっている。
 メモの内容を要約すると、こう。

 このメモを警察に届けて事件にしないと金髪美人の教師が死ぬ。
 このメモを警察に届けると慈善活動にいそしむばあさんが死ぬ。

 六時間で決めろ。
 どちらを選ぶかは、おまえしだい。

 このパターンは、その後数年のあいだに書かれた作品を思い起こさせる。
 日本でだけ、発売の順序が逆転したから、見えてくる。

『ハズバンド』(なんの罪もない夫がさらわれた妻を助けるために悪と対峙する) 
『善良な男』(なんの罪もない男が暗殺者と間違われて悪と対峙する)

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『善良な男を狙え!!』の話。

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 同じように『ヴェロシティ』を要約するとこうなる。

(なんの罪もない男が殺人の選択者となって悪と対峙する)

 ネタバレになるし、勘のいい人なら上巻で犯人に気づくおそれがあるので、詳しくは書かない。しかしともかく、ビリーはそのメモを起点に、何枚ものメモを突きつけられることになる。どちらを選んでも、結局はだれかが殺される。そのうえ、ビリーは選択しようにも、なんの情報も与えられていないのである。金髪美人の教師も、慈善活動に熱心なばあさんも、そこらじゅうにいるのだから。

 と、ここで考えざるをえない。
 それこそ、クーンツがこのプロットで書きたかったこと。

 選ぶから、罪悪感を持つのだ。

 逆に考えてみれば、金髪美人の教師も、慈善活動に熱心なばあさんも、ビリーの知りあいではないわけで、世の中では毎日、数え切れない人数が亡くなっている。殺人者に目をつけられて殺されるというのはありふれた死にかたではないけれど、だれも朝刊のその手の記事を読んで、悼みこそすれ、殺されてしまった今朝まで名も知らなかったどこかの女教師のために、罪悪感を抱いたりはしない。

 メモを無視すればいい。

 けれど、浅はかな私のこの考えを、クーンツは一蹴する。
 ビリーは、それでもやはり罪悪感を感じてしまう。
 「メモを警察に届けて事件にしないと」という犯人の提示に対して、はっきり答えた……選択した、ことになってしまうというのである。

 最終的に、植物状態の婚約者を殺されるに違いないとビリーは怯える。
 だから、選ぶにしろ選ばないにせよ、メモを無視はしない。
 だが、彼女はもう、死んでいるも同じ。
 ビリーのことを認識できないどころか、自分が生きていることさえわからなくなっている。
 事実、医者からは医学的に生命維持の処置を続けることに意味はないと説得までされている。
 その婚約者を守るために、悪と対峙する?

 『ヴェロシティ』は素晴らしい出来だ。
 しかし、クーンツがその後に、ほとんど焼きなおしといえるプロットで続けざまに書いたのは『ヴェロシティ』でのやるせなさを排除した物語だった。『ハズバンド』で夫が闘うのは健康的な生きている妻のためで、『善良な男』でのヒロインは、あかるく破天荒な生命力にあふれる女性である。

 この三作を年代順に並べると、顕著なことに気づく。
 主人公の側がどんどん悩まなくなり、敵は、どんどん無個性になっていく。
 このことをもとに返って考えてみれば、クーンツが『ヴェロシティ』を書いたことで、なにを悟ったかについて思いをめぐらさずにはいられない。

 そのせつなさに満ちた設定だからこそ『ヴェロシティ』は売れたのだが、作者本人は、物語が世間に及ぼした効果について、納得がいかなかったのではないだろうか。

 だれであれ悪と対峙したときは、戦う選択をすべき。

 そう強く描きながら、最初からわかっていることに、ビリーは婚約者を救ったところで、意識のある彼女を取りもどすわけではない。さらには、自分を翻弄した犯人は、ビリーには理解しがたいにせよ、犯人なりの哲学を持って事件を起こしていた。

 歴史も、関係あるだろうか。
 『ヴェロシティ』がヒットした年末には、なかった大量兵器のために戦争を起こして、そのせいで自分たちの国はドン底に落ちたと、大統領がつるし上げにされている。その次の年に『ヴェロシティ』と同種のプロットを使いながらクーンツが書いた物語は、スキーマスクをかぶってバイクで襲ってくる顔の見えない襲撃者からなんの罪もない自分の妻を救って抱きしめる……さらに次の年には、タイトルからして『The Good Guy』。主人公はレンガ職人のデカブツで、ほとんど抜けていると表現してもかまわない善良な男。

 どう見ても『ヴェロシティ』には深みが足りなかったからそれを足すために書いたということではない。むしろ、これこそが師のおこなう変態作業。生きている限り、時代にあった最新の内容に整えておくのが書いた者の義務、という信念の現れなのではないだろうか。いまや、去年の作品さえ、新たな価値観を提示する物語に書きかえる必要があるほどに、Velocity(速度)は歴史にも満ちている。
 『ヴェロシティ』を書きながら、考えたのかも。

 市場原理主義者としてのクーンツが、そう考えたのなら受け入れやすい。
 自分たちの国で失業者があふれ餓死者が出ているのに、自分たちの家族が、よその国に行って人を殺している。その状況で、あまり身内に不幸を抱えた主人公は人気が出ないだろうし、同情すべき悪役も嫌われるだろう。勧善懲悪、そうすべし。

 本を売るため、ならば、良いのだが。
 そう言いながら、クーンツというおっさんが、若いころから一貫してそういうヤツではないことを、私たちは気づいているから厄介なのである。

 これが、師が送りたい、世界へのメッセージなのだとしたら。

 考えるな、とディーン・クーンツは言っていることになる。

 この三作のあとに出た、トリクシーの本にも、書いてあった。

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『犬が教えてくれた幸せになるヒント ~Bliss to You~』のこと。 

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 幸せになるには他人のために生きればいい。

 愛犬の死のあと、売るために書いたことだとは思えない。クーンツは、心底、それを信じていて、もっと単純化しなければ伝わらないと『ヴェロシティ』で感じたのではないだろうか。植物状態の妻を救うために命を投げ出すべきか、見ず知らずのだれかが殺されるのを防ぐためにカフェインの錠剤を噛みくだきながら悪と戦うべきか。そういうことが言いたかったのではなくて。
 単純に、それだけを。

 悪はある。
 それを見過ごすことも、悪。

 他人のためうんぬんではない。そこに悪があるのだから、人として戦うのは当たり前であって、それは、その行動によって自分がなにを手に入れられるかと天秤にかけるものではない。

 『ヴェロシティ』は売れた。だから、いまでも世界中の個人サイトをサーフィンしてみれば、わかる。私にわかるくらいだから、クーンツはもっとわかっているだろう。多くの人が、何枚ものメモに書かれた文章を引用し、こう問うている。

 おれなら見ず知らずでも金髪美人教師を救うね。

 ……そこは、まったく、クーンツの議論して欲しいところではないはずだ。死を待つばかりの意識のない彼女のために戦うかどうかということも、そう。犯人に、犯人なりの動機があり、そこに理解できるものはないか、という問いも、そう。
 違う。
 そこじゃない。

 犯人が何者であれ、悪であれば戦わなければならない。
 だからこそ、クーンツはビリーという作者を投影した主人公を設定した。悲惨な男だが、悪ではない。そのビリーが、悩んだ果てに悪を討つのは、殺人ではなく、正義である。

 けれど『ヴェロシティ』の大ヒットでクーンツは、別バージョンも書いておくべきだと考えなおす。

 単純に妻を救いに行くと考えてくれ。
 犯人は最後まで顔もわからない、ただの悪。

 きみが善良な人間だということはわかっている。
 だが、あきらかな悪が目の前にいて、きみの手には拳銃が。

 さあ。正義について考えてみろ。
 自分たちのおこないに、誇りをもて。

 ディーン・クーンツは、政治的な発言をしない。だから、これらは、私の勝手な憶測である。だが、時代の娯楽小説が後の世で文学と呼ばれるのだという信念を持つ師であれば、ただの賑やかしに殺人を描いているとは考えにくい。書けない小説家であれ、夫であれ、善良な男であれ、そうあるべきなのだと、伝えている。他人のために命まで投げ出す行為を、正義のためにおこなえ、と。いまの時代に、叫んでいる気がしてならない。

 そのことが、クーンツのサスペンスを変えた可能性は、ある。
 『ヴェロシティ』は『オッド・トーマス』シリーズと並行して書かれている。

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『オッド・トーマスの霊感』の話。

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 私は書いた。

「二十一世紀になってからのクーンツもそうだ。
 ほかの作品では、まぎれもなくそうである。
 しかし、オッド・トーマスだけは違う。
 彼は最後の最後まで、いつでもやめられる。

 死者が見える。
 彼らの望みはわからない。
 死の予兆ボダッハが見える。
 見えるが、それが誘うのは他人の死なのである。
 むしろ、ボダッハを見たら、その場から逃げるのが正しい。
 でも、彼は。」

 書いたけれど『ヴェロシティ』と、その後のクーンツのなかに、疑念が生まれているのを、私は見逃していたのではないか。正義と悪。その図式を、新世紀が十年も経ったころから、過剰に単純化して見せようとする彼の姿は、まだ伝わらないのか、これでもかと叫んでいるように見える。

 私がオッド・トーマスなら、可愛い恋人をつれて逃げる。
 私がビリーなら、むしろ良いきっかけだと婚約者を安楽死させる。
 私が夫なら、愛する妻を救いに行かず逃げるかも。
 私は、善良な男だと、自分のことを言いきれない。

 いや、むしろ自分のことを悪ではないかとさえ思う瞬間がある。

 現代の、多くの読者が、クーンツの新作を読んで、主人公のあまりの善良で不屈な悪との戦いっぷりに、まったく自分を投影できなくなっている。
 正直、もうよその国のことなんてどうでもいいから、私が幸せで豊かに暮らせればいいの。
 よその国どころか、友人が飢えて死んでも私は私のパンを守るためになら戦えるかも。
 
 だからクーンツは、もっと声高に叫ぶ。

 で、近ごろのクーンツには感情移入できないと、酷評が並んでいるわけではないのかと、信者のひとりとして私も叫ぶのであった。

 ディーン・クーンツは、幸せを描く小説屋だ。
 絶対のハッピー・エンドが、約束されている。

 『オッド・トーマスの霊感』も。
 『ヴェロシティ』も。
 これがハッピー・エンドなのです。
 やることをやった。
 正義をなした。
 それで足りないのなら、そう感じる私が悪。

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 これ以上ないほど細く薄青い銀色の月は見あたらない。それはきっと、ビリーの背後にあったのだろう。

VELOCITYVELOCITY

 ディーン・クーンツ 『ヴェロシティ』

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 どんなに細くなっても、見えなくても。
 月が消失することはない。
 信じているかぎりは。

 そのことを、信じるどころか、疑うことさえ、すべきではない。
 考えるひまもない、こんなVelocityの時代だからこそ。
 屈するな、と。

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クロムハーツ 店舗  クロムハーツ 店舗  2013/10/24 16:51
こんにちはそこには、単にに警告となったグーグルを通して、あなたのブログ、とことがわかったそれはだ |有益本当に本当に 。 私は つもりはブリュッセルに気を付ける。 私は意志 感謝あなたは将来これを継続している場合。 人々あなたの文章から恩恵を受けられます。乾杯。