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『記念祭前夜の仮面ライダーオーズ』の話。



 昼出勤で、ゆっくり寝られる日曜日だったのだけれど。
 目覚まし時計もかけていないのに、私はその時間にテレビの前で正座して、観終わって、二時間ほどキーボードを叩き、しかし、この続きは第二回の放送を観てからにしようと決めて、ツイッターでつぶやくだけにした。

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戦う理由はないが成りゆき上でライダーキックとか…仮面ライダーオーズ…この時代における「正義」のありかたを問うてきた。考えてみる日曜の朝。
10:11 AM Sep 5th

実際に、ドラマチックに垂直に立てて収納できるバイクをHONDAさんが発売してくれないものだろうか。駐車場には入れず、駐輪場ではデカすぎる。都会のバイク乗りにとって壁に立てかけられるってのは夢。
10:36 AM Sep 5th

特徴的な太いアームが、たぶんシャドウファントム( http://www.honda.co.jp/SHADOW/ )。前傾姿勢じゃない余裕を感じさせる。が…仮面ライダー仕様( http://bit.ly/aoFB6k )のほうがカッコ悪いと思う(笑)。
10:34 AM Sep 5th


twitter / Yoshinogi

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 K・W・ジーターの大ファンなのです。
 彼の小説に育てられたと言ってもいい。
 そんな彼のベストは、実はこれではないかと思っている。

K.W. Jeter

 私は、映画の『ブレードランナー』には想い入れが薄い。それはたぶん、映画をもとにした公式続編を書いた、ジーターの描く混沌の世界に対し、映画の世界は、きれいすぎるからなのだと自己分析している。荒廃した近未来世界を描いているのに、リドリー・スコット監督の「映像美」なんていう売り文句が光るのを見るにつけ、もういっかい観ようかという気が醒めてしまう。いつだって、観返した映画のブレードランナー世界は、私の記憶よりも、ずっと清潔でのっぺりしているから。

 そんな私だが、テレビで、吹き替えで放送されているのは、つい観てしまう。

 寺田農。

 その人が声を当てると、レプリカントのボス、哀愁の咆吼バッティ(ルトガー・ハウアー)の人生(?)を想い返して、それだけで涙腺がゆるんでしまうのです。
 ほんと、そういう声だと思う。
 悪だけれど、狂気で動いているのではない。なにか、信念をもって、むしろ仲間たちの未来のため、自分の想いを昇華させるため、悪と呼ばれる存在にならざるをえなかったという……

 寺田農がカッコイイから吹き替えの『ブレードランナー』は好き。
 きれいすぎる映像も、一種の寓話、絵本を読み聞かせてもらっているような気になって。低くてこもるようなルトガー・ハウアー本人の声よりも、寺田農の、吠えているのにどこか醒めた声は、きれいすぎる絵に、似合うのです。

 『仮面ライダーW』のキャスティングに寺田農を入れたヒトは、きっと吹き替え『ブレードランナー』のファン。そして狙ったとおりの演技を、彼は魅せてくれた。炎に包まれる屋敷のなかで幻影の娘とダンスし、仮想の世界で地球を背景に家族愛を語る。ちょっと、人間離れした存在感がないと、できない役です。そこに違和感を感じさせなかった。寺田農というヒールによって、仮面ライダーWという作品の多くの部分が、深みを増した。日曜の朝から色眼鏡でワインを傾ける寺田農で子供が興奮している国って大丈夫か、という気もしないではないですが。それこそが仮面ライダー。ウルトラマンとも、スーパー戦隊とも違うところ。

 一種の寓話。

 仮面ライダーは、悪の改造人間なのです。
 Wも、厳密には改造人間ではないけれど、図式は踏襲していた。
 ガイアメモリという人間を怪物に変えるイチモツによって起きる事件を解決し、そのイチモツに魅了された悪なる人類の一派と対決することになる、仮面ライダーW自身が、ガイアメモリの能力によって変身し、強さを得ている。この構図。

 悪とはなんであるかということを、語っています。
 ナイフは、林檎も剝けるし、鉛筆も磨げるけれど、ヒトも刺せる。
 悪とは、できるからとやってしまう、歯止めのなさ。
 悪とは、チカラを、なんのために使うかという選択の是非。
 するどく磨いだ鉛筆で、またヒトを刺すこともできるけれど、それで嘆美な小説だって、ギャグマンガだって、書くこともできる。とても絵の上手いヒトが、さらさらっと描いたかわいい女の子のカット一枚で、至福な気分になれる男子はいっぱいいるのです。

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『仮面ライダーダブルと次なる十年紀』の話。

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 ハードボイルド、という設定が最初にありきで、私はそこにとても期待していたのですが、後半、思いのほか、ハードボイルドというよりも、ヒーローってなんだろうという普遍的なテーマに、観ながら考えが向かっていた。

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『仮面ライダーアクセルとヒーローというもの』の話。

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 アクセルが出てきてからは、仮面ライダーは正義であるという当たり前のことに揺さぶりをかける脚本も書かれはじめ、あらためて、ヒーローとは自己犠牲もいとわない正義の人のことなのだと、生身の左翔太郎が叫んだセリフが、私の心に突き刺さって残った。

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「カラダひとつになっても喰らいついて倒す!!
 その心そのものが仮面ライダーなんだ!!」


 ドラマ『仮面ライダーW』
 
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 その叫びのあと、真夏の主人公は、ハードボイルドに極めてくれた。

「この街に、仮面ライダーがいることを忘れるなよ」

 せったい忘れない。
 ダブルは、昭和ライダーに正義のおっぱいをもらった私にとって、育んできた正義の方程式は、いまも有効なのだと信じさせてくれた、平成ライダーのひとつの到達点である。原点回帰をうたっていたが、回帰するにしたって、仮面ライダーには歴史がある。一号が悩みもせずライダーキックで怪人を爆発させていたころ、ブラックRXがそれでも剣を突き立てていたころ、あのころとは状況が違う。世界で売れた村上春樹の『1Q84』は、米同時テロが執筆の契機だったという。多くの作家が、そういうことを言う。たしかに、あの日を境に世界は変わった。けれど、その発言は正義なのかと、あれがなければこの作品は生まれなかったと語るのは、屈していることにはならないかと、首を振ってしまう。この時代に。

 仮面ライダーは、言いきって許される。

 悪を倒す。
 愛する人を、この街を、守るため。
 暴力を行使する。

 そこには実は、正義も悪もない。
 かなり、仮面ライダー本人のエゴに寄ってもいる。
 だが、正義とは、そういうものなのだ。
 守っているその人が、街が、悪ならば、そのために盲目的にキックを放つ仮面ライダーこそが悪人になる。そこの判断は、けっきょく、観客に許されるかどうか。

 チョウ・ユンファだから、ライターの火を吸って許される。
 萩原健一だから、新聞紙で口をぬぐって許される。
 館ひろしだから、白タキシードでバラの香りを嗅ぎながらの殉職が許される。
 松田優作の演技を、だれかが真似るとコントにしかならない。

 話がズレている?
 いや、帽子を斜めにかぶって許される男しかヒーローにはなれない。

 寺田農は、悪なのに家族愛を語って燃え尽きた。
 炎のなかで幸せそうに踊る最期。
 もしも寺田農が仮面ライダーとして許されているならば、そっちが主人公でも、成り立ちかねなかった。だが、仮面ライダーダブルは勝ったのだ。間違いなく、こっちが正義だった。

 すべてが終わった余韻にひたりながら、私は一週間を過ごし。
 そしてオーズを観た。
 
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「いけますって!
 ちょっとのお金と、
 あしたのパンツがあれば!!」


 ドラマ『仮面ライダーOOO』
 
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 ……これは深い。
 ありそうでなかった探偵が主人公から一転、放浪者である。いや、登場時は、警備員である。日雇いのアルバイトらしいが、小銭とパンツしか持っていない男を警備に雇う面接官は、仕事を投げているとしか思えない。案の定、主人公は居眠り中である。日雇いでも雇われたら一身に尽くすという、金のために命を張るプロ意識さえないらしい。

 だが、彼が今日から仮面ライダーである。

 正義とはなにか。
 彼は、変身して戦う理由をこう語る。

「朝からの長いつきあいだから」

 そのひとを守るために。
 難解な話だ。
 風都という愛する街と、そこに住む愛する人々を守るために命がけだったこの夏までの仮面ライダーが、バカみたい。朝からのつきあいで、名前も知らないし、なんの依頼もされていないし、金銭の授受もなく、口説きたい相手でもない。愛や友情のためではなく、金のためではなく、性欲のためでも、ただ自分のカッコよさに酔いたいナルシストというのでさえない。

 火野映司。

 なにも持たない男。
 なりゆきで戦う。

 今回は、小林靖子サマがメインライター。
 募集もされていないテレビ局への投稿から作家になったかたとしても有名ですが、ついに手がける平成ライダーも三作目。それも『龍騎』、『電王』と、平成ライダーの陽の当たるほうを担当してきた実績からして、『オーズ』もまた、歴史に名を残すことは決まったも同然のはずなのに、これでいいのか主人公設定。情熱のない主人公ほど、物語の進行を萎えさせるものはない。

 これはなにかあるはずだ、初回では話途中になったため、二回目を観てから、判断するか……

 で、観た。
 これはまた、なんという設定か。
 過去二作でSF要素テンコ盛りすぎて子供がついていけなくなった(私も海外版まで観たけれど『龍騎』のライダー相関図はぜんぶおぼえられはしなかったし『電王』のタイムパラドックスはあれでちゃんと説明がついたのか、頭のなかを整理できずにいるひとりです)。それをクレームではなく、もっとやれと彼女は受けとめたようで。

 『W』の左翔太郎と園咲来人(フィリップ)のイチャつき具合が人気だったことに対抗心を燃やしているのがあきらかな、仮面ライダーニコイチ設定。異世界の怪物が、主人公に能力を貸すかたちで変身する……しかし、それは『電王』もそうだった。野上良太郎と、イマジンたちのニコイチ仮面ライダーシステムは、終盤にいくにしたがって『W』ばりの「ぼくはひとりで戦うっ」「ちがうだろおれたちはふたりでひとつっ」な展開になっていき、大団円。

 靖子サマ、しかし『W』に切なさで負けた。

 有名声優をそろえても、やはりそこは着ぐるみ。萌えないとはいわないし、『電王』が腐女子層にアピールしたのも事実。けれど、嫉妬と葛藤と、その後の抱擁を描くとき、やっぱり、人間の肌と肌が触れあわないことには、肺胞のひとつひとつを絞りあげてまで、黄色い悲鳴なんてあげられない。

 エロとは肌。
 いや、仮面ライダーでエロを語るのもなんだが。
 しかし『オーズ』の設定は、そこを考慮したものだとしか読み取れない。

 肉体という器についての不安定さを描くことで、そこに宿る心を描くというのは、『キバ』と『W』で語り尽くした感があったが、さすがの小林靖子サマである。

 アンクという怪物が現れる。
 そしてカラダを貸せ、こちらは力を貸してやる。というのが憑依ヒローモノの王道パターン。けれど今回、正確には、アンクは仮面ライダーに変身させる火野映司のカラダを奪ってはいない。ベルトを与えて変身させる、というのは、キバの変身方法に似ているが、アンクは、映司の変身中もベルトの一部だったりしない。

 泉信吾という刑事のカラダに憑依しているのである。
 人としての信吾は瀕死の状態で、アンクに憑依されているから生き長らえている。
 ゾンビだ。
 とはいえ、アンクに憑依された信吾は色白でアンニュイな雰囲気をただよわせ、ゾンビとはいっても、その気だるさが色っぽさに転じている。

 単純な図式ではある。

 映司は変身するためにアンクが必要で、アンクは戦うために映司が必要。
 信吾は生きるためにアンクが必要で、アンクは動くために信吾が必要。

 で、そこに信吾の妹が現れる。
 無駄に怪力、それもあきらかに人類のものではない怪力というところからして、今後、それをお遊びの設定だと流すような小林靖子サマではない。なにかあるのだろう。その兄ということで、信吾にもまた、アンクに憑依されたのは運命だったというような切ない展開が待っているのだろうことは、越えろ『W』を合い言葉にする『オーズ』にとっては、当然のことである。

 当たり前に、伏線が張りまくってある。

 妹が改造人間という最終兵器彼女的な展開を私は期待しているが、順当に進めば、どう考えても、映司と信吾とアンクの三角関係で、妹は号泣である。
 映司とアンクが殴りあっても抱きあっても、そこではモモタロスのような着ぐるみではなく、アンニュイな信吾の生身があるというのは、投稿作家の草分け小林靖子サマが、同人作家たちに与えてくださった、エロの泉だ。活用しなくては、日本が滅ぶ。

 放浪のなにも持たない男。
 でも、朝からの知りあいのために命が張れる。

 その男の目の前で、行方不明になったお兄ちゃんを見つけて妹は笑っているが、その兄は死にかけていて怪物に憑依されている。

 火野映司は、放っておけない。

 それは、ハードボイルドとは違う。
 しかし、確実に、これも正義の在り方。

 放っておけない。

 それは、まだ愛ではないが、ほとんどそこへ至る母乳だ。

 この時代には、もっとも欲される正義でもある。
 困っている隣人に、手をさしのべて力を貸すという、ヒーロー。

 ……正直に言おう。
 仮面ライダー生誕40周年が来年来る。
 『オーズ』は、そこへの布石だと見る。
 私は、希望的観測も込めて、生誕40周年記念ライダーは、アマゾンへの回帰だと信じている。しかし、その前年に、宿無しの風来坊が主人公になってしまった。流れ者が二年連続で主人公などありえるだろうか? それとも、生誕40周年記念ライダーは、私の希望を裏切って、ジャンボとかスカイとか、そういう系譜なのだろうか。宇宙へ行くのか。ブレードランナー張りの、近未来モノかも。
 正直に言う。
 『オーズ』が大化けすると、私は思っていない。
 あまりにも堅実な作り。
 これもひとつの集大成ではある。

 あかるく、たのしく、はげしく。

 それは全日本プロレスの合い言葉だが。
 仮面ライダーも、記念の年の前に、完成度を見せつけるつもりなのだろう。
 メインユーザーの子供はぜったいによろこぶ多フォーム変身。
 同人界では生身がふたりいればエロであり、妹までついてくればおなかいっぱい。
 最初から敵は明白、目的はメダル集め。

 欲のない主人公が、欲望をエサに育つ悪を討つ。

 語るべきことはあまりない。
 これが正義だ。
 これが仮面ライダーだ。
 バイクは今回、あまりかっこよくないが、電車や、下駄や、助手の運転する車に同乗なんていうのまでいた平成ライダーたちを思えば、当たり前にバイクに乗っている安心感である。

 昨年は、碇ゲンドウが叫ぶという新機軸とあいまり、初の夏に初回を迎えるライダーだったため、例年なら年明けの終了を見越して仮面ライダーグッズは処分に入る時期のクリスマス、オモチャ売り場に変身ベルトは姿がなく、ネット上では法外な転売価格が……
 
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『仮面ライダーW変身ベルトの代替案』の話。
 
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 と、いうわけで。
 安心のスタッフで安心の物語、良いプロレスを観るようにたのしめばよい『オーズ』だと思われるのですが、肝に銘じなければならないことが、ひとつ。

 今年は、宇宙刑事シャリバンが歌うベルト。



(もっと代表作はあるのだろうけれど、私にとってはこれ。新聞のテレビ欄を見て、自分でテレビのチャンネルを変えて、正座してヒーローの活躍を観る幼児から小児に成長した時期が、ギャバンからシャリバンへの移行期に重なっていて、この主題歌は忘れられない。宇宙刑事ギャバンが永遠に続くと信じていたのに、新しい宇宙刑事が新しい主題歌で現れて、戸惑って……でも、若さってナンだっ、というようなギャバンの歌詞よりも、男! と叫ぶシャリバンの歌詞のほうが、身に馴染む自分にまた戸惑った……週一のあのハスキーな歌声が響く短い時間こそまさに、私の男性性が、育まれていた刹那だった)

 まだ夏の暑さも抜けきらぬ、いまのうちにクリスマスプレゼントは確保しておくのが夏はじまりになった二年目の仮面ライダーお父さんの作法ではないかと。
 ……すでに定価越えて売っているやからもおります。
 バンダイさんには、クリスマスの主役としての自覚と責任を持って、不眠不休で仮面ライダーの新しい歴史を作ってもらいたい、今年こそなのでした。

KAMENRiderOOO
KAMENRiderOOO

 話があちこち行きましたが、最後に、ものすごく期待していることを。
 今回の能力コンボで変身スタイルが決まるというシステムで、緑色メダルの「昆虫」という区分があり、初回放送からその昆虫が「バッタ」と「カマキリ」。
 そこはもうぜひ一度、三枚とも緑メダルで変身するシーンを描いて欲しい。
 できるだけシンプルな造形で。

「トノサマバッタ・イナゴ・キリギリス!!」

 で変身してください、一回でいい。
 私、仮面ライダーシンのフィギュアを書斎に飾っています。
 仮面ライダーは、やっぱり虫。
 髑髏虫が石森章太郎デザインの原点。
 とにかくせっかくのフォームチェンジ、きれいに組み立てて欲しい。
 赤いタカのアタマ、あんまり好みじゃないです……
 早く昆虫がヘッドにならないかなあ。

 などと楽しみにしている時点で、
 オーズの術中に、すでにはまってはいるのです(笑)。
 

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