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『ヒトとは想うサル』の話。



 イヌから見れば、人間は精神ではなく自分が従う権力だ。人間の行動はイヌには意味がない。なぜなら、人間の思考をイヌは理解できないからだ。一方、わたしたちは神を──神が存在するとしてだが──知性として知覚できない。なぜなら、神の思考は複雑すぎて人間には理解できないからだ。結局、わたしたちの目に神はカオスと映る。それゆえ、神は地元のサッカークラブを勝利に導くことも、戦争を防ぐこともできないのだ。神は、人間の理解を遙かに超えた存在だ。では超人である神は、人間を知性体として知覚できるのだろうか。結局、わたしたちはシャーレの中の実験なのかもしれない……


フランク・シェッツィング 『深海のYrr(イール)』

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 人間は知性体なのか、という問題では、ない。

 おなじようにいえば、イヌは、イヌ同士で互いのケツの穴の匂いを嗅ぎあうことによって、人間には想像だにできない恍惚を味わっているのかもしれず、そのために嗅覚を発達させ、匂いですべてわかるから言語を獲得しようとも思わなかっただけで、実は、ややこしく進化した人間よりも、ずっとスマートで知的な哺乳類なのかもしれない。

 ロバート・J・ソウヤーは、ネアンデルタール・パララックス三部作で、現生人類に滅ぼされたとされるネアンデルタール人がホモ・サピエンスのかわりに繁栄した並列世界を描いた。争いを嫌うがためにこの世界では狩られてしまったネアンデルタールが、私たちのかわりに進化していたなら、この世はずっと素敵なところになると、ヒロインは思って毛むくじゃらのネアンデルタールに恋をするし、ソウヤーの説に、読者の大半も共感する。

hominids

humans

hybrids

 京都の大霊長類研究所が、このほど、ボノボの認知機能を専門に調べる研究チームを発足させた。日本で、ボノボを飼育しながら研究するのは、初の試みである。

 ソウヤーが、ネアンデルタールを描くときに、ボノボの生態を参考にしたのはあきらかだ。
 ボノボは、セックスを社交につかうことで有名である。
 繁殖のためではなく性器をいじくりあって、争わないために、家族であり、愛する相手にしてしまうのだ。
 当然の帰結として、ボノボの社会は女性上位。
 まさしく、よしながふみの『大奥』のようなことになっているのだった。

大奥

 ボノボには知性がある。
 しかし、ボノボは道具を使わない。
 ホモ・サピエンスと共通の祖先をもつ猿の進化形としては、チンパンジーも同程度の知性を持つが、チンパンジーは道具を使うし、男上位であり、父親という存在が特定できないほどの乱交をおこなうことでも知られるように、セックスは繁殖のためのものである。男同士の中での順位がはっきりと決められるため、下っ端は女を独占され、チンパンジー社会では、多くのダメな男がオナニーをおぼえるが、そんなもので気がまぎれるはずもなく、合意をともなわないレイプによる妊娠も多々存在する。が、もともとだれの子も父親がだれだかわからない社会なので、それ自体が憎しみや嫉妬の火種になることはない。

 私たちはセックスを社交につかうし、道具もつかうが、多くの民族では一夫一婦制がしかれているし、争いがないなどとお世辞にもいえたものではない社会を形成している。ボノボのように自分の好みに関係なく「やって」と性器をさらす勇気はないし、チンパンジーのように好ましい相手にはとりあえず抱き抱かれながら、だれの子ともしれない子を産んで平穏に生きられる心の広さも持ちあわせてはいない。

 知性は間違いなくあると自負しているが、他人をねたむよりも愛してしまえと思うことはむずかしいし、だれかれかまわず肉体的接触をともなう愛をふりまいていては、家族よりも敵が増える。あまり、頭のよい進化をしたとは、思えない気もするが、チンパンジーよりも、ボノボよりも、ヒトはすぐれているということになっている。

 ところで、インドネシアにフローレスという小島がある。
 ガラパゴス諸島の特殊進化にならぶ、大陸から離れながら多様な生物が生息していた、神の実験室のひとつだ。そこには小型化したゾウや、大型化したネズミなど、私たち(いや、まあ、日本人も実験室育ちではあるのだが)にとっては、奇妙な哺乳類も多くいた。

 その島で、ほんの一万年ほどまで生きていた人類の骨が見つかったのは数年前。ホモ・フロレシエンシスと名づけられた彼女は、しかし本当にヒトの新種なのかと、今日も議論が繰り返されている。実に独特なのである。フロシエンシスというのが言いにくいので、みんなはホビットと呼ぶ。なぜなら小さいからだ。孤島で暮らすヒトらしく、土踏まずもない足で、がっしりした身体。たぶん四本足で走ったりもしていただろう。すばやい戦士は小さいとプロレスのルールで決まっているわけだが、彼女の小さいのは身体だけではない。
 脳が小さい。
 カップ二杯ほど。
 400CC。
 小さすぎるのだ。
 彼女は110センチで30キロ。
 その体格でヒトならば、1リットルは軽く越える程度の脳の大きさがなくてはならないはずだが、カップ二杯ではサルに近い。500CCを越えてやっと猿人と呼ばれるのに、現生人類のすぐ直前に暮らしていたはずの彼女の脳がそんなのなんて、おかしな話だ。孤島だとはいえ、特殊進化で脳が縮むなんて、しろうとでも首をかしげてしまう。だいたい、その脳の体積、容量不足のはずの記憶装置を搭載しているにもかかわらず、島にはヒトが道具を使って狩りをし、火を使って肉を焼いていた跡があるのだった。

 というわけで。
 ホビットという愛称は、彼女がファンタジー世界の小人のような存在ではないのかと疑う視線からのものでもある。島で小型のヒトが進化したのではなく、たんに見つかった女性の骨が、脳の矮小化した発育不全な奇形なのではないか、私たちはそれを見つけて、小さな人類が島で生まれたと幻想を抱いているだけではないのか。

 これに対し、もっとファンタジー的な思考を披露するヒトもいる。いわく「彼女は進化を逆行したのではなく、実はまだ見つかっていないだけで、私たち現生人類に至った道筋とは別のルートで進化したヒトがいたのではないか」というものだ。つまりは、チンパンジー程度の脳の大きさのままで、身体だけが少し大きくなった、私たちの知らない原人が存在する可能性である。そもそも、チンパンジーはカップ二杯ほどの脳で道具を使うし、オスの順位が決まっているということは、立派な社会を成り立たせているということでもある。古い王を倒せば新しいチャンピオンになってメスの尊敬を勝ち得るだなんて、エンタメ作家の才能さえあると思えるくらいのものである。そんな彼らが、孤島で、大型化したネズミを狩るのに、身体だけ大きく進化させたというのは、説得力がなくもない。チンパンジーは、オスもメスも、それなりに幸せな進化の終着点にたどりついたと感じているからこそ、いまでもチンパンジーでいる一派が存在するのだろうから。脳を大きくすれば悩みが増えるのは事実。元気な身体でだれとでも愛しあって脳は小さめで、というのは、なるほど平和な社会が実現できそうな気もする。

 話は変わるが、私のツイッターから転載。

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このあいだのウェヴブックオフ買取結果。本16点¥459+コミック13点¥665=合計29点¥1,124。で……お値段がつかなかった商品76点=¥0……少女小説たち、スマイル価格。
Mar 18th

ブックオフオンラインから金券が500円ぶん送られてきた。キャンペーン中だったらしい…が、近所にリアル店舗がない(WEBでは使えませんとか書いてあるのだった)…むう。
Mar 23rd

先日、ウェヴで本を売ったらおまけでついてきた(実店舗でしか使えない)500円の金券を使うため宝塚のブックオフまで走る。
Apr 10th

105円棚からごっそりと抜き、叩き売られていた『バイオハザード5』に手を出し、レジっ娘に「500円引きまして~」と告げられた金額はもちろん売った額の何倍もなわけで。ガソリン代もかかっているわけで。まあ、ブックオフの思うつぼね(笑)
Apr 10th


twitter / Yoshinogi

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 Twitterのえらいところで、そういうことを書いていたらブックオフオンラインさんからフォローされたうえ、直接あやまってもらったのですが(笑)。いえいえ、確かにこんなことがなければ、私はグーグルマップでブックオフを検索することもなく、わざわざ遠くの古本屋に足を運ぶこともなく、そこで出逢った本にもゲームにも出逢わず、私は得られた影響を得られなかったということで。感謝です。

(それにしても『BIOHAZRD 5』。XboxLiveで配信していた体験版、なぜあんなおもしろくないところをあえて配信していたんだ? あれでスルーしたのに。そこを除けば、実に良い出来のゲームだった。確かに海外で、白人が黒人を狩る図式はいかがなものかと言われた部分は否定できないが、実際、砂漠と海の広がる光降り注ぐアフリカでこそ、人類を脅かすような他種の進化はおきそうで怖い)

BIOHAZRD5

 はじめていく店だった。
 バイクで行った。
 私のバイクは燃料計さえないくらいアナログなので、むろんナビなんてものはついていない。リュックに地図もない。ただ、携帯に、パソコンからメールを送っておいた。
 最後の部分を転載する。

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 うどんそばを左。
 緑化を右。

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 Googleマップ(google local)で、実際に道路を撮った写真から構成される仮想の宝塚を走ったのである。携帯に送ったのは、曲がり角にある、大きく目立つ看板。交差点の名前を書くより、見間違えようもないうどん屋の看板で曲がるとおぼえておいたほうが、間違いはない。
 かくして、私は無事にリアルブックオフに到着した。

『Googleマップ』

 私のパソコンにはGoogle Earthもインストールしてある。海外小説好きなのだが、舞台の位置関係がよくわからなくて実感のわかないとき、仮想の地球儀としてのグーグルアースは、非常にありがたい。特に、フライトシミュレータ機能で、道をなぞると、砂漠や海の広大さを実感することができる。そういうことをやっていると、ふと、思う瞬間があったりもする。

「これ、無人島だよなあ」

 Googleの地球儀を構成しているのは、衛星写真であり、現地にヒトがいようがいまいが関係ない。あらゆる場所の風景が目にできるわけで、政治判断によっていくつかの場所では「恐れ入りますがこの地域の詳細は表示できません」と表示されるものの、はっきりとミサイル施設なんかが見てとれるくらいには接近できるため、あの国やその国を覗いて見たヒトは多いはずだ。

 そんな国々を覗くのもドキドキするが、無人島を拡大していくのは、もっとドキドキする。

「なにかあったらどうしよう」

 たとえば、遺跡とか。
 砂漠の真ん中に、謎の黒い影とか。
 中国の山の中には、我々とは異なる進化を遂げた巨大人類が生息しているというのは、水曜スペシャルで育った世代には、おとぎ話でもなんでもない。あの当時も、きっとNASAは衛星写真でとっくに信じがたく巨大な階段がある都市を中国の奥地で発見しているのに、なぜ公表しないのかと思ったものだった。

 むろん、いま、私は、アメリカでUFO工場を探している。
 書斎で衛星写真の地球儀が拡大できる時代になってしまったのだ。だからこそ、幻想は実在するのだと探すのである。
 そういう無為な科学技術の使い方をしている私のような者たちが多くいる一方、真剣に、その可能性を検討し、行使し、発見に至った例が、このほどサイエンス誌に発表された。

『University of the Witwatersrand, Johannesburg, HOMINID』 

 Googleの衛星写真から、光の反射を測定し、未知の洞窟を特定。そこにおもむいて、新種の猿人化石を発見したという。
 それはまさに「なんで衛星で観察できるのにNASAは地上の秘密の場所をなにひとつ発見しないのか、いや発見しているのに発表していないだけに違いない」と憤っていた、二十世紀少年だった私の夢を、現実とするものである。そうさ、洞窟くらいみつけられなくちゃ嘘だ。地上絵には、新たな解釈が与えられなければ嘘だ。バミューダトライアングルがガスだなんて嘘だ、じっと見ていれば怪物が姿を現すに違いないんだ!!

 ともあれ。
 南アフリカの洞窟で見つかったのは、若い成人女性とひとけた年齢の少年。どちらも30キロ身長130センチほど……おお! 成人女性なのに小さい。脳はどうなのか。いや、分類としては、彼らは猿人だという。腕が長めで、やっと二本足で歩き回るかどうかというところ。発見チームは現生人類への直系だと匂わせる発言をしているが、反論も多い。しかしまあ、そんなことはともかく、それがすごい発見であることには間違いはない。お姉ちゃんと弟だろうか。それとも赤の他人? ふたりは、地下の洞窟にいっしょに転落して逝き、そのまま化石になったと見られている。洞窟の底には、サーベルタイガーの骨もあったらしい。サーベルタイガー! わお! なぜにそんな危険な洞窟に子供を連れて小さな女性が? 想像のふくらむ話だ。

 彼らは、アウストラロピテクス・セディバと名づけられた。ちなみにセディバとは南アフリカのソト語で「泉」を意味する。Twitter上では現在、#SedibaChildというハッシュで議論を検索できる。

 いま、骨格から復元模型が造られているという。
 ホモ・フロレシエンシスは、脳は小さいし扁平足だが原人で、復元模型は日本で造られたが、見るからにちっちゃいおばちゃんである。セディバは、どうなのだろうか。猿人に分類されるが、これも発見チームによると「あまりにも人間らしいセディバに、きっと多くの人々が驚くことだろう」という。

 ヒトは、どこからヒトなのだろうか。
 脳の大きさ、知性、社会性。欲しいものをとりあって争わないこと、が条件だとすれば、私たちはボノボに劣る。
 樹の上で暮らしていたサルが地上に降り、サーベルタイガーの棲む穴に二本足で落ちて死んだのを、近所の古本屋を探すこともできるコンピュータソフトで大発見。私は、その発見について興奮しながらこれを書き、息抜きにそのアフリカで発生したゾンビを撃ち殺すゲームに興じている。

 『深海のYrr(イール)』で、こんなことを知った。

 クジラは水を必要とする。
 
 当たり前だが、哺乳類だから。真水がいるのだそうだ。おかしな話だが、クジラにとっては文字通りの死活問題なのだ。母なる水の世界、海で生きる道を選んだのに、水に浮きながら、飲み水がなくて死ぬことさえあるのだという。クジラは、塩分のない水を摂取するために、そのほとんどが水分であるクラゲを食べ続けなくてはならない。
 水のなかで、クジラは、ごくごくと水を飲んだことがないのだ。

 おとぎ話のようだと思う。
 こんなにヒトにあふれている世界で、想いに飢えて死ぬ人もいる。不思議だが、きっとその人は、探そうとしなかったのだと私は思う。ヒトをヒトたらしめるのは、想うことであり、それがなければ、私たちはただのサルにも劣る。
 望んで脳を大きくしたのに、その大容量を悩むことにつかうなんてバカげてる。
 ファンタジーで、興奮できるゲームで、容量足りねえよもっと必要だよ、と神に愚痴れるくらいにいっぱいにして、次のオモチャで遊ぶんだ。

 べつに、サルがどこでヒトになろうが、知ったこっちゃない。
 ヒマだから、科学の発達で、うちにいながらにして砂漠を散歩したりできるようになったから、思いついた新しい遊びに過ぎない。

 けれど、私たちは、それで、できている。

「どうして、あいつらは、石を削って尖らせたので、サーベルタイガーを殺さないのかねえ?」

 でも、たぶん、尖った武器になる石ができたのは、偶然だ。
 だれかがヒマで、手もとには石しかなくて、遊んでいたら割れたのだ。
 それが、刃物につかえると気がつくのは、また別の話。

 ヒトとサルの違いをあきらかにして、その先で、私たちはなにかを得るのか、得ないのか。
 私たちはシャーレの中の実験体だ。
 私たちは神を理解できない。
 理解できないなら、イヌのように。
 自分の悦びを追求するべきなのである。

 次になにをしたい?
 どう生きたい? 
 ヒトは、終着点ではない。

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「人間は自然の進化の過程で必然的に生まれたのではないわ。人間は偶然の産物なのよ。巨大隕石が地球に衝突して、恐竜を絶滅させてくれた結果、運よく誕生できた。そうでなければ今頃は、知性を持った新恐竜がこの惑星に住んでいる。あるいは、単に動物だけかもしれない。人間が誕生したのは自然の恩恵を受けたからであって、絶対的な意味があったからではない。人間の誕生は、カンブリア紀に多細胞生物が初めて登場してからの、何百万という進化の道筋のたった一つでしかないのよ」


フランク・シェッツィング 『深海のYrr(イール)』

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Yrr

Yrr

Yrr

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