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『この四日間』のこと。



 祖母が逝った。
 激しく、思いこみ、自分を止められない人だった。
 しかもそれを芸術や娯楽に向けることはなく、すべて生身の人にぶつける。
 敵も多かった。
 しかし、子供かと思うくらいに、可愛い人でもあった。

 本人曰く、「無理やり結婚させられた」夫。
 でもだれがどう見ても、そのあとを追って逝った。
 孫の私にも、よくわからない。
 でも、私は私のあきらかに彼女の血を受け継いだ、思いこんで好きだの嫌いだの言ってしまう癖を、なおそうとは思わなくなった。

 愛したモノにヒトに愛していると言う。
 嫌いなのにもそう言う。
 いやおれこう思うんだけどと思いこむ。

 問題もいっぱい起きるんだが、あの彼女みたいに逝くのが良い。
 だって彼女は、けっきょく醒めずに逝った。
 まわりはずいぶんと迷惑したところもあるのだけれど、まああれはああいう女で、小細工なしに勢いだけで走りきっちまったなあ、と。その残滓として、たくさんの家族や仲間も生まれているわけだもんなあ、と。
 それはそれで、逝ってしまえば、まさしくビッグマザー。
 すなおに、ありがとうと言える。
 彼女の血による突っ走る癖がなければ、いまの私のまわりの家族も仕事も人間関係も、まったく違ったものになっていたどころか、構築されなかった可能性も高い。

 通夜、彼女の遺体の前で、孫の長である私は、彼女の息子三人に説教をされまくった。無尽蔵に酒を飲む一族なので、こっちがすでにひとりで数本の空瓶をテーブルに並べるまでになっていても関係なく、ヤカンで燗した酒を湯飲みで私に差し出して、ありがたいような話を延々と続け、三人三様に吠え、泣いている。歳のせいもあるだろうし、日頃から夜更かしなせいもあるだろう。親戚を含め寝ずの番をすると決めた屈強な男ども全員が雑魚寝をはじめたなかで、私はワインをボトルで直接飲みながら、でも酔えなくて、親父たちのように泣きもせず、のぼってくる朝陽を窓の外に見ながら、おばあちゃんの線香をとりかえていた。

 あたりまえのこととして、ヒトは死ぬ。

 関西方面に住んでおられるかたは新聞で読んだかもしれないが、その通夜の日、大阪の薬局から火が出て、80歳の女性が逝った。あろうことか、それは私の義妹の祖母である。私といっしょに通夜に到着した弟は、遅れて着くはずだった妻からの電話を受けて、検死に立ち会うために、とんぼ返りした。あまりのことに、弟と私は首をかしげて苦笑いを交わしたくらいだ。なにやっての、神? 帰りの高速で弟が事故ることのほうが自然に思えて、あんまり言ったこともない「気をつけて帰れよ」なんていうセリフをなんども口にした。その後の四日間は、ちょっとしたパニックだった。ヒトが死ぬというのは、病院で死のうが、炎に包まれてであろうが、大変なことだ。当たり前のことなのに、当たり前だけれど、大変なことなのだ。

 いつかは死ぬ、ということを思うよりも。
 いま生きている、ということを、朝陽のなかで考えた。
 さすがに酔いはじめていたし前日も徹夜で眠かったので、かなりナチュラルハイな状態になっていたのであろう。なんだか、ものすごく強烈に、この四日間で、その瞬間の記憶だけが残っている。

 彼女の棺桶に、
「愛してる。ありがとう」
 と書いて入れた。

 とりかえている線香には、あまり意味がないような気もした。
 死体は、死体であって、私が言葉を向けたのは、その肉に対してではない。
 彼女の、彼女でありつづけた日々に向けて。
 愛情を感じるし、感謝を感じた。
 彼女の気性を受け継いだのは、遺伝子のせいであって、彼女自身がどんな生き方をしたって、その遺伝子に変異が起こるわけではない……というのは真実だろうか……キリンの首がのびたのは、高い木の葉を食べるためだというが、ちょっと首の長いオスとメスを何代か交配したところで、あんなに首がのびるものか? きっとキリンの精子に、卵子に、子供のころからずっと願ってきたこと、その生き様が、刻まれてしまうのに違いない。

「もっと吠えてくよ、おれ」

 言って、飲むのをやめた。
 二時間ほど寝た。
 起きたら、彼女は骨になった。
 人工の心臓弁と関節が、サイボーグのように焼け残った。
 あれは良い。
 火葬は、残された者に、故人の無になったことを知らせるが、そこにチタニウムのパーツなどが残っていると、ほとんど壊れた機械と変わらない。魂というものが在るにせよ無いにせよ、ともかく、肉体は機械だ。オイルを注し、パーツ交換したところで、100万キロ走るバイクはない。走ったぶんだけガタが来て、いつか走ることは不可能になる。感染症などというのは、最終的にどこがダメになったかという一例であり、そこを避けても、きっと限界は近かった。いもうとのおばあちゃんも、警察の見解では台所で服に火がついて、風呂場でシャワーを浴びながら逝ったということだが、それにしたって一例。かたちはどうあれ、走りきって、ゴールしたのだ。ナイスラン。見事なカーブへの攻めっぷりだった。いくつものカーブで、彼女たちは転倒しなかったし、独自の走法まであみ出して、走れるだけの距離を、その後も駆け抜けたのである。

 そこまで行こうと思う。
 できるだけメンテしつつ。
 でも、タイヤがすり減るからと、スピードを落とすのは間違っている。
 そもそも、走るための機械なのだ。

 魂があるから、動いている機械なのだろうか。

 私が朝陽のなかで考えたのは、そういうことだった。
 「無理やり結婚させられた」夫を、死ぬほど愛する魂は。
 作動する機械のうちで生まれたのではないのかと。
 どんなオスとメスも、欲望と衝動がまずありき、そのあとに。
 在るならば、愛とかいうやつが紡ぎ出されてくる。

 だとしたら。

 私のあしたの魂は、あした、まず動くことからしか生まれない。
 どう動くかを考えることは無意味である。
 ただ欲望に、衝動にしたがって、機械の本能で動き走る。
 そうしたら、その夜更けか、朝陽の、のぼるころ。
 魂が、ちょっとだけ、育って。
 なにかをちょっとだけ考えたりするかもしれない。
 うん、あれは好きだった、とか。
 愛とかも。

 この四日間。
 いくつかの死に、出逢って、生き様を見た。
 まだ私の筋肉は動く。
 冷えて動かなくなるまでには、いくつかのひどいカーブを攻めながら曲がれるだろうし、なにかを変形させたり、少しは、どこかでだれかのなぐさめになるものも生みだせるかもしれない。

 おばあちゃん。
 じっと見られると恥ずかしい行為もいっぱいの日常なので、
 まあ、視界の隅のほうで見ておいて。
 それでも気になってしかたないくらいに、手足ふりまわして生きていく。
 動くうちに、まだ知らない色の魂も沸いてくるだろうか。
 それは、とても、たのしみだ。

 というわけで。
 日常にもどってきた。
 私は私で変わらない。

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