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『ぼくは肉になりたい』の話。



 テレグラフ紙のサイトをさまよっていて、こんな記事を読んだ。

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The Daily Telegraph公式サイト『Meat grown in laboratory in world first』

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 要約すれば「オランダの研究チームが世界初の人造食肉の培養に成功」という記事である。成功、とか言われても、どうもぴんとこないのは、おそらくあなたの身近に菜食主義者がいないからだ。ちなみに、この記事にたどり着いた私も「vegetarian」で検索をかけたから、そこにたどり着いたのである。

 私の家にはときどき、肉が食べられない客人が来る。

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『肉なし餃子を冷凍庫に詰め込む』の話。

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 彼女にシソぺぺロンを唐辛子たっぷり、ニンニクたっぷりで出しても、平気で食べる。私のなかでは、オイルとニンニクで炒めた麺よりも、たとえばスープスパのような調理のほうがあっさりとしているように思えるが、もちろんスープというものはほとんどの場合、動物の肉だの骨だのを煮込んで作るわけで、そこが問題なのである。味があっさりしているとか、そういう問題ではない。そもそも、彼女が拒絶するのは、味ではないのだ。

 べつに、痩せようとか健康になろうとか、そういうことを思って肉を食べないようになったわけではなく、正確に言えば、彼女は生粋のベジタリアンではない。以前は、ラーメンが食べられたという。しかし、あるとき、それが死んだニワトリを煮込んだ汁だと気づいたときから、食べられなくなった。いまでも牛乳は飲める。でも卵は、それがヒヨコだと思うとそのままでは食べられない。デザートのケーキは平気だ。たとえスポンジにたっぷりバターと卵が使ってあっても。

 いわゆる、とんねるずの『食わず嫌い王決定戦』で、うなぎの蒲焼きの裏側がびろびろしていて食べられない人がいっぱい出てくる、そういう感覚のちょっと大げさなものなんだろう。

 冒頭の記事のなかで、ふたつの団体が声明を発表している。

○動物愛護団体
「その肉が、死んでいる動物の一片から造られたのならば、私たちには、どんな倫理的異論もない」

○ベジタリアン団体
「だからといって、その肉が虐殺された動物のものではなく、人工のものだと、どうやって証明するのです? ラベルなどでは、信用できません」

 確かに、そこでは、生きた動物は一匹も死んでいないのだから、だれも気に病む必要はないわけだ。動物愛護団体がこだわっているのは「それでも培養するために最初の一片は必要なのだろう、それはどこから持ってくるんだ?」ということだが、それはスーパーでパックの肉を買ってくれば済むことである。コメントを求められたから、無理やり発言しているが、彼らもその豚ミンチ一パックで来年から一頭もブタを殺さずにすむとなれば、目くじらを立てたりはしないはずだ。

 菜食主義者の観点は、なかなか興味深い。確かに私もそれを怖れる。私が、人工肉だから平気だよと言って出した料理を食べた、その肉が、あとになって「実は屠殺された本物の豚の肉がまじっていた」と判明したら。彼女は私を睨むどころではおさまらない。その先の人生、屍体を食べてしまったという悪夢に、毎夜うなされることになるのである。その危険性を考えれば、まさに「食べても見分けがつかない」ことこそが大問題になる。菜食主義者にとっては、いっそ「人造肉は青白く発光する」とか、それくらい明確にニセモノヅラをしていてくれたほうが、ありがたいのだ。

 そこをつきつめていくと、大地には死体がいっぱい埋まっているんだから、畑でとれる野菜だって、あらゆる動物のエキスを吸って育っているんじゃないか、ということになるのだけれども、そこはそれ。あくまで菜食主義者団体が懸念しているのは「ラベルごときではなく、間違いなく人工の肉だと私たちに証明する方法があるのか」という点である。
 研究チームが今回作った肉は、べちゃっとした傷んだミンチみたいなものらしく、到底ステーキにはなりえないものだそうで、だとしたら、わざわざそんなものを食べなくたって……と思うところ。しかして、それは古来からヒトが神の領分に手を出すときに、いつも言っていることでもある。

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「少なくとも、今の技術の延長の上で考える限り、労多くして益少なし、という感じがします。多少お粗末な女の子でも、本物の人間の方が安上がりで性能も良いと思いますが」


石川英輔 『プロジェクト・ゼロ』

PZ

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 などといいながら、けっきょく、ヒトは、できることはやってしまう。べしゃっとした肉も、ならばということで、ソーセージなどの加工肉であれば五年で商品化できるレベルまでいくだろう、と具体的な時期まで言及されていたりする。人造コールガール同様、味や見た目がいまいちでも、発売されたとすれば、それを生きているうちに味わってみたいと思う物好きは、一定数あらわれるに違いない。いまの段階では、ブタを育てたほうが早いし安い。でも、だからといって未来もそうだとは限らない。

 ソーセージでは、なおさらのことベジタリアンの言うことはもっともだ。
 香辛料をきかせてしまえば、味の問題はほとんど食感だけのことになる。見た目は加工しているのだから関係ない。べしゃっとしているなら、凝固剤を混ぜればいいだけのこと。並べた二本の、どちらかが人工肉であるかどうかなんて、証明しようがない。ラベルも信用できないとなれば、目の前で造ってみせるしかないけれど、そもそもこの研究自体が、動物を育てずにいかに食肉を大量生産するか、という方向からのものなのであって、工場で作られる食品の安全性がどうとかいう問題は、先の餃子パニックでも顕著なように、最終的には「無条件で信用する」か「完全に拒絶」するかしかない。
 となれば。

 菜食主義者たちは、悩まず拒絶を選ぶだろう。

 彼らが、安心して人工肉を口にできる機会が、将来的に現れる可能性はある。人類が地球化された他の惑星へ移住し、そこには一頭の豚も連れてこなかったと確信できる状況。そこでは、工場生産された人造食肉こそが唯一の肉なのであり、第二世代においては、食肉のイヴが生きた動物かどうか、考えることさえなくなっているはずだ。おそらく、その世界で肉は野菜同様「栽培する」ものであり、だとしたら、菜食主義という定義自体が、なくなっていくこともありうる。

 現代の菜食主義者たちは、工場のなかでなにがおこなわれているかなんて私たちにはわからないんだから……だから信用できないと主張する。しかし、本当にこの人造食肉が普及しはじめたなら、滅菌状態の工場で、密閉された容器のなかでゼロから培養した肉のほうが、土で育った野菜よりも「なにも殺していない」のはあきらかであり、そのときにはおそらく、大部分の人たちが「工場で作っていないものなんて危険だ」という考えに推移していることだろう。だって未来はいまより、もっと空も海も、土も汚れているはずだから。敏感な人たちこそ、シャーレで培養した食品を求めるに違いない。

 いつか、レプリケーターは実現する。 

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『Halo3ベータテストと仮想うつつ』の話。

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 目の前で、大気から合成される食品は、安全である。

 ところで。
 培養食肉が、食卓に並ぶようになったとして。
 単純に思うんだが。

 いま、彼女が肉を食べないのは、

「自分とおなじ動物を殺してまで食べたくないから」

 だとしたら。
 食べるものすべてが、培養された食品になったとき、私たちは。

「自分のカラダは培養されたものの集合体」

 だと、意識するようには、ならないだろうか。
 私は、なる、気がする。
 するのは、もうすでに殺戮の世紀を生きて育ってきたせいか。
 将来的な世代は、もっと無関心になっているのだろうか。

 五年後に人造肉のソーセージをスーパーで見たとき、きっと私は、ロボット売春婦の開発者が、実験をするたびに本物の女性の肌を心底欲してしまったごとく、本物の肉をむしょうに食べたくなる。人造食肉が市場ベースにのれば、過激な動物愛護団体以外でも、だったらなぜ殺すために育てる必要があるのだ、という議論は出るだろうし、マクドナルドはよろこんでノーキルマークを看板にでかでかと掲げるようになるはずだ。本物の肉は、限りなく希少で高価なものになっていく。

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Paintings are too hard.
The things I want to show are mechanical.
Machines have less problems.
I'd like to be a machine.

(絵を描くのはとてもしんどい。
 だからぼくは機械的に魅せたいんだ。
 機械には問題が少ないからね。
 ぼくは機械になりたい。)


 アンディ・ウォーホル

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 ウォーホルがすすめたアートの工場生産という手法は、ポップと呼ばれる一時代を築いて、かえって「感情は与えられるモノの側にではなく自分たちの側にある」ということを再認識させた。画一化された工場製のアイテムを、あえてデコってみたり、汚してみたり。それは、茶碗をあえて欠けさせて愉しんだ、日本のわびさびとかいう屁理屈に回帰さえしている。隣の席のヒトと、同じケータイを持っていることで、自分の個性が消されたように感じることはある。だとしたら、工場製のまったく画一的な人造食肉を世界中のヒトが食べているという未来で、私たちは冷静でいられるものか?

 最終的には、私はこっそりと狩るだろう。
 自分が培養された、つまらない生き物ではないと証明するために。
 そのときでも、犬や猫はまだいるだろうか。
 人は、動物の死に耐えられず、ロボを飼うようになっているかもしれない。
 視床カードを使えば、死なないペットどころか、恋人だって持てる。
 人口減? 子供なんてシャーレで培養すればいい。

 ……さて。
 ヒトってなんのために生まれて生きているのだろう。
 人造肉。
 いや、すごい響きだと、思う。
 食うための動物が生まずにすむのなら。
 食うがわの動物だって、いらなくねえ?

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