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『シュレーディンガーの猫』のこと。



いまあなたが死んだ状態のユウを視れば、
ユウの死は確実なものになってしまう。

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 TVアニメ 『ノエイン もうひとりの君へ』

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 エルヴィン・シュレーディンガーは、1933年にノーベル物理学賞を受賞したオーストリアの理論物理学者。受賞理由は新形式の原子理論の発見であるが、ノーベル賞受賞者の名前になど興味のない人々にまで彼の名がおぼえられているのは彼の名を冠すシュレーディンガー方程式の存在よりも、彼の打ち立てた「シュレーディンガーの猫」という小さな説の存在があるからといって間違いはない。

 このあいだの記事を読んだ友人に、シュレーディンガーの猫ってなんだっけと聞かれて、私は説明しようとしたのだが細かいことが思い出せず「ほら、あの『街』に出てきた」としか答えられず(しかも友人は『街』という名作ゲームをプレイしていなかった)悔しかったので家に帰って調べなおした。という出来事があり、せっかくなのでそれについて書く。

 とりあえず、特撮『人造人間キカイダー』と『弟切草』『かまいたちの夜』を生んだ長坂秀佳が原作・監修をつとめるゲーム界というよりも小説界の金字塔、サウンドノベルの代名詞とも呼べるゲーム『街』の話から。『街』は、登場人物400人、実写6000枚を使って渋谷の街で繰り広げられる人間模様を「読ませる」ゲームである。いくつもの物語が交錯してタイトル通り『街』を形作るという壮大な「主人公100人構想」の第一弾だったが、いかんせん発売元のチュンソフトがドワンゴの子会社になるわセガに販売委託業務提携してしまうわで、知名度のある『かまいたちの夜』や『風来のシレン』シリーズの陰に隠れ、資金力の必要な『街2』の制作に至っていない。もちろん同じサウンドノベルでありながら『かまいたちの夜2』とは違い実写映像を用いたことで、続編の主要な登場人物の一人、窪塚洋介にいろいろあったりするともうどうしようもないといったようなこともあり、ぶっちゃけ「一作8人で100人を描こうと思ったら一作一年でも十二年かかるのに、チュンソフトは役者は歳をとらないとでも思っているのだろうか?」と当時から懸念していたことが現実に『街2』の制作を遅らせていることは非常に残念である。様々な伏線を張ったまま放置されているわけで、読者の存在を忘れないで欲しいものだよ長坂秀佳と中村光一。『街2』以降で語られる予定だったのに違いない「透明な少女」のことが気にかかって夜も眠れません。

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 私がプレイしたのはセガサターン板だが、その後、PSとPSPに移植、PSでは廉価版も発売され、いまだにファンの多い作品なのに……飯野賢治の『400万本売れるRPG』とともに、死ぬまで待ちたい『街2』です。

街術

 さておき。
 『街』で、ダンカンが主演をつとめる市川文靖編のタイトルが『シュレディンガーの手』。
 28歳で文学新人賞を受賞し作家として生計をたてることになるものの無名時代が長く続いていた市川だったが、36歳のある日、机の上に見覚えのないプロットを見つける。内容を見れば彼の嫌う破廉恥で俗悪きわまりないストーリー。もちろん書いた覚えなどまったくない。ところがテレビ局はそれをドラマ化してしまい、放映は好視聴率をもって終わる。彼は誰が書いたとも知れぬプロットで人気作家になった──それから二年経った現在。

 (靴屋は夢を見たろうか…)

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 眠っているあいだに小人が現れ、靴を完成させてくれる靴屋の童話。それはがんばった靴屋の主人に、神が与えた奇跡であって、主人にとっては幸せなこと──しかし、目が覚めればできあがっている原稿を見つめ、市川は恐怖する。やがて小人は市川が個人的に執筆していた原稿までもを勝手に完成させてしまうようになり、市川の見る小人の悪夢と現実とは、徐々に境目をなくしてゆく。

 小人は存在するのだろうか?

 ついに市川は決意する。「一度くらい本物を書いてみたい。これが市川文靖の作品だと言えるものを作りたいんだ」──見えない自分のもう一つの手と、闘うことを決めた決意のセリフだった──ま、続きは『街』をプレイしてもらうとして、ここに出てくる「存在するようだが確定はしていない小人」の存在をどう扱うかが難しい、という点について考えよう。自分に覚えのない原稿を書いたのは、夢遊病者のように執筆する自分かもしれない。しかしもしも小人がいるとして、眠っているあいだに現れる小人の存在を確定させることは可能だろうか。

 小人を確定させるためには「視る」ことが必要だ。

 エルヴィン・シュレーディンガーは、こんな実験を考えた(実際にやったわけじゃない)。

 箱を用意する。大きめの箱。そのなかに猫を一匹入れる。
 箱の中には他に、ラジウムと粒子検出器付き青酸ガス発生装置を入れておく。
 ラジウムは50パーセントの確率でアルファ壊変を起こしラドン化するものとする。
 つまり、五分五分の確率でラジウムはアルファ粒子を放出する。
 もしも粒子が放出されれば、粒子検知器が反応する。
 粒子検知器が反応すると青酸ガスが放出される。
 猫は死ぬ。
 箱は完全防音であり、装置の動作音や猫の鳴き声は聞こえない。

 実験を一時間続ける。一時間にアルファ粒子が出る確率が50パーセントなら、一時間後、猫は生きている? それとも死んでいる?

 実際的な問題では、これは二択である。
 いかなる瞬間であろうとも、猫は死んでいるか生きている。
 逆に言えば「生きているか死んでいる」以外の答えはない。

 だが、量子力学的にものを考えると、それは違う。

「状態は確率でしか表現されえず、むしろ様々な状態の重ね合わせである」

 これが量子力学の根っこの部分だ。
 これに照らし合わせれば、蓋を開ける前の箱の中で、猫は生きてもいるし、死んでもいる。いやそれさえも正確ではなく、その猫は可能性そのものとなる。箱を開けたとき、猫が犬になっている可能性は否定できない。猫がチーズになっている可能性も否定できない。ユウは死んだけれど、死んだユウをハルカが視るまでは、それは不確定なものなのである。無数の状態の重ね合わせによって状態はそこにあり、状態は状態自身によっては確定されない。それを確定するのは、観測者の視線だ。

 シュレーディンガーの猫のように、猫が犬に変わる可能性はまずない机上の実験であっても、猫は決して「死にかけて」いたりはしない。結果が二択である場合、箱の蓋が開く前の状態は「完全に生きている猫」と「完全に死んでいる猫」の重ね合わせである。

 視線という、波を浴びて状態は確定する。

 このおかしな話をどう考えようか──それにはいくつかの答えがある。

 一説、箱の中には無数の状態の猫があり、その総和として最終的な猫の状態に至る。
 一説、観測者が箱を開けて観測を行った瞬間、猫の状態群が一つの状態に収束する。
 一説、実は、箱を開ける前も後も、猫はいずれかの状態である。

 ひとつめとふたつめは似ているようで違う。ひとつめの説は、箱のなかの猫は無数であり、いわばその無数の状態たちの多数決によって「良い感じの」最終的な状態が現れるのに対し、ふたつめの説では、生きているか死んでいるかの猫が、どちらかの状態に収束するのである。無数の猫、という状態が現実とはかけ離れて理解しにくいため、現在ではふたつめの説が「うまく説明しているんじゃないのん」と考えられているわけだが、現実とかけ離れている、ということを無視したとき、もっとも理解しやすいのはみっつめの説だ。

 猫は死んでいる。そして、生きている。

 ふたつめの説と、みっつめの説を、単純化するとこうなる。

 観測した瞬間、この世界にある猫の状態が確定する。
 観測した瞬間、猫がその状態である世界が確定する。

 同じようでいて、実は後者の説では、現実は確定していない。そこではただ、目の前に視えている現実を含有する世界が確定されたにすぎない。もしもいま目の前に生きた猫がいるならば、それは猫が生きている世界を観測者が確定させたからであり、視えていないもう一つの世界は、確定しないが、あったのだ。

 そのとき、猫が死んだ世界はどうなるのか──猫が生きている世界が確定した瞬間に消滅するという考えもあるが、そうではないという考え方もある。猫が死んだ世界は、観測の瞬間に確定した観測者の世界とは分岐して、並行世界のひとつとなったのかもしれない。だとすれば、そのもう一つの世界にも、もうひとりの観測者が現れることになる。

 私が生きた猫を視た瞬間、死んだ猫を視る私の世界が生まれて回りだす。

 こうして世界は分岐していく、という考え方はとても魅力的で、ディーン・クーンツも赤根和樹も、いまだにそれをモチーフに使う。向こうの世界の主役である、この世界の脇役の行動いかんで最終的な事実が変化するという多重世界論をゲーム化したものが『街』であり、かつてサイコロを振って「ドラゴンに矢が当たった」か否かを決めて遊んだテーブルトークRPGが、現代ゲームと呼ばれるものの基本形であることを考えれば、並列世界の存在という考え方は、人類が愛してやまないひとつの世界観だといえるのかもしれない。

 ところで、シュレーディンガーが「シュレーディンガーの猫」の話を得意げに語ったのは、彼が生涯を通じ量子力学の確率解釈に反対した人物だったからだ、ということを忘れてはならない。彼がこの話で言いたかったのはこういうことだった。

「あん? だったらこういう実験をやったとき、フタが開く前の猫の状態は確率で決まるってのか? バカ言ってんじゃねえよ、視てようが視てなかろうが、猫は箱の中で生きているか青酸吸っておっちんじまってるかのどっちかなんだよ。んなこともわかんねえのか、量子力学ってのは確率じゃ語れねえもんなんだボケナス!」

 ──残念ながら、量子力学といえばシュレーディンガーの猫。シュレーディンガーの猫といえば並列世界。こっちでは死んじゃったあの子も、あっちでは生きているんだよね? というSF的感動の道具に使われている現代でのシュレ-ディンガーの名を見つめ、おれが言いたかったのはそれと真逆のことなんだが、と草葉の陰でしょんぼりノーベル賞受賞物理学者は思っているのかもしれない。

 今日告白したあの子に玉砕状態の彼へ「うまくいった世界もあるさ」と慰めても意味はなく「これが唯一の現実だ」というのは厳しすぎて。なにかうまい解釈はないかなあ、と考えるっていう行為そのものが、実は無意味だというのは楽しい現実だ。現実的には、そんなものどっちでもよくて、ただ明日がやってくる。マンモス追っかけて輪切りにして喰って寝て生んで死んでしていた時代よりも、人類はヒマになってしまったから学問なんてものを生み出したんだろう、とつくづく思う。

 飽きない思考のゲームを生み出してくれた、ノーベル物理学者は、やっぱり偉大。
 あっちの世界での私はどうしていることやら。
 箱の隙間から前脚を出した猫を視ると、どんなふうになにが確定するのだろう……私がその瞬間、猫の前脚を持つ合成獣(キメラ)を当たり前に思い浮かべれば、箱からはそういうものが現れるだろうか……視るなんてのは、あばたもえくぼの格言通り、それ自体が不確定なものだと思うんだけれど。

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