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『革ジャンを洗濯』の話。


 祖父が逝って一年が経ち。
 先日、祖母をグループホームに入れまして。
 私は、結婚したときに両親の家に本籍を移したのですが、それまでは「兵庫県相生市」が本籍でした。母は、父の実家で、義理の母に見守られて長男の私を出産した。そこで暮らしていたわけではなく、その土地にある病院で生まれたという意味でだけの本籍なのですが、まあ、思い入れはある。
 おじいちゃんと、おばあちゃんの。
 私が生まれて最初に過ごした「家」。
 それが、無人になった。

 私が生まれた病院で、祖父は逝った。その病院も、今年、建て替えられて超近代的な外観になり、なんだか、その土地を訪れるたびに、遠くへ来てしまったなあという感慨ばかりがわく。

 かろうじて生き残っている商店街。
 でも、お菓子屋のタマダさんは、私を見ても私とわからない。
 あんなに、三十分も一時間も店のなかでお菓子を選び、もうここで食べて行きや、とお茶を出してくれたりして、そうしたらおばあちゃんが座り込んで話しはじめてしまって、私はお菓子のオマケのプラモデルを作り終えて、もう先に帰るよと駄々をこねたりしたのに。目が合うと、タマダさんは、微笑んで軽く会釈してくれるが、それは彼女が年老いても商売人だからである。
 タマダさんは赤の他人な通行人の私にお辞儀している。
 私は、育ってしまった。

 おばあちゃんの家を空けるということで、棚の食器とか、贈答品のお酒とか、もうとにかくなんでも孫たちの車に積み込んでしまえという作業のなかで、おばあちゃんが言った。

「タクミ、おじいちゃんの服、いらん?」

 いやいやいや。
 確かに私は実父よりも、実弟よりも背が低いけれど、それでも現代日本人男子の平均身長くらいはあるのだよ。おじいちゃん、小柄だったじゃないか。

「せやなあ。おじいちゃん小さいのに、なんでみんなこんな背え高いんやろ」

 私の父が言った。

「ひい爺さんの遺伝やろ」

 ああ、と、おばあちゃんも、うなずく。
 おじいちゃんの父は、大きな人だったらしい。
 小豆島に住んでいた。

「でも、こんなみんな大きいて、おじいちゃんの遺伝はどこいったんかな」

 ……しらんよ。
 たぶん、遺伝子の問題だけでなく、食生活とか、そういうものの影響が大きいのではないかと思う。小豆島で畑をたがやして暮らしていた、ひい爺さんは育ち、高度成長期を生きた父たち以降は栄養過多。戦争に行き、造船バブルとともに赤穂の港に移住してきた、おじいちゃんの世代だけが生死をかけたストレスと、栄養不良に悩んだのだ。

 とはいえ、ネクタイなんかは見せてもらおっかなと、重厚なタンスを開けて物色してみた。んー、ネクタイの趣味がおじいちゃんとあわないね……そもそもネクタイを締めて会社に行くことがないので、あんまり地味すぎるのは使うことがないんだよな。ジャケットやコートのたぐいは、いっそ地味も過ぎてレトロを感じさせ、デザイン的には嫌いではない感じなのだが……ハンガーから取り、羽織ってみる前にわかるくらいに……ちっちゃ……

 ダメだおばあちゃん、もらえるものがない。
 私の好みうんぬんはともかく、おばあちゃんに着て見せられたらよかったのにと思い、なんとか肩が入るくらいの大きさのものはないかとさがしたら、それが出てきた。

 黒い、革のブルゾン。
 羊だろうなあ、これ。
 いわゆる昔ながらの定番ラムブルゾンというやつだ。
 本当にラムかどうかは知らないが、なんにせよ革である。古びてなんぼというところだし、形も定番だけあって、古いも新しいもない感じ。そしてなぜだか、このブルゾンだけが、サイズが3L。羽織ってみると、あら、肩がちゃんと入るし。祖父の二倍は胸囲があるはずだが、ちゃんと着られるって……おじいちゃんにはぶかぶかだったんじゃないのかなあ……でもひんぱんに着ていたらしく、袖のところにはやはり長かったのか、まくって着ていたらしい跡もある。

 これはたぶん……
 そもそも腰で、きゅっと着るデザインのブルゾンなのに、おじいちゃんが羽織っておしりの出るのがイヤだったんだろう。上着っていうのは、カラダをすっぽり覆うものだ、というような、凍える戦時中のトラウマが、袖が長くても丈の長いブルゾンを買わせたのではないかと。彼にはそういうところがあった。死の間際、暑い時期に、我が妻がおじいちゃんの大好きなわらび餅を買って見舞いに行ったのだが、彼はもう自分では食べられず、妻は呼吸器までつけている彼のことを気遣って、黒蜜をからめて食べさせた。もう、味もよくわかってんだかどうだか、というようなころのことだ。しかしおじいちゃんは、開かない瞳をふるわせながら、聞き取りにくく、しかし驚くほど力強い口調で激昂した。

「わ、わ、わ、わ、わらびもちは、
 きなこやろがぁぁぁぁあ…!!!」

mochi

 それが、私の聞いた、祖父の最後の激しい物言いだった。
 いつも怒っていたおじいちゃんの、おじいちゃんらしい印象の最後。
 大好きな孫の嫁が気分を害するとかそういうことはもはや彼の頭にはなく、こだわりだけは突き通した、オトコの生き様だったと思う。喉が詰まってもきなこを喰わせるべきだったのだ。いやもう、きなこで殺してよかったのである。ショート・ブルゾンをだぼっと着る、だったらコートを買えばいいのではないかと思ってしまうのだが、そこにはつまるところそれ。こだわりがある。自分の信じたものだけが真実だ。自分の感覚こそが正当なのである。
 そうして戦後の日本を生きてきたのです、迷わずに。
 革なんだし、安くはなかったはずだが、Sサイズの男が、LLLサイズのタグを見たって、動じずに「この着心地がよい」と選ぶ。SサイズだからSサイズを選んで、なにかしっくりこないけれど、サイズは合っているからきっとこういうデザインのものなのだろう、という発想はない。シャープである。ダンディーで、ハードボイルドだ。結果として格好はおかしなことになったかもしれないが、長い袖はまくって着ればいいのである。
 おじいちゃんは、このブルゾンを愛用した。
 ものを愛すっていうのは、そういうことだね。

 というわけで、数奇な運命により、小さな祖父のクローゼットから出てきた、私にぴったりの革ブルゾンを、着て見せたら、おばあちゃんはよろこんだ。
 よかったなあ、よかったなあ。
 拝むいきおいなので、さっさとトランクにしまってしまう。

 帰ってきて、ハンガーに下げてみる。
 自分ではたぶん買わないデザインのブルゾンだが。
 しかし、これがまた私の幅を広げると思おう。

(ところで「ブルゾン(Blouson)」というのはフランス語の「Blous(ブラウス)+on」という綴りからもわかるように、ブラウスからの派生語であって、腰を絞る形のものを指すことが多い。一方、英語でのジャンパー(Jumper)というのは、そこに限定せず、ショート丈のコートまでもを含む軽作業用上着全般を指す。というわけで、この上着、私の感覚としてはラムブルゾン、というのがしっくりくるのですが、以下、本題である「革製品を洗うとどうなるか」というテーマを広域から迅速に検索できるよう、より一般的な革ジャンパー、すなわち革ジャン、という呼称に変更統一します)

 どうやって着ようかと、検分していて、大変なことに気がついた。
 薄暗いおばあちゃんの家では気がつかなかったが、必要以上にワット数の高い照明を好む我が家で見てみると、なんだか、黒い色にムラがある。

Leather

 カビだ。

 脇の下や、襟の裏など、革の表面同士が触れあっているところなど、かなりひどい。それに裏地はコットンなので、これに染みついた樟脳臭も、無視できない濃度である。かなり着こんであるにもかかわらず、祖父はもちろん、祖母もこれをクリーニングに出すどころか、ファブリーズをふりかけたことさえないであろうことは間違いなく。
 革ジャンはおじいちゃんの匂い。
 ていうか、死の臭い。
 こんなものを着てバイクに乗った日には、三百メートルとちょっと走ったところで、跳びだしてきた黒猫にハンドルを切りそこねて宙を舞い、頭から落ちて首を折ること間違いなしである。実際のところ、死を意識すると、死を呼ぶものだ。飛行機事故が連鎖したりするのは、きっと乗員たちの不安が空の死に神ドージャス・ヘーピング二等兵を呼び出すからに違いない。

 夏のある日。
 すっぱだかに革ジャンを着て、風呂に入った。
 鏡に写った自分を見てしまった。
 なかなかにシュールな格好だ。

 昨日の残り湯、ほとんど冷水。
 真夏だからできること。
 おもむろに、水に浸かる。
 瞬時にカラダが重くなる……おぼれる!
 おぼれてしまうよ、おじいちゃーんっ!!

 あわてて革ジャンを脱いだ。
 思った以上に革というのは水を吸うものだ。
 ラムは、毛穴が大きくて、なめしてもそれが残るため保温効果が高いということで防寒着によく使われるらしいが、それはすなわち、雨が降るとずっしり重くなるということである。
 撥水効果は皆無。
 あれよというまにスポンジなみに水を吸った。 
 表面を撫でてみる。
 しっとりしている。
 黒が深みを増してきれいだ。

 洗車用のスポンジを持ってきて、それで表面をまんべんなくこする。革ジャン表面のカビはこれで取れるのではないかと思う。縫い目の部分は、丁寧にシャワーを当ててこする。裏地は湯船につっこんで、がしがし手洗いする。透明だった残り湯が、茶色く染まってゆく……ひと夏使ったヘルメットの内装をエマールで洗ったときのバケツのなかの水の色にとても似ている。しかし湯船いっぱいの水を染めるとは、革の色が抜けているんじゃないだろうな。まあそうなったらなったで、染めQで全体を塗ってしまおうと考える私。よく、どうしようもなくなった革製品の補修に、お客さまにはそれをおすすめするのだが、自分で使ったことはまったくない。こういうのは、いい機会だ。もしくは革靴用の着色ワックスでもいいかもしれない。真っ黒なんだからどうにでもなるさ、と、もうすっかり色あせてしまうこと前提で投げやりになりつつ。
 茶色い湯のなかで、もがきつづけたのでした。

kiwi

 その後、洗濯機のドライモードの脱水(3分)にかけ、まだまだ水がしたたるような状態で、空調の効いた部屋に乾しておく。床には垂れた水を受けるバスタオル。鼻を近づけてみる。うん。樟脳臭さは消えた。濡れていてよくわからないが、カビ臭も感じないし、脇の下を見てみても、白いムラは見てとれない。
 なにか匂いはする。
 たぶん、濡れた革の匂いだ。
 ひらたく言えば、屍体の皮を剥いだ服だから、水につけても臭わないというほうが不自然だ。
 乾けば消えると信じて待つ。
 たぶん、一週間くらいは放置だろう。
 そのあいだにまたカビが発生したりする可能性も考え、襟の裏などはたまにぬぐってやる。革は熱に弱いと聞くので、時間はかかっても部屋の中で乾かすのがいいと思う。形がくずれないように、がっしりめのハンガーで、前も閉じて、襟の形も整えて、もしもそのままからからのかぴかぴになっても、羽織れるようには整える。乾かす過程で、あまりにも乾燥が過ぎるようならば、ミンクオイルを投入しようか……動物性のオイルはカビの原因にもなるので、あんまり使いたくはないのだけれど。

kiwi

 乾いた。
 匂いは消えた。
 革も固くならなかった。
 一週間、乾燥してみてからの感想。
 洗剤を使わない水洗いなら、革製品も平気。
 真っ黒だった色も、まったくあせた様子はない。
 とうことはやっぱり、あの風呂の湯を染めたのは、裏地から出たおじいちゃんの残り汚れだったのか……最後の、いっしょに入った風呂だったわけね、感慨深い。

 ただやっぱりなんか、このまま乾燥し続けるとひび割れまでいきそうな気もする。
 というわけで、アーマオールを塗り込むことにした。革に使えないと書いてあるけれど、バイクの本皮シート(黒)をずっとこれで磨いているが、なんの問題もない、というかいちど使い出すと、塗り続けないと艶がなくなって気持ち悪い。ほとんど同じ成分である双璧ポリメイトの説明書きにも、革に使えるという明記はない一方、淡色のレザーに使うなという注意書きはある(笑)。

kure

 おそらく、問題になる成分は入っていないので革のつや出しにも使えるが、なにか問題が起きたときに逃げるために、使えると断言はしていないのだろう(艶が出る=すべる、ということではあるので、シートをそれで磨いて垂直バンクを駆け抜けたりしたら大事故の可能性はあるだろう。両脚べったりのアメリカンにジーンズで乗る身としては、たとえシートがガラスでできていたとしてもすべりようがないので、愛用できているのかもしれない)。
 カー用品はそういう製品が多い。
 知っている人は知っている、シリコンスプレーが木製の敷居や引き出しをするっする動かすようになるという効果も、多くのメーカー品に「木部に使えます」の記述が明記されていないのは「吹きつけると目に見える染みができますから、そういうところを納得して、シリコンスプレーってそういうものだと理解している人だけが使ってくれればいいんです」と某社の営業のひとが言っていた。

kure
(↑KUREさんのシリコンスプレーには「木部にも使えます」と明記してあります、あしからず)

 ちなみに、撥水性のカーワックスで便器を磨くと、まるで汚れ知らずなぴかぴかの近未来便器になります。たぶん花王やライオンやP&GやLGも、そういう効果はわかっているけれど、トイレ用洗剤として売るには値段が高くなるので、発売しないんだと思う。知っているひとだけが、カーワックスで当たり前に便器を磨いているのですね。
 というわけでバイク用のアーマオールで革ジャンを磨く。
 つやっつやになった。
 着て動くと、ぎゅっぎゅと鳴く。
 満足した。

 以上。
 秋が来たらいっしょにバイクに乗ろうぜ。
 おじいちゃん。

(たまたまなんの問題もなく革が洗えてしまった話でしたが、ご自身の愛玩物でためされる向きには自己責任で。どうなってもしりませんよ。私も、自分で買った革ジャンは洗ったことがありません)

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