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『青汁だけれど、しかし』のこと。

 そういえば、前回の『ノアぷ~』の話のなかで想い出したのですが、テレビ大阪の昼前くらいの時間帯に、なにかひとつことを一生懸命やっている人たちのドキュメンタリーが延々と流れ、その最後に、

「マツマエさんのお仕事も、健康あってこそ
 マツマエさんは特別、健康に気をつかっているわけではありませんが、
 毎日、かかすことのない習慣があるそうです」

 で。
 青汁。
 マツマエさんごくごく飲む!!
 広告だったのかよっ!
 と『さよなら絶望先生』でもつっこまれていたので、たぶんこれは全国区で流れているものだと思うのだけれども……

zetubou

 私の実母が、和太鼓の集団などやっておりまして。
 きれいな中学生男子などを引き連れてそこここのイベントに参加しては太鼓を打ち鳴らしているのです。そんな母のところに、それが来たという。いや、母の取材にではなく、なにかかかわりのある書家の方だったかそんなふうな一生懸命なひとを主人公とした、三十分程度の青汁販促番組で、母にもコメントを求めてきたとか。おそらくは後ろで太鼓を打ち鳴らす美少年どものまえでマツマエさんについてとうとうと語る小柄なおばちゃんの画が欲しかったのでしょうが……母は、その糸色望先生も右手をあげた、つっこみどころの多い番組のことをまったく知らなかったらしく、ディレクターだか監督だか、現場のいちばんエライ人がやってきて、言ったのだそうです。

「番組の最後には青汁の宣伝が入ります。
 しかしぼくは。
 全力のドキュメンタリーのつもりで撮っているのです」

 そういって熱く語るから、了承して撮られたんだけど、タクミ知ってる?
 いやもちろん知っているともそれは有名な番組ですよマミー。
 あらそうなの、でもね、そのいちばんエライ人は一生懸命撮ってくれたんだけれど、放送されるかどうかはそのひとでは決められなくて、お蔵入りもありうるっていうのね。ほんとものつくるひとって大変よねえ……と。

 思うに、どんなに本気で全力のドキュメンタリーであろうと最後は青汁広告であるのだから、スポンサー主は孔雀のうちわのアブダビコンバットの王子様みたいな存在なんだろう。

(アブダビコンバットを知らないあなたに解説するなら、それはアラブ首長国連邦の第三王子シーク・タハヌーン・ヴィン・ザイードがアメリカ留学中にUFCを観戦して自身も格闘技をはじめて国に帰ったあと、男の肌と肌とが組んずほぐれつするその光景に忘れがたいものを感じ、完全に趣味で開催することにした、という高名な大会である。殴りなし。二年に一度、高額な賞金をかけ、王子の目の前で、世界中から集められた裸の猛者たちが「寝技がいちばんうまい男」を決めるために組んずほぐれつする、他に類を見ない砂漠の酒池肉林。日本人選手もけっこう出場して勝っているのだけれど、帰ってきて話すのはいかに石油王子が破天荒に金を使うかという話ばかりだという、どこかのセレブ設定得意なBL作家さんに一本書いてもらいたい夢のようなコンバットなのだった)

 本気でドキュメンタリーを撮りたい監督どもに、

「金をやるから撮ってこい」

 と命じ。
 撮ってきても最終的に青汁に染まることはわかっていながら、監督たちは私の母に言ったように全国で「しかしぼくはっ」と涙目でうったえ、けれどそうして撮ったドキュメンタリーも、王子の目の前に山積みにされて、世に出るかどうかは王子のお気に召すかどうかにかかっており、それゆえ出演した人たちにさえいつ放送されるのか、放送されることが実際にあるのかどうかさえ知らされない。

 青汁が売れれば、ドキュメンタリーを撮った人たちに報酬が入る、などというシステムではきっとなく。作った作品は買い取り、買い取ったからには放送するも捨てるも王子の自由。たぶんそういう図式であるのだろうから、だからこそ母も心動かされて私に語ったりしたんだろう。

 彼らにとっては、放送されようがされまいが、入ってくる金は同じ。
 でも、そう言わずにはいられないのである。
 最終的には青汁。

「だけれど、しかし」

 青汁を売るためではなく。
 全力のドキュメンタリーが撮りたくて。
 だからカメラを持ってここに来たんだ、と。

 その「だけれど、しかし」には、確かに深いモノがある。
 だってふつうに「青汁の宣伝番組撮りに来ました」で、いいわけだから。
 そこに撮るものとしてのプライドだかなんだか、そういうなにかの葛藤があらわれて、それで発せられた言葉だと思うのです。そう思えば、たまたま流れていたドキュメンタリーに見入ってしまって、それで最後に青汁が出てきたからといって「青汁かよっ」とつっこむ気になど二度となれません。その向こうでは、放送されるかどうかわからない自作の日の目を祈って、毎日のように青汁の宣伝番組をチェックする、本気のドキュメンタリー作家さんたちがいるのです。
 ああ、放送されたよおれの作品。
 というひとりと、

「ああ今日もだめなのか、
 おれの作品のなにがいけないんだ王子……」

 そう泣き崩れて。
 昼から焼酎をあおる無数の制作者たち。
 こちらも、涙なくしては見られません。
 あなたたちのおかげで、本気のドキュメンタリーを見るたびに、最後に青汁が出てくるのではないかと思うようになってしまいましたよ。

 しかし販売員としての印象では青汁ってそうそう売れるものではない感じなんだが、あれだけの番組を全国区で流すからには、そうとうな売上げに違いないと考えてみるに……万人が見る地上波のテレビのチカラっていうのは大きい、というところに尽きるのだという結論に行きつく。
 という連想でプロレス話に戻って、地上波から消えゆくプロレスをメジャーに押し戻すために、プロレス業界がプロレスを売るためにみずから放送枠を買うという図式もありなのではないかと思ったり。某CS局の番組特製「武藤敬司ベアーTシャツ」が限定100着早い者勝ちだぜ買ってくれよな、というのがもう一年ほど流れ続けているのを見ても、地上波ほどの購買欲をCSでは掘り起こせないのはあきらかなので、ここは青汁を見習って、安い時間帯にガンガン番組投入していくのがよいのではないかと。

 おなかの空いた正午前になにげなくテレビをつけたらプロレス。
 そしてプロレスラーたちは試合後にビールかけなどせず。
 青汁をごきゅごきゅ。
「おれたちこれで戦ってますっ!!」
 ダイエットと健康をうたう商品は空腹な客を狙うのがいちばん。
 これで地方局の放送権料くらい稼ぎ出せそうな気がする。
 NOAHには、秋山準の水もあるんだし、もっと商売気出してやっていくのがいいと思うんだけれども(この水は売っても秋山社長のひとり儲けになるんだろうけれども)。

 そういうことを考えていろんな団体を観ていると、この不況の世だからこそ、あのジ・アンダーテイカーに葬られてから新崎人生を名乗るようになった白使(ハクシー)の存在が、史上もっとも私が愛するプロレスゲーム『ジャイアントグラム2』でもちゃんと仕事していたり、『ガチ・ボーイ』を見たらエンドロールに名前があるし、レスラー兼二団体の社長として、ちゃんと仕事している感がひしひしと伝わってきて素敵。みちのくプロレスみたいに地元密着でがっちり固定ファン掴んで、過去の栄光におごることなく、だれからも愛されて、大きな仕事ではなくたってなにかあるたびに声がかかる実直なプロっていうのが、いちばん強いのかもなあ、と思ったりする。そういう意味じゃもはや歩くことさえ困難な躯であり、まったく戦う姿を見ないのに『Mask de 41』とか、ドラゲー解説とか、ソロライブだ焼酎だと、なんだかんだでプロレスラーを続けているハヤブサ選手もまた、存在そのもので戦っている良いレスラーだ。好き。



 青汁の話だったけ。
 飲まないね。
 好きじゃない。
 味がどうこういうよりも、青汁を飲むことで健康になるというようなことを考えている時点で健康でない感じがする。手もとに愛がないから愛について考えたりするとか、森が減り始めたから自然について語るとかに似て、愚かしい感じさえする。
 ケール育ててばりばり生で喰って欲しい。
 なんでケール料理を研究しないで青汁買っちゃうのさ。
 健康を崇拝するなら徹底した哲学を持って欲しいよなあ、と、母の話を聞いていて思いました。青汁ドキュメンタリー作家さんは、青汁飲んでいるヒトをまず捜すんだと思う? そんなわけはなく……かき集めた作品ありきで、青汁くっつけりゃ売れるという……その商売のありかた自体がどうも健康でない印象だ。つまんない話も美少女主役にすればアリとか、そういうノリにも似ている気がする。

 某健康器具を売っていて、いわゆるバイヴで脂肪を燃焼させよう系の商品なんだけれど、某格闘家が「この商品は筋肉に効きます!!」とみずからの盛り上がりすぎた上腕二頭筋を示してみせるPOPがあって、それを店頭に飾りながら私はいち格闘技ファンとして哀しい思いがした。だって某格闘家は元いじめられっこで格闘家としては背も高くなくて、でも鍛えに鍛えていまや日本のマッチョの代名詞にまでなったというのに。それなのに、この商品を勧めるのかと。震えさせて、熱を加え、脂肪を燃焼させることは物理的にできるのだろう。けれど、そんな震えて発熱するマシンを一日中着けることよりも、10分間の直接的な筋力トレーニングのほうが効果があると彼は信じているどころか信奉さえしているはずなのに。だれが見たって金のため。それを売る。

SUPER MAX TURBO

 だけれど、しかし。
 それでもこころざしが透けて見えるから憎めない。
 そこって重要なんだよな。

「まーたこのひとこんなとこで小銭稼いで」

 その在り方を許容できるかどうか。 
 本人に後ろめたさが感じられないというのが、大事。ドキュメンタリー作家が青汁売るのは、ドキュメンタリー作家にとって、後ろめたいことなんだろうと思う、だから。
 だけれど、しかし。
 そう、口走ってしまうのだろう。

「青汁を売るためのドキュメンタリーを撮っています!!」

 胸はって言ってもらいたいものです。
 最後にならないと青汁広告だとわからない番組作り同様、撮るひとの青汁への想いが伝わってこないというのが、撮られる側にも複雑な思いを抱かせ、息子がそれを聞かされたりする。ドキュメンタリーを撮りに来たひとがいたの。でも青汁なの。そうではなく、母は、こう言いたかったのだと思う。

「青汁の宣伝番組に出たの」

 撮るひとが言い切らないと、撮られるほうも気を使うから。
 ドキュメンタリーとか言うなって話です。
 青汁だけれどしかしドキュメンタリー。
 そう言わずにはいられないところをぐっとこらえて。
 私はドキュメンタリー作家だけれど、今日は青汁広告を撮っている。
 金のため。

 言い切る。 
 それが良い。
 某格闘家のようにいさぎよくないと、かっこ悪いのですよ。
 あーなんかだらだらとわかんない話をしちゃったな。
 まったく青汁め。
 

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