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『まばたきにブギーマン、闇に愛』の話。


Yuzu

 22日は冬至のはじまり。
 例によってお客さんに「ゆず湯に入るといい」と畑で採れた柚子をいっぱいもらったので、風呂にうかべてみた。
 それはミソギなんだという。

 冬至のはじまりは一年でいちばん夜の長い日。
 年明けまでの冬至という期間は、一年でいちばん長い闇の時間。
 だから目に見えたものだけしか信じない、太古の人々は目に見えたから信じたんだ。

「ここから、太陽は生まれ変わる」

 クリスマスがこの時期になったのも「復活」という黎明から夜明けへのグラデーションに神秘を見たからだというし。そうかイマをさかいにオテントサンが生まれなおして昇ってゆくのか明るくなるのかだったら身を清めよう……そういう敬虔な太陽信仰のもとで生まれた柚子湯の習慣なのだから、クリスマスにこそ柚子湯にはいるべきなのだ。みそげ、そして生まれなおせ。暗闇はここまでだ。

 と、いうようなことを柚子湯に入りながら考えていたら、怖くなってきた。

 私は部屋を真っ暗にしないと眠れない。
 子供のころからそうだった。
 暗闇が怖くなかったわけではない。
 豆電球などつけると、かえってなにかが「見えそうで」怖かったのである。

 いまではコワイからというよりは、薄暗がりを見つけると、目を凝らしてしまうから暗闇を作る……暗闇にはなにが潜んでいるかわからないので目をそらして逃げる、という幼き日の反応こそ動物としては正常なのであって、大人になって臆病さをなくしてしまうから、ヒトはやっかいな問題を抱え込むのだともいえる。たそがれ時は「誰ぞ彼」と首をかしげる思いから名付けられた逢魔が刻だそうだが、薄暗がりのなかで誰なんだ彼は顔が見えないなあ、なんてときにはその顔を覗き込むのではなく、目をそらして足早にすれ違うべきなのである。見えなければいないも同じ。薄明るいからあれはだれかしらんと思って想像がふくらむのであって、真に暗闇ならば好奇心もへったくれもない。
 そういう理由で、幼い私も、いまの私も。
 暗闇でないと眠れない。

 どちらにせよ、断言できることは。
「暗闇にはなにかが棲んでいる」
 私はそう信じているということだ。
 幼いころも、いまも。

 とはいえむろん、ブギーマンみたいな怪物が棲んでいると信じているわけではない。

BOOGEYMAN

(近年では、ブギーマンというと、この映画よりもデビューして二年で伝説のプロレスラーとなった(笑)マーティ・ライト演ずるキャラクター、ブギーマンを思い浮かべてしまう。39歳なのに30歳と偽ってオーディション番組を失格になるも、個性を認められプロレスデビュー、前代未聞の「ミミズを食う」というギミックでブギーマンを好演するが世界最大のプロレスイベント『レッスルマニア22』でブッカーTの妻シャメールヘミミズキスをしたあとケガで離脱、リハビリ中に病院に現れないことがたび重なり、WWEを解雇という……まさにそのプロレスラー人生、二年間が夢なのか現実なのかわからないブギーマンだった。帰ってこなくていいけど、忘れません。目覚まし時計を叩き割る入場シーンもよかったなあ……とか言っていたら、ケガが治ってこの年の瀬に復帰ですよブギーマン。がんばれ)

 幼き日でさえ、そうだった。
 暗闇にかすかに光を当てたとき、見えるのは、恐怖というよりも不安に近い感情そのものだ。想像力の土台となる知識が乏しい子供のときには、原子爆弾とか、隕石とか、太陽はいつか爆発するといった壮大な事柄をネタに怯えていて、いまではもっと具体的な生々しい不安に怯えている。
 不安は、見えてしまうとカタチを成す。
 きっとそれがブギーマンだ。
 サム・ライミの描いたラストは蛇足なのだ。
 きっといつまでもそのカタチは見えない。
 でも、カタチを成してそこにあることは確信できる。
 そういうなにかが暗闇には棲んでいるのである。

(アナログとデジタルの奇跡の融合、もしも観たことのない人がいたら、自殺する前にぜったい観ておくべき20世紀アニメーションの絶頂、ティム・バートンの『ナイトメアー・ビフォア・クリスマス』に出てくるブギーも、正体は袋のなかにうごめく無数の虫、という設定が、ブギーマン=見えない不気味、の伝統を守っている。袋が破れてしまえば、気持ち悪いけれど、でもそれはただの虫(同じくティム・バートンの『シザー・ハンズ』も、私の勧めるモノはいつもマニアックでイマイチ、と思っているあなたにとってもきっと宝物になるから、観たことないとかいうのは人生を損している傑作です、観てみて。私はクリスマスになると、映画館でこれを観ながら、でも彼女のホットパンツの太股ばかりが気になって、というか触り倒していて、まったく映画の内容に集中していなかったために後日テレビで放送されたのを観てはじめて感動した、という甘酸っぱい想い出を持っています。若かったよ))

mare

 ところで。

 ヒトは一日に、およそ5000回ほど目を閉じる。
 まばたきである。
 一回のまばたきにかかる時間はおよそ0.3秒。
 ということは一日でいえば起きている間にも、およそ30分間、目を閉じている。

 女性は男性に比べてまばたきの回数が少ない。
 おそらくは、男性は狩る者を起源とするからだろう。
 獲物を凝視していれば目が乾く。
 狩らずに育てる女性たちはギラついた目をしていない。
 そして必然的に、潤んだ瞳は、女性らしさの特徴となる。
 潤んでいればまばたきの回数が減らせるならば、涙成分の入った水中メガネやSFによく出てくる昆虫の複眼のようなミラーシェードなどを装着していれば(もしくは四六時中、泣き続けるか)、物理的にはまばたきをしなくてもいいことになるが、現代では水中メガネをかけて日常生活を送ることは困難だ。

 やむなくすべての人類は、一日に30分間の闇に棲む。
 よく通販番組で健康器具を売るのに、

「一日1分で体型が変わります」

 などと言っているが、あれを嘘だと思っているのは意識的に躯を鍛えたことのない人たちだ。一日に1分も一箇所の筋肉を鍛える、それを本当に毎日休まずやれば、三ヶ月後には目に見えて体型は変わる。今月に入って私は対面販売で広告の商品『レッグウィング』(レッグマジックの類似品。展示を組み立てたときに私みずから1分間やってみたが、内ももに効きまくりでした)を十台以上売っているが、ああいうのは基本的に日頃からカラダを鍛えている人が買っていくのだとよくわかった。ほんと買っていくのは、それ持ってレジ通っても恥ずかしくない体型の人ばかりなのだ。

 今すぐやってみるといい。
 一分間、フルスピードで腕立て伏せとか。
 一分もあれば確実に翌日筋肉痛になるレベルまで負荷がかかると実感できる。
 それを毎日、続けたなら変化が出ないわけがない。
  
 まばたきの話に戻るが……
 なんと一日に30分も!
 ということは一ヶ月で15時間。
 一年で……180時間!
 約八日である。
 一年に私たちは、起きているのに八日も闇に棲んでいる。

 一日1分の運動で筋肉が鍛えられるのに。
 この継続が、精神に影響を与えないなどということがあるはずがない。
 八日、つまり一週間以上の行程でどこかに旅行に行ったり、だれかと一緒にすごしたりすれば、それはすごしようによっては人生を変えかねないくらいの影響力を発揮する時間である。

 私たちは毎年、みずからまばたきすることで、闇に棲み続けている。
 睡眠のような、食事のような、生きるために必須のことではない。
 瞳が乾かないようにする方法などいくらでもある。いや、考えてみれば、一年に八日も闇に閉じこめられるという事態を回避するために、人類がいまだ人工涙液を満たしたミラーシェードをみずからのまぶたに移植していないのは、不思議といわざるをえない。

 それともヒトは、やはりそうなのだろうか。
 よりそうように。
 闇とともにいたいのか。

 怖いけれど。
 それは可能性でもあるから。
 今夜は、夜がいちばん長い夜。
 柚子湯に浸かりながら。
 窓の外の闇を見る。

 今年の闇が終わってゆく。
 明日の太陽が昇ってゆく。
 この闇から、なにが生まれるのか。

 ブギーマン?
 それは愛されているから、語り継がれているのかもしれないね。
 まばたきのなかにも、きっと棲む。
 目を凝らせば、きっと見えるけど、凝らさずに怯えていよう。
 そして待ち望むのは。

 太陽だ。
 闇があるから光があるので。
 だからきっと私たちは闇も愛さずにはいられない。
 きっと、きっと、きっと……
 それを無くした状況を、絶望というのでしょう。

 メリークリスマス。
 ちょっと長めに、まばたきします。
 闇を感じて、なにかが見えそうになったら開きます。
 見えたものを愛します。
 見えるものだけ信じます。

 長い夜のあとの太陽を見て、太古の人々が復活を信じたように。
 信じます。
 なにを?
 そうだね……長くなるから、口にはしないけれど。
 端的にいうと、そういうこと。
 
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「だれかに聞いたんだけど、サイバースペースというものは〝裏返し〟だって。彼女、たしかそんないいかたをしたけど」
「そう。そしていったん裏返しになれば、もうそこにサイバースペースはなくなる、そうだろう? 最初からなかったわけだ。もしそんな見かたをしたけりゃね。それは自分がどこへ向かっているか、その方角を知るための方法なんだ。グリッドがあって、われわれはここにいる。ここはスクリーンの裏側だ。ここが」


 ウィリアム・ギブスン 『スプーク・カントリー』

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 この年末は、グレッグ・イーガンの未訳短編を集めた一冊に、生き神ウィリアム・ギブスンの新作が発刊という、SF好きにとっては贅沢すぎる時間。ギブスンの書いているのは、まさにそういうこと。
 ここに私のブログがある。
 あなたはそれを読んでいる。
 電源を落とせば真暗なモニタのなかに、いるのかいないのかわからない私というブギーマンの残像を読んでいる。
 その瞬間に、もう私の実在はどうでもいい問題になっている。

 いまそこに、ここに?
 裏返ってもとに戻ってどちらがどちらかわからないが。
 ともかくあなたの実在は証明された。
 あなたはそこにいる。
 そこがどこであるかは、もう問題ではない。
 裏側? 闇?
 ノンノンノンノンノンノノン。
 最初からなかったわけだ。
 あなた以外のすべては、あなたを顕在化するためのギミックである。

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「グレイスさんが〝現実〟をどう定義していたか、知っているかい?」
「いいえ」
「ほかのあらゆるものが存在しないと立証できても、それでも立証できずに残る一万ビット」


 グレッグ・イーガン 『TAP』

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 柚子湯のなかで、ブギーマンの実在を疑っている〝私〟という〝現実〟。
 私の愛はあなたに物理的には届かないが、あなたが信じるならそれは存在して、存在することを疑った刹那に、闇は明けて太陽が昇りあなたは復活する。
 あけましておめでとう。
 良い言葉です。
 あなたを疑って、私は私の不在が立証できないことに悦びを感じ。
 そしてまた言うのです。

 リンクと、トラックバック。
 モニタのなかの言語から立証される、それを読んでいるという行為者の実在。
 いるかいないかわからないけれど。
 ヴァーチャル・リアリティ。
 仮想でも、現実。
 そこにいてくださいね。

 今年も、つながっていてくれてありがとうございました。
 いるかいないかわからない私とあなたが、この先もつながっていますように。
 愛してる。

TAPSPOOK COUNTRY

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『 スプーク・カントリー 』ウィリアム・ギブスン (著)  Anonymous-source  2009/02/09 14:44
90年代のカルト・バンドのもとヴォーカル、ホリスがまきこまれた驚くべき陰謀とは?『ニューロマンサー』に始まる電脳空間三部作でSF界に新たな潮流をもたらしたウィリアム・ギブスンが、ポップ・カルチャー、コンピュータ、政治、さまざまなガジェットを巧みにもりこんだ