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『普遍的占星術アストロビオロギー』の話。






 クラフトはこの統計結果を睨み、さらに詳細な分析を行なった結果、星占いには科学的根拠が存在することを確信するに至ったのであります。それは、ある傾向や才能をもつ個人がその才能を開花させるには、一定の惑星配置の影響を必要とする、との考えであります。これは一惑星の性格を無差別に認める従来の占星術とは違い、また人種や民族といった大きな単位でなく個人レベルの能力差を認めている点ではナチス民俗学とも異なります。


 荒俣宏 『帝都物語』

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 ナチス政権下のドイツにおいて、初期ナチス政権の頭脳と呼ばれたヒトラー、ヘス、ハウスホーファー、ローゼンベルクらが参加した民族的科学研究結社「トゥーレ協会」を中核とし、宣伝相ゲッペルスを中心として設立された占星術開発のための秘密機関「アクティオン・アストラ」。その「アクティオン・アストラ」に所属するスイス人占星術師カール・クラフトが提唱した新型の占星術こそが、アストロビオロギーである。

 たとえば従来の占星術で双子を占えば、ふたりはまったく同じ人生を歩み、同じ人生の結末を迎えねばならないことになる。そこには惑星の性格を無差別に認め、惑星の性格による影響によってヒトの運命は決定される、とする考え方の限界があった。そこで占星術師たちは、空の星の配置を見ることをやめ、紅茶の残りカスが描く模様や、タロットカードといったアイテムを占いに使用するようになる。そうすれば、術者はヒトに予言を伝えるさい、術者自身の能力によって予見した未来を語ることが可能になるからである。

 ヒトは、ヒトを信じない。

 だから真に未来を予見できる、アカシックレコードにアクセス可能な能力者、すなわち絶対的予言者という者が存在し、その彼、もしくは彼女が賢明な頭脳を有していれば、彼、もしくは彼女は、みずからを予言者ではなく、占星術師だとあらわすだろう。ヒトは予言を語るヒトを信じることはできないが、タロットカードのなかに星の意志を見る術は信じられる。たとえ、その占いの館では、真実の予言者がタロットカードを読むふりをして、ただ単に絶対的なあなたの運命を口にのぼらせているだけだとしても。

 絶対的な運命。
 もしもそんなものがあるのだとしたら、手の届かない空の星のせいにしたい。
 あなたの愛するヒトが今日、逝きます。
 それが運命だとしたら。
 あなたにそれを告げたのが予言者ならば、あなたは予言者を刺すだろう。
 けれど占星術師ならば、あなたは空の歪んだ性格の星を刺さなければならない。
 あなたは絶望し、きっとあきらめるだろう。

 絶対的な運命。
 もしもそんなものがあるとしたら、そこには何者の意志も介在することはできない。
 できないということは、最終的な運命の終着点にたどり着くまでの道筋も、分岐しているように見えて、実は一直線だということになる。
 迷っても無駄なのだ。
 迷ったところで、選んだ道それが、運命によって選ばざるを得ない道なのだから。

 ところでさっき読み終えた物語に、こんなセリフがあった。

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「ハルバートが皇太子じゃなかったら、私は姫巫女になってないんじゃないかな? そしたらもっと早く会えていたかもね。〝白き箱庭〟の五年間が要らなかった、ってことだもの」
 そう言うパルティアには屈託も迷いもなかった。
「私はきっと、ハルバートに会うために姫巫女になったのよ。皇太子のお嫁さんになるには、そうするしかなかったんだもの。大丈夫。姫巫女も皇太子も関係ないわ。暁の魔女パルティアが、ハルバートの味方よ。絶対に誰にも負けないわ!」
 彼女がそう言うと、そんな気がしてくるのはなぜだろう。
 ハルバートの胸に風が渡る思いがする。それは闇を払う暁の風。夜を照らし朝を呼び込む時の送り手。こんな小さな少女が。


 真朱那奈 『天啓のパルティア 時の女神が戴冠する』

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 シリーズ三作目にして、なんだか姫も熱く語る諸刃の剣な展開なのですけれど。私は好きだけれど、このセリフに「うん?」と首をかしげる量子物理学者は多いはず。運命論者であるどころか、パルティアは絶対不変の予言を天から啓示され、それを現実世界に投影するという姫巫女なのである。信じる信じないもなく、彼女のありさまそのものが運命というものを肯定したうえに成り立っているといっていい。
 その姫巫女が言う。

「そしたらもっと早く会えていたかもね」

 世にいう理系男子は興ざめだろう。
 運命を信じるならば人生に枝分かれなどない。
 違う人生を歩んでいてもあたしたちは出逢った、という仮定は、いま現在のふたりの状況を「運命によって確定された絶対不変の終着点」から「不確定な過程」へと変容させてしまう。まして、彼のお相手は予言を天からたまわる運命の代弁者なのだから。彼はあわてて彼女の口を手でふさぐべきである。詳しくはバレになるので書けないが、この姫巫女に不用意なことを口走らせるのは、ひかえめに言って事なかれ主義の対極に位置する愚かな行為である。運命の結末を避けたいのならともかく、ここはラブシーンなのだ。運命を揺らがせる必要などさっぱり不要の場面だというのに。彼は、パルティアに言わせてしまう。

「そうするしかなかったんだもの」

 天啓のパルティアという本の題名にまでなっている、運命というものの権化が言うのである。
 「そう」……「する」
 する?
 なにを?
 だれが?
 運命とは絶対不変のものだ。
 だれにも、なにも「する」ことなどできない。
 実際に、パルティアという名のこの少女も、みずから望んで姫巫女になったわけではない。
 なりゆきだ。運命だ。
 一直線だったのだ。
 姫巫女も皇太子も関係ない?
 それを言ってしまうのは、出逢って恋に落ちている姫巫女と皇太子である、いまのふたりを否定することだ。
 運命の否定は、未来の破局を暗示する。
 絶対の予言が現実に存在する世界で、このヒロインは、そういうことを言ってしまう。
 そして、彼もまた。
 理系男子ではなく、純文系のつぶやきをもらす。

「そんな気がしてくるのはなぜだろう」

 なぜだろうじゃないよハルバートっっっ!!
 目の前にいるのは運命を具現する姫巫女で、その姫が、言っちゃってるんだから。
 そこにはもう、運命はないのである。
 出逢ったことさえ「した」自由意志の結果にすげかえられている。
 もしもここで出逢っていなくても、どこかでもっと早く出逢えていたかもという、並列世界の可能性を論じてしまっている。
 運命というものの絶対性が、揺さぶられてだいなしになっている。

 でも。
 私たちは、だから、このシーンをラブシーンだと認識する。
 ぶっちゃけたところ、赤い糸などを信じていたら恋はできない。
 できないはずだ。
 ネズミだって交尾をする。
 ラクダだって。
 チューリップだって。
 そのめしべとおしべが出逢ったのは、偶然だ。
 赤い糸が存在するなら、狭い学校や会社で、そんなにも恋人たちが生まれ、幸せだったりどろどろだったり、できちゃったり不倫で家族崩壊だったり、するわけがない。まんべんなく世界中で恋人たちが乳繰りあい、人類が滅ばずにいるわけがない。フィリピンからやってきたパブ嬢と日本のしがないサラリーマンが恋に落ちるのは、赤い糸がつながっていたからではなく、物理的な距離が接近したことによって、欲情したからである。

 基本、たまたま。
 すべての恋人たちは、出逢わなかった可能性のほうが圧倒的に高い。
 そのふたりが出逢ったことを、運命、と呼ぶのは言葉の遊びだ。
 理系男子なら、鼻を鳴らして、こういう実験をしてみせるだろう。

 無数の色が混在しているバスタブいっぱいのビーズのなかから、ふたつを取りあげて糸に通し結ぶ。
 この組み合わせが実現した可能性は、確率でいうとおそろしく低いので、これを運命と呼ぶこともできる。
 しかしだったら、別のふたつを取りあげたらどうだろうか。
 さあどうさ。
 これも運命か?
 だったらこれも運命なのかよ?
 ていうことはなにか!?
 きみはぼくと出逢って恋に落ちたように、ほかのだれであろうとたまたまそばにいただれかとでも恋に落ちられるというわけだ!! だったらぼくらのあいだにあるこれは運命なんかじゃなくていったいなんなんだよ幸恵!!

 理系男子のそういう屁理屈にうんざりしている幸恵フローレンスは、ため息をついて言うだろう。

「あたし、そんなことなんも言ってへんやん」

 ああそうだったっけと、理系クンが顔を上げたら、そこは鼻水と涙のビッグバンだろう。
 幸恵フローレンスは、そういうところが好きになっちゃった、こういうあたしの気持ちこそどういう運命のいたずらだろうかと、もういちどため息をつきながら、やさしく彼を抱きしめてささやくだろう。

「あたし、あんたやないとあかんもん……」

 ……け。
 つまりはそういうことである。
 理系男子は、そうやってなぐさめてもらいたいのだ。
 いや違う、理系男子の話をしていたのではなかった。
 運命だ。
 運命とは、偶然を美化する手法である。
 ハーレクインロマンスではよく運命という言葉が出てくる。
 しかし、読み捨てられるペーパーバックの物語も、めざましく進歩している。
 ここでの運命は、なかなか高度だ。

 あなたが皇太子でなければもっと早く逢えた。
 お嫁さんになるにはそうするしかなかった。
 あたしが味方だからあなたは絶対負けない。
 で、そんな気がしてくる彼、と。
 
 平たく言えば、バカップル(笑)。
 ヘソが核融合するぜお嬢ちゃんたち人生はそんなあまいもんじゃねえんだよてめえらが愛だの恋だのいってるのも十代のほとばしるホルモンが耳たぶを伝ってしたたり落ちるくらいにあふれかえっているからでおそらのお月さんがなんか決めたわけでもなけりゃああしたのてめえらがおっちんじまっちゃいねえっちゅう保証でもねえ愛も恋も時のまえでは朽ち果てるもんだぜしかし。

 しかし……
 ぶちかました酔いどれは、しばらく考えてから、パルティアと、ハルバートを交互に見て、言うだろう。
 見てるこっちが照れちまう。
 けど、いいもんだよな。
 おれっちも帰ってかみさん可愛がってやっかな……

 薄く涙さえ浮かべるだろう。
 人はみな、運命が好きなのだ。
 それも他人から見れば滑稽なくらいに自分勝手な。
 自分だけに都合の良い運命が大好き。
 そして、だれもが、そういう甘さを、良いものだと思っている。
 だから運命を口にして、励まし合う若き恋人たちに、まあいまは夢を見ていなさいとうなずくのだ。
 パルティアちゃん、どうかその矛盾に満ちた運命論をぶちかまし続けてちょうだいと想うのである。
 恋する乙女の熱く語るのは、諸刃の剣。

 甘ったるい、と感じる人もいるはずだ。
 が、純粋文系の私などはこっくりこっくりうなずくのであった。
 恋に狂って自分の人生の基板すら揺らがすような甘ったるいことを口走ってみたい。
 ていうか、それそのものが恋なのである。
 それができるから、人間のセックスは生殖行為ではなくなった。
 だれとでも恋はできる。
 お見合いで幸せになれないなんてことはない。
 そこに恋を見いだす甘さを持っているか。
 それに酔うことができるか。
 それは、ヒトのヒトたるゆえんです。
 動物としての発情を、ロマンに変えてうっとりできてしまう。

 運命とは絶対のものであるなら、なぜ占う必要が?
 インカの王は占星術師の示した白人襲来の予言を認め、スペインからの来訪者に国を明けわたしシャングリラへと身をひそめた。
 戦えば、きっとインカの王は国を失わなかった。
 しかし、王は運命を信じた。
 信じる占いが、惑星の配列が、滅亡がやってくると示したのである。
 天がそう言った。
 インカの王は戦わなかったが、己の運命に酔いしれていた。
 一本道だったのである。
 このエピソードを、私は好きだ。
 信じ切るいさぎよさは、狂信に似ているが、実は真逆である。

 パルティアは、自分の人生に可能性があると示したことで、ハルバートと出逢っているいまを揺らがせている。しかしそれゆえに、現在を自分で選んだという覚悟として読者には伝えられる。
 インカの王は、自分の雇った占い師に、占いの結果を変えさせることが可能だったが、それをしなかったどころか、偶然であろうがそれこそ運命と国を捨てた。

 狂信とは、アストロビオロギーをバカげていると断罪したヒトラーのようなのを指す。
 自分で組織しておいて、結果が出てきたら、彼は激昂する。
 それはそうだ。
 占いは、真実を予言してしまう。
 運命というものが天命として授けられるのであれば、それが惑星の性格の影響であろうがなんだろうが、ともかく、すべての人にそれはある。
 運命とは、真に平等なものだ。
 すべての人は生まれ、そして死ぬ。

 ヒトラーは、アストロビオロギーによって自身の暗殺計画を知る。
 それが現実のものとなったとき、彼は気づくのである。
 総合予言科学の原理は、同じ惑星の影響下に生まれたすべての人に同じ影響を与える。
 すべての人が、同じ惑星の才能と知力に恵まれる可能性を持つ。
 それは、彼の信奉するアーリア人の絶対的優越という思想に反するものだと。

 ヒトラーは、中国人にも、黒人にも、ドイツ人にも同じく可能性を認めるアストロビオロギーをバカげているとこき下ろし、その後、ナチス・ドイツの大戦敗北を予言した占星術師カール・クラフトを監禁するにいたる。
 予言は、そこではなんの意味も持たなかった。
 決まっていることは、なにもくつがえされなかった。
 彼自身が、そのために作った組織であっても。
 彼はいまの自分を否定できなかった。
 絶対の占いに、いまの自分を否定されたとき、人はどうすればよいというのか。

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 すべては“そうあるべき”と神が決めた
 “運命”“宿命”…なんでもいい
 起こったことは変えられない


 映画『デジャヴ』

DEJAVU

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 しかし捜査官ダグは、過去を変える。
 『デジャヴ』はタイトルのせいで観る人を選んでいる気がするが、実にわかりやすくタイムパラドックスを映像化した教科書のような作品であり、多くの人が観たあとに考え込むだろう良作だ。捜査官ダグは過去を変える、といま書いたが、それは実際に変えたのかどうなのか。あのときの挫折がなければ決心もなく、そうすればいまの私はここにいないからあのときの挫折は必要だったのですね、おお神よ。という方向に持っていくのが運命論を泣ける話にする秘訣だけれど、月からの天啓であろうと、政府が持っていた未来を予知する装置(実は嘘)であろうと、結局、描かれる物語はひとつであって、だとしたら「変更された未来」というものは、そこではなにも変更などない予定調和だったということになる。
 お姫様は王子様と結ばれる。
 お姫様はその結末のためにはっちゃけた大活躍をするのだが、きっとそんな努力はしなくても未来は確定していた。
 いや、その努力さえもが運命というレコードのなかには織り込み済みなのか……
 ダグは未来を操作するために過去を操作する。
 しかし過去を操作したダグは最初の状態のダグと同一人物?
 悩ましいところだ。

 そんなこんなで、なにを書いているのかよくわからなくなってきて、人生なんてなにやっても生まれつき決まっているものなんだと、どんよりしてきたので、ゲイの黒人しかも問題人物であるレナードを大親友として持つノンケの白人にして人生哲学の天才、ハップ氏が、自分がゲイであるから不利益をこうむっているとなげく親友へ言いはなった言葉で締めてみよう。
 しかしまったく今回はなんの話なんだこれは(笑)。

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「おまえ『ビーバーちゃん』を見たことあるか?」
「ああ」
「番組のおしまいに、たしかおれの覚えているかぎりでは、ウォーリーとビーバーの兄弟が、いっしょの部屋で、電気を消して寝る前におしゃべりするんだよ。そのおしゃべりの中で、今日見たばかりのエピソードと、連中が出くわした問題を考えるんだ。そして、その最後の数分間で、万事が解決し、片づくんだ。次の週にはお荷物なしで新しいエピソードがはじまるんだ。わかるか?」
「なにが、だよ?」
「人生なんてそんなものじゃないんだ」
「ああ、その通りだな。おやすみ、ウォーリー」
「おやすみ、ビーバー」


 ジョー・R・ランズデール 『ムーチョ・モージョ』

lansdale 

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 ランズデールのハップ&レナード・シリーズに教えられたことは多いが、なかでもハップの人生を達観した物言いは、記憶に残ってときおり日常生活のなかで浮かび上がり、ハップのように無一文で就職面接に行っているのにニワトリを警備することにプライドが許さず面接官に噛みついたり、悪なる巨大プロレスラーと睾丸電流マッチをくり広げながらもツバを吐いたり、ハゲつつあるそれがチャーミングだと彼女は受けとめるかもと前向きに口説いたり、読んでいるこっちもそういうことができそうな気にしてくれる。
 ここで大事なのは、実のところ、ハップとレナードもまたウォーリーとビーバーだということだ。
 振られても振られても次の女(男)のケツを追い、仕事をクビになってよけいなことに首をつっこんだりしなければ、シリーズが続かない。
 ほんと人生なんてそんなものじゃないんだ。
 悪い占いは、毎日空から降ってくる。
 解決する問題なんてないし、明日はまた来てしまう。
「ウソでしょ、こんな予言が!」
 まずはそれがなければ、ただ幸せに抱き合って眠る恋人たちを描いた本に、映画に、金を払うやつはいない。
 人はどうして運命を論じるのが好きなのか。
 人はどうして人生を操作する物語に惹かれるのか。
 人はどうしてつらい今日を達観できるハゲかけたおっさんをヒーローと受けとめるのか。
 
 ねじ曲げたいと望む予言のある人生こそを欲しているからではないのかな。
 そう、思う。
 わざわざなんでそんなことを、そんな相手を。
 こんな人生を?
 じゃあ、タロットカードをめくって出た、その運命と、いまのあなたの人生をとりかえっこする?
 私はイヤだ。
 そこにいるのは、きっと私ではない。
 だったらそこではけっきょく「いまここにいる」私の人生は消滅してしまうことになる。

 おやすみ、ウォーリー?
 いや、ビーバーまだ寝るな、なんにも解決しちゃいねえよ、あしたの仕事にさしつかえても、おれはおれが納得するまで語り続けるぜ。目をこじ開けろ、しっかり考えてみろよ、このままねむっちまって、この件はなかったことでいいのかよ!!

 そう叫ぶ毎日こそ、理想です。
 解決できない問題山積みだから明日という時間が必要で。
 突拍子もないキャラが登場しないとシリーズは続けられない。
 占いとは、身構えるためのものだと思う。
 運命は変えられない。
 けれど、その味わいは変えられる。

 大凶?
 たのしくなりそうじゃん。
 そう呟けるヒーローにあこがれる。
 そういう話だってことで、また来週。




(念のため書いておきますが、アストロビオロギーとは『帝都物語』におけるフィクションであり、史実ではありません。偉大なり荒俣宏。神出鬼没の加藤保憲、現代に出現させてほしいなあ)

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