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『ニュートンズ・ウェイク』の話。

 彼は周囲の十一次元空間を眺め、全体像を把握した。すべてが自由で、すべてが定まっている。なぜなら、意志されるものがどこになくてはならないかが意志されるからだ。それはなお明確であり、なお彼自身の決意によって決定され、決意されていなくてもつねに決定されている。それを矛盾だと考えていたことを思い、彼は声を上げて笑った。


 ケン・マクラウド 『ニュートンズ・ウェイク』

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 ノーベル賞を獲った南部陽一郎先生は、SF好きのあいだでは「対称性の自発的破れ」というノーベル賞の受賞理由になった発見よりも、その十年ほどあとで発表した弦理論の創始者として名をはせている。極微の粒子をつかまえて、それは粒でなく弦だ震えているんだ量子的に巻きあげられておるのだよ! という話をするのに、南部先生は二十六次元まで使ったらしいが、まあけっきょくその説はいろいろ不備があったわけで……でもその後、弦理論を補強した超弦理論が他人によって語られて、そもそものヒントを作ったのは南部先生だということで有名なのである。

 物理学者は計算するのに多次元を使う。
 次元を増やすといろんな角度からものが見えるので説明しやすいというのだが、そう言われれば、物理のことなんてさっぱりな私でも、そりゃ二次元の平らなのより三次元の立体のほうが物事は説明しやすいだろうし、だったら現実にはありえなかろうが、次元がいっぱいあることにすればものすごく説明しやすくなるのだろう、というくらいは理解できる(もちろん、読むほうにも数十次元をイメージする能力が必要になるので、結局のところわかりやすく説明するための作法が、大多数のひとにとってはよりわからないということになるのだが)。

 物理学者以上に、宗教家、とくに精神と宇宙がつながっていてどうたらこうたらというような説教好きな新興宗教家は、多次元を好む。いろんな数字と組み合わせて次元でググってみるとおもしろい。あっちの宗教家は二十次元が最高位だし、そっちの宗教家は八次元くらいのシンプルな物語を構築し、たちが悪いのになると無限の次元が存在するとか言い出す始末である。まあ、壺を買えばつぎの次元の悟りが開けて世界の新たな面が見えてくるという商売では、次元の高みは限りなくしておいたほうが後々便利なのだろう。

 マクラウドの書く十一次元空間とは、電子的に記録されていたがふたたび再生されてまた電子になったひとりの歌手が見つめる白い世界である。そこがどこであるかはあんまり問題ではない。なんかそんなふうなところなのだ。そんなのは読者が勝手に考えればいいことで、ともかくそこで彼は死んだはずの彼女に逢い、そもそも彼女が死んでいたのが以前の自分のいた次元でのことだと考えたらよくわからなくなって考えるのをやめる。

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「なんで話なんかしてるんだ? いくらでも──」
「しなくてはならないの。あなたが尋ねなくてはならないから」


 ケン・マクラウド 『ニュートンズ・ウェイク』

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 話さなくてもすべてが通じあえる世界で、関係で、でもあなたが尋ねる必要があるからあたしは話をしている……そもそもそこにあるのはだれの意志だろう。彼がなにかを決めるから、そのために彼が必要なのか……それとも、彼の考えによって決定されたそれがあるから、結果として彼は在るのか。

 大事なのは、なんだ。
 つまりは、彼はそこにいるということである。
 目の前に彼女がいるということである。
 尋ねればいいのだ。
 人生とはそれだけだ。
 説明しようとして作家はいろいろな物語を書き、学者は宇宙を細切れにするけれど。

 おれここにいる。
 きょうもげんき。
 いまいいきぶん。

 だったらそれで問題はない。
 こまかいことはみんなゲームだ。
 ヒマだからやっているだけである。
 宇宙がどこでできていようができていなかろうが、世界はここにあっておれたちはキスをするんだぜイエイ、である。
 おもしろいから、ゲームでもしてみようかとヒマをつぶしながら。
 
 ダイナマイトとかだとよくわかる。
 岩盤砕くのに便利になって工事人が死ななくなった、そのすごいのを考えた人に金メダルをあげよう!! とてもわかりやすいが、鏡に写った対象性を持つはずの量子的なんたらが、じつは片方はほころんで、その歪みから宇宙はできたんだぜイエイ、とか言われても。

 なんかよくわからないけれどすごいゲームで高得点を上げたひとなんだね。
 というくらいにしか認識できない。
 認識できないけれど、それでいいんだと思う。
 すごいひとがなんか世界的な賞を獲ったらしい。
 褒め称えて自分のことのようによろこびたい。

 私のなかでは、量子物理学も宗教家もいっしょくたで、むしろ目に見えない粒が二十六次元で歪んだから渦巻いて世界がぽんとできた、なんてのこそ、そりゃひとつの宗教じゃねえ、と思ってしまうのですが。なんにもわかっていない私でも、学者さんたちがいるから自分はゾウの背中のうえの半球でのたうちまわっているのではないと知っているのだからすごいことです(その当時は、世界がカメの甲羅のうえにあると論文(?)発表したひとが物理学者だったんでしょうけれど)。

 世界をもっとも小さく切り分けると、ゼロ次元の粒子ではなく一次元の弦であり、そこに存在したはずの超対称性はいまはもうこの世界にはないが、宇宙が生まれたころにはあったのなら、いつか『ニュートンズ・ウェイク』のように「超ひも」を人為的により出す糸巻きも作れるようになって、いろんな世界を行き来したりできるようになりますか? スタートレックのエンタープライズに乗れますか? 超ひもをたぐりよせてワープ! 科学はひとをどこに連れて行きますか。バックアップをとって愛す人が死んだら生き返らせることさえできるようになった世界で、ひとはまだ本当にだれかを愛したりできると思いますか? 自分がいなくなってもすぐにバックアップを再生して自分が生き返るのに、その世界でも自分自身は大切でしょうか。ひとの精神を量子的に映したら、そこにも対称性の自発的破れはあらわれて、ちょっと違う私になりますか? でもだったら、その歪みから生まれてくるものもあるのでしょうか、この世界のように。

 狩って喰い生んで死ぬだけだった人類が。
 数十次元の向こうで、生まれた宇宙のことを考えている。
 そんなゲームにさらに深みを持たせたひとだってことですよね。
 すごいや。
 ノーベル賞、おめでとうございます。

 少なくとも私にとって、弦理論がなければ『ニュートンズ・ウェイク』という小説も生まれていないから私も読んでいなくて、読まれるために書かれたのか、書かれたから読んだのか、どっちが先かはわからないけれど、事実が霧散すれば私のここにあるのだってあやふやになってしまうのだから。先生がたのおかげです。私はちゃんとここにいます。宇宙も世界も、ちゃんとあると知っている。
 すごいや。
 なにもないところから、歪んで世界が生まれた。
 おかげで私がここに在るなんて。

MacLeod

(まあ、というわけで。この小説も、読むひとの側に能力が要求されます。ひとによってはぜんぜんおもしろくない、意味不明と感じるかも。私は、真顔のバカは好きです。ヒロインに量子的に閉じこめられていたオッサンがツボだった。『Halo』のコルタナもきっと思ってる。彼に触れたいってね。全体的にそういう裏返しだと私は読んだのですが、深読みしすぎか。記憶に残る作品ではあります。ノーベル賞のニュースで「超ひも」の創始のひとだ『ニュートンズ・ウェイク』! と私は本当によろこびました。先生がたにとっては、わけのわからんファンでしょうけれど(笑)) 

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