最近の記事

スポンサードリンク

月別アーカイブ

『吊された男』のこと。

 未来が確定しなければ道は描けない。
 その考えかたは潔いけれど、しんどくて。
 この世には、占いというものがある。

 タロットカードを引く。
 それは本来、未来の確定である。
 きっと、このような占いの生まれた当初は、そうだったはずだ……西に向かうか東に向かうか、それによって民族すべての命運が決まるような状況で、あいまいな託宣などかえって迷惑なだけである。占うならば、結果は揺らぎのないものでなくてはならない。投げた木片は裏だった。だったら東。解釈の余地はない。

 けれどその後、未来を自らの意志で紡ぎ出せると信じる王たちが生まれ、そこで占いは民衆か、もしくは王本人の〝自由意志〟を確定させるための装置になっていく。すなわち、迷いをふっきるための儀式に。巫女は亀の甲羅に現れたひび割れを見て、そして一瞬、王の顔色をうかがい、常日頃から王が漏らす言葉から推測される、選択肢のうちのひとつを提示する。「おお、やはり」と民も王自身もうなずき、そうして未来は確定される。
 その時代からの、占い師は、言いかえれば相談役である。
 時代を動かす、現実的な権力を持つにいたった魔女も多かったはずだ。

 そうやって、占いがひとつのショーとなっていった。
 目の前の王を説得するために、より説得力のある道具として亀の甲羅よりも色とりどりに塗られた無数の貝殻がつかわれるようになり、そしてトランプ、タロットカードが生まれる。

 つまるところ。
 占いは、進化することによって、なぜかややこしいことになったのだ。

 私はあまりタロットカードにくわしくない。
 そんな私が、たとえば。
 『吊された男』のカードを引いたとしよう。
 私はそれを悪い意味にしかとらえられない。
 だって男が逆さまに吊されているのである。
 希望に満ちた未来がそこに描かれているとは、とても思えない。

 だが実際には、あとづけなのか、もともとその意味でデザインされたのか、それはわからないが『吊された男』の図は、けっして悪い意味でとらえるものではないという。図のなかの彼は笑っているでしょう、と占い師が言う。これは罪を受けているのではなく、一種の修行なの。バンジージャンプがとある民族の成人への通過儀礼の儀式だって知ってる? そういうもの。二本の生い茂った木に挟まれ、自分は越えなくてはならない儀式の渦中にいて、それでも彼は笑っている。そんな図が悪い意味なわけがないわ。

 占いとはそういうものであり、そういうものが最終的に占いの本道としていま残っていることは、実に興味深い。

 未来が確定しなければ道は描けない。
 それゆえ迷った者はカードを引く。
 しかし、すべてのカードに良いも悪いも無数の解釈が存在するため、悩める者の自由意志はまったく制限されず、それではなんのためにカードを引くのかといえば、きっとそうなのだ。

「おお、やはり」

 チャンピオンを目指す者が、チャンピオンベルトを巻いたあとに、やっぱりおれがチャンプになるはずだったんだ、と思うのでは遅い。思うならば、すべてを手に入れる直前の戦いの、そのさなかに思わなければ、良き未来は確定しないのである。最終ラウンド、疲労したふたり。ふたりともに観客からの声援が飛び、どちらも等しくセコンドから勇気を振り絞れと声援を浴びている。
 それは一枚のタロットカード。
 どちらの目にも、見えていたはずなのだ。
 けれど、そこにふたつの未来が確定する。

 どんなカードが出ても自分の読解力で良い意味に取ってしまうひとでなければ、タロットは愛せない。だってカードがぜったいなら、ぜったいに悪いカードは引けないし、どの図にも悪い意味しか見いだせないひとは、そもそも占いを愛さないでしょうし。
 だから光がどうやって最速の道筋を通ってたどり着くのか意味はわからなくても、その道筋を計算で導き出せるようにまでなった人類が、いまもあいまいさの残る占いという世界の有り様をあらわすメディアを愛するのは……やっぱり、選ぶ、ことがいつでもひとには必要だからなんだろうとも、思うのでした。

 『ロッキー・ザ・ファイナル』で、ロッキーが復活するきっかけになったのは、現役時代のロッキーと、現チャンピオンが戦えばどうなるかという、シミュレーションをCG再現した試合が放映されたことだった。私もよく遊ぶが、パラメータ化された選手たちがリアルに試合を繰り広げる現代のスポーツテレビゲームは、観戦モードで見ているだけでも楽しい。現実にはぜったいに対戦しないふたりを、画面のなかで対決させて、そこでは緻密に数値化されたふたりの選手が、ひとつの未来を形づくる。
 しかし楽しいが、そこに感動は生まれないのである。
 けっして生まれない。
 ロッキーは、本人がリングに立ったとき、はじめてロッキーになる。
 選んだから、ひとは心を揺さぶられる。
 現役時代ならともかく老いたロッキーがチャンプと?
 結果は、未来は見えているのに、ロッキーはリングに上がり、己の人生をねじ伏せる。

 確定した未来を、解釈で選ぶ。
 未来が確定しなければ道は描けないが、未来を決定させたのが自分であるならば、それはけっきょく自由意志のなせるわざであり、その道を歩く私はやっぱり選んでいる。
 選んだ以上、この道を行く。
 その覚悟こそ、ひとが欲するものなんだと思う。
 だからシミュレーションでなく現実にひとは戦いつづけ。
 分岐路の前でタロットカードを引くのでしょう。

 さらに迷うために。
 それでも揺らがないことを確かめるために。
 『吊された男』さえもが笑っているように見えたなら、それはもう間違いないのだから。
 この道で、あっている。

tarot

(くりかえしますが、私はタロットのことをよくわかっていないまま書いています。なにか、そこの解釈はどうかしらん、というようなことがあれば、ぜひとも御教授おねがいいたします)

TRACKBACK http://yoshinogi.blog42.fc2.com/tb.php/228-3cd70412

モンクレール 2012  モンクレール 2012  2013/12/22 06:42
『とかげの月/徒然』 『吊された男』のこと。