台湾のコンセントは、電圧が110Vで周波数が60HZ。
コンセント形状は日本と同じ。
60HZといえば西日本と同じ周波数だし、電気屋に行けば110Vの電球も売っているくらいで、送電線までの距離によっては一般家庭でも110Vの可能性は高い。
(ちなみに「うちってよく電球が切れるのよぉ」というお宅では、電圧が高い可能性があるので110V球を使うと寿命が長くなる。単純な計算の問題で、100Vの場所で110Vの電球を使うと、明るさが落ちるのだが、逆に言えばそんなに煌々と明るくなくてもいいから長寿命であって欲しい場所の電球などは、110Vを選ぶのが賢い。まあ、世界政府の方針としてシリカ球は消えゆく運命であり(日本の経産省も2010年末までにメーカー各社は白熱球の生産、販売を自主的にやめるよう指導している)、今後は蛍光灯球が主流になっていくようだから、あきらめて蛍光灯に慣れるのが一番だと思いますが……しかし蛍光灯球は、性能が上がったといっても、トイレなどで使うと明るさがマックスになるまでに用が済んでしまって出る、というようなこともたびたびで。完全に蛍光灯のみに切り替わるためには、せめて5秒フラットほどでマックスまで持っていく技術進歩が必要でしょう)
というわけで、日本の電気機器も、西日本や、電圧の高い場所でも使って問題のないように、110V/60HZは許容できる設計になっているはずだから、台湾でもそのまま使って問題なし。実際、この旅行記に使っている写真を撮ったカメラのバッテリーも、問題なく充電できている。
そんな事情もあり、台湾の方々が日本に観光に来たとき、おみやげには決まって電気製品を買うという。そのまま使えるし、なにより日本車が走りまくっていることを見てもわかるように、いまだ多少高額であっても日本の製品は品質が高いという信頼感があるようだ。
台湾が世界に誇る101タワーのエレベーターに乗ったのだが、そのエレベーターが東芝製であることを、とても声高にアピールしているのでおもしろかった。日本製ですから安心です、展望台のある89階まで37秒で到達する時速60.6キロメートルの速度での上昇は、世界最速としてギネスブックにも認定されているのです……事実、このビルを建てるときに地震が起きて大事故が起こったり、そもそもこのビルを建てたせいで地震が起きたのだという論文が発表されたりで、台湾の人々のなかにも「足場もまっすぐ組めない工事人ばかりのこの国で世界一の高層ビルなんて建てて平気なのか」という思いがあるらしく……最上階ではアメリカのすばらしいCGカメラで楽しい合成写真が作れますよと客寄せしていた。
うちの国のじゃないから安心ですぜ旦那、なんて呼び込みを、普通に一日に何度も聞くのは、どうかと思う。まして地上382.2メートルの高さで、工事中に一度クレーンを落下させている世界一のビルの展望台にいるときには、あまり聞きたくはない。
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台北101公式サイト・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ところで、世界一のビルのわりに、101の展望台では腰にロープをつけることもなく、吹きすさぶ風に生身をさらして歩き回ることができる。飛び降りたりする人がいないように、出て行く人と戻ってくる人の数を厳重にカウントしているが、ガムを噛んでいたことをとがめられたりはしたものの、大きな荷物を持っていても平気で通過できるため、いずれあのビルからパラシュート背負って飛び降りる
冒険野郎マクガイバーが現れることは確実に思えた。
そんな、電気消費大好き、先進的な台湾の方々なのだけれど。
ひとくくりにはできない、そこがその島のおもしろさ。
前回は、島の周辺部の平地でいかに人々が密集して高層化し息苦しい生活をしているかを見つめたのだけれど、それは裏返せば、台湾の領土のほとんどは、人口密度のおそろしく低い、山岳地帯であることを指し示している。
自給自足で、動物と植物に頼って生きるならば、平野が広がるだけの海の近くへと移住するのは自殺行為である……山には、山の恵みがあり、それなくして山の民は生きてゆけない。
台湾の高速道路を走っていると、そこかしこに墓がある。
山の斜面を、整備することもなく、草の生えた斜面のままに建てた、色とりどりの墓。
墓石ではない。
それは、小さな家だ。
死んでなお、山に棲む。
原住民と呼ばれる人々が、台湾には確実にまだまだいる。
彼らは、つい最近まで台湾自治の法にも従わず、部族同士で争って、玄関に敵の首を積み上げたりもしていたらしいが、原チャリ四人乗りをとがめない台湾警察も、さすがにいまでは殺人は許さない。
それどころか、狩りも許さない。
勝手に山を切り開いたりも許されない。
原住民にとっては自分たちの山であろうに、いつのまにやら島は台湾国家を名乗る潮流に乗り、お前たちも文明人になれと強要する始末なのである……彼らの多くは、それでも、いまも山にいる。政府との衝突の果て、保護区域をもうけられ、絶滅危惧種のように「ここから出るな」と申し渡された土地に棲んでいる。
いよいよ、山の民としての生活など成り立たないはずだが、それでもかたくなに山に居座る彼らの多くは、金を稼ぐために出稼ぎに出ている。そして、稼いでは山に戻ってくる。おかしな話だ。山に生かされているからこそ山に棲んでいたはずが、喰うためにほかの土地に出なければならなくなっても、家はここだと、魂は太古からの部族だと……
そこに墓があるからか。
ともあれ、そんな部族が台湾には山ほどいるのだが、そのなかには長い年月のうちに、観光客相手の商売を新たな食いぶちとして開拓し、保護区域を開放して、予約なしで外部の人間を迎え入れる者たちも出てきた。
免税店にデフォルメされたキーホルダーも売っている。
いまでは台湾の名物になった、もっとも人口の多い原住民族。
阿美族──アミ族の村を見に行った。
村といっても、完全に観光スポット。
台湾の半分である2サイクルエンジンを載せたトロッコ列車に乗って、絶景のなかをスイスイ進む。山の斜面には階段もあるのだが、だれもそんなものは使わない。しかしその階段は阿美族にとっては重要なものであると、トロッコ乗り場の巨大人形が教えてくれていた。

阿美族は女系社会で、財産は長女が受け継ぐし、代々、母方の姓が引き継がれる。
彼らの最大の特徴は、女性がデカいことである。
実際、みやげ物屋には観光客と並んで写真を撮るマネキン役の、おそらく村で一番かわいらしい十代の少女が民族衣装で立っているのだが、確かにかわいらしいものの、肩幅の広さたるや天性のスポーツ選手のそれである。日本のアイドル志向な女子プロレスラーなどよりもずっと骨太。並んで撮った写真の私は日本の平均男性の身長があるが、平気でそんなもの見下ろすガタイなのだった。
そして村の象徴として建造されているその像は、阿美族の男たちの過酷な人生を物語っている。
彼らは嫁をもらう……否、婿に入る……そのとき、この像のようにデカい阿美族の女性を背負って山の斜面を登ることを強要される。そのあたりの思想が女系族の女系たる性質だが、大きく強く美しい女たちが部族を仕切っているからといって、男性に奥ゆかしさや慎ましさが要求されることはなく、男どもはより強くなければ家族の一員となることさえ許されない。
デカパワフルダイナマイトボディな女性……つまり阿美族での有力者を、背負って山を登ることのできない種馬は、分相応な小柄で軽い貧乳女性を愛して村の外れでひっそりと暮らさなければならないのである(むしろその暮らしこそ現代都市に生きる男性としては癒しの理想郷な感じだが)。
「あたしに子を産ませる男は、あたしを乗せてふらつくような背中ではいけない」
ラオウが黒王号を愛する理由と同じ。

マッチョにマッチョ好きが多いのと同じ。
阿美族の結婚の儀式の直前は、選んだ種馬に「あたしを背負って山を駈けのぼるだけの」ボディビル筋肉をつけるべく、ハードなトレーニングが行われたことだろう。
いまでは阿美族の大半は平らな土地に暮らし、「大都会の原住民」と呼ばれている。
きっと山を最初に逃げ出したのは男たちであったのに違いない。
見あげれば、裏山にはボロっとした歴史的建造物がいっぱい見える。けれど、そこへと観光客を導く道はない。われわれ外部の者は、トロッコ列車を降りると、彼らの建てた巨大なみやげ物屋に案内される。まあまあお茶でもどうぞと日本語で阿美族は言わない。
彼ら……いや、そこで働くほぼ全員が女性だから、彼女たちは。
自分たちのデカさを知っているのである。
デカいけれど、かわいらしいことも、美しいことも。
代々、女系を貫いてきた血のなせる、女としての威厳が、その身からむせかえるほどに香っていることを、自覚しているのである。
だから、観光客のための言葉をおぼえたりしない。
お茶を飲んでいたら、いきなりテーブルがふたつに割れた。
天板が割れると、そこはショーケースであった。
なかには宝石アクセサリーの類がぎっしり並んでいる……
山でとれた天然物であることは言われなくてもわかる。
すばらしく輝いているからではない。
そこについている値札の数字が、どう考えても山の絶景と素朴な原住民を眺めにやってきた観光客が、テンションがどんなに上がったとしても買うはずのない高額を示しているからである。
「ん?」
阿美族のでっかい女たちが、私を見下ろして小首をかしげる。
いやいやいや……それで売れると本気で思っているのか。
ていうか、売れたことがあるのだろうか。
このあたりでかなりイヤな予感だ。
ほかの土産を見るそぶりで、お茶を辞退して歩き回ることにする。
しかし、どこへ歩いても私の見たものを手にとっては笑顔を作り、うやうやしく掲げて、
「ん?」
と繰り返す女どもがついてくるのだ。
ぶっちゃけ、放っておいてくれて、ゆっくり見せてくれたなら、数千円のトンボ玉などは私の趣味に合わないこともなかったのに……手にとったりしようものなら数人に取り囲まれて「ん?」の合唱がはじまることは目に見えているので、おちおち興味を示すこともできない……みやげ物屋で、客のほうが作った表情で興味のないふりを演じるだなんて……だれかこいつらに接客のイロハを教えてやれよ、と本当に叫びたかった。
私も接客に携わる者として、言葉が通じるなら、説教したかった。
請われるまで待ってこそツンデレ。
鉄則である。
客がすぐそばにいても、相手が請うまでは無視し続ける。
それでこそ必要とされたときに見せる接客スマイルが武器になる。
押しつけたデレなどで萌える客はいない。
きっと、だれにもなにも教わらず、ときどき押しに弱い客がいきおいで買ってしまったりするのを大成功と思いこんで、そこに特化して独自に形成された接客術なのだろう。
彼女たちは、気づいていないが、
「いやあ、あの子たちの接客ったらすごかったねえ、あれで売れたことあるのかな」
と、訪れた全員があとで話に花を咲かせているのである。
つまりは原住民らしい無垢なとっちらかった商売ぶり、そのものが見せ物と化しているのだった。
見る限り、当たり前だがひとつも宝石は売れないまま、観光客たちは「時間だ」と急かされて、みやげ物屋の四階まで連れて行かれ……そこには、立派なステージがある。
事実、そのショーはすばらしい。

デカい少女たちが大音響のなかでミニスカ民族衣装で跳んだり跳ねたりするさまは、一年の行事を追い、彼女たちの人生を追って、物語を綴って見飽きない。
おそろしく歌のうまい女ボスが朗々と歌いあげ、収穫祭の踊りで米が宙を舞い、部族の踊りのなかでも、もっとも盛り上がるクライマックス……婚姻の宴がはじまる。
いやがおうでも密室で大音響で小一時間も汗だくのダンスを見せられたら、客のテンションは上がっている。ところを逃さず、彼女たちは客席をまわって造花のレイを首にかけては手を引き、客をステージに上げてゆく。私も固持したが掴んだ手を放してもらえなくて引っぱりあげられた。みんなで輪になって踊りましょうと誘導していくのだが、あきらかに私に対する思惑が感じられた……まだ私になにか売るのをあきらめていないのか!?
左手に、見も知らぬ外国人のおねえちゃんの手をつながされた。
ああどうもなんだかこっぱずかしいことですねえ、と手をつないだ彼女と苦笑いする。
している間に。
右手に、やたらはっちゃけたテンション高き阿美族の少女が強すぎるシェイクハンドを求めてきて、そのままダンスがはじまって、みんなで手をつないだ輪を大きくしたり小さくしたり……って!!
そこにも独自の接客術。
あきらかに阿美族が、そのダイナマイトなガタイを押しつけてくるのである。
ねえちょっと胸がむにゅってなってるんですけど……と見つめたら笑顔だし。
はいはい、なるほどね、阿美族の男はステージにいないから、観光客の女性には観光客の男性をあてがって、観光客の男性には部族の精鋭たちがその豊満な肉体を武器とするわけですな……だったら私も、左手の彼女に優しくしてあげないとね……って!!
というようなツッコミどころ満載の、せっかく素敵だったショーが失笑ものになる大団円を迎えたところで、音楽が最高潮に達するなか、フラッシュ!! またフラッシュ!! あっちでもこっちでもフラッシュ!!
イヤな予感である。
左手の彼女と目配せして、ここを逃げましょうとステージを降りる。
見れば、そこかしこで同じ光景が……ステージ袖では、阿美族総出でなにか作業に没頭しているのだが、よく見えない……音楽はやまないが、ショーは終わったようで、でも出て行けという指示もなく、むしろ少女たちが出口を封鎖している……ああなにされるんだろうな……
思っている間に、ステージ袖で作業していた全員が客席に乱入した。
手に持った、いくつもの小さな小枝細工の額縁を、眺めては客の顔を見る。
ポラロイド写真だ……
阿美族の少女と胸がむにゅってなるまで密着して撮った写真とか、一期一会のどこかの国の彼女と並んだ写真とか……ていうか黒ずくめでサングラスまでかけている私は、写真を見るまでもなく、あっというまに人物を特定されて、とりかこまれて額縁を押しつけられている。
見れば、にやけた私が写っている。
いるかよこんなもの!!
「あらあ、記念にくださるの?」
世間ずれしていない日本人のおばちゃんが、のんきに言ってはなったが、阿美族と来たらあろうことか、こくこくと頷いている。ちょっとまていまのやりとりは絶対に日本語がわかっているだろう、お前ら出口で写真はサービスだが額縁代をとるという古典的押し売りを村ぐるみでやる気満々じゃねえか!!
「コレ、いくら?」
はっきり訊いたら、ちょっと考えて、小娘が言った。
教育が行き届いていない。
日本円にして千五百円くらい。
つーか、やっぱりこいつら日本語も英語もわかってる。
だいたい、ステージに立っているきれいどころのひとりに、あきらかにハイヒールダコがあったのを私は見逃さなかった……その身長なら、都会でもマネキン引く手あまただろう……出稼ぎして、週末は観光客をカモる。
したたかなり女系部族。
ソーリー、と言って押し返して逃げました。
何人かの気の弱い女性に「いらないの?」と確認して、押し返す手助けもしました。
でも、蜘蛛の子を散らすように逃げまどう観光客たちが、夏日の太陽降り注ぐ外に出て目を細めたとき、かなりの人数が、精算を終えて手提げ袋に入れられた額縁を持っていた。
これを一日数ステージやれば……
そう考えれば、もしかして、最初のあの売れるはずのない高額な宝石を押し売るそぶりは、最終的にその写真の値段を安く感じさせるための布石だったのではないかと。
本当にイヤだったら出口でも客は財布を開かないだろうから。
多くのヒトがあからさまな押し売りであったにもかかわらず、そのポラロイドを買ったということは、その値段なら買ってもいいやと諦めたということなんだからね。
それはそれで、有効な接客術だったのかもしれない。
外国語がわからないふりも、面倒くさいからそれくらいなら払って店を出るかという心理を後押ししている。
その山で、彼女たちでしかなしえない、接客。
都会では絶対に破綻する。
きっと今日の客には二度と逢わない、キワモノ原住民族見せ物女だと自分たちを理解していなければ、決してできない、リピーター獲得率ゼロの接客。
で、こうして、帰ってきて話題にする私みたいのがいて。
また、別の観光客が訪れるのだ。
地球という山を、棲処にしたも同じ。
しゃぶりつくす、したたかな女たちだった。
向こうも必死だから、笑えるくらいに鬱陶しい。
でも、台湾でスモッグ地獄な都市で買い物だけして帰るっていうのは、あんまりにもったいない。
山はキレイでした。
揺れるトロッコにみんな笑顔だった。
遊泳禁止の川で、本気で水泳競技の練習をしている人がいた。
河原では温泉が出て、人々が湯浴みしている。
山道には、どうやって持って帰るんだという大袋に入った乾物が、信じがたい安値で売られている(アガリスク茸とか、なぜ小袋で売らないのか不思議だった。あれだけ観光客がいれば小袋を数売るのが失敗のない道だと思うのだが……おそらく、忙しくなるのがいやなのだ。露天でもやっぱり台湾の店員は無愛想に接客することもなく茶などしばいている)。
観光地になることで、生き延びた。
太古の台湾が、その島の山岳地帯にはまだまだまだ。
今年の初め、中国新聞社が伝えたところによると、台北で遺伝的にまったく手足の指紋がない一族が確認されたという。
川口浩隊長も猛毒ハブ異常大群団と台湾で死闘を演じていたし。
台湾には、まだまだまだまだ、あるのだ。