最近の記事

スポンサードリンク

月別アーカイブ

『飛の字とDの食卓2』のこと。

 ヘロー。
 チキュウヘロー。
 ワタシハゲンキデス。

 吉秒、戻ってまいりました。
 ヴァンパイア話を続けたいところですが、書き終わったらさっくりと熱が冷めてしまったので、続きの話は続編を書くときにでもいたしましょう……そういえばいまノイタミナでやっている『墓場鬼太郎』の第三話が吸血木の話でしたが、次の次のノイタミナが(2008年7月から)第26回講談社漫画賞・少女部門を受賞、新書館ウィングスで1999年から連載されていた全4巻なのに140万部を発行した新書館の誇る大ヒット作『西洋骨董洋菓子店』に決まったそうで。

game

 よしながふみ作品、初のTVアニメ化。

 「ウィングス」とか「新書館」とかググる人が急増し、痛々しい我が駄文にまたトラックバックスパムが急増し、毎日の削除作業になるのかと思うとちょっぴり憂鬱ですが、放映のまさにその時期、いま書き終わったそれがなんらかの結果を出していたのなら、こんな千載一遇のグッドチャンスはありません。野望が膨らみます(笑)。ヴァンパイア(という名称ではなく、例によって造語による新種俗名を与えてあります。それがそのままタイトルなので今回は自作引用とかここでもしません。企業秘密)を描いた作家として名を連ねられるなら、それだけで幸せ。よろしく願います新書館のエライ人。BL声優出ずっぱりのドラマCDが作れるクール&ダンディ&デンジャラスな吸血鬼野郎どもが文字通り斬っては舐めたり舐められたりの第七話ぐらいまで構想がすでに練りあがっておりますので。

 それはさておき。
 年明けから、さわったら原稿が書けなくなるので、本当に指一本触れずにいた『オブリビオン』を再開いたしました。
 もとはといえば、ファンタジーといえばこのゲームだろうと買ったもので、プレイしていたらそこにヴァンパイアが出てきて、それがヴァンパイア漬けになるきっかけだったのです。

game

(それにしても、このゲーム。ゾンビに咬まれたりすると「血友病」になり、そのまま放置するとヴァンパイアになるという設定があるのですが。血友病って実在する病名なのに、そんな扱いでいいのか。まあその世界では、ヴァンパイアは弱点も多いものの、パワフルでクールな一種族として決して悪いことばっかりなイメージではないのだが……セガ製自虐RPG『セガガガ』に「アダルトチルドレン」という敵が出てきたのに抗議が来た件を考えると「血友病は教会が使えなくても疾病薬などで回復可能」というようなプレイ方法の説明などは、遺伝性の実在病名をよくもまあ平気で使うなとこっちが心配になるほどです)

 『オブリビオン』さわれなかったあいだは、息抜きに最適な、さくっとやれてさくっとやめられる『バーチャファイター4』三昧だったのですけれど、おかげで実績も800を越え、こりゃ1000までやっちゃう勢いです。

game

(「実績」というのはXbox360に実装されている、ゲームのやりこみ具合を数値であらわすシステムのこと。これがないPS3版では駄作の烙印を押されるゲームさえ、その駄作をやりこんだという実績を誇りたくて360版は熱くなれたりする魔法のシステム。マイクロソフトは、説明しても伝わりにくい楽しさなのであんまりおおっぴらに売り込んでいないけれど、実績システムがユーザーに、ゲーム個々ではなくXbox360というハードへの愛をはぐくませているのは間違いのないところです)

 なんだかんだで、私はゲームは「作業」であって欲しい派で、淡々と対戦相手を倒していく格闘ゲームや、まさしく「おつかい」を頼まれてそれをこなすという繰り返しのRPGなど、それこそが熱くなれる最たる形式だと思っている。
 永遠に終わらない『テトリス』なんて、もうほとんど禅の修行のようなものだ。
 修行というと楽しくなさそうだが、しかし人間の脳は、慣れた果ての繰り返しのなかでしか緊張を忘れられないし、そこでしか自分自身を見つめての恍惚は得られない生き物なのである。
 数ヶ月の苦行の果てに小説が書きあがったときの恍惚感が忘れられずに、金にもならぬヤクザな作業にはまってしまう人類があとを絶たないのも、やはり一種のゲームなんだろうと思う。
 そういう意味では、店の売上げを上げるのも、出世街道をよじ登るのも、やっぱり人生ゲームというやつなのかもしれん。
 退屈だからハマるのである。
 007のような毎日では、逆に三日で飽きてしまうに違いない。

 そう思う私なんだけれど。
 いつのまにやら世は、ゲームの定義を変えはじめていたりもするようで。
 世界では売れている360も、この国では任天堂機に水を空けられまくっている。
 体重計にのっかってバランスとるのなんてゲームか?
 いやプロレスのリングでおこなわれることはすべてプロレスだが……
 しかしそれはメインストリームか?
 ファン感謝デーがペナントレースより視聴率獲るみたいな現象に私は感じるのだけれど、
 でも実際に、売れているわけで。

 噂に聞くところによると、飯野賢治ひきいるD2クリエイターチームが、任天堂Wii用のゲームを開発しているらしい。

 D2クリエイターチームって!!
 しらねえだろWiiユーザーのほとんど全員が。
 飯野賢治の妻が由香さん(売れっ子ゲーム作家の妻として素人なのにゲーム雑誌にコラム書いていた)であることを知らないゲーマーたちのために、あの飯野賢治がD2スタッフを連れて?
 ていうかD2のスタッフって飯野賢治がゲーム作るのやめたことで路頭に迷って半数が自殺して半数が禅僧になったものだと信じていたのだけれども。
 生きていたのか。
 もう百五歳くらいじゃないのか?

 それに絡んでのことなのかどうなのか。
 第二子が生まれてすっかりパパばかっぷりを披露するブログになっていた飯野賢治ご本人サイトで、昨年末から唐突にゲームの話が蒸し返されたのを注目して読んでいる。

 『eno blog』 ←トップページ。

 『そろそろゲームのことを語ろうか。第1回『エネミー・ゼロ』

 なんだのかんだの言っても私は『D2』が忘れられない。『D』よりも『D2』。メッセージ性が強すぎるとかなんとか当時も言われていたけれど、しかし、あのゲームに出逢った瞬間が、私にとってはゲームが次の時代に行った瞬間だったのである。そういう意味では、飯野賢治が『E0』によってセガ機へとプラットフォームを移したことで『D2』は私のもとに届いたのであって(PSもPS2も所有はしていたが、そのころにはほとんど触れなくなっていた)、ソニーが飯野賢治にひどいことしなければ、私の次の時代への第一歩は大幅に遅れていたのかもしれない。

 いや、音速のハリネズミ、ソニックが『ナイツ』を経たセガの技術力によって広大なフィールドを駆けまわるようになった時にもちょっとは感じた。

game

 でも、『D2』が私を雪山のなかに放り投げたのは決定的だった──吹雪──当時のマシンスペックでは世界の果てまでを描くことは不可能だったのだが、飯野賢治は、それを雪山で遭難して怪物に襲われるというSF設定を使ってクリアした。吹雪では、数十メートル先が真っ白でも仕方ない。吹雪では、気づいたら目の前に怪物が現れていたって仕方ない。吹雪の向こうには、果てのない広大な世界が感じられた。

 と、いま書いてみて、でもだったら私の記憶のなかには飯野賢治が作ったそれまでのCGゲームも、あの映像のない音だけのゲームも、同じように強烈な印象を残しているのだと気づく。でもなぜか『D2』は特別。なぜなんだろうと思い返したとき、それはただ淡々と「作業」した記憶によるのだとわかってしまうのである。

 同じような記憶を私は、ほかにも持っている。
 その日、祖母が我が家に遊びに来て、私は勉強机に向かっていたのだが実はノートに落書きを必死になって書いていて、でもその私を指さして母は自分の義母に向かって「匠は宿題のまっ最中なんです」と言ったのだった。そうしてふたりはその場で、私の背中を見つめたまま世間話をはじめたのである。私は、近づいてくるな近づいてくるな、と唱えながら、一目でも見られたら幻滅される落書き群をもう一冊のノートで隠し、ふたりの女性の期待に応えるせめて演技でもしなければと思って、目の前のノートに、漢字の書き取りをはじめたのだ……しかしそれは演技なので、私はたったひとつの漢字を、延々と書いたのでした。やがて祖母が近寄って肩越しにのぞき込んだとき、私の一心不乱に書いた「飛」が数百字、びっしりとそして整然と……祖母がなにも言わなかったのは、怖かったからだと思う。そんなわけで、私はそれから数十年たっても「飛」という文字に特別な思い入れがあるのです。まったく好きな字ではないし、その日ノートに書き殴った以上の、なんの想い出もない。ただあの日の、十何分かの記憶によってのみ、きっと「飛」の一字は私が息絶えるまで私にとって特別。

 なんか、最初のひと、みたいな感じなんだと思う。
 よかったとかわるかったとか、思いがどうのとかいうことも、もちろんあるけれどそれ以上に。
 自分の人生のなかで、なにかを象徴する瞬間なんだと思う。
 おばあちゃんに見られているから肩と腕が勉強をしているように見えるために数百の「飛」を書いた。
 義母、という言葉自体をそのころ知ったのをおぼえている。
 おかあさんとおばあちゃんは、血がつながっていないけど仲良し。
 そのふたりが見ているのに落書きしてる自分。
 なんかたぶん、大人の選択として「飛」を選んだ自分を記憶しているんだろうな。
 実際にやっているのは、ばかな子供の行動そのものなんだが。

 『D2』をクリアしてから、また画面のなかの雪山に戻ったのである。
 そこでは、狩りができた。
 ゲーム本編とはまったく関係なく(焼いて体力回復の食料にできたりはしたが)、ライフルを持って、真っ白い雪山でウサギを、ヘラジカを、見つけては狙って撃つ。
 私はそれを延々と繰り返した。
 『D2』のもつ深いメッセージ性にも感銘を受けたことは確かだが、なぜ『D2』を強烈に脳に焼いてしまったかといえば、まぎれもなく、そこで狩りをしたからなのだ。
 ちょっと難しい時期で、私は悩んだりもしていて。
 狩りをしながら、いろいろと考えたことをおぼえている。
 壁を見つめて瞑想するのでは、見つけられなかっただろうことを、延々と指先と脳を動かし続けるゲームというトランス状態のなかで見つけた。
 近ごろでは、集中するのに延々と腕立て伏せやったりするのだが、そもそも私はそういうのが好きなのである。
 あの狩りは、確実に私を育ててくれた。
 『D2』が。

 狩りをたくさん成功させると、称号がもらえた。
 それ以上のなにか褒美があるわけではない。
 ドリームキャストの電源を切ったらそれまでの、そこだけでの栄誉。
 でもそれがあるから、延々と狩れた。
 「作業」がゲームになるのはその一点でだ。
 いっぱい組み立てたからお給料あげるね。
 そういうのと一緒。

 いま思えば、あれはまさに「実績システム」そのものだった。
 飯野賢治が、ゲームというジャンルに愛情を持っていることを、感じてしまう。
 本筋と関係なく、やりたい人だけが延々とやることのできる作業を用意してくれた。
 達成することのない「作業」。
 完璧な恍惚を。

 飯野賢治が「200万本売れるRPG」を作れる、と発言したのは昔。
 それは、お約束を守れば売れるものは作れるんですけどね、というマンネリ化した業界への皮肉だと私は取っていた。
 でも、作るほうも遊ぶほうも大人が深まってくると、私も近ごろ思う。
 期待に応えるのが、客商売のすべて。

 ゲーマーは、いまやWiiプレイヤーたちなのである。
 飯野賢治も、本当にWii向けゲームを作っているなら、私たちをそこに呼ぶようなものは作らないで欲しい。
 いかにもWiiな感じのを作って欲しい。
 かつてのドリームキャストでは、売るためのソフトのなかにマニアックな「作業」を織り交ぜたりしてくれたんだけれど、いまや、どこの業界もそうだけれど、ユーザーは自分たちの狭い世界をもっと深めたいと思っている。二台も三台もゲーム機はいらないんだ。マンガ雑誌を何冊も読みたくないんだ。そうして、大ヒット作は生まれない世の中になり、テレビの視聴率はウナギくだりになっているのだけれども。

 『D2』から、Wiiへ。
 なにやらかしてくれるのか、それは本当なのか。
 飯野賢治が、Wiiで売れるもの作って、そして『D2』のことなんてぜんぜん知らないだれかに、あのWiiで有名なあの人がむかし作ったゲームでこういうのがあってさ……
 しみじみ、語りたいのである。
 期待しています。

game
 

TRACKBACK http://yoshinogi.blog42.fc2.com/tb.php/184-0a22718f

クロムハーツ  クロムハーツ  2013/10/24 16:51
こんにちは 最愛の人 。私はたいこの記事はと言う驚くべき素晴らしい 、 素敵書かれており、 インクルード ほとんど全て重要に関する情報です。