最近の記事

スポンサードリンク

月別アーカイブ

『ヴァンパイアと12色のクレパス』の話。

 わたしは、あなたがたが戦争で互いに殺し合うのを見てきました。ヴラッド・ツェペシュや──ちなみに、彼はわれわれの種族ではありませんでした──ガイウス・カリギュラ、その他の王たちについて読みました。あなたたちがわれわれの仲間と思いこんで、罪のない老婆を火あぶりにするのを見てきました。ニューオーリンズでは、肌の色が黒いというだけで同じ種族を奴隷におとしめ、鞭打ったり、動物のように売買したりするのを目撃しました。黒人たちは、われわれよりもはるかにあなたたちに近い人々なのです。彼らの女性との間に、子供をもうけることも可能なのです。ところが、昼と夜の間ではそのような交雑は不可能なのです。やはりわれわれは、安全のためにあなたたちから隠れつづけていなければなりません。


 ジョージ・R・R・マーティン 『フィーヴァードリーム』

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 (ちなみにヴラド・ツェペシュはドラキュラ伯爵のモデル、串刺し公。ガイウス・カリグラは趣味の殺人と妹萌えな近親相姦で有名なローマ皇帝です)

 人間と人間のあいだにある壁というのは、人類にとって永遠の頭痛のタネであり、いつか越えたい壁。

 かつて、白人が黒人に化ける『ミスター・ソウルマン』という映画もあったが、いま上映すれば非難囂囂だろう。しかし、それがコメディとして成り立ち、世界中でヒットしたのが二十年くらいの昔でしかない。

(ところでいまアカデミー賞授賞式を観ていたんだが。作品賞、獲っちゃったよコーエン兄弟。この『徒然』でも好きな映画の話になると私は『バートン・フィンク』を推すコーエン兄弟好きなので、ついにアカデミー賞のトップに来たなあ、というのは感慨深いものがあります。冷静な狂気けれどそれがこの世、ってのを描かせたら、彼らの右に出る者はいない。影響受けまくりです、私も。拍手喝采だ)

vampire

 今日だって新聞を開けば、アメリカに初の黒人大統領が誕生する日も近いとか、中国との「統一も独立も武力行使もしない」という方針で支持を得ている(争わないのはいいことだけれど、結局言っているのは現状の中途半端なスタンスで中国から得られる利益も貪りたい、ということだ)台湾総統選の野党候補とか、さあ越える、いま越えたと言いながら、その壁が消え去る日なんて永遠に来ないのではなかろうかと思うのでした。

 でも、だからこその夢。
 日本初の長編カラーアニメーション映画『白蛇伝』から現在放映中の『ロザリオとバンパイア』だって、むしろモンスターの側がヒトに恋してその壁を越えようとする物語。そういう図式にこそ、人類が熱くなってしまうのは、本当はそれって簡単なことなのに、化け物とヒトでさえ簡単なことなのに、どうしておれらってこんな簡単な問題が解けずに進化してねえよなあ、という自責の念にかられるからこそ、心に響くからではないでしょうか。

vampirevampire

 黒人奴隷が解放されようかという時代、白人の船長に向かってヴァンパイア・ジョシュア・ヨークは「安全のためにあなたたちから隠れつづけていなければなりません」と語る。はたしてその夜の種族が「そろそろ出て行っても大丈夫かな」と感じられるくらいに、いまの人類が平和主義になったかといえば、とうていそうは思えない。

 『フィーヴァードリーム』は、ヴァンパイアの王を自認するふたりが、彼らの種族が家畜と称してきたヒトとの共栄をはかれるかについて対立する、ヴァンパイアVSヴァンパイアな物語。ミシシッピに、蒸気船があふれかえっていた時代を舞台にしながら、孤独な人間船長と、夢見がちなヴァンパイア・ヨークとの、ほとんど愛情に似た友情が描かれ、けっして解けあいはしないけれど、憎しみあう理由もない、ヒト型生命体の狭い世界にため息をつかせる。

 世界は狭い。
 どこかに行くわけにもいかないから、あんまり好もしくない隣人ともつきあわなければいけない。だれかを愛したって、その人は決まって自分とは違う他人だから違う宇宙を持っていて、そのひとを抱きしめようと思ったら、どこにも行かずに、その理解しがたい他人の宇宙も許容しなくてはいけない。

 ヴァンパイア物語を書いていると、行きつくのは、ヒトの側が覚悟を決めて飛び込むかどうか、という一点なんだと、強く感じるようになる。

(彼らがヒトの血がないと生きられないという設定にしてしまうと、ヒトがニワトリの首を絞めるのもどうなんだという話になってしまうので『フィーヴァードリーム』では、ジョシュア・ヨークがヴァンパイアを救うべく「飲めば血の渇きがなくなる」特製ドリンク(腐敗防止のためにアルコールベース。そのため彼らは血を飲むかわりに毎日酒に酔い続けることになってしまうのだが)を開発させている。私もまったくその設定は無視して書くことにした(その結果、ヴァンパイアをヴァンパイアたらしめる要素がなくなってしまったので、独自の設定を追加した))

 彼らがヒトとは違う少数派の種である以上、その存在はヒトから逃げて隠れて追われる生き物にならざるをえず、そこにヒトとの物語を描こうと思えば、ヒトである彼は、ヒトを捨てる覚悟をしてもらわなければならない──どうがんばってみても、いまの世ではまだ、主人公がヴァンパイアと人類との架け橋になってその壁は永遠に取り除かれる、などという物語にリアリティは与えられない。

 ヴァンパイアを狩るか。
 狩るヒトを裏切って、ヴァンパイアの側につくか。
 その二択にしか、リアルさを感じない。
 それが人間の限界だなどと思いたくはないが「だれがどう考えても、みんなで一緒に仲良く愛しあって暮らせばいいじゃない」という脳天気な提案に共感できるほど、ヒトが楽観的で平和主義な種族になる日が来るとは、とうてい思えない。

 ヴァンパイア・ヨークに対立する、悪(とは正確には言えず、ニワトリの首を絞めることに罪悪感を感じていないだけの、夜の王)なる側のヴァンパイア・ダモン・ジュリアンは、ヒトである船長に向かって、言ってのける。
 特製ドリンクをすべてのヴァンパイアたちに与えて、ヒトの血を必要としない種族になればこの世界が広くなると、若き情熱で語るヨークを指して。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 彼はわれわれ全員を、きみたちと同じ人間にしようとしているのだ。マーシュ船長、きみの国は奴隷制の問題で分裂状態にたちいっている。人種の違いにもとづく奴隷制だ。それを解決することができるとしよう。すべての白人を一夜にして、煤のように真っ黒にすることができるとしよう。きみはそうするかね?


 ジョージ・R・R・マーティン 『フィーヴァードリーム』

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 大麻取締法違反で逮捕される直前であり、ファンのあいだでも彼がもっとも追いつめられ、それゆえにそれを跳ね返そうと人間離れしたものすごいテンションを勝ち得ていたと語り継がれる、その時期に発表された長渕剛の名盤『Captain of the Ship』のなかに『12色のクレパス』という歌がある。

 あなたになりたいが、あなたになれない、だからせめてあなたを描こうとクレパスのセットを買った、という、あらすじを聞くと痛い歌詞だが──♪どうすればあなたになれるのでしょうか──そのフレーズを、この半年、ヴァンパイア漬けになってみて、しょっちゅう口ずさんだ。もしもこの世に、ヴァンパイアという生命体がいるとして、それはできればヒトの世でつつましくでいいから生きていきたいと願っているのに、むしろどうやったらヒトになりきれるのかと頭を悩ます毎日で千年も生きているのに、ヒトったら。

 ヴァンパイアを見つけては狩るのである。
 読んでも、書いても、私はヴァンパイアになりきることができない。どこまでいっても人類であり、愛する他人は、絶望的に別の種族だ。あなたになれる日など絶対に来ない。抱かれたいんだが、彼は特殊なプレイでしか興奮できないとかいう、そういった悩みにも似ている。 近づきたいんだけれど、自分はひどく醜いとか、年齢が離れすぎているとか、相手は同性とか、そういうのにも似ている。

 別になにも悪いことしていなくたって。
 愛するその人に同化できない自分自身に「罪」を感じる。
 いやむしろ、同化を望んでしまうことに。

 12色のクレパスを買ってきて、あの人の心を描いてみる。
 同じにはなれないし、理解さえできないのだけれど、直視してみればなにかわかるかと──道が開けるかと──願ってクレパスを買ってきて、スケッチブックを開いた、それなのに。
 そういう場合、真白いキャンバスは埋まらないものだ。
 つまるところ、それは相手の側の問題ではないのだから。
 のぞき込み、直視すべきは、自分の側の問題なのである。
 描くなら、わたしを。
 それしか、できはしない。

 黒人になりたくて肌を黒く塗るのはバカげている。
 ヒトになりたくてヴァンパイアのくせにヒトになろうとするヨークも、悪の王が言うとおり、愚かだ。
 ストックホルム症候群は錯覚である──しかし現実にストックホルムの銀行で人質になった者が襲った銀行強盗に同調してのちに結婚したという事実はある──愛が錯覚なら、それは愛だろう。ヴァンパイアを愛したからといって、ヴァンパイアを狩るヒトを憎み、逆にヒトを狩りはじめる主人公にあなたは共感できないだろう。だから、描く私は、ヴァンパイアにも、彼を愛する主人公にも、絶対にヒトを傷つけさせない。

 想うことで精一杯だ。
 察するだけで命がけである。
 同じになるなんてきっと無理。
 絶対に無理。
 でも、だからって憎みあうこともない。
 かの国と争いません! と叫ぶ総統候補に群衆が喝采する。
 この国は変わる! と叫ぶ女性に、黒人に、沸く。
 見ていて痛々しくさえある、愚かさだ。
 でも、想わないとはじまらない。
 脳天気に五月晴れで望まなければ。

 いつか、ヴァンパイアが。

「いやきみの書いた物語を読んでね、まあ人間のなかにも逢いに行っても安全そうなやつがいるもんだなと想って、隠れるのはやめて出てきてみたんだ」

 なんて、壁を取っ払ってくれることを願いつつ。
 たぶん、いまではファンタジーの大御所となったマーティンも『フィーヴァードリーム』を書いているさいちゅうに、たびたびそういうこと想ったんだ、ということが読めばわかる──主人公は、バカになって想いに生きるくらいで、ちょうどいい。相手がどんなやつとか、あなたになれないとか、そういうことの前に。

 わたしが好きかどうか。
 どうしたいか。
 戦争したい?
 だれかを嫌いたい?
 そんなやつ、いないだろうよと、物語化するという単純化の作業のなかで、なにをヒトはこんな問題を壮大なテーマのように何百年もいじくっているんだと、ばかばかしくなってくるのでした。

 愛してる。
 じゃあ言って抱いちゃえ(了解を得てね)。
 それでいいやん。
 願ってだれかを傷つけたいやつなんていないだろう?
 いるとしたら、それはなにかを見失っている。
 嫌いな相手を想う時間で、好きな相手を想う時間が削られる。
 そんな愚行は、ない、人生は短いんだ。
 想いに生きるのです、愚かなヒトよ。

 想うこともなく逝きたいか?
 ♪おまえが舵をとれ!
 醜く孤独なマーシュ船長は、想うことだけでその人生を輝かせた。
 なにも感じなくなるほどの永遠に生きる、ヴァンパイアたちよりも、醜い船長のほうが魅力的に読めるから、それをヒトはファンタジーの傑作と呼ぶのである。

vampire

TRACKBACK http://yoshinogi.blog42.fc2.com/tb.php/183-1a3fa7d6