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『ヴァンパイアとたった一度のキス』の話。



 なぜアンはスティーブの本当の姿を理解できないのだろう? 誰にも見つけることのできない、たくさんの真夜中の闇を心のなかに抱えたロック・ミュージシャン。そう、たしかに彼はタフだった。しかし彼だって傷つくのだ。そしてそれを癒すためには、その傷が見えないふりをしてやらなければならなかった。ゴーストはじっと暗闇を見つめた。ときどきスティーブを本当に理解できるのは自分しかいないのではないかと思うことがあった。彼らはあまりにも長いあいだ一緒にいた。しかしそれがスティーブにとっていったい何の役に立ったというのだろう?


 ポピー・Z・ブライト 『ロスト・ソウルズ』

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 ハイトーンのボーカリストが全力で歌えば目の前のワイングラスを超音波で割ることはできるだろうが、もしも彼がそのグラスをすばやく疲れずに割りたいのなら、手で持ち上げて床に落とせばいい。

 ヴァンパイアも熟練してくるとだんだん人間くさく、というかオッサン臭い発言が増えてきて、そういう本気で千年生きている師匠クラスのヴァンパイアとなると、手を使うのも面倒くさがって「きみ、開けてくれたまえ」……人を使うのが一番ラクなんだよ、と、まるで超能力なんて使わなくなるものらしい。

(師匠といえば、制作中のハリウッド版『ドラゴンボール』のキャストが発表された。ていうか、キャラ設定自体がなんだかおかしい……悟空は学校でぱっとしない青年だが実は武道の達人……っておいっ! その時点ですでにドラゴンボールから逸脱しているし。もちろんブルマは同級生なのだろうから恥丘パンパンとかされずに、ちょっと勝ち気な幼なじみのツンデレ系であろう。そして師匠。

 Master Roshi 武天老師 チョウ・ユンファ

 うおおおおおお。キタ。ユンファ好き。さてそこで問題になるのは、ユンファはこの映画で亀の甲羅を背負うのかどうか、である。もしも背負わないのだとしたら、カリビアンのあの禿げヒゲで中国では「中国人を侮辱している」と出演シーンをカットされまくったそれの再来ということで、まあドラゴンボールから亀仙人の出番をカットしてもお笑い担当なのでたいして気にすることもないようなものだけれど……なにより恐ろしいのは、ハリウッド的に「ユンファにエロ仙人ってスゴくね?」というようなノリで亀仙人エロ設定だけが忠実に使われ、お笑いシーンがとんでもなく寒いことになっている予感。的中しそうで恐ろしい。ユンファに禿げコメディキャラが定着しつつあるのも恐ろしい)

 人の心が読めたり操れたりするからといって、操り人形を作って口説いた気になっても愉しくはない。ヴァンパイア同士であれば、心を解放してすべてを読みとれるようにすることは可能だが、そうしたところで相手がなにをどう読み取るかは操ることができないため、正確に想いを伝えたいなら携帯電話を使ったほうがいい。そりゃ心のなか覗かれたらウザかったり面倒くさかったり、もうちょっとどうにかなんないのかなこいつは、というのもあるけれど「大好き」……文字にすれば、それが相手に読める己が心のたった一部分。それは嘘じゃない。だから千年生きたヴァンパイアこそ、そうするようになる。寡黙になり言葉を選び、手紙の単語だけを信じる。

 ヴァンパイがヒトの形をして人の世のなかで生きる限り、突き詰めればヒト臭くあるのがもっとも幸福なのだと気づいてしまうという──その悲劇こそが、ヴァンパイアという題材の、古くから物語であつかわれ、人間に愛されてきた理由にほかならない。

 ヒトはヒトを超えられない。
 けれどもし超えたらどうなるのか。
 死に怯えることなく、他人の心はすべてわかり、圧倒的な身体能力を有していて、気に入った美しい相手を自分の仲間にして生きることができる。
 望むものすべてが得られれば、ヒトは幸福になるのか。

 当然ながら、人間は、自分が手に入れることのできないそこに幸福のあることなど望まない。オペラ座で上演されるヴァンパイアの舞台は、すべて恋に破れ焼け死ぬヴァンパイアたちの叫びで幕をおろす。それを観た観客たちは有限で不自由な、ヒトであることに幸福を感じるのである。
 プロレスだ。
 奇をてらってはいけない。
 大前提として、その図式は崩せないものであるからこそ、ヴァンパイアなみに数百年、ヴァンパイア物語は紡がれ続けてきたのだから。ヒールはヒールであり、観客を完璧に裏切って勝利などしてはいけない。他団体との差違を魅せたいのなら、たとえば入場曲や、衣装で魅せるに留めるのが鉄則。

(ただし『仮面ライダーキバ』『ブレイド』のような、ヴァンパイアやその能力そのものをヒーロー視した物語は別系譜として存在する。あと『フロム・ダスク・ティル・ドーン』のようなあきらかにヴァンパイアをゾンビの一種として貶めまくったクリーチャー化する手法も、ことにゲームなどで散見される。しかしゾンビの一種まで貶めるならともかく、Xbox360でいうと『エム エンチャント・アーム』『カルドセプトサーガ』で召還クリーチャーとしてヴァンパイアが描かれたりするのは……「ふっはっは貴様が我が主か」などというヴァンパイアはどうにも間抜けっぽくていけない。古今東西のモンスターを集めるというお題目だとヴァンパイアは外せないし、孤高の伯爵イメージが定着したモンスターというのは、主役以外ではなかなかあつかいにくいものですね)

 というわけで、スティーブン・キングディーン・クーンツに次ぐモダン・ホラー第三の男と呼ばれたロバート・R・マキャモンが元締めだったとされる「スプラッタ・パンク」の潮流は、ブラムストーカー賞を二度獲りながらマキャモン自身の私生活が破綻していくという(笑)まさにスプラッターでこそないもののパンクホラーな展開によって第二世代に引き継がれることとなった。

 キングやクーンツよりもマキャモンの世界観が女性にウケるのは、だれが見てもあきらかなところ。実際、スプラッタ・パンクの第二世代であり新時代の吸血鬼小説の騎手とされた、ふたりの作家は女性だった。

vampire

 ナンシー・A. コリンズの『ミッドナイト・ブルー』を推す声もあろうが、私としては、やはりスプラッタ・パンク以前のソムトウが描いた15歳のロック少年吸血鬼がアンニュイな『ヴァンパイア・ジャンクション』

vampire

 そして、アン・ライスの『ヴァンパイア・レスタト』での現役大御所ロックシンガー実は吸血鬼告白小説のレスタト様の系譜を継いで進化させた、ポピー・Z・ブライト『ロスト・ソウルズ』の登場こそが大きな波だと感じる。
 『ロスト・ソウルズ』の数年前に若き日のジャック・バウアーが街のやから的ヴァンパイアを演じた映画『ロストボーイ』というのがあるのだが、タイミング的にも、タイトルが似ているのを見ても、きっとブライトはこれを観て憤慨したのに違いない(憶測です(笑)。しかしこれも同時期『ニアダーク』は、まず観ていたと思う。ロックヴァンパイア小説執筆中にそういうイメージの映画が公開されて、観ないってほうが不自然だし。ロードムービー的展開もここから来ているかも。『ロスト・ソウルズ』を書くために大学を中退したという肩書きが、彼女がなにかに駆り立てられてしまった事実を物語っています)。

 そう、彼女はきっと軟弱な不良のように描かれたヴァンパイたちを見て、憤ったのである……破れた革ジャン着てバイクに乗った酒とタバコのヴァンパイアっていうのはねえ!!
 嘆美なものなのよ。
 と。

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 この時間をえんえんと引き延ばさなければならなかった。このキス、たった一回のキスをどこまでも長く引き延ばさなければならなかった。すぐにスティーブは身を引くだろう。スティーブの舌のあの芳醇な味はディキシー・ビールのものではなかった。それははるか昔に過ぎ去った子供時代の夏の味、さらにそれに恐怖の暗い味が絡み合ったものだった。スティーブはすでに自分がどれだけゴーストに頼り切っているかということに脅えていた。彼自身がそう告白したのだ。この一回のキスが終われば、もう二度めはない。これ以上のことにスティーブは対処できないだろう。これだけでもすでにスティーブが混乱しかけていることにゴーストは気づいていた。しかし彼はどうしようもなくそれを必要としていた。


 ポピー・Z・ブライト 『ロスト・ソウルズ』

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 スティーブとゴーストはヴァンパイアではない。
 千年生きるヴァンパイアは、歳をとらないがゆえに人里離れた古城にでも住むべきなのだけれど、ドラキュラ伯爵や、レスタト様の時代と違い、ときはすでに現代。ヴァンパイアたちは、せいぜいひとつの街で十年暮らすのが精一杯である。なにせ歳をとらないのだ。正体がばれてしまうのである。ばれたときには、それまで街で血を抜かれて死んだ者たちのすべてが、彼らのエサになったのだと知れるのである。

 やむをえず、ヴァンパイアたちは、広大な世界に暮らしながら流れ生き、実際的には狭い人間関係(ヴァンパイア関係)のなかでしか生きられない。そうして流れ着いた現実のヴァンパイアたちは、ヒトにとって、目の前に現実に現れた永遠だ。それはもうむちゃくちゃなものなのである。

 それを哀れだと、オペラは描いたわけだけれど。
 人間は、それに拍手して哀れよねえと囁きあったのだけれど。

 実際のヴァンパイアは、不死は。
 醜い。
 それを目の当たりにしたヒトは、いまなにをすべきかを直感で考え行動するようになる。おれたちはここにいるよな、と、確認せずにはいられなくなる。他人に感応する特殊能力を持つゴーストは、ヴァンパイアの醜い魂に心を荒らされてゆく。そして初めてスティ-ブは、ゴーストを失うことの恐ろしさに気づくのである。だから口づけたのだ。彼とのキスは二度とない。でも彼は今後もゴーストを頼り、ゴーストは彼を想い、彼らの魂は続いてゆく。
  
 狂いかけたことで与えられた、たった一度のキスに、永遠を求めるゴーストこそ、人間の魂が凝縮されたヒトそのものではなかろうかと……ブライトは描く。ヴァンパイアは、ヒトの女の腹を食い破って生まれてくる。これはそれまでのヴァンパイア像とは違い、それこそがスプラッタ・パンク第二世代と呼ばれるゆえんなのだが、よく考えてみればそれは単純化されただけだ。
 もともと、吸血鬼に噛まれた人間は吸血鬼になる、という設定はあったのだ。
 ひとりのヴァンパイアが生まれるとき、ひとりのヒトがこの世から失せる。
 全体で見れば図式はなにも変わっていない。

 スプラッターというと眉をひそめるかたも多いだろうが、それはタブーを消し去るという手法だ。本当に血みどろのホラー映画はいっそコメディなのであって、それゆえにハリウッドでも血の流れない日本ホラー映画のリメイクが「新鮮だ」として盛んに行われた。ホラーとひとくくりにはできない。スプラッター映画は、恐怖映画ではない。スプラッタ・パンクは、破綻した吸血鬼小説ではない。
 入場曲を変え、衣装を変え、けれんみを増し、単純化した。
 過剰演出した。
 ヴァンパイアを「永遠に生きるヒト」として描いた。
 すると社会の枠組みから彼らは外れざるを得ず、街から街へと渡り歩く、さすらいの無法者になった。人間関係が築けないから、刹那の快楽である酒とタバコと女とドラッグに溺れて、暴力に溺れて。

 永遠とは、そういうものだろうか。
 そういうもののように、思える。
 永遠の命を持つがゆえに、ヴァンパイアは孤独に膿んでゆく。
 だがそれは、考えてみればこの世にヒトと吸血鬼の二種類がいるからであって、この世に生きるヒト型生命体のすべてがヴァンパイアならば、だれも孤独に悩む必要はないのかも知れない。
 ……そうなのだろうか?

 今年の四月から、国内でヒト人工多能性幹細胞=万能細胞=iPS細胞を再生医療目的で保存管理する試みがはじめられる。捨てられる臍帯や胎盤から、iPS細胞を作って保管(もちろん妊婦の了承を得てでのことだ)するのだという。
 同じく今年に入って、マウスの体細胞から作られたiPS細胞を使い、角膜になる幹細胞にまで分化させて培養することに成功したチームがある。倫理的問題からマウスを使用しただけで、人間でもほとんど問題なく同様の培養が可能であるらしい。

 つまるところ、万能細胞バンクから買った細胞を育てて新しい自分自身の目を作ることがすでに可能になっている。今年に入って一ヶ月のあいだの進歩だ。まさにヒトは一瞬で進化する生き物になったとされる技術的特異点に、いま到達しているのかも知れない。

 自分のための自分の肉体のスペアを作ることが可能になる未来は、もうすでに未来と呼べないそこまで来ている……すべてのヒトが千年生きる社会が、やってくる。ヴァンパイア・マグナスのように、自ら炎に飛び込みでもしなければ死ねない社会が。

 実際に革ジャンやチェーンや安全ピンの着用率は上がるだろうか。
 バイカーやロッカーは増えるだろうか(怪我しても「直せる」のならバイカーは確実に増えるだろう。リスキーな形状のバイクも数多く登場するに違いない)。

 ヒトは、それでもまだ恋をするだろうか。
 たった一度のキスに、ときめくだろうか。

 『ロスト・ソウルズ』
 喪われし魂。
 永遠はただ、膿んでいくだけなのか。

 永遠のなかの、一度のキス。
 それを本当に永遠にしたいと望むのは、醜いことだろうか。
 たったひとり生き延びるならそれは地獄だろう。
 けれど、永遠に変わらず彼のそばにいられるなら……
 永遠によって魂は喪われる?
 はたして、それほどヒトの魂は弱いものだろうか。

vampire

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