いずれ僕たちは死ぬ。何もわからないまま。われわれには何ひとつ理解することはできない。そして、この無意味さは永遠にどこまでも続いていくんだ。僕たちはもはやその目撃者にもなり得ない。自分たちの心を納得させるだけの、ほんのかけらの力さえ、僕たちには持てない。僕たちは何も知らないままただ消え去るだけ。ただ、死、死、死があるばかりなんだ。
アン・ライス 『ヴァンパイア・レスタト』
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ニューヨーク・タイムズによると、2001年の米同時テロ後にアフガニスタンやイラクに派遣された米兵のうち、帰還後に人を殺したり、殺人罪で訴追された者が少なくとも121人に達している、ということだ。
ショッキングな見出しだが、この数字はどうなのだろう。
公式発表では、昨年、イラクでの米兵死者数は899人。
一年だけの数字だ。しかもこの数字は年々増加している。民間人の死者は2万人以上。多国籍軍が2007年にイラクで実施した空爆は合計1447回。アメリカのホームレスの25%にあたる約20万人が、退役軍人だという統計がある。
データは山ほどあるが、眺めているとこう思う。
この世は地獄だ。
121人のうち、3/4は犯行当時も軍に籍をおく現役の軍人であり、犯行の半分以上で銃が使われた──しかしてこの世が統計通りの地獄なら、私は121人という数字をショッキングに思えない。今年は2008年、だとすればその数字は言いかえれば「一年に10人ほどの帰還兵が人を殺した」──怖ろしいことであり、大変な数字だが、今日もその国のホームレスは駅前で凍って死んでいる。
「彼らこそがスーパースターだ」
昨年末、クリスマスにイラク米駐屯地を慰問したプロレス団体WWEの様子を見た。
今年で五年目の慰問です、とアナウンサーが絶叫するが、それはその国の情勢がまったく変化しないどころか悪化していることだけを伝えている。
イラク駐在米軍慰問公演
『TRIBUTE TO THE TROOPS』 ぼおっと眺めていると、その砂漠さえ、飢えた人々さえ、傷つけあう殺戮者の群れでさえ、だれかの書いたシナリオ通りにすすめられているプロレス──ドラマのように思えてくる──兵士たちは笑顔だ。1500回の空爆をした年のクリスマスに肩をたたきあって新年を迎えている。
ドラマ『LOST』で、帰還した主人公が呟く。
あの地獄に戻りたい、と。
もういちど飛行機が落ちて地獄に辿り着けばいいのに、と。

ところで『ヴァンパイア・レスタト』。
それは、現代によみがえりしヴァンパイアのお話なのですが。
レスタトは、『インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア』のタイトルで映画化もされた
『夜明けのヴァンパイア 』の主人公をヴァンパイアにした張本人で、非常にろくでもない人物のように前作では描かれているのですが『ヴァンパイア・レスタト』では、そのレスタト自身が憤慨して自らを語るという自伝の形をとっていて。

このあと、ヴァンパイア・クロニクルズとしてシリーズ化される、アン・ライスの吸血鬼世界が、まだ手探りでありながらも確実に形を成していく、まさにひとつの新たなヴァンパイア像が生まれる瞬間がそこにはある。
そのインタビューによって有名になったヴァンパイア・レスタトという吸血鬼の名を、レスタト本人がコスプレするという屈折した形をとることにより、光る肌と尖った犬歯を持つレスタトは観衆の前に立つことを可能とし、ロックスターとして名をなすまでになる。
そして書かれた自伝。
当然ながら、レスタトもまた、かつては人間だった。
けれどヴァンパイア・マグナスによって吸血鬼となった。
受け継がれる吸血鬼の魂──吸血鬼に血を吸われたものもまた吸血鬼になるという設定は、それ以前からも存在していたけれど、アン・ライスがやってしまったのは、それを甘美なものとして描く視点の創造──レスタトは、状況としては噛まれてヴァンパイアになる。
けれど、ならばなぜ彼は選ばれたのか。
望んだからなのだ。
まだ人間だったころの青年レスタトは、友人であり(作中で明言はされていないが)愛人であるバイオリニストの青年ニコラと、ふるさとを捨ててパリでの同居生活をはじめる。
けれどやがてふたりはすれ違い、耐えきれずレスタトは、ニコラへと問いかけてしまう。
ニッキー、きみはぼくと来たことを後悔しているのか?
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「もちろんしてないさ。僕が言いたいのは、君が可能だと考えていることは、本当は不可能だってことなんだよ! 少なくとも君以外の人間にとってはね。狼を退治するのと同じことさ」
アン・ライス 『ヴァンパイア・レスタト』
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人の身であったときからレスタトは特別で、狼の群れに襲われても生き延びたその存在感を指して、人々はなかば崇め、なかば畏れて、レスタトを『ウルフ・キラー』と呼んだ。そして街に出てからも彼は変わらず、不可能なことも彼が望めば、実現可能な現実になったのである。
そして、ヴァンパイア・マグナスが現れる。
ニコラの前から、レスタトを奪い去るために。
彼を、ヴァンパイアにするために。
彼が、望んだから──ヒトが究極的に望むものが永遠という言葉で表されるのなら、それは別の言葉ではこうも表すことが可能だろう。
死。
ヒトは生物なので永遠たり得ず、しかし永遠がもしも特別な力で可能となるならば、それは死と同義だ。吸血鬼になったレスタトの爪は、ヤスリでいくら削っても、一日のうちにもとに戻る──のびる、のではない──彼が吸血鬼となったその瞬間の状態に戻るだけ。髪も、肌も、若さも。変化しないだけ。
それは、ヒトとしての死の瞬間と変わらない。
腐らない死体である。
ヒトはヒトを理解し得ない。
ヒトはヒトのために生きたりしない。
ヒトはヒトを愛するけれど、それはヒトを愛する自分を愛して生かすという前提あってのことだ。
ヒトはヒトと争い続ける。
何千発の爆弾を落としても。
変わらない。
二歳の娘を壁に投げつけて殺した帰還兵は、そこに望んだ地獄を見て救われたのだろうか──彼はなにを見ただろう。なにか見えただろうか。なにか知っただろうか。それともやっぱりそこには、死だけがあったのだろうか。なにもわからないまま。
ヒトを捨てたところで救われず、ヒトとして死ぬだけか。
ただ、死、死、死があるばかり。
何も知らないままただ消え去るだけなのか。
何も、もてないまま?
ヴァンパイアは総じて、けだるい。
死んでいるからだ。
永遠のなかで、その先にも永遠しかなく。
退屈で死にそうなのだ、死んでいるのに。
死んでいるのに死んでいないというのは、実に退屈だ。
ヴァンパイア・マグナスは、レスタトを吸血鬼にしたあと、火に飛び込んで燃え尽きる。レスタトに、くれぐれも焼けたあとの灰をまき散らすようにと言い残して──そうしないと、また自分は蘇ってしまうから、そんなのはごめんだと、苦々しげに言って。
愛が解決策だ、などというのも寒い話だし。
生きる意味を考えながら生きるのが生きるということだ、という屁理屈に納得できるのは馬鹿だけだ。
今日も今日とてヒトがヒトと争うのをとめるためにヒトがヒトを殺して心に傷を負いまたヒトを殺して。
なんだ? 退屈なのか?
そんなにプロレスが好きなら、パイオツカイデーなディーヴァが好きなら、もうヒトのことなんて放っておいて帰ってビール飲みながらテレビでも見ていたらどうだよ。
永遠を、望んでいるうちに。ヒトひとりの人生など終わるよ。
ぼくらはレスタトにはなれないんだし、なりたくもないだろうさ。
ヒトの血が足りなくなると、テラテラと肌が光るんだ。
そうすると仮面をかぶるか、ヒトを殺して血を飲むしかない。
なにが望みだ?
それは実現可能なことか?
まだ飽きないのか。
