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『ハズバンド』のこと。

 どうやら『サイレント・アイズ』が自らお気に入りの作品となったようだ。

 『サイレント・アイズ』の話。

 ↑日本における前作を読んで書いたことが、ことごとく的外れになってしまったディーン・クーンツ最新刊の刊行状況。とりあえず、ハヤカワ文庫から出てきたということにまず驚き。ハヤカワ文庫でクーンツって。『ウィスパーズ』とかそうだった。ひとつのSF教科書、ディーン・R・クーンツ&エドワード・ブライアント&ロバート・R・マキャモンの短編集『ハードシェル』(ナイトビジョン4)の背表紙に、モダンホラー、と書かれていたころの話である。私はまだ小学校を卒業したばかりだった。それがいまになって「日本語版翻訳権独占早川書房」と印字されたクーンツを再び手にすることになろうとは。なにがすごいといって、なんだかんだで日本を含め世界中の出版社を網羅するいきおいで作品権利を売り買いされているクーンツの人生である。出してみたが売れないとか。売れないから出さないとか。出さないならよこせと言ってみても、相手は出さないが譲らないと退け、そんなこんなな事情で、またしてもこんなことになったのだろう。それとも作戦か?

2000『From the Corner of His Eye』
2001『One Door Away from Heaven』
2002『By the Light of the Moon』
2003『The Face』
2003『Odd Thomas』
2004『The Taking』
2004『Life Expectancy』
2005『Velocity』
2005『Forever Odd』
2006『The Husband』
2006『Brother Odd』
2007『The Good Guy』

 あと、AXNでドラマシリーズにしようとしたけれど失敗した「クーンツのフランケンシュタイン」の、テレビにできなかったから小説版が何冊か出ている。毎年数冊刊行のうえ、テレビだインタビューだと、巨匠のくせに働きすぎです。さすが職人、きっとこの人は、このペースのまま人生の最後まで書き続けるのだろう。売れても売れなくても書き続けるのだろうが、ここにきてまた人気が上がってきたりしているところが巨匠の巨匠たるゆえんである。愛と正義の人。独特の頑固な説教臭さ。その普遍性には、いつの時代も需要がある。

FRANKENSTEIN

 で、日本。
 刊行ペースが落ちている、加速して追いつくんだと前作のときに書きましたが、ワープしました。あっちでベストセラーになった『ベロシティ』も、『オッド・トーマス』のシリーズも、むろん『フランケンシュタイン』も、すっ飛ばして昨年の『ハズバンド』がやってきた。想像することは難しくない。

 しつこく言い続けるが、某超訳で有名な(そういえば最近、広告も見ないな。落ち目か?)出版社が三部作の一冊目を出して打ち止めにした事件(解決して欲しい、ほんとに。モラルの問題として、読者を舐めていると思う)から、刊行が止まっていたクーンツ。各出版社にとっては手を出しにくい。あの出版社はあの三部作の出版権を法外な価格で買ったはず。それなのに一冊で刊行中止ってどれだけ売れないんだクーンツ。それともそれは超訳のせいか? しかしまあ君子危うきに近寄らず。おそるおそる出してみた『サイレント・アイズ』はけっこう市場に好感触だった。だったら買ってみるかクーンツ。でも、『オッド・トーマス』はシリーズなのでまず買えない。『フランケンシュタイン』は映像のほうとの兼ね合いで権利関係は複雑だ。『ベロシティ』は、記録破りのベストセラー作である、高い。

 というわけで『ハズバンド』。
 あいだが何年分か抜けたけど。
 D級SFからポルノまで書いてきたクーンツの、真骨頂といえば真骨頂。完全無欠の「読み捨てられるための」ペーパーバック。作家の本分は、読者の退屈を数時間埋めること。職人の信念が描き出す可もなく不可もない。でもおもしろい。
 
 『ウォッチャーズ』でクーンツ好きになった人は多いが、そういう人の声として最近よく「クーンツは変わった」というのを聞く。

 watchers

 なにが変わったかといえば、それはより単純化されてきたということなのだと私は思う。あのころ、まだクーンツの描く悪役には、哀れみをおぼえることができた。クーンツ作品にあまりピンとこない反応が多い日本で『ウォッチャーズ』が例外的にウケたのも、悪役側のキャラ設定が「狩りをたのしむ追跡者」と「たのしむ心を持たない異形」という二段構えだったことが大きい。結局のところ、どう猛な異形の人工生命体を作り出したのも人間であり、他人を傷つけることを悦んでいるのも人間である、というクーンツの青臭い美学が、まぶしかったからに他ならない。

 『ハズバンド』でも、あいかわらずの勧善懲悪で、ハッピーエンドで、主人公は善人で、初めて持った銃にがくがくぶるぶる震えながら愛するモノ、守るべきモノのために闘う。それらはなにも変わっていないのだが、いつからだろう……それがおそらくは「変わった」部分だと確信できることに……いま、この現代に描くクーンツの悪人は、いつのまにやら「絶対悪」となっている。プロレス的なヒールとベビーフェイスの対立のなかで、人間のなかには善も悪もあるが強い心で善なる者であり続けるのだ、というあのころのメッセージとは、物語の構図こそ同じでありながら、決定的な差違がある。

 『ハズバンド』の敵キャラは、完璧な異常者。
 それどころか、主人公の両親さえ変人である。
 変人とは、ちょっと変わった人、という意味ではない。まったく理解できない変な人なのだ。敵は矯正不能な人格破綻を抱えていたり、狂信者だったり。『ウォッチャーズ』のころのクーンツのリングには、葛藤があった。悪だからといって殺してもいいのか、それでも相手は人間なのに。しかしいまのクーンツ・リングには、そんなお涙ちょうだいの甘っちょろいお約束などない。野田秀樹が『ロープ』で描いた、がんばれば無効にできるかもしれない決まり事がそこにはない。

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 なぜ、あくまでもロープをつかってはねかえる?
 まるで催眠術だ!!
 いったー!! 催眠術。
 もどってくるー!! どーん。
 いったー!! 催眠術。
 もどってくるー!! どーん。
 そこでとまれないのか? プロレスラー。
 とまれるはずだ。人間ならば。
 めざめよ催眠から!!
 レスラーならば。
 しかもその名にプロがつくなら。
 きみらが職業戦士であるならば!!


 野田秀樹 『ロープ』

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 宮沢りえが絶叫する。
 それでも藤原竜也はロープにとばされてはもどってきてどーんとやられる条件反射。

 かつてのクーンツもそうだった。
 職業戦士としての凝り固まりすぎているほどのストイックさから、お約束のうえにお約束を紡ぎあげる手法で名を売ってきた。愛と正義の人、と彼は呼ばれるが、彼自身は「愛や正義はだれにでも理解できるから」売れるので使う、と公言してはばからない。プロレスラーが、お約束を無視してロープに投げられても「それが?」と立ち止まってしまっては興業が成立しない。かつてはそうだった。

howto

 しかしいま、リアルな戦闘が身近にある、この世界で。
 ロープから返ってこないプロレスこそが支持を得はじめていたりする。
 お約束に「それが?」と醒めてしまう観客のほうが増えたから。
 プロレスラーは飛ぶ。
 プロレスラーは殴る。
 だれでもわかるものは売れる。
 いま、多くの人は、痛いということがどういうことか知っている。
 観客を沸かすために、自らの選手生命を短くする危険を冒して、三メートルの高さから頭を下にして飛び降りるプロレスラーに喝采する……それで本当に背骨を折ったレスラーがいて、膝がまっすぐ伸びなくなったレスラーがいて、それが本当に危険なことだと知っているから。
 喝采する。
 
 ロープからはねかえってきてやられる、という芸そのものには、いまでも玄人をうならせる上手下手がある。それは職人芸である。奥深いが、ライトユーザーに喝采されるものでは、もう、ない。愛と正義も、お約束の状況では、もう、輝かないのだとクーンツは考えているのだろう。

 世界のほうが歪んでいる。
 絶対悪は存在し、理由もなく家の中をバイクで駆け回って人をひき殺そうとする殺人者は突然に襲ってくる。金なんてなくても妻は誘拐されて身代金を要求される。そもそも家族もみんな異常者だ。自分以外の全員が危険である可能性が高い。

 でも、主人公は、愛と正義のために飛ぶ。
 命をかけて飛ぶ。
 喝采をください。

 世界はもう、そうなっているのだ。
 日本で、クーンツが「変わった」だからあんまり……という意見がよく聞かれるのは、まだこの国に、いったーはねかえってきたーどーん、で拍手する純朴さが残っているからだろう。近年の、記憶がなくなったり目が見えなかったり不治の病だったりする恋愛物語の繁殖は、世界が過剰なエンタメに狂ったような喝采を与えてもっともっとと騒いでいる方向性への、いや昔ながらのメロドラマこそ最強でしょう、という純朴なるアジアの抵抗のように私には見える。そういえば越中詩郎ブーム。過激でスピーディーな現代プロレスの進化のなかで「昭和プロレス」という呼ばれかたが市民権を得たのも、同じ理由によるのかもしれない。演歌はなくならない。年寄りがみんな死んで、もういったいだれが聞いているんだという時代になっても、演歌歌手は細々と生き続けるだろう。

 もはや古典と呼ばれる名作群をもち、還暦を過ぎ、まだベストセラーリストに名を出す、ディーン・クーンツ。その彼がまだ「変わった」と評価されることこそが驚きだ。小説家は、なによりもまず良き読者でなければならない。そう言ったクーンツは、過去の自分の作品を大幅に書き直す作業を新作執筆と並行して行った。「次の時代に残すためだ」と言う。内容は同じでも、魅せかたが違う。次の時代にも読まれるためには、次の時代の潮流に合わせる必要がある。

 そうして、巨匠は己の過去の名作とされるものを書き直す。
 そうして、共感を拒絶する現代型な異常な世界を描き出す。
 『サイレント・アイズ』で試したことを成功だと感じ、お気に入りとして続けることを選んだらしく、近年のクーンツ作品では、善人までもが一見すると異常に感じられるほどの強烈な個性を持っていることが多い。それはこの、すべての人々が似たもののない個性的なキャラクターであろうとする現代と、そしてこの先とを、にらんでの計算だとしか思えない。気に入ったのは、その計算式。クーンツ自身は、やはりいつでも愛と正義の人なのだ。

 クーンツは「変わった」。
 それは世界が変わったからだ。

 逆説的に、クーンツ作品のなかに世界が見える。
 それでも、愛と正義は、美しいものだと。
 それだけは、普遍のものだと。
 納得できるのである。

husband 

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