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『RAID無常』の話。

 疲れた……トム・クランシーの小説でよく、乗組員たちが敷居にけつまずくようになったらその船はヤバい、という表現が出てくる。疲労と過失は完璧に比例する。上官は部下がけつまずきだしたら、とりあえず何らかの対策を立てねばならない。そうでなければ、彼らは翌日にでも、敷居を蹴ってつま先が痛いのとは比べものにならない大きなミスをやらかすのである、と。

 GW最終日が雨。炭はあるが着火剤がなく、鉄板はあるがコンロはない。すなわち連休の最終日にバーベキューをしようとやってきたお客さんがもっともキレやすい状況。

 「BBQコンロはご注文になりますって意味ないやんけ!」

 もっともです。言っちゃだめだが、雨でよかった。
 で、そういうばたばたしているときに限ってなにか起こったりするもので。半月ほど前にハードディスクを買った。これがおとといクラッシュ。RAID構築していたHDDだったのだが……ちゃんとしたメーカー品だったので修理に出して、無償修理でそれはともかく。

 RAIDの話。
 (Redundant Array of Inexpensive Disks
 = レイド
 = 直訳 / 安物ディスクでの冗長な配列。
 = 意訳 / 小容量のディスクを複数台使い仮想の巨大な一台のディスクと見立てる技術。
 しかしなぜかパソ界ではわかりにくい直訳の「冗長」という言葉が好んで使われている)

 私の使っているRAIDってのは二つのHDDに同じデータをミラー化して置くという単純なものなんだけれど、これの利点というのは、どっちか片方がクラッシュしてもPC全体は動き続けるし、データも守られるってことにあるわけです。
 
 物書きの端くれなので、テキストデータこそが財産です。もちろん、毎月のようにディスクにバックアップをとっていますし、そもそもテキストデータは別の場所のワープロソフトと同期させるためにネット上にもコピーがある。つまるところ、いまメインで使っているHDDがぜんぶいっぺんにクラッシュして、なおかつバックアップのディスクも破壊される(こういう状況を想定すると、火事で全焼というよりも悪意ある何者かが金属バットを振りかぶって壊すという可能性のほうが現実味をおぼえます……「このひとが書き物しているせいであたしの人生がこんなことにぃぃきぃぃっっ」……リアルで怖い(笑))、そういうことが起こっても、まだデータは生き残る。本気で悪意持ったそれなりにパソコンも扱える人に本気出されたらそれも抹消される恐れはありますけれど、そこまで私と私の書くものを憎んでいる人なら、そんな七面倒くさいことの前に私の背中に包丁を突き立てているでしょうし。

 そう考えると、確かにRAID構築していたことでHDDが壊れてもパソコンは動くから「HDDが壊れてからバックアップをとる」という作業ができて、これはまさに人類の夢と希望が叶ったかのような奇跡の所行ですが、でもだからといって私が毎日のネットディスクとの同期(これはそもそも自動設定)や、毎月のディスク焼きをやめるわけではなく、思えばゲーム機数台も含め、我が家の壁はLANケーブルだらけで、別にメインのマシン構成が使い続けられなくても、別のを使えばいいだけの話。でもだったらRAIDってなに? といざクラッシュして思ってしまった。

 これはあれです。車両保険の、金払ってたのに事故らなかったのは損したような気分になるのと似ています。
 私が私のデータに対してやっていること。
 これって、保険に保険をかけて、さらに別の保険もかけるようなことなんだな。
 さっきも書いたけれど、そんな大事が起こったら、その中心にいる私自身がもうあとかたもなくなっている公算が高いのに。

 そんなことを考えていたら、ふとあることに気づきました。そういえば、これの前に買ったHDDも初期不良だったな、と。そういえば、ハードディスクレコーダーも、XBOX360も、この数年で買ったHDD搭載の機器、買ってそのままの状態で一年動いた試しがないのです。ぜんぶメーカー品で、ぜんぶ保証期間内だからぜんぶ修理はタダとはいえ、これは、私のヒキが弱いということなんでしょうか。流れが来ていない、背中がすすけちまってるよ、ということなんでしょうか。

 今朝の新聞でエキスポランドのジェットコースターで人が死んだ記事を読みました。
 私も大阪育ちなので、同じジェットコースターに何度か乗ったことがあります。
 いつかは壊れる金属部品が、たまたま彼女のところで折れたのであって、彼女は私であったり、ほかのだれかだった可能性もある。並列世界において分岐する枝葉の時空は、いまの私に絶対に起こりえないことまでもは含まない。どこかの時空では、別の私は宇宙船に乗って異星人と戦っている、などということは起きないのではないかというのが現代量子学の通説。エヴェレットの多世界解釈によれば、シュレーディンガーの猫はキメラには決してならない。

 『シュレーディンガーの猫』のこと。

 せいぜい、こっちの猫がつまずいた敷居を、あっちの猫は無事に通りすぎたというくらいの差違しか起こりえない。そして死とはそういうもの。

 『サイレント・アイズ』の話。

 こっちの世界で死んだあのひとは、向こうでは生きている。
 小さな差違。
 この時空の彼女はたまたま、ジェットコースターに乗って。
 きっと大多数の時空では、そうではない。
 小さな差違。
 しかし、それがここでの現実。
 多世界解釈の無意味ともとれるし、クーンツのいうように希望でもある。
 別の世界のあたしが良い目を見ているからって慰めになる?
 そう書いたのは、イーガンだったっけ。

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「もしこのわたしたちがこれをしなくても」とフランシーンは容赦なく指摘した。「わたしたちは結局ほかの分岐でやってるでしょうね」
「それは事実だけれど、そんなふうに考えても無駄だ。結局は、自分の選択がほんものだというふりをしなければ、ぼくは現実になにもなしえない。だれだってそうだろう」


 グレッグ・イーガン 『ひとりっ子』

singleton

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 死は、多世界から強制的に押しつけられる選択。
 そのクジを引いてしまった。
 でもそれがここでの現実。

 避けられるかどうかは、単純な確率の問題である。
 ひとつの命が突発的にお亡くなりになられる確率をaとすれば。
 無人島に二人いると、a×2。
 二倍死ぬ。
 三人寄れば、a×3、略してa3。
 三倍死ぬ。

 だとすれば、私が神で無人島(惑星でも可)に我が子を残したくて、何人そこに詰め込めば神の血脈を継ぐ人類なるものが残せるかと考えたとき、計算上はこうなるはずです。

 理想は死の確率aを限りなく0に近づけることが望ましいが、人類が有性生殖である以上、男女二名は最低限必要である。よって。

 a×2、が最小の確率。これ以上は増やせば増やすほど、もめたり殺し合ったり男同士だったり女同士だったり、セックスレスとか仕事中毒とかが生まれてぐんぐんぐいんぐいんぐわんぐわんと種全体としての死の確率はうなぎのぼり。だから某世界宗教の神はアダムとイヴを二人きりで生んだ。三人目の男とか女とか、四人目のゲイとかがいると、話がややこしくなって最初の世代で人類全員が「やつを愛するくらいなら種として滅びる」と生涯独身でいることを選択してしまう危険性も高くなるから。

 そう考えると、ハードディスクは、別に増やしても愛憎劇を繰り広げるわけではないので、増やしても死の確率が増えるわけではないような気もしますが、それは幻想です。HDDは消耗品です。壊れやすいものです。実際、我が家で一年に何個も壊れているのです。壊れやすい機械が×2ならば、やっぱり壊れる確率は二倍なのです。それはもしもa×0であれば壊れる確率が0になるということからも確かなこと。

 だとすれば実は、ハードディスクが二個あっても三個あっても、RAID10(HDD4台以上を使用する非常に冗長な構成)であっても、増やせば増やすだけ死の確率を高めているだけなのだから、究極的にはa×1が実際使用できる最強の数値なのではないかとふと思ったんですが。

 まあ、馬鹿なこと考えていないで保険かけましょう。
 強制的な選択にあらがうには、リスクを分散するしかない。文章を綴れば綴るほどに、なにかを喪っていくのと、得ているのとを同時に感じる。それはきっと私が喪われたあとに残るデータが増えていっていることでこの時空での確固たる実在を得ている一方、データが増えれば増えるほど、それがだれかを傷つけたり、死に近づいていくというリスクも生んでいるからなんだと思う。
 愛を得れば、喪う怖れも、もれなくついてくる。
 閉じこもった部屋から一歩出るだけで、モニタの小窓に一文書くだけでも、爆発的にリスキーになってゆく。

 だから見ず、発せず、ふれあおうともしないのなら。
 それはそれで、なにも得られないというリスクを背負う。
 結局、選択だ。

 というわけで直ったハードディスクでもう一度RAIDを組みました(GWでも初期不良はさっくり直って帰ってくる不思議)。
 いまもがりがりと私の書く文章を冗長に保存している。
 消耗品が、さっそく消耗されて死に近づきつつある。
 そして同時に、生み出している。

 そこはかとなく幸せ。
 なにもないよりは、あったほうが。
 ともかくそっちのが幸せだと思う私です。
 だとすれば喪うために紡いでいるのかもなあ、とか夢見る。
 多世界解釈自体の無意味さに魅力を感じるのと、それは似ている。
 戦う予定もないのに毎日欠かさない腕立て伏せとか腹筋とかシャドーボクシングとか。

 意味がないから、意味があったり。
 
 どうせ朽ちるから。
 でも、いま咲いてる花を愛でるのは悦びだから。
 死ぬとわかって小さな植木鉢に種をまく。
 それこそ幸せってものだと思います。

 あたたかな春がやってきました。
 無常の世界のよろこびを探しに出かけましょう。

 ああGWの終わったこの開放感よ(笑)。
 

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