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『ありがとうJRと言わない』の話。



 2007年4月15日午後0時19分。
 三重県で強い地震あり。
 同県亀山市で震度5強、鈴鹿市、津市、伊賀市で震度5弱を記録したほか関東地方から中国・四国地方の一部まで広い範囲で揺れを観測した。
 気象庁によると、震源は三重県中部で震源の深さは約16キロ。地震の規模を示すマグニチュード(M)は5・4と推定される。

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 その日の私。
 大阪天王寺、午後0時9分発、関西空港行きJRのなかでした。

 突然、駅でもないのに列車が止まった。
 なに?
 と思ったが、クロスシート(横座席)なので、ほかの乗客の顔は見られない。立ち上がって振り返るなどという行為は、パニックに負けた私は愚者ですと車両の全員に伝える行為であると、スティーブン・キングを読んで知っている。ほかの乗客になめられるのは、この列車が『ランゴリアーズ』のように別世界へ迷い込んだりした場合、非常に立場として不利になる。ここは黙して語らずか、眠ったふりを続けるかして、謎めいた乗客を演じたほうが主要な登場人物として生き残る可能性が高くなるのである。騒ぎ立てるやつが真っ先に消えるというのは『スタートレック』でも定石。

midnight

 それにしてもサイレンがうるさい。
 むろん、その時点で乗客はだれひとり地震の発生を知らない。ニュース速報が携帯の液晶に流れるよりも先に列車は止まったのだ。目の前にある現実は、乗っていた列車がありえない場所で停車して、天井のスピーカーからはぴーぴーぴーぴーという聞き慣れないアラーム音が響き渡っているということ。いかにもなにか大変なことが起こったということを、言葉の通じないすべての民族にまで明確に知らせるアラーム音。
 五分ほど経ったろうか。

「えー現在、緊急停止の知らせを受け、停車いたしております。詳細を確認中ですので、しばらくお待ちください」

 スピーカーからの声は車掌のものだろうか。
 私の後ろの席に座っているのはおっさんだということがわかった。

「なんやねん、はっきりしゃべれや」

 大阪人に特有の、独り言なのに恫喝。
 しかしまあ気持ちはわかる。
 スピーカーからこぼれてきた彼の声は動揺に満ちていて、マニュアルを読んでいるのではなく言葉を選んでしゃべっているため、つっかえつっかえで、しかも不安そうな小声のため、はっきり聞き取ることができないのだった。お世辞にも、なにか起こったようですが大丈夫ですみなさん、と励ますリーダーの風格はない。正直なところ、大阪ではJRに対する不信感というのはいまだ根強く、こんなふうに緊急停止されると、ああそういえば私はJRに乗っていたんだったな、と思い出してしまうのだ。乗客の不安は、運転手にも車掌にも伝わっているはず。

 また数分後。

「えー。本車両は、地震発生のため緊急停止いたしております。本部に詳細を確認中です、しばらくお待ちください」

 タメイキ。
 この時点で、乗客の心配事は自分の命を離れた。
 だって、窓の外をごらんよ。
 私は持っていたカメラで嵌め殺しのガラス越しに、通りがかった彼女を撮った。

JRstop

「なにこの電車こんなところで停まっているの?」

 ──そう。
 外は、揺れていないのだ。
 ニュースを見ていない彼女は、普通に自転車で走り去る。
 体感としては大阪では気づくこともできない地震だった。

 それなのに停まっている。
 すでに十分以上も。
 この電車は、関西空港行きである。
 私は急いでいないが、この遅れがむしろ地震よりも命にかかわる乗客だっているかもしれない。
 空調が止まり、静まりかえった車内に、重たい空気が満ちる。
 そのあいだもずっと。

 ぴーぴーぴーぴー、は、降り続けている。

 窓の外を、興味津々な人々が通り過ぎていく。
 こちらにとっても不思議な光景だ。  
 また『ランゴリアーズ』のことを思う。
 それは、時空の裂け目から少しずれた世界に迷い込んだ飛行機のお話である。地上についてみれば、だれもいない。飛びたち、降りるまでに、地上ではなにが起こったのかと乗客たちはいぶかしがる。それはファンタジーでありホラーなストーリーだけれど。もしも飛行機で飛びたった直後、大地震で地上の文明が壊滅すれば、空にいた数百名だけが生存者なんてことも、ありえないことではないなとプロットを練っていたら、停車して二十分が過ぎた。

 アラームが止まった。

「お急ぎのところ、大変ご迷惑を……」

 彼はなにか喋っているが、すべての乗客が、もういいから早く動かせと目をつり上げていた。早く私の時間に戻せと。もうまったくこれだからJRは、と。乗客の命を万が一から守るための措置だったのに、それはそれでムカついている。ムカつかずに、罵倒せずに済むのは、自分の時間が自分の予想通りに、滞りなく流れ続けたときだけだ。
 そしてそういうときには、人は別によろこんだりしない。
 当たり前のように滞りない時間を泳ぐだけなのだ。

 眠る前に、今日も平安だったと感謝の祈りを捧げる心も、大切だなと思う。
 その日、食事の席で、阪神大震災のときのことを話した。
 最初の揺れで目が醒め、手をのばして支えていなければ、私は頭の上に倒れてきた巨大なスピーカーの下敷きになって、痛みで目を醒ましたか、目を醒まさないことになるところだった。
 街はガス臭かった。
 生き残ったと思った。

 それが「なんだよここは揺れていないのに」とJRに憤っていた。
 あの朝、友人たちの安否が知りたくてテレビをつけたら、

「もしもこの規模の地震が東京で起こったとしたら」

 と語っていたアナウンサーに本気で殺意をおぼえたくせに。
 祈りとは、だれかに捧げるものではない。
 忘れないためのものだなと。
 起こってみないと想い出さない自分の愚者ぶりにタメイキ。

 きっと戦争とかもそうなんだろう。
 起こってはじまって終わって。
 なんでまたこんな馬鹿なことを、と。
 なんだか避けられない気がするのは、悲観論か。

 乗客の安全を第一に考えて、遠い三重の地の地震でたっぷり停車してくれたJR。
 ありがたいことだが、素直にありがとう……とは、言えない。
 近所のバイク屋に行くたび、あの脱線事故現場を横切る。

 2005/04/25AM9:18
 107人が逝った、あれからちょうど二年。
 私にもあの事故列車に乗っていたという友人がいる。
 事故現場を横切るたび、苦々しい気分になる。
 
 緊急停車。
 まっさきに、自分が乗っているのはJRだということを思い出す。
 このすりこみは、私から抜けることはないだろう。
 過ちは消えない。
 人は忘れる生き物だとしても、精一杯、忘れない。
 時間に間に合わないから数百人乗せた乗り物でスピード出し過ぎて転びましたって、バカな過ちは二度としないし、戦争も起こらないし、地震があったらそれが遠い関係もない土地で起こったようなものだったとしても、必要以上に様子を見る、飛行機に遅れようが知ったことか命が大事。
 なにより大事。

 私たちは忘れない、とか。
 貴い犠牲、とか。
 祈りとか。

 毎月のように。
 いや、もしかしたら毎日のように言っている気がする。
 あれは避けられたのに。
 同じ過ちは繰り返さないように。
 でも、何度でも言えばいい。

 たまたまJRに閉じこめられたからじゃない。
 あの事故現場がすぐ近くにあるからじゃない。
 あれから二年。
 黙祷。


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 墓石の列は生者のためにある。生者が墓石に自分の顔を映すためにある。ここに死者はひとりもいないことを、生者は知っている。だから生者は墓地で憩うことができるのだ。


 飛浩隆 『デュオ』

katadorareta

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 あんなことがあったのだから、もう二度とないだろうと安らぐ。
 この安らぎを裏切らないで欲しい。


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