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『サラダの国のトマト姫殺し』のこと。

 小説を書いているときに、ときどき自分は人類、人間たちのいちばん後方を歩いているなという感触を持つことがあります。


 小川洋子 『物語の役割』

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 さて。一息ついたところで、うちのメイン顧客である書き物方面のみなさまがたとお話ししましょう。ここのところゲームの話ばっかりだったし(笑)。こういう話をするとまた某ちゃんねるの少数派のみなさんが私のことを「け」と語りながらリンクはってくれたりするかもしれませんが。それはそれで多謝。

 というわけでおかげさまで『GoW』を買いました。密林紹介料収入がジャングルにまんま返った形で。貢献しているなあ私。それにつけてもアマゾンのアフィリエイト。今期から月末締めになったのだけれど、どう考えてもこれはこっちにとって不利な変更だと思う。やる気も削がれます(前期までは四半期締めだったため、数を稼ぐとアップする紹介料率が三ヶ月ごとにリセットされていたのだけれど、先月からは一ヶ月ごとリセット。そのぶん、初期設定のパーセンテージが上昇したので、かえって収入あがるケースも多い、というのが密林側見解だが……与党政策かよ。最低賃金あげるなら一律時給1000円とか思い切ってしないと効果なんてないって。最低賃金が740円から750円になったからといって、収入が上がって格差がなくなるなんてどういう戯言だ)。
GoW
 ゲーマータグは「Yoshinogi」です。
 あっちで出逢ったらどうぞよろしく。
 おっとまたゲームの話になるところだった。そうだ、某ちゃんねるの話が出たので、ついでに書いておこう。読みながら、本人が書き込んで言い返すというのも興ざめだよなあと感じながらも、同じジュブナイル書き同志としてそれは言っておこうと思ったことがひとつだけあったんだった。
 (無断で一部表記を変えて引用しますが許してください)

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 A投稿者としてネットで有名な人のいつだったかのAの最終選考通過にならなかった話が残っていた。同じ作品をAもBも高評価するってことは意外とこの二つのレーベルって近いのかしら。

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 ちなみに、先月の某賞の件。
 で、その賞の途中経過発表はウェブ上でなのですが、当初は私の作、副題が抜けていたんですね(その後、編集さんとのメールのやりとりでなおしてもらったのでいまは副題もついている)。だからたぶん、このかたが思っているのは別の作品。ちなみに副題は『少年鎖骨電光掲示板』──そう。四連作のなかで唯一、Aの「最終選考通過にならなかった」どころか四次選考も通過していない作なのでした。

 という時点で、もはやあんまり二つのレーベルが近くないことは読みとれますが、私が言っておきたいのはさらに別のことで。

 同じプロットの作品でも、私ははっきりと意図的にレーベルによって味つけを変えているよ、ということ。AとBにいたっては規定枚数が倍以上違うので、登場キャラからして倍増。ちなみにAには登場しなかったがBにはほとんどメインキャラとして登場させたのは──

 「中年男に恋するコスプレ好きな三つ編み美少女にして有能な部下」

 (笑)。大人女性が読者の中心なAでそんなキャラは絶対つかえませんが、萌え美少女の表紙でクラッとくる大人男がメイン顧客なBでは逆にそれも入れておかねば。という読み。というわけで私の受けた印象としては「ああ、やっぱりここはこうしたほうがウケるんだ」──AとBはまるで違うな、というわけです。
 参考になればいいのですが。

 で、さらに言っておけば、今回の私、四作品送っています。初めてのトコだったので、傾向と対策がわからなかったため、思いつく方向性ぜんぶをわけて書いた。でわかったのは、やっぱりBL要素が入ると受け入れられない(笑)。A向けに書いた作品のほとんどがそれだからなあ、書き直すにしてもつぶしが利かない。

 ちなみに「A投稿者としてネットで有名な」私が、最近よく訊かれて、それもAの常連組みたいな人たちにまで「どうしてる?」と訊ねられることに、Aの応募要項特有の「テーマ」という項目。訊かれてはじめて思ったのですが、悩んだことがなかった。そういえば批評でも「友情、とテーマにあるのに」なんて文をよく見ますね。私がなにか勘違いしているのかもしれないと、ちょっと不安になる。今回のはこう書きました。

 「パペッツの情動回路」

 それが、だってキーワードだったんだもの。
 前回はこう書きました。

 「恋愛シミュレーションゲーム」

 だって、それがモチーフだったから。
 物語の内容は、そんなのAなんだから「主人公が恋と別れと克服の果てに自分だけの幸せを発見」で揺るぎないところで、だったら「テーマ」を問われれば、それは「今回はなにをネタにしたの?」という料理の鉄人でいえば「今夜のテーマはこちらっ!」というのがまさに「テーマ」ではなかろうかと……だから「まぐろ」とか書けばいいんじゃないかと。思っていつもそうしているのですが……「恋と友情」とかって書くの、鉄人だとテーマが「塩っからい」というような感じになりません?(このあいだの鉄人の「パイ生地」ってのは、そういう感じに近かったが……以前、日本版でも「酒」とかって回があったな。調味料やんっ、とつっこんだおぼえがある)──それは確かに、そんな一言で表現できるなら料理する必要ないじゃん塩せんべいでも食っとけ、てなもので、そういうこと書こうと思うと悩みますよ。だからたとえば舞台が「古代バビロニア」とかヒロインが「凄まじいまでの美貌と恐るべき超能力」を持っているとか。それが「テーマ」でいいんじゃなかろうか。深く悩むところでもない。そんな私はこれもA&D特有の「好きな作家」の欄に、Aは海外SF作家陣、Dは本邦エロマンガ陣の名前を毎回書いています……はっ!?……Dの成績が近頃ふるわないのはもしやそのせいか……先々月送ったのには、最近はスカを開拓しはじめた某氏の名を書きました『CROSS』好き。勃たない男が結局なおらないまま幸せになるってエロじゃないし。なのにエロ。もっと評価されていいと思うこの人は。そういう作家っていっぱいいる。そのむかし、私の通っていた高校の国語教師で、

「アダルトビデオにもだからこその魅入ってしまう作品というのはある」

 そういうのって、結局、監督がこだわりすぎてAVとしても評価されないんだけど、というようなことを授業中に力説はじめて女子はおろか男子にも理解されなかった可哀想な人がいました……先生、いまになってわかったよ。確かに絶対に本流には行けないけれど、亜流でもさらに異端の作り手たちっていうのが世の中にはいっぱいいるんだね。そういう人たちは、亜流のなかでかろうじて干されない程度の媚びをまぜながら、そこでだけかろうじて紡げる自分だけの世界を編んでいる。教科書に載っているこんなのも素晴らしいけれど、おれが昨夜観たAVの監督や脚本家や女優たちも、ぜんぜんヌけないけれどおれに良いもの見せてくれたよ。お前らもテレビで流れてるのだけがドラマだと思うな。もっと自分だけの大好きな作家を探すんだ草の根分けても……とそういうことが言いたかったんですね。ま、授業中にはじめたのはやはりよくなかったと思う。でも、彼の授業で私がおぼえている話は、それだけだ。それだけ、さえもない教師にはいっぱい遭ったから、彼は私にとって、良い教師だったのだと思う。ありがとう先生。あなたの名前は忘れましたが。

 唐突にゲーム話に戻るが、私は『サラダの国のトマト姫』をクリアしていない。あのころ、パソコンはまだマイコンと呼ばれていて、私がはじめて触ったパソコンは隣の家のパパが持っていたものだった。その息子と仲が良く、よく留守を見計らっては勝手に起動させ、小学生らしくささやかなエロ画像に興奮したり、ピコピコどころか、ピ……コ、ピ……コなんて速度で動く野球ゲームで対戦したりしていた。なにせこっそり起動させているので、アドベンチャーゲームなどはできないのである。だってセーブしたらばれるからね。というわけで、いまとなってみればたいしたボリュームではなかったはずの当時のAVG名作『サラダの国のトマト姫』も、何度となくプレイしながら、結局後半の展開を知らずに終わってしまった(のちに出たファミコン版は、コマンド選択方式に変更されていて、その当時の私はPCのコマンド全文入力方式における単語探しこそサラトマの醍醐味だと考えていたので、いつかPC版をプレイしようとファミコン版には触れず、結局そのままになっている。2004年にはEZアプリ版が出たが、それもまたファミコン版の移植である。いちから言葉を探す難解さでヒットしたゲームなのに、ファミコン以降、だれでもクリアできるゲームに改変されてしまった。いまでも私にとってサラトマとは「こんなもんクリアできるわけあるかっ」とゲームにはじめて熱くなった原体験の象徴なのである)。
saratoma
 そのすぐあとにPCに触りはじめた私だったが、そのときにはもう『サラダの国のトマト姫』を買う気にはなれなかった。ゲームはファミコンと『ドラクエ』の時代に突入していたのだ。

 あのころからだろう。
 辺境で、一部の小説が、読者になにかを本当に探させることをやめた。亜流が、ひとつの本流として定着した。そこにある謎は、ドラマは、制作者の意図したとおりに観客の感情を揺り動かすことが目的のギミックで、出来を語るときにも、そのギミックによって観客の心が「想定通りに操作できたか」──成功したか否かが判断基準となる。

 サラトマに「こんなもんクリアできるわけあるかっ」と罵ったとき、私は制作者になぜもっとうまく作れないのかと問うていた。その後、ファミコンの時代にスマートでクールなだれでもクリアできるコマンド選択方式へサラトマが「進化」したとき──それはまぎれもなく「進化」なのだけれど。一方で、私のような、サラトマの理不尽さを罵ったからこそ、その作品をおぼえている、自分の原点としている、そういうプレイヤーは確実に減らしてしまった。

 冒頭引用の小川洋子さんは、文学者だ。
 ヒトの歩いた道のうしろから、次の問題を、テーマを、みんなで考えようと問うている。あたしはこう考えるんだけれど、こんなのっていま、みんなどう感じるのかな? と。

 きっとその作業のなかで、文学は進化する。

 そしてその対極として、同じ小説という形を取ってはいても、まるで別物なものを書いている人たちは、人類のいちばん後方を歩いている、だなどと感慨深く思ったりすることはない。ここでの小説はギミックなのだ。言葉で仕掛ける罠だ。他人を己の意のままに操ることに悦びを見いだす書き手と、操られることに快楽をおぼえる読者とのせめぎ合いである。人類の行方など、関係ない。今夜が、最高の夜になるかどうかだけが関心事で、もしもそれが究極に実現できるなら、明日なんて来なくてもいい。人類が滅んだってかまわない。

 というような話だったんですが。
 ドラクエのヒトや、ガサラキのヒトや、ウィングス系の祖であるあのヒトに、読んでもらうための作業のさなか、肝心のヒトビトに読んで頂くに至らず我が飛翔が終了してしまいました。操りたかった。明日なんてもういらないと言わせたかったなドラクエのヒト。私のサラトマを殺した。あのヒトの心をこの手で。ずばりファースト・ガンダム世代なのに、ガンダムはやっぱターンエーが好きとかってダメっぷりで、むしろボトムズでガサラキな私は、あのヒトも、罠にかけたかった。
 なんとなく感触はわかったので、来年も行ってみます。たぶん。

ガサラキDQ8

 というわけで次はどこ行きましょう。
 なにを殺そう。
 考え中。

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