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『Halo3ベータテストと仮想うつつ』の話。




 母の実家が広島で、祖父が逝ってから牛を飼うのをやめ、たんぼも人に貸して、祖母は一人で気楽に暮らしている。冬になって、雪が降ると車で行くのはとても大変なんだけれど、そうでもないときには海沿いのまっすぐな道を延々と走るのは気持ちが良い。そう言いながらもう何年も私は逢っていないのだが、父と母は年に一度は逢いにゆく。そして、海沿いの道で、生牡蠣をおみやげに買って帰ってくる。

 それが今年は、どこの海でも牡蠣の販売を見合わせていたらしく、そういう話を聞くと、広島のあの辺りの海では冬の生牡蠣こそが年間収入の大きな部分を占めるのに、その直販漁師さんまでもが売らない、ということの意味の深さを思わずにはいられない。そのうえ、身のまわりで「ノロウィルスの猛威にやられた」友人たち数人が、数日トイレのドアの前でのたうち回って暮らした、だの、なんだか悔しくなってきていっそ自分で自分の首を絞めて気絶しようかと真剣に考えた、なんて発言をするものだから、知識として加熱すれば大丈夫だとわかってはいても、あえてスーパーで貝の類に手をのばすことが減ってゆき、牡蠣にいたっては、ふと気づくとこの冬一度も口にしていなかった。

 貝にはそもそもみんな有害なウィルスだの寄生虫だのいることがわかっていながら食べてきたという歴史があって、だったらこんなにいろんなことの技術が進んでいる映画のなかの近未来みたいな現代で、安全な貝を作るとか、安全性をきっちり調べる手法とか、そういうものが確立されないのはちょっと不思議だ。細菌のいない化学繊維の疑似土壌と浄水で育てられた、洗わずに食べられる野菜はいま普通に店頭に並んでいる。しかし野菜は洗えばいいじゃないか。むしろ、絶対に食あたりしない生牡蠣なんてものをこそ作れば、世界中で大ヒット間違いなしに思える。生魚は危険だからと、刺身や寿司を敬遠する人々が世界中にいる。絶対安全な海鮮生食品群は、そういった人々の価値観を根底から描き変えるパワーを持って人類社会に迎えられるだろう。できないものだろうか。今朝の新聞に出ていた「マグロが獲れなくなる」という記事を読んで、どうして養殖ができないのだろうと思うのは浅はかなのか。クローン牛を作るより、牡蠣やマグロを育てられる疑似大海を作ることのほうが、ずっと簡単に思えるのだけれど。

 ところで、SFの世界では、違った角度からこの問題を解決している。

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 手術はもちろんあっさりとおわった。翌日には連体テストも終了した。これは、多重現実で利用者が使うさまざまな仮想小物(デバイス)の、連体子(ドライバ)み込みと動作試験だ。コカ・コーラとケンタッキーフライドチキンとハーゲンダッツの幻覚で成功を祝った。カロリーゼロで、まことに好ましい。


 飛浩隆 『ラギッド・ガール』

ragged girl

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 『ラギッド・ガール』を含む飛氏の『廃園の天使』シリーズは、仮想現実という使い古された設定を、仮想であっても現実であるという逆転の発想で描いた傑作群だ。シリーズ第一作『グラン・ヴァカンス』に限れば、人間は一人も出てこない。全員が仮想世界のAIである。それでありながら、彼らには彼らの生き様がある。現(うつつ)の実(じつ)も夢うつつ。夢のうつつも夢世界の住人にとっては現実なのである。いつ消えるか、なにを目的に生きるのか。なぜ戦うのか。その問いの答えはリアルにもヴァーチャルにもない。境界はある。けれど、鏡像は鏡像だからこそ、オリジナルよりも過酷な現実に直面せざるをえないのかもしれない。

 SF界の聖典、スタートレック・シリーズではレプリケーター(Replicators)という装置がおなじみだが、これはコーヒーを注文すると、現実に質量保存の法則を守り分子結合によってコーヒーを作り出す装置だ。ホロデッキ(Holodecks)内であれば、完全に仮想のコーヒーが飲めるが、そのさいには本人がどっぷりとホロデッキ内で再生される仮想現実に浸っていることが必要である。一方、『楽園の天使』における視床カードの扱いはそうではない。手術によって視床カードを脳髄に直結すると、人々は現実世界で生活しながら、そのうえに仮想現実をダブらせることが可能となる。すなわち、この食事のシーンで、彼女たちはカロリーを気にせずにアイスをほおばっているが、そのアイスが載っているテーブルや、彼女たちの座っている椅子は現実のもの。ただし、その椅子にほどこされた彫刻は視床カードの視せる仮想の現実かもしれない。大多数の人類が視床カードを移植した未来において、街であり部屋の景観は、キューブリック的にシンプルなものになってゆく。シンプルな外観の街を歩く人々は、それぞれの視床カードによって、好みの外観に彩られた仮想装飾のダブる街を歩くのである。

 視床カードを使えば、ケンタッキーフライドチキンと同様に、おいしくて完全に安全な(ただし栄養もない)、恐怖を抱かずにすむ、生牡蠣を食すことができる。

 スタートレックでは、よく知り合ったばかりの相手にレプリケーターを使って「ぼくの故郷の料理」だの「私の星では欠かせない酒」だのを振る舞うシーンが出てくる。そういうとき、たいていの場合、相手は食べたり飲んだりしたあと顔をしかめて「なんなのよこれ」と口にし、振る舞ったほうが「これの良さがわからないなんて」と嘆く。観ている私たちが頷くのは、実は、料理なんてものは、味そのものよりも「故郷の」「私の星の」という装飾の部分のほうこそが大きいのだと知っているからである。スーパーの総菜でも、高級フレンチでも、ソテーしたニンジンの味は変わらない。いや変わるけれど、それほどまでに──片方は記憶に強く残り、片方は翌日には忘れ去られるほどには──変わらない。けれど、どこでだれと食べるかが味を変える。それを視る心が、味わうという行為に意味を与える。愛のない接吻はただの肉と肉の接触にすぎない。

 視床カードの作用下で食す生牡蠣は、美味いだろうか。

 海のミルクと呼ばれる栄養はない。実際的な危険性はない。食とは、他者の命を摂取するからこそ、その意味が味を生むのだと力説する向きもあるだろう。確かに、生牡蠣のなにが美味いといって、その磯の香りの生々しさ──そして矛盾することにその生々しさを打ち消すレモン果汁を絞りかけているという征服感──いっこの生命を一口に飲み込んでいるという愉悦であることは疑いようもない。仮想の生牡蠣なら、いくら食べても平気だからといって、視床カードを移植したらヒマを見つけては生牡蠣を食うかといえば、きっとそうはならないだろう。それはしょせん嘘だ。命の奪い合いではなく、もしかすると時間の無駄遣いかも。

 けれど思うのだ。きっと視床カードを脳に繋いだら、私はヒマを見つけては、食べたことのないありとあらゆる料理を、食材を、きっと食材ではない本当なら食べることが倫理的に許されない、どんなマニアでも口にしないようななにかをさえ、食べるだろう。食べまくるに決まっている。食べ物でなくても、素材のデータがあれば、人がもしもそれを食べればどんな味がするかは想定できる。放射性廃棄物をひと飲み。そうして、もしかすると私は、仮想の劣化ウランをポリポリ食べるのが大好きになるかもしれない。

 愛のない接吻はただの肉と肉の接触にすぎない。
 だが。
 仮想のキスでは愛が生まれない──
 わけではない。
 仮想の生牡蠣は現実の生牡蠣とは別物だが、別物として好きになることはできる。
 AIには、AIの人生がある。
 仮想世界で強大な敵を倒すために、ともに戦った戦友がいる。
 仮想の血を流して殴り合い、良い戦いだったと世界の裏側のだれかと笑いあったことがある。

 何度も書いてきた。
 『Halo』の最新作が、ついに来る。
 現時点で、視床カードの思想に最も近いものだと私は思う。
 機種をまたぎ、数年越しで、いまだにプレイしている──全世界で約15000000本のセールスを記録、オンラインマルチプレイヤー対戦へのログオン時間は延べ650000000時間超──もはやそこには世界ができている。そこに世界があると知っていて、そこに自分の居場所があって、だれかと触れあえるのだと知っているのならば。それはだれだって、その場所を訪れるだろう──現実ではないし、私のすべてには成り得ない──けれど、確実に存在して、完全に私の一部となった『Halo』の世界。生牡蠣以上に、仮想の生牡蠣を食べるように。私は、電源を入れたら10分で味わえる、この偽の戦闘──スポーツとしての対戦の、そのまた仮想──を、愛し、かなりの頻度で味あわずにはいられない。

 テレビCMが、非常に良い出来。
 つないだ手と手、日常のなかのゲーム世界。
 これが『Halo』──プレイした人は、これを観て「うんうん」と頷かずにいられない。



 今年中に発売される予定の『Halo3』。
 その、マルチプレイヤーパブリックベータプログラムが近日開始される(平易に言えば対戦モードのテスト)。
 絶対に参加する。
 参加する気であれば、いろいろな手段で参加できるので、ぜひ行きましょう。

 ゼロからめざすならば。
Xbox360
 ↑これを用意して、ネットへLAN接続。
 だいたい『Halo』のマルチプレイってなに? というあなたは、
Halo2
 ↑これをどうぞ。
(『Halo2』は初代Xbox用ソフトですが、Xbox360においても問題なく動作します。07年春にはXbox360専用の新マップパックも出るということで、名実ともにいまだ現役のXboxが誇る名作なのです)
 そして準備が整ったなら、
 『Halo 3』マルチプレイヤーパブリックベータプログラムへ。

 その世界は仮想だけれど、そこでのふれあいは、うつつ、である。
 出逢いましょう、かの地で。
 私のゲーマータグは、

 Yoshinogi

 です。
 つなぎましょう、手と手を。 
 まじえましょう、仮想の銃弾と。
 心を。

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 そして──
 『『Halo 3マルチプレイヤーパブリックベータプログラム参加権をいただいた』の話。
 へ続く。

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chrome hearts  chrome hearts  2013/10/24 16:50
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