最近の記事

スポンサードリンク

月別アーカイブ

『新生超人ミノワマンとミサイルの空』の話。

同じだよ 男は どれも
女だって どれも 同じ──


西 炯子 『放課後の国』

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(西炯子が『探偵!ナイトスクープ』の名作「大阪豊中チチヤスヨーグルト巨大看板のフタには製造年月日が記されているのか」という依頼の依頼者であり出演もしていた、という話を最近聞いて、大阪在住の私はそういえばあの巨大ヨーグルト、最近見ない気がする、と思いいたり調べてみたら03年に撤去されていました。まあ台風で飛びそうな形はしていたが。あんなに巨大なのに、なくなっても気がつかなかったということにショックでした。ちなみにまだあのころはローカルだったナイトスクープを見ていない全国のヒトに伝えるならば、製造年月日は記載されていなかった(フタ自体なかった)。だれがなにに興味持つのかわからないから、みんなが見るモノを作るヒトは、細かなところまで手を抜いてはダメだという教訓ですね。製造年月日が書いてあったら大感動だったのに(鬼才西炯子の発想まで予測して看板たてろというのは酷ではあるが))

 顕微鏡で覗く微生物たちにだって個性はある。ミドリムシ専門の研究者であっても、その個々に名前を付けて、見分けることはできないだろうが、だからといってミドリムシに個性がないということではない。相対的な大きさの問題で、観測者の側が大きすぎるというだけのことである。しかしそのことは、逆説的にこうも言える。ヒトよりも相対的に大きな存在からヒトを見れば、その個性など見分けることはできず、すべて同じに見えてしまうのではなかろうか。水槽のなかの熱帯魚の「オスをちょうだい」と客に要求される。目をこらし、尾ひれの大きさから判断しようとするが、確証が持てなくて私は言う「自分で選んでください」。小学生のとき飼ったヒヨコはメスのはずだったのにオスになって鳴きわめくようになった。同じように、ヒトよりも大きな存在がヒトを見るとき、男女の差や肌の色の差くらいはかろうじて見分けられても、確信が持てない程度のことだろうし、そんな些末なことは、どうでもよく思えてしまうだろう。

 独裁者、という存在が、ヒトの命を無造作に摘み取るとき、彼らはもうヒトではなくなっているんだろうと、思う。某国の王が、世界を滅ぼすことのできる兵器を持った自分を褒めていた。今年も邁進したいと挨拶していた。彼の目に、まだヒトはヒトに見えているだろうか。自分がヒトよりもずっと大きな存在になっていると、思いこんではいないだろうか。そうなってしまうともうダメだ。ヒトはミドリムシの言葉など聞かない。オスメスの見分けもできないような熱帯魚やヒヨコが、自分に向かって批判的な口でもきこうものなら、迷わず踏みにじって殺すだろう。もしかすると、ヒトを越えたと思いこんだ王は、その兵器を使っても自分だけは死なないと思っているかもしれない。

 一方、年末の格闘イベントとか観ていて、ヒトを越えるということの別の意味を考えた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

――美濃輪育久とミノワマンはどこが違うんですか?

「普段は美濃輪育久です。リングに入ると超人に近づける。わかりやすいようにマンを付けました」

――ミノワマンの目標は?

「キン肉マンです」


PRIDE 男祭り 2006 -FUMETSU-
試合終了後インタビュー / ミノワマン

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 ミノワマンは脇腹へのキックで沈んだ。痛いデビュー戦(笑)だった。私は美濃輪育久が好きだ。大舞台で、突然自分を超人ミノワマンだと言い始め、実際にそのリングネームを今後も使っていくという、彼の言動は突拍子もないが、その心持ちはよくわかる。ミノワマンと同じPRIDEでのトップ選手ジョシュ・バーネットがリングで口にする「お前はもう死んでいる」「お前には地獄さえ生ぬるい」がキン肉マンと同雑誌で連載されていた漫画からの引用であることはまぎれもなく、K-1黎明期からの立役者、角田信朗にいたっては自分の息子と娘にケンシロウ、ユリアと名づけている。
kakuta
 彼らは、なりたいのだ──どうすればあなたになれるのでしょうか──そういう歌詞があるが、12色のクレパスを買う必要などない。なってしまえばいいのである。実際、彼らはなりきることでヒトを越えた闘いをしている。道化の振りをする者は道化、狂者の振りを一生続ける人の一生は狂者そのもの、という格言はネガティブな意味で使われがちだけれど、前女子チャンピオンのストーカーとして彼女の物真似をし続けたあげく、ついに自分がチャンピオンに成り代わってしまったというシナリオには、少なからず「ああそういうこともあるかもなあ」という説得力がある。スポーツに限らず、たいていの業界において、自己鍛錬とは己の姿を確定していく作業であることが多い。自分がなにものであるかを他者を圧倒するまでのレベルにおいて「思いこむ」ためには、完成形である自分を想定しなくてはならない。無の状態でそれは非常に難しいことだ。だが鍛えれば、その先、そして到達すべき頂はおのずと見えてくる。それをヒトは「なにかを掴んだ」という曖昧な表現で表すが、それはそのイメージが当の本人以外にはまったくわかりえないものだからである。しかし。

 キン肉マン、そしてケンシロウは、だれの目にも見える。はっきりそこにある偶像を頂に据え、それが到達すべき自分だと「思いこむ」ことは、自分だけのイメージを創りあげるよりもずっと簡単だ。そして、簡単ならば、それを利用すべきなのだ。

 ミノワマンの闘いを見て、ヒトを越えたそのテンションを我がもののように眺め、私は、ミノワマンにではなく、キン肉マンに──その作者に、深い畏敬の念をおぼえた。美濃輪育久がここまでのレスラーになった鍛錬のおおもとのところに、その像があり、それはいち作家が創作したものなのだ(どちらの作も二者共著だが)。こういった形で、キン肉マンやケンシロウは、世界中のどれだけのヒトに、越えられない壁を越えさせたのだろう。
kinnikuhokuto
 某国の王は、MACユーザーで今日もネットサーファーだし、日の本の国のエンタメが大好きで怪獣好きで『男はつらいよ』の大ファンでハーレーダビッドソンに乗っているマルボロマンでもあるのだから、キン肉マンやケンシロウを知らないってことはないだろう。だとすれば、ヒトを越えた強者が、その大きさゆえに他人にはやさしくなるということまでイメージしていなければ嘘だ。ていうかだいたい寅さんの良いところのわかるヤツが、どうして地球破壊兵器を持ったよおめでとう自分、などという発想に行ってしまうのか、激しく謎である。王よ、いまの自分の言動が、寅さんに説教されるものだとわからないかい? 自分の面構えが、ケンシロウに討ち滅ぼされるちんけな悪党に似てきたとは思わないかい?

 最近、空を見るとミサイルが飛んできそうな気がしてならない。
 幼いころ、世界の終わりを暗闇の天井に見て眠れなくなったことを思い出す。

 今年も、世界が平和でありますように。
 そう呟いて「も? は、だろ」とつっこまずにいられない。
 年越しも新年も関係なく、貧富の差がどうのという以前に、街にミサイルが撃ち込まれたって人たちがいまだにいるっていうのはどうしたことなんだろうか。エヴァンゲリオン10周年。ハリウッドで実写映画化が進んでいると聞く。週刊少年ジャンプは、もう普通にアメリカでも売っている。個性はあっても、大差などない。古めかしい「人類皆兄弟」のスローガンが、世界をひとつのものとして視ることのできる、ヒトを越えた視点を持ったいまになって、的を射ている、と思う。しょせんヒト。泣ける話はみんな泣けるのに、熱い闘いにもみんな燃えるのに、兄弟ケンカならともかくさ──殺しちゃ、だめだ。当たり前のことじゃん。それ。

「お兄ちゃんには夢がないよね」

 と言われたから妹をバラバラにしたお兄ちゃんのニュースを今日の朝刊で読んだ。
 きっと、キン肉マンになることを夢見たことのない少年だったんだ。
 夢──ケンシロウになりたい。でいいのに。いじめられっ子だったもやしっ子の角田さんがケンシロウになりたくて空手家になって自分の子供にケンシロウと名づけたその想いには、後悔など微塵も感じられない。一冊の漫画は、ヒトの人生を確実に変えうる。医者の息子で予備校通いで──マンガも、小説も、読んだことなかったんだろうか。読んだことはあるけれど、彼には届かなかったんだろうか。逆に悪影響を受けたりしていたんだろうか。だとしたら──そんなだれかに届く一冊を書くことができただれかは、大げさでなく多くの人の命を救い、もしかしたら王の目を醒まして地球の滅亡を阻止することさえできるのかもしれない。

 だれかそんなの書いてくれ。
 ジャッキー・チェンが、ぼくの映画には絶対に灰皿を出さない、と言っていたが、それってどうなんだろうと思う。青少年に悪影響を与えないことよりも、別にタバコ吸ってる姿をカッコイイと思ってでもいいから、憧れてそうなりたいと夢見るヒーロー像を描くべきなんじゃないかな。セーラームーンからプリキュアへの流れが、どれだけの清く正しく美しい少女を生み出して、大人になっても闘う彼女たちの礎になっていることか。
mooncure
 闘ってヒトを越えようと思うだれかが目指すべきは、進化でなくてはいけない。最強兵器を作って個人としての力が増えても、それはヒトという種としては退化だ。究極超人とは、他人に「あいつオレに向かってミサイル撃ってくるんじゃないかなあ」なんて不安を与えることのない存在でなくてはいけないよねミノワマン!
 殺し合うのが楽しくないってことに気づくくらい、そんなむずかしい進化じゃないだろう?
 ああ、世界がぜんぶヌーディストビーチだったらいいのに。
 みんな裸だったらよくわかるだろう──のほほんと寝そべってればいい場所で、わざわざ殴り合う愚かさ、無駄さ。
 世界が平和でありますように。
 今年も──そう来年の初頭には願いたい。

 あけましておめでとうございます。
 ビニール紐で編んだベッドに寝そべって、見上げる空に夢を見る、ピンク色のカクテルを飲む。たるんでいると格好悪いのでちょっとカラダを鍛えてみる。気の合いそうな相手に手を振ってみる。二人でもう一度空を見る。

「ミサイルが飛んでくる気がしない?」

 なに言ってんのバカ。夢しか見えないよと、当たり前に返ってくる世界であればいいな。いまがそうでないならば、そうなればいいな。

 今年もどうぞよろしく。
 とあなたに手を振ってみるヨシノギです。
 空を見て。
 なにが見える?

TRACKBACK http://yoshinogi.blog42.fc2.com/tb.php/105-9a6ef448