最近の記事

スポンサードリンク

月別アーカイブ

『世界は魔法でいっぱいなんだね』のこと。

「ネズミを追いかけることのどこが偉大なんだ?」スキッピィがたずねた。
「おぬしにはわかるまい」
「なんでだよ?」
「おぬしはネコではない」パッチはいった。そして不意に自分のブーツに目をやると、毛布のはしで狂ったようにこすりはじめた。


 ディーン・R・クーンツ 『』ぬいぐるみ団オドキンズ』

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 年の瀬です。
 どうなることかと思っていましたが、ようやく雪もちらついてタイヤチェーンが売れ始めました。でも、このぶんだと数年後には大阪から京都に至る辺りの盆地では、タイヤチェーンなんて必要なくなってしまうでしょう。温暖化。極地の氷が溶け、水位が上昇している。すでにSFではなく、この島国も水没しかけている。でもだからって笑わないわけにも怒らないわけにもいかず、今日も今日とて、己が生き様をまっとうするしかないのです。

 仕事行って帰ってきて、おなか空かせながら原稿書いていて、ああこの夜の下でみんななにやってるんだろうな、ていうかいまは昼間の街に住んでいる人だっているんだよな、数え切れないほどの人たちが、それぞれになにか考えてそれぞれの家や居場所でいまいるなんて信じがたいけれど本当なんだ──とか思って手が止まる。朝、トイレに行ったときにもそういうことを思うことがある。基本的に玄米食なので数年来、便が詰まったことはない。で快調に出しながら、こんな匂いのするモノをみんな腹の中に溜め込みながら生きているだなんて、なんというか生々しい機械みたいで、大雑把にくくってしまえば人なんてみんな生きた糞袋なのに、可愛い子がいたり素敵な人がいたり、夢見たり恋したりするのってなんだか悪い冗談みたいだなあ──でも、それはまさに奇跡的なことで、ものすごくすごくすごく素晴らしいことだとも思う。ビルの屋上の端からぴょんと跳んだら、一秒後に可愛いあの子も素敵なあの人もみんなおんなじひどい匂いの破裂した糞袋になるのに、それがとどこおりなく機械的に動き続けるあいだは、夢見ることも恋することもできるのだ。夢見がちな子供向け物語のなかの、綿の詰まったぬいぐるみが夢見るなんて奇跡のほうが、ずっとありそうに感じる。糞袋のくせに夢見るなんて。すごいことだ。

 ところで私がおなかを空かせながら書いているのは、食事=酒なので食べてしまうともう書けないから。ときどき思うが、私がバイカーでなく、物書きでもなかったら、とっくの昔に酒に人生を飲まれていたことだろう。人と飲むのが好きではない。多人数で飲むときはもっぱらビールだ。大好きなウォッカはひとりでしか飲まない。自意識過剰な神経が、酔っている無様な自分を他人の目に晒すことを拒否するのである。神経質なぬいぐるみのネコ、パッチのように、他人と飲んでいて自分が酔っていることに気づくと、落ち着かずにブーツを磨き始めたりするのだった。レヴェルもジャンルも違うので恐縮だが、バイク乗りで有名な小説すばる新人賞、吉川英治文学新人賞、芥川賞受賞の某作家さんは、バイクと小説のために大酒飲みだったのを断酒したんだという。その話を聞いて、いかにもアウトローな小説を書く人なのに、と感想を持ったのだが、よくよく考えてみると、大事なモノのためにもうひとつの大事なモノを躊躇なく捨てられる人こそがアウトローと呼ばれるのだと気づく。恋に狂って愛しい人を殺すとか、安定のために冒険を捨てるとかいうのは、やっぱりだから美談なんだろう。そしてそう感じるのは、凡庸な精神ではそういうことはできないから。

 2006年の命名ランキングというのを見ていて、私の「匠」というのは本名なんだけれど、前年31位から38位にランクダウンしている。でも地域別で見ると九州・沖縄エリアでは4位になっている──海の国で「拓海」というメジャーな名前が多いため、同じ読みの「匠」を使う人も多いのかな──なんにせよ、私自身が幼いころには、めずらしい名前だとか、先生に「ショウ?」とか訊かれていたのに、いまではすっかりありふれた名前になっていることは確かなようである。私の名を付けたのは父で、私の父と母は学生結婚だった。私が母の腹に宿ったことが起因となって父は目指していた工学デザイン系から、当時昇り調子で初任給も良かった建設業界へと進路をシフトした。ときまさにジョン・レノンがぶいぶいいわせていたころであり、ラブ&ピースとフリーセックスの副産物としてこの世に生を受けた息子のために自分の進路を変更することこそがスマートな時代だったのかもしれない。だがしかし、母に言わせれば「理屈で絵を描いていた」という父は、建築業界に入って正解だった。いまではだれがどこから見てもワーカホリックなジャパニーズの典型であり定年間近。本人も悔いている様子などない。そして、そんな父の若かりし日のでもやっぱりデザイン職人としてやってみたかったあれこれ、の漠然とした結実が私の名前なんだと思う。そのくせ、大人になった私がリスキーな創作活動などしているのを伝え聞くにつけ、お前の人生はそれで大丈夫なのかと眉根を寄せている──しょせん、親子も夫婦も恋人も友人も、だれもかれも他人だ。私ではない。私はあなたではない。できるのは、近づくことだけ。だいじょうぶだよパパン、と答える必要はない。干渉するなと言い返すこともない。心配は当然だ。心配させよう。私もあなたを想う。それは本当の意味では絶対に伝わらないのだけれど、想うから子に名をつけるように、綴ったり、歌ったりする。それは想っているということを自分で確認するためなのかもしれない。

 初売りの準備をしていたら、以前、レジでバイトしていた二人が来て、それはここでもたぶん書いたことのある遠距離恋愛している二人なのだけれど、POPを作ろうとコピーに忙しい私をつかまえて「来年の夏に結婚するから式に来て。食事会みたいのだから。ほらあんたも頭さげて」とのたまう。ああそうなんだ。それにしても真夏にスーツ着るのはうんざりだねと、笑って言えるくらいに、彼と彼女と私はうち解けている──先週、ようやく同じ部署の年下の同僚にXbox360を買わせた。が、買った翌日、「買ったらフレンド登録してくれるって言ったのに!」と拗ねられて困った。私のIDは「Yoshinogi」です。ヨシノギは筆名で、もの書く私の名は、職場では秘密なのである。くだんの彼と彼女を含め、うちに食事に来るような職場つながりの人たちというのは、みんなバイトをやめてから「ああ、たくみさんてそういうこともやっているんだ」と知ったやつらである。同僚に筆名は教えられない。ということで第二のアカウントを取った。ニューポートビーチ在住のタクミ氏である。まったく普段使わないIDになるのだが、それを教えると彼は満足してくれた「そのうちメインアカウント教えてもらいます」「どっちかが辞めるときにな」。とりあえず、つながっているということを確認できればそれでいいのだ。そんなこんなで、ふと思う。たとえば私の妻は私本人よりも先に、私のやっていた舞台を見ていて、私の書いたものを読んでいた。大人になってから、プライベートで付き合う知り合いは、ネットで出逢う人を含め、ほとんどがヨシノギタクミと、その他いくつかのもの書く名前での知り合いである。そういう人たちにとっては(ネットのみでの友達なんてまさにそうだが)、私の姿形のその前に、私の綴ったものがある。逆に、同僚や、ほとんど食堂ですれ違うようにしか出逢わないバイトの子たちなんていうのは、私が絶えず食後に読書していることは見て知っていても、それ以外のなにも知らない。でも、そんな関係のなかからだって結婚するんだよと笑って報告に来るような友達ができる。今夜は手巻き寿司パーティだ。ソバも茹でよう。みんなに逢える。いつものことだが、うれしい。逢えないみんなとの関係もうれしい。もちろん、あなたのことをこそ想ってる。

 父が不安がるように、私はどっちつかずに生きている。

 すべて本気だし、やりたいことをやり尽くそうとしている結果、あっちの友人にはこっちの私を教えられない、というようなことになってしまったが、今年くらい、そのことが楽しかった年はない。年月が、無我夢中だった私を、少し落ち着かせたのかもしれない。わけがわからなかったのが、今年は、どれに対してもちゃんと気合いを入れて挑んでいる、という自覚があった。自覚と結果は別物だし、切り替えられずに「今日はナニ?」とつっこまれたことも確かにある。でも、おおむねうまく回っている。来年も、そうでありたい。たぶんいま、私は生まれて一番テンションが高い時期だ。俗に言う働き盛りってヤツかも。この元気がもったいないので仕事ください(笑)。

 そして、いまの私は、出逢ったすべての人の産物。
 逆に、出逢ったすべての人のなかにも、私が残っていて欲しい。
 今日も今日とて、己が生き様をまっとうするしかないのです。
 それでも、そのうえで出逢いこそが人生のすべてだと思う。
 年の瀬に、ものすごく想う。
 いろんな人のこと。
 もっとどうにかできなかったか。
 なんか忘れていなかったか。
 『ぬいぐるみ団オドキンズ』について書こう書こうと思ってもう数年経つのだが、また今年も書かずに終わってしまったことは残念なので来年こそこの場で触れたい、とかそういう抱負は無数にあるにしろ、それは私が勝手に思っていればいいことで。叫ぶべきは、べつのこと。

 想いは伝わらない。
 でも、確認のためだけにでも。

 愛してる!!
 また来年。
 互いの道を、ゆきましょう。

 良いお年を!!
 このフレーズ、あんまり好きじゃなかったんだが、今日はみんなにいっぱい言った。接客してお話ししたお客さんにも言った。心から。想うのは本当だから、言っとけばいい。言いまくればいい。伝わらなくても、まあテンション上げるためだけにでも言葉を吐くという意義はある。
 良いお年を。
 あなたにとっての来年が、毎日毎日、素晴らしい魔法に満ちた毎日でありますように。
 心のそこから願っています。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「世界は魔法でいっぱいなんだね。ぼくたちのような、秘密にしておかなければならない魔法だけじゃなく、毎日の生活のなかにだって、ちょっとした魔法があるんだ。花とか、きれいなクモの巣とか、そしてこのすばらしいゾウのような魔法がね」
 ギボンズが言った。「みんな、そういう小さな魔法を当たり前のことと思って、気づかないのだな。じつに残念なことだ。生きてるおもちゃのような、かくされ秘められた魔法よりずっとすばらしいのに」

koontz


 ディーン・R・クーンツ 『』ぬいぐるみ団オドキンズ』

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 また来年!!
 

TRACKBACK http://yoshinogi.blog42.fc2.com/tb.php/104-1f7e868c