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『聖夜の剃刀少女─ボーイズラブ考察地獄篇』の話。

 グーグルのカンガルーのセーターが編み上がっている! (夕方6時ごろまで、グーグル検索クリスマス仕様検索窓の下でカンガルー親子が編み物していたんです。それができあがってる。さりげない遊び心って染みるなあ)

boyboy2

 世のレジャー用品売場の担当者が一年でもっとも忙しいだろうクリスマスイブまでの一週間がようやく終わり、LEDの切れまくったツリー展示現品を売り尽くし、ブームに乗って仕入れすぎて倉庫に山積みになった『ロデオボーイ』が『2』が発売されちゃってどうしたものかなこれと悩んでいたのも、なんだかクリスマスプレゼントに健康器具を贈るというメタボリックな風潮のおかげで嘘のように売れてなくなり、身も心も軽くなって、積んであったいつき朔夜先生の新刊など読んでいた。
 もうすぐ、イエス様がお生まれになるというのに、なにやってるんでしょう。
 なぜだかこんな日にまたボーイズラブを語り始めます。
 やれやれ。
sakuya
 以前『八月の略奪者』のなかのセリフに触れたことがあったけれど、

『愛罪戯言』の話。

 先週の新聞によるならば、この国の少子化はさらに進んでいるということで。四十億年の生命の歴史に対する罪に問われるのは、同性を愛する人々に限らないというか、それを罪だと言ってしまったらそこらじゅう犯罪者だらけだ。というようなことを『八月の略奪者』を文庫で読み返しながら思っていました。一年ちょっと前にこの作品に触れた私の言葉のなかには、そのことに違和感をおぼえたという記述がないので、きっとそのときは感じなかった。でも、一年ちょっとたって読み返してみたら、なんか主人公にムカっぱらまでたてている自分に気づいたのでした。

 くだらないことで悩んでんなあ。

 ──まあ、恋愛小説ってたいがいそうですけど。
 テレビでやっていた『天使の梯子』ってドラマを観た。その前作の『天使の卵』を読んだのは十代の終わりで、そのときははっきりと「なんだこれ」と思った。肯定ではなく否定の意味で。もうぶっちゃけ、みんなで仲良くすりゃいいじゃん、とまで思った。なにを問題をややこしくしてんだよ、と。

 『天使の卵』は、ヒロインが最後に亡くなってしまう。だが、そのことは村山由佳本人にとっても「死で感動を演出するなんて」という思いがあったのかもしれない。その後、ジャンプノベルで書いた『おいしいコーヒーの入れ方』シリーズ村山由佳公式サイトでシリーズ新作も読めます)では、テンタマとほとんど同じ設定ながら、ヒロインは死なずに恋を紡ぎ続けていく。そしてそのシリーズを読み進めながら、多くの人は思っただろう──続いていく現実は、痛い、と。

(もともと単発の予定で書かれた『キスまでの距離』がジャンプのアンケート至上主義によってシリーズ化されたため、村山自身はヒロインが死なないテンタマを書きたかっただけだったのだろうに、その後は「展開が遅い」、「くだらないことで悩みすぎ」などの批判を浴びるようになる。こうしてみると、アンケートの人気があるから連載を続けさせて、結局どれも天下一武闘会になってしまうジャンプマンガの悪しき面もよくわかる──好きな作品だから終わって欲しくない──でも願った結果、数年越しでグダグダの最終回を読むはめに──みんなが幸せになれる方法はないものだろうか)

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 『澄ました顔をして可愛いことを言う』。そう言われたとき、愛される歓びに混じった微かな痛みは何だったのか。六歳も下の恋人に、いつまで「可愛い」と思ってもらえるだろう。そんな不安がいつのころからか、忍び込んでいたのではなかったか。


 いつき朔夜 『十二月の暴君』(文庫『八月の略奪者』収録)

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 とある年代より上の人は「私がオバさんになってもー」というようなフレーズを思い出しそうな一節だが、超ミニの森高千里が若いコにはまけるからミニスカートは無理だと歌うのは笑えても、男夫婦の年上のほうがネコでいつまで可愛いと思ってもらえるだろう、などと薄い焼酎をすすりながら泣き愚痴られた日には(『十二月の暴君』にそんなやさぐれたシチュエーションはない。我が愛すべき妄想たちよ)、他人事ながら同情もしたくなる。

 だがしかし、このヒロイン(男だけど)。
 四十億年の生命の歴史に対する罪うんぬんと六歳下の相手に向かってのたまってぼくたちはダメだと嘆いていた張本人なのである。読みながら思わずつっこんでしまう──顔かたちや肌がすべすべだとか、そういう理由で抱く相手を「可愛い」と判じるやつは、そもそも六歳上の男を選ばねえだろっ。

 というわけで、早々に結論づける。
 子供が産めないから男同士で抱き合う意味がないとか、若いコには負けるし女でもないから年とったら可愛いと思ってもらえなくなるとか、そういうこと考えた時点で恋はできないのだ。私は自分でもBL書きながら、男なのでその根っこのところがよくわかっていないまま生きているのだけれど、最近ボーイズラブってもしかしてそういう存在意義をもったジャンルなのかもと思い始めている──オッカムの剃刀という、ものすごく単純な真理を読者に発見させることで、カタルシスを得させるエンタメなのかも、と。

 で、あらためてオッカムの剃刀の説明にはいるわけだが。
 実は説明するほどのこともない──オッカムという14世紀のおっさんが多用した例え話だ──曰く。

「ある事柄を説明するのに、必要以上の仮説を立ててはならない」

 で、現代ではそれをもっとケースバイケースで使う。翻訳小説を好む読者なら、刑事や探偵がこの言葉を使うのをしょっちゅう読んでいるはず。オッカムのおっさんは哲学者で、小説屋ではないから、そういうことを平然と言うのである──ぐだぐだ考えるな剃刀で切れっ──現代用法としては、

「そういうときは一番単純なのが答えなんだよボニー」

 ということだ。
 で、BL小説をオッカムのオッサン的に剃刀で切ってみると。

「好きって気持ちに狂えないなら現実に生きろ奈美子」

 ということだ。で、ナミちゃんは現実に生きる勇気をBL小説から得る。皮肉な効能であることよな。
 『十二月の暴君』でも、結局のところもちろん二人は抱きあってハッピー。四十億年の生命の歴史に対する罪うんぬんにも「だったらこう考えてみなよ」というようなヒロインを納得させる彼の言葉が出てくるが、それを引用するとネタバレが過ぎるのでしないし、そんなことは実はどうでもいい。まあいろいろ問題はあるにせよ、抱きたいんでしょ抱かれたいんでしょだったら問題ないじゃん抱きあえば、という結論のみ。
 狂ったら狂ったでうまくいくものとも限らず、考えたからうまくいくものでもなく、考えないからうまくいくものでもなく、だとすればオッカムの剃刀。

「したいようにすれば?」

 ──彼女が小説の最後で死んでしまうからといってつきあえないなどというのはナンセンスで、彼女が第4巻になってもずっと生きていたらいたで仕事だ両親に紹介だと問題は山積みになるわけで。だったら抱けるときに抱き、抱かれたいときに抱かれるのが、恋の正しいありかただろうと。
 私は良いBL作品に触れるたびそういうことを思うんだけど。

 こんなにボーイズラブというジャンルが認知され、乙女たちのだれもが村山由佳作品かBL作品に触れていて、好きなときに好きなことをしなければ後悔する、とだれもがわかっているのに、少子化が進むのはなぜなのか──今回の調査では、少子化が予想より加速した原因が、女性の生涯未婚率が23.5%まで上がったことにあると結論づけている。
 ここでまたオッカムの剃刀。
 もっとも単純な答えは、好きなことをしなければ後悔すると、肝に銘じているから好きなことをする乙女たちの選んだ好きなことというのが、結婚することでも、子供を作ることでもなかったということだ。幸か不幸か、選んでしまえば現代の避妊具避妊薬は、ほぼ完璧に効果を発揮する。
 単純に考えて、みんなまあいいじゃんこの国滅んでも、と思っているのだろう。
 それにしてもあと数十年で出生率が1を割り込むという予想は衝撃である──二人の人間が、次の世代では一人になる──剃刀で切るまでもなく、一世代でマンションの半分が空き室になるような国でマンションを新しく建てる馬鹿はいなくなり、小学校は統廃合に統廃合を重ねて各県に一校なんてコトになっているだろう。それでは国が成り立たないので、政府はやむなく外国人の移住を奨励するようになる。そのころには給料の八割税金みたいなことになっているのだろうが、それでも平和に喰って生きて死ねるなら御の字だという戦乱の国々からは移住してくる人々がいっぱい居るはず──真冬でも凍死しないってだけでもこの国には住む価値がある。

 さて、そうなってくると。
 その国でBLは文化としてまだ生き残っているだろうか。
 以前、私は男女の性差と外国人の視点にからめてBLを語ったことがあったが、

『ビーシーズ』の話。

 そのときの私は「ビーシーズという言葉の発生は、彼らが受けいれることを選択した証左であろう」と書いている。
 それは言い換えると「そういう描き方もある、と認めた」という意味だった。
 最近観た映画で、まったく逆のケースの同じことを思った。
arashinoyoruni
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 昨年の暮れに公開され、今年の台湾を皮切りに今後世界26ヶ国で上映されるという、メイドイン日本な大ヒット映画である。

 で、私はこれを観ていて思った。たぶん多くの人が思ったであろうことに、あきらかにこれはボーイズラブであって、しかし、この設定の場合、男同士であるということの前に、二匹は喰う側と喰われる側なのだ。オオカミとヤギ。原作の絵だと顕著だが、黒と白。私はこれも世界中で読まれている、別の絵本のことを連想した。
The Rabbits' WeddingThe Rabbits' Wedding
 これもまた、恋愛話と見せかけておいて──幼子は素直にそういう話だととるだろうが──痛い現実のなかで生きる大人たちが読めば、これはあきらかに人種の話を含んでいる。

(友人の結婚祝いに贈るとよろこばれます。私は人生のなかでこの絵本を二度貰って三度贈った。いや離婚経験があるわけではなく。最初に貰ったのは高校のときつきあっていた美術部の後輩からだった。「あたしこの絵本好きなの読んで」──良いのか痛いのかよくわからない想い出である。今年、姪っ子にクリスマスプレゼントで贈ろうかと思ったがまだ早そうなので(というか妻が先に絵本を買ってしまっていたせいもあり)先延ばしにした。記憶に残る絵本との出逢いは、人生さえ左右しかねない。タイミングは大事だ。私の記憶のなかで、強烈に「出逢った」印象を持っているのは『ぞうのエルマー』。読み返しまくってぼろぼろになったのが、きっと実家にまだあるはずだ。個性を消そうとするぞうのおはなし。これもいま思えば深い内容だ。幼き日の私はなにをそんなに孤独に悩んでいたのか──と思ってしまいそうだが、ただ単にカラフルなエルマーが気に入っていただけかもしれない。パステルカラー大好きっ子だったので──お、もしかして。いま気づいたが、柄にもなく『集まれ!ピニャータ』が気になっているのは、エルマーに似ているからか)

 つまるところスタートレックだ。
 バルカン人と人間は敵同士で、結ばれたって子供もできないし、だいたい根本的に感情のないバルカン人とグダグダ考えてばかりの人間ではどうこうなるってほうが無理な話で──でももちろん、スタートレック世界で恋は生まれる。基本はそこ。世界中でスタートレックは観られている。ということは、世界中の人が敵も味方も男も女も(ときに機械や不定形生物でさえも)人種の違いも子供ができなくても──オオカミとヤギでも──黒いウサギと白いウサギでも──そんなことは関係なく、恋できると思っているということだ。
 それは、知っている、ということだ。

 さて、そうなってくると。
 その国でBLは文化としてまだ生き残っているだろうか。
 残っているに違いない。当たり前に同じクラスに肌の色の違う子がいるどころか、自分の話す日本語のほうが肩身の狭い状況になれば、その時代に育った腐れ女子たちは、もっと高い壁をあいだに挟んだBL作品を求めるようになるだろう。男同士どころか、彼は半分機械のカラダ、なんて設定が当たり前のことになっているに違いない。

 アメリカでいまさらビーシーズなんて言い出したのは、あの国の場合、デフォルトが混沌であって、むしろBLよりもSFな設定が現実にそくしていたから、いまやっと人種とかそういうこと抜きにして「萌え」なんてふうに余裕のできたってアカシなのかもしれません。

 年下の恋人に可愛いといつまで思ってもらえるかなと苦悩する常識人の男性というヒロイン像に触れて、感じたのは、もっともっと恋愛小説は加速していかざるをえないんだろうな、ということだった。年の差カップルとか、結婚しない人とか、一世代前には中年と呼ばれていた年代での出産とかが当たり前になったこの国で、少女マンガもBLも、生々しく痛い設定が増えてきたように感じる。ハーレクインが世界中で読まれなくなってきたのは、この国に限らず、世界中でそういう方向に進んでいるからなのかな。

 夢見る乙女がいなくなったわけではない。
 乙女の見る夢が変化しただけ。
 機械の羊がアンドロイドの夢を見るように。
 痛い現実に生きる乙女は痛い夢を愉しんで見る。
 
 そういうことなんですかねえ。
 ところでさっき電車のなかで、

「ひとりっこのやつとつきあうのってヤじゃない? 親が怖いんだよ」

 という話をしていた高校生の男カップルがいて、ああそうだなあ、ひとりっこがこんなに増えたらこんなに放任されたりしないで育つんだろうなあ(私は男三人兄弟の長男である。自由な十代を生きた)、息苦しい現実のなかで、そういうコって、やっぱり夢を見るんだろうか──兄弟姉妹の。

 だとしたら少子化が進んで彼は半分機械のカラダ時代が来る前に、BL業界含めエンタメ全般に「近親相姦モノ」ブームが来ると読む!
 とか言ってたらさっそく公開だそうです。
bokuimo 
 観に行くか──でも実に男性ポルノチックなタイトルのくせに、少女マンガ原作だし、主役は彼だし。新春の映画館は夢見る少女たちの花園なのでしょう。ロミオとジュリエットの昔から、禁断の恋という設定は乙女のものでした。男性向け百合ポルノなんてのは一部の愛好者のものにすぎないのに、ボーイズラブ含めた道ならぬ恋にキャアと声をあげるスイッチというのは、世の女性のすべてに備わっているような気がする。私は十代をタカラヅカに自転車で行ける距離の土地で暮らしていた。あのいかにもアブノーマルな歌劇団を追っかける乙女たちを日常的に目にしていたのだけれど、追っかけ、をやるほどではないにしたって、街の女性のだれもが、ジェンヌ追いの少女たちのことを微笑んで見つめ、あまつさえ若いっていいわねえと好ましい理解さえ示していたことを知っている。あの感じが男性にはない。アイドルの追っかけは男性にもいるが、あくまで男性全体のなかでは異端視される存在。レズものAVが好き? お前どこかおかしいじゃねえの? そういう感じがある。

 近年、男女の性差が様々な角度から科学的に解明されはじめている。私はそんな研究成果を目にするたび、BL読者のことを思うのである。

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 ただそれだけの刺激で、二人はあっという間に昇りつめ、互いの肌にその欲を迸らせた。挿入までもたなかった。


 いつき朔夜 『十二月の暴君』(文庫『八月の略奪者』収録)

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 男性の性的絶頂感が脳の反応ではなく脊髄反射であることは古くから知られている。つまり、熱いものを触ったときに脳が「熱い」と考える前に脊髄が反射的に触れている手を引っ込める指令を出すという反応と同じだ。そうである以上、男性の性的絶頂感は極端にいえば「脳を必要としない」──刺激さえあれば欲をほとばしらせることができる。熱ければいいのだから、相手が肉であればなんでもいい。自分の手だってかまわないくらいである。

 というわけで、その正体をつきとめようと、被験者にMRIに入ってもらって脳髄の変化を見ながら性的絶頂感を得る、という実験が行われた。上半身を覆われたMRIのなかでゴーグルモニタにエロビデオを流して自分の右手でイってもらうという実験を、志願してくる被験者を使ってデータとりまくったというのだから科学の世界もおもしろそうなところだ(笑)。そしてその実験のなかで、ひとつの発見があった。

 下半身麻痺の女性が自分自身の生殖器を刺激することによって性的絶頂感を得たのだという。だいたい、なぜ下半身麻痺の女性が自分の下半身を自分で刺激する実験などに参加しているのかが疑問に思えるが、研究チームにはある予測があったのだと思う。そして、それは立証された。脊髄損傷により下半身がまったくなにも感じない女性が、性的絶頂感を得た──矛盾した結果だが、説明はできる。この一例だけをとってみるならば、女性にとっての性的絶頂感は脊髄反射ではありえない。おそらくこの女性は、露出プレイに昂奮を感じる嗜好もあったのだろう。

 「触れている」もしくは「見られている」という脳の思考によって性的絶頂感が得られている。

 それが女性全体にとっての真実であるかどうかは今後の研究を待つしかないが、先述引用のシーン。ずっと逢えなくて、ようやく二人になれて、触れあっているという「想い」だけで、挿入する前にイッてしまう──この反応は、多分に女性的であるといえるだろう。ああ勉強になる。私は気をつけていても「想いに反してカラダが反応する」なんていう男性ポルノなシーンをよく書いてしまう。それに萌えるのは男性だけなのに。

 恋に恋するお年頃。

 そういう表現があるが、もしかするとそれが女性にとっての生涯なのかもしれない。というのは男である私の趣味の悪い夢想だろうか。しかしその仮説によるならば、女性がタカラヅカに、ボーイズラブに、ロミオとジュリエットや『あらしのよるに』や『しろいうさぎとくろいうさぎ』に、萌えられるうちは乙女は乙女であり続けるということなのだ。ヅカでも潤でもヨンでもきよしでもBLでも、うっとり眺める脳内シナプスが生きている限り、少女は死なない。血流を高めるバイアグラは女性には効かないが、そんなものは必要ないのである。

 肉体の死を目前にしてさえ。
 少女はその脳が夢想する限り、
 エクスタシーを得ることができる。
 なんという、うらやましく、最強のイキモノであることか。
 そして、なんと美しい聖なる自己完結。
 すべての少女が──女性が──天使と呼べる。

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「なんで男ってさ、あんなに先ばっか急ぐんだろ。せっかちっていうか、自分勝手っていうかさあ」


 村山由佳 『おいしいコーヒーのいれ方 2nd.season"OPEN ARMS"』

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 この時間にこんなトコで駄文を読んでいる、あなたも天使だ。
 聖なる自己完結──デートの予定がないなら、本屋行ってボーイズラブでも買ってくるといい。脳だけでイける最強のイキモノでありながら、それでもまだ男なんてくだらないイキモノを望むなら、その御肉を差し出すといい。男は肉ならなんでも喰うから。反射なのだ射精は。そのあとに恋とか愛とかが生まれるので、そっちを先に期待されても困る。なにせこちとら夢見るだけではイけない愚鈍な生物なのだから。脊髄をまず満たしてやらないと脳が考えやしない。そのあたり違うイキモノだと割り切って考えてくれないと困るよ若菜ちゃん。
 
 欲ほとばしる、聖なる夜に乾杯。
 メリークリスマス。
 ああ、なんて男って最低なイキモノなんだ。
 やれやれ。

 タメイキつきつつ、
 今年も暮れゆく──

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