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Crabcider01

ひどく暑い夏に。

爽快サイダー!

と書かれた、入浴剤を見つけて。
幼い息子がはじめて行った銭湯で飲んでから、ラムネ好きなのもあり、買って帰って。

料理も火を使いたくないので、ちらし寿司どーん。あと具材適当に。みたいなことが多くなり。

でも食欲はあるので、刺身ではなく、揚げたのが欲しくて、総菜を買いにスーパーへ行くと、サイダー味のカニカマがあり。

うーんと思ったが、息子を連れていたのでスルーもできず。見せたら買うことになり。

かき氷のシロップって、着色料と香料でそれっぽくした、同じ味の使い回しだという。

このカニカマもまあそうでしょう。
実際そうだったのだけれども。
だからこそ子供だましは、本当に子供をだます。

「サイダーだカニちがう!」

いやもともとカニではなくて、かまぼこなんだけれども。味もきっちりそうなのだけれども。きっちりサイダーの香りがするから、サイダー味だと受け止める。

とにかく寿司具としては拒否られて、後日、私が食べた。

タコスの具にして、ニンニク添えてライムしぼって。なんで、かまぼこの臭みを消して喰わなならんのかと愚痴りつつ。

インスタ映え至上主義社会め。
そうか撮っておくか。
ということで撮ったタコス。
おいしくはない。

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 この話の教訓は。

「破壊力のあるコスチュームプレイは中身を凌駕する」

 前回、国立民族学博物館の特別展を観に行ったら写真が撮れなかったという、くだりがあったのですが。

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『猫鬼』の話。

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 もちろん撮影できる常設展も観てまわった。

 入ってすぐ、アメリカ文化のコーナーで、息子が言った。

「あ、これおとうさんの焼くやつっ」

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 そしてルチャ・リブレのレスラーをさがしたが、いなかった。タイのコーナーにはムエタイ衣装のボクサーマネキンが立っているのに、なぜこっちにはマスクマンマネキンが立っていないのかといえば、そこがアメリカコーナーだからだ。私がいつも、タコスは、いま観ているこのプロレスの国で食べられているものなのだ、と説明しているために、彼のなかではトルティーヤを焼く国にはマスクマンがいないとおかしいことになっている。

 そう考えると確かに、トルティーヤの説明を見ても、アメリカ中央からメキシコにかけて主食にされていたパンだということになっていて、トルティーヤという呼びかたがスペイン語由来なのに、いまでもアメリカのそれもトルティーヤと呼ぶ。それなのに、娯楽スポーツの王様プロレスに関しては、厳密に国境というものが作用して、そこを越えるか否かで呼び名が変わる。

 深読みすれば、そこには娯楽であるがゆえに、世相を反映させてきた歴史がある。装飾的な覆面によってはっきりと善玉と悪玉を描きわけ、悪はわかりやすくルールを逸脱して勝利をもぎとろうとするのに、善は正攻法でそれに打ち勝つ。いったんはくじけるが巻き返すといった構成を取るために三本勝負が主流となった、ルチャ・リブレは、世界中のプロレスのなかでも、特段に演劇的要素が強い。

 大衆演劇として見れば、近年のルチャ・リブレ悪役にアメリカのトランプ大統領の狂信的支持者であるとする設定のレスラーがいるようなことが、延々と続けられてきたのに違いなく、それはまあ、国境を越えた隣の国から見ればネタにされて「あいつらのはスポーツとしてのプロレスじゃねえべつもんや」という意味での線引きがなされることは自然ななりゆきである。

 なんの話だったか。

 トルティーヤだ。
 しかしてそれに国境はなく、極東の現代、我が家でも盛んに食べられている。というかこれ、トウモロコシの採れまくる場所では(殻をやわらかくするのに石灰を加えたりもするそうだが)トウモロコシをそのまま、小麦が生えたら小麦をそのまま、ただ粉にして水で練ってのばして焼くだけのもの。

 当サイトのレシピもリンクしておこうか。

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『トマト缶でサルサソース、タコスに暮れる』の話。

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 うちでも、あった粉で作る。それだけのものである。それだけのものを、いちいち呼びわけたりするのも面倒くさいというか、そもそも具を挟んだらタコスと呼んでしまったりするように、トルティーヤ自体は実にどうでもいいこれ以上単純化しようもない膨らませさえもしていないパンとも呼べない食べられる粉の布みたいなものにすぎないから、アメリカにおいても小麦粉で作ったらフラワートルティーヤとか、呼びにくい長い名前で定着してしまったのかもしれない。呼ばない相手の名前なんて、長かろうがそりの合わない他国の言語の響きだろうが、それこそどうでもよくて。

 逆説的には、そのシンプルさゆえに、形を変えず世界で食され続けているのだとも思う。名もなき平らなパン。そういう中身だから、なにを着せても、なんの味にでもなる。もしも青いサイダー味のトルティーヤが始祖だったとしたら、第一国境を越えることなく足蹴にされていたと確信する。

「そっちではそんなの着せてたのしんでいたのかい。いまいちだねえ。こっちではそののっぺりしたのに、こういうのを着させてゴージャス受で売り出そうってもんさ」

 映画スターが、稼いだ金をつぎ込んで、のっぺりした受をみんなの餌食に仕立てあげて、さらに大もうけしたという話も聞く。

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『ルチャ・アンダーグラウンド』の話。

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 その店のトルティーヤになるともう、具を包んでもいない。皿に敷いてある。そのうえにゴージャスな料理が盛ってある。看板にトルティーヤ、タコスと書きたいだけなのがあからさまだが、映画スターの高級タコスとして成り立ってしまうみごとな仕立てでもある。

 重ね重ね、中途半端にトルティーヤが主張すると、これらは成り立たない。博物館に展示される昔から、なにひとつ変わらない、ただ食べられる粉をのばして焼いただけのものだからこその自由。

 我が家でのサイダーソーダ風味青いカニカマ処理は、こんな感じだった。

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 チキンとソーセージとニンニクの芽を炒めたのに、サラミと卵、刻んだキャベツ。トマト缶に冷凍パプリカと玉ねぎ混ぜた即席サルサソース。と、ライム。

 そして焼いたニンニクと、青いカニカマ。

 なにがなくていいってカニカマに決まっている。
 来年の夏に見かけても、ぜったいに買わない。

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 母の故郷であり、我が、とかげ魂の故郷、広島三次。

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『稲生物怪録』の話。

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 そこに今年、妖怪博物館が開館。

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三次もののけミュージアム

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 実に正しい。
 石碑を建てるよりも博物館を建てたほうが、わざわざ観に行こうという気にもなるというものだ。

 だがしかし……

 なにせ車がないと生活できない三次のしかも山奥で、私の祖父は逝った。そしてあろうことか、祖母は運転免許を持っていないのだった。買い物難民というレベルの話ではなく、ガチで飢える。そんなこんなで、叔父夫妻が同居することになった。私は母に、幼いころから「私のお兄ちゃんがああなんだから、あんたも遺伝子的には勉強できる子のはず」と言われて育った。叔父は東京の某名の通った大学の出で、それからずっと東京暮らしのひと。それが妖怪の郷に戻った。

 そういうことがあって、叔父は私にハナモゲラ語とスティーブン・キングを教えてくれたひとでもあって、大好きだからこそ、土間に藁葺き屋根の実家へ東京のインテリ暮らしを持って帰って混沌としているに違いないところへ、遊びに行っていいかなどとは言い出せないことになり、四歳になる息子にあの漆黒の闇と私の溺れかけた滝壺を見せてもいいころあいかなあと思いつつ、祖母を訪ねるのに三次の駅前のホテルに一室取ってでは、妖怪に会うことはできないだろうなあということも、そこで育った私は肌で知っているから計画は実行されず。

 三次もののけミュージアムにも。
 いまのところ、足を運ぶ予定は立たずにいる。

 そういう立ち位置だったのだけれども。
 先日、通勤電車の中吊りで、その名を見た。

 大阪在住の私にとって、学生時代から、数え切れないほどに足を運んだ民族学博物館。そこでの特別展に、三次もののけミュージアムの所蔵品がやって来ている。

 行くさ!!
 ついた。

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 こうして書きはじめてからお伝えするのもなんですが、今回の特別展、撮影が禁止だった。民族学博物館は常設展示は撮影OKで、特別展も、ときには撮っていい場合があるのだけれども。今回は、がっぴょうりあんに禁止。

 まさに三次もののけミュージアムからやってきていたそれが、撮影禁止の理由を私に教えてくれた。

 なにがやって来ているのかはポスターには書いていなかったから、てっきり、おなじみ稲生物怪録のエロマンガ的絵巻物がこぎれいに飾ってあるってところでしょうと予測していたのだが……

 ミイラだった。

 今回の特別展『驚異と怪異――想像界の生きものたち』で、大きく場所を取っていたのが、それ。X線によって、テレビで内部構造を解析されて魚と猿の骨を接いだと判明しているが、それでもいまだ物の怪のミイラとしては有名な、あの人魚をはじめ、オカルトテレビ番組で見たことのある古今東西のミイラが集まっていた。

 完全に見世物小屋。金がとれる。そして、見世物小屋に客を誘い込むために興行主がもっとも気をつかわなければならないことは、ネタバレである。

 こうして言葉で書くぶんにはともかく、展示のひとつひとつを撮ってウェブに流されては商売あがったり。撮影禁止は正しい。いかにも美術関係の学生さんたちが、首から大きな一眼レフカメラをさげているのにたくさん遭遇したのは、少々かわいそうではあったけれども。

 オカルト界隈でミイラといえば、人魚に天狗、河童が稼ぎ頭。そこも撮影禁止の理由のひとつだったかもしれない。なんにせよやつらは、小さな人間のかたちをしている。本物ではないとして、作り物だとして見てみれば、それはそれで原材料というものがある。いまのモデラーのようにパテを削ってではなく、制作者が使ったのは、なんらかのヒト型のミイラだ。

 猿か。はたまた……

 わざわざ見世物ミイラを作るために獲った猿をミイラにするというのも気の長い話で。ありものを使ったと考えるほうが自然である。

 そんなこんなで、いろいろ考えてしまうヒト型ミイラのコーナーを過ぎた先に、唐突にそれが並んでいた。それはそうだ。私は、三次もののけミュージアムに行ったことがなく、その所蔵品がどういったラインナップであるのかもしらない。にしても、意表を突かれた。

 ミイラが来ているのか……もののけ、という言葉に、合っているようないないような、微妙な具合ではないか。

 はたして並べられていたのは。
 ご高名なミイラたちと一線を画す、三次もののけミュージアム勢。

 竜だった。
 ああ、まあねえ、ウロコの生えている生物にはこと欠かない三次っぽいっちゃぽい。いや別に三次で作ったわけではなくてそこの博物館の所蔵品というだけなのでしょうけれども。

 竜のミイラ……恐竜ぽい。おどろおどろしくない。清潔である。完璧に作り物で、しかも原材料を隠す気がない。

 三頭竜!

 キングギドラか! と思う名前だけれど、そのミイラ、どう見てもトカゲにシシャモ三匹を接いである。チャちい。見世物小屋で金とってこれ見せられたら、はあ? となるレベル。だが、だからこそ良い。愛らしい。可愛いと言ってもいい。

 そして、次のコーナーにあったそれが、三次もののけミュージアムから大阪くんだりまでやって来たものどものなかで、いちばん観客に愛されていた。

「ポケモン?」

 クスクス子女が笑んでいる。

 猫鬼。
 ねこおに、と読みたいが、びょうき、と読む。文字通りの猫。ただ、ツノがある。そして種類が豊富。数も多い。

 解説によれば、年を経た猫が鬼になり、ツノが一本生え、二本生え、三本生えて、レベルアップしていくそうだ。ただ、それだと尻尾が割れて増えていく猫又とキャラかぶりしている。そこをズラすための設定なのか、猫鬼は、最上級クラスになると、ツノが抜け落ちるのだという。

 ……ただの猫やん。

 でもまあその設定ゆえに、オカルト的にはやっかいなことになる。猫鬼と、変哲ない猫との見た目の差違がないとしたら、捕獲も目撃も不可能だ。

 それだと見世物にならない。

 いえいえだから……中途なレベルの猫鬼の骨はたくさん見つかっているのです。猫鬼は、だから、いる。

 三次もののけミュージアムからやってきた猫鬼は、とても人気だった。竜のミイラが魚の切り身を接いでうまく作られているのと同様、原材料もはっきりとしているから、背筋がぞぞとするような怖さは皆無。でもしかし、それを遠目に眺めていた私は、ちょっとぞぞとする。

 どぎつい妖怪物の怪たちの並んだ展覧会で、みなさん感覚が麻痺していらっしゃるのでは。わいわいきゃっきゃと指さして眺めているそれ、あきらかにいつかは生きていたはずの猫の頭蓋骨。

 猫鬼は頭だけ。ミイラではなく、美術室でデッサン用に置かれている漂白された牛の頭蓋骨のように、真っ白い骨だけの姿。そこに、原材料はきっと大型動物の爪だろう、ツノが接着してある。数があるわけだ。乾燥しきった猫の頭蓋骨に、爪を接着してツノだと言い張るだけなのだ。手先の器用さはあまりいらないわりに、完成品はポケモンの頭蓋骨でもあるかのようにリアルである。それを無数に並べる。こんなに見つかりましたよというあちらの主張に、いやいやこれ完璧にただの猫の頭やんか、でも……いっぱい並べられると、アート作品的なおもむきも出る。見世物として成立するのだ。いかにも接着しただけのツノがまた、最終レベルではポロリと取れてしまうという猫鬼の生態に寄りそっている。

 そして、なにより、さっきまで天狗の下駄に怯えきっていたおさなごまでもが、ひとだかりのできている猫鬼に魅入っている。微笑ってさえいる。

「それ、本物の猫のドクロやで」

 言ってやったら意味を理解して泣きだすだろうかと思いながら、言わずにおいた。なんにせよ動物の骨だということは理解している子が、ツノがあるために、それは恐竜の骨格標本のようなものかも知れないと考え、まわりから聞こえてくる「ポケモンぽいよね」という会話から、生きている姿を想像している。

 勝手なイキモノを創るといい。
 それはきっと、きみのともだちになる。

(彼が怖がっていた天狗の下駄というのは、とてつもなく大きな下駄で、とてつもなく大きな日本刀といっしょに展示されていた。南国のおどろおどろしいベロ出し妖怪たちのマスクやフィギュアがこれでもかと並んでいるのには怯えなかった彼だが、使用する本人はいない、下駄と刀に震えあがった。というか帰ると言って泣きさえした。その日の朝にウルトラマンを観て出たにもかかわらず、見上げる大きさのヒト型生命体がでっかい日本刀を振り回しているという想像に打ちのめされたらしい……猫鬼同様、もののけは、正体を見せずに匂わせるのがヒトの心を掴む存在になる秘訣のようだ。そういう意味では、雪男などが大きな足跡だけによって認識されていたころには、世界中に真の意味での妖怪がいたのに違いない。だれもがスマホで逃げ去る類人猿やチュパカブラの背中を撮ったり、オカルト番組がDNA検査を導入したりする現代は、それを失ったがために怖がるものがなくなって、同種族の隣人を怖れてリアルケンカをくりひろげる毎日になってしまったのかも。銃弾を撃ちこみようがない天狗が悪なるものであり善きものとしても機能すると察していたからこそ、とてつもなく大きな下駄を作ってその存在を忘れないよう祭のたびに神輿にのせた。そういうのこそ知恵だ。贖罪の山羊を山羊でさえなく猫鬼にしておけば、だれも見つけられないから救いになる。のだから、妖怪展を観て、妖怪というのが人類にとっていかに有用なものかだのうんぬんと語りはじめるのは無粋なこと。しばらくは、でっかい天狗が来るでぇ、の呪文が息子に効く。子細を説明しなくてよかった。有用なことである)

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「ああ、さっきのやつのせなかか!」

 民俗学博物館を出たところから見える、太陽の塔の背中に、天狗に対するのと同じ怯えを見せかけた彼だったが、太陽の塔の裏側なのだと理解した瞬間に怖がるのをやめた。それもやっぱり、万博記念公園ではそこかしこで太陽の塔グッズが売られているせいだ。正体がバレているもののけは怖くない……なるほど、それで怖い界隈の彫り物というのは脱がないと見えない背中に彫られるのかもしれんなあ、というようなことも考えた。見せないために描けば、そこになんらかのあやかしが立ち顕れる魔術……恥丘に花のタトゥなども妖怪の一種と分類していいのかも。

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国立民族学博物館

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「ほかは、しってる」

 笑ってしまった。
 苦く。

「だったら、これは」
「にんじん」
「これは」
「だいこん?」
「ちょっとしょうゆをたらしたから色づいているのに、よくわかったな。これは」
「これもテスト? うっすら茶色い細いのをだいこんだってわかるのに、白ごはんをわからないなんてこと、あると思う?」

 いらだっている。
 おれの口調のせいに違いない。
 しかし、変えられない。

「また、わからないって言ったぞ」
「わかる、って言ったんです」
「そうじゃなくて。おまえのは、わからない、んじゃなくて、わすれている、んだ。そこをみとめないと、思い出すものも思い出せない」

 おれを見る。
 そらさないでいると、あきらめて視線を皿にもどした。
 なぜ、そうやってすぐあきらめる──

「ぼくは、これを食べたくない」

 奥歯を、意識して開放した。
 砕ける音でもすれば、さすがに怖がらせる。
 おれにいらだつ、こいつにおれがいらだっている。
 認めないと、もどる道がないのは、こっちも。

「おぼえていないのに」
「しらなくても、きもちわるいです」

 混乱する。
 おぼえていないから、いま嫌った?
 それとも。
 おぼえていないのに、知っている?

「それをきらいなのは、おれだ」

 また、こっちを見る。
 目を細めた。
 見えにくいものを、見ようとでも?
 そう、親しき仲にも努力は大事。

「ぼくも、きらい」
「なぜ」
「きもちわるいって、言ったでしょう」
「それは、たまごだ。おれは、かたく茹でたものしか食べない」
「たまご?」
「たまごを、わからないなんてことが、あるか」

 おれが茹であがっていない卵が食べられないのは、それがまさしく卵であるからだった。温泉卵なんてものは、殺しきれていない、やわらかい命そのものに思えてならない。こいつには、冗談めかして言ったことがあった。

 体液みたいなんだよ。

「たまごは……しってるって」

 細めたままの瞳を、やっぱりそらして。
 くびすじが、染まる。

 いやになる。
 おれをおぼえていないのに、おれの冗談はおぼえていて、それをこいつ自身の記憶と混同までしているのだとしたら。こいつの恥じらいは、おれに向けられたものなのか?

 もういい。
 最初から、やりなおせばいい。
 目をそらした、こいつの唇をうばって、くちゅくちゅと体液の交換でもすれば、もとにもどったわけではないにせよ、うまくいくという確信はある。

 半歩、踏み出しかけて。
 五十秒先の予知夢を見た。

「だめ。愛するひとがいる」

 つきとばされて、よろめいて、しりもちをつき、おれは言うべきかどうか迷う──

「それはおれだろう!?」


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Yoshinogi Takumi
 Shonen-ai Cooking Elegy
 Song 27
 『Fall ass alone hours 50 seconds later.』

(吉秒匠
 BL料理哀歌
 27曲目
 『五十秒後、ふたりの時間』)

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○材料

卵 3個

○作り方

 常温の卵を手鍋に入れて、完全に沈む量の水を入れ、いったん卵を取り出します。

(使うのはありふれた18cmの雪平鍋。それだと三分の二くらいのところまで水を入れることになるので、おおよそ1リッターというところでしょうか。少ないより多いほうがいい、というのは、実のところ私自身も小説同様、ゆるすぎる温泉卵が好きではないから)

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 その水をぐらぐら煮立たせたら火を止め、すばやく卵をお玉で戻し、密閉しない程度の蓋をかぶせます。

(重ね重ねですが、私は茹で卵はハードボイルドを好み、温泉卵はべつものと割り切っても、やっぱり体液な感じなのはちょっと。というわけで、多くの手鍋で温泉卵を作るレシピではこういうとき蓋をするのは厳禁だと書かれるのですが……それはつまりお湯の温度が下がらなすぎて、白身がどろっどろしていないくらいまで火が通ったものになってしまうと失敗だとされるから。私にはそれこそが願ったりなので、蓋もします。じょじょに冷めていく程度のやつを)

 そのまま放置して、できあがり。

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 我が家には電気ポットがなくて(正確にはあるけれど、まったく使っていなくて)、休みの日には、沸かしたお湯を卓上保温ポットに入れて使っている。

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 そのとき沸かしたお湯の残りに卵を放り込んで、蓋をして、放置して、完全に冷めた昼下がりから夕方ごろ、その温泉卵を冷蔵庫に入れる(温泉マークを忘れず書いておこう)。

 その日のうちに消費することもあるし、数日後のこともある。お湯の量や季節の加減も適当だから、失敗なしとはいえない様々な感じにできあがるのだけれども。まあ、うちの場合、ほぼこの、ビビンバ的なものの上に割っていっしょにぐちゃって食べるかたちなので、生でないかぎりなにも失敗ではない(だから温泉マークは忘れず書こう。ゆいいつ失敗することがあるとすれば、作っておいた温泉卵と間違えて生卵を割るパターン。私は卵かけごはんも好きではない)。

 あれ、これ、ビビンバの具のレシピは? というかたもいるかもしれないので書いておくと、野菜も肉も炒めただけなのでレシピなんてものはない。もやしにはゴマを振り、肉とにんじんと大根には、少々の醤油はたらした。

 ただ、私の場合、コレなので。

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 豆板醤と、奥は、焼き肉のタレ。
 (皿の黒いせいで判別しにくいね。すまぬ)

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『焼肉のタレ、手作り、レシピ、つくりかた』の話。

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 自家製焼き肉のタレだが、最近は子供のを別に作るのが面倒になってきて、豆板醤含む唐辛子の類を抜きで作り、自分のだけにあとから足すことにしている。そのせいで辛みが加速度的に上昇し、焼き肉のタレで豆板醤に香りをつけるような割合になっている。

 そういうのを添えて、キムチも載せて喰うので、炒めた具に味はいらない。しょうゆとかナンプラーとか、ゴマ油とかオリーブオイルとか、そういう気分的な香りづけ程度で充分。

 で、まあ、この具も残ったら弁当に入れられてウスターソースを添えられたり、トマトソースのピザの上に載せられたり、タコスの具になってサルサだったり、手巻き寿司にされたり。そういう意味でも、国籍を感じさせない調理に留めておくと使い回しがしやすい。美人は三日で飽きるというじゃない。もとが濃いと似合うコスもかぎられてくるというじゃない。平らな顔族は、だれもに愛される可能性を秘めているというじゃない。

 ところで、そういう事情から、残ったら別の味つけで使うために残る量作った具を混ぜたくないために、私はそれぞれを小鉢に入れてテーブルに並べ、白ごはんと、ときには豆腐なども置き、温泉卵も鉢に入れ。

 ビビンバの起源で、諸説あるどれもが共通するのは、ひとつの皿にまとめること。それこそがビビンバという名の意味でもあるそうなので、具を炒めるたびに皿が増えている私の作法は、その名で呼んではいけない。

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Yoshinogi Takumi
 Shonen-ai Cooking Elegy

26曲目『穴は穴。ドーナツの一部ではない。』
25曲目『具のないピッツァの電源を切り……』
24曲目『姫始め葷縛り』
23曲目『また逢ってタコス』
22曲目『彼は彼のそれを彼と呼ぶべきではなかった。』
21曲目『形状と呼応』
20曲目『轢かれ鉄のサイジ』
19曲目『黒い彼が焼いたぼくのための白いパン』
18曲目『となりの部屋』
17曲目『ヴィアール遭遇』
16曲目『アネ化けロースカツ』
15曲目『逆想アドミタンス』
14曲目『恋なすび寿司』
13曲目『バーベキュー厳峻鋼』
12曲目『茄子はダシの夢をみるか?』
11曲目『すっぱくても、平気。』
10曲目『踏み絵ムルギティッカ』
9曲目『ひとくちだけカトルカール』
8曲目『春節の静かな賞品』
7曲目『ナンを焼くと両手がつかえない。』
6曲目『タマレってなに?』
5曲目『あらいぐまのすきなもの。』
4曲目『ピッツァみたいにぼくを食べてよ!!』
3曲目『クリスピー・プロ・フライドチキン』
2曲目『青くてカタいアボカドのパスタ』
1曲目『春餅/チュンピン』