最近の記事

スポンサードリンク

月別アーカイブ



 話の途中ではありますが。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

2014年07月14日
・ 「夢眠姉妹のわくわくキュイジンヌ」という番組を観はじめた。初回が、かたやきせんべいって。ていうか私もかたやきには思い入れがありまして、レシピも用意していたのに。このタイミングでブログに書くと熱狂的ファンみたいだから今度にする。

twitter / Yoshinogi

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

『新春体腔粘膜効果』の話。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

2018年10月14日
・ 夢眠ねむ引退だそうで。立派な大人になりきれていないことに苦悩し、眠ることができないダメな大人たちが見る、教育テレビ「ひらめけ!デンキッキ」のおかげで昨夜も眠れた私は来年からどう夜を埋めれば…でも、書店バイト少女がアイドルになり大人になり本屋さんになるっ!て叫び出すの、とても素敵。

twitter / Yoshinogi

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 2010年のでんぱ組.incメジャーデビューのときにはすでに触れていて、そこから数年ごとにふっとツイッターやブログにその名が出るというくらいのファンではあったのですが、それにしても十年以上も観て聴いて愛しているわけで。

 今週、上記のテレビ番組「ひらめけ!デンキッキ」が最終回を迎えたのです。

 でんぱ組.incの夢眠ねむにしてデンキッキのおねえさんが、最後に番組で作ったのは「麩キャラメル」。麩をバターで炒めて砂糖を加え飴状になるまで炒めるという、なんちゃってキャラメルポップコーンのようなものでした。それを作りながら、アイドルを辞めてはじめる本屋では料理人の姉が料理をするかもだとか、本を読まない子供に本好きになってもらえる店にしたいのだとか笑顔絶やさず語る、引退という言葉から連想される悲壮感など微塵もない最終回だった。

4074100576

 しかしこの番組、最終回を迎えるまで、夢眠ねむは引退するけれど、番組は後釜を連れて来て続けるという雰囲気で話していて、おねえさん自身が後継者をでんぱ組.incから連れてくると明言していたのでした。

 そう言われてしまうと、もちろん今年の初めの彼女の脱退ライブで担当カラーのミントグリーンを継がせた後輩「ねも」こと根本凪かしらん。しかしココリコ田中を相方にふたり語りで三十分番組回せというのはちょっと酷な役回りではないかしらん、だとすれば……

 えいたそ、じゃね。

 そんなふうに思っていた。実際、番組の最終回付近でもそのことには触れられていて、言っちゃあなんだが十年前の段階ですでにベテランメイド嬢だった夢眠ねむが、メイド喫茶で働くことになったきっかけを与えた、そのときすでにさらなるベテランメイド嬢だった「えいたそ」こと成瀬瑛美は、十年前に十歳だったとしても少女アイドルと呼ぶのはどうなのだという風情。逆説的に、深夜番組のひとつくらい難なく回せて不思議ではない。

 そこまで触れずに来ていたそういうことが具体的に話題になったとき、おねえさんが、そう言った。

「えいたそはプリキュアになっちゃったんで」

 ココリコ田中ことおにいさんが「え」と言った。おねえさんが、子細を説明すると、本気で驚いて、そうなんだ、と絶句していた。ふたりの子供を育てるお父さんでもあるから、プリキュア、仮面ライダー、スーパー戦隊という日曜朝のキッズ定番タイムには触れているだろうし、本人が役者として『快盗戦隊ルパンレンジャーVS警察戦隊パトレンジャー en film』にも出演している。

B07HCJ69NN

 プリキュアがどれほど大きな存在であるかを知っているからの驚きだった。おねえさんの引退ライブも観に行ったそうなので、おにいさんも、でんぱ組.incだって、いまや、とても大きな存在だということは実感していたのだろうけれど、それにしたって「プリキュアの主役!?」。

 現役アイドルがプリキュアシリーズの主演声優を務めるのは史上初。

 だが経緯を聞くと、それはアイドルありきの抜擢という図式ではなく。夢眠ねむのキャッチフレーズである「魔法少女未満」は、成瀬瑛美にも当てはまる。ふたりは同じように幼少期からの筋金入りのヲタクで引きこもり体質で、それぞれに美術系大学に進み、メイド喫茶で働きはじめて歌い、アイドルになる。同じく幼少期からのヲタで引きこもり体質で美術系大学に進み、メイド嬢にはならなかったけれど、もうかれこれ数百万文字を人生を賭して書いている私は、身近さを感じずにはいられない。

 成瀬瑛美がメイド喫茶の店員のままだったら、プリキュアのオーディションに参加することはなかった。アイドルになり、武道館を埋めてセーラームーンを歌い、プリキュア好きも公言しているから開けた道ではある。所属事務所は声優を抱えていないので、オーディションの話は向こうから来ない。しかしプリキュア好きの女優がオーディションに参加している例があると聞き、参加は実現する。

「プリキュアになりたい」

 メイド嬢であり、アイドルだからの言い回しではあるが「なりたい」と彼女は、言葉にしてきていた。だからこそ、オーディションには作戦を練り、練習もして挑んだ。彼女は、でんぱ組.incのイエロー担当。センターには立たない、でもベテランの安定感を持つ位置。そこに似た黄色いプリキュア、立ち位置としては三人目のキュアソレイユというキャラクターを狙った。そこに特化して、なりきって。

 しかし、オーディションでは、審査員から、底抜けに明るい主役キュアスターも演じてみて欲しいと請われ、その場で初めて設定をカラダに入れて、その場で演じた。

 そうして、彼女は、キュアスターになる。

 プリキュアになった。

 芸能界を引退して本屋になる魔法少女未満の大人が、あたしの代わりに別の魔法少女未満を連れてくるつもりだったんですけれど、その子が本当の魔法少女になっちゃったんで、と笑顔で言っている。

 深夜に、寝るどころではなく、この世界は善いところだなあと思う。

 今年のプリキュアである『スター☆トゥインクルプリキュア』が宇宙に中学生が行き宇宙人は地球にやってくるという電波設定で、変身シーンもミュージカル仕立てなのが、声優や女優とは違って歌って踊れるアイドルな彼女に有利に働いたのはまぎれもない。けれどそれらも総じて、なりたいと願い続けた魔法少女を演じるオーディションにおいて、緊張のなかでものびやかに歌い踊れる極小から極大までのステージを極めた精神力と、慣れ、つまりは経験値と、メイド喫茶のステージに立っているだけでは鍛えられなかったアイドル歌手としての演じる実力の研鑽によっての結果であるのはあきらかで。

 つまりは、人生に無駄なことなんてないという寓話だ。つきつめれば、ひとりのヲタ少女が陰気キャラで挫折の果てに地下アイドルにならなければ、日曜の朝に底抜けの明るさで地上に勇気を振りまくキュアスターは、この世に生まれ出でなかったということなのだから。

 はじまったばかりの『スター☆トゥインクルプリキュア』を、子供といっしょに観ている。子供のほうはもちろん歌って踊っているのだけれど、その子といっしょに画面のなかで踊っているキュアスターは、あの、えいたそ、なのである。アイドルとして、のし上がったのを見てきただけで感無量だったのに、魔法少女のセンター担当だとか。こっちも笑顔で涙がこぼれて、世界がよく見えない。お風呂場にプリキュア子供シャンプーが置いてあって、その絵柄を見ただけで泣いてしまって「お父さん泣いているの」「いいやシャンプーが目に染みただけさ」みたいなことになっている。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

『ムーンライト』の話。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

2019年02月01日
・ HUGっと!プリキュアの最終回が出産。三歳児に「なにしてんの」と訊かれた私の脳裏に、ひとまわり下の弟と帝都物語(アニメ)を観て加藤が辰宮を孕ますのに「おしりになにいれたん」と訊かれ言葉を濁した過去がまたたいたから息子には懇切丁寧にいちから教えた。真実を説くのは年長者のつとめである。 

twitter / Yoshinogi

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 昨年のプリキュアの攻めているっぷりが印象にあるぶん、多くのひとが今年のプリキュアは脳天気な展開ですなあ、と感じながら観ているのだろうけれど。その脳天気なプリキュアを演じられるベテラン少女アイドルが、脳天気なだけで育まれたわけではないということも含めて視聴すれば、プリキュアになりたい、と、いまでは口に出して言えなくなったたぐいの大人こそが勇気を満たされる。

 ヒーローであり、ヒロインであり、アイドルである。

 ヲタクの国ニッポンの生んだ、魔法少女文化の一種の到達点を見つめている。

B07M9NR8WC

 いや単純に、好きなものが多ければ多いほど心がふるえる瞬間というのは増えていくのだから、人生が深まれば深まるほど単純な物語でさえもが観るのにいそがしい、という事実をあらためて実感する。

 おつかれさまです。そしてその先をまた魅せて。
 ついに本物の魔法少女になったあなたに、魅せられているのがしあわせです。

(史上初、ということを考えると、未知なることとしてプリキュアの主人公のなかのひとが「アイドルとして歌い踊ってもいる」というのは声優が歌うコンサートとはまたニュアンスが変わってくるので、どういう展開になるのか期待する。少なからずメイド嬢として男を萌えさせてナンボの部分も持っていたグループが、変革を迫られる事態にはならないか。園児年少低学年でドームを埋めて「くちづけキボンヌ」などと身をくねらせながら大合唱するのが許されるのであれば、それはそれは素晴らしくデンパだが)

B07J33Q4GZ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

※追陳

 「ひらめけ!デンキッキ」の最終回では、夢眠ねむおねえさんも「終わるんですか」という発言をしていて、最終回のそのときまで調整中であったことがうかがえたが。いまこれを書いているさいちゅうに、ニュースが届いた。

 「ひらめけ!デンキッキ」は「きらめけ!デンパッパ」にリニューアルするという。デンキッキの部分を変えてしまったら元ネタが不明になるだろうがという気がするが、勢いなのであろう。コンセプトは、立派な大人になりきれていないことに苦悩し眠ることができないダメな大人たちが見る教育テレビ、から、なんでもネガティブになってあきらめている大人たちに、ポジティブな大人になってもらうために様々なコトを教えていく…大人のための教育番組、となるそうで。

 おねえさんは、藤咲彩音。
 愛称ピンキーなのに、でんぱ組.incの青のひと。
 先代おねえさんやキュアスターには負けるが、気がつけばそこそこ古株。にしても、ダンス上手だがおしゃべり上手な印象ではないけれども、深夜にしゃべくるピンキーが観られるのか。いやたのしみである。様々なコトを教えてもらおう。






 実に七年ぶりのディーン・クーンツ邦訳が出版された経緯については、前回に語り済み。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

『これほど昏い場所に』の話。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 ちなみに新刊。七年ぶりのせいでAmazonさんもぼおっとしてしまったのか、ハーパーBOOKSがそう表記しているのか、作者名をこのところは「ディーン・クーンツ」としていたのを「ディーン クーンツ」としてしまい「ディーン・クーンツ」作品を新旧順に並べても、最新刊として表示されない。

(逆に「ディーン クーンツ」で検索すると、「ディーン・クーンツ」時代をスルーして「ディーン・R・クーンツ」名義の作品にヒットするため、二十年くらい書いていなかったひとが突然に新作を発表したみたいなリストになる。ふっと新刊はまだかいなと「ディーン・クーンツ」を検索したかたが新刊を見逃す可能性がおおいにあるので、そのうち改善されると信じたい)

 そして、その新作。
 男性向けによっている、と前回書いた。

 公式サイトが、こんな感じだ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

Jane Hawk 公式サイト

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 オリジナルのジェーン・ホーク・シリーズのペーパーバックカバーでは、デコルテをあらわにして動物の革とおぼしきもので作られたジャケットを羽織り、ウェーブのかかったブロンドは胸にまでたれ、アゴを突き出し挑戦的な気配の女性が写っている。

1984817493

 それが邦訳ハーパーBOOKSの一冊目では、こう。

4596550964

 首まで覆うコート。襟にとどくくらいのブロンド。発砲寸前なオートマチックに、荒野の上空を飛ぶヘリコプター。

 キャラクターを前面に出したオリジナル。
 言ってはなんだが、ある種のミスリードを狙ったかのような日本版。
 ある種の、というのは前回も書いたが、ディーン・クーンツを知らないのみならず、翻訳娯楽小説というものさえ初めて手にするような層に向けての仕掛け。

 『ブラックリスト』を連想させようとしている。

B075MNR6MF

 『ブラックリスト』のシーズン3で、ヒロインのFBI捜査官エリザベス・キーンは、子供ともども、殺されかけて逃げまどう日々となる。彼女自身は、彼女を追い詰めようとする謎の結社の正体を知らない。どうやらそこには、彼女のなかでは記憶もあいまいな、彼女の父親の存在が絡んでいるようなのだが。

 という日本でも大ヒットしてテレビの地上波放送もされている人気サスペンスドラマのシリーズを、同じくFBI捜査官である女性ジェーン・ホークを主役にした小説シリーズに重ね合わせて売るのは、賢いやりかただと思う。だがしかし、実際に『これほど昏い場所に』を読み進めると、それは本当にハーパーBOOKSのミスリードなだけだろうかと疑いはじめずにはいられない。

 『これほど昏い場所に』ヒロインのFBI捜査官ジェーン・ホークは、夫の自殺が殺人ではないのかと疑がったとたん、子供ともども、殺されかけて逃げまどう日々となる。子供を安全な場所に避難させ、敵の深層へと単身乗り込む彼女のまわりには敵か味方かわからない奇怪な人物があふれかえり、どうやらそこには、彼女にとってもっとも謎な存在でもある、彼女の父親の存在も絡んでいるようなのだが。

 かつて『ベストセラー小説の書き方』のなかで、書く者はそのまえに読者たれ、読んで読んで読みまくれ、と説いた師が、いまこの世紀に、ややこしい父親をもって夫を奪われ五歳の息子を抱えて悪を討たんとする休職中の美人女性FBI捜査官の物語を書くというのに『ブラックリスト』を観ていないというほうが現実味がない。豪邸に映画館のようなホームシアターがあるのに、全米視聴率ナンバーワンをうたうドラマは「いや観ていないなあ、似ている? 気のせいじゃない?」などと言うことを恥だと思わなくなっているとしたら、それこそもうあのディーン・クーンツとは別人だ。

 絶対に観ている。そのことをハーパーBOOKSも理解したうえでの、あの装丁。
 そしてもうひとつ。

 邦題。

『これほど昏い場所に』

 原題は『The Silent Corner』。似ているニュアンスではあるけれど、本作においては、物語る前に、クーンツ師みずからが、わざわざその言葉に関する説明を記述している。

 サイレントコーナー=沈黙の場所。それは、インターネット電子網を自由に動きまわりながらも、だれにも跡をたどられない者の居場所。

 つまり『The Silent Corner』は、サイバー要素の強いサスペンス劇で、いかに敵から「電子的に」隠れる=「沈黙の場所に居続け」ながら、敵に近づいていくかというジェーン・ホークの物語なのである。

 ほら、おかしい。
 だって、サイレントコーナー=沈黙の場所、と前文で訳してある。ならばタイトルも『沈黙の場所』でしかるべき。原題の『The Silent Corner』が、インターネットとリアルな地上の、というダブルミーニングかもしれぬということを明確にしたいのであれば『沈黙の場所で』でいい。

 『The Silent Corner』を『これほど昏い場所に』と訳すのは、かなりオリジナルとは違う意味が含ませてあるように感じるのではないか。

 のではないか。と書いたのには理由がある。新規読者はそう感じるかもしれない。なんか雰囲気のある、あまり使うことのない「昏い」なんていう言葉が含まれているのは、きっとダークなお話なんでしょうねと受けとるのかもしれない。

 だ、だが、だがしかしっっ!!

 これは完全にハーパーBOOKSから私へのメッセージだ。というか私を含めた隠れ信徒へのである。隠れる必要はないが、なにが好きと訊かれてディーン・クーンツが、と答えて「え?」なに、と思われないシチュエーション以外は存在しないのだから、実質隠れているも同然。

 隠れキリシタンに逆さ十字で蜂起をうながし、シシレオーのキーホルダーでトライガーの君に気づいてもらおう作戦。

 私は気づいた。
 そして読み、ああなるほど、と、あらためてうなずいたのであった。

「これ……『心の昏き川』……」

 文春文庫。白石朗、邦訳。
 書いたヒトもちろん、ディーン・クーンツ。

4167218380

 1994年の作。
 二十五年前。
 四半世紀の昔。

 邦題に関しては、かつての作品でクーンツ師自身がチェックを入れているということを明言していたから、今回もそうであるはずだ。そうであるならば、但し書きとして、この一文が添えられていただろう。

「この「昏き」という文字は一般的にSilentの日本語訳として使用するものではありませんが御作『Dark Rivers of the Heart』の邦題でDarkに対しても同様に一般的ではないながら使われていた表現です」

 師は、ニヤリとしたに違いない。

「心に巣くう過去を表すのに使った文字を、今回の悪意の静けさに対しても使うということかい。この前後のひらがなは?」

「形容しがたいほどに「昏い場所」ながら、そこにも昏くないものが宿っている。もしくは生まれ出でる、というニュアンスです」

「希望だね」

 いや、まったくの私の妄想だけれども。『心の昏き川』が『これほど昏い場所に』の原形であることは、信徒であれば疑いようもなく気づくことだ。邦題でそう匂わせていなくても、物語のなかで、これ見よがしに師も告げている。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 彼はジーンズのポケットから、壊れたカメオのロケットを引っぱり出した。女性の横顔がソープストーンに彫り出され、銀の楕円に埋め込まれている。左端に蝶番が半分だけ付いていた。まだしっかり蓋ができて、銀の鎖に吊り下げられていたころは、誰か愛する人の髪の毛がこの小さなケースに収めてあったのだろう。
「ママが前にここへ来て、また行っちゃったあと、川でこれを見つけたんだ。石の上に打ち上げられてた。この人、ママに似てるよね」
 とりたてて似ているところはなかったが、それでもジェーンは言った。「たしかに、ちょっとね」


 ディーン・クーンツ 『これほど昏い場所に』

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 川で見つけた、ソープストーン。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「ただのソープストーンですよ。雉子と龍。あなたのは、その両者のパワーが必要です。雉子と龍。繁栄と長寿のシンボルです」
 チェーンをもってメダルをぶらさげながら、スペンサーはいった。「お守りですか?」


 ディーン・クーンツ 『心の昏き川』

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 謎の中国人にもらった、ソープストーン。

 どちらも、物語の進行にほぼ関与しない。首からさげたソープストーンのおかげで銃弾が防がれて九死に一生を得たりしない。それどころか、主人公たちが、身に着けたそれに愛情を注ぐ様子が描かれない。

 クーンツ師には、そういうところがある。

 感情に訴えかけるようなアイテムを出してきて、しかしそんなものは窮地で役に立ちはしない、使えるのは自分自身だけなのだ! みたいな描写を好む。そういう師だからこそ、刻まれている模様は違うにせよ、主人公がどちらもソープストーンを身に着けて「昏き場所」へと赴く描写は、偶然であるわけがない。

 『心の昏き川』の主人公はスペンサー・グラント。ロス市警の捜査官だったが、いまは心に流れる過去という昏き川に起因する正義感に駆られ、犬を連れてランドクルーザーに乗って、とある女をさがしている男。

 『これほど昏い場所に』の主人公はジェーン・ホーク。敵に知られずインターネットを使うため訪れた図書館で、熱心にポルノ・サイトを眺めている男に出逢う女。あとで知ることになるのだが、男は、図書館が有害なウェブサイトを子供には見られないようにブロックしても、言論の自由があーだこーだと鍵を外してしまう連中から、また鍵を取りもどすといった些細なことまで個人的におこなっている、いわば行きすぎた善意のひとだった。男の心には過去という昏き川が流れていて、彼はひとりででも、少しでも世界を善き方向へ傾けようと戦っている。

 ディーン・クーンツは、過去に、さまざまなペンネームでさまざまなものを書いていて、そのうち出版されたポルノを自費を投じて買いあさっているというのは有名なエピソードである。自分で書いたものを自分で買い集め、過去を消している。

 一方、別のペンネームで書いた冒険活劇の何冊かを、クーンツ名義で書きなおしてもいる。師、曰く、生きているかぎり、直す機会があれば気に入っている作品は直すとのことだ。

 そういう意味では、SFサイバーサスペンスというものは、もっとも書きなおしたくてたまらないジャンルに違いない。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「何メガあるんだ?」スペンサーはたずねた。
「メガ単位じゃないわ。ギガよ。十ギガ」


 ディーン・クーンツ 『心の昏き川』

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 いまこの文章を書くだけに使われている極東島国の私のデスクトップでさえギガを越えてテラだ。アジア生まれの薄型折り畳み携帯電話がアメリカに上陸したうんぬん、という描写もある。四半世紀前。図書館にワールドワイドウェブ接続されたワークステーションは存在しないどころかローカルネットワークさえなく、司書は木の繊維を漉いて作られた紙を繰って幾万冊のなかから目当ての本をさがす職人だった。

 科学の力を使って主人公たちを追い詰める敵の恐ろしさを描くのに、この二十五年は手直しするといったレヴェルのことではなかろう。

 そして『心の昏き川』は、いまだクーンツ信徒のあいだでは、ひとつの伝説として語られる作品であり(ゴジラが登場することもあり、日本人たる私にとっては特に思い入れもある)、師自身も気に入っているはずだ。

「ガラケー前時代を、いまに? 書きなおしたほうが早くね」

 リメイクというか、リニューアル。
 いやあ、それにしてもおもしろいなあ『ブラックリスト』。

 あれ? 『心の昏き川』のスペンサーくんは、あとでヒロインを救いに現れる正義の味方的立ち位置にしたほうが、こういうテレビドラマっぽくね。謎のヒロインが主人公のほうが……映画化とか。いや、『オッド・トーマスの霊感』『フランケンシュタイン』に続く小説シリーズとして、まず書けちゃうんじゃないのん。

 そんな感じで書きはじめられたことを、確信しています。

 というあたりで、以下次回。
 やっと本編について語る……かなあ。
 けっこう、主要なネタをバラすとだいなしな構成ではあるので、いじりにくい。これもまた師が、この四半世紀で(いまだに)学んで進化したという部分なのでしょう。昨今のサスペンスドラマでは、視聴者の裏をかくというのは大事な要素ですから。時代に合わせる、小説職人の芸を堪能できる『これほど昏い場所に』。

 あ、もちろん、それには過去作を読まないとダメですよ。過去を知り、いまを知る。ディーン・クーンツに歴史あり、われ歴史に学ばんとす。


4167218372




 1945年7月9日。

 いまが2019年の三月なので、ざっくり言って、七十五歳に手が届いたということになる。日本では後期高齢者に分類され、自動車運転免許証の更新のさいには、認知機能検査を受けなさいと言われる年齢になった。

 そのひとが、2017年に一作目を発表し、立て続けに第二作目も。翌年、三作目と四作目。そしてこの五月に五作目という、驚異的な速度で刊行しているシリーズは、すでに数年先のぶんまで出版契約が成されているということで、どうやら師が2015年までの十年ほどをかけて七作発表した『オッド・トーマス』シリーズを冊数では越える勢いである。

 師、だ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

『Dean Koontz師のサイン本』の話。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 日本語のディーン・クーンツWikiはざっくりしすぎていて、熱烈信徒を自認する我が『とかげの月』の文章をデータとして求めてこられるかたも多く、おかげさまで布教の一角を担い、いまでも師の生筆『オッドトーマスの霊感』は我が家の家宝として崇められている。そんな私にとって、今回の出来事は一大事。

SilentCorner01

 最新邦訳の本の帯。
 しかしスリラーの帝王がもどってきて書いているのはスリラーというよりはサスペンスである。怖くはない。というかもともと師の作品群は、怖かったためしなどいちどたりともないのであるが。

 『オッド・トーマス』と『フランケンシュタイン』という映像化されたシリーズで、どう考えても師は二十世紀当時よりも稼いだはずで(豪邸に移り住んだのもその後だったし)、そのときすでにカムバックを果たしていたと見るのがクーンツ好きの視点だが、世間一般的にはそうではないらしい。

 スティーブン・キングとロバート・R・マキャモン、そしてディーン・クーンツをまとめて御三家と称し、日本ではモダンホラー小説という呼びかたで一世を風靡した。今回の「カムバック」は、そこでクーンツ読書遍歴を喪失してしまった人々に向けての……

 と分析したくなるけれど、たぶん違う。

 第四作まで邦訳された『オッド・トーマス』シリーズの、その四作目の発刊が2010年の暮れ。そして第一作が映画化されDVD発売は2014年。2016年にはオッド・トーマスを演じたアントン・イェルチンが事故死するというショッキングな出来事も重なったが、続刊はなかった。ハヤカワ文庫でいつでも出せる状態にあるのではと推測するが、映画化作でありながらシリーズの発刊を途中で断念というあたり、相当な失速があったのは想像に難くない。

 その時点で、ディーン・クーンツ、七十歳越え。

 信徒ではあるが、確かに、いま読み返しても『オッド・トーマスの予知夢』について書く私の文章も、複雑なニュアンスではある。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

『オッド・トーマスの予知夢』の話。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「『オッド・トーマスの霊感』これは文句なくだれもに全力でお勧めしたいシリーズ第一作にして、完全に完結した一冊としても読める名作である。以後の『受難』『救済』『予知夢』は、生まれ出でてしまったエンターテインメント小説界の無垢王オッド・トーマスに、ムチャブリをかけてあたふたさせ、そのさまをみんなで眺めましょう。という趣向である。人気の出た実力もともなっているベビーフェイスに対し、いかにもあつかいにくいイロモノキャラや冷血非道なヒトデナシ、そしてついにはこの世のものではない化け物までもを焚きつけて、それをオッド君がどうやってさばくのかをたのしむ……否、その無茶な世界と対戦相手たちとの紆余曲折な死闘の果てに、オッド君がどう成長するかを父みずからが予測もなく書き進めたのが、二冊目以降だと表現できる。」

 ……我ながら、褒めているのだろうかこれは。

 とてもいい主人公が生まれてみなさんにも祝福を受けたので、彼のその後を書いてみることにしました。という方向性が隠しきれない。その場合、本来は危惧すべきことがある。生まれたキャラはみんなに愛でられるすでにみんなの子。どこかのアニメのように『2』の監督が替わって「私のサーバルちゃんと違うっ」というような論争はないにしても、作者が同じならばすべて受け入れられるというものでもない。

 そして正直、小説『オッド・トーマスの霊感』続編のなかのオッドくんよりも、映画『オッド・トーマス 死神と奇妙な救世主』のアントン・イェルチンのほうが、読者の抱くオッドくん像に寄りそっている。レビューも絶賛。クーンツ師も同じく絶賛していたので、わかっているならなぜ続刊でそのほんわかオッドくんを激烈な目に遭わせる方向性で行ったのか。

B00HFEVWU6

 これには、師の小説作法というものが大きく関わっているように思えてならない。それは本当に私が師を師と呼ぶいちばんの教えだと感じているのだけれど。

 キャラクターは勝手に動き出さない。

 そこを徹底しろと、ずっと言われている。書きはじめたら主人公が勝手に動き出すなどという表現をするモノ書きがいるので、それを鵜呑みにして名前をつけただけの主人公を事件の真ん中へ放り込めば小説が書き進められると考えるひとたちがいるが。あれは天性の資質を持つひとが自覚なくできていることであって、私は違う(おまえらはもっと違う)、と。

 師は、主人公から脇役まで、小説に出てこない設定までもをまず詰める。背景が緻密に埋め尽くされてこそ、それによって実際に「生み出された」キャラクターだけが活き活きと動きはじめるのであるという。

 インタビューで、師は「オッドが読者に受け入れられるとは思わなかった」と明言している。「My name is Odd Thomas. I lead an unusual life.」という一文だけを啓示として受け、最初の三十ページを一気に書き上げたという。そんなことはこれまでなかったというのがオッドくんを神格化するための追創作の一種なのかどうかは置いておいても、およそオッドくんが師の作品の主人公らしくないのは紛れもない。けれど師の予想に反し『オッドトーマスの霊感』を出した年、それまでで最多となる五万通のメールが届いてしまった(師は過去に出版社にファンレターを雑なあつかいをされて以来、自作にメールアドレスを掲示している)。

 そりゃあ続きを書かざるをえず。
 でも、天から振ってきたかのように書きはじめた一作目。ダークヒーローではないうえに超能力者で、ほんわか青年だとか。お調子者で皮肉屋な、ディーン・クーンツの仕事場で作られたとは思えない造形。
 書き進めるにはまず、第一作の舞台である、小さな町を離れて……

 結果、私は、それを褒めることになった。

 毎日、書斎に出勤して決まった時間から決まったように小説を書く、職人であるところのディーン・クーンツは、逆説的にキャラなんて動かなくても、職人技によって読めるものが書けてしまうのだった。

 まさに、かつて肉弾凶器だったプロレスラーが七十歳を越えて、ドロップキックも撃てずコーナーポストに登ることもできなくなったけれど、充分に間を溜めたまったく痛くはなさそうだが味わい深いチョップひとつで大会場を沸かせてしまうように。

 ディーン・クーンツがジャイアント馬場に似た現役感を持っていることは端から見ていてもわかる。すなわち、行けるかぎりは仕事場へ行き、そのときできうるだけのことは演じて観客を沸かす。

 戦えなくなった、と自身に認めることを許さないだろう。生涯現役、という言葉は美しいが、かつてロケット砲に喩えられたドロップキックを放っていたひとが、ロープにもたれて片脚を軽く上げるのさえ一苦労というていなのを、ただ微笑ましいだけで眺められるひともまたいない。演じる側もわかっているのだ。老いの哀愁さえも現役を続けてきた自分ならではの武器のひとつで、できることをすると誓ったのなら、それを提示するのも職人の技だと。

 メールいっぱい来たから続きを書くよ、キャラはぜんぜん動かないけれど、なあに、舞台を変えてあっと驚く展開を詰めて、何冊か書けるさ。

 ファンサービスといえば聞こえはいいが。
 そういう局面へ、クーンツ師もいよいよ……
 目を閉じて天を仰いだのをおぼえている。

 というところで。
 今回の一大事に話をもどす。

SilentCorner01

 スティーブン・キングとロバート・R・マキャモン、そしてディーン・クーンツをまとめて御三家と称し、日本ではモダンホラー小説という呼びかたで一世を風靡した。今回の「カムバック」は、そこでクーンツ読書遍歴を喪失してしまった人々に向けての……

 と分析したくなるけれど、たぶん違うと言い切りたくなるのは、なにせ今回の出版元は、ハーパーコリンズ・ジャパン。レーベルは、ハーパーBOOKSだから。

 邦訳小説を嗜まない向きにはぴんと来ないだろう。しかし、そんなあなたも二十世紀を生きたのならば、ハーレクインという響きには、ぽっと頬を染めずにはいられないはず。

 ハーレクイン。

「恋は、本屋さんに売っている」

 あながち誇大広告でもないほどに、中毒者を出した出版社。小学生男子だったころには、同級生の母親がハーレクインかタカラヅカにハマっているというのは定番だった。いま思えば、その後の世代でボーイズラブに手を出しはじめた層を、当時は一手に担っていたのだろう。象徴のように、コンビニエンスストアには男性向けエロ小説とハーレクイン文庫が並んでいた。

 そんな、世界で恋を売ってきたハーレクインが、堅実に辞書などを売る出版社と合体して、日本でもハーレクインからハーパーコリンズ・ジャパンに社名を変更したのが数年前のこと。どちらかというとハーレクイン寄りの世界に棲む私などは、そのニュースに「もったいないことを」と感じたりもした。せっかく世界でロマンスの王国を築いたのだ。親になった世代としても、娘がBLとハーレクイン社のティーンズラブレーベルのどちらかを収集しはじめるとすれば、断然にハーレクイン社のロゴが本棚に並んでいたほうが安心である。その社名を変えてしまうなんて……

 だが継いでのニュース。ハーレクインからハーパーコリンズに社名を変えると同時に、立ち上げられた文庫レーベルの方向性に、手のひらを返して拍手する私がいた。

 ハーパーBOOKSは、世界で売れたエンタメ小説を日本で展開していくと断言したのだ。スティーブン・キングやトム・クランシーでさえ売れなくなったこの国で、いまいちど勝負をかけてくれるという。通勤電車で文庫本を開いているのが私だけということも多くなってしまった島国で、いまから洋モノを主軸に打って出るなどというのは、まさにハーレクインのやりかただ。ハーレクインは、書き手と、翻訳者を自社で育てまくって世界を制したことで知られる。そのノウハウがあれば、むしろこの国には、余地があると踏んだのかもしれない。

 世界でヒットした映画は日本でも客が入る。だが、ベストセラーになった娯楽小説の類は、売れない。売れないから大手も二の足を踏む。読むヒトがなお減る。だれも期待しなくなる。ますます出ない。最悪のスパイラル。

 だれもが頭を抱える地上でも、しかしモノ書きはモノを書き続け、読み続けるモノたちもいる。ボーイズラブという新興勢力に奪われた本好き女子が再び伯爵だヴァイキングだという男たちと恋をする女子を描くハーレクインに舞いもどることは考えにくく、かといってハーレクインボーイズやハードコアハーレクインなどというレーベルを立ち上げてはブランドの失墜。

 その立ち位置で、最良の一手だった。
 ハーレクインはハーパーコリンズに社名が変わりましたが、ハーレクインはブランドとして変わらず存続します。そして新たに生まれるハーパーBOOKSは。

 男性にも、もちろん女性にも興奮を与える各種ジャンルの海外作品をお届けするレーベルとして唯一無二の存在となる!

(でもまあ、ハーレクインが存続して大きな柱のひとつである以上、こっちはどちらかといえば男性向けにすり寄ってゆきましょうか)

 キーワードが揃った。

 海外ベストセラー作家。日本にも一定のファン層がある。新規にも読みやすい。軍事、歴史などのジャンルではなく男性向けエンタメが書ける。

 あ、はい。ちょっと歳食ってますけど、彼どうでしょうか。多作で、かつては別名で男性向けポルノも書いていて、映画化ドラマ化もされてカルトなファンを持つうえに、いま現在進行形で、いつドラマ化されてもおかしくないサスペンス小説のシリーズをハイペース刊行している。

 ディーン・クーンツ。

 ハーパーBOOKSにベストマッチ。

 というわけで、本邦七年ぶりの師の邦訳文庫が出版されるはこびとなったのですが。ここまででこんな分量になってしまったので、その内容と感想と考察は、私もシリーズ化します。
 以下次回。

 ネタバレする気満点で書くので、未読のかたは、先に読んでおいてもらえれば話しやすいんだけどなあ、買わないかなあ。売れないと次がないを散々経験しているので、心の底から買ってほしいなあ。

4596550964

 いま生まれた文庫が二十年も前のムーブメントを引っ張り出して言う「帝王の帰還」は、もちろん新規読者に向けてのものに違いない。ここから海外娯楽小説を嗜みはじめるあなたが不安になるように。

「帝王さん? 還ってきたの? その名前ぜんぜん知らないけれど、だったら新参者として読んでおかないとならないもの? 教えてくれてありがとうハーパーBOOKS」

 なんて、まんまと買うように。
 だって当時も、ディーン・クーンツが帝王だなんて呼ばれていた記憶は、信徒である私の記憶にもない。あれは犬好きの陽気で調子乗りなオッサンだ。スリラーの帝王だなんて、ちょっと本邦でご無沙汰だからって盛ったイメージを売ろうとしすぎではないかしらん、という気はする。怖くないよ。最初にも書いたが、あのひとの書くものはスリラーでさえ怖くない。本人が、この世でいちばん(モノを書くひとにとっては、なおのこと)ユーモアが大事だと言っているくらいなので、間違いない。