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 幼いころ、全日本プロレスが好きだった。
 そのころにはもう、ジャイアント馬場というひとは第一線を退いて、でも現役でリングには上がっていて、のろのろした動きがモノマネ芸のネタになるような存在になっていたのだが。

 大人になってもプロレスを観続けていて。

 派生した団体も観るし、社長がなんどか変わってしかしいまだ存続する全日本プロレスも観ていると、ジャイアント馬場御大の命日は、私自身の誕生日の翌日。そのせいもあり、歳を重ねるたびに、馬場さんの逝った日だ、と数えるようになっていった。

 そんなこんなで、今週。

『ジャイアント馬場没20年追善興行~王者の魂~』

 という興行が打たれた。
 観た。

 いまも、頭のなかに王者の魂が鳴り響いている。王者の魂というのは、そのひとの入場テーマ曲である。勇壮な曲。そういう曲が一日中なにをしていても、仕事中も頭のなかに流れているというのは、私自身の状態が勇壮に保たれているからで、そういう状態にひとをしてしまうプロレスという競技の力をあらためて感じずにいられない。

 競技、と書いたけれど、この興行でもっとも時間を割いてリングを使ったのは、アブドーラ・ザ・ブッチャー引退セレモニーであった。

 ブッチャーというのは、尖った靴を履いてヒトを蹴りこれは自分の足の一部だから反則ではないと言い張ったり、パンツのなかに隠し持ってきたフォークで相手を刺すが相手は血が出ずに刺し返されて自分は大流血といった、悪役なんだかなんなんだかよくわからない立ち位置で全日本プロレスを湧かせた選手だった。

「あれは私のはじめたスタイルだった」

 と、インタビューでブッチャーが話していた。その引退セレモニーに、ブッチャーと同様に頻繁に来日して全日本プロレスを湧かせていたアメリカのレジェンドレスラーが出てきてブッチャーを褒めちぎりお得意の「フォオォォ」という、知らないひとにはなにがどうたのしいのかわからない雄叫びをあげて、でも両国国技館に来ているようなひとたちの大半は知っているので「フォオォォ」と声をあわせて返しながら、大きくうなずいた。

 WCWでありNWOといった略称はいまでも私を熱くさせるが、それも敵対する超お金持ち軍団というシナリオあってこそだった。プロレス界に革命をもたらした「エンターテインメントスポーツ」団体は、育ちすぎてスター選手のギャラが払えなくなるという間の抜けた終焉を迎えて身売りする。そうして名を変え、動物保護団体に難癖つけられてまた名を変え、世界最大のプロレス団体へと躍進して、むかしの選手を買い戻し、ふたたびそのシナリオに手を染めた。超大金持ちがやってきて団体を買うだのと発言され好き勝手やられる!! という壮大なセルフパロディである。大金持ちで、口が悪くて、いい奴ではないけれど、愛すべきキャラクターを演じた、そのときの男が現アメリカ大統領。ブッチャー自身の言葉を尊重するならば、ブッチャー以前に「愛すべきヒール」などというカテゴライズはなく、だとすればそれそのものを演じて結果的にアメリカ国民に受け入れられ、いまでもけっしてベビーフェイスではないヒール寄りの姿勢のままの男を大統領にまでならしめたのだから、日本の全日本プロレスというものが発した世界への波が世界そのものを変革したといってもかまわないところであろう。

 アブドーラ・ザ・ブッチャーは、もう何年も前に引退を表明していて、七十代の二百キロは体重があろうかという大男が、トレーニングをやめたら当然のごとく、特注の車椅子に乗っての来日となった。私といっしょに三歳の息子がリングを見つめていた。ブッチャーが引退を表明したのさえ彼が生まれる前の出来事で、動いて吠えていた彼の姿を知っている私でさえ、スチール製の運搬車のような車椅子に服なんだかも判然としない布を巻きつけて座る圧倒的な肉塊に傷だらけのひたいな好々爺の首がのっかっているそれは怖じ気づく物体だったのだが、三歳男子は逆に凝視していた。

「おれ、おじいちゃん?」

 そこからか。まあわかるが。あああれはヒトで、おじいちゃんだ。おとうさんも、あんなにおでこがボコボコになったあんなに大きなヒトはほかに見たことがないが。

「なにやってんの」

 その不思議なおじいちゃんを中心に、だれひとり戦うことなく全員が笑顔で、プロレスのリング上に立ち並んでいる。さまざまな団体をテレビ観戦している息子は、三歳にしてキャンプ場プロレスだってプロレスだと理解しているが、ちゃんとしたリングの上でみんながなごやかなひとときをすごしているからこそ、違和感をおぼえたのだろう。

 あのおじいちゃんは、もう戦えなくなったからプロレスをやめることにして、だからみんなが、ありがとう、と言いに集まってきているんだ。

「なんで、ありがとう?」

 その質問に、なぜだか私は潤む。それでも言葉をさがして、いちばん近いのはこうだろうと思ったことを言った。

 あのおじいちゃんは戦っているときすごかったのだよ。

 すごい、という表現を突きつめていくといろいろあるが、三歳に伝わるように選んだ、それで正しい気はする。すごいなあ、あのひとはあのひとの人生を使い切ってやがるなあ、といった感嘆。若くしてあんなにおでこがジグザグの傷痕だらけになったら、故障して引退することになってもバイトの面接も受けられないだろうに、と考えてしまう自分と、さらにその傷を目の前でひろげて血を噴くブッチャー。

 黙ってブッチャーを遠い目で見てしまった私に、彼がぼそっと言う。

「戦っているところが見たかったなあ」

 おお。三歳が、なんだかちゃんとしたことを言うようになったじゃないかと感心しながら、三歳ゆえにそれがお世辞などではなく、きっと本当にそう思っているのだろうと信じて、おまえは世界で最後に生まれたブッチャー好きかも知れないなと肩を抱いた。

 良い時間だった。

(そのあと流れた現役時代のブッチャー映像に、あーこういうのねと息子が目を背けたシーンは割愛しよう)

 その後の試合で、三歳大好きSANADAも登場し、私は歴史を想い。マスカラス・ブラザーズがご高齢ながら毎年のように日本には来ているけれど、年々足腰は弱ってきて、ついにこの大会では一ミリもフライングしないフライングクロスチョップという難解な技を披露するも大歓声。三歳も、なにあれ、と逆に笑っていたので、またプロレスの奥深さを体感して潤む。

 メインイベントで、新日本プロレスのエース棚橋弘至と、全日本プロレスの現王者宮原健斗が対戦するも、終始、歳上の棚橋先輩を立てる姿勢を崩さなかった宮原に、全日本プロレスにジャイアント馬場の教えが消えていないことを再確認して、個人的には大好きなのにヨシタツが、棚橋から受けとったエアギターをなぜだか膝でたたき折って観客にブーイングを受けたのが、いかにも彼ってそういうところがあるよね、でもアメリカも新日本も離脱した果てに全日本だからイキイキとしている彼こそ「辞めなければ陽が当たる」トンカチはトンカチなりに全員ヒーローで、よりどりみどりだからこそだれもがだれかを応援できる日本のプロレスの最先端なのかもね、と優しい気持ちになったりして充足した。

 この文脈で想い出すのは適切ではないと感じながら、馬場全日本が時代を変えていったまさにそのあたりを舞台にした映画『チョコレートドーナツ』の、適切な続編を観た気もしていた。先週、ここでドーナツの話をしていたことも関係はある。ただ、そのナイーブなテーマをあつかう映画を真正面から語ろうという気はなかった。

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 誰も欲しがらないから

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 映画『チョコレートドーナツ』

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 背が低くて太った知的な障害がある子供をゲイのカップルが愛して家族になろうとするが、その邪魔をしたところでなんの得もないはずのまわりの人間全員が彼らの敵となる。実話をもとにした、ほんの少し前の世界の雰囲気が描かれている映画だ。

 そんなのはナンセンスだ、いまはもうそんなことはない、と言いたいが、どっこい世界はさらに複雑になっているようにも感じる。今週、テニス界の女帝マルチナ・ナブラチロワが、トランスジェンダーの女性選手が女子競技に出場することに批判的な発言を繰り返していることに関して、世界では賛否両論だった。

 一方、日本人で初めて性同一性障害を公表した、いまも公的な性別は男性なプロレスラーは、昨年、女子王者のベルトをしれっと獲っているけれど、この国では大喝采しかなかった。

 ジャイアント馬場が力強く語った「プロレスのリングでおこなわれることはすべてプロレスである」(だから細かいことを言うな)、の精神と、同じくそのひとが言った「プロレスラーは怪物でなければならない」という教えは、あくまで団体の長だったそのひとが集客のために徹底したかった社訓ではあるのだろうが、結果として、外人を鬼と呼んでいた国で、奇声をあげながらフォークで日本人を刺す黒い呪術師などという通り名を持つ巨漢を愛らしいわと心底思えてしまう人々を増殖させ、まあプロレスなんだからどう見ても男の体格だけれど心が女子なのだから女子王座獲ってもいいんじゃね、などということさえ考えずに、女子プロレスのリングで戦って勝ったやつが女子王者になるのは当然だと受け止める、大ざっぱなファンまでもを育てた。

 サッカーのファン同士がとっくみあいのケンカをするような光景を、日本のプロレスファンのあいだで見たことがない。ジャイアント馬場と全日本プロレスに慣れた国民は、おじいちゃんが重いものを持ち上げただけでチケット代を払って観に来たかいがあったと手をあわす始末である。

 と、いう意味で。
 終わるものあれば、はじまるものがあり。
 今週、うちの三歳男子が声がひっくり返るほど笑っていたのは、平和な日本のプロレスをさらに推し進めひろげている団体DDTプロレスリングの両国国技館2Days興行であった。

 紅白歌合戦出場歌手の新メンバーにパンダが選ばれたり、肛門が爆破されたり(おしり爆発すんの、とものすごく集中して観ていた)。小鹿とアブドーラ・ザ・ブッチャーが「別のおじいちゃん?」というのは、私を笑わせたり(おじいちゃんということ以外、どこも似ていない)。某モンスターハウスのひとの自宅が破壊されかけた件に関してはネットニュースでも一定レベルの話題になっていたけれど、私が、おお、と思ったのは、一日目のマッスル興行ではなく、過去にもプロレスの最前線て、もしかしてここではないのかなと私を唸らせたDDT本体の興行。

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『ラリアートとキス』の話。

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 世界においても、凶器を使うプロレスというのは、映画になるほど、奇異でドラマチックなものではある。

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映画『レスラー』の話。

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 ホームセンターでも昨今は照明器具といえばLEDで、蛍光灯は本体はもう売っていなくて替えだけが売られている現状ながら、日本の凶器レスリングの老舗、大日本プロレスではいまも直管蛍光灯デスマッチというのが花形である。あれは、割れると、ぱんっ、ときれいな音がする。細かく砕けるので大ケガもしにくいし、うらはらに、わざとケガをさせようと思えば断面でざっくり斬ることもできる便利アイテムだ。

 とはいえ、うちの三歳も「あれでしょ」と天井を指さすも、そこに光るのは直管蛍光灯型のLED照明で「あれは割れないよプラスチックだし」と言えばよけいに混乱するだけで、そういう世代が今後の客層だと思えば、直管蛍光灯百本デスマッチが盛り上がるか否かという以前に、それが題材で成り立つのかという根源的な問題が立ちあらわれる。

 トランスジェンダーはルールの逸脱なのか、男性同士の口づけは暴力にまさる凶器なのか、割れるガラスのなくなった世でガラスが割れるのはリアルであり続けられるのか、などの命題を抱える現代プロレス界において、またしれっと、そういうものが提示されていた。

 プラスチック・ロボット。

「あ、ロボっとー」

 と、三歳男子も認めた、ロボットは、俗にいう収納ケースで成り立っていた。

 こういうの。

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 誤解のないように。上に表示されているのは有名どころの超頑丈で優秀な非のうちどころのない製品です。が、DDTプロレスリングで昨年から登場しているそれは、謎メーカーの妙に薄っぺらいそれ。たぶんどこかのPB(ラベルから特定しようと試みたが、果たせなかった。こちとら関西勢なもので。関東のショップさんのものだろう、きっと)。

 プラスチックの衣装ケースを、あのロボみたいに組む。

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 三歳がロボと認めるほどロボに見える。そしてすぐ壊れて、リングに置かれ、その上に選手が落とされる。

 砕ける。いい音がする。断面もギザギザで刺されば流血もしそうだが、なにせこっちの認識よりもさらにぺらっぺらのプラスチックケースらしく、昨年からなんども登場しているが流血は記憶にないまま両国国技館である。

 蛍光灯がガラスからプラスチックのLEDに変わって、調達しにくくなり、割れもしない一方、ずいぶんと前から世界中にありながら、いまになってハードコアアイテムとして巨大会場で観客を沸かす衣装ケース。

 映画『レスラー』で、ホームセンターでいま売られている商品でどうやって流血しあえるかを検討するレスラーたちの姿は、いまもやっぱり変わらず、最先端は衣装ケースだ。ジャイアント馬場が逝って二十年。同じ刻、同じ国で、世界中のプロレスを生まれたときから観てきたけれど「衣装ケースかあ」と、私を感心させる。終わりそうにない。実際、キャンプ場プロレスがプロレスで、そこもリングで、馬場御大の言葉が正しくリング上で起こることのすべてがプロレスであるならば、地上が、いや宇宙が、すべてプロレスである道理だ。あした宇宙人がやって来たら、そいつの持っている奇妙な形の光線銃を使って打投極を成し、おお、と観客を沸かせるのがプロレスラーなので、日本も馳浩あたりを派遣すべきであろう。いや、その日の朝に就職活動の解禁がどうのとニュースで語っていた元大臣が、王者の魂興行に姿を見せて、パンツ一丁になりはしなかったけれど、こっちは過去を知っているから黄色いパンツでくるくる回すひとだと思ってニヤついていた、その空気がまた実に平和そのものだった。

 なんでも飲み込めるし、なんでも「たかがプロレス」にしてしまえる。逆説的な言いかたになるが、プロレスで国民を湧かせたひとが、同じ手法で大統領になってしまったやりかたは、この国ではありえそうもないことにも安心した。大ざっぱというのは、逆から見れば醒めている。そうでありながら、悦んでいる。

 ひとことで言えば、粋(イキ)、である。

 良い時代だったと涙し、ぜんぜんいまからもだな終わらねえなと感嘆もした。とっちらかった内容になっていますが、徒然と書いたらこうなった。充実したプロレス一週間だったという話でした。尖った靴を履いて相手を蹴っ飛ばすことで世界を微笑ませ熱狂させた、ブッチャーのその先が、いまも続いている。フォークが衣装ケースになり、流血もしていないのに、あきらかに進歩している。ある種の答えが、そこにあるような気が、ひしひしとしたのです。

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 こわいものはない?
 訊かれて、答えてしまった。

「あなたが無限であったらと」

 あなたが有限なのがこわい。
 消えてしまってはいやです。
 ふれているけれども伝わってはいない気がして。
 そう言いたかったのに、口から出た言葉が、あのひとを無限にしてしまう。

「いかないで」

 無限なあのひとのひとりを掴まえて膝に抱く。
 これでは無限でなく無数だ。
 ぼくはいつも物事をうまく言葉にできない。しかしこぼれてしまった言葉は現実になってもどせない。口を閉ざせばいいのに、それでもぼくは、いつだって口をすべらせる。無限になったせいなのか、あのひとに似たそれは小さく、とてもあばれて。あなたと呼ぶのはおかしい気がして、きみと呼んだ。

「きみ。すきなものはある?」

 きみが、おまえだと答えてくれるかもと、思わなかったと言えば嘘になるが、無限になったあのひとの一部は、あのひとのやっぱりそのままに自分のことばかりを、すなおに口にした。

「どうなつ」

 ドーナツ?
 あのひとと、そんなものを食べた記憶がなかった。
 けれど、きみがそれを好きだと言うならば、あのひとだってそうなのだろう。知らないあのひとのいたことに泣くと、きみは、おとなしくなった。
 そういうものだ。
 あのひとに振り回されているようでいて、あのひとはいつもぼくの心の揺らぎを映し出していた。無限になれどもそれは変わらなくて、ぼくの腕のなかで静かになる、きみに映ったぼくの静けさを、ぼくは知る。

「どんなドーナツが好きなの」
「あなあいてる」

 愛してる、と聞き間違えようとした。聞き間違えてはいないまま、きみを抱く腕の力を強くした。

「ドーナツは、みんなそうだよ」

 いや、そうだろうか。
 ドーナツはぜんぶドーナツだというのは、これもまたぼくの言葉が言いあらわし損ねているだけのことではないか。穴の虚いていないドーナツもあるし、ドーナツに似ていないドーナツだってある……そう考えて、似ていないドーナツをドーナツと認めれば、なんでもドーナツになると気づいてしまったので、ぼくはぼくの知る、もっともまっとうなド-ナツを作って、きみと食べた。

「そういうことだったんです」

 ぼくは、まだ食べ続けてもぞもぞ動く腕のなかのきみを強く抱き続けながら、あのひとに言う。

「ぼくは、あなたを抱いているようなものなのですから」

 だからまったくぜんぜん。
 こわいものなどないのです、と。

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Yoshinogi Takumi
 Shonen-ai Cooking Elegy
 Song 26
 『Hole is Hole. not Hole of Donut.』

(吉秒匠
 BL料理哀歌
 26曲目
 『穴は穴。ドーナツの一部ではない。』)

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○材料

強力粉 200g
ベーキングパウダー 5g
砂糖 30g
塩 少々
無塩バター 30g
卵 一個
バニラエッセンス 適宜

○作り方

こねて、

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のばして、型抜きして、

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揚げる。

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 薄力粉でもよし。薄力粉と強力粉を混ぜてもよし。砂糖はだいぶ少ない。倍量入っているレシピも散見されます。私は息子にねだられて揚げたので、つきあって自分も食べるので砂糖を減らし、息子にはメープルシロップを与えました。どぼどぼかけて食べていた。

 写り込んでいる息子の手が豚足のようですが、保育園で先生に指の力が弱いですね鍛えてと言われたので、筋トレの一環として生地をこねさせてみると、握れというのにすぐ指を丸めてふにゃふにゃ押してしまう。オールドファッション調ドーナツの生地は牛乳や水が入らずに硬いものですが、それにしたってこねようという気概が感じられぬ。なげかわしい。エジソンの箸というやつで好んで食事していたのだけれども。

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 握力向上のためにはフォークを握らせてなんでもガスガス突き立てる食事のほうがいいらしいです。パンチだエルボーだ言う前に体幹だスクワット1000回! みたいなものですねと強く納得する。小分けした肉を焼いて食うアジアの焼肉文化が華咲いたのも、実は箸文化のおかげでは。意外に細かい焼肉の作業も箸だと疲れない。あれをナイフとフォークでやれと言われたら疲労困憊する。そうしてあちらのバーベキュー文化は、串刺して食うだの骨付きを手で持って、などと豪快なことになっていったのではないかしらん。

 肉の話になってしまった。
 ドーナツにもどす。

 母と、幼い頃に、よく作ったが。家にドーナツの抜き型なんていうものはなかった。

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 代用品は、ステンレスの計量カップと、ウイスキー瓶のキャップだった。その組みあわせが、ちょうどよく市販のドーナツよりもひとまわり小さいお子様サイズにできあがる。

 計量カップには、液体を注ぐための口があって、それでドーナツを抜くと、小鬼の角みたいなのができて、私はよろこんだ。作ったドーナツの味は、あれほどしょっちゅう作って食べていたのにまったくおぼえていない。ただ、型抜きしたときには確かにあった計量カップの小鬼の角が、いつも揚げたらなくなっていたことをおぼえている。生地のデコボコに埋もれてしまうだけのことなのだけれど。私は、小さな突起を、こんどこそ見つけるために、またドーナツを揚げてと頼むほどだった。

 凝視した、茶色いドーナツの表面を強く記憶する。

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 これはフッ素加工アルミホイルで輪っかを作って焼いたホットケーキのドーナツ。ただの穴なのだけれど、覗きたくなるし、覗くと笑みが消えて神妙な面持ちになってしまったりする。合わせ鏡の無限の鏡像の奥に、見たくないのに見たくてたまらないものが見えるようで目をこらしてしまうように。

 ドーナツの穴は、ただの穴だと言いわけしたくなる時点で、なにかある。

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Yoshinogi Takumi
 Shonen-ai Cooking Elegy

25曲目『具のないピッツァの電源を切り……』
24曲目『姫始め葷縛り』
23曲目『また逢ってタコス』
22曲目『彼は彼のそれを彼と呼ぶべきではなかった。』
21曲目『形状と呼応』
20曲目『轢かれ鉄のサイジ』
19曲目『黒い彼が焼いたぼくのための白いパン』
18曲目『となりの部屋』
17曲目『ヴィアール遭遇』
16曲目『アネ化けロースカツ』
15曲目『逆想アドミタンス』
14曲目『恋なすび寿司』
13曲目『バーベキュー厳峻鋼』
12曲目『茄子はダシの夢をみるか?』
11曲目『すっぱくても、平気。』
10曲目『踏み絵ムルギティッカ』
9曲目『ひとくちだけカトルカール』
8曲目『春節の静かな賞品』
7曲目『ナンを焼くと両手がつかえない。』
6曲目『タマレってなに?』
5曲目『あらいぐまのすきなもの。』
4曲目『ピッツァみたいにぼくを食べてよ!!』
3曲目『クリスピー・プロ・フライドチキン』
2曲目『青くてカタいアボカドのパスタ』
1曲目『春餅/チュンピン』



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奈良公園には鹿が歩く。
千頭を超える数だそうだ。
そのすべてが野生。
ツノを斬る行事があったりするが、あれは苦肉の策。
野生の鹿を駆除はしない。
かといって公園には観光客。
発情期にケンカする雄ども。
やむなく公園管理の一環として、野生の鹿のツノを斬る。

奈良公園の一日の観光客数は、三万人ほど。
千頭の野生の鹿の園へ、数万人が闊歩する日常。

……あれ?

ううん。大丈夫。

なぜなら奈良公園も野生だから。
鹿スカトロ庭園にはならない。
千頭の鹿が一日に排泄する、その量一トン。
大型トラック一杯をぶちまける毎日。
だがしかーし。
野生なので。

ミミズ?
まあそれも。
でもミミズ遅い。

鹿の園ということで、
いつしか集結繁殖したものたち。

糞虫。

クソムシ、と読みたくなるが、
フンチュウ、と読もう。
ファーブル先生のフンコロガシ。
そうそれ。
他種族の糞を集めて食う。
奈良公園のは転がさない。
その場で食って排泄。
鹿の糞は歌にもあるように、黒豆的に目に映るが、糞虫のは見えない。
そして雨が降り肥やしとなり、奈良公園の芝は茂り、鹿はまた食い糞をする。
おお野生の素晴らしさよ。

そしてなぜだか、糞虫はみな美しい。
写真はうちの近所の公園の。
エメラルドグリーンですよ。
食べ物って大事だと痛感する。
そりゃ木の蜜吸ってるカブトより、哺乳類の糞食う虫が艶めくわ。

心がけたい。

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 少し前の話だが、Nの頭文字の宇宙を開発するアメリカの有名な機関が『Space Poop Challenge』というコンテストを開催して、受賞者には百万円! みたいな国の機関らしからぬ煽りかたをしていたことがあった。

 Poopはぷっぷー。放屁音であり、大便そのもののことも指す。幼児語でポップなコンテストのように見せかけているが、賞金をかけて一般から大便に関するアイデアをつのるという行動は、いかに彼らがその問題に対して手詰まりで、かつ、それでも解決せねばならぬ問題だと認識しているのかを世間に知らしめてもしまった。

 もちろん、私はその結果を非常に楽しみに拝見したのだが。
 正直、期待外れの感が否めないものだった。

 賞金を受けとった上位三人のアイデアが、詳細は違えど、どれもカテーテルを使って宇宙服の内部に圧縮した便を溜めるというものにすぎなかったからである。いますぐに実用化できそうな、具体的構造の発案が受賞の理由だろうけれど、そもそも私は、そのコンテストに、まったく的外れな期待を寄せていたのだった。

 うんこを食う。

 そういうアイデアが集まりまくるのだと。
 それが、けっきょくのところ、進化形トイレにすぎないものを見せられては、落胆もしようというものだ。

 現状、食料も水も量が限られている宇宙空間で、尿は再生利用されている。飲用水にまで再利用したらロシアの宇宙飛行士が口にするのを拒否したらしいが、ゆくゆくは、そんなことも言っていられなくなるだろう。

 中国が、月の裏側の土地開発に着手したというニュースをさっき読んだ。

 いよいよ、滅びゆく地球を捨てて宇宙の土地で人類が暮らすようになったとき、とりあえず最初のうちは、テラフォーミングなどという大がかりなことではなく、月や火星や宇宙空間そのものに、閉鎖空間を建造して暮らすことになるだろう。

 そうすると、いわば、地上でいうところの海上埋め立て地で起こるようなことが起こる。

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『2025年大阪万博開催地を歩く』のこと。

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『すべての道はきれいに舗装されている。海を埋めてすべてを作ったのだから、当然といえば当然のこと。しかし同時に、道路脇には雑草が生い茂っている。花も咲いてはいるのだが。これも当然といえば当然のことなのだけれど、島中の道路脇に花を植えるための土を置いたら、雑草も生えるし、そうするとそれをむしるひとが必要になる。この三島に住人はいない。日常はない。ニュートラムでやってくるひとたちだけが通りすぎる島だ。住人は家のまわりを掃除するが、観光客はしない。この島で雑草を抜くのは、だれかに雇われただれかだけである。ないところに新たに土地を生み出すというのは、よく考えないと、だれも見ていない水槽。エサをやり、水の清浄さを保つ手段がないと、魚は死ぬ。』

 宇宙ステーションでは、魚ではなくヒト。

 宇宙の閉鎖空間で、土を耕して野菜を作って大人数の食事をまかなうのは、おそらく無理だ。人糞をかつては肥溜めに集め、畑にまいていた時代もあったが、そのころでさえ人類は寄生虫に悩まされていた。糞虫が減り、ミミズが減った現代において、畑に人糞がまかれることはない。海上の埋め立て地でない地球上でさえ、人糞は浄化されずに毒となるばかりである。

 そういうわけによって、清潔な滅菌環境で野菜を作り、ハンバーグから培養したクローンハンバーグを主食にする生活に移行しても、ヒトはクソをする。

 奈良公園の鹿は、みずからのクソに埋まらないが、火星のドームはすぐに人糞で埋まるはずだ。それなのに、地球でもっとも進んでいるはずの宇宙開発チームは、カテーテルでビニール袋にウンコを溜めるところで足踏み状態。

 私の期待値が高すぎたゆえの、ウンコ問題コンテストへの落胆であった。

 そんな失望を胸に空の火星を見上げる毎日のなか、新たなニュースに触れた。

 N局からの依頼を受けて、ペンシルバニア州立大学で、ウンコを食う実験を繰り返しているという。厳格にコントロールされた環境でなら、糞便に微生物を介在させることでプロテインの抽出に成功しているそうだ。

 その詳細を読みながら、私は、また落胆をおぼえた。

 ……なにか違う。
 実験では、人工の疑似人糞が使われていた。本物の人糞だと、温度や湿度の管理以上に、個人差をコントロールしなくてはならないからだ。突きつめると、リサイクルしやすいウンチを排泄できるようにヒトが体調を整え理想的な食品を口にしなくてはならないわけで、肝臓の調子が悪くて毒素が多くウンコに含まれると、それを食べてまた毒に当たるというわけのわからないことになりかねない。

 そんな方向性では、ウンコ食の未来は遠そうではないか。

 そう書いてみて、思い出す。
 このあいだ書いたところだ。サメだ。

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『鮫サプリ』のこと。

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『ヒトは体内で生まれてしまうアンモニアという毒を、肝臓で無毒化することによって生き長らえている。アンモニアを肝臓で尿素に変えて排泄するが、昨今では、排泄しきれない尿酸結晶による若年性痛風が多発しているように、けっして上手い仕組みとはいえない。それに比べれば海に住むたいていの生物は、アンモニアをそのまま排泄する方法をとっている。まわりが水だから、体内に置いておくよりもさっさと外に出してしまうのが利口なやりかただった。しかしそれも、陸から海へ逃げた者どもの弱者の知恵だ。鮫は尿素浸透圧性動物である。ヒトと同じようにアンモニアを肝臓で尿素に変え、しかしそれを体内に溜めている。そのことによって、海水と同じ浸透圧に体液を保ち、海に毒されない。体内で生成した毒をもって、外の毒と拮抗し、そのバランスの狭間を泳いでいる。』

 その方向性こそ正しいのではないか。

 世の中には、セックスのバリエーションとして人糞を食べるひとたちがいるが、彼らのなかに、それ由来での死者は出ないと聞く。病院送りになる者はいるけれど、現代の医学は、洗浄と殺菌によってダメージを相殺できてしまう。

 そっちのほうが近くないか。

 人糞を加工して食べられるようにするよりも、サメがみずからの毒で死なないように己を改造したように。

 ヒトが糞虫になればいい。

 それが進化というものではなかろうか。同じ哺乳類の犬は、やたら自分の糞を食っては、栄養を再吸収している。飼い主は嫌がってやめさせるけれど、糞食によって死ぬ犬もいない。眉をしかめているのは現代人類の価値観だけのことで、出したものにまだ栄養が残っているようならもういちど食べるというのは、地震のたびに閉じ込められたが自分のおしっこで水分補給して生き延びたひとの美談が語られるの同様、食わないでも生きていける状況で選択しないだけのことだろう。

 コーヒーは美味しい。

 だが太古、人類にとって苦みとは毒の味だった。いや、スカトロジストさんたちが先を行っているぞ追いつけというような気はないが。いまの人類が進化して、火星の狭いドームで暮らすときのウンコ問題にケリをつける最短の道は、人糞を「いまの」私たちが食べられるように加工するよりも……

 糞虫人を作るとか。

 ……ああ、自分でたどりついて自己嫌悪するまとめになってしまうけれども。

 ヒトの排泄物を食料にできる新しいヒトを作るほうが間違いなく近いと思う。そのヒトは、生まれたときからそれが食料なのだから、なにを嫌がるわけもない。その新しいヒトの排泄物は、遺伝子レベルでコントロールされているので、旧人類の食料としても加工しやすいものにできるだろうし。

 問題は、その新しいヒトの姿を、私たちが許容できるかどうかなのでは。サメは、毒を体内に溜め込むという奇策を許容して現代のサメになった。

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ならまち糞虫館

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 昨年、糞虫館なる施設もオープンしたそうで。
 おかげでサイトで勉強させていただき、私の撮ったのは、どうやらオオセンチコガネという種だと断定。大阪の公園ですが、奈良のサファイヤブルーではなく、京都や兵庫に分布するエメラルドグリーンが糞食しているようです。阿蘇山にはルビーレッドのもいるとか。どう考えても目立つのに、なぜなのでしょう。むしろ、目立つためにそういう色なのではないのかと思えてなりません。つまり、虫を喰らう鳥獣どもも、糞虫なくして地球の大地は持続できないと知っているから「おれクソ食ってるので輝く」と知らしめたほうが生存率が上がるのでは。

 だとすれば。
 ヒトの出す汚毒を食して清浄化できる新人類たちがもしも生まれれば、それはもちろんやっぱり神々しく美しい生き物になるような気がするのです。というか旧人類が作って生み出すのだから、そりゃあ、醜いよりも見目麗しく作りましょうさ。愛らしく食ってくれたなら、いまの常識ではめまいをおぼえるようなウンコ循環サイクル新生活も許容できるかもしれないし。もともと、猛毒の酸素に満ちている惑星で、それを吸って吐いて生きられるように我々は我々を作った。当時の苦労に比べたら、いまの我々は超顕微鏡も超ピンセットも手のなかにあって、ほぼ神を超えている。おいしいウンコを作るよりもほかに、やりようがあるはず。

 進化とは、生まれ変わるか、滅びるかを選ぶこと。

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