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 今年のE3でマイクロソフトの偉いひとが公言していた、

「XboxOneは前世代機Xbox360タイトルの一部を下位互換機能で遊ぶことができますが、今後は2002年発売の初代Xboxゲームにも対応し「三世代ゲーム機」に進化します」

 というのが、ものの数ヶ月で、この秋のアップデートに載ってきた。

 なに言っているのかよくわからないひとにわかりやすく例えると、バンズが進化してハンバーガーになって、さらに進化してチーズバーガーになったのだけれど、いまでも時々私は無性にチーズもハンバーグも挟まっていないバンズが食べたくなるんだというひとのために、バンズだけってのもメニューに復活させましょうという、ありがたいお話である。

 しかしこれ、チーズバーガーだとハンバーグとチーズを挟まなければいいだけのことだが、テレビゲームだと、なかなか難しい。ほら、ファミコンだって、ミニファミコンなんていうのを出しているじゃない。正式名称はニンテンドークラシックミニか。任天堂には現行の最新機種があるのだからさ、それでファミコンごときの8ビット、動かせるはずじゃない。でも、任天堂の偉いひとは言った。

「場合によっては、過去システムの作品をNintendo Switch向けに、改善版かオリジナルのバージョンを再びリリースする可能性もあります」

 ……持っているのに!
 手元に昔買った任天堂のゲームがあるのに、最新機種で動かすことはできず、リマスターならまだしも、オリジナルバージョンを再発売するかもしれん、それを買え、と。

 技術的なこともさておき、ビジネス的に、難しいのである。

 そこを、Xboxときたら。

 さっそく棚に眠っている『Dead to Rights』を目覚めさせることにしようか。2002年の初代オリジナルXbox、私のは安野モヨコ柄だった。

Xbox360

 安野モヨコが庵野秀明と結婚されたその年に初代でプレイし尽くしたそいつを、プロレス団体スターダムの風香GMとキックボクサー一輝が結婚された2017年の暮れにXboxOneで!!

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DeadtoRights01

 インストール中。
 ディスクから直接起動はできません。
 いったん取り込んで、磨きあげてくださる。

 終わったようなのでゲームスタート。
 とどこおりなく。

DeadtoRights02

 おお、なつかしのロゴ。
 ものすごくひさしぶりに見た(私のオリジナル安野モヨコXboxは、寿命をまっとうして起動しなくなってしまったのです)。

DeadtoRights03

 オープニングムービー。
 さすが、伝説のゲームのひとつとして、前人未踏の三世代互換の筆頭タイトルに選ばれただけのことはある。いまでもこれくらいのクオリティのムービーはざらに見る、これが昭和の産物とは。

(訂正:2002年はとっくに平成でした)

DeadtoRights07


 タイトル画面で少し、ひるむ。昭和的4:3テレビ比率。なぜかゲーム本編もムービーも16:9のハイビジョン比率なのに、タイトル画面だけがこうなのでした。もともとがどうだったのかは思い出せない。

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 チュートリアルで、黒ボタンを押せと言われる。XboxOneのコントローラーに黒ボタンなんてない。

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 初代ってボタンが色分けだったっけ……ちなみに、いろいろ押してみてXboxOneにおける初代Xbox黒ボタン相当はRBボタンでした。チュートリアルになりゃしねえ。

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 おねえちゃん。
 いろっぽい。
 なんというか、このあいだ書いたが。

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『エルマーパラドックス』の話。

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 いま現在、『Dead to Rights』と同じくチャイナタウンで映画的アクションを展開する(そういうのに目がないのだ)XboxOne用ゲーム『Sleeping Dogs: Definitive Edition』をプレイ中なので、胸に沸く想いがある。

DeadtoRights06

 精細なCGで、生々しい人類を描けるようになったことが、果たしてエロにとってよかったのかどうかは、これを見るかぎり悩ましいところだ、と。

 初代XboxのゲームをXboxOneでプレイすると、画がきれいになって出力される。だがそれは、ビデオテープをハイビジョンテレビで再生すると画が荒くて見られたものではないというのが改善される程度であって、もともとの画が根本から描き直されるわけでは、当然ない。描画能力の限界で女性的特徴を記号化誇張されたおねえちゃんが、デフォルメ状態のままスッとして見えるというだけのことだ。

 一方、Xbox360の『Sleeping Dogs』をXboxOne用に根本から描き直したのが『Sleeping Dogs: Definitive Edition』なのだが、このゲームにやたら出てくるマッサージ嬢や、デート相手が、ことごとくこんな感じに「誇張されない」アジア女性なのである。時まさに、目尻を引っぱった野球選手のおこないがバッシングされているところだが、なにもゲームのなかでそれをしなくてもいいだろうと思うのは、私が「日本アニメの少女はなぜ白人顔なのか」という彼らの問いに「そうかなあ?」と首を傾げてしまうくらいに日本的萌え文化に染まっているせいなのか。

 そういえば、アメリカンプロレスの女子選手も、人気があるアジア系って、やたらキツい中国系の顔と、胴長短足ぽっちゃり系日本人女性ばかりだものなあ。

 マッチョ、とか、グラマラス、みたいなのは、ハイビジョン化せずに記号のままで置いておいてくれたら想像の余地があって脳内変換も可能なのに。すべてがクリアになっていく。『Dead to Rights』。二丁拳銃のジャックは、ぼくのヒーローだった。

 でもなんか、一面をクリアしたところで、そっとプレイを終えた。カクカクポリゴンのエロキャラに欲情していたことを「お前こんなのに興奮していたんだぜ」と、クリアに見せつけられたみたいで、動悸が激しくなりました。

 世界初、三世代後方互換ゲーム機XboxOne。十五年も平気で時間をさかのぼる超能力は、等価交換として心身にそれなりのダメージを与えてくるとわかった秋の日。

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 昨日テレビで観たボクシングは、画面の上半分が台風情報を、下半分が選挙速報を、絶え間なく流し続けながら放送するという奇怪なものだったが、地上波他局がすべて選挙特番だったために、くだんのテレビ局が超高視聴率を獲得したとか。注目のカードだったから、事前に放送権を高額で買ってしまった手前、やむなくの措置だったのだろうけれど、この結果に次回から「特番組むよりも、ふつうにレギュラー流したほうが視聴率とれるんじゃね?」という局が出てきたらおもしろい。投票率が50パーセントなのに、全局が選挙特番というのは、いつもの視聴率至上主義はどうしたんだと前々から思っていた。まあ、私も、ボクシングのあとは特番観ていたんですが、選挙の日だから観るものないでしょ、あたしたちが歌うねっ、というチャンネルがあれば観たかもしれない。そういえばKawaiianTVあたりはなにをやっていたのだろうと昨日の番組表を確認してみれば、妄想キャリブレーションのいつものバラエティー番組だったようだ。そっち観ればよかった。

 そんな季節である。いや、選挙ではなく。台風だ。まったく私の支持がどうとか、今回の選挙結果がふるわなかったということを抜きにして、社民党である。うちの裏のフェンスにポスターが貼ってある。何枚か貼ってあって、ベニヤ板と針金でフェンスに固定してあるのだけれども。昨夜、台風の暴雨風で、ひと晩中、バッタンバッタン鳴り続けていた。何枚もが、ことごとく。ちゃんとした仕事ができないのか。何度、出て行って引き剥がそうかと思ったが、なぜ私がずぶ濡れになって彼らのずさんな仕事の尻ぬぐいをするのか釈然としないので、バッタンバッタンバッタンバッタンを聴き続けた。もしも私が社民党支持者だったら、その日の昼間に入れた一票を悔いて、二度と関わるかポスターごときもちゃんと貼れないのか、と心のなかで引導を渡していたところだ。もともと票は入れていないから、ただただキライになっただけだったが。

 一夜明け、私の仕事でいうと、店中のランタン型懐中電灯が売れた。こういうやつ。

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 一晩中、停電だった地域があり、今夜も復旧するか怪しいので買いに来られたらしい。そしていつもの波板バブル。これだけのひとが家の波板が飛んでいって買いに来るということは、昨夜は波板が空を飛びまわっていたわけで、台風の日に外出してはいけないというのは、本当に絶対守るべきルールだと思う。社民党のポスターを剥がしに出ていたら、私もざっくり波板ブーメランに頭を縦割りにされていたかもしらん。

 そして、台風といえば。
 夏の終わりだ。

 あれは、いつのことだっただろうか。

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『このディスクにWindowsをインストールすることはできません。』の話。

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 まる二年前だ。
 ブログを長年やっていると、エゴサーチで自分自身の書いた記事を確認して時間の感覚を得ることが多くなる。息子が新生児だった時期のはずだが、私は自作パソコンと格闘していたわけだ。それにはまあ理由があって、年がら年中、なんらかの原稿を書き続けているメインマシンの内臓に手を入れるには、なにも書いていない時期、という私の人生では希有なタイミングが必要で、妻の出産直後というのは、まさにそれだった。クソ忙しいが、ここでWindows10にしておかないと次のチャンスは何年後か!!

 その記事のなかで、書いている。

「さすがに十年選手だしな。あきらめてグラボだけ新しいの買うか。と覚悟を決めつつ、もう疲れ果てて、グラフィックカードのドライバを覗いてみたりすると……」

 いまどきのオシャレPCユーザーさんたちは、マザーオンボードのグラフィック機能が優秀なのが当たり前なので知らないでしょうが、パーツを寄せ集めて自分マシンを作るのが主流だった時代のパソコンは、マザー(母だ)にオン(搭載)されているグラフィック機能は必要最低限で、母にグラボ(グラフィックボードの略)をブッ挿して、日進月歩な画像描写の能力に追いつく工夫をするのが当たり前だった。たとえれば、母なる仮面ライダーがいて、それ単体でそこそこ戦えるのだが、視聴率に難が表れたときには、ライダーベルトにグラボボトルをカシャカシャいわせてベストマッチすると、とうてい仮面ライダーとは思えないような別次元に美麗なマキシマムモードなライダーに変身できたりするシステムである。

 つまり、今年の新作ゲームがカクカクして動かないとき、パソコン自体は買い換えずに、グラボを有能な今年モデルに挿し変えれば、さくさく動くようになってお財布も安心、ということなのだ。

 なのだから、グラボが十年選手だとか言っている私が、まずおかしい。とはいえ、そうメイン機は執筆専用で、しかも同じモニタに最強ゲーム機XboxOneがつながっているのだ。いまやXboxOne用のゲームはWindows版も同時発売が慣例になっているが、だとすればXboxOneと同じモニタにつながっている貧弱パソコンのグラボを挿し変えてそっちでゲームするか、なんていうことは微塵も考えるわけがない。近ごろ、Windows版も出るのだから、ゲーミングPCがあればXboxOneっていらない子なんじゃないの、と揶揄されることがあるけれど、逆も真。XboxOneがあるのに、パソコンをゲーム用にパワーアップする必要がない。

 なんら困ることなく、本当に十年を越えて使っていた。

 で、この夏の終わりの夜の夢ではなく現実。

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 ……修復しています?
 ええ、半月ほど前から、ブルースクリーンをなんどか目にしていた。以前のブルースクリーンエラーとは、本当にまったくの青い画面でブーンとかいったものだが、Windows10ともなると、エラーもシャレオツである。

「問題が発生したため、PCを再起動する必要があります。」

 と、ブルースクリーンに書いてある。なんの問題かもチラッと下に書かれてはいるが、ブルースクリーンの時間が短すぎて読むこともできない。有能なので、問題が起きたら勝手に再起動して、それで改善されないか試しやがるのだ。

 で、我がマシンは、そのたびに立ち直っていた。

 それが、ついにそこを越えて自動修復モードに突入したのであるが……いや、きみの判断を待つまでもなく、どう見ても、画面がシマシマだよね。縞パンだよね、可愛くもない。その縞画面の向こうで、ボクに不具合があるんでしょうかっ、と検討し続けるきみはちょっと可愛いが。

 薄々、そうなのかも、と疑ってはいたものの、台風シーズンだし、涼しくなってきて、安定したりするかもなあ、なんて夢のようなことを思って十年を過ぎ。いやあ、こりゃあ、もう、ごめんよWin10。グラボだわ、たぶん。

 私ごとだが、月末までに書き上げなければならない論文の執筆中であった。しかし私に焦りはない。クラウド時代になったこともあるし、冷静な手つきで、マシンの側面を開け、グラボとか、ビデオカードとか呼ばれる、そいつを母から抜く。十年ぶりのことである。いや、抜いたのは初めてかもしれん。

 マザーボードの映像出力にケーブルを挿して再起動させたら、あっさりなんの問題もなく起動した。

 騙し騙し使い続けたグラボを、床に叩きつける日がついに来たのだった。

 我がマシンのマザー出力では、ハイビジョンモニタの解像度に対処できないので、急ぎ後継者を選定する。なにかあったときのために予備のグラボを用意しておくという友人がいるが、私は、ポチったら翌日届く通販の世紀になんのおまじないか、と笑っていた。イヤ本当に。特に私の場合は、だ。十年前のグラボと比べたら、今年発売されたグラボの最下層機種でも、ハイパーマックス超変身的な性能なので、正統後継者選定作業は、いかに安いかだけになる。

 なんでもいいので、いままで使っていたのと同じメーカーさんの、最下層からちょっと上くらいの四千円のを買って翌日届く(それでも最下層は選択しないあたりが、なんというか、販売員として身に染みたコツである。極端に競争から抜け出た最安値商品は、大概、なにかとトレードオフした結果で、メーカーは売るために見えないところを犠牲にし、迷惑を被るのは消費者と、販売店の店員なのだ。世界からサービスカウンターで頭を下げる店員を撲滅するために二千円のグラボは買えない)。

 母に挿入する。

 はい、もどったー。

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 付属のCDで、なにもかも自動で解像度調節してくれて、ドライバのインストール中には、新作ゲームもサクサク動くもっと高性能なビデオカードもありますけれどと推してくる親切さ。

 あのいえ、それもうXboxOneでプレイしていますので。

 パソコンではゲームしないので、とにかく十年動いてください。さらに十年後ともなると、四千円で美少女が画面から飛び出したりするんだろうなあ。さすがにその前にマザーボードが逝くか……ていうか、なんだかんだ言いつつ、パソコンはパソコンのままで二十一世紀だ。ドローンで宅配で、車が自動運転で、AIが囲碁チャンプだというのに、キーボードで書くワープロに過ぎない。

 エルゴノミクスデザインとかいうけれど、もはや人間のほうが、計算機に合わせて順応してしまった感がある。私、きみがいないと書けないから、私より先には逝かないでくださいね、って恋愛マンガがあったよなあ、と想い出します。

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 以下、追陳。

 なにもかも全自動な最新グラボに挿し変えて、なにもかもが順調だったなか、なぜかモニタから音が出なくなったという戸惑った件を、ちょっと書き足しておく。

 前述のように、私、同じモニタにゲーム機とパソコンをつないでいるのです。それには、HDMIセレクターを使用しています。

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 前のグラボからは、DVI端子で出力して、HDMI端子に変換するケーブルを使っていた。

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 認識として、HDMI端子はDVI端子の進化形だが後方互換で、足りないものはあるものの、そのまま変換できる。足りないのは、音。DVI端子からは音が出ず、マザーボードの音声出力から、別途、スピーカーにつなぐ必要がある。

 と、信じて疑っていなかったので。今回、グラボを挿し変えたら、音が出なくなった原因を、とっさに判断できなかった。うわ、なにこれ、謎。と思ったのは、スピーカー内蔵のモニタから、音声入力端子を抜いたとき。

 抜いたのに、音が出た。

 ……そう。最近のグラボがなのか、メーカー特性なのか知りませんが、DVI端子から音声データが出力されていたのだった。それが変換されたHDMI端子でもそのままで、セレクターを通過してスピーカーに。モニタの側では、HDMI端子と認識して、音声も入っているのに、別系統で音声入力されていたから戸惑ったらしい。

 音声ケーブルを抜いて音が出た。
 近ごろはDVI端子で音声も出力するグラボが存在する。

 実地で学んだ、そういうことがありました。仕事でケーブル類も扱っていて、DVIに音声はなし、と思い込んでいたので、実にカルチャーショックだった。私の買ったグラフィックボードにはHDMI端子もついているので、DVIがわざわざ実装されているのは、私のようなひとのためなのでしょうか。なんて親切なんだ。やさしい進化だ。

(蛇足ですが、上で四千円のグラボを買った私にNVIDIAが勧めてくるGeForceのGTXシリーズって、さくっと十万円で売られていたりするもので、

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 これでサクサク『Destiny 2』が動くよと言われても、来月発売の最新最強Xbox One X(もちろん『Destiny 2』がサクサク動く)が五万円なので。なんというかつくづく、PCゲームの世界というのは不思議なところだなあと感じたりもしたのでした。同じ道でもスーパーカーで走れば違う、というような趣味道なのでしょうか)

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ブログで、『ぞうのエルマー』という絵本を取りあげた。
書くのに検索してみたら、一冊のつもりだったのに、無数のエルマーが現れた。

David McKee作
『Elmer the Patchwork Elephant』

Wikiにはなんと、三十八冊とある。大長編ではないか。しかも最新作の発行年は、2016年。現役続行中のシリーズだ。最新作の題名は、

『Elmer And The Flood』

邦訳はまだだが、

『ぞうのエルマーと洪水』

となるのだろうか。
水害の多いこの国では、発刊のタイミングが難しそう。
さかのぼって第二作。

『Elmer Again』

年表だと1991年発表だが。
邦訳は、

『ぞうのエルマー〈2〉
 エルマー!エルマー!』

の題名で、2002年発売。
……なるほど。
謎が解ける。
気になって実家まで行って、私の愛読していた第一作『ぞうのエルマー』の写真まで撮ってきた。
現在売られている邦訳は、

『ぞうのエルマー〈1〉』

私の読んでいたのは、

『ぞうのエルマー』

決して大きなところではない、神戸の出版社が出している。最初は続刊未定で十年後。売れたから続きも? 私が幼いころに、続きも出していてくれたら、母はあんなに同じ絵本を、読み聞かせずにすんだのにな。そうか。大好きなエルマーは、私とともに育って、そんなシリーズに……
二、三冊なら、買ってきて、読んでみようかと思ったが。
三十八冊……五万円くらいか。
まずは図書館に行こうか。

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 ほんでまあ図書館に行ったずら。

 そうしたら『ぞうのエルマー』シリーズの物量は、そんなどころではなかった。コンプリートするなら五万円ではぜんぜん効かない。

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 これが、上で私が話題にしている、

『ぞうのエルマー〈2〉
 エルマー!エルマー!』

 2002年、BL出版の発行ですが。
 私が図書館で借りてきたのは、

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『またまたぞうのエルマー』

 1977年、アリス館牧新社の発行。
 上で書いたように、エルマー第二作の原題は『Elmer Again』なので、またまた、というほうがニュアンスは近いような気はする。

 もちろん、絵は万国共通言語だから、絵本の絵の部分に変更が加えられることはない。

(映画『ミス・ポター』で描かれたように、紙質やインク質などが商業的な理由もあって絵本作者の絵を再現しきらないというケースは、ままあるにしても)。

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 しかし、原作者は知っているのだろうか。知らぬ言語に訳された自分の文章が、大きく変更を加えられていることを。

 さっきの写真の上に見えるのが、

『エルマーとゆき』
 ほるぷ出版

 左は、

『エルマーのゆきあそび』
 BL出版

 これまたタイトルからして微妙に違うが、途中のいちページを引用してみる。

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 しばらく あそんでから、エルマーが いいました。

「ずいぶん ゆきが ふってきたよ。かえろうか。」

 みんな いそいで やまを おります。

 けれども、わいわい がやがや わっはっは。

わらったり、さわいだり、ころげまわることは

やめません。おもしろ おかしく、みんな そろって

はやしを ぬけて、さかを くだって、かえります。


ほるぷ出版
『エルマーとゆき』
訳 斉藤洋

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 同じページ。
 絵は当たり前だが同じだけれど……

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「わあ、すごく ふりだしたぞ」と エルマー。

「もう かえろうか」

ふりしきる ゆきのなか、

ぞうたちは はしゃぎながら もりを ぬけて、

いえに かえってゆきました。


BL出版
『エルマーのゆきあそび』
訳 きたむら さとし

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 原文を読んでいないので、断言はできないけれど、斉藤洋さんの訳のほうだけに、林を抜けて坂を下って、というような描写があるところを見るに、原文にこの文はないのではないか。絵が、そういう絵なのだ。林を抜けているし、坂を下っている。それを文章に起こした、のだとすれば、これは小説などの文章のみのメディア翻訳では決して現れることのない絵本独自の翻訳作法である。

 そういうことを言えば、きたむらさとしさんの訳も、冒頭が「わあ」という感嘆から入るのは、斉藤洋さんの訳を見るかぎり、おそらく原文にはあるのだろう、エルマーが言った、という文章を、はしょっているのではないか。

 書き足す作法と、より短い言葉で表す作法。そしてこれを、作者に「これでニュアンスが伝わっているでしょうか?」と確認することはできない。その点を踏まえると、絵が同じであっても、出版社、翻訳者によって、絵本というものは、そうとうに香り具合が違うものになるジャンルなのかもしれない。

 なにが好みかは、読む側にゆだねられているのか。だとすれば、同じ作品を、何種類もの訳で読むことができた『ぞうのエルマー』シリーズとは、偉大なるものである。

 と書いて、ここから愚痴になる。
 絵本とは関係ないことを思い出してしまった。

 先日、私はXboxOne専用ゲーム『Sleeping Dogs: Definitive Edition』を遊びはじめました。

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 香港を舞台に、潜入捜査官が善と悪との綱渡り、殴れ撃て! 的な箱庭ゲームで、もとは一世代前のXbox360で発売されていたもの。世界観が好みすぎて気になってはいたものの、タイミングが合わずプレイしないまま、次世代機でリメイク版が発売され、ドニー・イェン主演で映画版『スリーピングドッグス 香港秘密警察』の撮影が開始されたとのニュースも聞き、ああもうこれはやらなくちゃとなっていたところで、少し時間ができた。

 よし、とリアルに検討しはじめて、驚愕の事実。

 XboxOne版『Definitive Edition』は、日本発売されておらず、日本語の収録もない。吹き替えがないのではなく、字幕もない。いやいやいや、日本が誇るドラクエとFFでおなじみ、スクウェア・エニックスの製品なんですが?

 ていうか。旧世代版で日本語が入っていたのを、絵がきれいになった次世代機版になったからといって、わざわざ日本語を「抜いた」わけですよね? なにそれ。

 ちょっと調べてみると、意外な事実を掘り広げてしまった。

 検索して、むしろ引っかかってきたのは、日本産のゲームを日本語でプレイしたくて購入したのに、日本語が「わざわざ抜いてあった」というクレームを入れている英語圏のひとたちの声、声、声。近しいところでいえば、先々月英語版が配信された某ゲームに、日本人声優の音声が入っていなかったらそれは無価値である不買運動開始だ! というニュースとか。

 ちなみにその件に関して発売元は「音声契約の問題だ。収録した音声をグローバルに使用できるかは、それぞれの声優次第なので」という回答。もっともな話である。どっちが? 日本のアニメベースのゲームが自国で買えるぞと喜び勇んだ声オタが、麗しの日本語ボイスがわざわざ削除してあったらそりゃ詐欺だと言いたくもなるし、グローバルに使ってもかまわないという声優からしたら、一部のパッケージ変えてまた発売するならもういちどギャラを振り込め、という強気の声優の存在によって、ひと契約で世界中で使ってくれていいわよ世界で有名になりたい! という野望が打ち砕かれるわけだし。でも収録音声が無限に使える契約にしてしまったら、ボーカロイド技術などもある昨今、そのゲームはシリーズ化されたのに、声優には第一作のギャラしか入らないようなことにもなりかねず、それもどうかと思うし。

 声優の権利主張が絡んで、発売元は、日本では売り切ったゲームを英語圏でお安く提供して二番茶を味わいたいわけだから、日本語ボイスをカットするという、それもわからなくはない立場ではある。

 で、つまり、日本語字幕もそういうことなのだろう。もともと翻訳した人々との契約や、日本語フォントの使用料といったようなところが、そのまま売ると旧世代機でたっぷり売ったあとで絵がきれいになったからとまた買うほどの人口はないこの国で、だったら「わざわざ消す」作業にかかる費用のほうがまだ安い、という。

 アメリカンプロレスを見ているといつも思う、あれだ。

 クッソ田舎での興行だとアナウンサーが言っているのに、そこに入っている観客は日本で言うところのドーム級。一方、日本でクッソ田舎で興行と言えば、主要団体のものであっても○○町体育館で、パイプ椅子がリングの周りに三列とか。ヘタしたら観客数よりもリングに上がる選手の数のほうが多くて。

 島国だからなあ。仕方のないところではある。

 かといって、きれいな絵でプレイできるゲーム機本体を所有しているのに、わざわざ旧世代機版でプレイする気がどうしても起きなかった。

 ええ、XboxOne版をプレイ中です。

 美しき香港の夜なのにサングラスをかけてバイクを走らせて雰囲気に酔う私。これからあいつらを殴り倒しに行くんだ!

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 美しさは重要です。
 英語と広東語、日本語は、なし。
 いちおうストーリーは追えますが、私自身が広東語なまりの英語を話しているので、アクションしながら字幕の単語を拾ってなため、ニュアンスを正確に把握しながらでは、まったくありません。

 文字チャットを、即時自動翻訳で、という時代。英語の看板にスマホを向ければ、日本語に見える、というアプリもある。そのうちフォント使用料も内包した翻訳メガネなどが普及して、この問題は解決するのでしょうが。

 そうなっても、翻訳者という仕事はたぶんなくならない。絵本を、グーグル翻訳したって、絶対に、

「けれども、わいわい がやがや わっはっは。」

 と気を利かせる未来には、なるわけがないので。
 ヒトを介するという贅沢。
 だからそこにはギャラが発生するという当然。

 だから、私が日本語字幕なしでずっとやりたかったゲームをプレイしている必然。

 そうだ、私がこれでいいと思えば、なにも問題ないのではないか。
 プレイを続けます。
 潜入捜査官になりきるんだ。
 私は広東語なまりの英語を使って広東語のギャングと話す香港生まれであって、日本語など話すわけがないじゃないか。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 さて、絵本の話からゲームに移って、なんとかまとまったかな、と読み返してみて、パラドックスに気づいた。

『またまたぞうのエルマー』が1977年、アリス館牧新社の発行だと、私は書いていて、その前には、『Elmer Again』が年表だと1991年発表だとか……

 おおいっっ!!

 邦訳が、原作の十四年も前に発売なわけない!! 文献をあさる。いや、いやいや、どっちも正しい。どういうことこれ……

 まじまじと見比べる。

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Elmer1

 あれ?
 エルマーの目のあたりが……
 絵が違う?

 そう、私が読んでいた『ぞうのエルマー』は、アリス館牧新社発行の1977年版であり、冒頭で書いた小さな神戸の出版社が出している現行の『ぞうのエルマー』とは内容も違うのであった。具体的にいうと、話が長い。

 つまり、パラドックスはなく、ちゃんと年表を熟読すれば。

1. Elmer (1989; originally published in 1968)

 という記述。
 1989年に第一作出版だけれど、最初のバージョンは1968年。同じものが再出版されたわけではなく、物語も刈り込まれているし、絵も洗練されている。

 デビッド マッキー、二十年の洗練。
 ていうか、打ち止めになった自作を懲りずに磨きあげて再度売り込むとか、現代の賞レースでは「自己愛強すぎてヒくわ客観視できるようになってから完全新作書いてこい」と一次選考で蹴られるタイプの物書きだ。

 それが、八十二歳で三十冊超のシリーズ現役続行中。

 ぞうのエルマーという自分の生んだキャラクターを愛し抜き、今日も極東の島国で私の膝の上の子が「エルマー!」と、それを指さして笑っている。

 たまに、貫くことで偉業を成すこういうひともいるから「お前のそのキャラはお前自身だから捨てられねえんだろお前が読み捨てられない重すぎるキャラを読者がたのしんで読み捨ててくれるのかノーベル文学賞でも狙ってんのか」と、頭ごなしに一次選考落選させるのもどうかと思えたり。そういうひとは、それでも懲りずに何十年でも書き続けるものですよねとひらき直れたり。

 マッキーは、二十年経って、エルマーを焼き直して、それが世界で認知されたが、別にコケていたって生涯エルマーを描き続けたのだ。そんな物書きたちが地上に幾千とまたたいているのかと、うれしいというか、潤むというのが近い。

(いやまったく、『ぞうのエルマー〈2〉 エルマー!エルマー!』と、『またまたぞうのエルマー』の段階で、まったく表紙の絵が違うのに、書いているさなかにはまるで疑問に思わなかった。なにが「もちろん、絵は万国共通言語だから、絵本の絵の部分に変更が加えられることはない。」か。集中力の欠如である。そして、いかに推敲という作業が大切かということである)