最近の記事

スポンサードリンク

月別アーカイブ



 超有名布用除菌消臭スプレーである「ファブリーズ」が「布のそよ風」という商品名だったら、これほど売れたろうか。

B00DVDPRRE

 「ファブリーズ」は、「fabric(ファブリック・布)」と「breeze(ブリーズ・そよ風)」を合成した造語だ。日本生まれなのに。英語の合成語がそのまま商品名になっている。

 一方、かの西部劇伊達男、クリント・イーストウッドが監督業に初専念した作品名は監督第三作『Breezy(ブリージー)』。少女の名だ。そよ風というニュアンスの名前で、自由奔放なヒロインが自称しているだけであって本名なのかどうかは定かではない。その彼女と主人公との恋愛話である。

 というわけで邦題は……

 『愛のそよ風』だ。

 『ブリージー』では売れない、との判断があったのだろうけれど、かといって『愛のそよ風』か。恋愛映画のタイトルに、愛という漢字を使ってしまうのは、だれかオイオイマジカとつっこまなかったのだろうか。

 この作品を撮った当時、イーストウッドは43歳だった。微妙な年齢である。木村拓哉が現在44歳だそうだ。だれもが知っているイケメンにシワが刻まれて別種の渋さが出てくる、というパターンもあるが、イーストウッドやキムタクは、際立つ個性がそのまま歳をとっていく感がある。イーストウッドがダーティハリーを主演したのは40過ぎで、西部劇のガンマンが警部になって都会でバキュンで大ヒットだった。そしてキムタクは言い出さないが、イーストウッドは自分で監督もやるぜと言い出したのであった。

 でもまあ、脚本はさすがにひとに書かせるのがエラい。自信満々の40代ノリにのっている状態でありながら、なにもかもが出来るとはおごらない。できたひとだ。当時の勢いで、オレが本も書くと言えば、きっと通っていただろう。そして映画監督クリント・イーストウッドは大成しなかったかもしれない(やってみたらなんでもできてしまうということも彼の場合ありそうな気もするが、気がするという部分を残すのが、大衆に夢を与えるプロのありかただ)。

 そういうわけで、そういう時期に、オレの次の監督作のために本を書いてくれたまえ、と言われた本屋は、イーストウッド主演の当て書きで、彼と少女が恋に落ちるという趣向の物語を編んだ。

 そりゃそうだ。ノリにのっているダーティハリーキャラハンだ。それが恋愛映画を撮りたいという。すでに彼は、主演と監督を兼任して成功を収めてもいる。ごくごく自然に考えて、次も本人が演じるものだと思って書く。

 だがしかし。そこが微妙なお年頃だったのだ。

 イーストウッドは、良い本だと褒めつつ、自身の出演を断念する(我慢できなかったのか、一瞬だけ出るには出ているが)。

 理由は、43歳の自分では、少女とおっさんの恋物語に見えないから。キムタクに同じ話が来ても、同じことを言いそうだ。オレとじゃふつうに恋愛モノになっちゃうでしょ。そしてふつうに恋愛ものになってしまうと、47歳の福山雅治と20歳の藤原さくらが恋をして一部にドン引きされた『ラブソング』のようなことになる。ちなみにアマゾンのレビューでもこのドラマは見事に賛否両論分かれているが、私は、賛美する側の意見におおむね同意である。良いドラマだった。

B01GTGJ108

 イーストウッド監督が、オレが主役ではダメだと決断したのは、ひとえに、福山雅治ではたとえ40代後半で20歳の小娘とイチャイチャしても、絵になってしまうというところなのだ。年齢じゃないんだよ、オレはさあ、ほら、こういう……クリント・イーストウッドなわけだし。

 かくして、おっさんが呼ばれた。
 ウィリアム・ホールデン、55歳。

 歳上ではあるが、たかだか十歳ほどの上である。だが、そう、問題は年齢ではないのだ。彼の場合、アイドルから演技派へ転向し、売れに売れたが、前述の、シワが刻まれてイケメンが別種の渋さを醸し出すというパターンを通り越してしまって、最近見るからに体重が増えたというたぐいの役者だった。

 『愛のそよ風』撮影時には知るよしもないことだが、その後、現実に24歳下の女優とスキャンダルめいた関係になり、酔って階段から落ちて逝く。アイドルが中年にさしかかり、いったんとんでもなく自堕落にゆるんだとしても、なんとか巻きもどしてクリスマスディナーショーを満員にする一派と、そのまま消えてしまう一派とがあるが、ホールデンは絵に描いたような後者だ。そして、『愛のそよ風』撮影時にはすでに、軽い破滅の足音が聞こえつつあるのが観ればわかる。

 もちろん、クリント・イーストウッドが「いや兄さん、あなたには破滅の香りが漂いだしている、この役にぴったりだ」などと言って口説いたわけはないだろうが……43歳の自分ではまるで話にならないけれど、55歳の彼ならば素晴らしい年の差恋愛モノになるだろうと踏んだのは、そよ風少女ブリージーとの対比として描くにふさわしい、無風、もしくは逆風も吹き始めている中年男という像に、彼が合致したからなのは、あきらかだ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 突然だが、ここから下に進むと『愛のそよ風』のラストシーンを引用していて、内容バレになるので、観ていないけれどそういうのは知りたくない、という向きはここで読むのをやめて欲しい。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

Frank: Hello, my love.
愛しい人よ

Breezy: Hello, my life.
寂しかった

Frank: I don’t know. If we’re lucky, we might last a year.
運がよければ1年もつだろう

Breezy: A year? Just. . .just think of it Frank! A whole year!
1年? こう考えるのよ フランク 1年もある


 映画『愛のそよ風』

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 忠実に字幕を書き写した訳だが、邦題と同様の、いらない意訳がされていると私は感じる。
 私ならば、こうする。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

Frank: Hello, my love.
こんにちは。ぼくの愛。

Breezy: Hello, my life.
こんにちは。あたしの人生さん。

Frank: I don’t know. If we’re lucky, we might last a year.
わからないが、運が良ければ、一年は、もつかもしれない。

Breezy: A year? Just. . .just think of it Frank! A whole year!
一年は? フランクったら。こう言って。まるごと一年も!


 映画『愛のそよ風』

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 フランクの口にする「my love」は、どうでもいいけれど、ブリージーが応えて言う「my life」を、わざわざ「寂しかった」などという日本語に置き換えるのは、いかがなものか。55歳の、太りはじめ凋落しつつある孤独な中年男性に、20歳の宿なし少女が、あたしも愛しているわフランク、ではなく、私の人生さんと呼ぶ。人生が終わったも同然なのはフランクのほうで、それなのに捨てられたのはブリージーで、彼女にとって、この恋が再びはじまるということは、帰る家ができるということであり、55歳のおっさんとだけセックスする毎日がもどってくるということである。

 自由主義者にとって……それもフリーセックスを標榜していた、一種の宗教でもあった当時のアメリカンヒッピーな20歳にとって、それは生きかたそのものを変えるということだ。そしてブリージーは、フランクへの愛のために、それを難なく成し遂げてみせたのだったが、おっさんの側が、こんな関係が続けられるわけがないと泣き言を言い出して、いちど捨てられたのだ。

 この映画。47歳の福山雅治『ラブソング』が賛否両論であるように、やはり、一部のひとたちにとってまったく受け入れられないもののようだ。そして、またなのだが、私は、賛美する側に立っている。

 キムタク的43歳イーストウッドが、この映画を主演していたら、まったくの別物になっていたことは間違いない。そして私は感じるのだが、そもそもイーストウッドに当て書きした本屋は、そのオルタナティブな『愛のそよ風』こそを書こうとしたのではないだろうか。つまり『ラブソング』のような。

 おっさんと出逢って目を醒ました少女が自分の人生を見つけ、おっさんも若い子を掴まえてもういちど人生に張りあいをとりもどし、相互的幸福、というような。

 そして、監督クリント・イーストウッドは、それを撮りたくなかったのではないか。

 だとすれば、監督の狙いは大成功だ。
 この映画を賛美する私でさえ、たぶんフランクとブリージーは実際的に、もって一年くらいの関係になるだろうと感じるし、いや、もっと根源的なことを疑ってしまうのである。

 これは単に肉欲ではないのか。

 執着、と言い換えてもいい。気に入った相手とのセックスは一宿一飯のついでなブリージーだが、気に入らない相手とは金を積まれても寝ない。それがいつしかフランクの家に居つき、彼の帰りを待っていたりする。野良猫が、主人を見つけて飼い猫になったという図式だし、飼った側も、むろん自分好みだったから近くに置いた。

 猫を膝に抱き、背を撫でるしあわせ。
 猫は猫で、喉を鳴らしている。

 ヒト対ヒトだと、勃っただ濡れただあるが、あるというだけで……

 と、考えてみて、こんどは自問する。

 猫を連れてきたから猫を撫でるようになって、それが日常になって、執着する。それを愛と表現するのは間違いか?

 間違っていない。
 それは愛だ。
 拾ってきた猫を放せなくなる物語は、十二分に恋愛映画だ。

 執着と肉欲は?
 同じだ。というのは語弊があるが、肉欲に由来する執着というものは当然のように生まれうる。とすれば、収まりがいいとか、肌ざわりがいいとか、具合がいいので生まれてしまう執着=愛という表現も可だ。

 私は最後の「A whole year」を「まるごと一年も」と訳した。日本でもケーキ屋言語では、まるごとまんまるいケーキをホールと呼ぶ。対して、ひと切れのケーキはピースである。

 映画化もされた、ジョージ朝倉『ピースオブケイク』という作品がある。  

4396766440

 「Piece of cake」を、その作中では「たやすいことさ」と訳してある。ケーキひと切れなんて、たやすいことさ。ホールなケーキは、たやすくないさ。ホールな一年も、たぶんおなかいっぱい。

 たやすいことさ。
 愛なんて。
 と、ジョージは語る。

 さて一方、私がなぜこう、イーストウッドの初監督専念作について徒然ているのかといえば。

 幼いころに出逢った20歳ほど歳上なひとへの恋心を大人になっても抱いたまま、相互作用しあって高めあい肉欲も含めた愛が実る。

 という本を書き、先週、まさに20年ほどのおつきあいになる某出版社さまから、ボーイズラブ的恋愛に足らず、という評をいただいたことに起因する。この手の評価は、なんどめかのことだ。という書きかたをするということはつまり、ボーイズラブ的恋愛が描けていると認められることも、あるにはあるのである。

 そしてこれが実に困ったところなのだが、書いている私に、その差がまったく認識できていない。今回など、いま読み返してみても、まだ、うーんこれは違うのか……という感であり、まさに夜も眠れず考えていたら、あれ、これって、と気づいた。

 『ラブソング』しかり『愛のそよ風』しかり。まったく受けつけないひとが少なからずいる年の差恋愛モノを、ことごとくこれまた、うーんみんなこれのなにが受けつけないんだろういい話じゃないか私は萌えるんだが、と観てしまう私が、そういう恋愛モノを書いて、コレ違うやりなおし、と頬を張られるという。

 じゃあ自分のではわからんから『愛のそよ風』のなにがブーイングを受けるのか、少しつっこんで考えてみようと書いているのが、いままさにこの地点で起きている出来事なのだった。

 ここまで書いてきて、なんとなくわかったような気がしたような気がしなくもないような感じのことがあるにはあるので端的にまとめてみたい。

「この図式は、おっさんの側が、自分に執着してくれる若い子に依存しているように見えてしまう」

 フランクは、ブリージーと釣りあわない自分を恥じて、ブリージーを捨てる。だがそれでもふたりの愛は消えなかった。一年くらいはもつかもな。なに言ってるのフランク。と言いつつもどってきたのは少女なのだけれど、背を撫でられている猫がどちらかといえば、おっさんなのだ。

 もうむしろ、これが男の生理だと、幼女を手籠めにするような肉欲オンリーな展開であればポルノとして成り立つ。しかし、おっさんに執着する若い肉に、いやおれなんかが、と悩みながらもけっきょく成就してしまうそれを、恋愛と呼ぶところに、なんだか気持ち悪さがあるのではないか。

 いやほら、だから。私のなかでは肉欲も愛も同じものなので、理解はできないのだけれど。幼いころにあこがれてくれていた若い肉がそこそこ育ってぼくのアナルを貫いているそこに愛が生まれるというのは私のなかではアリなのだが、そこが気持ち悪いのではないかと。

 いまいちど『愛のそよ風』を観て、なるほど、ここに恋愛をからめて賛否両論になってしまったクリント・イーストウッドが、そこから恋愛要素を抜いて撮ったのが『グラン・トリノ』で、だからあの作品はウケがいいのかなあ、などとも思った。

B003GQSXK4

 『カールじいさんの空飛ぶ家』とかもそう。子供に目を醒まされた老人が、彼を深く愛するようになる、という物語は絶賛される。かといってイーストウッドがタオに、カールじいさんがラッセルに、肉欲をおぼえてしまったら大ブーイングだし、そこは、幼い側が求めてきたという描写さえもだれも望まない。

B00307RL98

(カールじいさんの二次創作ではさすがになさそうだが、グラン・トリノBLは、ありそうな気もするが。今回は、そういう話ではないので深く考えないけれども)

 ということなのか。
 という考証をうっすらしたところで、だ。
 しかし私が書いているのは官能小説なのだ。
 おっさんの側が勃っても濡れてもキモいと言われては、展開させようがない。

 それつまり、プロットの段階で20歳差がマズかった、その時点で詰んでいた、ということか。せめて先輩程度にとどめておけということか。

 なんだかくっきりはっきりわかったわけではないが、『愛のそよ風』よりも『グラン・トリノ』がイーストウッドの年の差愛を描いた作品としては出来がいい、というのは私にもわかる……わかりながら賛否両論な『愛のそよ風』についての私の愛を語りたいという欲求が抑えきれないあたりが、私のダメさなのである。観る側の気持ちになれ、なぜあえてそれを描く、というところに尽きるのに。ああなぜこんなにわかっているのに……

 クリント・イーストウッドの初期監督作は、ほぼすべてにおいて直球ではないクセ玉だという理由から賛否両論であり、『愛のそよ風』についても、撮ってみたらこうなったのではなく、あえてこう撮ったのはあきらかで。つまりイーストウッドは本質的に、カルト的でマニア向けでニッチな層をウホウホ言わせたい願望がある作家なのに、世に求められるイーストウッド監督を、イーストウッドは作りあげた。オレはさあ、ほら、こういう……クリント・イーストウッドなわけだし。本能のままにカオスな作品を撮ったりせず、こういう王道なのを撮っちゃうわけさ。

 という自分に酔えるひとなのだろう。クリント・イーストウッドを演じているクリント・イーストウッドが真実クリント・イーストウッドで、唯一無二。だれも見ていない場所でも、彼は日々洗練されていく理想のクリント・イーストウッドであり続けて、そのまま逝って後悔なしなのだ。迷いのなさの次元が違う。ものすごいひとである。

B00KFWNHCQ


 




miyoshidoll

三次人形(みよしにんぎょう)。
広島県三次市に伝わる泥人形。
手前の二体だ。
うしろのはどこのか知らぬ。

父には、そういうところがある。
けして人形収集家などではないのだが、妻の生まれ故郷にそういうものがあると聞けば、行って手に入れずにいられない。

うしろのもきっと、祖父母のゆかりの土地だとか、恩師の知りあいの窯だとか、そういうなにかの縁で購入したものだろう。特にそういうものが好きなわけでもないのに、縁で飾り物を買ってくるため、古びた土人形から前衛美術作品までもが壁や棚に並ぶ。

私にはそういう気質がまるでない。
旅行に行っても土産を買わない。
まして土着のなにかを買いに、それ目的で出かけることはない。

実家に帰ったとき、三次人形を見て、女人形の左目が擦れている。それを確認するたびに、幼いときの感覚がよみがえる。

わざわざ三次人形を買いに行った。帰りの車のなかだった。家にもまだ帰らないうちにだ。

私は、その白い女の人形の顔に、触れずにいられなかった。

触れた瞬間、黒は滲んだ。
できたてを買ったのだ。
定着していない塗料が霞んだ。
そしてそのまま定着してしまった。

怒られた。

家に帰ってから父は、補修を考えたようだ。実際、少し、手も入れた様子がある。けれどいまでも、はっきり彼女の目は滲んでいる。

私の指先は記憶し続けている。

あまりにもあっけなく、紙のうえの粉が吹き飛ぶように、人形の左目は台無しになったのだ。

あのころの父の年齢になって、けれどやはり私は、たとえば妻の故郷で、なにか名産品を買ってみたりはしない。そういうのは、よくわからない。

私に幼い日の後悔を幾度となく、見るたびに伝えてくる三次人形は、モノに宿る記憶はあると語る。意味あって在るモノだと思う。だからなのかもと、考える。

想い出の品なんてモノが、家にあふれかえっていたら、こんな想いのパレードになる。

それはしんどい。
よくも彼は平気なものだ。
わざわざ重たい品を増やすなんて。
私には信じがたい。
軽くいたいわけではない。
身のまわりに執着は溢れ、
それらで、じゅうぶん重い。
生きているだけでそういうものではないか。

欠けた器は捨てる性分だ。
そう、逆に、この三次人形が、私に、捨てられないものは買うなと、教育した、たまものだったりする。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 三次人形の購入できる通販サイトがあったらば、ご紹介いたそうかと考えたのだが、発見できなかった。

 広島県が直接に三次人形を推していて、

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

三次人形(みよしにんぎょう) - 広島県ホームページ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 そこから『BUYひろしま』という広島製のものを買ってみるといいよというサイトにまでリンクが巡らされているのだけれど、そのサイトから、直接買えるわけでもなく、また窯元の公式サイトに行っても、写真はあるが価格の明示はなく、通販もしていない。

 来い、そして買え、ということだ。

 私は大阪在住だが、広島県三次市在住の祖母に、二歳になる息子の顔をまだ見せたことがない。それくらい遠い。なかなかに味わい深い製品であることは認めるけれども、三次人形を買いにという動機だけでいらっしゃいませというのは、強気な勧誘であるのことよのうと感じたりするので、みなさんにはもっと取っつきやすいところからご紹介させていただこう。

 なんといっても、乳団子である。

乳団子    25個入



 正確には三次市に隣接する庄原市が元祖ということらしいが、西日本旅客鉄道のすべての路線の終着点であり、高速バスの到着するのも三次駅で、着いた途端に乳団子しか選択肢がないほどにそれがそこかしこに積まれているので、もはや三次にとっても名物以外のなにものでもない。

 乳である。
 私の幼いころには、祖父母も乳牛を飼っていた。採算がとれなくなって肉牛へシフトしてからの、祖父の私への命の教育はそれはもう熱心なものだった。読書家で、ある種の思想家でもあったひとだから、その転身は、同じ牛をあつかうにしても、心もちが大きく変わったのだろう。子供ながらに、なんだかおじいちゃんはぼくに説明することで自分を納得させているみたいなふうだなあ、と感じたのをおぼえている。

 前にもここで書いたことがあるが、長期の休みのときくらいにしか訪れることのできない遠い広島県三次市だったにもかかわらず、私の根幹は、どうもその祖父母の家で育まれたもののように、いまになれば感じている。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

『とかげではなく』の話。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 あと、これも前に書いた気がするが、かなり歴史もできてきて、これこそ三次名物というものになった、三次ワイン。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

『広島三次ワイナリー』公式サイト

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 と書いてみて、はっ、と、想い出した。

 乳だ。否、父だ。
 あの、妻の実家に行ったらなにか買わずにいられない父が、もちろん三次ワイナリーにも行ってワインを買って帰って、うちにも一本持ってきたような……

miyoshinowine01

 あった。
 そう高いものでもないのだが、私はワインも常飲しているので三リッターのボックスが冷蔵庫にあって、ほらこれも想い入れのあれやそれで、三次の名を冠したコルク栓のワインを開けるなら、なにか祝いでもあったときにと思いつつ、開けることはなく、たぶん……十年経ったかな、常温で。平気なものかな。ワインは寝かすものだろうが、千円そこらのコルク栓のワインでも大丈夫なものだろうか。

 賞味期限は書いていないが、ロットナンバーはあった。

miyoshinowine02

 ラベルに書いてある「http://www.miyoshi-wine.co.jp/」は現在リンク切れだ。なぜだか、いまは「http://www.miyoshi-winery.co.jp/」である。広島県公式からのリンクも切れている(2017/06/22現在)くらいなので、この変更は最近のことであろう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

株式会社広島三次ワイナリー - 広島県ホームページ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 とはいえ、リンク切れのアドレスが印刷されたワインだ。非常に人には勧めにくい。自分で飲むか。期限を書いていないということは飲んでもいいのだろうか。いよいよ開けにくくなってしまった。

 うん。またそっと棚にもどしておこう。


 今年もたのしいE3!!!!
 Electronic Entertainment Expo!!!!
 えれくとりっくえんたーていんめんとえきすぴょ……舌噛んだからやっぱり略してE3!!!!

 そして……
 命名されたよ!

 XboxOneX !!
 えっくすぼっくすわんえっくす!!
 長っ、言い憎っ。

 そこで略してXOX !!
 もしくはXxX !!
 ちょっと長めでXoxoX !!

 どう発音していいのかよくわからないから、別の略称を検討しようか。四角いボディの中心にXが刻まれていることから「凶箱」と呼ばれた初代、私のは安野モヨコだった。

Xbox360

 二代目。Xbox360は、箱○と書いてハコマルと呼ばれた。だいたいにして、冒頭のエックスというのがもう発音するには長いので、エックスなになにという略称が定着しない。初代からの継承で、箱だ。箱ありきでなにかつけるパターン。私のハコマルは、ギアーズだった。

gow

 三代目。XboxOne。箱1と書いてハコワン。私の箱1も、ノーマル仕様だ。というか、初代や二代目に標準装備されていた、ゲーム機本体をデコるという思想がXboxOneにはない。硬派なのだ。XboxOneユーザーはゲーム機にシールを貼ったりしないのである。タキシードを着てゲームをする。私だってそうだ。特に気合いを入れてプレイするときには、紋付袴や全裸という正装なことさえもある。

 そうこう言っているうちに、XboxOneの小型化が為され、その商品名はXboxOneS(えっくすぼっくすわんえす)になった。あたりまえのように皆、箱1Sと書き、ハコワンエスと略した。

 そうして、プロジェクトスコーピオ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

『2016年のE3とXboxとProject Scorpio』の話。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 いやあ、昨年の私のE3話は長いな。自分で読むのも嫌になる。でも、それくらい熱くなっていたということで。なにせ、ここまで書いてきたように、この国では数少ないと書いてもはばかりない、初代凶箱からのXboxフリークなのですから。

 あれです。よく事情を知らぬあなたに端的に説明いたしますと。

 ニッポンセガがゲーム機戦争に敗れて撤退し、ニッポンソニーのゲーム機プレイステーション2が独占するようになった世界の構図に、コンピュータの国の覇王、マイクロソフトとドン・フライ……もとい、ビル・ゲイツ様が、殴ったらひとも殺せそうな黒くて角張った箱Xboxでゲーム機乱世を再びと乗り込んできた。迎え撃つソニーがPS3なる次世代機を世に放つや、ドン・フライ……ああまた間違えた……様は、Xbox360という奇跡の子をアメリカから放ち、もはやだれも逆転などないだろうと思っていた世界のゲーム機戦争で、ソニーに互角以上の戦いをしてみせる。

 そうして、さらにその次の代。

 ソニーのPS4。
 マイクロソフトのXboxOne。

 ほぼ同時に世に出た。
 ほぼ同じ価格だった。
 しかしあろうことか……たぶんニッポンのニンジャが有能だったということだ……ハード的な性能差があったのである。同じソフトが両機種に出る。マニアなひとが比べてみる。どこをとっても、XboxOneのほうが、若干だが、描画性能において劣る。

 私のようなマイクロソフト製のゲームがプレイしたいためにXboxを所有している者にとっては、マイクロソフト製のゲームはソニーのゲーム機では遊べないのだから問題外だし、多くのゆるいゲーマーたちにとっても、若干の描画能力の差など、本当は大きな問題になるところではないはずだった。

 しかしネットの世紀である。同等価格で同じ年に発売した新型ゲーム機に、若干であれ性能差があるというのは、差がない両雄だったからこそ、ネタにされやすかった。新しいゲームが出る、だれもが両雄のゲーム画面を並べて検証する。ほらここにちょっと暗いところが生まれてしまうよねえ、といった程度のことだが、毎度だ。風向きが、ソニーに向いた。

 だれよりも、うちのニンジャはなにをやっていたんだ、性能差があるもの並べて売ってしまうって、我らはコンピュータの国の王ではなかったのか!! と叫んだのはドン・フライである。いやドン・フライと間違えやすい、すでに現場からは引いているはずの、あのひとだ。コンピュータの国の王であり、ヲタクの王である。彼の資金力は無尽のゲイツマネーとまで呼ばれ、どう見ても採算のあいそうにない高性能なマシンを、お手頃価格で数を売る戦略でソニーを倒しかけたのだ。それが、同じ価格の劣化マシンを世に出してしまった。

 そうして昨年、発表されたのがProject Scorpioである。

 一年が経ち、その子の名は、XboxOneXであると発表された。マイクロソフトが「だれもに向けての製品ではなくマニア向けだ」と公言する、歴史上、類を見ない高性能なゲーム機。

 どれくらい類を見ないかが、今回のE3であきらかになった。もっともわかりやすいのは、ゲーム機で史上初めて「液冷」を採用したところだろう。

 パソコンや、バイクでも「水冷」という方式がある。エンジンが大きすぎて、発火する危険性さえあるので扇風機で風を送るだけでは足らず、周囲にパイプを密着させて、なかに冷水を循環させるという方式である。

 XboxOneXは、だがしかし「水」ではなく「液」だという。なんらかの液状のなにかを本体に内蔵し、それを本体内部で移動させて、熱をあっちやこっちに逃がすのだそうだ。正気の沙汰ではない。高性能だから本体サイズが大きいというのは、格好悪いという技術屋の意地であろう。Project Scorpioは、意地だけのプロジェクトなのだから、方向性は合っているが。

 XboxOneXは、なんとXboxOneを小型化したXboxOneSとほぼ変わらぬ大きさである。コンピュータの国では、性能アップで小型化は禁忌だ。というかマイクロソフトはXbox360で、熱暴走による故障を多発させて全世界で回収した(私のもされたのは過去の記事を読んでいただきたい)経歴の持ち主なのである。それが小型化にもこだわった。もうどうしようもないから「液冷」だ。

 単純な話、小型化には成功したけれど、XboxOneXの内部にはなんらかの液が詰まっているわけで、初代凶箱を見たとき「鈍器だ」と評したあのころ以上に、XboxOneXは凶器に近い。伝統の黒い鋭利な角を持つフォルムのまま、持ち運べるサイズに小型化され、重量増。鉄アレイをひとを殺しやすいように尖らせたものだと表現できる。

 逆に言えば、スマホゲームに圧され気味なゲーム業界や、ポケットに入る大きさの某マリオの国の新作ゲーム機などをガン無視してコンピュータの国の流儀を突き進めた、据え置きハードでしかできないスタイルではある。持ち上げるのなんて買って帰るときだけだが、どうせネットの世紀、買うのだって通販サイトだろう。だったら液を詰めて重くなって、なにが困る。

 いさぎよい。
 格好良い。
 そういうマイクロソフトは、私の好きなマイクロソフトだ。

 今後、Xboxは、箱1Sと箱1Xを併売していくという。公式が、XboxOneXが発売される今年も来年も、実際に売れる数はXboxOneSが多いはずだと言っている。安価で必要充分なスタンダード機は、マニア向けのモンスターが登場したからといって立ち位置が変わるわけではない。

 彼らが意地で出す、意地の塊。公道を走れないレース用の車に、莫大な費用をかけるのも、巡り巡って普通の車が普通に売れるためである。だから別に、XboxOneXの発売に合わせて、マイクロソフトが売る気であるのならば同時発売しなければならないはずのゲームソフト『Halo』や『Gears of War』の新作のアナウンスはなにもない。

 XboxOneXは、それで完結したXboxOneX。
 具現化された彼らの意地。

 良いものを見た。
 今年も滴るほどに興奮した。
 しかしまあ、レースを見てレースカーを買いたいなあ、とはならないように、頭は冷静に、あんなすごいことをやってしまうメーカーの製品を応援しようかしらん、というくらいでいいのだと思う。だってXboxOneXがいくらお手頃価格でも、4KやHDRに対応したディスプレイも買ってこないと、宝の持ち腐れだ。昨年のE3では、私も「VR元年にヴァーチャルリアリティに対応した新型Xboxを発表」したのがProject Scorpioだと書いているが、今年のE3では、だれもゴーグルをつけていなかった。驚くことに、公式にVR関連の発表はなにもなく、マイクロソフトの偉いひともインタビューで時期尚早だ、と言っている。去年のアレはナンだったのか。ナンタラ元年というのは、まったくいつもアテにならない。その面でも、XboxOneXを本当に必要するのは、けっこうな未来な気がする。

 ゲーム機戦争は、風で動く。
 ショーケースに飾る、ものすごい子が生めたのは悦ばしい。そこに張りついて、かっけー、とヨダレをたらす人間の子がいてこそ未来がある。スマホいじってんのをゲーマーと呼ぶような未来を破壊するんだXboxOneX!! ゲームの国のあこがれのスーパーカーとなれ。

 Xと命名した理由は「No power greater than X」だと表現されていた。つまり「Xに勝る力はこの世になし」ということだが、どういうことだ。Xboxと名付けた原点にかえってプレイステーションをパワーで圧倒するということか。
 細かいことはいい。叫んでおこう。
 Xな箱の二十一世紀で一番新しいX!!
 なんらかの液で冷える未来仕様!!

 いや、実際の話、ピコピコいっていたファミコンが高性能になりすぎて、超計算能力で物理的に発火しかねないから冷却のためになんらかの液を詰めたゲーム機が生まれましたって。それを私は一生のうちに体験していて、まだ続くのである。どこへ行ってしまうのか。

 長生きしたい。ミサイル飛んできて欲しくない。あしたも遊びたいよドン・フライ!!
 すごいのちょうだい。



 そういや、XboxOne買ってきたときに遊び倒した、あれの続編も発表だったE3。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

『XboxOneを買ってきた』の話。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 『サイコブレイク2』



 『鉄拳7』で遊んでいるプロレスラーたちもついでに眺めておこうか。



 毎年、春は、たのしい季節だ。

B0725QFGWH

(追陳。『とかげの月』はニュースサイトではなく、吉秒匠妄想サイトなので、記事に正確性はない。なんらかのヌルヌルした液が詰まっていたらおもしろいなということでそのように匂わせて書いたが、厳密に技術的な観点でお伝えすると、それは密閉された金属の箱のなかに気化しやすいさらさらの液体を少量詰めたシステムである。気化と液化を延々と繰りかえすことで、周囲の熱を移動させるという仕組みだ。なので、XboxOneXを殴打用の凶器として使うと、振り上げたときに「ちゃぽん」と音がする。なんらかの液の量にもよるとは思うが、たぶんする。私の書いたことを真に受けてXboxOneXを使って背後からの暗殺を企てたのに失敗したじゃないかと言われても困るので、念のため書いておく)