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水族館に行った。
ヒナ祭りをやっていた。
すごく直接的に。
巨大水槽の前に壇飾りが置いてあった。
邪魔だ。
ヒナドールフェスのなんたるかを知りえぬ子らがジャングルジムかと、ヒナ壇の後ろで隠れん坊。
ぶら下がったり。
崩れないかと不安で、目が離せない。
魚どころではない。
やむなく、子にヒナを見せる。解説する。

「ヒナだ」
「モモのセックだ」
「ハルがキた」

……いやいやいや。
三月三日に咲きほこる?
そんなの沖縄。
京も都も四月に入ってから。
いわゆるあれ。
旧暦、陰暦という。
全体的に一ヶ月ズレている。
一年の分割方法が、季節から太陽の向きへ。
でもまあ太陽の傾きは、すなわち四季なので、そんなには大きく狂わない。
それがかえってやっかい。
節句なのに微妙なズレ。
暦のうえで春が来ても、まだぜんぜん寒い本番。
アジアのほかの国々は、かたくなにいまだって、旧暦で正月を祝っている。
水族館でヒナドール。
そういえば魚こそ、まさにこの国では四季。
モモのセックはズレても、タイの旬は三月だ。
薄く切った白身の寿司。
それ喰って春だねえと。
……ないね。
一年中売っているよ鯛。
養殖と交通の発達で、寿司屋からも旬が消える。
回転寿司では旬を謳うが、それこそフェスティバル。
仕入れは年中できるくせに。
いまが旬とかおかしいの。
啓蟄をすぎても虫がいない。
都会だけではないらしい。
蛍が光らない国になった。
エアコン効いた水族館で、ヒナドール。
そのズレた感じ。
正しい現状認識なのかも。

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 心臓の機能を向上させ高血圧を予防し、同時にストレスホルモンの血中濃度を減らし、痛みに対する耐性が増し、学習効率を高め、女子力を高め、子宮を収縮させ、社交性と好奇心を高め、母性本能を高め、寿命も延ばし、親子間の絆を深め、パートナーの浮気を阻止する。

 つまり。

 しあわせ、になる。

 それがオキシトシン。
 科学、怖い。しあわせの原因を突き止めてしまった。まるでSF小説のタイトルのように。

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 男はたまたま、ロイエンケファリンを自在に分泌できるようになったのだが、その自覚がないために、自分の幸福感には神聖な由来があると理屈づけたのだ。ぼくは恐怖と同情に胸を締めつけられた。少なくともかつてのぼくは、自分の幸福感が腫瘍と関係あるのを知っていた。路地でラリっている少年にしても、自分がシンナーを吸っているだけだとわかっている。

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グレッグ・イーガン 『しあわせの理由』

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 脳腫瘍のせいで快楽物質ロイエンケファリンがダダ漏れになっていた少年は、抗ガン剤で腫瘍を叩いた結果、ロイエンケファリンが今度はまったく分泌されなくなり、しあわせを感じることができなくなってしまった。彼は思う。恍惚とした伝道師よりも、シンナーでラリる少年や、音楽やアルコールやセックスにみずから耽溺して、しあわせを摂取している人々のほうが健全なのではないかと。ならばロイエンケファリンを、自分で摂取量を決めて自分の脳に射つのも、大差ないのではないかと。

 もともと、オキシトシンは女性のしあわせ脳内ホルモンとして知られていたが、近年では男性にも作用するし、犬に注射しても効くということが判明して、まったくもってオキシトシンがSF作家の描いたロイエンケファリン(現実の作用は少し違うので但し書きを添えておく)のような働きをしている線が濃厚になってきている。

 一方、女性作家は、そんなの前から知ってたと説く。

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 今はしあわせすぎて、何も考えられないのだった。腹の中にコドモがいることが、多幸感の原因なのである。それはもうはっきりしていた。アカシのせいでしあわせになってしまった。しあわせの実体はないのに。
 コドモがいるからしあわせなのではなく、しあわせだからしあわせなのだった。
 洗脳されてるみたい。
 ときどきそう気づいて、びくっとした。

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 川上弘美 『なめらかで熱くて甘苦しくて』

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 オキシトシンは子宮を収縮させて胎児を外界へと追い出し、オキシトシンのせいで痛みに耐性ができて、気を失ったりはしない。そんなことを考えて妊婦が自らの脳内操作でオキシトシンをダダ漏れ状態にするのは不可能なので、洗脳という表現は、文学表現でもなんでもなく、かなり事実に近い。

 胎児が、彼女の脳を操作してオキシトシンを分泌させている。

 そして、それがまさに、しあわせ、だ。

 やっかいなのは、シンナーやアルコールには毒性もあるという点である。オナニーやセックスや落ちものパズルゲームに、四六時中耽溺していては、廃人になってしまう。

 そこでオキシトシンが、近ごろ注目されている。

 前述のように、良いことずくめであり、毒性も副作用もない。しかも四六時中ダダ漏れでも、日常生活が送れる。送れるどころか、バラ色レインボーでワンダホーな世界で暮らし続けられる。

 ほとんど太古といっていい昔から知られていたオキシトシンを、いまになって分泌ブームというのは、人類が一種の境地に至ったということだろう。地球は宇宙に浮かんでいる岩であり、ニンゲンは動物で、脳は操作可能な機械だ。

 良いガソリンを入れるとエンジンが良く吠えるように、気持ち良くなるように肉体を操れば、当たり前に気持ち良くなるし、しあわせになる。SF作家の書くロイエンケファリンやエンドルフィン、ドーパミンといったアッパー系の脳内麻薬と違い、オキシトシンは、ハイになるのとは違う、というところも良い点だ。ほんわかしあわせ気分になる。

 どうすれば、そんな夢の脳内ホルモン物質オキシトシンの分泌量は増やせるのか。

 肉体の接触。別に恋人同士でなくてもいい。猿の毛づくろい的な。友人同士、もしくは嫌悪感を抱かずに済む他人とのハグでも可。まあ、想像はつく方策。できればセックス抜きのセックスフレンドでも持つといいのかもしれない。そのあたりは『クズの本懐』に詳しい。

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(あえてセックス抜き、とするのは、オキシトシンが「あなた色に染まる」原因でもあるから。プロレス会場でプ女子のテンションがすごい理由のひとつに、脳内ホルモン・セロトニンの分泌が女性は少ないというのがある。セロトニンは自己抑制物質。暴走しようとする脳にブレーキをかけるホルモンなのだが、これが男性よりも女性のほうが分泌されにくいため、イベント会場でタガを外して盛り上がれる才能が女子にはある。それはよりしあわせになるということでもある(もともとオキシトシンが女性にしか働かないと思われていたのは、たぶんこのせい)が、抱かれた相手に「オキシトシンを分泌させてくれた」という執着を持ちやすいということでもある。言い換えれば、女性はセックスのあとでストーカー化しやすいが、男性はアッパー系脳内麻薬のほうが作用が大きいので、特に肉体的接触がなくてもひとりで盛り上がれてしまう。どっちが良いとも悪いとも思いませんが、女性のほうがフレンズとセックスを交えると問題になりやすい傾向ではあるので気をつけたい)

 アニメ、マンガはもちろん、恋愛小説やゲーム、映画の類も効果がある。感動すれば、オキシトシンは分泌されるのである。感動というのは心が動くことであって、かならずしも爆泣きしましたとかいう作品をより好む必要はない。ぼおっときれいな映画芸術を眺めたりするだけでもいい。ということになると、ぼおっと散る桜を見るのも、車窓からの風景でも、ひとによっては天井の木目だっていいのかもしれない。

 だが、恋愛感情を発現させるのが、もっとも手っとり早い手段であることは、あきらかなようである。いや、なにも生身の恋愛対象は用意しなくてもいい。

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 ジョン・シナのポスターを壁に貼ればいい。
 私の妻は、菅田将暉を眺めているとオキシトシンがダダ漏れている様子だ。
 
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 動物とのスキンシップも効果がある。
 動物の映像を見るだけでもいい。写真集でも。

 我が敬愛するディーン・クーンツ師が代筆したオキシトシン分泌を犬から学ぶ本があるが……

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 文字ばかりなのが残念。トリクシー・クーンツ嬢のグラビア満載にしたほうが、よほど読むものにオキシトシンを分泌させたのではないかという気もする(まあ、愛娘犬の代筆をしているよボク、と書いている本人は恍惚とした結果の文章量なのだろうが)。

 ぬいぐるみでもいい。

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 テディ・ベアや、萌え抱き枕で、ひとはしあわせになってしまうのである。自宅なのだし、毒にもならないのだから、ぬいぐるみ好きはぬいぐるみに埋もれ、萌え好きは美少女抱き枕に埋もれて、毎日しあわせになったほうが得だ(ダニの心配はしたほうがいいが)。

 そう思うと、ヒナドールも、そういうものなのではないか。

 娘に買い与えるというよりは、娘とヒナ壇の組みあわせに、親族が目を細めてオキシトシンを分泌させる。おじいちゃんありがとうっ、抱きついてくる孫娘の頭を撫でる。ダダ漏れであろう。

 心臓の機能を向上させ高血圧を予防し、同時にストレスホルモンの血中濃度を減らし、痛みに対する耐性が増し、学習効率を高め、女子力を高め、子宮を収縮させ、社交性と好奇心を高め、母性本能を高め、寿命も延ばし、親子間の絆を深め、パートナーの浮気を阻止する。

 水族館にひな人形があれば、みんな、しあわせ。

 人形ごときで、しあわせになれてしまうと、ご先祖さまの時代からわかっている。ひな祭りに、どんなかたちであれ、ひな人形を見ないのはもったいない。だれでもいくばくかの情動は起こり、オキシトシンは分泌される。

 ひとなど、その程度のものだ。
 だからこそ。

 抱き枕を抱いて寝ないし、恋愛小説も読まず、散る桜を愛でる散歩には出ないし、近所の水族館にだって行かない。

 その程度のことで、ひとは、しあわせを逃す。
 逃すことばかりだと、毒にも手がのびる。

 マッチョが好きならマッチョのポスターを壁に貼り、おっぱいが好きならおっぱいのポスターを壁に貼り、それを眺めてハーブティーでも飲む。

 しあわせとはそういうもの。

 ちなみに、私自身のためには、チョウ・ユンファのポスターが貼ってある。毎日、しあわせだ。

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(そういえば、母が広島県三次(みよし)の生まれで、私の生家には三次人形の雛人形が年中飾ってあった。いまもだ。幼い私が、顔をさわって雛の眉を曇らせてしまった。そんな年齢の子供がさわれるところに陶器の人形など飾るほうが悪いという気がするが、汚されようが割れようが飾りたいものを飾ってしあわせでいる、という両親の信念は、オキシトシンを分泌するために購入したフィギュアたちが二歳児から避難してクローゼットにしまい込まれている私からすると、なかなかに肝の据わったひとたちだったのだなあという感想もある)

三次人形 - Google 画像検索



 



血を流し
祝福される
狂戦士(バーサーカー)
ラウンドガールが
妹麗(まいれい)に笑む


 吉秒 匠(よしのぎ たくみ)

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 婉麗(えんれい)とは姿や文章などが、しとやかで美しいこと。また、そのさま。

 『大辞林』に、よっております。

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 私は紙の初版を愛用していて(ものすごく売れた辞書だから、古い版はダブついていて、数百円で買えます。一冊買っておいて損はない。高いところのものが取れないときの踏み台にもなるし)、現在の第三版では、婉麗という言葉が採用されているのか調べてはいないのですが、少なくとも私のまわりで、現実にこの言葉を発しているひとに出逢ったことはない。というか「婉」て、なんだ。なんだその字は。

 「えんれい」という同じ読みで、「艶麗」と書くほうもあるのだけれど、そっちはまだなんとなくわからないでもない。わからないでもないが、タイトルに「艶麗」などと入っているエロビデオを私は購入しないし(熟女ものっぽいうえ、熟れすぎていることをさも美味であるかのように言い換えた表現に思え、あえて騙されようという気にはなれない)、かといって「婉麗」ではどうか。そうまでいくと、なんというか文学的中二病の入った監督が「追悼スズキセイジュンツィゴイネルワイゼン!!」などと叫びながら撮った作品のようで、アダルトビデオのタイトルに一般人が読めない漢字使うって売る気ないだろう、と、その監督自体は嫌いではない気はするが、作品が私にサービスはしてくれなさそうな気がして手が伸びない。



 ところで鈴木清順の最後の妻は、四十八歳下の女性だった。だからといって監督がロリータコンプレックスの病におかされていたという話は聞かないし、作品からしても……ときおりはそんな気配もあるにはあるが、重病な感じはしない。監督の最後の結婚は八十八歳のときだ。相手は四十八歳下といえ、四十路に足を踏み入れている。女優ジャンル的には立派に熟女ものコーナーに並ぶ年齢であり、それを小児性愛と呼ぶのはあきらかにおかしく、あえて(呼ばなくてもいいのに無礼にも呼ぶならば)イモウト的なジャンル棚に分類すべきなのかもしれない。

 と、いうようなことを、難解といわれた作品を多々撮った偉大な監督の逝ってしまった春に想いながら、いつものように格闘技大会の中継などを観ていた。

 それはとても良い試合だった。キックの試合で肘ありルール。勝者は自身の血にまみれながらも、不屈の闘志で勝ちをもぎとった。試合終了のゴングが鳴り響き、会場のだれもが、ああ私たちはいまいったいなにを目撃してしまったのだろう、と脳内整理が追いつかないままに割れんばかりの拍手を贈るなか、彼女は。

 白いビキニで、ひとりだけ、違う宇宙にいて微笑んでいるようだった。

 うちの二歳児が、ときおり同じような神々しさを魅せることがある。テレビのなかの歓声と拍手。私も感動してテレビの前で拍手を贈っている。それに対して、二歳児は拍手を贈る。喜ばしき光景が目の前にあることを歓んで。みんながなにに心動かされているのかはまったくわかっていないが、わーぱちぱちの盛り上がりかたがとても激しいことはわかるから、そのことに対する祝福の拍手と微笑みを与えてくれるのである。

 肝心のところを理解していないけれど、みんな悦んでいるのね、それはとても悦ばしいことね、と。小羊がなにに悩んでいようが、告解を聞く必要もない。ただ聖母は彼らの頭に手のひらを乗せ、祝福を与える。

「赦します。悦びなさい」

 そうとは言わずとも、そんなことをされたら、もう。

 いや、彼女はただ、二歳児とは別の純真さで、歓喜のうずの中心にあるリングの上にいる自分を、グラビアアイドルらしく、観衆にアピールしただけだったのかもしれない。事実、血だらけの狂戦士を祝福しながら、涙さえ浮かべながらも、私だって彼女の白ビキニと笑顔を記憶したのだから、多くの観客がそうだったはずだ。

「おまえ、会場がなんで盛り上がっているのか理解できていないんじゃないのかよ、なんだよその聖なるもののような微笑みは、横を見ろよ、彼、血だらけだぞ……」

 思いながら、なぜか、その対比に、胸が詰まる。そうだ、ラウンドガールがコブシ振り上げて試合に熱狂されても困る。彼女がなぜ巨乳をはみ出させた白ビキニなどという格好でリングの上にいるかといえば、まさに凄惨な戦場の空気を和らげるためなのだから。

 花なのだから。

 血が流れても、花が飾ってある場所は、優雅だ。殺しあいを見ているのではなく、スポーツを観ている。だからこそ、肘で相手の顔面を切り裂く競技に、悲鳴ではなく歓声を向けられる。

 婉麗(えんれい)と、妹麗(まいれい)という字面は似ている。

 婉麗、という言葉を、私はこれほど毎日、膨大な日本語を綴りながらも、きっと一生、使うことはない気がする。使ってもわからない言葉は、使いようがない。綺麗な字面だし、みんなが読んで意味がわかるのならば、ぜひ使いたいとは思うのだが。

 そこで、妹麗では、どうか。字面は似ている。それに「妹」であるならば、ほとんどのひとが、読んで意味を取れるだろう。昨今の萌え需要をかんがみても「うるわしい、いもうと」で、浮かべるイメージは、万人、そう大差ないのではないか。

 難解な文字が、省略されて後世でも使われるというのは、よくある。まったく使われなくなってしまうよりも、そちらのほうが、ずっといい。

 妹麗(まいれい)という言葉は、辞書にはないし、いまネット検索をかけてみても、見当たらなかった。が、私がさっき詠んだので、それを初出として、あした辞書に載せてもいい新しい日本語として流通しはじめたということである。埋もれず使われるといい。

 『大辞林』初版で「妹」の前の言葉は「斎う(いもう)」。けがれを避けて心身を清め慎む、という意味らしい。これも使ったことのない日本語だけれども、使ったことのないくらいに慎むことなのであろう。「妹」の後ろの言葉は「芋貝」。そこはかとなくイモっぽくて究極に清められた巫女的イメージの中心に「妹」の文字は位置するわけで、そういう感じで使っていただければ。どういう感じだ。だから、そういう字面でだけ伝わるニュアンスのあるところが日本語の良いところだという話をしているのである。

(「妹」を「いも」と呼ぶとき、それは女性が女性に呼びかける親愛の呼称でもあるということも辞書には明記されている。けっしてアダルトビデオのジャンル的にどうというばかりの話ではない。ないぞ)

 シリーズ「新たな日本語の地平を創造する」次回は……

 弟麗(ていれい)。

 ……やめておこうかな。なぜこう、おとうとがうるわしいとニヤケ笑いが頭に浮かぶのだろうか。三流ホストとか、小物な詐欺師の類をイメージしてしまう。

 兄麗、姉麗、も、いまいちピンとこないというか、ピンときすぎてスーツメガネの宝塚なキャラに固定されてしまう気がする。

 としてみると、妹麗(まいれい)。
 適度な幅を持たせて大きくはブレない印象の具合が、使い勝手がよいのではないかと、自画自賛してみる春の日なのであった。

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bloodshed
win applause
Berserker
smiling Ring Girl
virgin sister beauty


Yoshinogi Takumi




・ 自転車のパンクを直したら止まらず、サドルとグリップとライトを換え凹んだバイクのタンクも再補修しはじめ、ひがな一日、玄関先で指を汚しているが、どちらもまったく走らせてはいない。幼い息子が作業を凝視している。私は彼にとってのレゴみたいに走る機械を玩ぶのが好きなだけなのかもと、気づく。

twitter / Yoshinogi

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 自転車も売っているので、職場でグリップをバーから抜くときにはエアコンプレッサーで隙間にブシュッと空気を撃ち込んで浮かせて抜くのですが、自宅にそれはないので、邪道ですが5-56噴いてぬるぬるにして抜いてやりました。

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(余談ですが、5-56は、グリップを抜きたいとかいう潤滑目的ならば最強ですが、けっこうすぐどこかへ行ってしまう油なので、上の画像のように自転車のチェーンまわりの潤滑目的ならば、グリーススプレーのほうが格段にぬめぬめし続けるぜ、ということは書いておきましょう。そういう職場で働いているバイク乗りなため「チェーンに差す油っ、551どこ。ん? 551は肉まんか」という週に何度も聞くフレーズに、いちいち「もっとチェーンに適した油はいっぱいありますよ」などと言うことはないけれど、いつも言いたいから、ここで言う。どうしても呉工業さんファンならば、チェーンルブというチェーン潤滑特化商品もあります)

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 その方法が邪道だというのは、ヌルヌルが残って掃除が大変だから。掃除を徹底しないで新しいグリップを取り付けると、残っているオイルでスポンと抜ける恐れがあるから。そういう理由から、古いグリップはどうせ捨てるのだし、カッターで切って取るのが正統。

 それをわざわざぬるぬるっと抜いたのは、そんなにヘビーな自転車乗りではないがゆえに。グリップは摩耗していない。乗っていないから。ただ、乗っていないがために、どうしようもなくカビた。

 だから試してみたいことがあったのです。

 漂白剤に漬け込んで、新品同様にできないものか。できればそれを戻せばいいわけですから。新しいの買わなくていいのですから。

 既定の分量よりもずっと濃く作ったそれに、グリップを半日ほど漬ける。いっそ溶けて消えてしまえというくらいに。

 結果。

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 もとは濃灰色だったのが、白けて。深く根を張ったカビは殲滅できず。ことさらにカビが目立つようになっただけ。もっと早い段階でなら効果があったのかもしれませんが、こうも浸食していると、もはやどうにも。見た目だけのことなのに。だがしかし見た目だけのことであるがゆえに、せっかく外したグリップを、このまま戻す気になんてなれず。

 新しいのを買うことにした。

 物色してみると、どうやら、ママチャリ用のラバーグリップよりも、競技車向けバーグリップのほうが種類は多いし、安いのもある。ちょうど良いことに、私の自転車は、まっすぐなハンドルバーなので、ママチャリだけれど、そういうグリップでも似合う。

(幼い日に、誕生日に自転車を買ってもらうことになって近所の自転車屋に行ったら、その当時、モトクロスバイクが流行りだしていて、そういうまっすぐなハンドルバーが子供向けにも量産されていたのに、財布の主である父が言ったのだ。「おれの時代にはスポーツバイクと言ったらこっちだったけどなあ」……羊の角のような、ドロップハンドルを指して。

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 そうしてなんだか丸め込まれて父親の価値観でドロップハンドルの自転車を所有することになった私は、まわりが太いタイヤとまっすぐなハンドルな群れのなか、ひとり細っいタイヤなドロップハンドルを駆使する小学生になったのだった。その後、大人になった私が普段使いのためのママチャリをまっすぐなハンドルで選んだということは、いつかの誕生日プレゼントが幾ばくかの屈折した感情を私のうちに育てあげた結果だと認めざるをえまい)

 数百円のを買って、取り付けてみた。

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 グリップ自体は、3ミリの六角レンチでギリギリと締めつける構造なのでビクともしない。

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 ただ、エンドキャップが。
 写真でも見るからにゴムですが。やわらかいし。整形が雑だし。

 世の中には、バーエンドキャップだけで千円とかいうものもあって、そういうのはさすがにコンマ何ミリまで公式に明記してあるうえに、嵌めてからねじ込んでやると、内部で広がって固定されるというメカニカルな機構付き。

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 しかし、数百円のグリップについてきた、たぶん数十円のゴムのキャップ。適当な作りが目に余る。というかたぶん、消耗品のグリップを買い換えるような競技車ユーザーなら、すり減ったグリップを買い換えるたびについてくるエンドキャップなんて「もっとええのもっとるわこんなんいらんからもうちょいやすくせえや」などと思っているに違いなく。しかし我が家には、エンドキャップなどないのだ。ついてきたこれを厳密に使用するのである。

 だが、これがねえ、もう。ゆるいとかいう表現では飽き足らないほどに、ゆるい。サイズおかしいんじゃないのかと思うくらい。でも、グリップはちゃんとついたから……ああ、なるほど、これがママチャリだから、バーの鋼管の作りが薄くて、外径はぴったりでも内径がガバガバなのかも。などと好意的に捉えてみたり。

 しかして、それを使うしかない。でも、そのままだとガレージから出そうと方向転換をさせるだけでポロリと落ちる。まさに昭和のアイドル水泳大会でのポロリ要員のAV女優のブラジャーのようである。ゴールデンタイムに地上波で、パイオツを露出するためにギャラを払われている人員がいた。なんという時代だ。

 ともあれ、それでも愛するしかない。

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 シールテープを巻いてみた。
 水道工事に使うそれだ。

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 私の工具箱にはそれがあったからそれを使っただけで、マスキングテープでもよいのではないかと思われる。

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 かなり巻いた。
 嵌めてみた。
 いいんだけれども……

 やはり、手で抜けば簡単に抜ける。
 逆に言えば、あえて抜こうとしなければとどまってはいるのだが。そんなにハードな乗りかたをするわけでもないから、これで充分な気もするのだけれども。

 ああやっぱりダメだ。
 数百円のグリップについてきたこのエンドキャップがなくなったら、数百円のエンドキャップを買わなくてはならない。こんなのいらないのに。見た目だけのことなのに。

(※注意・競技車の場合、このエンドキャップがないと転倒のさい、剥き出しのバーエンドが鋼管の断面という円い刃物になってしまい、実際、そやつに肉体を貫通されての死亡事故などもある。あくまで数十キロで疾走する予定のないママチャリのバーエンドでは、キャップは大して役に立つ機会がないという話です)

 ここで前回の話。

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『破れた革ジャンの修復を試みる』の話。

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 その話のなかでも使ったそれを、そういえばこの前も別のことに使ったな、と思い出して、今回のこれを書いている次第でありもうす。

 いつもの、あれだ。

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 完全無溶剤な弾性接着剤。アクリル変性シリコーン樹脂接着。万能ではないけれど、この21世紀では万能系接着剤と呼ばれる神の隠し子。

 これをつけてしまう。
 つまり接着してしまう。

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 完成。歓声。

 シールテープの上から接着剤を塗っているので、無理やり抜けばシールテープがほどけて抜くことはできる。バーの内側に残った接着剤は、アクリル変性シリコーン樹脂の場合、完全硬化はしないので、やわらかい。カッターナイフかドライバーの先ででも、こそげ取ればいい。

 がっちりできました。
 バーエンドを接着だなんて。
 いえいえ、シールテープひと巻きで、まるで千円のキャップのようにがっちり固定できるし、いずれ取りはずすこともできる。まあ、我が家の自転車使用頻度では、次にグリップ取り替える時期が来るのは……真っ黒いゴムグリップにしたから、カビたってもう気にならないし、来ないかもですが。

(ちなみに鉄馬のハンドルグリップ(右)の場合、スロットルという可動部位があるため、ゴムのズレはアクセルの開き閉まりに直結する命綱。そのため接着剤は必須です。だからってオートバイのグリップが交換できないわけではなく、そういうときも、古いのは無理やりに取るもの。そんなときにも、瞬間接着剤のように、固まったら現状回復は破壊しかない、というのとは違う、いつまでも適度にやわらかいシリコンは使い勝手がよろしい。そういう融通効くところ含めて、万能系接着剤と呼ばれるだけのことはある)