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 しかし彼は性衝動に執着して
 すべての症状を性的に解釈する

tako

 映画『危険なメソッド』

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 年の瀬でございます。
 だからといって、なにがどうということもないので、なにを話そうかなあと思うのですが……
 ああ、、、、そういえば.
 前回、タコとイカのBL小説を書いてみた。

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『本当は切ないヨシノギ童話/タコ焼きとイカ焼き』の話。

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 あれ、シンプルな構成に過ぎて、語り足りないところがある。
 その話の続きを徒然てみて今年を終えましょう。

 タコというものは、浮世絵でも女体と絡むことが多く、ぬるぬるしているし吸いついて離れないし、本邦は島国ですし。身近なだけに、ごく自然とエロ素材としてあつかわれてきた。それって実は、なかなかに高度な文化だと思う。だって、本物のタコをエロ道具に使うなんて話は聞いたことがないから。生臭いし。それなのに浮世絵では人間とまぐわう。完全無欠のファンタジー。現代のエロマンガやゲームにおける触手モノも、魔物という設定だから外国産だと早合点しがちだが、いま英語で「HENTAI」と検索すれば日本のヲタ文化における直球ではないエロのことで、触手モノも、ばっちりそこにカテゴライズされている。つまり、現代の二次元美少女とまぐわうモンスター触手も、浮世絵のタコの足の延長なのだ。

 ということを考えながら、タコとイカのBLを書いていたというところが大事。なにがどう大事かといえば、歴史上、ファンタジー触手の王者タコ先生の御御足が、うねうね動く男根の異形な代替え品として人類を貫いたことは数多かれども……

 タコ受け。

 これ、貴重なはず。
 少なくとも私は読んだことがないし、そういう絵を見たこともない。ヨシノギ童話が初かもしれない。

 ……いえ。大事は大事。
 でも、もっと言っておかねばならないことがある。

 前回のあの話、完全オリジナルではないですよ、ということを、きちんと書いておかなくてはなという私の良心が叫びたがっているのです。盗作ではなくてですね。昔話なのですよ、という。灰かぶり姫はシンデレラ。グリム童話。物語の基本形の拝借。そして改変。

 ヨシノギ童話『タコ焼きとイカ焼き』の原型では、タコが小鳥で、イカは豚の腸詰め。ソーセージですね。そのふたりがいっしょに暮らしている。もうなんだかその時点でよくわからないのだけれど、サルカニ合戦だって馬糞や臼が擬人化されているくらいだから、昔話とはそういうことが許されるものなのです。

 小鳥の仕事は、スープを沸かすために燃やす小枝を集めてくること。ソーセージの仕事は、沸いたお湯のなかをくぐって、ダシを出すこと。毎日、自分を煮てスープを作っている。過酷。読んでいる私はそう思うが、小鳥はある日、気づいてしまう。

「おれ、一日中飛び回って枝集めてるのに、あいつは、一日、家でごろごろしていて、おれが沸かしたお湯で泳ぐだけやん」

 仕事、とりかえろや。
 と、言ってしまう。
 バカな小鳥。
 もちろん、その結果、小鳥は煮えて死んでしまう。

 他人の仕事はラクに見える。羨んではいけない。己の仕事に誇りを持て。などなど、いろいろに読めますが、実のところ、昔話というものは、その場その場で改変されていく生もので、グリム童話時点で小鳥と豚の腸詰めだったものが「本当は恐ろしいグリム童話」なんていう本もあるくらいで、オリジナルではどういう二人組で、どういう愚かな交換がなされ、どんな悲惨なことになるのか、想像したくもありません。

 グリム童話とは、グリムブラザーズが書いた童話ではなく、収集した昔話の総称。だがいっぽうで、グリム兄弟が、グリム童話の改変を重ねるたびに、性にまつわる要素を薄めていったのは有名な話。

 民俗学者としてあるまじきことであると研究者は言うが、逆にそれがあったからグリム童話は後世へと伝えられたという側面があり、我が師と仰ぐエンタメ小説屋のディーン・クーンツ先生が言うように、自分の作品を自分が生きているうちになんども書き直すのは、できる限り時代の空気に沿わせるという意味で有益なことだ、と。

 グリム兄弟は、空気を読んだ。
 収集したときに、あの酔っ払ったしわくちゃのじいさんは、ほとんど猥談として語っていたが、絶対にあのじいさんの脚色が強いに決まっていて、もしくはあのじいさんのじいさんとか、そのまた近所のじいさんとか。もとはきっと、ずっとやさしくてエロ要素のない話だったのに違いない。

 研究者としてはダメだが、昔話を、みなに愛されるかたちに整えようというくわだてを、悪と呼ぶべきではないだろう。昔話というのが、ほぼすべて脚色の集大成なのだから、その時代の先端で収集した研究者がまた改変をほどこすのだって、昔話の一部だと捉えることはできる。

 私は私ですべてを性的に解釈する方面の人種なので、小鳥とソーセージも、あえてソーセージって間違いなくもとはエロ描写満載だったはず、と信じるがゆえに、自分の書く改変版のタコとイカの話では、ちゃんとベッドインさせた。良い語り部ではないか。己の信念に従い、己の語り口で大胆に変えてしまってこそ昔話。歴史上、どれだけの泥酔したじいさんが、孫娘に卑猥な話をしたいがためにひどい改変を施したのか。しかしそれこそが、昔話。

 そんなグリム兄弟のエロティカルクリンネスの極みとされるのが、かの有名な『ラプンツェル』である。

 ディズニーの魔法によって、時代の空気に沿うよう改変を加えられたアニメーション映画版の登場により、ついには猥談のわの字もいの字も談の字もなくなってしまったバージョンを世界中のみなが認知し、もはや「本当はエロいグリム童話」などというテレビ企画でもあろうものなら、世界中の小さなプリンセスソフィアの親御さんたちが「ラプンツェルはそんな話じゃない!! 娘の大事な物語を汚すな!!」と担当プロデューサーの広いおでこを38口径の弾丸で撃ち抜く事態になりかねないほどに改変は極まってしまった。

tako

 本当はどうであったかなど、昔話には関係ないのである。
 それを気にしているのは研究者だけだ。
 あと、もとのラプンツェルたんがどんなにエロ可愛い少女だったのかを想像せずにはいられない、私のようなのとか。

 ラプンツェル。
 それは雑草の名前。

 和訳ではタイトルが『のぢしゃ』となっていて、ノヂシャ(野萵苣)というのがラプンツェルの和名だからだけれど、お話のなかで生まれた女の子に「のぢしゃ」という名前をつけましたというのはあまりにもなあと思ったのか、そこはラプンツェルと書いてある。だったらタイトルもそのままでいいじゃないか。だいたい、のぢしゃ、と書かれてぱっとその植物の映像が頭に浮かぶ日本人なんていないと思う。

 ホームセンター的には、コーンサラダと呼ばれる。

tako

 トウモロコシ畑に生えている雑草だ。別名ではラムレタス。子羊がむしゃむしゃ食べる雑草だ。要は雑草だ。

 しかしこれ、季節の野草として、小洒落たレストランなどで好んで使われる。育つと花が咲いてしまうので、若くて柔らかい葉のうちに摘んで急いで食べないとしおれてしまうというあたりが、もとは雑草だけれど、季節を感じさせるアイテムとして重宝されるようになったのだろう。

 で、『ラプンツェル』。のぢしゃ。コーンサラダ。食べると妊娠しやすいカラダになるという民間伝承がある(有効成分として、サプリメントでもおなじみ鉄分と葉酸がたっぷりなので、現実的な効果もあると見てよい)。

 ネットで調べると日本語のWikiでも『ラプンツェル』の物語は、

「妊娠した妻がノヂシャを食べたいと夫にせがみ」

 となっているのだが、ノヂシャが不妊に効くという民間伝承がもとにあるのだとしたら、その設定はおかしい。というか、私の手元にある角川書店版『完訳グリム童話』なる本では、

「長いこと子供に恵まれなかった妻が魔女の庭のノヂシャを欲しがる」

 という設定になっている。なんなのだろう。図書館で手元にない、ちくま版や岩波版を確認しようと常々思ってはいるのだが、ほかの調べ物に忙しくて忘れ続けている。だがもしもネット上でのコピペに次ぐコピペで、日本における『ラプンツェル』だけが世界と違うあらすじに改変されているのだとしたら、それも現代における昔話の改変パターンとして研究者さんは研究すべきだと進言しておきたい。

 私は私の手元にある本しか信じないので、Wikiの記述など信じず語ると。

「あのラプンツェルを食べないと死ぬるっ!!」

 と、わめく不妊に悩む妻に手を焼き、夫は、そこが悪い魔女の屋敷の庭だと知りつつも忍び入り、青々としたラプンツェルをひとつかみ盗んで帰り、妻に食べさせると、ますます妻は、わめく。

「めっちゃうまい!! もっと食わないと死ぬるっ!!」

 いやな予感がしつつも、妻にわめかれるくらいならどうにでもなれと、二度目の魔女の庭への侵入を試みた夫は、あっさり魔女に見つかる。

「不妊の妻? ほお。だったらラプンツェルをあげるよ。でもそれで子供が生まれたら、あたしがもらうよ。だってあたしのラプンツェルで、できた子なんだからね」

 夫は、魔女に殺されないで済むのと、妻がわめいているのはラプンツェル食いたいってだけなのだから、それも解決するのと、もはや妻に子供ができないことは確信していたし、というわけで、愚かにも条件を飲む。

 果たして、あっさり妻は妊娠し、生まれて「ラプンツェル」と名付けたその日に、娘は魔女に連れて行かれる。

 その後、塔に幽閉されて、通りがかった王子様と恋に落ち、ディズニーに映画化されるわけだが。

 もちのろん、ディズニー改変では、恋バナ重視である。というか前半は、ないに等しい。童話を寓話として解釈するならば、この物語の肝は「不妊治療薬を未来に生まれる子供を対価として手に入れようとする」愚かな人間の性根である。

 悪い魔女の屋敷の隣に住んでいて、わめきちらす妻だったとしても、そこで夫は「子供なんてボクはいらないキミだけがいればいいのさ隣の魔女もキモいけれど気にせずたのしく夫婦生活をおくろうじゃないか」と言うべきだった。それを、わめく妻を黙らすのに最悪の相手から盗みを働くなんていうのは愚の骨頂である、というあたりこそが説教の大筋。実際にこの昔話が発生した時点では、子宝を望むあまりに民間療法にのめり込み夫婦関係が壊れていく彼らへと、年長者が語った戒めの物語だったのかもしれない。

 そこが、ディズニー映画では、ラプンツェルが魔女に幽閉されてからがメインになっているため、教訓といえば「待っていれば王子様がやってきてなんとかなる」くらいのものだ。それが時代の風。ディズニーの改変魔法は容赦ない。

 そんな『ラプンツェル』。グリム兄弟が収集した最初の段階では、強力な不妊症改善薬によって生まれた不妊症改善薬草の名を持つ少女が、魔女の所有物となって高い塔に幽閉されたにもかかわらず、自慢の強靱な金髪で夜な夜な塔へと男を登らせ、性行為のとりこになっていた。やがて、不妊症改善薬草の名を持つ少女が妊娠し、魔女激怒。少女の髪を切って荒れ野に捨てる。そういう話。

 教訓はなにかといえば、閉じ込められたらおとなしくしていろということだ。たぶん。これも物語発生当時の時代背景を考えれば、わがままをわめく妻などすべての災厄の根源であり、等価交換でもらわれてきたのに働くどころか妊娠してしまう奴隷などもってのほかであろうから。

 そういう話だったのを、グリム兄弟は「王子様との恋が魔女にバレて」という設定に変えていった。グリム童話での『ラプンツェル』最終版は、収集されたものではなく「グリムが語る」という注釈添えである。本人たちも、原形とどめぬまでに改変してしまった自覚はあるのだ。グリムが書き加えた王子様がいなければ、ディズニー版『塔の上のラプンツェル』は誕生しなかったはず。それ以前に、道行く男どもを自身の髪の梯子で塔へと登らせヤリまくって子供ができて悪い魔女にさえ呆れて捨てられる雑草娘のままでは、角川書店に完訳されることさえなかったはず。そういう意味で、民俗学研究者としてはどうだかだが、グリム兄弟はグッジョブだった。

 教訓はなにか。

 思うようにやれ、ということ。
 著作権と肖像権に引っかからないかぎり、世界のすべてを自分色に改変してしまえばいい。かわいいタコの受けが切ない死を遂げる物語だって書きたければ書け。私は書く。そして来年も来る。染めるべきものは、まだまだ多く、時間は足りない。

 では、新しい年で……
 数年前に、元日に凍った路面でスリップしてバイクを転がしたことがあるし、先月は雨のなかで転がって肋骨折っているし、すぐ後ろでトラックが急ブレーキだし、私よりも若い体育教師だった近い親戚は風呂場で急逝したし、当たり前に正月を越えて来年も私が私として存在しているかどうかは楽観しない。だから、お逢いしましょうと言い切ることは控えて、お逢いできたらいいな、との記述にとどめます。当たり前に明日が来るわけではない。気をつけて、生き延びて、目を醒まして立ち上がらなくちゃならないんだ。
 しかし、過ぎたことは言い切れる。
 昔話は、口にすると心穏やかになる。
 むかしむかし、一年が暮れてちゃんと終わりました。
 今年も、おつきあいくださり、ありがとうございました。

 


 昔々、イカとタコが男夫婦になって、所帯をきりもりして、ずいぶんとながいあいだ仲もむつまじく暮らしていた。イカの仕事はイカ焼きを売ること。タコの仕事はタコ焼きを売ること。そう決まっていた。
 タコは、その日も自分の足をちぎっては小麦粉と卵の衣をつけて鉄板で丸め焼きソースをかけて客に振る舞っていたのだが、あんまり幸せがすぎるもので、客に向かってノロケはじめてしまった。ところが客は、ああタコよおまえはなんて可哀想なんだと同情しはじめたのでどういうことかと耳をかたむけたら、おまえは毎日、こんな妙なかたちの鉄板を背負って市場までやってきて、自分の身をちぎっては焼いているが、客がよろこんでいるのはなんだい? おまえのちぎった足なんてすっかり隠れてしまって、粉と卵とソースの味に金を払っているのさ。なんならおまえの足なんか入っていなくても売れるよ。それにひきかえ、おまえの愛しい愛しいと言っているイカはどうだい? あれは毎日、手ぶらで出かけては、自分の足をちぎっているのはおまえと同じだが、ちょいとしょうゆをたらして火であぶるだけさ。でもどうかっていうとみんなは、タコ焼きよりもイカ焼きのほうが高級だって思っているね。なにせ、イカ焼きはイカの身がそのまま焼けているのが見えるからね。おまえが焼いている、それをごらんよ。おまえがイカと暮らしたいってために必死でちぎった足も、見えやしない。損な役目だね、おまえは。
 言われてみれば毎日、イカはタコよりもずっと稼いでいるのに、いつだって早くに帰ってきているのだった。鉄板も粉も卵もソースも背負っちゃあいないのだし、自分の足を焼く手間だってずっとラクなのだから、それはそうに決まっている。なんだかむしょうに自分ばっかり損しているような心もちになったタコは、夜のいとなみのあとで、ピロートークみたいに甘くなく、むくれて言ってみた。

「おいらタコ焼きを作って売るのがバカらしくなっちまった。あしたからは、仕事をとりかえてみたいものだが、どうだい」

 イカは、なにを突然にそんなことをと思ったけれど、タコがあんまりにも顔を赤くしてふくれっつらなので、かわいいやらおかしいやら、やすうけあいしてしまった。そうして次の日、イカは慣れない妙なかたちの鉄板を背負って出かけ、タコは手ぶらで出かけた。たどたどしい手つきで、イカは自分の足をちぎっては小麦粉と卵の衣をつけ、鉄板で丸め焼きソースをかけて客に振る舞いはじめたが、客はイカの容姿がすぐれていることもあって、仕事がおそいのも、おしゃべりできる時間ができたとよろこび、タコ焼きをうまく丸められないイカのことを愛らしい愛らしいと言っては次々と客が集まって、大にぎわいだった。かたちは悪いし焦げてもいたが、客たちは、だあれもタコ焼きの具がイカの足になったところで気にしたりはしなかったし、一生懸命タコ焼きを作るイカを眺めるのに夢中で、具がイカなのかタコなのか気がついてもいない客だって多かったのさ。
 いっぽうのタコは、なんの道具もなしに、自分の足をちぎって焼くだけだなんてラクな仕事だと、よゆうをぶっこいてイカ焼きを焼きはじめたのだったが、もちろん客たちはイカ焼きだと看板が出ているから買ったのに、食べてみるまもなく見るからに焼いたタコの足だったから、ぶち切れて暴れ出した。タコはあわてて、いや違うのですこれは実はタコ焼きでと言ったら、これのどこがタコ焼きだ、タコ焼きってのは丸くてソースがかかったのだろうがと、客たちの怒りの炎に油を注ぐだけで、ついには暴動が起こって、タコはタコ焼きでもイカ焼きでもなく、酒蒸しにされて、足どころか身のぜんぶを食べられてしまった。うまかったらしいよ。
 イカは、慣れないタコ焼き作りと営業トークと鉄板を背負って帰るのでくたくたのしおしおになって、こんなになったのもタコが仕事をとりかえようなんて言いだしたからだ帰ってきたらお仕置きプレイがはかどりますなと張り切っていたのだが、タコが帰ってくることはなく、そのまんま数日がたって、風の噂でイカは真実を知ったんだって。


吉秒匠 『タコ焼きとイカ焼き』

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IkaTako.jpg

タコ殴りにする、という表現がある。
ボッコボコにするという意味だが。
これ、調理法からきているらしい。
タコをやわらかく煮るために、
彼は大根でタコを殴った。
何度も、何度も。
洋食でも、肉叩きという道具があるが。
物理的に素材の細胞を破壊して、
ほらやわらかくなった、というのは、
単純な理屈ゆえに、世界中で古代から、
実践されてきた方法なのだろう。
で、それはそれとして。
写真のそれは、イカである。
紅ショウガと和えてある。
なんのためにかといえば。
「タコ焼き」
を作るためだ。
近ごろでこそ食品偽装の問題もあり、
縁日のタコ焼きも「大タコ入り」などと、
はっきり書いて本当に入れているけれど。
私が幼いころには、けっこうイカだった。
タコよりもイカのほうが安いから?
まあそれもある。
だが、試してみて欲しい。
ボイルしたイカを、見えないところで、
タコ焼きの具にして、ソースをかけて。
「はい食べて」
と出したら、まずバレない。
そうだとすれば、牛肉の銘柄を偽って、
刑務所に入れられる職業なわけでもなく、
ただの自宅のタコ焼きパーティー。
タコをタコ殴りにして、さばくよりも、
半解凍したロールイカを、さばくほうが簡単。
四角いから、整然と欲しい数に切れるし。
殴らなくても、そこそこぷりぷりやわらかい。
業務スーパーで買える冷凍タコのぶつ切りとか、
完全にゴムです。あんなのよりずっといい。
欠点は、ホットプレートだと目撃されること。
そこでボイルのあとで、紅ショウガ和え。
ほんのりピンクに染まる。
乳白色不透明の生地に沈めると、タコに見える。
ぜんぜん、タコにこだわりはないのです。
なんならニンニクとかアボガドとかチキンとか、
そんなのまでタコ焼きに入れているくらい。
だから、タコに似せる必要はないのです。
でもなんだか、こうしたい。
幼いころ、それタコちゃうやん、と言ったら、
「イカ焼きって書いたら紛らわしいやろ」
と答えた、テキ屋のおっちゃんを思い出す。
これはタコ焼きという料理で間違いない。
似せるけれど、ニセではなくて、亜流。
二十世紀は、おおらかな時代だった。
美味ければよかった。
そしてそれこそが真実なのに。
タコ焼きのタコにこだわって、
縁日でゴムみたいな大タコが噛みきれず、
涙目の二十一世紀人はなんてアイロニカル。
イカにすればいいのに。
それを、許せばいいのに。

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IkaTako2.jpg

 ↑焼いているところ。紅ショウガでの色づけによって、実にタコっぽい。白いのは、ニンニク。タコ焼きの具としてのニンニクが大好きなのだが、この調理法はニンニクをホクホクにすることとひきかえに翌日の臭い醸し出し感が半端なく、出かけない休日の前にしか許されざる特別な晩餐である。

 ふつうに考えて、太古のタコ焼きが具材をタコに限定していたわけはない。小麦粉と卵とダシ汁の球。大阪ではいまでも、ほっぺ焼きという名称で、具なしのタコ焼きが駄菓子の一種として売られている。中学生の帰り道の買い食いスポットとしてなら、タコが入って三百円は高すぎるので、具なしで百円。中学生の特に男子とかはアホなので、原価十円もしないだろう、ほっぺ焼きを何皿も食ったりする。家は目の前なのだから帰ってほっぺ焼きパーティーをしろよというところだが、買い食いというところが重要な気分はよくわかる。高校を舞台とした某バスケットボールマンガで、イケメン先輩が某集客の落ち込みに悩むハンバーガーチェーンを彷彿とさせる店においてトレイに山盛りのハンバーガーを毎日食べているかのような描写が出てくるが、それに憧れて実際の高校生バスケットマンが集客に悩む某店でハンバーガーを山積みにしているのを私は見たことがない。百円でも高すぎるのだと思う。ハンバーグはいらないから、バンズにケチャップとマスタードを塗って五十円で売ればいい。ハンバーグを挟まないで半額ならば利益率的には上昇しているはずだし、高校生の特に男子はバカだから、五十円バーガー(と呼んでいいものかは微妙になるにせよ)ならばトレイにピラミッドを作るかもしれず、某集客に悩むハンバーガーチェーンの起死回生の策になるかもしれない。事実、私の通っていた高校の食堂では、男子生徒の強い要望によって、わかめスープ三十円なるメニューができた。食堂でダベりたい。けれどもっとも安いメニューでも素うどんで、実のところうどんを食いたいわけでもなく、時間を潰したいだけなのである。おばちゃん頼むよ、校則でなにも頼まず食堂にいると出て行けって言われるんだ、もっと安いメニューをさあ。そうしてできたのが、寸胴で常時沸いているラーメン用の鶏ガラスープにわかめをぶっ込んだだけという代物。しかしこれが売れた。何杯もそれだけで粘るやつ続出で、男子に追随して女子も中華わかめスープをすすりながら談笑するという習慣ができあがり、ついには職員会議で塩分の摂り過ぎが問題視されるようにまでなってしまった。その後、私の在学中には、わかめスープ用の薄いスープが別途沸かされるようになり、おばちゃん大迷惑なことになっていたが、いまでもあのメニューはあるのだろうか。

 まあ、つまり。
 イカでもタコでもいいじゃないか。
 鉄板を囲む空気がおいしいものなのだ、こういう料理は。


tako

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※関連記事

『たこ焼きの配合』のこと。

『ルンペルシュティルツヒェン』の話。




・ タクミにいちゃんタクミにいちゃんとしたってくれた従妹から結婚式の招待状がとどいた。実弟ふたりの結婚は「そうなんだ」というくらいのものだったのに、いとこの結婚に胸が詰まる自分におどろく。嫁ぐという響きは、なんだか想いうずまいてやまない。

・ 彼にも逢ったことがあるし、いまの彼女に対して含む感情などないのだが。私の祖母は、いとこ同士だった。だから「結婚できる距離」というぎりぎりの境界線がそこにあることを幼心では意識していたかも。とか。だからなんなんだというようなこともいろいろ考えながらの祝杯。おめでとう。

twitter / Yoshinogi

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 それが半年前のこと。
 その従妹の結婚式には、ちょうど出産が重なって行けず、その年の年末……つまり今月。彼女の弟、私にとっての従弟も、結婚式を挙げることになった。

 従妹にも、やっと直接の、おめでとう、が言える。
 向かった先は、神戸三宮フラワーロードの山手迎賓館。

 オシャレな言葉の響き。
 そっと教えると、私のバイクは神戸ナンバーで、いまは大阪在住だから、まわりからいいなあと言われるのだけれど、そんな私からしてみても、特別感のある会場。 

 なかはこんな感じ。

oozizoo03.jpg

 二階バルコニーからお色直し後の登場があったり。

oozizoo04.jpg

 大きなお屋敷ではあっても一軒家な造りなので、披露宴と書くよりも結婚お披露目宴会と書いたほうがしっくりするくらいに自由な雰囲気になる。そういったわけで数十人規模での披露宴なのだが、だれもかれもがあっち行ったりこっち行ったりで、写真を撮ると見知らぬだれかが入ってしまうため、ここにアップできるのは天井風景ばかりになってしまうのでした。

 結婚式自体は、人前結婚式。
 神父も牧師も神主も族長も占いバアバもいない、親戚知人の前で誓いをたてるというの。そういうのは、司会進行の腕に成否がかかってくるものですが、山手迎賓館のスタッフさん、若い女性なのですが、滑舌良くて雰囲気もいい。指輪交換の前に誓いのキスをしはじめようとした従弟のことを、ちょっと待ってくださいっ、と、お願いして止め、参列者を爆笑させたタイミングの取りかたなど、不測の事態をさばくことまでできる能力はスポーツの生実況アナウンサーでも通用しそうなほどでした。

 というか、ここのスタッフさんの平均年齢が、妙に低い。まったく調べないで憶測で書きますが、きっと全国各地でこういう結婚式場を運営しているベンチャー企業なのではなかろうか。なんというか、司会もカメラマンも、披露宴会場の給仕たちも、みんながインカムつけてやりとりして動くさまが軍隊チック。ホテルの結婚式でもよくありますが、通りがかっただれかに「ビールおかわり」と頼んだら、そのひとが持ってくる、という居酒屋方式ではない。だれに頼んでも、おそらく司令官へいったん指示を仰ぎ、そこからトップダウンで命令が下りてきて、駒が動く感じ。

 気持ちよかったです。ただ、いかにもゼロからノウハウ築きました、先輩と呼べるひとはだれもおらず、自分たちでやりかたを見つけてきました、という雰囲気だったので、マスゲームの駒か特殊部隊の隊員かというくらいテキパキ動けるようになったいまは素晴らしいが、きっと最初の数年は目もあてられないほどにひどいありさまだったに違いないと、勝手に確信したりもしていました。

 巨大プロジェクタースクリーンを二基装備で、映像と音楽をもって飽きさせない。当日の動画を即編集してスクリーンに流すなど、裏方さんも凄腕。実は挙式の記念撮影で、うちのゼロ歳の息子がギャン泣きしたのですが、現場でも「泣き声は写らないですからー」と場をなごませてくれたのに加え、動画では息子の泣き顔をインサートして、会場を笑わせてくれた。ちゃんとこうしたらこういう空気になるというのがわかっていて、それを数十分で仕上げる。あの映像技術、これも推察ですけれど、たぶん高価い。良いスタッフ使っているのか育てているのか、なんにせよ、ちゃんとギャラ払って優秀な人材を逃がさないでいる会社は、良い会社だと思う。

 スピーチの類も、事前に依頼してあって、それ以外のひとにはいっさい振らない。ケーキカットも、飲めや騒げばやっているひとたちを、無理に集めたりしない。まあストレスのない式でした。いや、新郎も新婦も飲むひとなので、飲んで食っていってくださいと本人たちも言っていたように、まさに宴会だった。従弟は、親戚のなかでもいちばん背が高くて、二メートルほどある。幼いころからサッカーをやっていて、そういう友だちも集まっている。もちろん、スクリーンには新郎がケツを出している写真が映されたりする。私だったら、これにかけたであろう札束で新しい大きなバイクが買えるなあ、と思ってしまうが、そう大規模ではない式を、気取らないかたちで、でも贅沢に仕上げたいという向きには、札束を惜しまず最高の一日のために使う最適の式場です。

 私も従弟も、結婚前にすでに同棲して長くて、私は式なんてやらないと言い切っていたのだけれど、まわりに親戚だけは集めろと諭されてそういう式をした。従弟のほうは、まったく逆の感覚で、式はちゃんとしようと貯金してそれをした。性格的に、純白の山手迎賓館で、純白のタキシードを着て、純白のケーキを彼女と食べさせあって、ケツを剥いた写真をさらし「タクミ兄ちゃん、おひさしぶりですっ」と抱きついたりするような、そういうハイテンションなところに私は立ちたくないが、従弟には似あっていたし、あのふたりは、仲睦まじくやっていきそうな気がする。

 と。褒め倒しても「山手迎賓館 結婚式」でググってここに来られた、式場絶賛おさがし中のみなさまにおかれましては、けなすところはないのかという情報こそ欲しているものだと思うので、書き添えておきましょうか。 

 うちの親戚は、血筋としてアルコールに強い。私の座っていたテーブルは、そういう先天的酒豪が集まっていて、まあ飲むんだけれど、平気な顔をしている。冷静に酒の銘柄を選んでいたりする。ちゃんぽんもなんのその。結果、会場でおそらくもっともスタッフの手を焼かせたテーブルになっていた。前述の通り、この会場のスタッフが軍隊的に優秀なので、同じテーブルで何種類もの酒を次々頼むのに対し、いちいち注ぎに来る。優秀なのでグラスをカラにすることはない。だが、雰囲気は完全に宴会なので、違和感がある。そのワインボトル、置いていってくれたらいいのに。飲みかけのビール瓶がテーブルに並んでいくのが宴会ぽいんやんか、と思ったりする。頼むとワインの底のカスまで注いでくれるし、ビール瓶を預けてくれたりもするのだけれど、なにせ軍隊だから。規範があるようで、かたくなにそれを守ろうとする。

 白身魚をフォークで突き崩してそれをつまみにベルギービールを傾けている至福の私に向かって、白ワインがあいますよと勧めてきたので、いただいたのですが。うーん。そこはビールを注いで欲しかったかなあ。

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 「Takumi (はーと)」と新婦みずから書いてくださったお茶目なサングラスなどをかけて何度も乾杯する雰囲気なのだけれど、スタッフさんの行動規範のもとになっているのが、どうもホテルマン。そこは居酒屋チックでいいのではないかと感じる部分はあった。

 お品書きも、かたくなにフルコース。求められているのだろうか、それ。もちろん、お酒飲まないひともいるわけだから、きちんとしたコース料理が出てきて嬉しいわという方々もいらっしゃるのだろうけれど、私は新郎をよく知っている。あれが、これで飲みまくってくださいと選んだ料理に、ポタージュスープがあるというのはどうも解せなかった。

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 これでどう飲めと。いやまあスープは飲むものだけれど。スープで酒は飲めない。たぶん、料理のランクは選べるが、どれもコース料理設定で、このパンプキンのポタージュスープ、パンプキンチップスにして出してあげたらタクミ兄ちゃん喜ぶと思うんですよね、なんていう融通は利かなかったのだろう。残念だ。スープは美味かったが。あの雰囲気のなかで、粛々とポタージュを口に運ぶのが、なんだか可笑しかった。身長二メートルな、かつてのサッカー少年の友人たちとその親戚たちが、浴びるように酒をあおっていたのがポタージュスープ登場で、しかもこの皿だから白髪酒豪大男な叔父さんもグビグビいくわけにはいかなくて、スプーンを使って猫のように舐めはじめ、静かになる。コース料理だから仕方ない? とはいえ、けっこうな人数が「いまここににスープ出てくるか……」と思ってた。私は思った。茹でたカボチャ丸のまま出したほうが盛り上がったのではなかろうか。

 とまあ、そんなふうだったのでした。
 式場レポート終わり。

 歳が離れているせいで、風呂に入れてやったり、生協のゲームコーナーでメダルゲームをおごってやったり、夏休みともなれば親戚が集まるが、それすなわちみんな家で飲んでいるということなので、私も飲めるようになるまでは、完全なベビーシッターとして過ごした十代のころ。おかげでタクミ兄ちゃんと可愛い従妹たちに慕われて、二メートルの大巨人に抱きつかれたり、いまでもするのですけれど。

 従弟、私の末の弟と、同年代。
 彼らの共通点。
 結婚式で語った、夫と妻、互いの第一印象。

「凛とした大人の女性だなあ」

「すぐ仕事辞めそう」

 思えば最近、私のまわりで結婚した男性は、例外なく五歳から十歳上の女性がお相手だ。今回の式でも、向こうの親戚さまが私のグラスにビールを注いでは、

「チェルシー(仮名)は、これでもうヨシノギ家の人間ですから、煮るなり焼くなりしてやってください」

 などと、のたまったりするのだが。
 後ろで流れているプロジェクション映像が見えていないのか。どう見ても、おたくのチェルシーちゃんが、二メートルのうちの従弟を公私ともに煮るなり焼くなりしている感じなのですが。

 そういうカップル、多い。
 こういうのをつかまえて、近ごろの若い男が草食だからとかピヨッてるからだとか言われがちだが、よくよく見てみれば、私のまわりも男のほうが年上というカップルは多くいるのだ。ただ、結婚しないのである。結婚というかたちになるのが、この組みあわせが多い。あくまで最近の私のまわりでの話だけれど。本当に多い。

 さっきの双方のコメントに、凝縮されている感もある。
 恋愛は意外性だと言うし。

 職場に新しく入ってきた、八歳下のガキにしか見えないボク。すぐ辞めそう。でも五年経っても辞めない。それどころかちゃんと働いている。

 冷静に考えれば、ちゃんと働いているというだけのことが、最初の印象があるだけに、意外性として機能する。

 逆は、もっとチョロい。
 八歳年上の、職場の先輩など男女問わず怖そうなものに決まっている。が、たいていのひとは、五年もいっしょにいれば、鬼ではないと知れる。結果、チェルシーは特別なふるまいはなにもしていないにもかかわらず、彼における最初の「大人の女性」フィルターにより、なにをやっても「大人の女性なのに可愛い」となる。

 あげく、大人の女性に求められる。
 え、オレなんかが?
 なに言ってんの、あんた、自分で思っているより、すごいしっかりしているわよ。

 まあ、チェルシー目線で勝手に無能な新人扱いしていただけだが、終わりなのか始まりなのか、良ければすべて良しである。

 これが、年上男性と年下女性の場合、同じフィルター効果で意外性演出されて、くっつくことはあっても、じゃあ結婚しましょうか。という流れに、なかなかならないのだろうなという推測は難しくない。後輩女性の側からプロポーズしてしまえばすんなりいくのかもだが、まだまだいまの日本では「すぐ辞めると思ったのに意外にがんばっている後輩女性」として先輩の恋心を射止めた女性の側から、つきあうだけじゃなくて結婚で! という、ややこしい話は振りたくないものであろう。

 かくして、国民総活躍国家になりたての本邦では、年上女性と年下男性の結婚式がすごくしっくりきて、その宴会の場で「うちのチェルシーをどうぞ」などと発言する家制度が抜けないおっさんたちは、滑稽でさえある。

 そういうことをあらためて思いながら、そういえばあの夏の日、従弟妹たちを連れまわして、おじいちゃんおばあちゃんの家に帰ったら、だれかとだれかが必ず怒鳴りあいをしていたり、号泣していたなと記憶がよみがえる。

 うちの家では、結婚とはそういうものだった。
 そのために結婚したのかと思うくらいに、怒鳴る泣く。
 親戚がみんなそうだし祖父母もそうだから、子供たちも、なんにも心配していなかった。結婚とは、ああいうもので、お姫様と王子様のものではない。おじいちゃんとおばあちゃんは従兄妹同士で、幼いころから、死ぬまでケンカしていた。でも、幸せに逝った。

 良い式だったなあ。
 あ、ここで、山手迎賓館での結婚式における参列者のちょっとしたことを、もうひとつ。なにせ迎賓館で、入り口がひとつしかない。もとは一日に一度のパーティ-で使われていたのだろうが。現代の結婚式場となってからは、日に何組かが訪れる。当然、ホテルのように共用のロビーがないので、前の組の参列者は、迎賓館の建物そのものから追い出されて、道路でたたずむことになる。二次会の話などは、路上でおこなわれる。

 子連れで、しかもゼロ歳児で、さっき記念撮影でギャン泣きしたのなどを連れていると、二次会など、とんでもないわけで。

 そそくさとタクシーへと乗り込みました。

 まだお昼過ぎだったから、すぐ近所の王子動物園へ。

 私、薬屋なので、確固たるエビデンスのない通説は信じていないのですけれど。妻が言うには、生後一年以内に動物園に行けば免疫力が上がってアレルギーになりにくいのだとか。

(ちなみに、あとでちゃんと調べてみたら「農家の子」と、そうでない子とを比べた実験が元ネタ。あと、ペットを飼っている家の子も、確かに免疫力は上がる模様。そういう意味では、夏休み中を牛農家で過ごし、家には猫とニワトリとカエルとザリガニとスズメとインコと、数えきれないほどのゴキブリとクモとダンゴムシがいた、私が花粉症にならないのは当然だな。その理屈で見れば、午後の数時間を動物園で過ごしたくらいで、どうこうなるわけがない。が、それを論破しないのが夫婦である)

 日本で唯一、パンダとコアラをいっしょに見られる動物園。
 兵庫県立美術館がそばにあったので、美大生だった私は、大人になってもついでによく訪れた勝手知ったる動物園。美術館の移転にともなって、ついでに訪れることはなくなってしまった。

 ああ、久しぶりのなつかしい場所……
 だったのだが。

 妻は神戸山手の坂をおしゃれな靴で歩いたせいで靴ズレがと言ってベンチへ向かい、閉園まで一時間もないから、だったらこいつとコアラとパンダ見てくるわとベビーカー押して歩き出したら、肝心の息子は泣いて食って騒がしかった反動からか、すっかりおねむで。

 十二月らしからぬ陽気で、ネクタイは取り、第二ボタンまで開けて、オールバックの黒服で、ベビーカーの中身は眠っているので話しかけることもせず、ただ淡々と見た、ひさしぶりのパンダは、こんな状態だった。
 ぴくりとも動かず。

oozizoo01.jpg

 穏やかな一日でした。
 画像フォルダの名前を書いていて思った。
 公式には「OJIZOO」と書くの、

 「OOZIZOO」

 って表記したら左右対称で、ロゴ、格好いいのに。
 歴史ある動物園に、いまさらな提案だけど。

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神戸市立王子動物園【公式】

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 まあ、あれだ。
 これを読んでいるはずもないから、ここで言うのもなんですが。
 でっかいが可愛い年下の従弟よ。
 同じあの夏に育ったから、心配していない。
 やっていける相手が見つかったのだな。
 それはすごく、幸運なこと。
 おめでとう。
 よかった、よかった。