そんなこんなで。
近ごろ『とかげの月』は料理ネタが少ない気がするというあなたの漠然とした印象は真実です。この半年ほどは妊婦となった妻が家にいたため、めっきり料理をする機会が減っていて、作るのは実際的な晩ごはんだとか、お弁当だとか、ここでネタにできそうなものがなくなってしまっていたから。
パンやピザは週一以上の頻度で作っているのですが、ピザは前にレシピを書いたことがありますし。パンはなかったかなあ、と思っていちどネタにしてみましたものの。
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『きみのためにパンを焼く』の話。・・・・・・・・・・・・・・・・・・
製作工程をまったく撮っていなかったので、本域の料理ブロガーさんたちが見たら、お目汚しにもほどがあるっちゅうねん雰囲気だけで料理語ってんじゃねえぞ的なツッコミさえされない、事実、レシピとして検索ロボにも拾ってもらえないカワイソウな回になってしまいました。
作りながら写る。
そして新機軸。
料理ブロガーの、初歩の初歩の初歩というか、自慰的にそんなことくらいはやっておくクセがついていなければ継続など不可能です。その大事なスキルを、半年やそこらで、どこかへやってしまった。
こりゃまずい。
というわけでリハビリテーション。
というか、出産のために入院してしまった最強生物主婦が半年ほどぶりに我が家から姿を消し、ブログがどうした以前に、今夜の晩ごはんを自分で作らなくちゃならない。
まさにリハビリ。
●第一夜。

……どこが料理か。
卵がね。
トマト味。
ピザやタコスのソースとして常備している煮詰めたトマト缶に塩コショウバジルなどを加えたそれも、ピザを焼く頻度が減ってそろそろ冷凍しないとまずいかもな梅雨だし、なんて思っていたところだったので。
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『トマト缶でサルサソース、タコスに暮れる』の話。・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ドーナツは分娩室に立ちあう私に義母が差し入れで持ってきてくれたものだったのですけれど、チョコレートがけふたつにコカコーラ社のロイヤルミルクティーを添えて私に渡して、戸惑う私にやっと気づいたのが三十秒後。
「あ……タクミさん、甘いもの食べないものね、食べないわね、これ。でも持って帰って」
初孫というわけではないのですが、そうとうとっちらかっていた。
で、けっきょく私は自分のリュックに入っていたカロリーメイトと綾鷹で体力を維持し、あれやこれやでいろいろあったのですが、家に帰って、気づく。
ドーナツ持って帰ってきちゃった。
いや、甘いものを食べないわけではない。事実、ミスタードーナツのポイントカードを集めてミスドプレートをもらうくらいに通っていた時期もある。味が嫌いなのではなくて、その後、筋トレにハマって、せっかくのカロリーを甘いもので摂るという行為がたのしめなくなってしまっただけなのだ。
なので、その夜は食べた。
切実にカロリーを必要としていて、たのしむ気などさらさらなく、目の前にはドーナツがある。問題ない。卵をふたつ茹で、刻んだ生タマネギとあえて、米酢とトマトソースを足し、塩コショウ。クラッカーも添える。きみのために焼いた白いパンも冷凍されていたのでグリルで炙る&タバスコ&ビール&テキーラ。
そういうわけで、上の写真が生々しい理由。
いちど袋から出したものを袋にもどし、リュックの中で数時間。ピンクのチョコが汚れてひび割れた。ミスタードーナツのプレートに載っているけれど、これはローソンで買ったドーナツ。そのあたりの険悪な空気感も上手に写し取れているのなら、リハビリも進んでいる証拠なのだが。
ドーナツが汚いし、卵サラダもレシピ書くほどではないし、なによりちょっとおもしろいかと思って、これ見よがしにミスドのロゴを見えるようにローソンのドーナツを配置するあたりが逆に醒める。
●第二夜。
お弁当の具がなくなった。
それはつまり、冷凍庫に詰めこんでいた揚げ物がなくなったということである。ありがたいことに妻が料理をすると晩ごはんの残りが見事に翌日の弁当の主役になっていたりするのだけれど、私だとそうはいかない。私は一ヶ月分をまとめて揚げて冷凍して、それを機械的に弁当箱に詰めこむ作業に悦びを感じるようなタイプなのである。
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『ロースカツをまとめてあげる』の話。・・・・・・・・・・・・・・・・・・
その肝心要の月初めの揚げ物をやっていないので、冷凍庫がカラ。自明の理。狸の心得。だったら揚げろ。いま揚げろ。

フィッシュ&チップス。
アジだけど。左半分はトンカツだけれど。
トンカツは上の記事で書いたし。
アジフライとか、別に特筆すべきこともなく。
チップスはポテト。フライドポテトをいちから作るほどヒマではないので、買ってきたのを揚げただけです。またもや、きみのために焼いたパンを炙ってある。どんだけパンが冷凍してあるのか。邪魔なので消費します。パンなんてなくなったら焼けばいい。ほかに冷凍すべきものがいくらでもあるのだという簡単な理屈がなぜわからない。
……もちろんこの日は、昼間は仕事に出ているわけで。帰ってきて真夜中に、プロレス見ながらビール片手に冷凍庫が埋まるまで延々と揚げ物をしているハードワーク。写真のために皿に並べてはみましたが、本当は料理しながら食べて飲んで、食卓にもテレビの前にも座らずに、歯を磨いて寝ました。私、寝る前に食べることを禁忌としておりません。むしろちょっとでもカロリー摂って寝るようにしている。とはいえ、揚げ物づくしは肌にくるのでやっぱりダメです。リハビリはじまったばかりなので、そういうこともある。
●第三夜
餃子。

皮は買ってきた。
キャベツと白菜が半分ずつで、ニラとタマネギ、ブタ挽き肉。葉物は茹でてから刻みます。以前、皮から作る餃子のレシピを書いたことがありましたが。
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『肉なし餃子を冷凍庫に詰め込む』の話。・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ああいうのはお客さま向け。ふだんプロレス&ビールで食すなら、皮は買ったほうが早くできていい。生地こねるくらいなら、ピザとかタコスとかのほうが好き。
焼き餃子は偉大な発明です。
写真の右上に見切れているのは豆板醤のビン。三秒後、スプーンで赤いのをぼちゃぼちゃぐるぐるタレに試みて、写真うつりは悪いけれど私の好きな辛いのにかえた。
もちろん、おすすめの鉄フライパンで焼いております。
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『おすすめのフライパン』の話。・・・・・・・・・・・・・・・・・・
鉄がくっつくとか妄想だから。新品の鉄フライパンはくっつくけれど、前夜もこれでもかというくらいに揚げ物したそれをもってすれば、餃子などぺろんだ。
餃子を作るときは具を三倍量くらい作って、これも冷凍します。冷凍庫を開けば一ヶ月は晩ごはんとお弁当に困らない。それが私の理想。その理想が、台所の主役から半年ほど離れていたせいで、崩れさっている。彼女の居ないまに、私好みの揚げ物と各種調理済み具材の詰めこまれた冷凍庫へと復元するのです。これぞリハビリテーション。いまふと思ったが、このタイトルだと「料理で」リハビリテーションする介護関係の記事としてヒットするおそれが高いな。でもこのままいくぞ。これが私のリハビリ。これでこそ『とかげの月』。迷い込んだあなた。ここにはたいしたものはありません、好きに通過していってください。
●第四夜
ピザ食べたーい。
生卵のっけ。

なぜ焼く前の写真?
生卵のっけピザは、食べるときには汚らしいからです。
見とく?

美味いのだけれども。
自分で自分のために、自分だけで食べるときにしか作らない。いつもはゆで卵をスライスして載せます。
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『ピザ生地とソースのレシピ』のこと。・・・・・・・・・・・・・・・・・・
●第五夜
冷凍庫の遺物を発掘中に炊きこみごはんを発見。うむ、これも新たに作りなおして記事にしたいところだ。いま冷凍されているものはすべて片付けてしまおう。
(基本。古いのが残っているのに新しい同じものを作って詰めこむと、永久に最古のワンパッケージが消費されないという事態になりかねません。いくら冷凍でも、家庭用冷凍庫では、何ヶ月も食品の品質を維持できる冷気は保てぬ。単純に開け閉めするだけで外気にたびたび触れるわけですし)
パイ皿に敷き詰めて、二夜連続、生卵のっけ。
余熱なしのオーブンで250度20分。
こんな感じ。

ちょっとこってりしたものに飽きてきて、料理なのかさえも怪しくなっています。ひとりだと、実のところプロレスとビールでいいんだ。ビールにもカロリーあるんだ。
●第六夜
鶏の軟骨と、冷凍のニンニクの芽を焼く。
至高のつまみ。
これぞ料理。
おいしい七味唐辛子でいただきたい。
ビールと。

あとで、冷凍の枝豆も茹でました。
そんな写真はいらんだろう。
で、と。
これのどこが料理ブログだと。
いや、料理ブログになっていないから、リハビリしているのです。
そこのところ忘れてはいけない。
●第七夜
お七夜、という行事があります。むかしは、産まれても一週間生き延びられない子も多かった。とあるドキュメンタリー番組で、大自然で暮らす部族の子だくさんぶりに驚いたリポーターが、彼らに問いかけた、その答えを印象深く記憶している。
リポーターは、こう言った。
「日本では、ひとりかふたり、三兄弟以上は、現代では珍しい」
裸で、我が子を抱いた、女性が訊き返した。
「ひとり? その子が死んだらどうするの?」
いま、胸に、おっぱいを飲む新生児を抱えている母親が、すなおな疑問としてそう口にする。いま抱いている、その子が死ぬことも当たり前なこととして考えながら、もちろん、愛している。
プロレスを観ているときに、よく口にする言葉だけれど。
説得力があった。
だれの代わりもいる。
ヒトという種の細胞のひとつにすぎない。
だからまあ、隣人を愛せよ。
手の届くところのあったかい命を抱いておけよ。
つきつめれば、私がいる、それだけ。
いなくなればいなくなる、それだけ。
一週間、生き延びたので、お祝いの料理。
買ってきた。
シャンパンのつまみ。
それでいい。
これが料理。
総菜でも、プロの仕事は違うな。

一週間、私も生き延びた。
私はここにいて、酔って食う。
あなたの目を気にしつつ。
そこがリハビリテーション。
ブロガーですもの。
説得力が弱いという、課題を見つける。
次回は、炊きこみごはんを作りなおします。
ちゃんとレシピ顔になるように撮ってくる。
いやまあしかし、なんにもできませんよこれは。
授乳は任せっきりなので、私の仕事は大人の食事と洗濯と朝の沐浴くらいのものなのですけれども。
と、いうわけで。
今年もたのしいE3の季節で、あれやこれやくっちゃベリたいところなのですが。
(みなさん誤解されていらっしゃるが、日本のXbox信者のほとんどは『Halo』がその器に降臨される以上、信奉せざるをえないので信奉しているのであって、こっちにはこんなスゲエのがきちゃったよざまあみろとか言われても、ぜんぜんざまあみないのです。しかし『シェンムー』がいまになってというのは、かつてのセガっ子として無視できないものがあります……なんか設定画とかキャラとか、昔の資料をそのまま出している感なので、そのあたりがいろいろ心配ではあるが……ニュースが多いというのは、いいことだ。もっとやれ)
じっくりものを考える時間がない。
インプットしたものをアウトプットできるように変換する脳の部分が、別の作業に割り振られて使われてしまっている感じ。
なので、自分のことを語るしかない。
語れることは、いま、それしかない。
息子が生まれたから、ここを育児ブログにしたりとか、そういうつもりはさらっさらないのですが、書けることがそれしかないのだもの。
(そんなわけで、現在、この国では2%の男性しか取得していないらしい育児休業をがっつりとはいえなくてもまったりくらいの量では取ってやろうと根回し中。私、いま勤める店で資格者が三人しかいない薬店の管理者なので、私が休むということはすなわちドラッグコーナーを完全閉鎖せざるをえないという状況を生むのですが、そんな私が取ってこそ、この国も一歩進むのだと信じて。この目論見が成功したかどうかは、またいずれ書く)
薄暗い部屋で撮っているので、ぼけぼけですが、息子が我が家に現れた夜は、三沢光晴七回忌の夜でした。

緑のマットに流れる『ノア・バージョン・スパルタンX』が、息子の初めて聴いたプロレス入場曲になった。なんだかそのことに潤んでしまう私。あのひとのようになりなさいとは言えないけれど、ああいうひとに支えられていまの人類はある。だれかをたのしませるために自身の人生を賭ける勇者たちによって、ヒトは狩って食って寝てまぐわってだけの動物から、芸に泣き、紙に書かれた文字の列に物語を理解して癒される、奇妙で愛らしい宇宙人になれたのだ。
それはそれとして。
うん。別に。恥じることはなにもないとも。成長した子供の生涯収入は育った家の蔵書の量に比例するという、まことしやかな説があるが、だとしたら本のために引っ越しをくり返したような我が家の蔵書量たるや、その本を積んで家が建てられるくらいだ。
ただ、私の書斎が。
いや、小難しい本だって多いのだけれども。
半分、ボーイズラブ。
違う。冊数で言うと違う。ただ、その手の雑誌が、妙にかさばるから。安い紙で、ページ数が多くて、コンクリートブロックみたいな質量のくせに、毎月何冊も発刊されるから。
師と仰ぐディーン・クーンツは言った。
「良い書き手の前に、良い読者でなければならない」
だって私、ボーイズラブを書くのだもの。手塚治虫は、マンガを描きたいならマンガを読むな、とおっしゃったらしいですが、それってもちろん他の書き手が観ていない映画を観ていればそれが武器になるし、哲学や宗教に一家言あったほうが作品に独自性も出るという意味ではあるのだとしても。だからって、マンガをまったく読まないでマンガが描けるわけはない。御大はわざわざ言わなかっただけで、それはもはや病気のように意識せずとも摂取する大前提。
新聞だって、隅から隅まで読むわけではないけれど、毎朝買って読んでいる。だったら小説やマンガの雑誌だってそういうもの。ただ、私、書くから。哀しいことに作品そのものはそこになくとも、そこかしこに自分の名前や書いた作品名は載っている。売れないままに長いので、知りあいの作家さんもあまたいる。まあ、そういう方たちの作品は本にまとまったらまた買うので、雑誌を置いておく理由にはならないが。ほら、イラストとかって、雑誌だと大きくて魅力的。あれやこれやと捨てにくい。
新聞のように読むBL雑誌を、新聞のように紙のゴミの日に出さず、本棚に置いておくと、すぐにそうなる。なにせコンクリートブロックみたいですから。毎月、何個かでもブロック積んでごらんなさい。家なんてすぐに建つ。
(E3の話をちらっとしてしまいますが。マイクロソフトの未来技術でプレイする『マインクラフト』がね、もうね、たまらん。エイリアン解剖ビデオをプレイしたいです)

建ってしまうと、なんというか、きっかけがないとですね。動きませんよ、そりゃ。重機が必要ですもの。でも家のなかでのことですし。重機ってつまり私の腕と腰ですもの。捨てたくないページとか、選りわけてちぎったりも必要です。面倒くさい。本のために引っ越すことの弊害。置こうと思えばまだ置けるので、捨てない結果、地震が来て崩れたら「あのひとはBL雑誌の下敷きになって逝ったのね本望だと思うわ」などとお葬式で未亡人に泣かれるような状況に。
妻は、いいですよ、別に。
そういう私と知ったうえでのことですから。
変な言い回しだけれど、他人同士がこいつならと選んだのだから、なにがあったって自己責任な部分もあるというところで、他人ではない。
でも、息子は、まごうことなく他人。
子は親を選べないというようなありがたい教えもあるように、妻が夫を選んだり、弟子が師匠を選んだりするようなものではない。なんの関係性もないまったくの他人。
生まれて出てみたら、父親とかいう位置にいるひとが、ボーイズラブに埋もれて死にそうなところで売れないボーイズラブを書いている。
いや、恥じるところはないのですが。
きっかけには、なった。
整理整頓、はじめました。
めくって選んでちぎって束ねて、ヒモでぎゅっと縛る。
私、そういうの仕事でよくやっているので。
魔法のようにきつく縛れます。
三日がかりで、書斎の半分を、そうだなあ。五分の一くらいにはした。
そうしてみてから、紙のゴミの日が遠いことに気づく。
縛ってしまったので、本棚にはもどせない。
我ながらプロの手による緊縛なので、ほどけない。
床に並べてみました。
ああ、ちょうど、それくらいの広さだなあ、と思った。
まだ病院にいて、未使用の、義父母が買ってくれた。
くまのプーさんのベビー布団。
敷いてみた。

ボーイズラブ雑誌マットレス上に敷かれた息子のための新品プーさんベビー布団。もっとシュールで面白い感じになるかなと期待していたのに、なんか、なんというか、自己嫌悪的なあれが沸きあがってきた。
いろいろ考えすぎて、とっちらかった文章になっています。
しかしはっきり言えることもある。
書斎の半分を埋めて私を殺そうとしていたうずたかく積まれたボーイズラブ雑誌たちとの決別、という一部分だけを取ってみても、このことによって変わっていく私は確かにいるのです。
考えてみれば、崇高なる三沢光晴の七回忌に、『ノア・バージョン・スパルタンX』を聴きながら、潤んでいるのは三沢のことや、自分のことではないわけで。彼の生まれて初めてがそれだったということが最重要事項になっている、そのことをまた違和感なく受け入れている、私の脳は……いや、良いことなのかもしれないけれども。
私は、来月も、もし取れたならめでたい育休を使って、ボーイズラブ小説を書いているだろうか。書き続けられるのだろうか。
自分のなにがどう変化しているのかがわからないので、なんだか怖い。
ああ、ほら、すっかり子育てブログだ。
こんなふうにしたくなかったのに。
これしか書けないと思ってしまう。
良いのか?
だいたい、良い悪いも、なに基準だ。
男の子が生まれたら最初に、BL本を捨てる。
恥ではないけれど誇りでもないのか。
でも五分の一だ。ぜんぶは捨てていない。
そうしたら書けなくなるし。
この儀式は、私にとって、なんなのだろう。
どうしてその雑誌たちの上にベビー布団を敷いてみたくなったのだろう。
心理学的に、ばちっと答えが出そうな行為のような気もするが、その答えは聞きたくない。
自分でさがす。
いまさらか。
いまからなのか。
私は……
なにものだ。

(ベビー布団の写真に写っている雑誌の銘柄が偏っていますが、これはこの出版社の雑誌ばかりを捨てたということではなく、写真に撮ろうという下心が縛った時点であったために、見える銘柄を周知のものとしたにすぎません。実際には、各社まんべんなく捨てました。私が少女マンガにハマったのは、幼いころ近所に住んでいたお姉さんが捨てるために玄関前に出していた別マの塔を譲り受けてのことだった。そうしてみれば私のこれも、こっそり紙のゴミの日に読める雑誌ならなんでも持って帰るつもりで拾いに来た少女か少年の道を踏みはずさせるかもしれないと想像すればそこにも輪廻が浮かびあがる。合掌)

息子が生まれました。
書くべき原稿のすべてを書き、おだやかに過ごすはずだった、休日に。家のなかの雰囲気に、いまこそ産まれるときと察したのかも。
いろいろあって。きっと、私の知らないこともいろいろあって。手紙を交わすこともなくなってしまったのだけれど。あなたと出逢わせてくれた、この「とかげの月」に、いまもときおりは目を通してくれていると信じているので、ここに記しておきます。
私に、こうやるのだと、教えてくれた。
私のことを、ライバルと呼んでくれた。
私に、書く、人生をくれた。
いいえもちろん。
あなたにとどいていない私の日々は、続く。
でも。
だからこそ。
飢えることで、満ちてもいる。
いまの私がここに在る。
考えるほどに、至る結節点での指針だった。
あなたの名前を、息子にもらいました。