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 まだ少女と呼ぶべき年齢の彼女は、看護婦だった。

 その呼称が正式なものだったことからもわかるように、当時、病院で看護職に就くのは女性と決まっていた。

 さらには長く続く戦争が、男という存在を文字通り消費していくなかで、看護婦だけでなく、あらゆる職業で男手は足りず、女性の就労が当たり前のことになっていた。

 その日そのとき、少女は職場の友人である同い歳の女性と病院から帰宅しようとしていたところで、駅のホームにいた。

 空襲警報が鳴ったかどうか、記憶はあいまいだ。警報にかぎらず、当時のことに関して、少女の記憶はすべてにおいて判然としない。彼女自身、自分のおぼえているそれが現実の悪夢か、のちに夢で見た悪夢なのか、判別できずにいる。

 のちに見た夢のなかでは、くり返し空襲警報が鳴る。
 しかし音はなく、街が光に包まれたという記憶もある。

 駅に電車は着いていた。

 光は、車両の向こう側から来た。

 少女が見た光は、電車の窓ガラス越しだ。

 爆心地からは距離があった。
 なにが起こったのか、理解できるはずもなかった。

 ふたりの少女は、歩いて帰宅することにしたが、その道すがら、友人が指摘した。

「肩、燃えとうよ」

 光を見てから、ずいぶんと時間が経ってから。指さされた自分の肩と腕を見ると、肌が露出していた。いや、それは肌に見えなかった。赤く、ただれた、重度の火傷。

 痛みはなかった。

 友人と別れ、家に帰った。
 父が戦争に行ったので、母が家のなりわいである養蜂場を管理している。

「さっきのでこんなになったんね。ハチミツぬっときんしゃい」

 少女は病院勤めなので知っている。どんなにひどい火傷を負っても、薬などなく、巻く包帯さえかぎられている。母もそれを知っているから、焼けた右腕に、たっぷりと蜂蜜を塗ってくれた。

 母も光を見ていた。
 しかし、電車の陰になっていたおかげで火傷は負わなかった少女の友人同様、光を見たというだけで、なんの外傷もない。少女の右腕が焼けたのは、おそらく電車の窓ガラスを通過した光を浴びたからだろう。

「なんやったんやろう、あれ」

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 戦時中に、自身の腕が焼けてもなお、彼女も、まわりの者も、だれもそれが兵器であるなどとは推察できなかった。不可解なおそろしい自然現象かと疑いさえした。

 少女の右腕に、傷は残らなかった。
 母が塗ってくれた蜂蜜のおかげだと、彼女は信じている。

 その母は逝った。
 あの日、同じ場所で、同じ光を見た友人も、すぐに逝った。
 少女だけが、なぜか生き残った。

 戦争が終わり、少女は、広島の山あいで農業を営む男と知りあった。結婚の話が出たとき、看護婦だった少女は、自身が被爆者であることの意味を正確に理解していたから、言った。

「あなただけに言います。それでももらってくれるなら嫁ぎます」

 ふたりのあいだには、やがて、男の子と、女の子が生まれた。
 さらに時が流れ、男の子は東京へ旅立ち、女の子は大阪へ旅立った。

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『とかげではなく』の話。

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 大阪へ出た、女の子の息子が、私だ。

 つまり、原子爆弾の炸裂した光を浴びた少女は、上の記事の写真に写っている私の祖母である。

 彼女が、いまは亡き私の祖父に、言った言葉。

「あなただけに言います」

 それは本気だった。
 彼女の息子も娘も、母は原子爆弾で焼かれた広島の街へ、数日経ってから友人を探しに訪れたことによって被爆者手帳を交付されたと聞かされていたのだった。

 もちろん、被爆三世である私も、幼いころから、そう聞かされていた。 

 先週、その祖母が、大阪の娘に逢いに来た。
 私も逢いに行った。祖母と逢うのは、十年ぶりといったところだ。

 肉を食いながら、酒を飲んだ。
 祖母が孫に食わせようと、買ってくれた。
 私がガツガツ食うのを、微笑んで見ていた。
 彼女自身はもう、肉を噛み切るのがつらいらしい。

 いつしか、祖父の話になった。

 そして、祖母は語りはじめた。
 娘も知らなかった、右腕の火傷の話を。
 あの日、あの瞬間に、光のなかにいたのだという話を。

 祖母が、私に、ビールを注いでくれた。

「おとうさんに約束したんやけど」

 あなただけに言います、と。
 元気な子がふたり生まれ、その子らにも子ができた。その孫も大人になって、どうやら被爆した影響はどこにも出ていないようだと思えるから。
 ずっと隠したままでいようと決めていたのだけれど。

「でも、伝えておこうかなと、思ったん」

 広島帰ったら、あたし死ぬまでもう逢わんかも知らんし。
 そう言って笑った。

 祖母の話には、詳しい地名なども含まれていたが、記事に起こすために、もういちど語ってくれと言う気にはなれなかった。だから今回の話は、おばあちゃんに注いでもらった酒で、ほろ酔いながら聞いた話を、私のおぼえている印象で書いたもの。そのためおそらく正確性には欠ける。現実との矛盾もあるかもしれない。事実がどういうものだったかは、私にはわからない。ただ、かつての少女が、すべてをその光で失って、自分だけ生き延びたあと、新しい家族を作り、自分の逝くときのことを笑って孫に話すとき、言わないでおこうと決めていた過去の日のことを口にしたのは、雰囲気に流されてのことではないと思った。

 広島の、まわりにはたんぼしかない、だだっ広い農家で、いつかの少女はひとりで暮らしている。

 彼女は亡くなった祖父同様、私のことを「タクミさん」と呼ぶ。

 タクミさん。
 どこかおとうさんに似ているわ。

 私の父に、ではない。
 光を浴びたあとで、少女の新しい家族になった男のことだ。
 私はその先にいる。
 彼女の言うとおり、彼女の父の養蜂場で採れた蜂蜜が彼女を救ったのならば、蜂蜜なくして私はいまここにいない。

 あの日、広島の街にいて、火傷を負ったけれど、治った。

 その少女の話は、私の生まれた話。

 書きとめておく。


 あれからほぼ十年。

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『小橋建太という答え』の話。

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 大病によって長期欠場し、復帰したが思うようにいかず、ついに引退して闘病生活を支えてくれた彼女と結婚。引退したけれどプロレスからは離れず、みずからプロデュースする大会の出場選手よりも戦わないくせにあいかわらずの立派な筋肉を誇る、そんな小橋建太家の新たなニュースが流れた先週。

 この秋、出産。

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小橋建太 (KENTA KOBASHI) : Twitter

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 ひとりの男のデビューから引退までを観たうえに、引退してからの出来事まで本人の語る言葉で知ることができるなんて、なんて素晴らしきかなインターネットワールド。と、こうして書く私の言葉があなたに読んでいただけているのも、人類の生んだ誇るべき科学技術のおかげです。これはヒトが死ななくなる日も近いな。

 そんな小橋建太夫人のご懐妊ニュースに触れて、秋産まれかあ、男の子かなあ、女の子かなあ、女の子だと小橋は溺愛しそうだよなあ、なんて思っていて思い出したのですが。

 秋に産まれた女児は朝型になる。

 そういう研究論文を。
 なぜ女児だけなのかというところがまったく解明されていないのだけれど、調査の結果そうなのだから仕方なく、男の感受性は生まれつきニブいということなのかもしれない。

 秋に産まれると、産まれてすぐに、夜の長い時期になる。

 だから。

 だから、太陽の光を待ち望み愛する心が育まれる。

 ものすごく単純な話だ。
 おとぎ話のように語っても説得力がある。

 夜が長い国で生まれた少女は、太陽を待ち焦がれ、陽が昇るとすぐに目を覚まし季節とともに無垢に育ちました。

 続きを語るならこうだろうか。

 いっぽう昼が長い国で生まれた少女は、夜を待ちわびて昼は居眠りし、陽が沈むと目を輝かせて夜遊びに出かけるセクシーな人生を歩みました。

 ところで同じ論文のなかで、秋生まれの女性は気分が落ちこむことも少ないというアンケート結果がある。このあたりの因果関係は、秋に生まれたことが原因というよりも、秋に生まれたから朝型になった結果、鬱になりにくい精神状態が保てたと読み解くべきかもしれない。だとすると、秋という季節に関係のない結論を導くこともできる。

 朝型のひとのほうが、鬱になりにくい。

 そういう研究論文もあるかどうかは私は調べていないが、ありそうなことだ。それ以前の問題として、春生まれの夜更かしセクシー男女は、その早すぎる人生経験の豊富さを要因とする深刻な鬱状態への入口を人生に多く持つことが予測される。

 私は、セクシーな人生は歩んでいないものの、はっきり夜型だ。
 シフト制で働いているので、朝早く起きることもあるにはあるが、そんなときでも寝る時間が早まったりすることはない。どんなに眠くても、深夜二時を回らないと眠れない。もうすっかり、取り返しのつかないほどに脳にリズムが刻みこまれてしまっている。

 だいたい、太陽に当たらない。
 駅前に住んでいて電車通勤で、窓のない職場で、閉店は日が暮れてから。私は一月生まれなので、生まれついての朝型夜型気質というものが備わっていないとすれば、この私の夜型はどこで形成されたものだろうかと考えるとき、それはきっと大学時代に違いないと思う。

 美大だった。授業なんてあるようなないようなもので、卒業論文なんてものもなくて、卒業制作。作品を作る。昼過ぎくらいに大学のアトリエに現れて、夕暮れを見ながらキャンバスに向かう日々。家に帰っても、朝が来るまで本と映画とゲーム漬け。朝が来た、寝よう、という、くり返し。

 その後、朝型の仕事に就いたこともある。
 けれどいまだに、夜型だ。
 というか夜のほうが好きだ。
 強い日差しを浴びると溶ける。
 考えてみれば、朝早く起きる仕事に就いたことはあるが、太陽の下で働いたことはない。

 時差ボケの予防策として、膝の裏に光を当てるといい、という論文がある。
 以前書いた、冷えピタダイエットの話のなかでも触れた。

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『冷えピタダイエット』のこと。

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 首筋に冷えピタを貼ると、体温が上がってカロリーが消費される。
 事実。

 夜明け前に膝の裏に光を当てると、翌朝、体温が上がりメラトニンの分泌が減少する=目覚めるタイミングが早まる。
 それも事実……らしい。

 この研究結果は有名だが。実のところ、「皮膚が光を感じるわけがない」という反論も多い。さらにはだったらまったく視力を持たないひとでも時差ボケになるのはどういうわけだという再反論で、よくわからなくなる(それは単に、目が見えなくてもよその国の生活リズムが違うところに迷い込むのだからリズムが崩れるのではないかという再々反論は可能だが)。

 しかし、ここでどうでもいい問題がある。皮膚が光を感じない説を唱える研究者たちの実験は、被験者に厳重に目隠しをしたら効果がなかったということなのだ。それってすなわち目から光を受ければ事実として翌朝の起床シフトが早められるということ。だったら皮膚が光を感じるかどうかは、時差ボケを予防したいひとにとっては、どうでもいい。

 光を浴びよ!!
 さすればあしたは、朝型になれる。

 そして前述の通り、朝型になれば鬱にならずにすむ。

 このあいだ取り上げた、平田オリザ氏が推奨する、増え続けるこの国の鬱病患者を芸術保険制度で救済しようという話。

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『芸術保険制度』の話。

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 それもいいが、こうしてちゃんと結果の出ている研究論文があるのだから、国は早急にランタンを国民皆配給すべきではなかろうか。

LED

 膝裏でも、視界の隅で眺めるのでもいいから、いつもよりも光を浴びる。そうすればみんな翌朝すっきり目覚める朝型人間になって、この国に気分の落ちこむひとはいなくなる。

 夜型セクシー男女は減るかもしれないが。

(いまこれを書いていてふと思ったが、私は今日も「LED照明は紫外線が出ないので虫を集めないですし壁に飾った絵が色褪せたりもしませんよ世界中の駅や美術館で切り換えが進んでいます」などとセールストークしていたのだけれども。虫を集めないし肌が焼けないLED照明でも、時差ボケは解消できるのだろうか、たしかあの論文はまだまだ発光ダイオードの普及していないころに発表されたものだったから、きっと白熱灯か蛍光灯で実験しているはず。もしもLED照明にはその力がないのだとしたら、太陽を浴びない私が一日のなかで浴びている光って……駅も、職場も、自宅も、この数年で、すべての照明が発光ダイオード化された。これってもしや、さらに私の夜型が進行し、気分が最悪に落ちこみ、朝なんて来るなと願うようになる暗黒未来への布石なのでは。そこの研究者のかた「LED照明でもちゃんと体内時計は調節されます」論文の発表を急いで。気になって眠れなくなってしまう)



redpepper.jpg

送り送られ迎え迎えられる季節。
大人数で居酒屋とか、焼鳥屋とか。
そんな機会のたび、まわりにヒかれる。

「ヨシノギさん……それ、なにしてんの」

取り皿に獲物を取る前に、まずは赤いの。
七味でも可。山椒があったらそれも。
最近だと、食べるラー油とか置いている店も。
だったら皿もう一枚ちょうだい。
刺激物山盛りの小皿をまず準備。
そこに肉も野菜も取る。そして食う。
ハンバーガーは必ず持ち帰る。
一味唐辛子かタバスコがないとダメ。
そういうタチなので。
少なからず秘密主義な私なのですが、
辛いのが好き、という情報だけはダダ漏れ。
結果。

「これはもうタクミさんにあげなくちゃと」

こういったものをいただくことが多い。
写真は、関西で有名どころな七味屋さんのもの。
冷蔵庫の野菜室にまだまだある。
舞妓はんのは、世界一辛いと書いてあるけれど、
実はそんなでもなくて味わい深い。
左下の小瓶二つは、
持ち歩けるようガラス瓶に移しかえた。
ガンガン使っている。でも減るより増えるが早い。
ありがたいことです。
ありがたいのですけれど。
もらう身で、こんな態度もなんですけれども。
あまりにもいただくので図々しくも言うのですが。
七味はそんなに消費しない。
そのうえ消費期限が早いので冷凍庫にストックして、
眠ったままになる確率が高い。
一味はいくらでも食します。
ただ、
写真にもある、デスソースでも有名なその唐辛子、
ブートジョロキア系の一味ってやつは。
これね、私でも減らない。
というか、勘違いされては困る。
私は辛さに挑戦しているわけではない。
愛しているのだ。
辛さを調節できるカレー屋で、最辛は頼まない。
辛くて味がわからなくなるでしょう?
私の赤い小皿を見たひとは言うが、
違う。まったく違うよ、味が好きなのだよ。
好きなものと好きなもので、
もっと好きになるための唐辛子。
おみやげはうれしい。
だけど、

「辛党のひとって辛ければ辛いほど好きなはず」

そこはね、
ぜひ理解して。

「死ぬほど辛いんだって、これヨシノギさんに」

まあ挑戦はしますけれども。

「あ、こっちに味わい深い一味ってのもあるけど」

だったら、そっちがうれしい。
おいしい唐辛子はいくらあっても困りません。
奇をてらわず、
ほくそ笑んでたくらまず、
ふつうに私をよろこばせてください。
ジョロキアは間に合っています。
あれはパーティー罰ゲーム用の唐辛子。
辛いもの好きは舌がバカなわけではない。
デスソースよりタバスコくれるあなたが好き。

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 タバスコの大瓶って、あれ、計算してみるとあんまり安くなくて、だったら小瓶のほうが使いやすいよな、と私はふつうにスーパーで売っているサイズを愛用している(なぜだかタバスコをくれるひとは少ない、というか皆無。一般的食品だと世間に認知されているため、ネタにならないということでしょうか。ふつうに使える洗剤もうれしかったりするのにな)。

Tabasco

 メキシコのタバスコ州(Estado Libre y Soberano de Tabasco)が、タバスコという名の唐辛子の発祥の地ではあるが、タバスコ・ペッパー・ソースが醸造されたのはタバスコ州ではなく、アメリカで、いまでもタバスコはアメリカの調味料ということになっている。

 京都の唐辛子も、別に京都が一大唐辛子生産地というわけではなく、そこで売れたから名物になっていったという歴史。一味唐辛子というよりも、七味を口上たれながら売る芸商人が、京みやげとしての唐辛子の地位を高めていったらしい。

 芸商人は、七味のひとつひとつを紹介。産地であり、漢方薬としての効能などを。和歌山の陳皮は食欲増進なんと痛み止めにも使われる成分なんだよ、山椒も和歌山から来ているね、これは胃を丈夫にするし毒抜きだね。なんて言いながら、客の目の前で七味を調合する。

「あなた辛いもの好きじゃないのよ、もっと赤くしてもらいなさいよ」

 などという要望に応えて、商人は香りきつめとか、効能重視とか、ただ辛い七味などを作り売るわけである。そういう売り方だから、やがて、人々は京みやげとして「あのひとにあのひとが好むような」七味を調合してもらって買って帰るようになる。

 とはいえ、まあ七味ですしね。
 麻がぜんそくに効く、芥子が痛みを取ると言っても、焼き鳥に七味ふりかけたくらいの量の、さらにそのなかの微量成分が、なんらかの薬効を持って実際に「効く」などとは考えにくい。

 つまりは、七味さえ芸をまじえて売りつけてくるような関西のあそび街、京都に行ってきた記念という性質のおみやげでしょう。あのひとの不眠症を治してあげるために京都の七味売りを訪ねに行くなんていうドラマは、ない。
 ただの物見遊山です。
 そのおみやげ。

 だったら、もらった側は、そう反応すべきでしょうね。

「いいなあ、京都へ行ってきたんだあ」

 それでよい。向こうも、七味の味がどうとか、それで不眠症は治ったのかなど、興味がない。むしろ、みやげ話をだれかにしたくてしかたないから、おみやげあげるから聞いてくれよぱっつぁん、てなものであろう。

 ならば遠慮することはない。もらっておけ。

 そういう場合ならば、そうなのですが。
 私のもとに唐辛子が溜まっていくこの場合には、完全に、あいつに辛いものを買って行ってやろうよろこぶはずだ、という思惑が透けている。彼らはみやげ話をしない。なんなら私は大都市の駅前に住んでいて、その駅前には巨大ショッピングモールがあったりする。私に貢がれる唐辛子の大半も、実はそこから来ている。

 タクミさんに逢いに行くまえに、せっかくの大きな駅に来たのだから、ぶらぶらしていきましょう。そこで目にとまる唐辛子。そういえばあのひとバカみたいに辛いもの食べてるよね、コレなんか、買っていったらきゃっきゃきゃっきゃとはしゃぐに決まっているね。目玉飛び出る辛さとか書いてあるし。飛び出ればいいよね、あいつ。

 ということなので、彼らはショッピングモールのみやげ話などしない。私の食べっぷりを見るだけである。さあ食えと。激辛を平気な顔で食うのが辛いもの好きでしょうよ、と。

 前述の通り、それは違うのだ。
 私の舌は麻痺していない。
 だっておいしい七味とおいしくない七味がある。
 一味だって味の違いがわかる。

 だから、ただ痛いような激辛製品は、やめてもらいたい。
 リアクションに困るのである。
 辛くて食べられないようなものを食べているのに歓喜の表情とか、それただの変態だから。どうも辛いもの好きに辛いものを贈るひとたちのなかには、そういう勘違いをしているものたちが一定数いるのである。声を大にして、いまいちど言っておきたい。

 私は辛いものに関しては変態ではない。

 おいしい辛いものが好きだ。
 というわけで、こういったものは至福。

redpeppe2.jpg

 食べる焦がしカニラー油をくださったSさん。
 九条ネギラー油ふりかけをくださったGさん。
 ナイスチョイス。
 卵と鶏肉のシンプルなちらし寿司を作り、その白酢飯上で奇跡のコラボをくり返した、その夜のごはんは格別でした。
 好きなものと好きなもので、
 もっと好きになるための唐辛子。

 食べるラー油系というのは、あんまり辛さはないのですが、記憶に残る。

 いやもう本当にくどいようですが、いただく側でこうあれこれ言うのもなんなので、これくらいにしておきますけれども。ただまあ、ましてやどこかへ行ったおみやげというのでもなく、せっかく私のために私の反応を狙って辛いもの買ってきてくださるのでしたら、ちゃんとつまみになる物を買っていただけたらよろこびますと、そういうことをですね。
 失礼承知で、どうしても伝えたかった。

 なんでもうれしいです。
 逢いに来てくれるだけで失禁しそうです。
 おみやげなんていいのです。
 でも、でも。
 言わないと伝わらないし。

 私、激烈な辛さよりも、しとやかな辛さが好き。

 ヒーヒー言いたいわけじゃない。
 もしもそう認識しておられるかたがありましたら、記憶の記述を書きかえていただけるとさいわいです。

 辛いものに関しては変態ではない。
 ただ深く愛しているだけだと自負している。

Tabasco