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 祖母が軽い肺炎で入院した。母方の祖母で、広島のたんぼに囲まれた古い農家でひとり暮らし。そこそこな歳なので、「軽い」などと言われてもあらそれは安心ね、などという状況ではない。

 老人のひとり暮らしは、特に田舎だと、食生活がストイックになっていって、免疫力が落ちたところで季節の変わり目に「あれ?」と本人も気づくほど急激な体調の変化になって現れるということが起こりがち。

 もう。おばあちゃん、ちゃんと食べなよ。

 でもまあ、そういう話ではある。
 こっちに来なよ、とか、そんな話もなんども出ているのだけれど、田舎だと、家を捨てるとかそういう次元のことではなく山を置いていけないとか。息子は東京に暮らし、娘は大阪に暮らす。どちらにも山はなく、たんぼも畑もなく、こっちに来たほうが亡くなったおじいちゃんも安心だよだなんて、そんなことは言えないままに。

 でも、これは、仕方ない。
 選択の問題というよりは、そうなってしまったという、そこそこにだれもが納得の現状。

 ところで、そんな季節の変わり目のとある日。
 職場にいた私は、その日は休日だった同僚からの電話を受けた。

「入院することになりました。ごめんなさい」

 え?
 肺炎だという。

 同僚は三十代の女性である。
 ものすごくすらりとした体型のひと。
 そのせいもあって、聞いたばかりの祖母の入院と重なる。
 いや、確かに彼女も、がつがつメシ食っちゃいないだろうけれども。
 昨日は、元気だったのだ。
 漬け物とごはんしか食べなくて免疫力落ちての肺炎などであれば、さすがに見て気づくこともあるはず。田舎のたんぼに囲まれた農家にひとりなわけではない。それどころか一日に数百人を接客する店で働いているのだから。肺炎になる前に「あたしもうダメ」などと言って売場で膝をつくシーンがあってよさそうなものだ。

 そんなのはなかった。
 なんなら、彼女とはなんども飲みに行った。
 食べないけれど飲む。
 細いけど入りますねえ、姐さん肌だなあ、と惚れ惚れするような飲みっぷり。体力に問題があるようには、ぜんぜん見えなかった。

 ……姐さん、か。

 自分で彼女を例えて、その表現に、ぴんと来る。
 彼女は、タバコもよく吸う。
 それだ。  

 おばあちゃんの肺炎とは、別の肺炎である。

 これは、選択の問題。
 タバコは肺を傷める。
 肺ガンのリスクが高まるというのは有名だけれど、肺炎もやっぱり多くなる。

 いつかの彼女との会話。

「あれ、ヨシノギ先生、今日はタバコ吸わないの」

 ちなみに私は店で薬を売っているので若い営業さんなんかが「先生」と呼ぶ、それが可笑しくて、同僚もそう呼んだりする。

 タバコ吸わないのと言われて、自分でも気づく。
 酒の席でひとが吸っていたら欲しくなる、というくらいのペースで、年に一箱も消費しない感じだったのだが、最近では、まったく吸わなくなってしまった。

「なんか、もう吸うと気持ち悪くなっちゃって」
「えー、裏切り者」

 彼女は職場でも休憩時間に吸っている。

「あたしダメだあ、先生みたく嗜好品じゃないもん。ニコレット安くしてよ」
「あれ? やめたいんだ」
「カラダとかじゃなくて、タバコ高いし」
「ニコレット……でもうちの店じゃ、パッチないからなあ。ガム噛んでるの、部長に見つかったらクビになるよ」

nicorette

 ニコレットのガムタイプは指定第二類医薬品で、肌に貼るタイプのは第一類医薬品という区分。薬剤師ではない私が管理者の店では、第一類医薬品はあつかえない。

 ニコチンガムの使い方としては、くちゃくちゃ噛むよりも、口腔内の粘膜からニコチンを吸収させるために、歯の裏などにぎゅっと貼り付けておくのが正しい作法。なので、馴れればガムを口に入れているとは気づかないように見せられるが、それでも嗜好品のガムを噛んではいけない職種の方にガムタイプはお勧めしない。接客業など最たるもの。

「ああ、ガムかあ。パッチって、シップのやんなあ。それ、やめられる気がせえへんねんけど」
「うん。わかる。おれも映画観たら吸いたくなる派やし」

 実際のところ、ひとが吸っていたら吸いたくなるという場合、ニコチンの禁断症状などとはまったく関係ない。私の場合『男たちの挽歌』のチョウ・ユンファはヤバい。そもそもが煙草をファッションとしてはじめてしまっているから、カッコイイ吸いかたをしているカッコイイのを見てしまうと、脳がグラつく。

 そういう意味では、彼女の言いぶんはすごくわかる。ガムでもパッチでもニコチンが摂取できるのは同じだが、パッチでは口が寂しい。ガムならそこが埋められる気がする。

「一生、吸う気はないんやけどさあ」
「いや、そのうち、違法になるんちゃう、たぶん」
「そうなん!?」
「完全に毒やし」
「あたしも、最近、減ってんで」

 口を尖らせて彼女が言った。
 電話を切って、それを思い出した。

 アメリカの公立小中学校では、自動販売機で加糖炭酸飲料の販売を禁止している。深刻な肥満への対策らしい。一方、ごく最近も、大麻が合法化された州がある。生きていたころ中島らもさんが、大麻が合法な国に旅行しては「尻の穴から煙が出るくらい」吸ったと、日本に帰ってきてから言っていた。なにが毒かはお国柄、どこまで許すか禁じるかもそうであって、線引きの一歩外に出れば、自己判断と自己責任である。

 ところで、私の叔父が言った。

「煙草やめたら病気になるんだって」
 
 私の父は三兄弟だ。そして、その叔父以外の二人は禁煙経験があり、二人とも大病を患ったことがある。しかし、私に根拠がない暴言をうそぶいたその叔父は、超がつくヘビースモーカーで、あきらかなアルコール依存症だが、三兄弟のなかでゆいいつ、毎年の健康診断でなにも見つからず、それどころかメタボでもなく血圧さえ正常で、Aランクの評価。

 もちろん、タバコをやめたら病気になる、わけではない。
 ただ、タバコがあきらかな毒であるから、それにカラダが馴れるという側面はある。日常的にアルコールを摂取するひとには、薬が効きにくい。肝臓が鍛えられてしまっているから、アルコールの毒素をすばやく分解するその働きによって、薬の効果もかき消してしまう。

 同様に、日常的にタバコの毒を摂取するひとは、大気汚染に強い。単純な話、煙を吸うのに馴れているから、タバコを吸わないひとが咳きこむような状況でも、平気だったりする。

「あたしも、最近、減ってんで」

 それを聞いたのは、ついこのあいだのこと。
 叔父の言葉を思い出した。
 やめたら病気になるというのはありえないが、私自身が近ごろではタバコを吸うと吐き気をもよおすように、馴れていたカラダがそれを忘れたあとでは、ほんの少量の毒も、よく効く。

 調べてみると、事実、禁煙後にふたたびタバコに手を出して、そこで肺炎を発症する例は多いのだという。健康な肺を持つひとが、生まれて初めてタバコを吸って肺炎をわずらうということはまずないのに、いったんタバコをやめたひとが、また吸いはじめた直後に入院にまでいたる肺の痛みをうったえるということは多い。つまり、癒えかけた傷口にふたたび毒を塗る行為こそが、ダメを押す。

 彼女が禁煙補助剤に興味を示し、タバコを吸う量が減ったと口にしていた直後に、昨日は元気だったが朝起きたら入院していた、という状態になったのは偶然だろうか。いつもタバコの匂いがしている叔父が、信念を持って吸い続けるからおれは病まないと言い、それが現実となっているのは、たんに彼が幸運だからなのだろうか。

 科学技術が進歩して、なんでもわかっているみたいな世の中だけれど、わかっているのはわかっていることだけだ。毒とか薬とか、そういう人体に影響するもののことは、わかっていないこともすごく多い。

 たとえば、湿布薬に配合されている「フェルビナク」という成分がある。これが含まれていると、箱の注意書きには「妊婦又は妊娠していると思われる人」は使用しないように、と書く決まりになっている。そういう薬は多い。

Felbinac

 けれどこれ、その薬を摂取したら、妊婦か、そのおなかのなかの胎児か、もしくは将来的にどちらかに、なんらかの悪影響が出ると「わかっている」から書いてあるわけではない。真逆だ。「わからない」から書いてある。
 なぜわからないのか。
 簡単に説明できる。

 妊婦で人体実験はできないから。

 科学と倫理の進歩した現代だからこそ、なおのこと。新しく使われはじめた成分こそ「わからない」ことが多いので、とりあえず妊婦はやめておけということになっているだけなのである。

 そういう意味で、タバコをやめて毒の抜けかけた肺に、再度タバコの煙を吹き込んでやれば、どれほどの悪影響があるのか、などという人体実験もできない。私の同僚が、ちょっとタバコをひかえる生活を送っていたようなのと、肺炎を突発的に発症したことの因果関係は推測するしかない。

 でも、タバコには歴史があるので、どうもそうらしいという推察には、ここ数年で市場に出回りはじめた湿布薬の成分の悪影響について論じるよりは、説得力があるように思えてならない。

 私は、たぶんこのままタバコを吸わなくなる気がする。
 たまに吸っても咳きこまないから。一年に数えるほどという本数でも、いちど乗り方をおぼえた自転車には数十年後であっても乗れる、というのと同じように、まったく平気で吸える。ということは、私にとっては、タバコはこの先も決して「健康なひとが生まれて初めて吸った」ようなものにはなりえない。
 そういうことを考えながら、あえて吸おうとは思えそうにない。

 いや、そういうことがあったというだけの話です。
 信念を持ってタバコの本数は減らすな、などと書きたいわけではない。
 やめるなら、やめちまえ、ということだろうか。
 自分でもよくわからない。
 ただ、腹が立つのである。
 同僚が二週間は戻ってこないということで、有休が使えないぞ来月の原稿はどうする、ということも、もちろん腹が立つが……そもそも、この国ではどうしてタバコがいまだに野放しなのだろう。今朝も新聞ではさかんに脱法ハーブをすみやかに規制しろと記事にしてあったが、人体実験などしなくても、タバコの毒によって少なからぬ死者が出て、働き盛りの女が突然入院したりしている。経済にだってよくない。タバコには歴史があるから今日も肺炎患者が出たってすみやかに規制する必要はないのか? どういう理屈だそれは。

 わかっている。
 吸ってカラダを壊したやつが悪い。
 そんなことはわかっているのだけれども。
 脱法ハーブさえなければ、車は暴走せず、彼ら彼女らは撥ねられることはなかった。
 その怒りと同じように、毒だとわかっているものを売ってもいいことにしている、それも悪ではないのかと思いたがっている私の脳がある。そんなことを言えば、アルコールだって、砂糖だってそうだ。そのすべてを禁止して清く健康なだけの国になるのが豊かだなんて思ってはいない。わかっている。わかっているが。

 なんだか、ムカつくのだった。
 脱法ドラッグを、指定薬物と成分構造が似ていればどんどん規制できるようにして撲滅するとか。でもその包括指定制度に、「喫煙者は死亡する危険性が高くなります」と箱に明記してあるタバコは引っかからないって? タバコを吸ったことのあるひとならば、初めて吸ったとき、めまいでクラクラしたのをおぼえているはず。でもその乾燥させたタバコ草は、どんなに広い意味でも違法なハーブには分類されないって?
 気色の悪い話よなあ。

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「ヘロインというのは、阿片吸引の効果から思いついて西洋人が抽出したものだ。コカインもしかり。アンデスの高地民族のスタミナ源がコカの葉を噛むことだったことから、コカインの結晶が抽出された。それが結局麻薬として西欧世界を犯すことになって、最終的にコカ葉を噛むことや、ハシシュを吸うことが禁じられる。こんないい加減なことがあるか。中国人は、空腹を鎮めるために子供に阿片を飲ましていたのだ。そこからモルヒネ、ヘロインを作り出したのは中国人じゃないぞ。コカインを作ったのもインディオではないぞ。インドではいまでもみんなチラムというパイプのような奴でガンジャを吸ってな、働きもせんと一日うっとりとして暮らしとる。何千年もそうやってきとるんじゃ。そういうドラッグは、ただただ〝いいもの〟であってな。国が禁止しようがどうしようが、続くものは続く。アメリカの禁酒法を見てもわかるだろう。酒は悪ではないのだ。酒を取り巻くシステムが悪なんだ」

4087484815

中島らも 『ガダラの豚』

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 悪、即、斬。
 というように片付かないのが、気色悪いのだろう。
 ある種の毒を自己責任で認める世界を許容しながら、他の毒を悪と断じる、断じざるをえない、世界の在り方そのものに、くらくらするのです。





Dbj704

ジャノメ DB-J704
工業用ミシンと呼ばれるもの。
ミシン区分的には、
家庭用ミシン=ボタンもつけられる。
職業用ミシン=厚物も縫える。
工業用ミシン=直線のみ。
だいたい、こういう感じ。
母はブティックで服を縫って私を育てた。
私は小学校から、その店に帰る。
たいていは裏の空き地のブロック塀に、
ロウ石で宇宙船のコックピットを描いて、
宇宙怪獣にビームを発射していたが、
細い階段をのぼってブティックの二階、
縫製室でおやつを食べながら、
母の仕事を見ていることもあった。
その当時の私の色彩感覚はめちゃくちゃで、
右袖がピンクで左袖が赤、首まわりは青、
おなかにドラえもんのポケット。
そんな服を自宅で母に縫ってもらって、
実際に着て街を歩いていた。おそろしい。
そんなだったから、
宇宙好きでヒーロー好きだったけれど、
ウルトラマンTシャツとか、パジャマとか、
欲しがった記憶がない。だって。
自分の言うままにできあがってくる服がある。
それに勝るおもしろいものなんてない。
どんどん作ってもらった。
自宅ではいつもミシンの音がしていた。
でも、それは家庭用ミシン。
母の仕事場のそれは、別ものだった。
まっすぐしか縫えない。曲がれない。
モーターの出力が大きいから。
「たくみくんの指だって縫えちゃうわよ」
母の同僚によく言われた。事実、
私は、音が連なってひとつに聴こえる速度で、
小柄な母の全身を引っぱるように動く、
回転と振動の機械に、指をつっこみたかった。
縫われたかった。顔に出ていたのだろう。
さいわいにして現実にそういった事故はなく、
やがて母は、自分の店を持った。
コンクリート打ちっぱなしの倉庫みたいな店。
そこに置かれているジャノメのミシンは、
あのころ、私が見ていたそれそのものである。
ほぼ私と同い年で、その間、私は脚を折ったり、
病気で寝込んだこともあったのだけれど、
工業用ミシンは止まったことがない。
私は当時の反動からか、いまは黒い服が好きだ。
そして、家を出て、いまになって。
バイクに乗ってガラス張りの母の店の前に停め、
ミシンの音で聞こえていない母に手をあげながら、
見て、思う。
乗っているバイクもいまどきマニュアル車。
これの回転と振動が好きなのって、
あのミシンのせいじゃないのか。
絶えず小刻みに揺れてうるさかった縫製室。
けれど、安らかだった。小さな王国だった。
カラフルな服を着なくなったのも反動ではなくて、
実は、まっすぐしか縫えないミシンへのあこがれかも。
単純明快であるがゆえに壊れない。
工業用ミシンだけで服は縫えないが。でも。
ボタンホールは別の機械に頼めばいい。
刺繍なんて別の世界の話。
縫製室の王は、壊れず単純に動き続ける。
むかしむかし教習所で、初めてバイクに乗ったとき。
左に曲がることができない私に、教官が言った。
「それじゃどこにも行けないよ」
ミシンも、エンジンも。
ただひたすらに上下しているだけ。
あやつるのは、ヒトの側の技術の問題。
……好きなのは、そこかも。
細かいことはこっちでやるから。
おまえはまっすぐ進むだけでいい。
機械にいろいろさせない。いっしょに。
私がブロック塀に描いた宇宙船のコックピットには、
たくさんのボタンがあった。メーターだらけだった。
未来も、そうであって欲しい。
自動運転で火星にたどり着くなんてさ。
すごいけど、なんだか、つまんねえの。

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 ひさしぶりにミシンを出して縫い物しようとしたら、針が左右に動かなくて。
 分解してみた。

Mishin

 どうもグリスが固着している模様。
 パーツクリーナーで古いグリスを洗い落とし、グリススプレーをしゅー。
 Xbox360を直したときと同様、私の道具箱はひとつしかないので、バイクもパソコンもミシンもゲーム機も、同じ箱から出した道具でメンテナンス。

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『XBOX360 RRoDを自己修理する』の話。

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 油を拭うのはパーツクリーナー。

AZ

 潤滑オイルは、めったに開けない場所に使うなら、粘度の高いグリース系のものがよろしいかと。

CRC

 直りました。

 ミシンって、専用のミシンオイルなんてものがあるくらい潤滑油頼みで動作している機械。オイルが切れると動かなくなる。まあそんなのは車だってバイクだってそうだけれども。そう考えてみると、人間の関節ってすごいです。骨同士がゴリゴリ当たって摩耗しないように、絶えず自然と潤滑液が補充されているのですから。機械として見れば、夢のような機構。ミシンも朝ご飯食べさせてやれば、自分でオイル成分生み出して濡れてくれたらいいのに、何十年経ってもそんなことはできるようにならず。

 ていうか、ジャノメの工業用ミシンが、すでに完成形とされ、そこから進化するきざしがまるでない。家庭用のミシンには、コンピュータ制御とかそういう物も出てきたけれど、それは針を動かす方面の話であって、いま現在の最新型のミシンにも、付属品としてついてくるのは、明治時代と変わらない薄茶色のミシンオイル。定期的に手で注さなくちゃならない。変わらなさすぎです。ミシン。

 私、ミシンも売っているのですけれど。
 万札一枚で買えるくらいの、単純な電動ミシンを買っていかれるかたには、意外とおっさんが多い。ジャノメさんの安くてシンプルなミシンは、キティ様コラボ品だったりするのですが、値段だけを見て、おっさんたちもそれを買っていったりする。

JANOME

 正確には、おっさんというか、も少し上か。妻を亡くした、という話を、やたら聞く。そして、彼らは、縫い物をするにはミシンが必要だと思い込んでいる。

 おかしな話だ。
 それまでちょっとした縫い物はやってくれていた奥さんがいなくなって、男やもめがミシンを買いに店に来る。その時点で、齟齬がある。だって買いに来るということは、家にミシンはないということでしょう。奥さんがしていた縫い仕事は、ミシンなんて必要ないものだったということではないのか。

 思い込んでいるのです。
 その証拠に、そういうおっさんは、高確率で数日後にサービスカウンターへやって来ます。

「中国製クズやな、ぜんぜん縫われへん」

 またかよ、と私は思います。
 機械に弱いひとの特徴ですよ、それ。
 無機物に腹を立てている。
 あんまり最近評判のよろしくない国の工場で作られたと言ってもですね。ミシンですよ。完成された機械です。そうそう不良品なんて出ないのです。
 不良品でないのなら、あなたがなにかを間違えている。
 マシンは間違えません。
 絵が下手なのは道具のせいではないのです。
 アナログだろうと、デジタルだろうと。
 日本製でも中国製でも、変わらない。
 だいたいそれ、タイ製ですし。

「どういった状態でしょうか」
「ほれ」

 話すのも嫌なのでしょう。
 高確率で腹を立ててやって来るおっさんのさらにまた高確率で、不具合を箇条書きにしたメモが用意されている。
 ま、ありがたいことですが。
 話がわかりやすいのは助かります。
 それを読んでみる。
 いろいろ書いてある。
 で、たいていの場合、私は、そのときどきに応じていろいろですが、なにかにぴんと来る。

「これ……下糸が強すぎる可能性がありますね」

 あなたはミシンを触りますか?
 家庭科で習いますよね。
 私は中学校でミシンの授業がありました。
 おっさんの中学時代には、なかったんだろうなと思う。
 要は、上の糸が引っぱっても下の糸の張りが強すぎて出てこないために、針は上下するものの、糸は上下できずに、ただ布に穴が開くだけで縫えない。とか。そういう現象はミシンにはよくあります。ボビンケースを取り出して、マイナスドライバーで下糸をゆるくしてやるといい。付属品として小さなマイナスドライバーも入っていたはずです。

 でも、もちろん。

「取扱説明書に書いてあることは全部やった。でも縫われへん。もう限界や、見たくもないねん」

 ご返金、デスね。
 私が、ちょっと腹立たしさをにじませて、彼らをおっさんと呼ぶ理由がわかっていただけるでしょうか。モーターが動く電動ミシンは、まず間違いなく不良品ではありません。そんな高度な機械ではなく、歴史上、こなれたマシンなのです。縫えないとしたら、それおっさんの手腕の問題。

 けれど現代の小売業。
 基本、求められれば返品を受けつけます。
 壊れていないマシンを、開封されて戻される。
 いろいろと、うっとうしい。

 でも、おっさんがちゃんとミシンが使えるようになるまで、付きっきりで教えていたら、私の人件費のほうが大幅にもったいないですので、とっとと帰っていただきます。ギャラいただいているあいだは役者です、笑顔たやさず。おっさん好みの店員を演じます。演じているあいだは本気なので、おっさんに心底同情しているし、求められればチューだってできるくらいのものです。

 しかし巣にもどって素にもどって、ふと思い返して鼻で笑ってみたりすることはままある。ピアノを取扱説明書の通りに弾いたけれど、音は出るが曲にならない。そういう話ですが、おっさんたちは、ミシンをそういうものと思っていない。縫い物をするためにはミシンが必要で、ミシンがあれば、縫い物などやったことのない自分でも縫い物ができるはずだと信じている。
 
 確かに、インスタントコーヒーを煎れる機械が大ヒットするような近ごろですしね。次はヌードルメーカーが新発売。おいしいコーヒーが煎れたいから、自家製のパスタが食べたいから、メーカーさんに機械を作ってくださいとお願いする時代ではあるのかもしれませんが。

HR2369-01

 未来人たるおっさんたちは、ミシンというのは好きな色の糸をぶっこんだらオートマチックに縫ってくれるものだと思っている、事実、多くの機械がそういう方向性で進化している。でも、ミシンは昔ながら。そのギャップが彼らを戸惑わせる。

 ミシンという英語はありません。
 これ、日本訛りです。
 元来は、machine。
 それそのもの「マシン」「機械」。
 お裁縫マシーン。
 転じてミシン。

 日本で初めてミシンを操ったのは篤姫ちゃん。ペリー氏からおみやでもらったらしい。ペルリ海軍提督といえば、日本に蒸気機関や、モールス電信機を伝えた、いわばこの国における超文明惑星のエイリアン。彼がいなければピラミッドも建造できなかったことでしょう。ペルリ氏が日本にやってきてから、大奥が解散終了となるまでには十年くらいありますので、贅の限りを尽くした十二単などもマシン縫いだったかもしれません(大河ドラマでそんな場面を見たことはないので、もらったけれど篤姫ちゃんはミシンを使いこなせなかったという可能性もあります。それとも真実の大奥はミシンのがっちゃんがっちゃん唸る大縫製ファッション工場だったけれど、NHK的に雰囲気重視で黙殺しているとか。時代劇に出てくる馬はサラブレッドみたいにすらりとしているけれど、現実の戦国武将が乗っていた日本種の馬は短足で小柄なポニーみたいな体型だったと聞きます。ドラマなんて、所詮は夢見ごと。なにごとも売れるように美しく描いているだけのことですからね)。

 黒煙吐く機械の船でやって来た、超文明人から贈られた機械文明の象徴。
 それがマシン。訛って、ミシン。

 この国の現代が始まる象徴でもあります。
 それ以後の、この国のひとたちの気質って、基本、新しい機械に飛びついて絶賛するの繰り返しだった。和洋折衷の妙な格好で、妙なもの食って、意味もわからない歌を真似て歌ったりしているうちに、エライものでそれがこなれてきて。

 船も車もバイクも、エンジン積んだマシンすべて、電気で動く家電や、電車とか新幹線とかリニアモーターカーとか。いまや世界中のそれを日本が造っている。ミシンなんて、ほとんどこの国の専売特許な情勢です。あのオシャレな国のブランド服も、あの軍国主義な大国の軍服も、日本メーカーのミシンで縫われている。

 みんながマシン好きだったから、いまのこの国の姿があるといっていい。

 そういうことを考えるとですね。
 おっさんがミシンを買って全自動じゃないのかよと返品してくる、その息子が車やバイクに興味は持たず、鉄ヲタでもなく、ファミコンが廃れてから生まれたので家庭用ゲーム機なんてものやパソコンにも興味はなく、スマホでさえ操作がよくわからないと投げだし、近未来はサイボーグが闊歩するよりもクローン培養した美少女メイドが各家庭に普及していれば天国だなとか、のほほんと夢見ながら夢は実現せずに寿命を迎える。だってだれも本気で開発しないから。
 そんな国で、落日の自動車メーカーがうたい、日本政府が後押しする……

「全自動な自動車が日本の若者の車離れを解消する」

 とかいうの。アホかと思う。
 自動運転。
 ええ、便利ですけれど。
 技術的にはすごいんでしょうけれど。
 断言します。車離れは解消しない。
 だって、なにがおもしろいの、それ。
 勝手に動く車がつまらなくて趣味の車乗りがなお減るという以上に、無人のトラックが荷物運ぶからトラック野郎も消える、その要素も大きいと思う。仕事として機械を操る大人が減るということは、機械を偏愛する大人が減るということ。無人のショベルカーに幼子はときめくかい? ときめくとしても、それを操るひとは存在しないなら、なにに憧れたらいいのだろうかい? 無人で自動運転される電車を、それでも鉄ヲタは追っているのかい? 公道を自動運転の車しか走っていないのに、カーレースのなにに胸を焦がせばいいのだい?

 おっさんたちもさ。
 ミシンがうまく動かない。
 そこ、わくわくするとこ。
 てめえオレサマがねじふせてやるさと、マシンと格闘はじめるところなのにさ。あのひとたち、もう一生、ミシンなるマシンに触れず、扱えないまま逝くんだ。あの、うまく巾着袋が縫えた感動を、味わわずに逝くんだ。

 鼻で笑いながら同時に、ふと、物悲しくもなる。
 マシンはひとに愛されるために生まれてきた。
 その関係がうまくいかないとき、原因はだいたいにして、ひとのほうにある。
 マシンは、ちゃんと愛せば応えてくれる、だれもに平等で可愛い子なのに、と。

(もしも知りあいに車だとかバイクだとか、そういうものの整備をするための道具箱を持っている人種がいるならば「大掃除手伝ってくれない」と甘えてみると良い。彼ら彼女らは、シリコンスプレーでタンスの引き出しをするする動かしたり、撥水ワックスで便器がまったく汚れないようにコーティングしたり、粉をふいて艶のなくなったあらゆる樹脂製品を新品同様に回復させる方法も知っています。機械をメンテナンスすることのよろこびと実際を知る者は、大掃除を整えるべき相手との勝負と見なして己の叡知をかけて挑むはず。マシンヲタ、一家に一匹飼っておくと大変便利)


 "しょうじ"というのは、とても薄くて白い紙でできた扉で、そんなもので仕切られているだけだから、隣の部屋の騒がしさは、まる聞こえだった。"にっぽんへい"たちが、むやみやたらに笑い、ときに引き締まった声でなにかを叫んだりもする。かちゃかちゃと鳴っているのは、あの奇妙な形の焼き物……お酒を入れる容器と、とても小さなコップとが、そこかしこで、ぶつかる音なのだろう。

「こんな場所で、すまない」

 "きみ"が言う。
 そう呼んでほしいと言われた、その言葉が彼の名前なのか、それとも別の意味なのか、ぼくは知らない。ただ、"きみ"、は、"にっぽんへい"から離れることのできない仕事をしているのだということだけを、ぼくは知っている。

「どういう意味ですか」

 "きみ"は、"きみ"の国の言葉でしゃべるので、ぼくにはよく意味がわからない。それでも、頭を下げているから、あやまられているのだとわかる。"きみ"の国では、あやまるのに手をあわせたりはしない。頭を下げる。わかっているのに、どういう意味ですかと、ぼくは訊く。"きみ"にはわからない、ぼくの国の言葉で。どういう意味ですか。なにを言われているのかわかりません。教えてください。通じないから、ぼくは手と手をあわせる。あやまっているのではなくて、訊ねているのだということを、"きみ"は、わかってくれる。見つめると、見つめ返してくれる。たいていの場合、答えは返ってこないのだけれど。それでも見つめあえるから、ぼくは問う。

「別の世界のようだ」

 "きみ"は、"しょうじ"を見ている。
 言葉の意味はわからなくても、それが、いつものように、訊ねたことへの答えではないことを察する。なんとなくだけれど、"きみ"は、隣の部屋が好きではないのだと思う。"にっぽんへい"たちの声、たてる音、そしてそれらとは無関係に、永遠に奏で続けられている弦楽器の音色と、それにあわせて顔を白く塗った女のひとが歌う、悪い魔術のように哀しい歌。どうしてお酒を飲むのに、あんな胸が締めつけられるような歌を歌わせるのか、それが響く部屋で騒いだりできるのか、不思議だけれど……そう考えると、怖くなる。震える声で歌われるあの歌が、哀しく聞こえているのは、ぼくだけなのではないのかなと、うたがって。

「"きみ"、は、あの歌が、好きですか」
「隣の部屋は、ここと同じ広さなのに、大勢で賑わって、夜と追いかけっこをするように、みな酔ってゆく」
「ぼくは、"きみ"の言葉が、わかりません」
「それにひきかえ同じ部屋なのに……ここには、ふたりだ。隣は、空き部屋だと思っているかもしれないな、あの光に、気づいているだろうか」

 "きみ"は、ロウソクを示した。
 ぼくも眺める。暗いと言っているのだろうか。消せと言っているのではないように思う。この部屋を照らすには足りない一本のロウソクの炎を見て、なにか感傷にひたっているのだろうか。

「どういう意味ですか」

 また問いながら、ぼくは、"きみ"の頬に手をのばす。
 ふれることには成功する。
 "きみ"は、ぼくをじっと見る。
 笑ってくれたらいいのにと思うものの、"きみ"が、そんな顔をしないことは知っている。"きみ"は、目を細める。ぼくのことがよく見えないみたいに。ふれているのに。ぼくが透けているように。

「食事をすませてしまおう」

 "きみ"は、ぼくに頬をふれられたまま、そう言って、机の上を見もせずに器用に、ぼくの口へと、なにかを運ぶ。

「あ……」

 舌先で探って、それがさっき見た、いくつも穴の開いた奇妙なイモだとわかったから、声が出た。噛む。食感が、想像と違っていた。やわらかくなくて、音がするくらい歯ごたえがある。それに……辛かった。

「唐辛子にあたったか。すまない。泣くほど辛いとは」

 言いながらも、ぼくをじっと見る。こんどは机の上を見て……ぼくの手のひらは、"きみ"から離れてしまった……自分の口にもそれを運び、首を傾げる。辛いけれど、泣くほどかと。そうして、"きみ"は、また、頭を下げた。ぼくは、"きみ"を見ている。泣きながら。止められずに。辛くてではありませんと伝える言葉を持たないこと、"きみ"が平気な顔で食べる穴の開いたイモがとても怖かったのに、口に入れられて、しゃりしゃりと音がして、"しょうじ"の向こう、隣の部屋の歌が、なにかの呪術をぼくにかけそうで、"きみ"の頬にふれた手が、離れてしまって。そんなことの全部が、とらえどころがないから泣いているのだと、それもやっぱり伝えられなくて。

「どういう意味ですか」

 "きみ"が、ていねいに唐辛子を除けて、また差し出した穴だらけのイモに、訊ねた。"きみ"は、ぼくがいつも、なんども同じ言葉をくり返すのに、気づいていないみたいだ。それとも、気づいているけれど、問われているのだとは、わからないのかもしれない。

「辛くないよ」
「"きみ"が好きです」
「そうだ。きみ、と言ってくれたね。そう呼ばれると……こんなふうに世界から切り離された、暗い部屋で、ふたりきりで、その瞳に映っている自分だけが、真実に思える」
「"きみ"、を、おしえてください」

 ぼくは、差し出されたそれに、開いた唇をふれる。奇妙なイモ。それがイモなのかどうかも知らないまま、また噛みくだき、飲みこむ。涙はそのあいだに乾く。"きみ"を、これ以上に知ることはない。"しょうじ"の向こうの"にっぽんへい"たちが大好きな、震える歌声と弦の音。あれが哀しく聞こえないときも、くることはない。薄くて白い紙など、やぶってしまえるし、燃やしてしまえるし、ぼくは立ち上がり、"きみ"に飛びかかって、ふれたいだけふれることもできるけれど、そうしない。

 ぼくは笑む。
 "きみ"は、笑わない。
 足りないロウソクの明かりでも、わかる。
 "きみ"は、透けている。
 ぼくは、そんなひとを、初めて見た。

Lotusroots
   
Yoshinogi Takumi
 Shonen-ai Cooking Elegy
 Song 18
 『a pale neighbor』

(吉秒匠
 BL料理哀歌
 18曲目
 『となりの部屋』)

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○材料

蓮根 200g
ゴマ油 大さじ1/2
サラダ油 大さじ1/2
しょうゆ 大さじ1
白ごま 大さじ1


○作り方

レンコンの皮をむき、縦半分にして、スライス、水にさらす。フライパンに油、ごま油を入れて熱し、炒め、焦げ目がついたところで醤油とゴマを回しかける。

お好みで分量外の唐辛子、旨味調味料、酒でもどした乾燥ワカメなどを加えると大人の味わい。

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 以上、レンコンのきんぴらレシピ。
 いっしょに写っているので、エビの味つけも書いておこうか。

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○材料

エビ 10尾

水 400CC
ダシの素 小さじ1
酒 小さじ1
しょうゆ 小さじ1
みりん 小さじ1
塩 ひとつまみ
生姜すりおろし 小さじ1
輪切り唐辛子 少量


○作り方

エビの背ワタを取っておく。
わからないことはグーグル先生に訊きましょう
調味料を合わせて煮立たせる。
(酒とみりんのアルコールを飛ばすため)
エビを入れて色が変わったら火を止め、そのまま冷ます。

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hondashi

 ほんつゆベースでもいいです。

hontuyu

 私、朝食が蕎麦なことが多いのですが、そういうときはカップ一杯の水に三倍濃縮のほんつゆ大さじ1くらいで、つけそばなんだか、かけそばなんだか、というような感じ。書いてある分量通りだと、濃いし甘いし、料理に使うときも、ほんつゆ少なめでダシの素を足すとか、そういうことをします。よく、スーパーのプライベートブランドで、試食した70パーセントのひとが美味いと言ったとか、そういうものが商品化されていたりしますが、そういうのって、たいてい私の舌には濃いか甘いか。大阪在住だけれど、某有名PBのお好み焼きソースは甘すぎて甘すぎて、まったく消費できなかった。これがみなさまのお墨付き? 私って完全に30パーセントの、さらにかなり外れの舌。

 なので、正直言うと、ここで扱うレシピも、かなり一般受けするように改ざんしています。私が私好みにきんぴら作ったらもうね、赤いですから。調味料は唐辛子ベースですから。ええ、朝食の蕎麦にだって輪切り唐辛子をふりかけて食します。今回の写真を撮ったときは、お客さまがいらしていたのです。なので赤くない。だからみなさんもレシピは参考までに。自分で食うぶんには、好きなもの入れればいい。緑のきんぴらだって黄色のきんぴらだって、黒いエビだって良い。ひとそれぞれ、味もそれぞれ。

 レンコンって、日本と中国と、その近隣の国々でしかメジャーな食材ではないらしい。なので、今回の小説のようなことも、ありうると想像します。レンコン自体は蓮の根ですから、世界中に繁殖している植物。けれど、それを食用とはしない地域のほうが地球の大半。食べないひとたちにしてみたら、タコがデビルフィッシュだというのと同様、奇妙に穴の開いたイモのようなものを、それだけで炒めて皿に盛って出すとか、紙でできた扉くらいに珍奇な料理。言葉が通じて、説明してくれるひとがいなければ、スライスされたそれを蓮の根だと言い当てることは、ほぼ不可能でしょう。異国の象徴。口に含むには、愛がいる。

 インドでは、蓮は汚れなき女陰の象徴だとされます。絵にもよく描かれていますし。泥沼に繁殖して、しかし泥には染まらず、真みどりな葉を濡らさず開き、白と赤の花を大きく開く。

 泥より出でて泥に染まらず。
 花の上に象神があぐらをかいていたりするわけで。
 その根っこって、まさに泥のなか。
 宗教画が台所にも貼ってあるような国で、そんなのを食べるなんて冒涜、というか食べることさえ考えないというのは、わかる話です。

 しかし、すばらしきかな中国。
 同じ宗教とともに、蓮の花も伝わったというのに。
 陰と陽の思想、なにごとにつけ最強です。
 泥から生まれて太陽のもとで咲く神々しき女陰の花。

 ……それを支える根っこって、薬効ありそうじゃね?

 漢方薬の先生は、そういうところに食いつきます。
 しかも、食ってみたら、ふつうに食えるし。
 宗教上のタブーを乗り越えてしまえば、食えるものは食うお国柄です。
 でもねえ、イモがあるのにあえてレンコン食うこともなし。泥沼で増える植物より、畑で増える植物のほうが食品として管理はしやすい。そんあわけもあって、あくまで漢方薬だった。

 それが日本に伝わるやいなや。
 ちゃんと食う。
 日本人、そういうのに燃えるタチなんですよね。
 漢方におけるカラダに良いとかそういうのとは別の次元で、扱いにくい食材を、だからこそ美味く食ってやるんだというところに情熱をかける。

 かくして刻は流れ、現代。
 蓮の花の根っこは、コンビニでも売っている。
 腐ったのとか発酵したのとかカタチがおかしいとかネバネバしているとか、そういうことにこだらわないのは美徳ではありますが、世界の70パーセントどころか、ほとんどだれも食べないようなものを平気で食べる島国だってことは、自覚しておいたほうがいいと、きんぴら作りながら思う今日このごろ。

 クジラ? ウナギ?
 私も好きですよ。でもね。おれたちにとっちゃふつうに食ってきたもんだからよお、という言い分はヤカラっぽい。自覚はしておきましょう。レンコンでさえ、ガイジンさんは「蓮の花の根っこ!?」と驚くのです。腐った豆がコンビニに山積みされているような国の当たり前を、納得していただくためには、冷静でなくてはいけません。

 レンコンは、最近は多くのアジア系以外の国々でも栽培されているようです。一時期、野菜チップスが流行したので、その奇妙な切り口の形状に免疫ができたなどと聞く。需要があれば世界に広がり数も増えるという好循環。まあ、同様にクジラやウナギが世界のスタンダードになるかといえば、むずかしい面はありましょうが。けれど、なんでも美味くする情熱もまた日本の心、というのは知らしめていきたいものです。増やせないのかなあ、ウナギ。

(そっと小声でつぶやいてしまいますが、クジラもウナギも、そりゃ専門店のひとは死活問題でしょうが……冷静に考えると、日本の文化が死ぬ、とか騒ぐようなものでしょうかという気が私にはします。レンコンのきんぴらがもう一生食べられなくても、寂しいですが、禁断症状が出るとか、泣いて暮らすとか、そこまでのことかよ、と。なんでも美味くする国民性なんだから、絶滅しそうなものだろうがおれたちは食うんだって言い張るより、さらなる食材の探求に苦心するほうが建設的ではないでしょうか。ほら、季節もあれですし、いくらでも増える、あの黒い虫とか。揚げたらエビに似ているなんて聞きます。清潔に繁殖させてほんつゆで炊いたら意外と……)

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Yoshinogi Takumi
 Shonen-ai Cooking Elegy

17曲目『ヴィアール遭遇』
16曲目『アネ化けロースカツ』
15曲目『逆想アドミタンス』
14曲目『恋なすび寿司』
13曲目『バーベキュー厳峻鋼』
12曲目『茄子はダシの夢をみるか?』
11曲目『すっぱくても、平気。』
10曲目『踏み絵ムルギティッカ』
9曲目『ひとくちだけカトルカール』
8曲目『春節の静かな賞品』
7曲目『ナンを焼くと両手がつかえない。』
6曲目『タマレってなに?』
5曲目『あらいぐまのすきなもの。』
4曲目『ピッツァみたいにぼくを食べてよ!!』
3曲目『クリスピー・プロ・フライドチキン』
2曲目『青くてカタいアボカドのパスタ』
1曲目『春餅/チュンピン』