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 義姉さんのエプロンを着けた。

 まあすでに、義姉さんのワンピースを着ているのだけれど。
 短いスカートでむき出しの膝小僧は、裾丈の短いエプロンを着けても隠されず、身に着けた生地の総量が増えたぶん、かえってすーすーする。

「エプロンの意味ないじゃないか……」

 フライパンの揚げ油を加熱しながら、はねたら素脚にヤケドするよと思うが、その思考の道すじが、義姉さんのそれとは違うのだろうなと気づく。

「そっか……服を守る、エプロンなんだ」

 短いスカートはキョウイチの趣味だ。
 義姉さんは、この裾の短いエプロンで隠れないような服を着て台所に立つことはないのだろう。もっと短いスカートもクローゼットには吊り下げられていた。太ももがむき出しのショートパンツとか――下着とか?

「裸エプロン……」

 たぶん、やってる。
 裸でトンカツを揚げるなら、裾が短くたってエプロンは必需品だ。短いスカートのワンピースよりも、義姉さんの白い肌は守らなくちゃいけない宝物だもの。キョウイチにとって――義姉さんにとっても。そう考えると、このエプロンの短さは絶妙なのかも。はねた油から守られつつ、適度な無防備で、悲鳴をゆるす。

 きゃっ。
 あついっぃい。

 おいおい大丈夫かよと、台所の義姉さんを眺めるキョウイチが想像できる。振り返ったその目に、義姉さんの白い肌が――エプロンに隠されていない、背中とか、おしりとか――もうやだあ、とか言う義姉さんが想像できる。キョウイチはトンカツが好きだ。義姉さんが好きだ。裸でエプロンで熱がっている義姉さんのことは、間違いなくもっと好きだ。

 素手で、熱くなった油に衣をつけた豚肉をすべらせて入れる。油がはねたりはしない。はねるのは、油の温度が高すぎるから。そんなにもは熱くない油にそっと入れれば、パン粉の水分は徐々に抜けるからはじけたりしないし、豚肉のなかまで火を通す時間の余裕ができて、トンカツの失敗にはありがちな、なかが赤いとか、揚げすぎてぱさぱさ、なんてのを回避できる。

「エプロンなんて、いらない」

 短いスカートのワンピースもいらない。膝小僧がすーすーする。いっそ脱いでしまおうか。全裸でトンカツを揚げたってヤケドしないくらい、この料理が得意。あのころ、いろいろなレシピをすごくたくさん調べたし、数え切れないくらい揚げたから。

 キョウイチが好きだったから。

「上手にできた」

 油を切って、まな板に移して、包丁で切って。
 千切りのキャベツとか添えない。
 皿に、でーんとそれだけを盛って。
 ウスターソースと、タバスコと、白ごはん。
 けっきょく、脱がなかった。
 義姉さんのワンピースを着たままで。
 エプロンも着けたままで。
 膝どころか太ももまですーすーして。
 ひとりで、食べる。

「……ロースより、ヒレのほうがよかったな」

 どっちにしろ、脂っこいからトンカツは嫌いなんだけど。

Cutlet01
   
Yoshinogi Takumi
 Shonen-ai Cooking Elegy
 Song 16
 『Cosplay brother's wife cutlet.』

(吉秒匠
 BL料理哀歌
 16曲目
 『アネ化けロースカツ』)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

○材料

豚ロース肉 400g

卵一個
水 大さじ1
酒 大さじ1
薄力粉 大さじ1
塩・こしょう 適宜

パン粉 適宜

○作り方

肉とパン粉以外の材料を泡立て器ですべて混ぜあわせ、切った肉を入れます。

Cutlet02

パン粉をまぶし揚げます。

Cutlet03

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 私は別にロースでもヒレでもかまわずトンカツ好きですが。
 仕事の帰りが遅いもので、おのずと買い物できるのが二十四時間営業中の西友さんに限定され、その西友さんが、近年「米国産豚肉肩ロースブロック毎日お買い得」政策を推し進めていらっしゃる。100gがいつでも100円を切るお値段なのです。実にありがたいのですが、そのくせ、ヒレ肉とか、総菜のトンカツは、そんなびっくりするほど安くもない。結果、時間的に私が買い物するころには日付も変わりかけていて総菜なんて軒並み半額になっているものの、それでもまだ、生身のロースブロックがずば抜けて安い。
 となりゃあ、そりゃあ、そうなる。

 揚げたものの半分は弁当用に冷凍してる。余ったってなにも困らない。だったら量は多いほうがいい。となれば悩むまでもなく、ロースブロック買えるだけ買って、ちゃちゃっと揚げてしまえば幸せ。

 よしながふみさんの『きのう何食べた?』で主人公のお母さんが、

「豚ヒレ肉を1.5cmの厚さに切ってそのまま衣を付けて揚げるだけ」

 だとか、
 卵にはちょっと水を入れておくと

「卵1コでお肉900gぐらいまで衣つけられる」

 などの知恵袋を披露しています。

NANITABE

 でも私、トンカツにソースかけないでタバスコだけでいただく派。だから、肉に塩こしょう(粗挽きブラックペッパー)は必須だし、衣液も水だけでなく風味重視で酒を半量。白ワインとかでも良い感じ。最初に小麦粉はたくのも面倒だから、液に入れちゃってる。衣がぼってりするとかいう料理人さんがいるけれど、トンカツがぼってりしていてなにが悪い。むしろ良い。

 逆に、お弁当用にエビフライを作ったりするときには、卵を使わず塩こしょうもなしの水溶き小麦粉のみでパン粉をくっつけたりします。お弁当はごはんのおかずなのでソースをかける。だったら下味はいらない。

 こういうのも、自分で揚げてこそ。
 お店で下味まで「薄くして」とか、うっとうしい客以外の何者でもない。気にいらねえなら別の店に行けって話だけれど、私の知るかぎり、肉に下味つけないでフライ作っているトンカツ屋にも総菜屋にも出逢ったことがありません。そういう意味では、昭和のころはなんでも醤油味だケチャップだ、というのがママの味だという人も多かったはずですが、中食の根付いた今世紀では、味のないエビフライこそ家庭の味になりうるのかもしれません。

 いや、ほんとつくづく思う。
 前述のように、冷凍庫に弁当の具材を溜め込み、前日の夜に弁当箱に詰め込むスタイル。で、そこに買ってきた総菜とか冷凍食品を足すと、翌日、味の差にうーん、となるのです。お弁当には醤油とかソースとか添えるんだし、料理そのものは素材の味だけで調味料なんていらなくないですか。たとえば醤油で食べる刺身に塩こしょうがされていたら気持ち悪い。なのに醤油が添えてある幕の内弁当のシャケはすでに塩辛い。
 納得いかない。

 ……なんてことを近所の総菜屋で力説したらクレーマーになってしまう。だから黙って自分でシャケを焼くのです。トンカツを、エビフライを揚げるのです。調味料抜きで。小説のなかでは揚げたトンカツを包丁で切っていますが、写真は切っていない。肉から作るならば最初からひとくち大に切っておけば、手間が省けるし、冷凍もしやすい。

 ん。ソースかけないからトンカツには塩こしょうが必要だって話でしたっけ。まあ、あれですよ、あれでそれ。そういうあれで、その日の事情と気分によって味が変わってこその家庭料理だというあれです。なんでもいいのです。思い返してみると、卵使わないでお弁当のフライを作るようになったのは、実家で母と話していて、弁当を前の夜に詰め込むんだという私に、まとめて作って冷凍するほうが面倒だわ、という母がエビフライだって三分よ、と教えてくれたのがきっかけだった。調理法のバリエーションが増えれば、なんでもありになる。そこ重要。

 そんなわけで、ロースカツを作ったあと、汚らしくボールに残った衣液とパン粉のくずを、細切りにした鶏肉にからめてついでに揚げてみる。

Cutlet04

 冷凍して弁当の隙間埋めに使います。なんだかんだで一回揚げ物すると、一週間くらいお弁当が充実、いみじけれ。

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Yoshinogi Takumi
 Shonen-ai Cooking Elegy

15曲目『逆想アドミタンス』
14曲目『恋なすび寿司』
13曲目『バーベキュー厳峻鋼』
12曲目『茄子はダシの夢をみるか?』
11曲目『すっぱくても、平気。』
10曲目『踏み絵ムルギティッカ』
9曲目『ひとくちだけカトルカール』
8曲目『春節の静かな賞品』
7曲目『ナンを焼くと両手がつかえない。』
6曲目『タマレってなに?』
5曲目『あらいぐまのすきなもの。』
4曲目『ピッツァみたいにぼくを食べてよ!!』
3曲目『クリスピー・プロ・フライドチキン』
2曲目『青くてカタいアボカドのパスタ』
1曲目『春餅/チュンピン』


 代表作は『シェンムー』と『セガガガ』と『カルドセプト・サーガ』。
 セガっ子にとっての永遠の男爵、冲方丁。
 うぶかたとう。

 そんな男爵の小説界での金字塔『マルドゥック・スクランブル』シリーズの映画化が完了した。

 いや、完了したのは昨年の話なのですが。
 三部作の三作目が先月、やっとディスク化されたのである。
 ファンなら劇場で観ろ、というもっともな声もありましょうが、なにせこのシリーズ映画化、三部作ですが一作が一時間。あわせても三時間。もちろん都心のマニアックな劇場でしか公開されない。私が働くのは辺境の地。一度に観せてくれるならまだしも三回にわけられると、都合三回分の休日が飛ぶ。三年で三回とか多すぎる。困ります。

 というわけで、それぞれ劇場公開から一年の間を開けてのディスク発売を待ち、それを観た。三作目は、いま観た。だから2010年11月6日に劇場公開された『マルドゥック・スクランブル』のシリーズは、三年後の今日、私のなかで完結です。

 なので、いま祝う。
 すばらしい映像化でした。
 満足しました。

 よーしさっそくブログに書くぞ、と言いたいところなのですが。これ読んでいるあなた、たぶんまだ観ていないでしょう? なにせ駅前の大きなTSUTAYAで検索かけましたが置いていなかったくらいですから。ぼくらの男爵、渾身の映画化とはいえ、やっぱりそもそもがダークネスな物語で、家族揃ってみんなで観て、というようなものではない。それに加え……

 三時間とか、短すぎる。

 おそらく、この映画に食いついたひとの半分は、原作小説のファン。あとの半分は漫画版を読んだか、大物声優さんテンコ盛りなので、そっち方面のかた。

 そこで男爵、考えた。
 いっそエッセンス。
 そう、この映画化、小説を書いた本人である冲方丁が、脚本を書いているのです。それゆえに、物語っている側も、観ている側も、だらだらした展開は望んでいない。小説であれ漫画であれ『マルドゥック・スクランブル』という物語を事前に摂取したうえで観ないと、三時間では説明不足な部分が多々存在するのです。

 なので、映画の内容について語りたくありません。
 すばらしい出来ですし、主役トリオを演じる、林原めぐみ、八嶋智人、東地宏樹、の圧倒的クオリティな声優演技があれば失禁できるかたは、物語はどうでもいいでしょう。観てください。それぞれの魅せ場たっぷり。つゆだくです。

 ですが、この私の『徒然』を読んでいる通りすがりでないあなたには、ぜひとも強く、原作を読んでから映画。これを遵守していただきたい。貴重な体験ができます。忘れられない作品となるはずです。

 つーことで。
 映画の内容には触れませんが、いま観て、なにを祝うか。
 なにかやりたい、書きたい。
 そうだ男爵オンみずからの脚本化。
 ばっさりざっくり物語が削り取られていることを原作ファンとして、ああ、あすこのシーンが無え、などと思いながら、一方、それによって、唸った部分もあった。

 そこ、残るんだ。
 いやまあ、残すよね、そこは。
 つまり、それが言いたかったわけね。
 エッセンス。

 原作を読んだときに心に残っていた部分が、原作者の手によっての取捨選択の果て、三時間のなかに残っていたのを観たとき、読者はカタルシスを得る。自分の読解が、作者の思惑と一致していたということですものね。それこそドッキング。一体感です。物語る側にも、語られる側にも、身もだえできる瞬間。

 『マルドゥック・スクランブル』は、けっこう魅せ場がわかりやすい。
 かなりの率で、読者と作者の「ここは残すべき」という思いは合致して、そのシーンが映像化され、原作ファンを悦ばせるものとなっていた。原作有りの映画で、それって当たり前だけれど大事なところ。映画から入ったひとはなんだかよくわからないし、原作のファンもあれこれ削られてブーイング、という最悪なかたちは、最悪ですがよくある。そこを作者本人が的確に采配して、成功していたというのは、さすが男爵です。シェンムーなだけはある。愛すべき友をもて。

 わかんないひとはさておき。
 それを書きます。
 この映画化にあわせ、完全版として書きなおされた原作小説『マルドゥック・スクランブル』から、映画化のさいにも削られず残った作者公認の「物語の核」少なくとも三時間あるならこれは入れておかなくちゃな部分を引用し、その「部分」についてチョイ語る。

 そういう祝いで。もしもまだ触れたことのないあなたがそこにいるのなら、あなたの『マルドゥック・スクランブル』への興味を惹けたら、うれしい。

 まずは映画第一作。
『マルドゥック・スクランブル 圧縮』

Mardock Scramble

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 ──こんな感じだったんだ。

Mardock Scramble

冲方 丁
『マルドゥック・スクランブル The 1st Compression〔完全版〕』

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 短いセリフだけれど。
 ヒロイン、ルーン・バロットは、性的に搾取されて殺された少女。その彼女が科学の力で生き返り、他者を圧倒する力を持つことになった。その力を解放しながら、バロットがつぶやくのです。

 男の人たち。
 いつも、こんな感じだったんだ。

 私は男なので。
 言われて、返す言葉がない。

 客商売をしています。
 よくサービスカウンターで、女性の同僚が言っているのを耳にする。

「大きくて怖い感じのお客さんは得だよね」

 それなりに肉体労働がともなう職場。男性社員もひょろひょろなのは少ない。どちらかといえば仕事で筋肉痛にならないために、家に帰っても筋トレやっているようなひとたち。私もそう。でも、平均身長で、平均よりちょっと筋肉量は多い男な私でも、腕力のありそうな男性のお客さんが現れると、怒らせやしないかと身構える。身構えている時点で言いかえれば気合いを入れて接客しているということ。小さくて気弱そうな女性のお客さんだと手を抜くってわけじゃない。違うし、大きな男のお客さんだって、たいていの場合、威圧的な態度をとったり、実際の暴力を行使したりするわけでもない。違うんだけれど、やっぱり、私はその女性同僚のつぶやきにも、返す言葉がない。

 特に、ルーン・バロットのような小柄な少女とか。
 ほとんどの他人が、自分よりも大きく強い世界。
 それは、どういうものだろう。しかも少女は身をもって、それなのに男は自分よりも小さな生き物を力で征服することに悦びを見出しがちであると知っている。

 私は宝くじが当たったら、よさげな株でも買おうかと思うが、金があれば他人を征服するために使いたいと願うひとは、存外多いのかもしれない。力を得たら、即行使して「こんな感じだったんだ」と、つぶやく。こんな感じ。その感じを得られることが幸せだとは思わない。けれど、だれかをねじ伏せられる力を得て、つぶやく少女に、やはり返せる言葉はなく、少女の行使する暴力に、魅入る。

 映画第二作。
『マルドゥック・スクランブル 燃焼』

Mardock Scramble

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「いるべき場所、いるべき時間に、そこにいるようにしな。着るべき服、言うべき言葉、整えるべき髪型、身につけるべき指輪と一緒に。自分自身の声を、おろそかにせずに。女らしさは運と同じさ。運の使い方を知ってる女が、一番の女らしい女なんだ。そういう女に限って運は右に回るのさ」

Mardock Scramble

冲方 丁
『マルドゥック・スクランブル The 2nd Combustion〔完全版〕』

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 得た力に耽溺しそうになりながら、自分を見失わなかった少女が、あこがれた女性。カジノでルーレットを回すベル・ウィングが言う。

 女らしさ?

 幸運のルーレットは右に回る。
 女らしさは運と同じ。
 ベル・ウィングの語る女らしさとは、ほとんど隠密行動だ。
 でも、運の使い方?
 いや、運とは、女らしさ。
 すなわち。

 女らしさの「使い方」を知る女に幸運は訪れる。

 男は小さな生き物を征服したがり、女は自身を「使う」。
 少女があこがれた強き者は、少女が知るのとは別の強さを持っている。

 強さとは。
 他者を圧する力を得ること?
 それとも反逆しないこと?

 心当たりはある。
 ふう。
 心当たりがありすぎて、書いていて冷や汗をかく。

 映画第三作。
『マルドゥック・スクランブル 排気』

Mardock Scramble

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「体感覚を操作しろ、バロット! 痛みを消せ!」

Mardock Scramble

冲方 丁
『マルドゥック・スクランブル The 3rd Exhaust〔完全版〕』

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 出演作品的には私の趣味から少し逸脱するのだけれど、読書家で知られる某アダルトビデオ女優さんのブログを、もう何年も読んでいる。そういうアーティストさんのブログを何年も読めるということ自体が稀有なことだが、彼女は、仕事を辞めてもブログを続けている、というのではなく、いまだ現役なのだ。

 私なんかよりもずっと熱心に、彼女は三部作が公開されるたびに、劇場に足を運んでいた。もちろん、原作小説は読んでのうえで。大ファンなのだそうだ。そういうブログを読んでいたので映画『マルドゥック・スクランブル』を観ながらも、ときどき思ってしまった。

 虐げられ、力を得て、それでも自分を見失わずだれかにあこがれ、だれかとともに生きたいと願う少女ルーン・バロットに魅入られたAV女優のことを。何年もやっているので、撮影に対する泣き言もときにはブログに書いてしまう、彼女の視点を。

 特に、ラスト近くの、アクションシーンのなかでのそれに。

 少女は改造人間になって自分の体感覚を操作(スナーク)できるようになったが、そのまえから、ただの人間の少女のころから、そうやって生きてきた。

 映画では、その独白は大幅に削られている。
 けれど原作を読んで劇場に足を運んだ彼女は知っている。

 心臓が止まるか、発狂するか、無になるか。

 演じるということは、自分を無にすること?
 無になったその洞に、違うなにかを詰めること?

 そうではない。
 バロットは無になり、殻に閉じこもり、痛みを消す。
 そして殻を破って、もういちど目覚める。

 私は笑む。
 時間軸はずれたけれど、同じ映画を隣で観ている彼女のことを、少なからず想った。出演作は趣味ではないが、その生き様からは目が離せない。彼女は、痛みを消せと叫ぶ金色のネズミに、けっして「そんなのは簡単なこと」と答えはしない。胸は痛むはず。心臓が止まるほど。それなのに。いや、だからか『マルドゥック・スクランブル』を愛している。

 物語の力を思う。
 これが、彼女のブログ上の演出だとしたら、私はまんまとノせられているのだが。ルーン・バロットの「力」が、現実世界でだれかを支え助けている。それは彼女のことではない。彼女は現実に存在するアーティストで、アイドルで、彼女の愛らしい喘ぎ声があるから生きていける、そういう希望を現実に振りまいている。それを観て私も、傷ついているひともいっぱいいて楽園にはほど遠いにしても、この世界はすげえいいところだと涙する。

 あなたはいま、この文章をどこで読んでいるのだろうか。
 ここまで、五分か、十分ほど、使わせてしまっただろうか。
 もしかして、いまから出勤ですか。
 だったら、行ってらっしゃい。

 ねえ、ここは、いいところだって。
 そう思いません?
 私は思う。

 今日、ついさっき『マルドゥック・スクランブル』を観終わった。
 祝、完結。
 いろいろ考えた。
 個人的すぎて、あなたには伝えられないようなこともたくさん。
 なかなか、力のある物語だ。
 あなたも、よければ、そういうものを必要とされているときに、ああそういえばあの野郎が薦めていたそういう小説と映画があったなあ、と思い出して。
 時間軸はずれても、心の底から、隣であなたにも観てほしい。

 気に入れば、小説には続きもあります。
 (間違えました。続きではなく、前日譚です)

Mardock Scramble

Mardock Scramble

Mardock Scramble

 男爵は、どこかで、あわよくば『マルドゥック・ヴェロシティ』もアニメ化したいと発言していました。生けるジャパニーズ・サイバー・パンクの旗手のひとりとしてシュピーゲル・シリーズも好調。ご本人はラノベ辞める的発言されていますが、辞めると言って戻るのがエンターテインメントスポーツの常道ですし。
 無尽蔵なご活躍を、勝手に期待しております。

 あ、もちろん『シェンムー』の続きを、なによりも、なによりも、なによりも、なによりも待っていますけれどね、むろん。未完なんていうのは、ケジメを重んじる男爵の美学に反さないのでしょうか。待っています。待っています。待っています!

 (待っていますが。でも、当時のプロデューサー発言からすると、すでにシナリオはラストまでできていたと読みとれるんですよねえ。ゲームにしなくてもいいから、シェンムーの樹が物語のなかでどういう意味を持つのかとか、この途中で終わってすっきりしない感をどうにかしていただけたらそれでいいんですけど。どこかでこっそり男爵が漏らしてくれないかなあ。もうどうせセガは握ったまま作らないでしょう。いいんじゃないかなあ。そのあたりが逆にケジメなのでしょうか。ちぇ)



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「やっと叶えた夢はクソだった」

 カウンセラーのもとを出て、陽光あふれるビーチを眺めるベンチに腰かける。

 この時点で私は思う。
 雪のなかでの九年前の回想シーンを観て、一転して光あふれるビーチ。映画みたいなクレジットが流れ、映画のような風景のなかにいる。

 映画のDVDディスクってたかだか二、三時間の映像が収まっているだけでいっぱいいっぱいになっているのに、ゲームって。同じDVDに入っているのに、この世界を動きまわれて、これから少なくとも数十時間、さまざまな物語に出逢う。

 映画を観はじめるときには終わりを意識する。
 新しいゲームをはじめるときには、いまから飛びこむ世界を想う。

 これがゲームの真髄だ。

 最初から二転三転のドラマを魅せられて。
 いま、九年経って人生に疲れて、ベンチに座ったら、通りがかった若者ふたりに声をかけられた。

「ああ、そこの黄色い建物だ」

 なに他人に訊いてんだよ……そんなことでモメながら、若者ふたりは、その黄色い建物に向かって行き……

 私は、その若者ふたりの、片割れになる。

「おれ、こいつなのかよ!」

 声に出してツッこむ。
 いまカウンセリング受けてベンチに座ったのは?
 戸惑う間もなく、黄色い建物の裏手に止めてあった二台のスポーツカーのうち、赤いオープンカーを選び、乗り込む。

 もはや過去は関係ない。
 広大な都市に放りこまれた。
 最初の仕事は車を運ぶこと。
 それを終えたので、家に帰って着替えることにした。
 黒いシャツに、純白のパーカー。

 どうやら、しばらく私は、この若造であるようだ。
 だったら散策しよう。
 テレビを観ている、あれはおれの母親か?

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

『グランド・セフト・オート4のプレイ初日』のこと。

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 『4』から五年。
 今回もAmazonnさんの前日発送にもかかわらず、のんびりゆうメールによって発売日の翌日に届いた『Grand Theft Auto V』。ブイじゃないよ、ファイブだよ。
 いまいちど書いておこう。

 『Grand Theft Auto 5』

 よく知った町のはずだが、私は今日、いま放りこまれた。
 黒人の青年になって、歩く。
 夜だ。あらゆる店に堅牢な金属製のシャッターが降りている。『Grand Theft Auto 5』は未来の物語ではない。ということは、いま現在、こういう町は、こういう風景なのだ。バットで殴られても平気なシャッターで店を覆わないと、窓が割られる、侵入される。

 そんな町で、私はローンを払えない奴らから車を回収するのですが。

 私が関わってわずかに三件目の回収で、衝撃の事実を知らされる。
 おれのボス、クレジット詐欺をやっているらしい。
 私を脅し、ボスを痛めつけたのは、詐欺被害者の父親。
 私はボスを殴り倒した男から金を受け取り、会社を辞めることになる。

 そして私は、若造に金を渡し、詐欺師をぶん殴った、その男になる。
 夢を叶えたが、その夢はクソだった男に。
 悩める中年に。

 以後、若造と、おっさんの、どっちにでも好きなときに切り替わることができるようになり、私は、自分が何者であるのかもよくわからなくなりながら、混沌の町に染まっていくのです。

 おおこれぞまさに、グランド・セフト・オート。
 さっそくストリップバーに行ってサファイア嬢との親密度を上げ、映画館に行って、女性ホルモンのせいで情緒不安定な相棒モリーにわざと床に落とした鉛筆を拾わせてケツの丸みを楽しみながら共産主義者の魔の手と戦うジンとタバコを愛する男ゴードンの映画を観る(ちゃんと鑑賞できるくらいの映画作品なんですよね、これがまた)。

 スマホを起動させると、インターネットもできる。もちろん『Grand Theft Auto 5』の世界のなかでのインターネット。たとえば、SNSサイト『Bleeter』は、こういう売りだ。

「短い言葉による自己表現の世界へようこそ。他人や高校時代の嫌いな連中に、日々の出来事を24時間たれ流しましょう。楽しい人生と愉快な友達、そんな幻想へようこそ。」

 覗いてみるとタイムラインに流れているのは、少しばかりやさぐれたブリート。
 たとえば。

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@cowboy_becky 彼をパパの息子だって思ったら気分も落ち着いた。アリゲーター・ファームでも愛に垣根はないし別に不思議なことじゃない。

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 140文字。
 それってツイッターの文字数制限。
 パロディにしても、あからさま。許可得てんだろうか。
 英語でもときどきつぶやいたりする人だとわかるはずだけれど、英語だと、ツイッターの文字数制限は、ぜんぜん日本語のときよりも短い内容しか書けない。ほんとにひとことつぶやくだけみたいな感じになる。ていうことは。だれが大変だったのかは知らないけれど『Grand Theft Auto 5』の日本語版を出すということは、たとえば主人公が持っているスマホでインターネットをはじめて、ブリーターを覗いたとき、そこに書かれている内容までも訳さなくちゃいけないってこと。それも140文字制限の英語を日本語に置き換えて、不自然にならないように意訳する。
 悪夢のような作業。
 そして『Grand Theft Auto 5』において、その手のテキストは無限といっていい数ある。

 涙を流して感謝したい。
 邦訳された小説や、映画の字幕のように、そのすべてがプレイヤーの目に触れるわけではない。ブリーターを覗かないでゲームをクリアすることは、もちろん可能。それでも、細部まで詰めてある。当たり前っちゃ当たり前だが、それが当たり前にできるということが、五年待って新作を躊躇なく予約できる信頼感につながっている。

 前作で、アメリカという国の抱える移民問題を深く描いた『GTA』は、今回はどうやら、アメリカがカウンセリングを必要としている「叶った夢=クソみたいな現実」は本当にクソなのかを描こうとしているようだ。ギャングの徘徊するスラムがあり、高級住宅街と、いまだ都市化されない貧しい自然の村。現実世界では広大な敷地があるゆえに見えにくいが、それらを車で十分あれば横断できる仮想の箱庭に詰めこんで、主人公も三人。そうなってみると、よく見える。よくわかる。

 夢って結局、金でしょ。
 でも、金を掴んだ者が、なにをできるかと言えば、クレジット詐欺に遭うような頭の足りない息子を持ち、テニス? ゴルフ? 愛人? いや別に、そんなのが欲しかったわけではなくて。

 過程にいる者が、もっとも幸せであるという真実。
 誕生して十五年を数える人気シリーズでありながら、やっとナンバリングは『5』。期待されるぶん、進化するために必要な時間。『3』以降は、それなりに完成したゲーム・システムなので、待たされる我々は「もういいからシナリオだけ新しくして新作出せよ」なんて言い続けていた。

 それでも焦らして、やっと来た。
 それに触れて、唸る。
 このシリーズは、まだ過程なんだ。
 なによりも、野心が感じられる。
 前作で、その国に溶けこむことのできない移民の閉塞感を描いた結果、その主人公が大暴れする展開は、復讐劇のようになってしまった。それが、今作では、主人公がスイッチすることで、プレイヤーは差別と蔑視にまみれた世界で暮らしているのに、それに染まれない。だって自分自身がバカな黒人のガキになり、妬まれる豪邸の主になり、ジャンキーになる。

 どんなに言葉を尽くされるより、伝わる。
 強盗がテーマだし、車盗みまくって人襲いまくって金奪いまくるゲームで、それなのに、ノンフィクションの匂いがする。ちょっと大げさに描いているけれど、おおむね、いま、どこの先進国もこんな感じだ。ある種の夢は叶ってしまって、みんな、個人的な明日の充実を欲している。
 けれど、それって、なに?
 
 ポストGTAと言われていた箱庭ゲームたちが、総じて自由度を突き進めるなか、本家は、物語をしっかり描いてきた。すべてのひとに、これを薦めたい。できれば『4』を先にやって欲しい。そうすることで、あなたはちょっとだけでも混沌の国に住んだ気分が味わえるし、『5』をプレイしたとき、この五年の技術的な進歩にも酔える。

 進化の最たるものとして、モバイル連動も。
 Xboxには『Xbox SmartGlass』という使えないアプリがあるのだけれど、それをガン無視して独自のアプリをリリース。



 ゲーム内では専用端末も売られている、モバイル用のOS『iFruit』。現実の端末にダウンロードして起動すると、アイコンが並んだ某リンゴのトレードマークなOSそっくりな画面になります。 
 
 これで、リアルなお外でも、車を改造したり、犬を育てたりできる。もちろん、その結果はリアルお家での『GTA5』にフィードバックされる。そうだよこれだよ。あのセガの名機ドリームキャストのコントローラーには、取り外せる液晶モバイルが仕込まれていて、それでドット画のキャラを育成したりできた。『ソニックアドベンチャー』におけるチャオなんて、まさに、たまごっち。あれのほうが、よほどいまの『Xbox SmartGlass』よりもプレイした。そこがわかってるRockstar Games。

 疑似のOSのなかでアイコンをタップして起動するゲーム『チョップ・ザ・ドッグス』。チョップは全く訓練されていない、大きいアゴを持つ、愛くるしいロットワイラーだ(まったく、を漢字で全く、としてしまっているところが、多少のぎこちない邦訳感が出ておりますけれど)。
 犬育てるのたのしいです。
 チョップくんの幸福度を上げてやるのです。
 あのころのチャオよりも、ずっとリアル。
 でもやっていることは同じ。
 (チャオ同様、チョップくんに雌犬をあてがって交尾させると幸福度が上がったりします。それってしつけなのか……)
 これこそが正統進化というものですよ。
 わかっていらっしゃる。

 とりあえず、プレイ初日、こんなふう。
 毎度のことだけれど、散歩だけで時間が過ぎていく。ゲームのなかで映画観て、リアルに時間が過ぎていくとか、Rockstar Gamesならではだ。こっちも期待していて、それをがっかりさせない。ストリッパーの彼女との親密度、マックスになったら、やっぱ店のトイレかな。それとも彼女の部屋に招待されたりするんだろうか。

 前作では、移民だけれど、移民であるがゆえに、移民同士の友情があった。それが今作は、だれもが孤独だ。この国で生まれ育った彼らなのに。プレイしながら、そういえば、いちばん親しい友人にさえ、しばらく逢えていないとかえりみる。猛暑も過ぎ去ったし、鍋パーティーでもしようか。車を盗んで銀行を襲うアクションゲームをしながら、現実の自分の人生について考えこんだりする。

 この感じが、唯一無二。
  
 アクションゲームだけれど、ゲーム苦手だから秒殺とか、そういう凶悪さはない。むしろ、ガチガチのアクションゲームを求めるゲーマーのなかには『4』が受けつけなかったという人も多い。私は真逆で、このゲームの進化の仕方は、物語るジャンルとして、おもしろいことになってきたと感じている。映画や、舞台がそうであるように、ある種の物語は、客を逃げられない椅子に縛りつけて、顔をそむけられない状態で語るのが効果的だったりする。

 『Grand Theft Auto 5』は、まったくもって憂鬱なストーリーを、序盤から手練れのアクションゲーム要素で、観ずにはいられないようにして語る。気に入るにせよ、気に入らないにせよ、いちど触れてみることを、強くオススメしたい。まさにそこで描かれる人々のように、バカで憂鬱で耽溺に逃げて、明日が来たってそれがどうしたという方にこそ。人生で味わったことのない刺激を味わってから絶望しようかと、やったことがないパチンコに行って数万すったり、行ったことがない風俗に足を運んで反吐が出るようなブサイクに舐められてそれでも勃起してしまって帰って泣いたりするくらいなら、『GTA』にまだ触れていない人生をまずどうにかすべきだと私は思う。

 約束された名作がやってきて、まぎれもなく名作だった。
 映画のナンバリング『5』で、そんなの観たことない。
 けれどゲーム界には、こうやってある。
 期待に応える物語の在りかた。
 歩くだけで時間が潰せる仮想の現代都市。
 結実であり、まだ過程。
 プレイ初日の感想は、

「自分が知る全員に、これやって欲しい!」

 私は『Grand Theft Auto』が好き。
 今回も好きであり続けられたことを、感謝します。
 とてつもなく良い仕事です。

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