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Mooncake

月餅。ムーンケーキ。
日本では、飲茶デザートでおなじみ。
当たり前だが、実際に食す、おやつである。
しかし、本場では。
毎年、売ったメーカーが月餅を回収する。
数年前には、過剰包装が法律で禁止された。
どちらも、月餅が食べるものではなく、
贈るものとして使われすぎているからだという。
秋の月見祭には、月餅。
とにかく贈る。
会うひとどころか、会わないひとにまで贈る。
贈られるのに自分でも買う。
会社は従業員へ配り、営業は取引先へ届け。
月餅は薄い小麦粉皮の内にアンコいっぱい。
いくら月を愛で秋の実りを祝ったところで、
そうそう何個も食べられるものではない。
というか食べすぎて体を壊すのも困る。
しかし秋の月見祭が終われば売れない月餅。
叩き売られる。そして、カロリー信奉者が買う。
あのメーカーの月餅食べすぎて私の人生は……
そんなのは困るので。
祭が終われば、月餅は自主回収されるのである。
一方、過剰包装がなぜ禁止されるかといえば。
やりすぎる営業マンがいるからだ。
秋に月餅贈るのは当たり前。
だから贈った、それだけのこと。
たとえば、高級車付き月餅とか。
そんなお菓子がありますね。
ミニカーに、ガム一枚。
ガムだからお菓子売場に並べる、これ当然。
売る側も買う側もわかっちゃいるのですが。
月餅にゴルフセットつけただけ。
月餅に宿泊券つけただけ。
月餅にテクのある女の子をつけただけ。
決して高官へのワイロなどではなく、月餅なので。
って言い続けてきたのですけれど。
さすが昨今の汚職公務員大増殖に、
遊んで泊まってねぶられて、
それワイロだって認識なく月餅だと思ってた?
その言い訳が通るほど国民アホだと思ってる?
で、法律化されたという。
便利だったのにね、月餅。
食べなくても作る、捨てるほど作る。
食べなくても贈る、贈るために贈る。
お中元お歳暮年賀状さえ忘れつつある身としては、
それってあれだよねえ、なんか、バレンタイン?
そういうのに近い気がする。
チョコの日だから好きとか言うのあり。
チョコにあたしをつける抱きあわせもあり。
いや、だったら告白だけでOKですよ?
甘いもの苦手なんで……
チョコも、月餅も、美味ですが。
バレンタインにフラレたひとも多い。
月餅のために借金したひとも多い。
見るだけで「きー」ってなるひと、いるんだろうな。
そういうことを、日本で月餅を見ると思います。
贈り物のために借金するとか、バレンタインに動悸息切れとか。
そういう神経質さは、この国から消えつつある。
食べると、小豆と小麦と砂糖の味。
ありふれた味の菓子に、意味深し。
でもそんなの隣の国の話、知ったことか。
ここでは、好きにしていい。
季節はずれで月がなくても、食べたいから月餅。
贈り物は贈りたいときに、愛はいつだって叫ぶ。
恥ずかしげもなく月餅を食いながら笑うのだ。
私は囚われていないのです。
ふふん。

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 そんなこんなで鍵だとか、チケットだとか、金塊なんかを埋め込んでワイロにするために月餅は便利です。これがドーナツなんかだと、作るのに非常に手間がかかる。その点、月餅の中身であるあんこは、粘土のように自由自在。

 唐突ですが、あんこレシピ。

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○材料
あずき 200g
さとう 200g

○作り方
あずきを600ccの水で煮ます。
やわらかくなったら
さとうを加えて
水気がなくなるまで煮詰めます。

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 このあいだ嫁の実家に泊まったら、義母が朝食にトーストと目玉焼きとタッパーいっぱいのあんこを出してきました。
 最近凝っているらしい。
 ちなみに上のレシピは一般的な分量で私が適当に書いただけですが、彼女のあんこにはハチミツやらなんやら企業秘密なあれこれが加えられ、実際に近所で評判なのだという。義母は花屋を営んでいるのだけれど、近所の男の子が、花ではなく「おばちゃんのあんこ」を目当てに訪れてくるレベルに達しているのだそうだ。
 その男の子(小学生)が、トーストにあんこを塗って食しているらしい。

「たくみさんもお食べ」

 そう言って彼女は微笑んだ。
 毅然と断りました。
 ていうか、私が来るとわかっていてじゃあタバスコを買っておく、というくらいに私の味覚をわかった方が、その発言は嫌がらせかと。
 半分砂糖の食べ物なんて、口にしたら気を失ってしまうかもしれません。

「わかってるわよ。言ってみただけ」

 しかし、それ。
 そのタッパーで小学生にあげて、その子、おかわり頂戴とやってくるの?
 200gどころか、倍入るよね。
 その子の肉体が心配です。

 言っておきますが、私は別にあんこが嫌いではありません。
 高校生のときには、本気でたいやき屋になりたいと思っていた。
 まあ、ちょっとテキ屋さんが主役の映画シリーズにかぶれていたせいなんですが。
 あんこに、悪い印象はない。

 しかしまあ、たいやき屋は昨今、きびしいかもしれません。
 ロサンゼルス・タイムズの記事で、月餅が叩かれていましたが、その記事の内容たるや、月餅は一個で800キロカロリー、それに対してマクドナルドのチョコレートサンデーは330キロカロリー。チョコレートサンデー二倍以上のカロリーを三分で摂取させる食べ物を、国中で贈りあっているというのは奇特なことだ、と。

 どうでもいいですが、比較対象に出されたマクドナルドのチョコサンデーって、日本だと237キロカロリーの表記なので、ロサンゼルス・タイムズを売っている国のマクドナルドのチョコサンデーが他国に比べてかなりでっかいということも公平な記事としては触れておいてもいいのではないかと思いましたが。

 なんにせよ、確かに、月餅は高カロリー食です。
 現代では贈られても食べずに、廃棄の山になって社会問題化というのも当然かもしれません。

 ところで、私に自作あんこを勧めた義母は、当然のように月餅が好き。
 でも彼女はやせっぽち。
 花屋さんは肉体労働者ですからね。
 あんこ好きを公言するには、それなりの資質というものが必要なのかもしれない。
 ちなみに私は、ほぼ同じカロリーの月餅一個と、チョコサンデー三杯と、チーズバーガー三個ならば、迷わずチーズバーガーをチョイスです。チーズバーガー二個とチョコサンデー一杯なんていう選択肢もありません。

 そういう理由で、私はあんこを口にしなくなり、嫌いではないけれど、むしろ好きだけれど、ふと気付けば、とんと記憶にないくらい、口にしていない。

 そういうふうになってみれば、なんだか納得できてしまうのが、外国から来た方が、日本のあんこを食べられない率が非常に高いという話。特に、私も大好きなあったかいプロレスの国あたりから来られたひとは、てんでダメなんだとか。

 そりゃねえ。
 あちら、豆が主食みたいなもので、しかもスパイシー。
 お菓子ですって出されて、口に入れたら衝撃でしょう。
 甘い甘い豆。
 羊羹なんて失神ものでしょうね。
 コンビニでパン買って食べたらあんパンだったりしたら、なんだよこの国ってなるのはわかります。
 氷あずきとか、もう別の惑星の食べ物だと判断してもいい。

 そういえば、あずきという豆の名は、

「あ」=「赤い」
「ずき」=「崩れやすい」

 という意味なんですって。
 赤く崩れやすい食べ物。
 そうだったからこそ、この辺りの土地で根強い人気を保っているともいえます。
 調理しやすい……
 すなわち、料理を染めやすい「赤」。
 赤い色が魔除けになるからこそ、祝いの席では赤飯なのだし、秋の実りに、あんこ祭。
 かつて、流れ着いた異形の人種を「鬼」と呼んだ海に面する国々で、独特に育ったあんこという赤い食品が、外国人留学生の大嫌いなスイーツ第一位になるというのは、見ようによってはおもしろい刻の流れの光景ですけれども……

 借金してまで贈っていたその国でさえ、昨年は、前年比半減の月餅生産数だったとか。詳しいニュースを読むと、どうやら会社で従業員に配る月餅が必要なくなった=倒産数の増加、という図式らしいのですが、そりゃあなあ、ばたばた倒産している中で、秋の実りだ月餅だとか言われても、今月の携帯通信費に困っている従業員側は、カロリーなんていらないから現金でよこせってなる。そういう風潮も、月餅離れを加速させているのは想像にかたくない。

 でもねえ。
 カロリー気にしてお祭りでたいやき買わないなんて。
 それって文化として豊かになってんだろうかって感はあります。
 あんこ食べないけれど。
 トーストにも塗らないけれど。
 異人さんが口にして「この豆あまっ! きっしょい国やなあ」って驚愕しない日本なんて、そりゃあつまんないなあとも思う。

 氷に甘い豆のっけて食いますか。
 そのうえに練乳とか。
 しかも氷はディープグリーン。
 冷静に考えたら、きっしょい。
 でも美味しそう。
 あんこ、次の世代にも残っていて欲しいよ。

 そういう意味では、彼女の行為は伝道師のかがみ。
 魔を除け、倒れないカラダを作り、便通もよくなる。
 さあみんなも小豆を茹でて、同量の砂糖を加え、近所の子供に大きなタッパーで配って、あんこのおばちゃんと呼ばれましょう。
 赤く甘い豆を愛する心をこの国からなくすな!!

 私は作らないですし、食べないですけど。
 だからあなたがやってください。

azuki

 そういえば、スーパーでも、めっきり赤飯て売っていないですが。
 初潮で赤い飯を食うという文化も、そうとうに奇異。
 ぜひとも廃れさせず、嫌がる娘に笑顔で炊いてあげて欲しいものです。

「なんでごはん赤いの?」
「あなたに合わせてよ」

 我が文化ながら、赤面します。
 変な国。愛らしいなあ。

azuki




 ついに来ました新世代。
 ブロック崩し専用機とともに生まれた人生がゲーマーな私ですが、今回はもっとも長く待たされたマシンになりました。

 XBOX ONE

 ワンときたよワン。
 Revolutionとか Infinity∞とか、いっそすべてを排除してXboxだけで来るんじゃないかとか、さまざまな思惑が飛び交っていたところへ、だれも予想しなかったONE。三代目XboxなのにONE。すべてをこの謎箱ひとつで解決という意味らしいですが……

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Xbox 新たなる世代の幕開け - Xbox.com

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 正直に言いましょう。
 私のXbox360は書斎にある。
 リビングにも直した一台が置いてはあるが、私にとってのXboxは執筆のあいまに『Halo』をプレイするためのマシン。座りっぱなしでカラダを動かす気なんてさらさらないし、TV機能もいらない。

 ゲームできればいいのであって、いろんなことができる必要性はまったくないのです。ていうか同じモニタにパソコンつながっていますし。動画の関係は、ぜんぶそちらのお仕事。

 XBOX ONE、私にとっては無駄な機能が多い。
 次世代『Halo』がプレイできるだけのモデルが出てくれるといいなあ、とワクワクどくどくきゅんきゅんの前に注文をつけたくなりました。

 とはいえ。

 発表会に、スティーヴン・スピルバーグおじさまが登場したのは、タイムスリップ恐竜ドラマを観ていたのに打ち切られた私にとっては僥倖。あの頓挫した映画『Halo』を、おじさまがXBOX ONEでドラマ化? それは観なくちゃ観ますとも。

TERRA NOVA

 しかしそこで、それってどういうカタチで観られるのだろうかと、首を傾げる。

 このあいだのauの発表会は失望でした。

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auの発表会、windowsphone8なかったなあ。マイクロソフトの日本での本気が魅たい。あしたのXbox発表会で日本撤退とか言われたら、私はアメリカへ行く。

twitter / Yoshinogi

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 私はWindowsphone7のユーザーです。 
 ですが、そいつはまるで使えない。
 私は、昨日書いた原稿をPDF出力して、通勤電車のなか、ipodで読んでいるのです。
 だってWindowsphone、PDFがちゃんと読めるアプリがないんだもの(いや、たぶんあるのだろうが、iOSで秀逸なソフトがたくさんそれも無料であるのに、わざわざWindows用アプリを探索する気が起こらない)。私は一太郎をメインで使っていて、Wordのバージョンも古いために、一太郎文書をWord文書に変換して入れてみても、Windowsphoneでは「このバージョンは編集できません」とか言われて、いやまあ編集できなくても読めればいいんですけれどって、それもままならない挙動。結果、WindowsスマホでWindows文書を読むのが苦痛で、アップル機を愛するという。

 そんなWindowsphoneですけれど、手放せない。
 動画に対する股の開き具合がアップル機よりもがばがばで、たいていのファイルが入れたらちゃんと観られるというのも大きく、テキストはipod、動画はWindowsphoneな使いわけをしているからでもありますが……、
 それ以上に、Xbox好きとしては、そこらじゅうにXboxって文字が出てくるのがたまらない。

 XboxLiveはもはやXbox360ユーザーが対戦ゲームをするためだけのものではなく、パソコンや携帯でも必須。そう、近ごろマイクロソフトさんのなかで『Xbox』という呼称は、特定のハードを指すのではなく、多くのサービスを総称したものになっている。

「Xboxで見たよ」

 と私が言うとき、それは360でゲームをしているときには限らず、パソコンでファイルを受けとったという意味かもしれないし、携帯でメールを受信したという意味かもしれない。

 いまもう、実際にXboxびいきな私はそうなのだ。

 だとしたら、そのXboxでドラマを作ろうというスティーヴンおじさまが仰られているのも、そういう意味であるのかもしれない。

「Xboxという名のテレビサービスで観られる」

 なのだとしたら、別に筐体としてのXBOX ONEがなくては観られないという意味ではない。そこのところが、文字的にもボカしてある感じがするのは、まさにマイクロソフトと熟練の名工スティーヴン・スピルバーグおじさまのなせるわざなのかも。

 XBOX ONEの発表会で、テレビもやりますよ、いろんなことできますよ、ブルーレイも再生できちゃうんです、そう言いながら、随所随所で、XBOX ONEではなくXboxは、という言い方がされている。それってたぶん、この発表会観ているひとはXbox360の流れで観ているから『Halo』のドラマ、観るために買わなくちゃとなるんだけれど……おそらくはPCでもWindowsphoneでも観るだけならば観られるのでしょう。
 印象です。
 そういうのは大事です。
 こういうプレイもできますってアピールするのは、本当にはそれの専門家でなくても、ちょっぴり客に夢を見させて、意外に客はそれだけで金を払ったりするものですから。

 XBOX ONEの発表をしながら、Xboxというブランドも売っている。

 そういう意味では、日本が用意した動画の通訳さんが『Halo』のことを最初は「ハロー」と発音しているのが興味深い。公式XBOX ONE最初の紹介動画で、Xboxの看板タイトルは「ヘイロー」と読むのだということさえ通訳に教えていないスゴさ。途中で気付いて「あ、ヘイローって読むのね」と通訳を修正してくるのですが、ということは通訳さんが、まず教えられたわけだ。

 スティーヴン・スピルバーグの新作は「ヘイロー」。
 「ヘイロー」はXboxのもの。

 それは、かつてさんざん悔やんだことだった。
 映画が、あれさえコケなければ。
 日本でだって。

(このブログで「2007年にピーター・ジャクソン監督とアレックス・ガーランド脚本で公開が決定しているXboxの代名詞『Halo』」と書いたのは2006年のことでした。超大型SF映画の新シリーズとして華々しく世界で公開されるはずで、そうなっていれば、アメリカ人よりも大作SF映画大好きな日本でのゲーム『Halo』シリーズとゲーム機Xbox360の運命も、違ったものになっていたことでしょう)

 そんなこんなで、多くのニュースでは、スピルバーグが『Halo』のTVドラマ化を手がける、という文章になっていたりする。
 実際のところどうなのでしょうか……
 ああ、もやもやする発表の仕方。

 NBCニュースの記事では、こういう表現になっていました。

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Steven Spielbergworking on 'Halo' TV series for Xbox One - NBCNewsTech

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 マイクロソフト曰く、

「the storytelling magic of television with the interactive innovation of Xbox One.」
「XBOX ONEにおいてテレビが語る物語の魔法はインタラクティブな革新を遂げる」

 スピルバーグ曰く、

「For me, the Halo universe is an amazing opportunity to be at that intersection where technology and myth-making meet to create something really groundbreaking」
「私にとってHaloユニバースは、真に画期的ななにかを生み出すために用意された、科学技術と神話創造の交差点です」

 スティーヴンおじさまの発言を邦訳するときに「Haloの宇宙と神話」というような文章にしてしまっているのを散見しますが、アメリカンプロレスを観るかたならご存じの通り、あちらのエンターテイナーがユニバースという表現を使って客を煽るとき、それは地球が浮かぶ宇宙を指しているのではありません。
 世界最大のプロレス団体WWEのオープニングで司会者は叫びます。

「WWEユニバースのみなさん、こんばんは!」

 つまり用法としては、
「とかげの月ユニバースのみなさんこんにちは」
 と私が発するなら、それはここで書いている私を含めた、この『とかげの月』に接しているみなさんこんにちは、という意味なのです。

 だとしたら。
 上のふたりは、技術屋か夢見屋かの語句選択の違いはあっても、言っていることは同じ。
 マイクロソフトさんの発言の「インタラクティブ」は「双方向」と直訳して問題ない。
 ならば要約すると、

「XBOX ONEでのHaloのドラマはこれまでにない双方向性を持つ」

 そういうこと。
 双方向?
 デジタルテレビが普及しはじめたころ、明日からクイズ番組には視聴者が全員参加できるようになるというような新聞記事が出たりしたものですが、それらはいまだにほとんど実現していない。

 ときまさにPS4が発表され、私はつぶやきました。

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PS4、シェアボタンほんとについてた…いろいろ盛ってきたなあ。

twitter / Yoshinogi

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 テレビだ映画だ言っていたソニーさんが、新しいプレイステーションのコントローラーに取りつけたのは、テレビのリモコンボタンではなく、SNS起動スイッチだった。現実的な路線として、リビングでの画面と現実との双方向性は、まだまだ文字情報が限界だろうと踏んでのことでしょう。機能はテンコ盛りだったけれど、ソニーさんはあえて夢物語を語りませんでした。

 しかし、Xboxは言う。
 テレビとゲームを融合させる。
 それは、クイズ番組に参加するどころではない話。
 だって世界中で発売するハードなんだもの。

 端末を売れば、インターネット網を通じて、世界はつなげられる。
 でも、ソフトが必要。
 世界中で流すことのできる、これまでにないソフト。
 聞くだに、おそろしい計画である。
 マイクロソフトとスティーヴンおじさまは、でも、やる。

 それがどんなものになるのかは、現時点では憶測するしかない。
 だが、双方向テレビドラマで世界を制す、という発言である。
 生半可なものでは巨万の富を持つマイキーだって傾きかねない。

 すなおに考えると、もっとも金が稼げるのは、ふつうのテレビでも観られるドラマとして製作しているが、XboxLiveまたはXBOX ONEを活用すると、プラスアルファな要素が楽しめる、というものでしょう。

 だとしたらそれは、USJの体感アトラクションみたいなのがリビングでできちゃうよ、なんてものであって欲しくはない。

 私が求めるのは、スティーヴン・スピルバーグの紡ぐ物語のさいちゅうに、コントローラーでプレイするゲーム『Halo』が挿入されるという形。それこそ遊園地や映画館では実現できない、リビングの主役を狙うマイクロソフトの遣り口にふさわしい。

 ドラマ『Halo』でアクションシーンがはじまる。
 ぼくらはコントローラーを握って、戦闘に備える。

「マスターチーフ、来てくださったんですね」

 そう、ぼくがマスターチーフ。
 ドラマは観ていたので事情はわかっている。
 さあ、ぶっ放しに行こうか。

 一時停止が自由自在なネットTVにXBOX ONEが備われば、充分に可能である。そういったTVドラマの形式が普及できたとすれば、リビングゲーマー人口はV字回復するかもしれない。

 現状、生まれたときからのゲーマーである私などの目には、ゲームとしてはクソだとしか映らない特撮やアニメの主人公たちが「ただ戦うだけ」な格闘ゲーム群も、その出来でさえ、いまもそこそこ売れている。
 これが、日曜朝の仮面ライダーを観ていたら、プリキュアを観ていたら、
 XBOX ONEに、

「さあコントローラーを取って、きみたちの出番だ!!」

 なんて、のたまわれた日には。
 子供たちのテンションが上がりすぎて壊れてしまわないかと心配になるほどである。

 RPGのムービーが長いと、ムービーゲーなどと言われてクソゲー扱いされるものだが、あれだって、ディスクという中途半端なメディアに頼っているせいもある。XBOX ONEはクラウドを活用して無限に拡張できると語られているけれど、そうなってくればRPGゲームのムービーは、挿入されるものではなく、それ自体が目的として成り立つ一本の作品としてのボリュームを備えることができるはずだ。

 スタートレックの新作を観るために、スタートレックのゲームをプレイする。

 似たような思想のゲームはこれまでにもあるにはあったが(チュンソフトのサウンドノベルなんかは、物語そのものがご褒美として増えていく形式を取り、事実成功していた)、映画とゲームを完全にセットで作りあげ、それをヒットさせたものなどない。これからも、データ量的に可能になってもコストの面で回収できない懸念がある。
 だが『Halo』がやってくれたならば。
 それが成功したならば。

 ゲーマーの夢だ。

 ほんの五年ほど前、『Halo3』のベータテストのとき、私は書いた。

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『Halo3ベータテストと仮想うつつ』の話。

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 そこに世界があると知っていて、そこに自分の居場所があって、だれかと触れあえるのだと知っているのならば。それはだれだって、その場所を訪れるだろう──現実ではないし、私のすべてには成り得ない──けれど、確実に存在して、完全に私の一部となった──

 Xboxユニバース。
 
 とりあえず、方向性は見えた。
 Xboxは、これまでに各社が夢想しながら実現には至らなかった、リビングの中心に多機能ゲーム機、というコンセプトを、ついにマジで狙ってきた。アメリカではレンタルビデオ店がほぼ皆無の状況にまでなっていると聞く。テレビといえばケーブルかネットであって、リビングにいながら映画だって選び放題。それで実店舗が皆無にまでなってしまうのは、広大な敷地を持つがゆえの現象であって、近所のレンタル屋まで徒歩数分の日本では状況は違うかもしれない。

 だが、ここにもひとり。
 我が家のテレビはネットである。
 ちなみに、アメリカンプロレスが観たくて、そうした。
 実際に、レンタルビデオ屋には行かなくなった。
 XBOX ONEでしか体験できない『Halo』があるならば、それだけでXBOX ONEユニバースの一員にも望んでなるだろう。

 私も、リビングにゲーム機を置く日が来るのだろうか。

 ファミコンよりも前に生まれたゲーマーのひとりとして言うならば。
 オンデマンドも『Halo』も認知度の低い日本で、またしてもこのマシンは売れない気がする。
 しかし、言っておこう。
 Xboxは、これまでも私を満足させ続けてきた。
 きっとこれからもそうであるはずだ。

 まずは、私に訴求してみせろ。
 初代と二代目のXboxコンソールにWindowsphoneも使っている私に向かって売れないのならば、この国ではだれも買わない。
 その私が言っておきたいのだと冒頭に書いた。
 そんなに多機能である必要はない。
 少なくとも私はXBOX ONEであろうがなんだろうが、リビングでゲームをしないので、リビング推しをされればされるほど置いてけぼりだ。

 Xbox360でも、マイクロソフトは世界の各国でさまざまに変えた売りかたをしてきた。
 どうぞ、いまの日本にも、似合うXBOX ONEを。
 クラウドで無限の拡張の前に、
 私の望むXBOX ONEを。
 おねがいいたします。

 いやでも、リビングで双方向ドラマティック『Halo』とか、想像しただけで悶絶な私もいて……

 複雑です。
 すごいならとことん。
 選べるなら多彩に。
 受けとめるこちらの願いも、まだ揺れている。





Anchovy

なんでだか、アンチョビという響きはロシアを連想してしまうのだけれど。
それはたぶん、ウォッカにアンチョビが最適だからである。
ロシアの結婚式で、パンとウォッカが象徴として使われるように、
家庭とはあたたまるためのものであり、
寒い冬なんかにはあぶってとろけたチーズののったパンを
ウォッカで流しこんでがっはっはと笑っていれば、
それで幸せ、ひとの肌もあればもっと幸せ。
でも、そこにもうちょっと塩味があれば。
幸せはもっと奥深くなる。
アンチョビは、ギリシャ時代にすでにあったという。
ていうか、小魚を発酵させると茶色い液がとれるぜ、
しょっぱくてそれは美味いぜ、ということが知られていたのである。
魚醤というやつだ。
しょっつるとか、ナンプラーなんてのといっしょ。
目の前に海があるのだから塩には困らないのだけれど、
発酵ってこれなにツンとくるよ凄いよぅっ、
と人類はいけない味をおぼえてしまったのである。
ウォッカとならぶ生活の酒ワインに目のないギリシャ人どもは、
そうして魚を発酵させては汁を得て凄いよぉぅと言い続けていたのだけれど。
まあ、当たり前だが、発酵させた魚の身が残る。
塩漬けなので、ガツガツ食えるものではない。
しかし、これもクセになる味ではある。
使いやすいようにオイルに漬けてみた。
食べやすくなった。
パン……つまりはイタリアのピザにのせてみた。
うむう。いけるじゃないか。
こうして白米におけるたくあん漬けのごとく、
アンチョビで小麦粉をガツガツいける文化が花開く。
たくあんそのものをつまみにして飲む粋な江戸っ子のように、
アンチョビでワインを飲むギリシャの血も育つ。
……そもそも、アンチョビってそういう……
ありあまっていたものをもったいないから食おうぜ、的な
食品であり調味料でもあり。
私はウォッカもワインも好きだ。
ピザもパスタも好きだ。
アンチョビが好きだ。
だが、買うと高い。理不尽な値段である。
ガツガツ食おうと思えば百貨店なら棚買いしなくてはならない。
だったら美味しい肉をつまみに食うほうを私はえらぶ。
アンチョビの原料であるイワシは、この国でも安い。
あろうことか天然のイワシが養殖魚のエサにされているくらい、
あたりの海にいっぱいいるのだ。
だったら作ればいい。
古代ギリシャ人が作れたものが現代日本人に作れないわけがない。
理不尽に高級食材のごとく扱われている缶詰を買わなくても。
こんど安いカタクチイワシを見つけたらまとめ買いするぞ。
おっきなガラス瓶にいっぱいのアンチョビを作るんだ。
そう私は心に決めていたのだけれども。
さっき近所の業務スーパーに寄ったら、
先週まで売っていなかったアンチョビが売っていた。
100g(固形量60g)で¥298。
あ。これでいいや。
で、パンにのせて焼きました。
いまから食べる。
需要があればいっぱい売られるようになる。
業務用も出回って安くなる。
ありがたいことですね。  
適正価格で買えるなら作らない。
こうやって、たくあんも家で漬けなくなったんだろうな。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 しかし業務スーパーさんのいつものことで、ある日現れた輸入品は、ある日突然消え去って二度と現れない。あー、もうトーストどころかサラダなどにまでアンチョビ入れるようになっていたのに、売るなら一生売ってくれないと困るなあ。

 どこぞに在庫ありませんかね。
 とググってみたら。

 ふつうにAmazonさんで大瓶を売っていた。

 

 最近、それらを買っては試す日々。
 しかし私、どうもアンチョビのハズレを感じる舌を持っていないらしい。どれも美味しい。となると、安くてもいい。となると、太陽嵐が吹き荒れてインターネットが使えなくなったりしない限り、たくあん買うくらいの感覚でアンチョビを一生、買えちゃう。

 そんなわけで、業務スーパーのアンチョビを撮ったときには、近いうちに手作りアンチョビをビンいっぱい作ってグロい写真をアップしようと画策していたのですけれど、どうやら一生アンチョビ作ることはなさそうですし、瓶詰めの大量アンチョビは、自転車のクロネコさん(なぜだか最近、Amazonの荷物は自転車のおねえさんが届けてくれるのです。それも12時~14時を指定すると、12:05に決まってチャイムが鳴る。もしかすると近所のひとなのか。玄関の前で指定時間がくるまで待機してくれているのか。不思議なシステムだ)が届けてくれたもので撮影できるし。

 ほら、こんなの。

Anchovy2

 これ、700g入りのビンなのですが。
 何匹でしょうねえ、三百匹くらいだろうか。
 カタクチイワシ。
 アンチョビは、イワシを油と塩につけこんだおつけもの。
 ちなみにカタクチイワシはスーパーで一パック数百円の大衆魚ですけれど、その数をさばこうと思えば、時給は払って貰わないと困る。なんてことを考えると、金額の面から見ても、あえて自作するメリットが皆無。

 ときまさに春。

 私、野菜苗を売る仕事をしているのですが。
 きゅうりとか、ナスビとか、カボチャとか、一苗入った小さなポットが90円で、朝から晩までおそろしい数が売れ、トレーで何十ポットとか買ってくれる本業のかたはともかく、レジで滞るのが、四個か五個のポットをカゴで持ってくる個人消費のお客さま。量的にビニール袋に入れるサイズなのですけれど、ポットの中は土ですから。どうしても、もたもたっとした動きでレジが混む。

 まったく春ってのはねえ、と店員同士が閉店後の会話では、決まり文句のように続けてこう言います。

「自分が食べるだけの野菜なんて買ったほうが安いのにね」

 売っていながら不思議です。
 ニンニクの苗とか一ポット買って行かれるひと、それを庭で育てているのでしょうか。ひとつの苗にできるニンニクはひとつ。わーいできた、って食べる日を楽しみに育てていらっしゃるのでしょうか。そんなひとが、スーパーに行ってネットに三個入って90円とかのニンニクを見て、さみしい気持ちになったりはしないのでしょうか。

 野菜も、ペットみたいに愛し育てるということなのかなあ。
 まあ、考えてみれば、花なんて食べられもしないのに育てるわけですから、食べられるぶん、実際的に意義のある趣味なのかもしれませんけれども。

 そういうことを考えると、自分の価値観に気付きます。

 私、買うより安いから自分で料理するのです。
 買ったほうが安いなら、楽しむための料理なんてきっとしない。
 たとえば今日、保険の更新にバイク屋へ行ったのですけれど、オイル交換も頼んだ。オイルの交換くらい、自分でもできます。でも、カタクチイワシをさばくのと同様、その作業は匂うしベタつくし、時間を食う。今日、自分でオイル交換をしていたら、きっとこのブログを書く時間はありませんでした。
 そういうの含め、妥当なら買う。
 妥当さを計るとき、私はどうやら、時給換算と、匂うかどうかに重きを置いている。

 魚とか、土とか、オイルとか。
 買ったほうが安いなら、さわりたくない。
 そうなのですよ。
 アンチョビが高いから作ろうかと思っただけで、そうでないのなら、手作りする気なんて最初からまったくなかったのです。

 安いのが売っていてよかった。
 作らないですんだ。
 とてもうれしい。

 なんの話でしょうね、これは。
 つまり、結論としてはこういうことです。
 臭い魚をさらに臭くする発酵作業を、妥当な価格で他人にやってもらえた。
 こうやって、たくあんも家で漬けなくなったのでしょうが、それはそれで悪いことではない。あっちも売れてしあわせ、私もしあわせ。経済の循環。実はすべての仕事が、そうなのです。
 テレビドラマを観るのは、ドラマを自分で作るのは割に合わないから。
 自分が聴きたい曲や、読みたい物語なんて、自分が自分のことを一番よく知っているのだから、自分で書けばよさそうなものなのに。他人が書いたものを買う。
 必要は発明の母。
 汚れ仕事は金になる。

 アンチョビ作ってもらって、オイル交換してもらって。
 歌ってもらって、読ませてもらって。

 自分でもできないことはないけれど、妥当な価格でだれかにやってもらいたい臭い仕事って、ほかになにかないかなあ、と考えたとき。 

 ものすごく、ああこれ、買えるなら買いたい、というものをひとつ思いついたのですが、ここには書けないではないか! ということにいま気付く。テーマが悪かった。つまりはこれ、大金払っても妥当だと自分が考える変態的プレイを書くってことだ。

 あらためて結論。
 ほかのひとにできないプレイができるなら時給は上がる。
 なんか……ものすごく当たり前のところに着地。
 でも当たり前こそが真理。
 すべてのお仕事は、自分にできて他人にはできないプレイの提供である。
 さあ、なにができる!?
 だから、つまりそれも書けないのですけれども。
 言えないことをやってもらって、言えないことをやってあげる。
 経済とはギブアンドテイク。
 ひとは他人のために汚れて生きる生き物。

 いや、アンチョビだってけっこう、世界中でこの大瓶売ろうと思えば、そのカタクチイワシ大発酵工場って、ものすごい現場だと思う。作っているひと、お風呂入ったって臭いまくりのはず。自分の魚臭さに夜も眠れないとか、かなりなプレイです。
 経済という名の金で他人に汚れてもらえる世界。
 そこで成り立つ私の晩ご飯。
 感謝だ。