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「そのとおりです」ダハクは感情のこもらない声で答えた。「第一帝国の没落後、詳細は不明ですが人類以外の生物がうち立てた星間連合体のひとつが、アチュルタニに破壊された惑星にふたたび生命の種をまきました。地球も、そのひとつです。第二帝国の首都であり、人類の真の母星である惑星マイコスも、そのひとつでした。もっとも、マイコスは七万一千年前に破壊されてしまいましたが。あらゆる地球型の惑星には、同じ起源を持つ動物相が導入されました。したがって地球のネアンデルタール人は、あなたがた人類の祖先ではありません。遠縁の従兄弟のようなものなのです。残念ながらネアンデルタール人は、ダハクの乗員、およびその子孫競争に敗れ去ったようですが」

David Weber


デイヴィッド・ウェーバー 『反逆者の月』

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 というような話を、今回の『Halo4』のキャンペーンモードをプレイしているあいだ、ひんぱんに思い出していた。

 デイヴィッド・ウェーバーは、SF設定の軍事ものを得意とする小説屋さんで、大きな特徴としてサイファイフィクション書きにありがちなトンデモ設定の創造を自重することのできる求道者であることがあげられる。自分勝手に好きな世界観を構築できること……つまり、神、になれること……こそがSF設定で書く唯一の利点だと考えている無数の愚者たちを尻目に、ウェーバーは、チェスをさすように作品を書く。

 それは、彼がもともとミリタリーヲタクであることに由来する部分も大きい。言いかたは悪いが『ソードアート・オンライン』のエロ同人誌のようなものだ。もとの作品がウェヴ連載されていたオーソドックスなスタイルの仮想現実ものなのであって、もしもその作品に感化されたのなら、きみだってそういう作品を書けばいいのに、圧倒的な筆力を持ちながら、他人の作ったキリトとアスナというキャラクターで同人誌を書く。需要があるから、という側面もあるかもしれないが、自分で作ったキャラになんて萌えられないからオリジナルのエロなんて書く気になれない、という根っからのひとも多いはずである。

SAO

 ウェーバーも、そうだ。
 たぶん、自分で考えた創作兵器なんかには萌えられないのだろう。

 だったらなぜSF、と造語テンコ盛り非現実的小説をマスターベーションのように書く私などは思うが、幸運なことに、私は『Halo』と『スタートレック』のファンなので、共感はできないが理解はできる。

 SF……特に宇宙戦争もの、俗にいうスペースオペラのたぐいは、すでにその響きからして設定そのものが古典なのである。もちろん、人類は真実の宇宙大戦争なんて経験してはいない(経験しているのは、ザ・グレート・サスケとその一派だけである。サスケの骨折で今年の宇宙大戦争はどうなってしまうのか心配でしかたない)。
 だが、人類が編んできた設定は積み重なり歴史と化している。

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「あとにしよう。少なくとも二十人のコンバット・アーマーを着けたやつらが近づいて来る」
「ちくしょう!」サンディーは吐き捨てたが、すぐに気を取りなおして、言った。「もしあなたが肉体強化手術を受けているんだったら、こいつらのエネルギー銃が使えるわ」歯をむき出して、にやっと笑う。「敵さんがびっくりすること請け合いよ」


デイヴィッド・ウェーバー 『反逆者の月』

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 コンバット・アーマー(失笑)。
 それはまさしく、チェスであり、将棋の駒の設定だ。
 帝国軍兵士のエネルギー銃は強力だが、非力な生身の人間にはあつかえない。だったらコンバット・アーマー(失笑)を着ればいいのだが、コンバット・アーマー(失笑)も、肉体強化手術を受けていないと着ることができない。

 騎士と桂馬は、二個斜め前にしか進めないが、ほかの駒を飛び越えられる。

「44マグナムを片手で撃てるのはハリーくらいだ」

 ショットガンをバイクに乗りながら片手で撃てるのは館ひろしとアーノルド・シュワルツェネッガーくらいだが、シュワルツェネッガーは設定上アンドロイドなので、生身の館ひろしのほうがむしろSFである。

 かように、現代の現実にある兵器を使ってSFを描くことだってできなくはないが、チェスの駒がもっと多彩だったら、もっと楽しいゲームになるのではないか、という発想もわかる。

 そこで重要なのは、元ネタの世間認知度である。

 長年にわたりウェヴ連載されていた『ソードアート・オンライン』のエロ同人誌がいまになって花盛りなのは、むろん、アニメ化されたからだ。みんなが観た。だからキリトとアスナというカップルも記号化が済んだ。これによって、世界とキャラへの設定は、二次創作では省くことが可能になる。アスナはツンデレ。キリトはニブちん。ツンデレがイキ狂いとか、ニブいはずのキリトが鬼畜とか、描くだけでギャップが成り立つには、元ネタを読む全員が知っていなければならないのである。そうでないと、アスナのツンデレを、キリトのニブさを、いちいち説明しなければならなくなる。

 そういう意味で、ウェーバーの小説群が売れたというのは、SFというジャンルのひとつの熟成を測る物差しだったといってもいい。

 コンバット・アーマー(失笑)。

 思わずそう書いてしまうくらい、それはもはや生粋のSF書きだったら恥ずかしくて書けない単語にまでなっている。新しい設定を生みだすのがそのジャンルのそれたるところだと感じていたら、けっして使うことはできない。

 だけれど、SFチェス・マスターならば。
 視点が違う。

 いまや幼稚園児でも知ってる?
 だったらそれは、駒になる。

 今回の『Halo4』は、新三部作の幕開けと銘打たれていて、事実、これまでとは違う人間関係と、新しい敵がてんこ盛りである。なにが違うといって、主人公マスターチーフが、旧三部作とは比べものにならないくらいによくしゃべる。

 マスターチーフは、コンバット・アーマーを着るために強化手術を受けたヒーローである。

HALO4

 『Halo4』では、ついに人類の起源に話がおよぶ。

 移動のわずらわしさがなくなって物語の展開はスピーディーになった。それはひとえに、ひんぱんにスリップスペース(スタートレックでいうところのワームホール)を通って瞬間場所移動をおこなうからだ。

 プレイしながら、ウェーバーの『反逆者の月』を連想し続けたのは、SF読者でありSFゲーマーである私にとって、うれしいことだった。

 『Halo』の旧三部作とその派生作品たちは、未来兵器を描きながら、現代の白兵戦をモチーフに構成されていた。マスターチーフは「チーフ、チーフぅっ」と部下たちに愛される、コンバット・アーマーを着た圧倒的に強い軍人だった。

 しかし『Halo4』では。
 ほぼ、ヒロインAIコルタナとのふたり旅。
 それによって、マスターチーフもおしゃべりになった。

 コルタナがまた、デレる。
 『Halo』史に残るコルタナの名セリフ、

「Don't make a girl a promise...
  If you know you can't keep it.」

 girlとはもはや呼べないコルタナが、あのころとは違い切羽詰まったがゆえの余裕もしくは投げやりな調子で、「助手席にはあたしをのせてね」なんて約束を窮地の自分の側から口に出したり、チーフとコルタナの関係をさして、はっきり「愛」なんて言葉が出てきたりする。
 肉体を持たないのに寿命が尽きかけている人工知能と、人間では着ることのできないコンバット・アーマーを身につけた改造人間が、逃げた地球軍のかわりに、地球を救うため人類の起源ともからむ神のごとき存在と対峙する。

 ああ、もう!!

 (失笑)を乱発したい物語、キャラクター、
 スリップスペースでびゅんびゅんびゅんっ。
 なのに、胸が熱い。

「本当の目で、本当の空を見ることができない」

 狂い死にかけたAIに語らせるお約束に、笑えず鼻の奥がじんとする。
 それこそ、『ソードアート・オンライン』に出てきたAI少女の反則。
 機械とヒトはなにが違うの。
 ずるいよ、そんなの、慟哭せずにいられない。
 機械にだって心は生まれるけれど、こと人類の社会で生みだされた機械にかぎって言うならば、彼らは圧倒的に奴隷である。道具として生みだされたという大前提の首輪につながれている。

 歴史から消えたにもかかわらず美しき古代エジプト王妃として胸像の残るネフェルティティをモデルに生まれた未来でも唯一の「ヒトのクローンである人工知能」コルタナは、ヒトに近い存在であるがゆえに、よりいっそうはめられた首輪がきわだって見える。

 『Halo』のシリーズ出演を重ねるうちに、コルタナは目を見張るほどに美しく変わっていった。ぶっちゃけ、初代Xboxでプレイした『1』のときには「北米人てこういうのに萌えられるの?」とカルチャーショックだったくらいの見た目だったのだが、Xboxも360になり、『Halo』シリーズ製作技術も向上した結果「ああ、やっぱりこういうのがいいんだ」ということになり、また世界はひとつだと実感したしだいである。

 涙は流せないけれど『4』のコルタナは、もらい泣きできるくらいに泣いている。
 抱きしめたいマスターチーフだけれど、彼女には肉体がない。

 ああ、もう!!

 確信犯的にスタートレックの宇宙観から逸脱しない程度の設定を駒としてつかい、SFを知らないひとにでも理解できる世界でSFを描くという難解な高みを志し、ついに『Halo』は成功した。

 2012年11月13日
 マイクロソフトの発表によると、11月6日発売のXbox360『Halo4』は、発売から二十四時間で全世界収益が2億2,000万ドルを越えたという。

 その数字は、映画『ハリー・ポッターと死の秘宝 PART2』や『アベンジャーズ』を上回り、2012年度の米国興行収入における現時点で最大の初日記録である。

 私は映画も好きだけれど。
 ゲームが、映画に勝ったこともうれしい。
 それ以上に、勝った相手が、ファンタジーの定義を塗り替えたシリーズであり、スターウォーズの新作でも勝負するというウォルト・ディズニーの王道アクションSF映画だということが、すごくうれしい。

 スタートレックのテレビシリーズが途絶えたのは、機械生命体(実は人間)という、ややこしく新しいものに手を出した結果だった。終盤は、テコ入れのためにやたらと過去に飛び、進みすぎた世界観についていけなくなった視聴層を引き戻そうと懸命だったが、それがかえってコアなトレッキーたちに愛想を尽かされた形であった。

 逆説的なことになってしまうが、『Halo4』に現れた新たな敵は、あのときのスタートレックに酷似している。そこに心意気を感じる。今作の売上げをとっても、もはや『Halo』シリーズは、スペースオペラの正統王道継承者だ。スタートレックが描いてしまった以上、その設定は歴史になってしまったのであって、遅かれ早かれ駒として使わざるをえない。だったらむしろ物語の核として使う。そこで退いたからトレックは終わってしまったが、あれから世紀も変わった。

 いまの人類は、ヒトという種を遊べる。

 哀しみの改造人間。
 人工知能の憂い。
 それらさえ、すでにお約束。

 神?
 それってヒトを創ったやつのこと?
 でも私たちは、もう生まれ出でてずいぶんたっている。
 いまさら、神のことなんて知らない。
 私たちは私たちの意志で生きる。
 滅ぼそうとするなら、神でさえ討つ。
 それがみずからの歴史を、否定することになっても。

 設定はもう出尽くした。
 だから作家は作家である前によき読者たれ。
 
 言ったのは、我が敬愛する師、ディーン・クーンツだ。
 学んで盗み構築し描け、と。
 『Halo4』に、教科書のような学ぶ姿勢を見た。
 見たことのない設定は、なにひとつ出てこない。
 だから、かえって打ちのめされる。
 
 これでいいんだ。

 私自身が満足しきって震えているのだから、なにを否定できるわけもない。
 王道のまんまんなかを撃ち抜く。
 ひねった作品が多すぎて、リメイクが多すぎて。
 王道の新作を創るということが、どういうことかわからなくなりかけていた。
 この地上に『Halo4』は勝負してきて、それに勝った。

 勇気をあたえられた。

 その言葉を贈りたいのは、物語そのものよりも『Halo4』を世に問うた制作者たちに対して。ウェーバーはヲタで『反逆者の月』がコケたところで、自身の人生のひとときが無駄になっただけだったろうが、『Halo4』は製作費が五十億円を越えているという。ヘタをしたらマイクロソフトそのものが傾く勝負で、SF作品が二十世紀につちかった駒だけで盤を埋めるなんて。

 ペーパーバックのサイファイフィクションの底力を信じていいんだ。
 コンバット・アーマー(真顔)。
 それで、いいんだ!

 よくぞやってくれた。
 大喝采。大満足。
 もう、だれにもすすめない。
 生んだ神の手を越えた作品たちは、死なない。スターウォーズの完結はディズニーによってくつがえされた。『Halo』は、私がすすめなくても、いずれ世界中のだれもが知る。

 まあ、どうせ知るなら早く知るのが人生を無駄にしたっ、って叫ばないで済むのになあ、とは思います。『Halo4』のラストで、制作者たちはいいわけめいた謝辞とともにひとつの大きな決断を私たちに提示する。マスターチーフがシリーズ通してはじめてアーマーを脱ぐシーンも挿入されて、今後の展開が、ラスト近くのそのセリフに集約されているのだと予感される。

「兵士は機械ではない。人間です」

 機械のコルタナが望んだ夢も、ひとつ叶う。
 陳腐な言葉だが、
 おわり、そして、はじまる。
 私が寿命をまっとうしたとして、逝くときにSF界の誇れる歴史になっていることがすでに確定している『Halo』という世界に、飛びこむならここはちょうどよい頃合いだと、言っておきたい。

HALO4

(ないしょの話だけれど、前三部作と派生作品群で、地獄のような難易度だったラスボス戦の多くを思い返し、新三部作開幕戦『Halo4』のラスボス設定のあまりのスケール感に、物語終盤になるにしたがって「最後に待ってんだよな、どんだけ強くて硬いんだろう」……むしろ憂鬱だなあ、と戦々恐々としながら向かっていったのですが。それがあなた、もうっ。素晴らしい演出だったのです。これこそソフィスティケイト洗練というもの。ああ、あれが伏線だったのか、と唸ってしまった。なにかにつけ、今回のスタッフが目指した方向性はちょっと真似のできない勇気に満ちていてグッジョブ。唾まきちらして誉め讃えます)










Narezushi

なれずし、である。
知る人ぞ知る和歌山市海沿いの某食堂の作。
義母が紀州で花屋を営んでいるので、
遊びに行くと、あっちやこっちやと、
知った店を訪れることになる。

「たくみさんいうの、娘の旦那さんなんよ」

というところから話ははじまるのだが、
いつだってその後は私の話などせず、
店主同士で近所の噂話。
放っておかれる横で、
こういうモノを頂戴している。

「おいしいか?」

エエ、思ったよりクセがなくて。
あはは、しらんヒトは身構えるよね。
じゅくじゅしたのやと思ったん?

「あ、そっちも平気よ、ねえ。
たくみさん、よう酒飲むんやし」

はあ、というような返事を返すのだが。
そこでまた放置。
けっきょく、なんの話だったのか、
よくわからなかったのだけれども。
あとになって知った。
なれずし、むかしは熟れ寿司と書いたのが、
いまでは、馴れ寿司という表記が主流なんだとか。
店によっては、数十年物の寿司!?
というものを、いまでも売っているという。
酢飯に青魚をのせ、ダンチクの葉でくるむ。
ダンチクとは暖竹と書く名の通り、
熱帯に生息する竹である。良い匂いがする。
そして放置。
冷凍庫のない時代、
青魚をどうにか保存しようとはじめたのだろうが、
数週間後には発酵し、さらには幾年月。
時間の作用で、現代の寿司とは別物の、
米が溶けたヨーグルト状のものと、
原形をとどめない青魚のまじった食品になる。
むろんのこと、臭い。
が、酒飲みならよろこんで食うというのが通説で。
しかしまて。
そもそもが保存のための食品なのに、
それは酒飲みであっても箸の先で突き崩して、
舐めるように食うものに仕上がっている。
だれかがどこかで間違えたのだろう。
確かに腐ってはいないのだが、
保存食としてはかなりキワモノ。
作ったはいいが食べきれず、
それで老舗には何十年物の熟れ寿司が、
残っていたりするのに違いない。
対して、いまの紀州名物、馴れ寿司は。
ひと晩、馴らしただけ。
私が食べたのも、冷蔵庫で冷やしてあった。
発酵なんてしていない。
ダンチクの独特な香りと、ショウガの酸味。
ふつうに美味い押し寿司。
カタチだけが残ったのだ。
紀州には、葉でくるんだ変わった寿司がある。
食ったらおどろくぜえ、と。
それがいつしか、客の数をさばくうち、
気づく。
おどろかせたところでリピーターは得られない。
ここは客をよろこばせる方向で。
カタチだけ、熟れ寿司。
でも中身は、現代の寿司。
ダンチクの匂いだけを、馴らして。
かくして、目論見通りの名物になった。
何十年、寝かす必要はない。
客の入りを見て数の調整さえできる。
なにより、バクバク食える。
売れるはずである。
でも、少しだけ、想う。
紀州のなれずし、が、かつて客を呼んだのは。
やっぱり、腐らない青魚料理だったから。
いまや、その奇跡のバランスで
熟れ寿司を新たに仕込んでいる店は数えるほど。
遠くない未来、人類は熟れ寿司を失う。
熟れ寿司のレシピが残っていたって、意味がない。
だれかが美味そうに食っているから、味は伝わる。
熟れ寿司の消えた未来で、レシピにそってだれかが作る。
たぶん食べて、顔をしかめる。
冷凍庫のない時代は大変でしたねえ。
だれも美味いとは感じられない。
美味い馴れ寿司が残るんだし。
なれずしの名が残るだけで、いいんだけれど。
そのとき、消えたのは熟れ寿司だけではなく、
ある種の人類の一派。
淘汰されていく、それが進化。
わかってはいるけれど。

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・あした健康診断があるのでアルコールを禁止されていて、ボージョレを買ってきたのだが目の前に置き、ももクロと嵐がじゃれあっているのを眺めながらサラダを食べている。

twitter / Yoshinogi

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 で、翌日。
 戻ってきました。

 健康診断は、血圧の高さに四回も測りなおされました。測るごとに下がっていくのな。それはつまり、目の前の看護士さんに馴れていくということなんですけれども。いや、あなたが魅力的すぎて心臓の高鳴りが、とか言いたいところですが、もうねえ、ダメなんですよ、ああいう謎な機械がいっぱいあるところにいくと、自分でも興奮しているのがわかるんだもの。みんなが並んで血を抜かれていたりするんですよ。なんという非日常。猥褻とは主観であって客観的には存在しないという言葉がありますが、いよいよ自分の番だ、測られるよ、抜かれるよ、なんて思うと、昂ぶってしまいます。

「家で血圧測ったりされます?」
「ええ。でもこれは見たことない数値です」

 その会話がもう、いま私はあなたに縛られてどんなに興奮しているかという告白にほかならない。

 ちなみに問診では、

「体重は意識的に落としているんですか?」

 と訊かれ。

「私の理想だった三沢光晴が逝ってから、プロレス界の潮流として絞る方向に進んでいるのです」

 と答えようかと思いましたが、理解されなさそうなのでやめておきました。どうも先生は、仕事がきつくて、という答えを期待しているようだったので。問診の内容が上層部に報告されるのだとすれば、毎日、プロレスを観ながら筋トレして食事しているので出てくる選手の体型にモロに影響されているのだとか知れた日には、むしろこいつには与えている仕事がゆるすぎるんじゃないかとか判断されかねませんし。

 ともかく。
 血圧が高くても、去年よりも体重が落ちている人はなにも訊かれない昨今の風潮。流れ作業で脱がされて貼りつけられて飲まされて撮られて。あれやこれやありながら、滞りなく終了。

 さあこれでボージョレヌーヴォーが飲める。

 わーい。
 と、言ってみる。

 でも。ねえ。
 山積みになっているから毎年のように買ってしまうのだが、よく考えてみれば、私はふだんからワインを飲むのであって、しかも重い赤が好き。

 ワインは、ブドウを発酵させたお酒です。

 よく、高級な食材の代名詞のように、何十年物の赤ワインなんて言われますが、そもそもボージョレヌーヴォーというのも「ボージョレ地方の今年の新酒」の意味であって、要は、その年に採れたブドウの質を見るためのもの。

 健康診断で抜かれた血のようなもの。

 それによって、何十年か経ってから「2012年モノは寒暖の差が激しくおもしろい甘みが加わっているのです」などと、したり顔で語る。そのための過去ログなのですが。

 そんなのが、極東の島国で深夜でも開いているスーパーなどで、山積みになっている。どれだけブドウ採れたんだ。未来に向けて熟成させるぶんは、ちゃんと残っているのだろうかと心配になるくらい。ボージョレ地方って、どれだけ広いんだ。

 調べてみると、実にざっくりした計算結果ではあるが、120000000畳ほどらしい。
 一億二千万畳である。
 奇しくも、日本の総人口のおよそ数と一致する。
 むろん、畳数でワインの産地を測っている段階で、私の計算は恣意的である(笑)。
 喪われたマヤ文明の呪いだとかなんだとか、こじつけないように。

 しかし、想像すると、なかなか広い。
 日本国の全員が、ひとり一枚の畳を割り当てられるということだから、子供だっているし、ふたりでひとつのように抱きあって眠るカップルだって多いだろうし、なかには三人以上でひとつ以下のようにという愛の国の人たちだって少なくはないだろうし、すなわちボージョレ地方があれば、日本人は全員眠れるということである。

 その広さの土地が、ブドウだらけ。

 ワインが人類と同じほど古い酒といわれるのは、別に人が手をかさなくても、野生のブドウはワインになってしまうからである。ブドウの表面に棲む天然酵母が、果汁と混ざると発酵がはじまる。ということは、べつにもがなくても、熟れて地面に落ちたじゅくじゅくのブドウたちだって、ワインになっているということだ。

 もちろん、地面に落ちたら土に吸われてしまうし、人が育てなければ現在のように密生したブドウ畑なんてものはありえないのだけれど、ワインがブドウだけからできている以上、そういうことを考えるとSFチックな想像が膨らんでしまう。

 ワインでブドウの樹は育たないのか。
 育つのだとしたら、土ではなく吸水ポリマーなどを使って、無水でブドウの樹を育てれば、永遠に循環するワイン畑ができるのではないだろうか。

 そこに人の手は、いらない。

 実現すれば、ある種のユートピアだ。
 さんさんと降る人工太陽の日差しの下、永久に枯れることのないワインの一億二千万畳プールに浮かび続けることができる。

 ただし、そこでは、熟成はない。
 できたワインはブドウの樹も飲むから、いつだってそのプールに溜まっているのは、ヌーヴォーである。清々しく、野性味あふれた、香り高いものではあろう。

 が。

 フルボディの寝かせたワインを知ってしまっている私は、きっといつか、それをやらざるをえなくなる。すなわち、悠久の枯れないワインの湖から、すくいとったワインを樽に詰め、何十年後かに飲むため、取っておくのである。私に寿命がある以上、それほど重く熟成したものにはならないだろう。それでも、私はそれをはじめ、いつしか毎日、毎月、毎年、樽詰めの作業を続けることになる。

 テレビのなかで有安杏果が自分の左手親指を切り落とそうとしているのをひやりとした思いで見つめながら、視界の隅に鎮座ましますボージョレヌーヴォーに、そんなことを夢想した。

 産まれ年のワインが簡単に買える。
 スーパーで買える安ワインでさえ、個人では所有不可能な巨大タンクで寝かされている。

 だからこそ、さっき採れたブドウで作った若いワイン。
 味を見て、何十年か後に語るためではなく。
 ワインって、そういうものなんだ。
 わかるのが、うれしくて。

 馴れ寿司は、発酵も熟成もされていない。
 けれど、熟れ寿司あってのもの。
 それを知ったうえでの、味。

 味とは多分に、そういうもの。

 だれかの陰謀かと疑うようなタイミングで断酒させられたが、おかげで解禁日には眺めるだけだったボトルに、ボージョレヌーヴォーの正しい味わいかたをしたのだと強がってみる。

 今年もブドウが採れました。
 ワイン飲みなら、それを祝え。
 くすくす笑って、若いなあ、これなにブドウジュース?
 ちょっと寝かせたほうがいいんじゃないの、なんて。

 そう、それが正しい、たしなみかた。
 未熟しか愛せないのは歪んだ性癖。
 熟寿司熟葡萄酒を愛でしこそ、未熟をも。

 寿司を発酵させなくても保存できるようになった人類の科学に。
 ワインを熟成させないことに悦楽を見いだせる歴史の余裕に。

 したり顔で乾杯してくる。
 そろそろ日も暮れたし。






・ 11月になってしまった。Halo4が来てしまう、それまでにすべての書類を片付けるんだ。(デヴィッド・フィンチャー版トレーラーが改造人間の悲哀を漂わせ好もしい→) http://youtu.be/b7dqtgkSWeQ #halo



・ あ。いま書いて思い出してしまった…いつもは休みの金曜日9日「出張いい?」って訊かれてOKと答えたよバカ。Amazonさん発売日の8日に届けてくれるかな。なんにせよ、出張行っても役立たずだ私きっと。

twitter / Yoshinogi

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 そんなふうに書いたけれど、オバマ大統領が再選を決めたこの夜、Amazonさんからは発送済みのメールが来ていて、明日は妻が家にいるので、これでひと安心。

 それにしても。
 『Halo4』発売前夜なんですよ!?
 どうしてこの国では、どこにも行列ができていないのか!!
 前夜祭はどこで!?
 アキハバラではひっそりやっているらしいが、大阪は静かなものです。40カ国1万以上の店舗で、発売日午前0時からの深夜販売が行われているという情報があるのだが。日本はそのなかに入っていないということだ。
 おお、ゲーム大国の凋落。

Halo4_river_thames

 テムズ川のタワーブリッジ上空では、『Halo4』のグラフィックシンボルが浮かびあがり移動した。ロンドン上空を飛行する人類史上最大かつもっとも明るい人工構造物であり、直径50フィート、3トン以上。もちろん大ニュースになったが、UFOと間違えるひとはいないし、販促としても、すでに発売前夜のことである。予約数が増えるわけもない。

 つまりは、祭。
 人々の熱狂。

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『狼たちの絆』のこと。

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 2004年の『Halo2』にネット対戦という夢の機能が実装されたことで、私の人生は大きく変わった。それはゲームにハマったとかそういうことよりも、世界はひとつだって知ってはいたけれど、本当に地球の裏では真逆の時間で生きているだれかがいて、それなのに同じ場面で同じように歓声があげられるんだという。よろこびも、くやしさも、一瞬の友情めいたものさえも、本当に世界はひとつなんだという。

 そういうことを。

 毎日のように『Halo』をプレイすることで、世界中のひとたちと仮想世界でわーきゃーやって肌で知る。それによって見えてきた世界の在り方、と書けば大げさだが、事実『Halo』を結節点にして、それに触れなければ得なかったであろう叡知のようなものが確かにあって、それが壮大な物語を演じるロールプレイングゲームなどではなく、ほとんどスポーツのようなシューティングゲームのなかで得られたことに、純粋に感動した。

 肌感覚に、時差はない。

 つまりは、触れあって遊べば、世界中のだれとでも、私たちは溶けあえる。

 それを知った。
 知っていたけれど、言葉ではなく、知った。

 知ったのは世界中の人々も同じだったようで、
 上の記事で2004年に、

 『Halo2』がワールドワイドで500万本売り上げた。
 また、90万のユーザーがXbox Liveを利用して『Halo2』をプレイ。
 累計プレイ時間は2800万時間に達した。

 そう書いている数字は、
 現在、2012年時点では、

 『Halo』シリーズ累計販売本数4600万本。
 『Halo2』からのマルチプレイの累計プレイ時間は50億時間(57万年)以上。

 そうなった。
 シリーズを重ねるごとに販売数は増えている。
 知った、人々が増えていく。

 世界で、57万年の時間が『Halo』世界でじゃれあうことに使われた。

 言ってしまっていいと思う。
 事実、このゲームを介して結婚したという話も聞くし。
 逆に、離婚の原因になったという話も聞く。
 つまりそこには愛が生まれる。
 電脳空間で組んずほぐれつするこの行為は、人類が新しく生みだしたセックスの一形態だと書いてさしさわりない。むろん生殖からは切り離されているが、あらゆる人種の、あらゆる階層にいる、あらゆる年代の人々が、興奮して叫んだり笑ったりしてドーパミンを互いの脳内でほとばしらせているこの様子は、メジャーと呼ばれるスポーツでも実現できなかったことを実現してしまっている。かつて、文通でチェスを打つというゲームの形態があったが、それでさえどこか淫靡な関係性が匂うというのに、いまやタイムラグなく睦みあい、あらゆる言語で「ふざけんな」と「ありがとう」を連呼している。毎日のように、いまここに相手の肉体があれば、抱きしめたい気持ちになっている。

 そんなわけで、私は溺れてきます。

 音信不通になります。
 御用のかたは『Halo4』世界で駆けまわっている私をつかまえて話しかけてください。
 それでも私はきっと、

「ひと試合してから話そうぜ」

 と答えるでしょうけれども。
 
 誘いませんよ。
 対戦相手には困っていない。
 ただ、あなたが、これに触れずに人生を終えるのかと思うと、嘆息して首を振らずにはいられないだけです。

 ああ。
 今夜、眠れるだろうか。

Halo4

Halo4