最近の記事

スポンサードリンク

月別アーカイブ


Bittermelon

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

●材料
ゴーヤ(ニガウリ) 大1本
オクラ 大4本
鶏肉 200グラム
タマネギ 200グラム(中玉一個みじん切り)
ニンニク3片 (みじん切り)
白米 400グラム
水 400cc
ブイヨンキューブ 1個
オリーブオイル 大さじ3。
お好みでその他のトッピング(キノコとか冷凍イカとかコーンとか)

●作り方
① フライパン(私はダッチオーブンを使っていますが、フライパンなら平らで大きめなものがいい。できれば鉄フライパンが焦げがちゃんとできて美味)を強火で30秒加熱。
② オリーブオイルを入れて10秒後、ニンニクとタマネギを入れ、60秒炒める。なかわたを取りスライスしたゴーヤと鶏肉(モモでもムネでも良し。食べやすい大きさに刻んで)を加え、中火で120秒ほど炒めつつ、鶏肉とゴーヤをボールによけます(ゴーヤの生々しさを削ぐための過程であり、火はあとで通すので表面だけ焼ければ大丈夫)。

Bittermelon2

③ フライパンに水とブイヨンキューブを入れ、木ベラでキューブを崩す。沸騰しはじめたら白米(洗わないで!)を加え、60秒、底から混ぜあわせます。
④ 中火のまま、トッピング用の野菜(オクラ含む)と、よけておいた鶏肉とゴーヤを米の上にのせ、フタをして300秒炊く。
⑤ フタを閉じたまま、火加減を弱火に調整、900秒炊く。
⑥ 火を止め、180秒蒸らす。

 できあがり!!

Bittermelon1

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 レモンとタバスコと粗挽きブラックペッパーなど食卓に並べてください。塩コショウをまったくしていませんが、ブイヨンの塩分があるので、味が足りないと感じる方は、もういいっ、いやぁ助けて、と泣きたくなるまでタバスコか一味唐辛子をかけると良し。もちろん、もっとパエリア正統派を狙うなら、最初の炒める行程で鶏肉ではなくアサリやイカやエビなどの海産物を炒めるのもあり(その場合、行程⑥の蒸らし時間でトッピングに足してください。海の幸は火を通しすぎないほうがねっとりしっとり。といいつつ、写真の白いのは冷凍イカでなのですが、最初に野菜と一緒に入れちゃいました。それはそれでダシが米に出るという利点はあるので、高級素材でないならば、それでもいいかも)。

 植物、売っているのですよ。
 今年は、暑すぎたのか、緑のカーテンとして育てたゴーヤ(ニガウリ、ツルレイシ、ビターメロン)のツタばっかり伸びて、実ができないという傾向にあったようで。もともとがカーテンとして育てているのだから、もがなくちゃいけないし重さでツタが垂れてもくる実なんてものはならないほうが好都合のようにも思えるのですけれど。

 緑のカーテンブームも、数年目。
 けっこう、みんな、夏のゴーヤ料理が得意になってきてる。
 なるならなれ!
 というところなのですが、食せそうな立派な実ができず、苗を買った店にやってきて愚痴る。

「肥料とかでなんとかならないの?」

 そこはそれ、メーカーさんもブームになれてきて、ゴーヤ専用化成肥料なんてものを続々売り出しているのですが、まあねえ、売っている身で言うのもあれですけれど、そんな、ゴーヤ専用にブレンドしてゴーヤがわっさわさ育つ肥料があるとして、それをほかの植物に与えてなぜ効力がないのかというところは非常に謎であり……裏返せば、ほかの植物に効く肥料がゴーヤにだけ効かないなどというはずもなく……

 プラシーボ効果というのは、あるのかもしれませんが。ゴーヤが自己暗示で大きく育つわけはないので、ゴーヤ専用肥料の暗示をかける先は、ゴーヤにその肥料を与えるご主人様のほう。

「割高な専用肥料まで与えたんだから」

 これでもう安心。
 とはいえ。
 夏の終わりに、暗示は解ける。なにせ、ご主人様が可愛い可愛い言ったところで、やっぱりその愛情もゴーヤは解しませんので。ああ無情。けっきょく、食べられるような実はロクにならなかった。カーテンとしての効果は、いまや当然のことであり、ありがたみが感じられない。
 ああなんだか、ゴーヤを育てているのに、あの独特の苦みを感じなかった夏だったわ。

 なんて会話が、ゴーヤ愛好家のあいだで交わされているのだと思われます。
 というのも。
 今年、私はやけにゴーヤの実をもらったのです。

「いやあ。うちはでっかいのが穫れてさあ」

 そう言っては、くれる。
 あんたらのおかげだよ、とか言って。
 従業員控え室に「ご自由にお持ち帰り下さい」の貼り紙をしたダンボールの中身が、まったく減っていかないゴーヤ。いや、減ってはいる。でも、何人ものお客さんが、次々に持ってきてくれる。

 ありがたいことではある。
 でも、ちょっと思う。
 ゴーヤ不作の猛暑年に、豊作の自慢。
 お世話になった店員にお礼の意味も込め?

 いやあ、でもだったら、ご近所の不作だったゴーヤ育成連盟のメンバーさんにあげればいいのに。そういう行為は嫉妬を生むのだろうか。質量でいえば、買った苗の数百倍の量のミドリイロを、店に戻してもらってもそれを売れるわけもなし。食べますが。おいしいのですが。

 なんだか、複雑ではある。
 これ、ほんとにお礼なの?
 いっぱいなったのがうれしいのは事実だけれど、こうも多くのお客さんがゴーヤの実を出戻りさせてくるということは、あれなんじゃないの?

 この数年、近所親戚、ちょっとしたお知り合い、あらゆる方面に配り倒し、それもまあ、緑のカーテンブームに付随する奇妙な現象風物詩のひとつになっていたのだけれど。
 やってきました不作の年。

 冷静に考えてみて。
 ゴーヤの実を自慢げに配っている自分の姿。

 ……いよいよ醒めたのでしょうね。
 もはや本土でもゴーヤは夏の当たり前。
 当たり前だからありがたくないということではなく、逆に、当たり前だからおすそわけも当たり前になりつつあったのです。それが、今年は「いっぱいできたよ」と配っているヒトの立ち位置が微妙。歌のない時代に声高らかに歌う行為は、ヒトによっては鳴かずば撃たれまいというところで。

 でも、げんにいっぱいできたのだもの。
 可愛いこの子たちを捨てたりできないもの。

 責任とってよ売ったひと!

 当たらずとも遠からず、そんな事情で賢明な事なかれ人間関係信奉者の方々が、こっそり出戻す緑のイボイボ。そういう事情なら、それは暗に「こっそり捨ててくださってかまわないわ」私の目の届かないところでなら。という汚れ役をお願いされているのかしらと受けとめてもいいところなのですが……んなこと言ったってなあ。こういう店の店員は、日々、傷んだ植物たちを泣く泣く捨てているので、そんな艶々でぱんぱんでイボイボな大人のオモチャでいえばあんあんというよりもらめえコワレちゃう的なのを持ってこられたら、捨てるなんてできない。

 正直飽きた。
 ゴーヤチャンプルーに飽きた。
 炒めてカツオブシ醤油も飽きた。
 同僚がジューサーにかけて青汁だと思って飲んだらしいが、そこまでやってしまうと処理のために食すということで、罰ゲームである。それはダメ。

 ということで。  
 食材が余ったら米にのせて炊け。
 以下、ゴーヤとオクラのパエリア、レシピ。
 この夏、なんどか作ったので、最終バージョンのこれは、飽きたゴーヤの味を極力なくして調理するという背徳の手順です(笑)。逆に、ゴーヤにっがーいっ、って言いながら食べたいならば、生ゴーヤをトッピング野菜といっしょにぶっこむだけでOK! 私も一度やりました。米の一粒一粒に染みわたる苦み。悪くはないですが、飽きます。

(って書いてみて、今回は来年のためにちゃんとレシピとして検索してもらえる体裁にしておこうと思い立ち、上下を逆転させました。夏が終わりきってしまう前に、自分自身のためにも育てたレシピを覚え書き。レシピから下の駄文におつきあいいただいたあなたに感謝。でも、これ以上、お伝えすべき有益な情報を私はなにも有しておりません。ここでおしまい。さようなら、クソのように暑かった西暦2012年の夏)



Semi

蝉は熱帯の昆虫である。
世界的に見ればメジャーな種族とはいえない。
それなりの体長があって毒も持たないので、
ヒトを含め、ジャングルをさまよい、
こやつを食したおかげで生き延びた、
という生物は多いはずだ。
揚げるとバリバリしていて美味しい。
イソップ童話の「アリとキリギリス」は、
もともと「アリとセミ」だったものが、
世界に広まる過程で改変されたという。
改変されたものがアジアでも広がっているけれど、
蝉を季語と称するこの国などではとくに、
原典通りのセミのほうがキリギリスよりも、
心にうったえかけそうなものだが。
物語さえ与えられてしまった敗戦国。
とはいえ。
ギリシア原典のイソップ童話も、
蝉について勘違いをしているのは否めない。
冬のために夏のあいだ働き続ける、蟻。
いっぽう、ひと夏を歌ってすごし逝く、蝉。
蝉も、歌っていないで、働き備蓄をすれば。
寒い冬も越えられるかもしれないのにね。
そういうふうに、蝉を見ている。
だけれども。
昆虫の生態研究がすすんだ現在、
わかったことがある。
働き蟻の寿命は一年ほどだ。
その蟻生は、女王を太らせ、家を守るためだけにある。
異性との生殖で増える生物は相手を魅了する必要がある。
働き蟻が歌わないのは、交尾もせずに死ぬからだ。
そこまでして支えた女王蟻も、
己の家では交尾せず、あるとき飛び去っていく。
しかし、蝉は。
数年生きる。
土の中で。
夢を見続ける。
大地の滋養のみを糧に、徐々に育つ。
ある夏、空を目指す。
歌うため。
結ばれるため。
文字通りの愛の歌であり、
うまくいこうがいかなかろうが。
歌ってしまえば、終わる。
それが蝉生のすべてである。
見つけて愛してと、
ひと夏歌うことだけがすべてだと、
生まれ落ちたときには覚悟を決めている。
だから歌える力がつくまでは、
食べることも、眠ることさえせず、
暗闇で夢を見続けていた。
太く、短く、ではない。
働き蟻たちよりもずっと長く生きる。
けれど蝉は、決めているから。
無駄に働く必要などなかったのである。
歌えれば、それでよかったのだから。
きっと蝉が暗闇で見ていた夢は、
歌に、だれかが応えてくれることではない。
とどけと歌うことのみを。
想っていた。
そして、激夏裂光世界。
想像などできるはずもない闇とは違いすぎる場に出でても。
迷うこともなく、戸惑いもせず。
想っていたとおり、歌う。
それはもう、逝っていい、絶頂。
世界なんか知るか。
歌うだけの成長しかしていない。
ゆえに死ぬほど歌う。
本気で死ぬまで歌って逝く。
たまたま、あなた素敵ねとメスなんか寄ってきたって。
それはもう絶頂のあとのおまけにすぎない。
ああ。なんて清らかな蝉生。
己の生きる意味に微塵の迷いなし。
それこそが生き様だと、物語るべき。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 先日の『探偵!ナイトスクープ』で、日本に嫁いだ中国の女性が、子育てのストレスを癒すために懐かしいふるさとの味であるところの蝉を食べたいのです。という話題をやっていて、実際に捕まえてきた蝉を探偵さんも女性の旦那さんも食しておったのですが。

 以前、中国で山積みになった甘辛く煮た蝉を味見させてもらったことがあるし、行ったことはないけれど、沖縄では炒めた蝉の料理がある、というのは読んで知っていた。でも、そういった蝉料理の共通項は、成虫の羽根をむしって丸ごと調理するというもので、その性質上、味というよりも、食感をたのしむものになっている。

 前にも書いたおぼえがあるが、物の本によると、心を病んだSci-Fi小説好きの大好物たる荒廃した近未来という設定。そこでの食事のありかたを大まじめに研究している人々がいる。で、そういう世界でお手軽にタンパク質補給できる食材として、大本命なのが昆虫だという。ていうか、はっきり書いてしまえばゴキブリである。ヒトが滅びるほどのマッドマックスワールドでも、奴らは生き延びるはずだし、あまつさえ巨大化なんかしてくれた日には、共存共栄どころかヒトがやつらを食い尽くすバラ色の未来になるから安心ですよ、ということだそうだ。

 いちばんおいしい食べかたは、素揚げ。
 黒かった外殻がエビのように赤く変色し、ふわりと揚げ広がった薄羽根が白くかすみ、みごとな紅白。見た目もOK! 食感は、外がカリッと、薄羽根がシャリシャリと、中身はジューシーで一部、エビに似た味のする部分があるという。

 私の食べた蝉の甘辛煮は、煮込まれているだけあって中身のジューシーさなど感じられなかった。沖縄風炒め物も、中華のエビ炒めを思うに、すっかり芯まで火が通る調理法なので、タンパク質は熱によって変質硬化しているはずだ。

 それが。
 ナイトスクープで彼女が、なつかしの味と呼んでいた蝉料理は、見るからにジューシーであった。否、それは料理と称するようなものではなかった。蝉の羽根をむしり、100円ライターで炙る。そして、二つに割る。そのうえで、中身を食うのである。

 エビ、もしくはシャコの丸茹での食しかたである。
 だがしかし、アウトドア好き、特に釣り好きだったりするとご存じだと思うが、ライターで肉を炙るというのは、よくやる行為だ。あ、痛っ。ケガしてしまったよ、でも消毒薬はないよ、そんなとき、傷を軽く炙る。
 名作映画『男たちの挽歌2』で、チョウ・ユンファがライターの火に唇を近づけて吸う有名なシーンがあり、私もかつては真似したことがあったが、ヤケドすることなんていちどもなかった。

(余談だが『男たちの挽歌』においてユンファは楊枝をくわえるようにマッチをくわえていて、それを中国の男の子たちは真似したそうだが、日本でそれを真似してもユンファではなく、木枯らし紋次郎とかドカベン岩鬼を連想されてしまうので真似しがいがない。それに比べ、『2』において前作で死んだ主人公の双子の弟を演じるユンファが、会議の末に決まったのだろうマッチに変わるキーアイテム「ライター」を使って魅せる芸当は、二十一世紀のいまになっても、それを真似すれば『2』のユンファだとわかってもらえる独自性を誇る。なので、なんだか大変なことになっている暴動中国で、取り囲まれたらライターの火を吸ってみるといい。お、こいつユンファのファンだぜ、なに、おまえ英雄本色2を観てネエのかよ中国人のクセに、なんて内輪もめがはじまって、その隙に逃げられるかもしれません)

 使い捨てライターの火力で、なにかに火を通すことなどできない。

 実際、テレビのなかの彼女も、ほんの十秒かそこら、蝉を炙っているだけだった。あれで火が通るわけはない。とすればなんのために炙っているのか。
 考えるまでもない。

 殺菌のためである。

 傷口を炙るのと同じ。
 だとすれば、そこにある物語も見えてくる。

 彼女は、なつかしい、おいしいと、火の通っていない殺菌しただけの蝉の内臓を食べていた。彼女の田舎ではオヤツだったのだろう。しかし、その付近の子供たちが蝉を捕って炙っては食うようになった以上、その親たち、先祖たちも、そうしていたに違いない。

 架空の世紀末において、ヒトがゴキブリを捕っては食うように、彼女の祖先は、オヤツなどという感覚ではなく、もっと切迫した状況で手を出した。過酷な大陸の歴史で、彼らが身のまわりのあらゆるものを食そうと試みたのは、よく知られているところでもある。

 蝉を食った。でも、たぶん、ひどいことが起こった。

 だから、近代の人類の子である彼女が、わざわざ蝉を炙って食うのである。オヤツなのだ。子供なのだ。むかしから食べられていたものだという知識もある。私は学校帰りに道端のヘビイチゴを食べるのに炙ったりはしなかった。それでひどいことが起こった話を聞いたことはなかったからだ。しかし彼女の田舎では……
 子供にまで徹底されるほど。

「蝉はかるく炙らないとこわいよ」

 そういうホラー……いや、体験談が、語り継がれていたのだろう。
 殺菌しない蝉を食って逝ったご先祖様もいたのである。

 前述したように、分布範囲の限られている蝉は、それゆえに、接する者の想い出の昆虫となりやすい。中国ではオヤツで、日本では季語、英語圏では、見つけた蝉の瞳の色を競うコンテストが催されていたりする。
 きっと、そのコンテストのことが、伝言ゲームのうちに変質したのだろう都市伝説もある。

「群青の眼をもつ蝉を捕まえたら一攫千金」

 ディープブルーな眼をした蝉の写真がネット上には流れているが、合成である。青い瞳の蝉というのは実在するが、ヒトを驚嘆させるような群青色の個体は、いまだ都市伝説だ。

 そんな伝説のもとにまでなってしまったコンテストを主宰しているサイトで、もっともアクセス数の多い記事は、やっぱりそれなんだという。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

『蝉マニア / 蝉は安全に食べられますか?』

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 『蝉マニア』の見解としては、犬が食べてもヒトが食べても問題になるとは思えないが、農薬の撒かれている地域では残留物に警戒する必要があるだろう、ということである。
 至極、まともな解答だ。

 ナショナル・ジオグラフィックも、同様に残留農薬には触れながら、それでも汚染された海で獲れる魚より蝉のほうがずっと安全であって、栄養価的には積極的に食したほうが良いとすすめている。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

『National Geographic / 低脂肪高タンパクな蝉は新健康食?』

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 もっとも美味なのは、羽化したてのやわらかいのを生で。成虫ならメスを軽く茹でて。大地の滋味を含み、アスパラガスのような味。ビタミンやミネラルも申し分なし。ピザのトッピングとしてもオススメ。赤でも白でも、ワインによく合います。

 ……絶賛である。
 食べにくいヒトはチョコレートフォンデュにすると食べやすいらしい。それは食べやすいでしょうとも、でも、私は塩味のほうがいいな。ピザかあ、とろーりチーズにしゃきしゃきの蝉。アスパラガス風味……栄養満点。
 窓の外に耳を澄ませてみた。

 んー。
 蝉、もう、鳴いていない。
 いつのまにか夏は終わったようです。
 残念。
 来年。



Hershey

 たとえば鳴かず飛ばずのボクサーが、同じ階級で良い試合を戦ったという選手の戦いっぷりを撮ったビデオを手に入れて、ディスクに焼き、寝ても醒めても見つづけて、もはや試合展開がひとつの音楽として記憶され、画面のなかの選手が右フックを出すのと同時に「ここで、こうっ」と自分も同じパンチを出せるようになったとき。

 それは確かに一種の音楽で、どうもテンションのノらないときにも、見れば覇気が満ちあふれるというまでになったそのビデオを、彼が携帯端末用の動画に変換し、肌身離さず持ち歩くようになったとしても、なんの不思議もない。

 もともとは、なにかが盗めれば、あまつさえ、近い将来に直接対決になればどう攻略するか、そういう視点で見ていたはずのビデオなのだけれど、彼にとっての音楽となったそれを、まったくビデオに映った選手とは関係ない試合の前に見ている自分に気づく。

「いってくるよ」

 携帯端末の小さな画面のなかから、いつも通りのパフォーマンスで気合いを入れてくれた相手に声をかけ、彼はリングへ向かう。
 そうして、ひさしぶりの勝利を手にした。

 やがて、彼は、実際にビデオの選手と対峙する。
 知り抜いたクセ、聞き慣れた足音。
 気合いが満ちる。
 だが同時に、彼は、彼を、すでに愛しているのではないかと疑う。少なくとも、彼の過去の作品たるあの試合は、彼にとって肌身離さぬ聖書であり、ドラッグであり、血肉。

「おれは、あんたを知ってる」

 ささやかれた彼には意味がわからない。
 しかしそれは、まぎれもなく。
 告白だった。

 ……というような(笑)。
 そういうことが、近ごろでは、あるんじゃないかなと。そのむかし、カセットテープがすりきれるほど聴いた彼のギターを、はじめて生で聴いたときに、勃起して射精して、男が男に惚れるということを身をもって知ったということを遠い目をして語るおっさんに遭ったことがありますが、最近では動画を持ち歩いている人も多いから、スポーツ選手なんかだと、倒すべき相手のビデオを見つめすぎて見えないものまで見えてくる、という展開は、現実にありそうです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・最寄り駅のすぐそばにローソンがあって、ipodユーザーだからLAWSON Wi-Fiは開始以来とても重宝しているのですが。平沢唯、店出て電車に乗ってもついてきて、車内でわめいてた。 http://eng.mg/fb004

・というわけで今夜は平沢唯をホームにたたずませて電車待ち。 http://bit.ly/Othzm9


twitter / Yoshinogi

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 ところで私は、小説を書く。
 そんなわけで、ボクサーよりも他人の試合は持ち歩きやすい。

 iPod touchはやっとローソンのおかげで駅でもネットにつながるようになったけれど、Wi-Fiがなければオフラインの端末。
 それを電車でなにに使っているかといえば、読書。
 ダウンロードしたものではない。
 どうしても持ち歩きたくて、自分でそういう形にまとめたものを。

 世に言う自炊というのとはまた違う。いや、紙媒体のデータをスキャンしてデジタル化し持ち歩くというところはその通りなのだが、私の場合「どこかでだれかが良い試合をしたらしい」という、その試合は、たいてい、分厚い雑誌のなかなのである。本になっているなら、それを読みたい。しかし、やすやすと文庫化されはしない新人の試合がほとんどで、しかも一般男性が電車で読んだりするのは、はばかられるイラスト満載のジャンルが主なところに私は棲んでいるわけで。小説は紙で読みたいが、雑誌を持ち歩くわけにはいかない。やむなくデータ化しているというところである。

 携帯電話の液晶が大きくなっても、やっぱり読みやすいのでノートパソコンに溜め込んだりしていた。iPodを使いはじめてからも、それは変わらなかった。

 だがしかし。
 iPod touchを第四世代に乗りかえてから、ふと気づいたのである。この解像度なら、ノートパソコンに入れてるの、そのまま持ってきても充分に読めるんじゃないの?

 iPod touchもiPhoneも第四世代から画面解像度は960×640。Ratinaディスプレイと名付けられていて、この秋に出るはずのiPhone第五世代でもサイズが少し縦長になるが同様のパネルが使われるんだけれど日本のシャープの工場で作っているのがちっとも追いついていなくてちゃんと発売できんのかコラ、みたいなことになっていると聞く(正確にはドットの数は同じでも、iPod touchとiPhoneのRatinaは別物。iPhoneのほうがIPS液晶というゴージャスなの使ってる)。

 多くのPC向けサイト管理者は、画面の横幅を1000ピクセル越えないあたりで設定して作っている(余談だが拙サイト『とかげの月』は、コンテンツは中央配置でモバイルでも切れないようにはしているが、大画面でも背景が途切れないように横幅2000ピクセル近くある。それは、セガのゲーム機ドリームキャストから生まれたサイトである誇り。モバイルも無視はできないが、お茶の間テレビでインターネットこそがぼくらの夢だったので、テレビの大画面化にも追いついていきたいのだ)。つまりは、情報を読むのに960ピクセルもあれば、だいたい大丈夫ということ。

 それにしても、8センチ×5センチの画面に、960×640もの点々が描かれているパネルって。それを星の数ほど作り、そのどれもにひとつもホコリが入ったりはしない工場って。シャープさんはすごいことをやっているので、少し納期が遅れるくらいは許してやってほしい。

 ともあれ、思いついたので、さっそくデータを移してみた。
 なにこれ、当たり前に読める。

 という自炊生活のはじまりと、とても使いやすい無料アプリの登場によって、この一年くらいで私の電車通勤は、酔える試合を持ち歩くボクサーのようなことになっている。読みにくいBL雑誌もスキャンして。自分の原稿の推敲もiPodに放りこんで。なによりも、すばらしい選手の演じた良い試合、良い舞台である作品を、読みこみまくって、もともとは、なにかが盗めれば、あまつさえ、近い将来に直接対決になればどう攻略するか、そういう視点で読んでいたものが、私にとっての音楽になるまで。

 というわけで。
 けっこうこなれてきたPDF生活の、いま現在、私が使っているソフトやら、その設定値とか。おもにA5版の分厚い小説誌を自炊して持ち歩くための作法。
 愛をはぐくめ!

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

○スキャナ

 私のスキャナは、年代物のエプソン。
(発売から十年経ってるよ……そりゃガラスも汚れるわ)
 現行機種なら、このあたりの。

GT-F730

 小説雑誌のスキャンだけなら解像度いらないけれど、スキャナー持っていれば、私もだけれど、やるつもりもなかった写真の焼き増しなんかで重宝する場面もあったりするし、これくらいの機種を持っていて損はないのではないかと思われる。

 むろん、雑誌一冊丸ごと自炊するとか、そういう使い方を想定するなら、積み重ねた原紙を自動で読み続けてくれる機種が良いのでしょうが……私は、本をバラすという行為がどうしても許容できない。読み捨てられる雑誌の類であったとしても、本は本の形のままで私の目の前にあってほしい。なので、自炊のために新しいスキャナを導入するとか、考えたこともありません。

 で、エプソン機の付属ソフトの設定がいまも私の使っているのと同じかどうかはわかりませんが。

●EPSON Scan設定

原稿種「雑誌」
イメージタイプ「カラー」
出力設定「その他」で200dpi
出力サイズ「等倍」
画質調整「モアレ除去」
明るさ調整「明るさ+20」 

上記設定でスキャンして。

ファイル形式「PDF1ページ(*.PDF)
品質「48(中間)」

 で、ファイル保存。

 もっと低い数値の設定でも もとの雑誌の紙質によっては快適に読めないことはないですが、そんな鬼のようにデータ圧縮する必要性も感じないので、このあたりで(もちろん、高画質であればあるほど読みやすいに決まっていますので、容量とスキャンの速度を気にしないならば、最上質で行っちゃってください)。

 何枚もの見開きPDFファイルが用意できたところで、フリーソフトを使って、一個のファイルに統合してしまいます。

○PDF加工ソフト

 こやつで落ちつきました。
 結合のみで使っているのですが、シンプルでよい。
 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・

『窓の杜 - PDF Split and Merge』

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

●『PDF Split and Merge』の使い方。

起動します。
左の「マージ/抽出」を選択。
右上の「追加」を選択。
出力先ファイルを指定して、
(作者と作品名を明記しておくのがよい)
右下の「RUN」で結合。

 これだけ。
 そうしてできたPDFファイルを、
 アプリ経由でiPhone、iPod touchへと表示します。 

○PDF閲覧ソフト

 このアプリに出逢ってから、ほかのなんて考えられない。



『辰巳システム / SideBooks』

 開発者さん的には、ページをめくる質感や、本棚ビジュアルなんかの生々しい読書感覚がウリみたいなんですけれど、一ページに段組の雑誌スキャンが主で、ファイルは今日電車で読むぶんを入れて読み終わったら端末からは消す、という使い方なため、私はこのアプリのウリの部分をまったく体感していません。
 しかし、イイ!
 ウリの部分以外は極力シンプルにという開発方針であるのでしょう。原稿用紙で二百とか三百とかの長編スキャンでも、最初から最後までがするする動いて、慣れるとページをめくる動作がないぶん、あ、ちょっと前を読みかえして確認、みたいな動作が考えるよりも先に画面では起こるようになる。
 快適至極。
 いやこれ無料って、なに? 神?
 本気で、ありがとうございますと床に額をすりつけてお礼が言いたい。
 おおげさでなく、私の一生のなかでも、ひとつの転換点でした。それまでも、どうしても時間がなくてデータ化した小説を読む、ということはあったけれど、このアプリによる快適さによって、むしろ積んでおくくらいならデータ化して持って出る、という行為が身についた。

●『SideBooks』設定

回転ロック「オン」
ページ間隔「なし」
ページ切替方法「スライド」

 アプリ終了しても、読みかけのページを憶えておいてくれるのも、実に手軽に起動できて、それゆえに起動させずに何日も持ち歩くことだってできて、ああ、あのライバルの作品をいま読んで熱くなりたい、というときにページをひらけて。
 すばらしい。

Scanbook01

 拡大しない状態でこんな感じ。
 さすがに、これで3.5インチ画面では読めません。

Scanbook02

 三段組みの、一段がちょうど画面に収まるように拡大。
 ね。これなら読める。問題なし。
 ちなみに、画面はA5雑誌の見開き(つまりA4サイズ)なのですが、この雑誌、基本は二段組みで小説を掲載するところを、新人だと三段組み。ぺーぺーにページは割かないぜ、という方針なのですが、そういうぎっちり詰まった誌面でも、このように大丈夫。使っている感覚でですが、これ、『SideBooks』の側で、かなりの自動補正が入った結果によるもののようです。ノートパソコンの画面で読むのよりも、小さなiPodの画面で『SideBooks』経由のほうが、あきらかにクリアで読みやすい。
 気になるのは、本を分解しないことによる、ページとページの狭間の部分ですが。

Scanbook03

 充分でしょう。
 確かに、ときには、拡大率を上げないと読めないような状況には出くわします。だったら拡大すればいい。ほとんどの場合、この見えにくい谷間も、過剰に拡大せずに問題なし。問題があるとしたら、ほかの作業と並行しながらスキャンしている私のテンションが上がりすぎているときに、外光が漏れこんで白飛びしたどうしようもない箇所に出遭ったりしたとき。作業の荒さは、ソフトでは解決しません。

 以上、こんな感じで私は電車でPDFファイルを読んでいるよ、の回でした。
 キンドルも二代目が出るとかで、そういう画面の大きな端末に変えればもっと読みやすいのでしょうが、このやりかたで、眼精疲労もないレベルで読めるしなあ、とか思ったり。そういう意味では、アップルがiPad miniなるiPodとiPadの中間機種を開発中だという噂は、まさしく私のようなのに向けた戦略なのでしょう。Xboxフリークとしては、来年に出るという噂の新型Xboxと連携させたマイクロソフトのモバイル端末があるんじゃないかなあ、と様子見なところもあったり。

 スキャン画面をさらすことが引用にあたるのかどうか非常に微妙なところであり、後日、写真が差し替えられたりしていたら、私が怒られたのだと思ってください(笑)。でも、これがいま、まさに私の端末でヘビーローテーションされている画面です。もしかすると作者さんが推敲のために読んだのよりも、私が目を血走らせて読みかえした回数のほうが多いかもしれない。

 私のiPodに表示されているのは、小説Wings/NO.75 とりで凌『悩める悪魔とフランツ・フィリップの日記』。勇気をもった、読者に愛されそうもない冷血悪魔が主人公で、せっかくのアクションシーンにできるところをことごとく削りこみながら、多方向からの視点で感情の飛び道具をぶっ放し、ちゃんと最後にはロマンスの香り漂っている。 
 私には、書けない。
 だから、私はいかにこれと違うものを書くかを考える。
 でもそれでいいのかと自問する。
 電車のなかで叫び出したいときがあります、マジで。

 それって、いいことです。
 自炊PDF持ち歩いている、かいがあるところ。
 あなたも、身もだえするほど恋い焦がれる相手の試合、持ち歩いてみませんか。精神的に追いつめることで、己のなにかが進化するやもしれません。
 私が、私自身であなたに証明できればいいのですけれど。

 そんなこんなで、第五世代発表直前というところでiPod touchも価格下がっております。一個どうです?

iPod touch

 最近、思います。
 デジタルと、紙で、同じ雑誌が同時に発売されるようになったら、私は嬉々としてスキャンの手間のないデジタルブックを選ぶだろうかと。単行本なら、それもあるなあと思いはじめているのですが、雑誌ってやっぱり。
 こういうの含めて、な気がますますしてくる。
 少年マガジンのグラビア切り抜いて勉強机の前に貼ったりとか、そういうのこそ雑誌。そのアイドルの首から下に、別のエロ雑誌から切り抜いたのを貼ってみたりしてしまうのが雑誌。

 著作権、コピーガード。
 むずかしい問題だけれども。
 私は間違いなく、遊ばせてくれる雑誌という媒体を、もっと好きになっている。ある意味、これよかったんだ、聴いてみて、と無邪気に友人に勧めることのできたカセットテープの時代こそ、音楽を愛し敬意を払う人たちを育てたみたいな気もしてる。
 だから遊んで。
 デジタル機器が身近になったいまだからこそ、紙の雑誌買ってみて。小説、読んでみて。ラノベ流行りで、ラノベってあれでしょ、アニメ化されて……みたいな偏った第一印象も広がったけれど、そういうあなたにこそ、ぴったりの作品たちがあるから。ああいうラノベに、すべてが淘汰されたわけではないのです。淘汰? なに言ってんのここからがこっちの出番、なんてノリで書いている者たちだっているのです。
 私は、ジュヴナイルという運動を忘れない。
 
 遊びましょう。
 遊びつづけましょう。
 ハードもソフトも、だれかが作らなければどこにもない。
 だれかが作ったものに背を押され。
 次に作るもの、わき出させましょう。
 この身のうちから。